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桜は咲いたにこの寒さ、の巻 [日録]

岡山市では3月27日にソメイヨシノの開花が確認されたそうです。NHKNEWSWEBから引用します。


岡山市のサクラの開花の目安となる後楽園のソメイヨシノについて岡山地方気象台は27日午前、花が5輪咲いているのを確認し、「岡山市でサクラが開花した」と発表しました。岡山市のサクラの開花は平年より2日早くなっています。

岡山地方気象台の担当者3人が27日午前、岡山市北区の後楽園を訪れ、岡山市のサクラの開花の目安としているソメイヨシノの標本木で咲いている花の数を双眼鏡などを使って確認しました。
気象台は5輪以上の花が咲いていると開花と発表していますが、27日は5輪の花が咲いていることが確認され、気象台は「岡山市でサクラが開花した」と発表しました。
岡山市では平年より2日早く去年より2日遅いサクラの開花となりました。


この日の朝散歩では、蕾の状態はまだこんな様子でした。


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兄妹3人が、早朝、ランニングを思い立ちました。


桜並木はまだツボミでした。


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散歩道の情景は、日ごとに推移します。


一昨日(3月28日)の朝。


コブシの花が散り始めていました。


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赤い辛夷白い辛夷と散りにけり(パクリ)ですな。


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彼岸桜でしょうか?満開です。


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ソメイヨシノは、まだ限られた枝にぽつりぽつりと花びらが見つかる程度です。


昨日(3月29日)、孫と訪ねた自然環境体験公園。


柔らかい赤い若葉と一緒に咲いているヤマザクラが満開状態でした。


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そして、これはソメイヨシノでしょうか?


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一分咲きか二分咲き?この頃が、一番、ピンク色が濃いように思います。


駆け回りたくなる上天気。


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カメが何匹も日光浴をしています。どれも外来種のミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)のようです。比較的小型の個体に注目した男の子が、イシガメか?と、私のカメラで撮影しました。


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が、やはり、これもミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)??


太陽の周縁に、丸い虹のようなものが見えました。日暈というものでしょうか?池に映ったものを撮影しておきました。


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今日はお天気が不安定で、日が射したかと思うと雨が降ったり雷が鳴ったり、、、。孫達は、ママとバアバと一緒に、近所の農園で、イチゴ狩りを楽しんだようです。赤く大きな、柔らかいイチゴでした。


またまた寒さがぶり返してきました。


今日はこれにて。


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黄色の花特集、の巻 [折々散歩]

mayu 様の3月26日付の この記事 で、「春は黄」「春は黄色が目立ちます」「春は黄から始まる」とありました。まったく同じことを感じていたところでした。

散歩道のレンギョウ。

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今日は、小学生の孫が、自然環境体験公園へ行きたいとうので、同行しました。

個土間たちの向こうに見える黄色い花は、やはりレンギョウのようです。

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これは山吹。

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そして黄色いパンジーも色鮮やかです。

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これは、トサミズキだったでしょうか、ヒュウガミズキだってでしょうか?いつも迷います。

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そう言えば、先日行った半田山植物園には表示がありました。

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とすると、自然環境体験公園の花もヒュウガミズキでいいのかな?

ちょっと前、深山公園で写したこの花は?

花序の数(多きさ)が違いますね。

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これがトサミズキでしょうか?

そう言えば、去年の4月2日に書いたこの記事で、トサミズキとして紹介していました(汗)

フカヤマと書いてミヤマです,の巻(2)

トサミズキ。

一年前と同じような花の紹介になります。

深山公園のサンシュユ。

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深山公園のミモザ(ギンヨウアカシア)

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黄色いポピー(半田山植物園)

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ちょっと付録。

シロハラ。腹は白いがクチバシは黄色い???

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ジョウビタキ♂。

どこが黄色いかですって?

ジョウビタ (汗)

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ジバト

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今日はこれにて。


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生気充溢春爛漫の過疎の村、の巻 [今日の「これなあに」?]

子どもたちが春休みになると、何かと我が家への滞在時間が増えます。26日(火)は、中学を卒業した兄が、高校入学前の教材や用品の物品購入日のため、小学生の弟と妹を連れて、郷里へ帰ってきました。


冬に強剪定していたハクモクレンは、律儀に花を咲かせていました。


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ツクシもいっぱい生えていました。


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スミレ。


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きょうのこれなあに?


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奈良土産の「鹿のふん」ではなくて、本物のそれですね。












 


ご先祖様の墓石が、2基ほど転倒していました。最近、竜巻とか台風とか、それに類する強風を受けたということも聞きません。何か、強い物理的な衝撃を受けたもののようです。とりあえず。墓石を元の台座に据えておりますと、墓地の裏山の茂みの中でガサガサッと物音がして、何かが素早く動く気配があります。慌ててカメラの準備をしているうちに、もう一度ガサガサッという音がして、小5(4月から小6)の兄が『おおっ』と声を上げます。鹿が跳ねて、山の方へ逃げ去ったようです。この子達は、以前、田圃の稲穂を食い荒らしている鹿の親子を、車から目撃したことがあり、郷里への道すがら、そのことを話題にしたばかりでした。


庭のラッパ水仙も満開です。


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川べりにも、ひとかたまり群生しています。


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その川べりの草原に、こんな細長いものがありました。


これなあに?


