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あらまほしきものは、の巻 [折々散歩]

時計を少し巻き戻します。


【遠足の前日】


遠足の前日は、そわそわとして何かと落ち着かないもの。持っていくものやお小遣いを、何度もリュックに入れたり出したり、入れ替えたり、それだけで結構時間を費やします。


先日の退職同業者バス旅行は、(兼写真クラブ撮影会)と付記があります。つまり撮影に好適なカメラは?と、ああでもないこうでもないでもないと、レンズを付け替えたり、いったんバッグに収めたカメラを別のカメラと入れ替えたり、、肝心の電池が充電不足で、そのカメラの携行を諦めたり、、、。前日どころか当日の朝までこれが続きます。


そんなことばかりに煩わされて、集合時間は何時?行き先はどこ?などという大事なことは二の次。「県北」への旅ということだけがインプットされていて、なぜか勝手に蒜山高原近辺を思い描いていました。勘違いに気づいたのはバスに乗り込んでから(汗)


【朝の大慌て】


集合場所は総社駅前、出発時間は9時と、なんとなくインプットしていて、特に確かめようともせずにいました。あまり早く着きすぎても時間をもて余すだろうと、PCに向かったりTVを眺めたりあれこれと時間を費やして、ガソリンを給油したりして、十分余裕を持った出発のつもりで車を走らせているうちに、だんだん集合時刻が怪しく思われてきました。もしや8時30分だったらどうしよう、と思い始めると気が気ではありません。そんなときに限って、道を間違えたりします。しかも二度三度、車線変更レーンを間違えて、いつも通らない道を走りますから遠回りになります.ようやっと集合場所に着いたときには、まだ遅くない順番で、ほっとしました。
心が急いていると、うっかりミスが起こります。この旅行中、私を苛(さいな)んだ悲劇はこうして起こりました(大げさ!!)


【お懐かしい方々】


気の置けない方々とご一緒できるバス旅行は、それだけでも愉しいものですが、とりわけて嬉しいのは、Tさんのご参加。実は真備町のご住居は、先の豪雨災害で浸水・全壊。しばらくはお子さんの元に身を寄せておられたそうですが、最近新たにマンションに転居なさったそうです。お元気そうで何よりでした。


Tさんは、私が就職したての頃、同じ職場の先輩として、公私にわたって親身に指導していただきました。


当時から大変な読書家で、一万冊に及ぶ蔵書が、すべて水害で駄目になり、処分された由。淡々とお話になっていましたが、痛ましいことです。


この旅行の幹事役のY・Fさんも、青年の頃、職場は違いましたが同じ住宅で家族ぐるみの交際をしていただきました。この日は、奥様が参加されており、懐かしいことでした。


【バス出発】


バスは、国道53号線を経由して、県境の黒尾峠を越え、智頭→鳥取市へ向かいます。(昨日の記事参照)


車内マイクで、参加者が一言ずつ自己紹介・近況報告などをするなかで、「この旅行の素晴らしさは、優れた案内者があること。人生もまた、優れた案内者があるなしでは大違い。」と語られた方がありました。


この「自然歴史歴史探訪」という行事は、毎年二回ずつ実施され、今年で25年目。今回が第49回で、来年5月には第50回を迎えるそうです。そのすべてに渡って企画・立案に携わり、案内者として貢献してくださったNさんは、今回も周到な資料をご用意くださり、またそれ以外にも、通りかかる場所場所にまつわる「深いいお話」を、ふんだんに紹介してくださいます。


【先達はあらまほしきものなり---「移動講義室」で聞く深いい話】


たとえば、夏の洪水被害に関連して、高梁川・小田川の氾濫の大本は、江戸時代、岡田藩伊東氏が新田開発を狙って流路変更工事を強行したこと、また明治になっても、住民の懸念や要望を反映した治水を行わないできたことなど、「人災」である点を、歴史的経緯から詳しく明らかにしてくださいました。(退職同業者の全国組織の新聞に、記事を寄せられるそうです)


国道53号号線を北上しながら、その土地その土地にまつわるお話を聞かせてくださいます。たとえば、、、


・久米南町 片山潜出身地


概略はこの記事のごとし。


片山 潜 記念館(久米南町) - 津山瓦版


郷土出身の革命家・片山潜
片山潜は安政6年(1859)、久米南条郡羽出木村(久米南町羽出木)で生まれました。25歳の時の渡米で社会問題に関心を持ち、帰国後、労働組合結成の推進など社会運動家として活躍します。
当時は危険思想とみなされ、弾圧を受けましたが、潜は思想を曲げず大正3年(1914)、4度目の渡米を果たし、のちにロシアの共産党に共鳴、大正10年(1921)ソ連(現在のロシア)に渡り、共産主義政党の国際組織であるコミンテルンの幹部として反戦平和を訴え、世界を舞台に革命家として活躍しました。昭和8年(1933)ソ連で75歳の生涯を終えましたが、モスクワでの葬儀には15万人の人々が集まり、スターリンら共産党の幹部らがひつぎをかついでクレムリン宮殿の壁に埋葬されました。(文:片山潜記念館より抜粋)


