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幽かな糸が繋がった?の巻 [折々散歩]

わが脳内のイメージ図を想像してみることがあります。無数に張り巡らされている神経(ニューロン)が、方々で傷つきやせ細って、時には途切れて、かさかさに干からびシナプスが小刻みに震えたりこわばったりしながら、滞りがちの信号を弱々しく伝えたり途絶えたりしている、、、。ニューロンもシナプスも、見たことありませんからイメージ化できませんが、「灰色の脳細胞」(エルキュール・ポアロ)というくらいですから、灰色をしているのでしょうな。

いずれにせよ、そんなあやふやな脳内伝達の有様が、嘆かわしくてなりません。

記憶の深いところをまさぐっても、その実体に指先がとどかないもどかしさを、つい最近も味わったところです。

昼食後の寛ぎの時間などに、観るともなく観る録画番組に、「相棒」シリーズがあります。昨日も、たまたま点けたのが、「相棒劇場版4」。オフィシャルサイトはこちら

  • 相棒 -劇場版IV- - KINENOTE の記事から概要を囲繞させていただきます。
  • 【解説】

    人気TVドラマシリーズの劇場版第4弾。日本政府に人質身代金9億円を要求した謎の国際犯罪組織。50万人以上の見物客が集まる世界スポーツ競技大会の日本選手団凱旋パレードで無差別大量テロが計画される中、特命係の杉下右京と冠城亘は真犯人を追い詰めてゆく。監督は「探偵はBARにいる」の橋本一。水谷豊、反町隆史、及川光博、石坂浩二、仲間由紀恵、六角精児、川原和久といったTVでおなじみの出演陣が総集結。そのほか、謎の“黒衣の男”を「猫侍」の北村一輝。誘拐された少女を「くちびるに歌を」の山口まゆ、国連犯罪情報事務局元理事のマーク・リュウを「想いのこし」の鹿賀丈史が演じる。

    【あらすじ】

    7年前、イギリスで起きた日本領事館関係者集団毒殺事件。当時、その唯一の生き残りだった少女が国際犯罪組織によって誘拐されたが、駐英大使と日本政府は高度な政治的判断によって、その誘拐事件を闇に葬っていた……。それから7年。国際犯罪組織バーズのリーダー=レイブンを長年追ってきた国連犯罪情報事務局元理事のマーク・リュウ(鹿賀丈史)が、日本にレイブンが潜伏しているという情報を得て香港から来日。(中略)その矢先、リュウの部下が「天谷克則という男を調べてくれ」というメッセージを残し、首に黒い羽のタトゥーを入れた“黒衣の男”(北村一輝)に殺害される。

    内容に深入りすることはしません。わが脳裏に、もどかしいもやもやが去来したのは、この「天谷克則という男」の幼時の体験として描かれるエピソード。太平洋戦争末期のトラック諸島、敗色濃い中、日本軍の主要部隊が撤退してしまい、残された民間人に米軍の容赦ない攻撃が浴びせられ、逃げ惑う中で母と生き別れになったというストーリーが語られます。

    オヤ、どこかで聞き覚えがあるぞ、しかも最近。はて?いつ、どこで、誰に聞いた話(あるいは読んだ記事?)だろうか。と考え始めると、気になって仕方がありません。確かに聞いた(読んだ)話かどうかもあやふやなので、余計にもやもやが募ります。

    いろいろ見当を付けながら記憶をまさぐるうちに、思い出されてきたのは、先日の8月末の高知旅行で、最大の目的だった同窓会の席で、M君が話してくれた話題がそれだったと思い出されてきました。M君については当ブログでも何度か紹介させていただきました。たとえばこんな記事。彦崎貝塚訪問記、の巻

    先日、 私の入院を心配して、そのM君がお見舞いのメールをくれました。ありがたいことです。
    ◇二日目のお四国弥次喜多ぶらり旅 の記事でもご紹介しましたように、M君は、生物・理科分野、もっと厳密に言うと水産分野が専門ですが、歴史・地理分野への造詣と関心が並々ならぬものがあります。中でも一番興味があるのが縄文遺跡巡りだそうです。香川県荘内半島の紫雲出山を訪ねたのも、そこの縄文遺跡が一番のお目当てだったのです。残念ながら、「紫雲出山遺跡」は、縄文時代ではなく弥生時代の集落跡だったのですが、、、。
    歴史音痴・地理音痴を自負する私などは、行動力抜群の彼の後についていくといろいろと面白いことに出会えるので、楽しいのです。
    このたびの10月の「弥次喜多道中」も、縄文遺跡を訪ねる(つもりの)旅だったのです。