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慌てて逃げ出しました。


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昼食に車で出かけたついでに、長福寺三重塔を見てきました。


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長福寺のソメイヨシノ。つぼみが膨らみ始めました。


下は去年の春の写真です。


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今日はこれにて。


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希望考(2)、の巻 [折々散歩]

前回の記事の続きです。

「希望」の話題を書きかけていました。

一昨日の行事の午後は、参加者の自己紹介、近況報告を中心とした交流でした。

加齢とのつきあい、健康法、日々の生活や社会的活動など、どれも心に留めておきたい刺激やヒントが一満載でした。

中でも、S女史のご発言、「 『平成最後』というフレーズがしきりに取りざたされるなか、どちらかというと印象の薄い『平成』という時代だが、その間、身近に戦争がなかったいう点は、考えてみると、とても大きい。子どもたち、孫たちの世代も、そうであり続けられるよう、自分にできることを続けていきたい」。しみじみ胸に響きました。

また、みずからも満州からの引き揚げ者で、退職後、「中国帰国子女」への語学教室他の支援や、日中友好の運動に取り組んでおられるKさんの「いろいろな機会に、戦争の真相や友好運動の意義について語ることがあるが、一般に被害の歴史はある程度知られていても、加害の歴史、さらには抵抗の歴史についてはほとんど知られていない。相手の心情や思いには配慮しながらだが、できるだけ機会があるごとに伝えていきたいと思っている。」という言葉にも、強くうなずかされました。

これらをお聞きしながら、思い出していたことがありました。

高知在住のN先輩が、つい先日、おたよりをくださり、最新の「平和資料館草の家だより」NO142(2019年3月25日発行)を同封してくださっていました。

『平和資料館草の家』については以前もご紹介したことがありました。

「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻

槙村浩については、過去にもこんな記事を書きました。
槙村浩と三月一日
ビクトルハラをカーラジオで聞くの巻
懐かしき便り嬉しき聖夜かな
もうひとつの911

それらの記事でも紹介しましたが、高知市にある「平和資料館草の家」が、「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を出版されるなど、槙村浩の顕彰と掘り起こしを息長く続けておられます。次のサイトに学ぶこと大でしたので、勝手にリンクを張らせていただきます。
平和資料館草の家
平和資料館・草の家 話題
【槇村浩研究のために】インターネットで反戦詩人・槇村浩に会いに…… 藤原 義一: ブログ高知

N先輩の執筆された記事を、拙ブログに紹介することについて快諾をいただきましたので、そのまま引用させていただきます。

【槇村 浩 生誕の地】

槇村浩の生誕地はどこ?

草の家常任理事  N(個人情報に配慮して、引用者がイニシャルにさせていただきました)

昨年夏、 高知市で開かれた日本母親大会 (全国大会) に県外から参加した知り合いが、 高知県立文学館発行のパンフ 『土佐れきぶん散歩』 の地図に記された 「槇村浩誕生の地」 の一帯を探したけど目印になるものを見つけることができなかった、 と残念がっていました。
確かに高知市の城西公園には立派な彼の詩碑が建っていますが、 誕生地には何もありません。 どうにかしなければと思っていました。ちょうどその年が槇村浩没後80周年にあたり、諸事業が計画されていたので、そのなかに「生誕碑建立」を入れてもらうことになりました。明治45年6月1日に「高知市廿代町八十九番屋敷Jで生まれたので、生誕地はすぐに判明すると楽観していました。 ところが、状況はまったく違っていました。
最初に、 パンフを作成した県立文学館を訪ねましたが、 前任者が作ったので詳しいことは知らないとのこと。 法務局なら分かると思い行きましたが 「昔の『番屋敷』 と現住所を対照するものはない」 と言われました。 高知市役所の地籍調査課等でも同じ説明でした。 オーテピア高知図書館の郷土資料コーナーでも目新しい知見はありませんでした。                       
これは基礎から調べていく必要があると判断し、 藩政時代の城下絵図から明治45年頃の廿代町の範囲を確定しました。 この作業で重要なポイントとなったのが、廿代町の南限になっている藩政時代からある水路でした。 治水前の蛇行していた江ノロ川の流路跡でしょう。 一方、 事情を話して協力をお願いしていた土地家屋調査士の小笠原哲輔氏から調査結果が知らされました。      
彼が法務局や市役所で土地台帳、同付属地図を調べた結果、①「八十九番屋敷」の南の境は藩政時代からある水路、②「八十九番屋敷」は当初「吉村源之助」-という人が所有していた、③明治33年頃、分割して9人に所有権が移った、④それに伴い「八十九番屋敷」も「一」から「九」までに分かれた、⑤生誕地は「一」から「九」までのどこかであり、 ピンポイントで生誕地を決めることはできない一ーということでした。
問題の水路は戦後埋め立てられて痕跡があり ません。 幸い昭和9、 10年頃の市街地図に水路が記載されていました。それと現在の地図を比較し、また地元のお年寄りの話を参考にして水路跡を比定しました。
左の地図で電車通りを横切る点線が水路跡、 太線で囲んだ部分が「八十九番屋敷」跡です。 このどこかで吉田豊道(ぺンネーム槇村浩)が生まれました。『土佐れきぶん散歩』に記された 「槇村浩誕生の地」 からは南に通り を隔てた一画です。
高知橋の南詰の緑地(市有地)に生誕碑を建てるとすると「廿代町八十九番屋敷(ここより南方約百米)で誕生」 という表現になるのではないでしょうか。

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地道な調査の積み重ねに、ただただ頭の下がる思いです。

不祥この私も、この、槇村浩生誕の地の掘り起こしの発端に、ちょっぴり噛んでいたというオハナシは、以前この記事で自慢したことがありました。(遠く観客席から応援するだけの、のんきな立場で、お恥ずかしい次第ですが)

ある新聞投稿、の巻

「高知新聞」にこんな文章を投稿しました。

高知は、学生時代を過ごした第二の故郷ですが、滅多に訪問の機会がありません。維新の志士や民権運動の史跡などどともに、夭逝の反戦詩人槇村浩(まきむらこう)ゆかりの地を、折あれば訪ねてみたいと常々思ってきました。
「思い出はおれを故郷へ運ぶ---」二〇歳の頃の作品「間島パルチザンの歌」の冒頭の一節です。「おれ」は、日本の侵略支配に抗し、身を挺して民族の独立をたたかいとろうとするパルチザンの若者であり、反戦と国際連帯の思いを込めた作者の想像が生んだ鮮烈な造形です。
高知県立海南中学校四年生の時、軍事教練反対運動を組織した彼は放校となり、縁あって、わが岡山県の私立関西中学に編入学します。異郷の地にあって、彼の胸中には故郷高知の思い出が去来したに違いありません。
自宅があったという帯屋町2丁目の「ひろめ市場」辺りや、高知刑務所跡の城西公園に建つ詩碑などは、以前も訪ね、詩人の短かすぎる青春を偲びました。市内にあるという墓地にも、いつかお参りしてみたいと思っています。
ところで、彼の生誕の地は、高知県高知市廿代町とされています。去年の夏、会合で高知を訪れたついでに、マップ頼りに界隈を散策してみました。しかし、残念ながら、案内掲示や碑の類を見つけることもできず、心を残して引き揚げたことでした。聞けば、いま貴地では、「槇村浩生誕碑」建設の気運が起こっているとの由。運動が成就し、碑完成の暁には、是非再訪してみたいと願っているところです。