・久米南町 誕生寺


以前これらの記事でも話題にしました。


孫殿の誕生待つや誕生寺


ところで、この誕生寺は、浄土宗の開祖法然上人の生誕地に建立された浄土宗の寺院で、建久4年(1193年)。法力房蓮生が建立しました。

この蓮生は、『平家物語』「敦盛(あつもり)最期」の段に登場し、17歳の貴公子敦盛を討ち取る巡り合わせとなった熊谷次郎が、殺生を性(さが)とする武士の身を厭い、この世の無常を嘆いて出家し、法然の弟子となったのでした。

(中略)

この熊谷次郎直実=法力房蓮生が師と仰いだ法然は、この土地で押領使の漆間時国(うるまときくに)の子として生まれます。勢至丸と名付けられた彼が9歳の時に、父は預所の明石定明によって殺されます。九歳の勢至丸は小弓で敵将定明の右目を射て退散させましたが、父時国は臨終に際して、勢至丸に仇として定明を追うこといましめ、「仏道を歩み、安らぎの世を求めよ。」と遺言したといいます。

この熊谷次郎直実=法力房蓮生が師と仰いだ法然は、この土地で押領使の漆間時国(うるまときくに)の子として生まれます。勢至丸と名付けられた彼が9歳の時に、父は預所の明石定明によって殺されます。九歳の勢至丸は小弓で敵将定明の右目を射て退散させましたが、父時国は臨終に際して、勢至丸に仇として定明を追うこといましめ、「仏道を歩み、安らぎの世を求めよ。」と遺言したといいます。(中略)

追伸:このブログ執筆中にネット検索で目に入った情報ですが、誕生寺のご住職が「宗教者九条の会」 および、「岡山県九条の会」の呼びかけ人に名をつらねていらっしゃる事を知り、感銘を覚えました。

九条のめざす理想と、宗教者の抱く理想とが、大局で合致するということは、当然と言えば当然ながら、改めて勇気づけられる想いがしたことでした。


川柳を作りたくなる俺がいる


青葉の笛に江戸川柳、そしてお次は蕎麦と鳩


・津山市福田(佐良山)の殉教五人衆


津山瓦版「比丘尼塚(びくにづか)」の記事参照。


この古墳は剣戸13・14号墳が正式な名称ですが、330年程前キリシタンと共に幕府から弾圧された日蓮宗不受不施派の信徒である佐伯の本久寺の住職日勢 聖人がこの古墳を最期の地と定め閉じこもりました。この話が伝わり、建部の4人の女性が共にこの古墳で最期を迎えたことからこの名で呼ばれています。

(中略)

福田五人衆

備前での寛文の法難は、藩主池田光政によって不受不施派への徹底的な弾圧が加えられた。備前佐伯本久寺住僧の竪住院日勢聖人は難を遁れて作州に潜入後、寛文9年(1669)2月に此の塚を断食終焉の地と定めて入篭せられた。奥壁に向かい読経唱題しつつ玄題を刻み、従う4人の比丘尼と共に入定される。

日勢聖人 3月13日寂 41歳

妙意尼 3月18日寂 34歳

妙定尼 3月21日寂 21歳

妙現尼 3月24日寂 22歳

妙勢尼 3月26日寂 42歳

平成21年 高祖会砌

日蓮宗不受不施派 立正護法会建立 (案内板より)


・因美線高野駅


現在は無人駅ながら、不釣り合いなほどに長いホームが残っています。そのわけは、戦前、日本原の陸軍演習場に向かう兵士達がこの駅に降り立って、日本原まで列をなして行進した。その名残が長大なホームと立派な駅舎だといいます。二年前の智頭への旅では、この駅を実際に見学しましたが、今回は近くを通っただけ。


・日本原


「日本原」の名前の由来は諸説あるそうですが、ウィキペディアにはこう解説されています。


日本原の地は古くから原野であり、天文年間(1532年から1554年)に六十六部で諸国を廻った農民の福田五兵衛が最後にこの地に住み着き茶屋を開いた。この茶屋で街道を行き交う旅人に日本各地の話を聞かせ、やがて茶屋を「日本廻国茶屋」と、福田五兵衛は「廻国五兵衛」と呼ばれるようになった。後にこの地は日本野と呼ばれ、これが日本原の地名の起こりとされる。


一帯は強い酸性土壌で作物の生育に適さず、地形が大陸に似ていることなどから、明治以降、旧陸軍の演習地として利用されてきました。戦後は、駐留軍演習場として、イギリス軍、オーストラリア軍、カナダ軍などの演習に使用されましたが、朝鮮戦争の終了にともない、警察予備隊→自衛隊の演習場、駐屯地として使われています。


