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家族3題(代)噺、の巻 [家族]

第1話

今朝の地元紙朝刊の「読者のページ」に、老父の投稿が掲載されています。

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「戦争と平和」というテーマで募集があったので書いたと言います。
該当部分を拡大します。
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このままでは読みにくいでしょうから、文字に起こしてみます。
若者に絶対駄目と願いたい
○○○○ 91  (美作市)
年を重ねても昔のことはよく覚えている。 「欲しがりません勝つまでは」と教育された。国民学校高等科2 年で卒業して、東京の軍需工場へ就職した。 先輩の指導を受けて、油だらけになり懸命に働いた。会社には私立の青年学校があり、ほとんどが軍事教練だった。
戦争は激しくなり、東京の空には毎日のよぅに米軍機が偵察に来るようになった。19 45年3月10日、東京大空襲があり10万人以上の人が命を失つた。 5月25日の大空襲では、庭の防空壕に避難したのでみんな助かった。が、工場も寄宿舎も丸焼けになったので命からがら田舎へ帰った。
8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ大勢の人が亡くなった。あと1年も戦争が続いたら徴兵検査を受けて軍隊に入り、現在の自分がなかっただろぅと思うと戦争の恐ろしさをつくづく思う。
あのひどい戦争の状況を知る人が少なくなった今、戦争を知らない若い人に、戦争は絶対駄目だと強くお願いする。
子どもの頃から、折に触れてその端々は聞いたことのある昔話ですが、詳細のところは知らず、初耳のところもあります。わずか一代の間でさえ、語り伝えることが容易ではないのだと改めて思います。
戦後73年、みずから戦争体験を持たないだけでなく、先人の戦争体験を傾聴する姿勢を自覚的に育てることもなく大人になり、その欠如に気づかないような指導者やその取り巻きが国政を牛耳る時代、戦争の実相を語り継ぐことの大切さが身に沁みます。
ところでこの投稿記事、以前、7月半ばに書いたこの記事(臍をくくる、の巻)でちょっと触れていたとおり、投稿前に、孫達と一緒に詠ませてもらっていました。
そもそもそのきっかけはと言うと、老父が地元新聞に投稿予定の記事を、孫2人が読ませてもらいました。「B29」「焼夷弾」「酷い」などの意味や読み方を確認しながら、帰りの車でもう一度2人で声に出して読み、兄が言います。「いちばんよく出てくる『戦争』という漢字は読めるだろ?3・4年生になったら「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」が教科書に出てくるで。」とそのあらすじを語って聴かせます。妹は、担任のM先生が、「火垂るの墓」が悲しすぎて二回目は見たくないと言ってた。などの会話をしているので、「火垂るの墓」の話題に参加してみました。原作の野坂昭如さんを論じても始まらないので、アニメの作者を話題にしようと思って頓挫してしまったのです。
子どもたちは、正しくも「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」や「かぐや姫の物語」を上げます。それらの作品の監督、高畑勲さんのお名前がどうしても思い出せないのでした。
宮崎駿さんはすぐに思い出せたのに、なぜでしょう。
さすがに新聞編集者の方は、筆者の意図を汲んだ上で、言葉遣いや漢字表記を調整し、字数もコンパクトに縮めてくださっています。その結果、「B29」は「米軍機」に、「酷い」は「ひどい」に改められ、「焼夷弾」は省略されていますが、文章の趣旨は余さず伝えてあります。たいしたものです。
ところで、昨日の記事で「記憶容量不足や」「メモリー異常」について書きました。「火垂るの墓」の高畑勲さんはすぐに思い出せるようになったのですが、今度は、津川雅彦氏死去のニュースを聞き、先になくなったお兄さんはどなたでしたっけと考え始めて、お顔は浮かぶのにお名前が思い出せないのに弱りました。今回は、数時間の「熟考」で長門裕之さんの名前を「自力で」思い出し、ついでに、長門と言えば郷土出身の長門勇さんも思い出され、懐かしい気がしました。でも困ったことに、長門裕之さんとおしどり夫婦と呼ばれた奥さんの名前が思い出せない。気持ちが落ち着かないので、ネット検索で、南田洋子さんを探し当てたのですが、ほとほと困ったものです。
第2話