それが今朝の朝刊に掲載されていると、高知市在住のN先輩が知らせて下さいました。Nさんは、文中の、「槇村浩生誕碑」建設の運動にも携わっておられます。当ブログの過去記事でも、槇村浩については何度か話題にしてきました。

ここにも書きましたように、槇村浩の代表作と言えば、まず「間島パルチザンの歌」が挙げられます。これとともに、私たちの胸を強く揺さぶる作品として「生ける銃架』という詩があります。以前この記事で紹介したことがありました。

この道はいつか来た道 「密告フォーム」の行き着く先、の巻

文章中の、槙村浩(まきむらこう)の話題も、何度か記事にしました。
◇「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻
◇里村欣二は日生の生まれ、の巻
◇槙村浩と三月一日
◇多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻
◇懐かしき便り嬉しき聖夜かな
今野(大力)が反戦詩「凍土を噛(か)む」を発表したのと同じ1932年2月、創刊の『大衆の友』に発表した詩『生ける銃架』は、進軍する兵士を生きた銃架にたとえてこう歌います。


『生ける銃架』  槙村浩
(前略)
高粱の畠を分けて銃架の影はけふも続いて行く
銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与へる――血のやうな夕日を浴びてお前が黙々と進むとき
お前の影は人間の形を失ひ、お前の姿は背嚢に隠れ
お前は思想を持たぬたゞ一箇の生ける銃架だ
(中略)

生ける銃架。おう家を離れて野に結ぶ眠りの裡(うち)に、風は故郷のたよりをお前に伝へないのか

愛するお前の父、お前の母、お前の妻、お前の子、そして多くのお前の兄妹(きやうだい)たちが、土地を逐(お)はれ職場を拒(こば)まれ、飢えにやつれ、歯を喰い縛(しば)り、拳(こぶし)を握(って、遠北の空に投げる憎しみの眼は、かすかにもお前の夢に通はぬのか
(中略)
生ける銃架。お前が目的を知らず理由を問はずお前と同じ他の国の生ける銃架を射×しお前が死を以て衛(まも)らねばならぬ前衛の胸に、お前の銃剣を突き刺す時背後にひゞく萬国資本家の哄笑がお前の耳を打たないのか
突如鉛色(なまりいろ)の地平に鈍い音響が炸裂(さくれつ)する砂は崩れ、影は歪(ゆが)み、銃架は×を噴いて地上に倒れる
今ひとりの「忠良(ちうりゃう)な臣民(しんみん)」が、こゝに愚劣な生涯を終えた
だがおれは期待する、他の多くのお前の仲間は、やがて銃を×に×ひ、剣を後(うしろ)に×へ自らの解放に正しい途(みち)を撰び、生ける銃架たる事を止(とゞ)めるであらう
(後略)


この頃、共青高知地区委員会のメンバーが高知市朝倉の歩兵44連隊兵舎内に侵入して上海出兵に反対する 「兵士よ敵をまちがえるな」と書いた反戦ビラを配布するが、そのビラを槇村が執筆した。と、ウィキペディアにはあります。

「被害の歴史とともに、加害の歴史、さらには抵抗の歴史に目を注がなければ」という問題意識は、至極もっともと感じます。痛ましい被害の実相を見つめ、戦争のむごさ残酷さを骨身にしみて感じ取ること、そしてそれのみならず、アジアの人々への侵略の歴史、加害の事実を正面から受け止めることの重要さは、強調したりることはありません。でも、それだけでは、未来に「希望」を抱くことは困難でしょう。「自虐史観」との悪罵に打ち克って、みずからの歩みに誇りを抱くこともためらわれるかも知れません。とすれば、私たちは、「侵略などなかった」、「日本の戦争は正しかった」、「加害と被害は常にあるのが当然で、それが戦争というもの」、、、、などといった詭弁で、「民族の誇り」を維持するしかないのでしょうか?

いえ、わが日本にも、命がけで戦争に反対し、抵抗し、真の国際連帯を追求した誇るべき先達が存在したという揺るがぬ証拠として、槇村浩の二作品、そして彼自身の生涯は、もっと光が当てられるべきではないでしょうか?人々が、特に若者が「希望」を持って未来に挑むために、それを励ます先達の足跡ほどここ強いものはないでしょう。

サクラとメジロ。

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トリミングします。

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サクラとヒヨドリ。

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祝福された春への希望を感じます?

今日はここまで。


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レンギョウの花言葉、の巻 [折々散歩]

NHKのラジオ番組「ラジオ深夜便」を、早朝に聞くことがたまにあります。

その話題は、過去記事にも、何度か取り上げさせていただきました。

幽かな糸が繋がった、の巻(最終回)

「沖縄慰霊の日」にグスコーブドリを思う、の巻(2)

そんなに急いでどこへ行く、先は地獄か煉獄か?の巻

魚も氷に上る刻なり核棄てん

え?イヌネコキョーシツ?の巻

その番組の中で、「誕生日の花」というコーナーがあって、1年365日の誕生花と花言葉を紹介してくれていることは、以前から話題にしてきました。

誕生日の花、の巻

NHK「ラジオ深夜便」に、誕生日の花というコーナーがあり、本が出ているので、機会があったら買って欲しいと、以前、田舎の老父に頼まれ、この二冊を贈ったことがありました。