この一〇月、米海兵隊の単独訓練が強行されています。


・那岐山、菩提寺


鳥取県境の高峰那岐山と、古刹菩提寺について聞きながら、以前書いたこんな記事を思い出していました


そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり


那岐山をご存じでしょうか。
岡山県と鳥取県にまたがる高峰で、氷ノ山(兵庫県)、後山(岡山県)、とならんで、氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されています。
この山にはイザナギ、イザナミの両神が降り立ったという伝説があり、伊邪那岐(イザナギ)の名が、山の由来になったとされます。
標高は1255.0 m。隣接する後山(岡山県第一の高峰)が標高1344mで、その高さに負けて泣いたことから「ナキノセン」と呼ばれたという、面白話も残されています。

ところで、この那岐山の鳥取県側にはJR因美線那岐駅(なぎえき)というローカル駅があります。鳥取県八頭郡(やずぐん)智頭町(ちずちょう)という、難読地名がその所在地です。
一方この山の岡山県側には勝田郡(かつたぐん)奈義町(なぎちょう)があります。
そして、その奈義町には諾神社(なぎじんじゃ)という神社があり、伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祭っているそうです。
「伊邪那岐」は古事記による表記、「伊弉諾」は日本書紀による表記だそうです。

いつものように、ウィキペディアのお知恵を借りると、
なぎとは、平坦な安定した状態を表す言葉で、古語でもある。「なぎ」という発音が先にあり、後から様々に漢字が当てられ、和ぎ・凪・薙ぎとも表記する。反対語として荒れや波や起伏がある。
とあります。そして、

・南木(なぎ)楠(クスノキ)のことで、南木(なぎ)と名づけ神木として祀っている神社がある。
・梛(なぎ)那木・竹柏とも表記し、ナギという樹木のこと。ナギがなぎ(和ぎ)に通じることから、神籬(儀式の依り代としての枝葉の意)として使われる。
・榊(なぎ)サカキのことで、「なぎ」ともよばれる。神籬として使われる。

(中略)

この寺は、前述の記事その1その2その3で訪ねた「誕生寺」ゆかりの人、浄土宗の開祖・法然上人が、少年時(9歳~13歳)修行した「法然上人初学の地」といわれます。少年法然が、修行のために菩提寺にいる叔父の元に向かうときに、麓にあるイチョウの枝を杖にして登り、この枝を「学成れば根付けよ」と挿したものが現在の大イチョウになったと言われています。



黒尾峠を越えて鳥取県智頭町に入るあたりから、昨日までの記事に繋がります。


「先達はあらまほしきものなり」(徒然草 第52段 仁和寺にある法師)のひとことが身に沁みます。


【今ひとつ、あらまほしきもの】


「この旅行中、私を苛(さいな)んだ悲劇」について書きます。


用瀬流しびなの里に降り立ち、会計係さんに今回の参加費を支払う段になって、パニックに見舞われました。バッグのどこを探ってもお財布が見当たりません。昨日確かに現金も準備し、バッグの一番取り出しやすいポケットに入れたことは覚えています。駐車場で自家用車から降りて、待ち合わせ場所でバスに乗り込むまでの間に、バッグから滑り落ちたでしょうか?中には、運転免許証も健康保険証もキャッシュカード・クレジットカードはじめ各種カードも入っています。困ります。


望むらくは、駐車場で車から降りるとき、あわててお財布を何かの弾みに座席に置き忘れたのなら、、、、うれしさこの上もないのですが、、、。


それはそれとして、とりあえず、参加費支払いというこのピンチを切り抜けなければなりません。恥を忍んで会計係のKさんに訳を話し、後払いを了承していただいてほっとしました。それだけでなく、お隣の座席のOさんが、「一緒に払っておくよ」と快く立て替えてくださいました。
「持つべき者は友」と昔から言いますが、まことにつくづくそう思いました。


あらまほしきものは、先達。さらに今ひとつ、「友」と言わねばなりません。


【大団円】
そして結末は、はてさてどのようになりましたでしょうか?


集合場所=解散場所の総社駅前でバスを降り、車を停めた駐車場に向かいます。そばを歩くMさんにも顛末を話し、「もしも財布が見つからなかったら、駐車料金を貸してね」と、半ば冗談、半ば本気でお願いしたら、彼の自動車からずいぶん離れた場所に駐めていた私の駐車場所まで一緒に歩いてくれるのでした。またまた「持つべきは」と胸が詰まりました(ホントです)。


はやる思いでドアを開けて確かめてみると、助手席の座席の下に、ちゃんと落としておりました。Oさんに立て替え分をお返しし、Mさんにお礼を言って、ようやく人心地がついたのでした。


今日の付録


一昨日実家に帰ったついでに、長福寺五重塔に立ち寄りました。


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今日はこれにて


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