昨日はバアバのパートが休みだと知って、一昨日の晩から小学生の孫がお泊まり。朝食のパンがないというので、朝散歩がてら、孫2人と一緒に、近所のコンビニまで買い出しに歩きました。兄妹それぞれ、好みの菓子パンをえらび、牛乳やカルピス、食パンなども買い、ついでに「ミニ大福」も一袋買って帰りました。
食事が済んだら、エアコンの効いた部屋でごろりとして、TV(録画やdvdも含みます)三昧の優雅な休日風景が、まったりと展開されます。
しかし、夏休みも半ばを過ぎたのに、宿題ははかどっていないようです。しばらく、一緒にドリルを覗いてみました。
まずは社会科。
日本地図の部分を丸く囲んで、名称を答える問題があります。
・歯舞・色丹・国後・択捉に相当する部分が囲まれていて「ロシアに不当に占領されている日本の領土」と説明されています。その名称は?----デリケートな問題ですね。これをまとめて「北方領土」と呼ぶのは、日本政府の立場ですが、1951年日本が締結したサンフランシスコ条約で、日本は千島列島を放棄しましたから、千島列島の一部(南千島)である国後・択捉の領有権を主張するためには、サンフランシスコ条約の改変が必要でしょうに。
にもかかわらず「4島一括変換」などに固執するから、北海道の一部であり一九五六年の日ソ共同宣言でも、平和条約締結後には返還が約束されている歯舞・色丹の返還までが先延ばしにされているのではありませんか?
まず平和条約締結→速やかに歯舞・色丹返還→続いてサンフランシスコ条約の改訂→南千島のみならず歴史的に日本固有の領土である北千島も含めて全千島の返還へと進むのが現実的な道筋でしょう。
とすれば、北方4島を「北方領土」と呼称することは、学術的にも政治的にも誤謬をはらんだ、きわめて偏った立場というべきでしょうし、教科書をはじめ学校教育でこれが子どもに押しつけられることは万代ではないでしょうかね?
そう言えばこんなことがありましたっけ。huffpost2016年2月9日の記事。余りにお粗末なんで忘れかけてましたがね。
島尻安伊子・沖縄北方領土担当相が2月9日の記者会見で、北方領土の一つである「歯舞(はぼまい)群島」を読めない場面があった。共同通信が報じた。
会見で島尻氏は、元島民でつくる「千島歯舞諸島居住者連盟」が1日〜7日、「北方領土ネット検定2016」を実施したことを紹介した。このとき島尻氏は団体名が読めず、「元島民の皆さまでつくる、千島ハボ…えー、何だっけ…」などと、言葉を詰まらせ、大臣の側にいた秘書官が「はぼまい」と伝えた。
・日本最南端の島は?---「南鳥島だったっけ?」と言いますと、小5生は地図帳で調べて、「それは最東端」と言います。そして「最南端は沖ノ鳥島」と見つけました。そして最西端は与那国島。日本も広いと思い知ります。
・岐阜県海津市を流れる3つの川、木曾川・長良川・揖斐川は、それぞれ地図上のどれ?----わかりません。すみません。「輪中」?とっさにはこの言葉を思いつきません。難しい。
理科もなかなか厄介です。ほどほどに仕上げて、出かけることにしました。
バアバがつくったおにぎり弁当を持って、出かけた先は、倉敷ライフパーク。
駐車場に車が一杯です。
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芝生のあたりで弁当を食べてからひと遊び。
観光バスも何台か駐まっています。
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クマゼミの集団がいました。
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ライフパーク。正式には

ライフパーク倉敷科学センター - 倉敷市

プラネタリウム、科学展示室など、大人でも飽きません。
入場料はリーズナブル。
しかも、65歳以上は無料でした。ラッキー。
駐車料金は無料です。
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今回はプラネタリウムへは行かず、科学展示室でたっぷり遊びました。
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第3話
「7人の孫」のうち、今日は、6人が集まりました。新生児はママと一緒にお留守番です。
これは今朝の散歩で見たアブラゼミ。
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今日はここまで。

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