ステラMOOK ラジオ深夜便 誕生日の花と短歌365日 新装改訂版

ステラMOOK ラジオ深夜便 誕生日の花と短歌365日 新装改訂版

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: NHKサービスセンター
  • 発売日: 2013/06/18
  • メディア: ムック

ラジオ深夜便誕生日の花ときょうの一句 第2集 (ステラMOOK)

ラジオ深夜便誕生日の花ときょうの一句 第2集 (ステラMOOK)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: NHKサービスセンター
  • 発売日: 2011/03/18
  • メディア: ムック

父は、一冊でいいからと、下の一冊は返してくれました。

この本の内容を拝借した、二番煎じ三番煎じの記事も、繰り返し書いています。

竜の肝ですか、の巻

野菊の花、の巻

昨日の半田山植物園散歩補遺、の巻

柿の日に柿を食う、の巻

今日もまた、相も変わらぬ

今日の誕生日の花は「レンギョウ」だそうです。

上掲本から、ここ数日の該当ページをみてみますと、、

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さすがに、今の季節、よく目にする花ばかりです。

レンギョウの花言葉は、「達せられた希望」、「情け深い」だそうです。

今日、半田山植物園を歩いてみますと、咲いていました。

これはヤマトレンギョウというそうです。

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説明板がありました。

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日本原生種で、中国地方にだけ自生、準絶滅危惧種に指定されているそうです。見た目からしても、ひ弱そう?

こちらの生命力旺盛なのは、シナレンギョウ。

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こんにち、一般にレンギョウとして親しまれているのは、このシナレンギョウか、別種のチョウセンレンギョウ(いずれも外来種)のようです。辺り一面に華やかな黄色の光を振りまき、元気よく咲くその様子は、まさに明るい希望を象徴しているようです。

「希望」で思い出したのは、昨日参加した退職教職員の交流行事のこと。メインの午前中のワークショップ「狂言のヒミツ」については、またの機会に譲るとして、午後の部の始まりは、「歌声」。T女史のキーボード伴奏に合わせて、いろいろな歌を歌います。T女子が用意してくださった歌詞集のなかから、参加者のリクエストに応じて、次々に歌ったのは、「若者たち」、「見上げてごらん夜の星を」「リムジンガン」「青い山脈」「大きなうた」などなど、多彩。

どれも、若かりし日を思い出させる懐かしのメロディーであるとともに、今なお改めて、歌に込められた思いの深さを噛みしめたい歌うたでした。

たとえばこの曲。

私の子どもたちへ

【作詞・作曲】笠木 透

1.生きている鳥たちが
生きて飛びまわる空を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
コブシの花があるでしょう

2.生きている魚たちが
生きて泳ぎ回る川を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
野原が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
リンドウの花があるでしょう

3.生きている君たちが
生きて走り回る土を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
コブシの花があるでしょう

フクシマを経て、辺野古に直面する現代の思いで、この歌詞を噛みしめると、これまで以上の切実さを覚え、目頭が熱くなるのを感じました。

半田山植物園のコブシの花も、可憐に咲いています。

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締めくくりの歌は、「緑の山河」。

緑の山河

【作詞】原泰子
【作曲】小杉誠治

1.戦争(たたかい)越えて たちあがる
みどりの山河 雲はれて
いまよみがえる 民族の
わかい血潮に たぎるもの
自由の翼 天(そら)をゆく
世紀の朝に 栄あれ
2.歴史の門出 あたらしく
いばらのあゆみ つづくとも
いまむすばれた 同胞(はらから)の
かたい誓いに ひるがえる
平和の旗の さすところ
ああこの道に 光あれ

戦後、主権在民・平和と民主の新生日本の歌として、教職員組合が公募し選ばれた国民歌として、現職時代歌いなじんだ曲ですが、その一言一句の重みが改めて胸に迫ります。

「希望」の根底には「平和」が必須、というシンプルな真理を、今こそ強く意識すべき時かと、考えさせられました。

「希望」の話題はもう少し続きますが、今日はここまで。


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結果オーライ?ま、いいか、の巻 [日録]

情けない失敗譚は、当ブログの十八番(おはこ)ですが、今回のはヒドイ!ヒドすぎる!深いショックと自己嫌悪のために、ブログ更新する気にもなりませんでした(というのは嘘で、これまた十八番の誇張です)


一昨日の朝のことです。約束の集合時刻に遅れてはならじと、NHKの朝ドラが終わるとすぐに、家を出発。


車の燃料ランプが点滅しているので、給油して出かけることにしました。行きつけだった近所の有人ガソリンスタンドは、いつの間にか廃業しましたので、最近は、コンビニエンスストアーに併設されているセルフのスタンドで給油するようになりました。冬の間は、ストーブ用の灯油もここで調達しますから、頻度高い利用になります。


クレジットカードを使用して給油し、そのあとコンビニ店内のATMを利用して現金を引き出すことにしました。行事の参加費1000円の手持ちがなかったので。


銀行営業時間外の早朝でしたので、別途手数料を取られましたが、1000円札5枚を引き出し、ついでにペットボトルのお茶を購入してクルマに戻ります。いざ会場に向かって出発。その前にもう一度、念のために忘れ物がないか点検、、、してみますと、オヤ?さっき使った銀行カードはどこへやったかな?カードケースにも、バッグにも、胸ポケット、ズボンのポケット、どこを探しても見当たりません。いつもの失敗の教訓から、座席のシートの間、ダッシュボードの小物入れなどなど、あちらこちらを何度も探しますが、徒労です。


しばらくの間そうしてジタバタした挙げ句、さっきの買い物の際に落とした置き忘れたに違いないと結論して、もう一度店内に入り、店員さんに尋ねてみると、「届いておりません」との返事。これは、客の誰かが拾得して、ネコババしたか、はたまた警察に届けるかしてくれるのかと推理し、あの人かこの人かと、老若男女の挙動を観察してみますと、どれも怪しく見えます。


これは、大変。悪用された場合のことも想定し、銀行に連絡して利用中止手続きをする必要があろうかと判断。銀行の電話番号や、通帳の口座番号を確かめるために、いったん帰宅して、銀行に電話で相談しました。