    同窓会の夜も、縄文文化の話題や邪馬台国の話題など(というか、ある種の論争)を歴史が専門の先輩達とやり合う威勢の良さ。しかも、並々ならぬ読書量と知識欲と造詣の深さに脱帽しながら聞く一方でしが、その記憶は鮮明だったのですが、先の戦争末期のトラック諸島の様子は、どういう文脈で語られたのものだったのか、ようやく思い出しました。

    念のために確かめてみると、net上に「AERA.dot.」のこの記事を見つけました。

    「いまもむかしも、えらい人は失敗の責任をとりません」「命令どおりの作業をやるしかない生き地獄を、生き残るためには、三度も奇跡が必要だった」

    ――最近のニュースのことかと思われるだろう。これは、先の戦争を生きのびたある元日本海軍兵が、70年以上も前の戦場でつかみとった結論だ。その人は『96歳 元海軍兵の「遺言」』(朝日新聞出版)の著者であり、現在は大阪市に住んでいる瀧本邦慶さん。17歳のとき、「お国のために死ぬ。これぞ男子の名誉」と20歳の徴兵検査を待たずに海軍に志願した。4等兵という「下っ端」から出発し、空母「飛龍」に乗りこんだ。以降、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦に従軍し、「餓死の5分前」に追いつめられた南洋のトラック諸島で敗戦を迎えた。戦後70年を経て戦争体験者が次々と世を去っていくなか、「戦争の生の姿」を語ることができる数少ない語り部だ。  

    (中略)

    ご存じのように日本軍はこのミッドウェー海戦で敗戦の坂道を転げおちていきます。戦後にミッドウェー海戦のことをしらべると、とんでもないことが分かりました。海軍の上層部のヤツらは、敗因は下っ端の下士官兵らがきちんと働かなかったからや、なんてことを言っているんですね。
    このときはっきりと分かりました。えらい人は自分の責任を認めるどころか、反対に責任を末端におしつけます。えらい人は失敗の責任をとりません。反省もしません。

    そうそう、M君が話してくれたのはこの人の話題でした。いったんは「語り部」を辞めるつもりになっていたが、思い直して、『96歳 元海軍兵の「遺言」』の本も出版、語り部も続けているという方だそうです。

    ネット上にはこんな記事もありました。

    その平和講演を、瀧本さんは8月末で止める。理由は二つだという。

    一つは、今回の参院選。瀧本さんは「いくら講演活動を続けても何も変わらない。いや、時代はますます悪い方向へ向かっています」と嘆く。

    二つ目が、参院選の結果を受け、近い将来、集会の自由が奪われる時代が来るだろうと思うからだ。

    「戦争が近づくと、特高警察が700人近くの反戦主義者を次々と検挙していきました。今の政権はそれと似たことをやると思いますよ。当時よりも戦争に反対する人は多いから取り締まりも大掛かりにやるでしょう。平和講演をやっていることで逮捕されたら、息子夫婦に迷惑をかけることになりますからな」

    大げさな話だと一笑に付すことはできないようなことがすでに起きていた。

    瀧本さんが大阪府内の高校で講演したとき、後日、学校から感想文が送られてきた。その中に、「左巻き(左翼の意味)のじじいが政権を批判するなんて許せない。話を聞いて無駄な時間を過ごした」と書いた一文があった。語り部活動を始めて10年以上になるが、そんな感想が寄せられるのは初めてのことだった。

    さらに、数日前、大阪市内の中学校から依頼された講演をキャンセルされた。

    asahi

      

    chirasiura

    「AERA.dot.」は、滝本さんを度々記事に取り上げています。たとえば、最近の記事としてはこの記事この記事。一部引用します。

    「もう戦争だけはこりごりだ」。これが、瀧川さんを含めて73年前の人々がたどり着いた「国民的結論」のはずだった。
    それなのに瀧本さんの焦りはいま、最高潮に達しつつある。
    「もうこの年になるとな、いつ死んでもええわいと思とります。でも、今はそれどころじゃないんです。今は死んでも死ねない。そう思とります」
    病みあがりの体を奮いたたせて戦場体験を語りつづけているのは、「国民的結論」が揺らぎつつあると感じているからだ。(中略)