電話口のお嬢さんが仰るには、「カードの解約手続きをしますと、見つかった場合、そのカードは使えなくなります。そのようなケースがよくありますが、もう一度よくお探しになった上で、後刻もう一度お電話いただくこともできます。直ちに解約もできますがどうなさいますか?」とのこと。電話口で悩んだ私は、「もう一度探してみる」という、当てのない選択肢を選ぶことにして電話を切りました。


この時点で、既に行事の集合時間におくれてしまう気配濃厚でしたので、参加予定の友人3人ほどに、遅刻を詫びるメールを送り、浮かない気持ちのまま車に乗って、再出発。それでも念のためにと、再探索を試み、助手席のシートの下辺りをのぞき込んでみますと、そんなところに落ちてました。な~んだ、呆気ない。


安堵と自己嫌悪の交錯する思いのまま、車を走らせ、会場に向かいます。案の定、遅刻です。足取り重く、2階への階段を上ります。もう、にぎやかな話し声やら、快活な笑い声が聞こえて来ています。そっと入り口の隙間から、会場内をのぞき込んでみますと、顔見知りの姿が見当たりません。それに、年齢層がビミョーに若い。というより、とても若すぎる、、、ことに気づいて、どうやらこれは部屋を間違えたかと、慌てて別の部屋を探しますが、それらしい行事の行われている様子がありません。施設の入り口まで引き返し、その日の催し案内を克明に確かめますが、該当するものがありません。


狐につままれた思いで、煩悶すること数刻。ネット上に、この行事の案内が掲載されていることを思い出し、確かめてみることにしました。


退職同業者の親睦団体のホームページです。http://www.urban.ne.jp/home/okakokyo/kotaikyo/index.html



日時2019年3月23日(土)とあるではありませんか?!


カレンダーへのメモが、一日ずれていたのです。こんな失敗譚、書きながらも、気持ちが滅入ってしまいます。余りに度重なると、愛嬌の限度を超えてしまいますから、しばらくは封印したいところです。何よりも、凡ミスを繰り返さないのが一番なのですが。


明けて昨日、3月23日(土)でした。今度は、間に合うように行きました。


楽しい行事でした。結果オーライで、ま、いいか、ということにしましょうか。


内容については、改めて触れる機会があるかも知れませんが、今日は割愛して、覚え書きを一言。


午後の、自己紹介・近況報告は、それぞれ心に銘記しておきたいお話でした。加齢に伴う衰えの自覚や、それを受け止めながら高齢期を輝かせる秘訣や意気込み、、ずしんと響きます。


触発されて、私も、前日のドジな失敗談をマクラに、2007年の脳動脈瘤と2013年の肺癌手術について告げ、拾った命の残りの人生、「ねばならない」を脱して、「~たい」ことで楽しみたいと思って、趣味としてブログと写真を続けていること、老父がスマホデビューして、新しいことに挑んでいることなどを紹介し、自分も衰えているわけにも行かないと思っているなどと話したことでした。


話し終えた後で、言おうと思いながら忘れていたことに気づきました。


1)昨年で、脳動脈瘤手術から10年、肺癌手術から5年経過し、それぞれ主治医から卒業を申し渡され、通院しなくて良くなったこと。


2)だが、油断大敵。朝ドラで松坂慶子演ずる「武士の娘」のお母さんが、命取りの大病と診断された「大腸憩室症」なる病気。自慢じゃないが、私も経験しましたよ、ということ。(その顛末は下の記事)


入院記念日に思うこと、の巻


丑の日の腹に沁み入る三分粥


別荘での優雅なプチ休暇!の巻(1)


別荘での優雅なプチ休暇!の巻(2)


3)退職後、週に僅かの時間、いくつかの学校で非常勤講師を続けてきたが、この四月からもその予定であること。


などです。もしも昨日の行事にご参加になっていた方で、たまたまこの記事をご覧いただくようなことが万が一にもありましたら、上記3点、謹んで付け加えさせていただく次第です。


今朝も冷えました。


見慣れた田園風景が、朝靄によって一変して見えます。


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昨日の雨、草木に雫を残しています。


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数日前からツバメの姿を見ます。


我が家の軒下の古い巣を、今年も修繕して使いたそうな様子です。


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今年も雛をかえすことができるか、楽しみです。


今日はこれにて。


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雨のち晴れの春分の日、の巻 [折々散歩]

昨日は、「倉敷美しい森」を数百メートル散歩しただけでは物足りなくて、午後、近所の自然環境体験公園を歩いてみました。


白い辛夷が眩しいほど。


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カルガモが、悠然と散歩中でした。


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地に遊ぶカワラヒワ。


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「やはらかに柳青める」枝に、ツグミ。


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ツグミの鳴き声はどう聞こえますかね。こちらの のページを参照させていただきます。 鳥の聞きなし – BIGLOBE

ツグミ(鶫)
「きいきい」    

「きやあ きやあ きやあ きやあ」    

「キュキュ」    

「くあつ くあつ」    

「クイッ、ツィー」    

「ケェッス、ケェッス」 (驚いて飛び立つ時の鳴き声)    

「フィリー・ホーリー」 (菅野徹「ツグミの美声 50年に2回」(まちかど 四季散歩)
2007年4月7日、読売新聞、佐賀12版 くらし22面)
(※この新聞の写しは、松﨑悦郎氏よりいただいた。)
(新聞のエッセイ)ツグミは、北帰行の迫るころ、「フィリー・ホーリー」と朗々たる歌を聞かせてくれることがあり、その美しさは、日本で聞ける野鳥の中で一、二を争う。ただ、この半世紀あまり、耳をそばだてているが、はっきり聞いたのは2回だけ。北の国へ行って、ツグミの歌を、思い切り聞きたいというのが、私の見果てぬ夢の一つだ。(菅野徹)


私の耳には、「キョッ、キョッ」と聞こえます。


先日、テレビの料理番組を見ながら、中3の孫が、豚肉の旨味成分について「イノシシ酸?」と興味を示しました。豚の先祖にちなんで、含有成分の命名がなされたかと思ったらしいです。何のことはない画面のテロップに「イノシン酸」とあるのを、「ン」を「シ」と見間違えたらしいです。


その伝で行くと、「キョッ、キョッ」は「キョシ、キョシ」と読み間違わないとも限りません。高浜虚子(キョシ)の号は、本名清「キヨシ」にちなんだものだそうです。その虚子の『漱石氏と私』という文章に、漱石の愛読者という男が、虚子のもとに山鳥を贈ってよこしたという記述があります。


拝呈
私は大正三年の春先生に松山で御目にかかり、四年の十二月に夏目先生に紹介していただいたものでございます。先生の御蔭で夏目先生に御目にかかる事が出来て大変悦んで居りました処、夏目先生は死なれましてまた寂寞を感ずるようになりました。遠慮であったのと御邪魔してはならぬという考えから度々は参りませんでしたが、比較的に親しく御話を承り少しは串戯も申しましたが、死なれて急に何となく物足らないような心地になり、東京に居ってもつまらないような心になりました。それと同時に、今まで運命とかいうような事は全く考えた事もなかったのですが少しは運命という事を考えるようになりました。私が松山へ行ったのは数年前『坊ちゃん』を読んだ事がありましたため、その跡を尋ねに松山へ行きたいという心が自然にその年の春浮んで来たのです。同時に先生が御郷里の松山へ帰って御出でだとは思いもそめなかった事であります。それに夏目先生の下宿の跡を尋ねて廻って居った時先生に御目にかかるを得たのは如何に考えても不思議な運命だと思われます。それのみならず紹介していただいて一ヶ年の後夏目先生が死なれたという事がまた奇しく思われます。昨年十二月九日に死なれるのが天命であったとすれば、御生前に御目にかゝるために松山へ行きたいという心が三年の春に浮んだのであるかも知れぬと思います。考えれば如何にも妙です。どんな力が働いてこんな事が出来るのかちょっとも知れませぬ。しかし何はともあれ先生に紹介していただいた事は常に深く感謝しております。この冬休暇に帰って猟をして居るうち今日山鳥が一羽とれましたから御礼の印に御送り致します。ツグミではないから安心して食って下さいませ。
一月十日
義雄
高浜先生

私から言っても丁度松山に帰っていて、然も以前漱石氏の寓居であった所に行っていた時に、渡辺君が漱石氏の寓居の跡を訪ねて来たということは奇縁といわねばならぬ。山鳥は早速調理して食った。旨かった。ツグミ云々とあるのは漱石氏が胃潰癰を再発して死を早めたのはツグミの焼鳥を食ったためだとかいう話があったのによるのであろう。


漱石が胃潰瘍を再発したのは、金沢在住の英文学者で俳人の大谷繞石(正信)から贈られたツグミの粕漬けを食べたためだと言われます。




春分の日の今朝、寝覚めのひととき、しとしと降る雨の音を聴くともなく聞いていました。


「雨しめやかに降り注ぐ」というフレーズがどこからか湧いてきました 。


そうでした、そうでした、昔高校生の頃作った詩のフレーズでした。


春 其の一


木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、この項の趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今回は、高3の時に、「春」という同一の表題で何編か作ったソネット(14行詩)形式の詩のうちの一つだ。便宜上、其の一と名付けておきたい。


春 其の一 木下透

茶色い風が吹いてはいない
かわいたチリが舞ってはいない
古新聞紙が飛んではいない
静かな静かな春の訪れ
雨 しめやかに降りそそぐ
柳の新芽 青い水玉
枯芝の焼け焦げから 濡れた緑が一,二寸
しっとりぬれた砂の間に 私はそっと素足を潜らす

私は何も失くしてしまった
古こうもり傘を伝う雨つぶ
静かな静かな春の訪れ
私はやはりひとりなのだ
いやしかし・・・重いけだるさ
静かな静かな春の訪れ


それから、こんな文章の一節にも思い当たります。


せるふ・こむぷれいせんす(その2) 「プロローグ」


プロローグ

絹糸のように細い冷たい雨が、音もなく、しめやかに降り続いている。遠くの山々は、白く柔らかくけぶっている。先頃まであれほど鋭利にとがっていた空間が、心なしか潤ったような、頭蓋の先端までキンキンと痛めつけた空気が少しく優しく感じられ始めたような、煤煙と塵埃で真黒くすすけていた光線が、健康な生命を取りもどしたような、―――そんな季節だ。
重く垂れ込めた雲の間を、数羽の白い鳩の群れが、大理石の重みと気品をもって飛び去った。重苦しいゆううつの中で、それは、ささやかな羽音とひとしきりの緊張をもたらし、そして去った。あとには哀しい空白だけが(やはりそれは必然的に)取り残された。


そんな感傷を誘うような、今朝の雨音でした。


雨の日仕様で、防塵防滴カメラPENTAX K10D+smc PENTAX-DA L 50-200mm F4-5.6 ED WR を持って朝散歩に出かけてみました。


スノーフレーク。


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ハクモクレン。


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菜の花。


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スイセンいろいろ。


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コブシいろいろ。


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ハナニラ。


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この雨も午前中には上がり、気温も急上昇。23℃にまでなりました。そして、今夜はまた冷えるのですと。


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美しい森のホオジロ、の巻 [折々散歩]

以前、こんな記事を書いたことがありました。

迷い路の果てオリーブの花見たり(2014-05-19)

昨日は、海が見たくなって、車を走らせました(ロマンチックやなあ)。

(中略)

ここまでは順調だったのですが、どこでどう間違ったか、目的の場所に行けません。余りに愚かなドジが露見するのも恥ずかしいので、どこを目ざしたのかは、敢えて書きませんが。

どんどん走っているうちに、「長船美しい森」というナビゲーションが見えたので、そちらに向かってみました。海どころか、山のまっただなかです。
意外にも、親子連れで賑わっていました。キャンプ場などの施設も整っていて、整備も行き届いている感じです。

鳥のさえずりもよく聞こえます、携行カメラは、PENTAXk10+sigmaAPO 120-400mm。重いカメラとお弁当をリュックに背負って、わくわくしながら、山道を歩いてみました。