    自分は若いころ、だまされました。戦場におくられ、無数の無残な死を目の当たりにし、餓死寸前になるまで、そのことに気づけませんでした。愚かでした。だから若者よ、君たちはだまされないでください。かつてならば「天皇陛下のため」「お国のため」、いまならば「国を守る」「攻められたらどうする」。戦争は反対だが「やむをえないもの」「避けられないもの」もあるのです、と言って若者をその気にさせる言葉に決してだまされてはあきません――。
    そんなことを、くりかえし、何度も、幾度も訴える瀧本さんの大声には、迫力というよりも哀願にちかい響きがある。
    瀧本さんは2017年7月、脳梗塞で倒れた。その年の講演予定は取り消しとなった。
    8カ月後の2018年3月、瀧本さんは語り部活動を再開する。せめて1年間は休んでリハビリに集中して欲しいという家族の願いをふりきっての決断だった。
    復活第一声は次のようなものだった。

    「瀧本でございます。昨年7月に倒れまして講演を停止しておりました。しかし、世相が許しませんので、私はしゃべらないかんようになりました」

    (中略)
    ■「えらい人は責任を取りません」
    危機感の根源は安倍政権の動きだ。
    2013年 特定秘密保護法を制定
    2014年 武器輸出三原則の撤廃、集団的自衛権の行使容認の閣議決定
    2015年 安全保障関連法(戦争法)の制定
    2017年 「共謀罪」法の制定
    これらの動きに瀧本さんは「『ぜったいに戦争はやりません』という国から『いつでも戦争をやるぞ』という国になろうとしている」と断じる。
    今年7月の講演会。やはり瀧本さんは吠えた。
    「今の世の中、政治の動きに対して危うさを覚えております。今は死んでも死ねないと思とります。今は死んでるどころじゃないんです。怒って怒って怒りっぱなしですよ」
    やりだまにあげたのは「赤坂自民亭」だ。
    7月5日14時、気象庁が「記録的な大雨」「厳重な警戒」を呼びかけた。午後10時までに京都・大阪・兵庫の約11万人に避難指示が出され、避難勧告も広がっていく。15府県で225人が亡くなった西日本豪雨のはじまりだった。そのさなかに開かれたのが、安倍晋三首相も出席しての自民党国会議員の懇親会「赤坂自民亭」だ。防衛相や法相ら政府や自民党の要職が酒をくみかわす写真が出席者によってツイッターに投稿もされた。
    これに瀧本さんが敏感に反応したのは、やはり戦時下の体験による。

    瀧本さんがトラック諸島に上陸したのは1944年2月11日。それから6日後の17日と18日に米軍の大空襲に遭う。瀧本さんは山中のトンネルに逃げこんだ。「その中でふるえあがっとったもん。とにかくこわかった」。穴から出て見た光景は、日本の敗戦を確信させるほどのものだった。軍の施設は陸上も港湾も何もかもが破壊されていて、巨大な重油タンクは黒煙を数日間あげつづけた。船はあらかた沈められた。飛行機も軒並みやられた。以降、手足をもがれたトラック諸島の陸海軍は、連日のように米軍空襲にさらされることになる。
    「海軍T事件(※注)」とも称されるできごとは、大空襲の前日、16日に起きた。トラック諸島には将校用の日本料理店があり、「そこで軍幹部が飲めや歌えのどんちゃんさわぎをしていたんですね」。しかも警戒態勢が解かれていたから、ほとんど反撃らしい反撃もできないまま大空襲を受けてしまう。島全体を揺るがすほどの大量の爆弾だったから、それを地表で受けていた瀧本さんら兵隊にとってたまったものではなかった。
    この海軍T事件後に任を解かれた司令長官は、戦後も長く生きたが自らの責任について語ることはなかったという。
    「戦場にかっこいい物語など一つもなかった」と合わせて、瀧本さんは戦争についてもう一つの結論を持っている。
    「えらい人は責任を取りません。戦争で死ぬのは下っぱの若者ばかりです。今はどうですか。戦前と変わりましたか。国民が大変なときに、えらい人たちはどんちゃん大騒ぎをしているじゃないですか」
    (朝日新聞大阪社会部・下地毅)

          今日の記事も、 引用ばかりで終わりました。

    「幽かな糸」はもう少し別方向にも繋がっていくのですが、それはまた次回。

    【今日の付録】

    朝から雨が降ったりやんだり。

    マンジュシャゲとキアゲハ。

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    ヒャクニチソウとキアゲハ。

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    キアゲハのカップル。

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    ベニシジミ。

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    ヒメジャノメ?

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    ダイサギ。

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    アオサギ。

    _K528909

    センニチコウ。

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    ニラの花。

    R0016234

    今日はここまで。


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