今朝は、ある場所に向かって車を走らせました。これまで何度も行ったことのある場所です。

余りに愚かなドジが露見するのも恥ずかしいので、どこを目ざしたのかは、敢えて書きませんが。

かなりの山道を、くねくねと登りつめ、目的地に向かって折れるべき分岐を見落としたらしく、急カーブの下り坂が延々と続きます。頃は間違えたと気づいて引き返そうとしますが、車線変更禁止のラインが延々と続き、いつの間にかほとんど山の反対側の平地に降りてしまい、もう一度あの山道を登る元気がくじけてしまって、行った家に帰ろうと車を走らせていると、「倉敷美しい森」への案内掲示が目に入りました。まだ行ったことがなかったので、迷い道ついでに、訪ねててみることにしました。

駐車場に車を駐めて、ビジターセンターへの山道を歩いておりますと、ウグイスの鳴き声があちらことらから聞こえます。道端に、シロハラの姿も見えます。今日は何を思ってか、リュックに、PENTAXk30+sigmaAPO 120-400mmを入れていました。これを取り出して構える頃には、シロハラは見失っていましたし、声はすれどもウグイスの姿は見つかりません。

ですが、どんな鳥が表れても対応できるようにと、重いカメラを手に提げて、山道を上るうちに、聞き慣れた囀りに気づきました。

ホオジロです。

木のてっぺんで囀っていますので、トリミングします。

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ホオジロの囀りの聞きなしについては、何度も話題にしました。

いざやいざ一筆啓上冬至晴

ところで、以前も紹介しましたが、「一筆啓上仕り候(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう)」とさえずるのが、ホオジロだそうですね。いわゆる「聞きなし」について、去年書いたこの記事の一部を再掲します。

ウィキペディアでは、次のような例を紹介しています。
  イカル - 「お菊二十四」、「月・日・星」
    ウグイス - 「法華経」
    ホオジロ - 「一筆啓上仕り候」、「源平ツツジ白ツツジ」
    ホトトギス - 「特許許可局」、「テッペンカケタカ」
    コノハズク - 「仏法僧」
    メボソムシクイ - 「銭取り、銭取り」
    サンコウチョウ - 「月日星ホイホイホイ」
    コジュケイ - 「ちょっと来い、ちょっと来い」、英語では「People pray,People pray」「一筆啓上

ホオジロと言えば、子どもの頃は小学校の行き帰りや野遊びの折など、よく見たなじみ深い鳥でした。ですが、爾来数十年、特段気にとめることもなく、また実際目にする機会もないまま、過ごしてきました。それが、ここ数年、鳥撮りに興味を持つようになってから、出会うと嬉しい存在になりました。

一筆啓上仕り候、の巻

一筆啓上仕り候、の巻(その2)

行き当たりばったりの僥倖、の巻

一筆啓上、行行子、の巻

聞きなせばアオジも嘆くか消費税

英国在住の友人(女性)Sparky さんが、こんなことを教えてくださいました。

下の引用記事中の鳥の写真=yellowhammer(日本名:キアオジ) をクリックすると,鳴き声入りの動画が見られます。

イギリスでは yellowhammer(日本名:キアオジ)の鳴き声が「A little bit of bread and no cheese」と聞こえるそうです(笑)。

(中略)

Yellowhammer singing

わが日本のアオジの鳴き声は、「消費税一円・ツリ・ツリ・ツリ」 「チョピーチョ」「チチチチ」「チリリ」「チッ、チッ」「チッ、チッ」と聞こえるそうです。(参照サイトはこちら
思い出してみますと、消費税が導入されたのは1988(昭和63)年、竹下内閣時に、消費税法が成立。翌1989年(平成元年)4月から、3%の税率で実施されたのでした。一円玉が大活躍した年で、「一円玉の旅ガラス」という歌も流行りましたっけ。
「消費税一円・ツリ・ツリ・ツリ」とはそんな世相を反映した聞きなしでしょうか。 いまや、税率10パーセントに引き上げられようとしていて、それにともない、一円玉の出番もなくなっていくのでしょうかね。
久しぶりにモズを見ました。



上述のサイトに寄りますと、モズは、こんなふうに聞きなされるそうです。「百舌」というだけあって、鳴き声も多彩ですね。

「苦苦(くうくう)」
「コトゴトシク」 (『利頼髄脳』)(平安時代の歌論集) (※大げさな、の意味)
「キイー・キイキイキイ」 (けたたましい声)
「吉・吉・吉……」 )
「キチキチキチ」 (秋の高鳴き)
「ギチギチギチ」「キィーキチキチキチ」

そして、ジョウビタキも健在です。

ジョウビタキの鳴き声は?同サイトにこんな記述がありました。

「カタッ カタッ」 (鳥らしくない声で鳴く)
「ヒッヒッカタカタ」 (この鳴き声が「ヒタキ」の名の由来)
「カッカッ」(この声が火打ち石をたたく音に似ていてヒタキという名がついた)
「ヒィヒィ」

今日もジョウビタキに会いました。

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今日はここまで。


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白木蓮といふといへども紅ほのか(パクリ)、の巻 [日録]

ご存じ高浜虚子の句に


白牡丹といふといへども紅ほのか


があります。


手元にある「研究資料現代日本文学 ⑥俳句」には、こう解説されています。


大正十四年作。『五百句』所収。白牡丹-夏。大阪で行われた毎日俳句会での句。<白牡丹>の美しさがのびやかに詠まれている。 牡丹を疑視することによって、微妙な色を見出し、全体として、花弁が持つふくよかさ、豊かさを表されている。山本健吉は<初五の字余りから中七へかけての緩徐調が、結びの「紅ほのか」で程よく引締められている><大人の風格ある句>(前出)と評。同時作に<白牡丹いづくの紅のうつりたる>があるが、林火は、例句の方が<はるかに勝る>(前出)と述ぺている。


「-といふといへども」という字余りに、「確かに白牡丹とは言うのだけれども、大輪のあでやかな花の美しさをよくよく目を凝らして賞美していると、ほのかに紅を秘めていることに気づくのであるよ」、と緩やかな時間の推移が感じられて、印象深い句です。ついつい、その語呂を真似てみたくなるのです。


散歩道の白木蓮が咲きました。


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紅ほのかです。


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白い辛夷。次々に咲いています。


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これも、紅ほのかです。


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ピンクの辛夷。こちらはまだツボミ。


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足もとに目をやると、スノーフレーク。


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これは、秋に孫と買ったパンジーの種が、ようやく花を咲かせ始めたので、玄関先に持って出ました。


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プランターのエンドウの花が次々咲くようになりました。




昨日は、孫3人を連れて、田舎へ帰ってきました。


高校入学と習字の入賞、おばあちゃんの誕生日を祝って、回転寿司をごちそうしてもらいました。


庭のジンチョウゲが香っています。


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このジンチョウゲのすぐ脇に、白木蓮の大木があるのですが、去年、思い切った強剪定をしました。この春は、花を咲かしてくれるでしょうか?


白い馬酔木。


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「小鮒釣りしかの川」もすっかり春の風情です。


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カモはもういなくなった、と思ったら、まだ相当数の群れが残っていました。


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ジャガイモの種芋をもらって帰ったので、借りている畑に、今日植え付けました。ダンシャクと赤いイモ(アンデス系?)です。既に、一定量(キタアカリ、ダンシャク、メークイン)は、2月のうちに植え付けていたのですが、せっかくですので堆肥を入れ、畝を作って植え付けました。黒マルチも貼っておきました。うまく育つといいな。


畑仕事をしていると、郷里の父から携帯に電話がありました。


高校に合格した孫がスマホデビューしたのが刺激になったのか、父もスマホに切り替えるため、いま携帯ショップに来ているけれど、高齢者故家族の承諾が必要、ということでショップ店員に確認してもらうための電話だそうです。私はまだガラケーです(外出先でのネットチェックほかのために、格安スマホを持ってはいますが)のに、先を越されました。いや、それを言うなら、孫に先を越されたことをまず問題にしなければなりませんね。


今日はここまで。


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めでたやな身に余りたるおらが春、の巻 [日録]

昨日通りかかった県庁前。


県議選、市議選を知らせる垂れ幕が下がっています。


私がカメラを向けたのは、それではなく、手前のコブシの花。


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次々に咲き始めています。。


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遠くに岡山城が見えます。


Rikoh GXR +RICOH LENS P10 28-300mm F3.5-5.6 VCを携行しました。


広角域ではこんな感じ。


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少しずつズーミングします。


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周りの木々も柔らかく芽ぐみ始めているようです。


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望遠域撮影(ノートリミング)。


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どことなく春の風情が感じられます。


「水郷の春」なんてパクリはいかがでしょう。


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太上天皇[後鳥羽院]
 をのこども詩を作りて歌にあはせ侍りしに、水郷春望といふことを
見わたせば山もとかすむ水無瀬川(みなせがは)ゆふべは秋となに思ひけん 
 (新古今和歌集 巻第一 春歌上 36)

【解釈】「見渡すと、山のふもと一面が霞んでいる中を緩やかに流れてゆく水無瀬川のたたずまいよ!どうしてこれまで、「夕は秋が一番」などと、思っていたのであろう。」
清少納言は、かつて「春は曙」と断じ、「秋は夕暮れ」とも言いました。こうした旧来の固定観念を打ち砕くほど、眼前の夕景は、情趣があって美しいというのです。

百人一首にもとられたこの歌は、元久の詩歌合(与えられた題をもとに、漢詩と和歌を作って競い合う)の時に詠まれたものだそうです。いにしえの為政者というのは、風流なものですなあ。

 

そう言えば、中国の古典では、「春宵一刻直千金」と、春の宵を誉めています。

春夜  蘇軾

春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈


春宵(しゅんしょう)一刻(いっこく)直(あたい)千金(せんきん)
花に清香(せいこう)有り月に陰有り
歌管(かかん)楼台(ろうだい)声細細(さいさい)
鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜沈沈(ちんちん)

○春宵一刻直千金
[蘇軾、春夜詩「春宵一刻直千金、花有清香月有陰」]
花は盛りで月はおぼろな春の夜の一刻の情趣は、
千金にもかえがたい価値がある。
(『広辞苑』)

web漢文大系参照

春か秋かの論争は、更級日記などでも紹介されますが、優雅なものです。


今日は、日中かなり、気温が上がりました。


ご近所さんのお庭の、ハクモクレンが咲いていました。


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今日は、小5、小2の孫の名前が新聞に載っていると、父からメールが来ました。お習字の作品が入賞したそうです。


中3の受験生、今日が合格発表日でした。友達と一緒に自転車で発表を見に行ったそうです。なんたる強心臓!!ハラハラしたのはこちらでしたが、合格したそうです。ラッキー。一緒に受験した友人達もみんな合格だそうで、めでたしめでたし、、です。


もう一つ、田舎の母が、八十九歳の誕生日を迎えます。大病もせず、壮健で、ありがたいことです。いまも、野良へ出て畑仕事を続けています。


いっぺんに春がやってきた今日でした。


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春とはいえどなお寒し、の巻 [折々散歩]

今朝は、凍えるほどではないですが、風があって体感温度は真冬の感じです。


朝散歩に出かけてみましたが、鼻水が出ます。くしゃみも連発で、これは花粉のせいでしょう。


未明の小川にコガモの群れが見えます。数はすっかり減りました。


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朝日を浴びて、いろんな花に気づきます。


エニシダでしょうか。


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何の花でしょう?こぼれ種から芽を出したか、群生して花を咲かせています。


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ハクモクレンの蕾もふくらみ始めています。


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コブシの花が咲き広がっています。


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今日は中3の孫が卒業式でした。早いものです。ママは我が家で着物を着付けて、パパとお出かけ。雨が降らなくて良かったですが、風は強く、体育館は冷えたでしょう。


午後は退職同業者の会があって出かけました。自動車の中は陽射しで暑いほどになりますが、戸外の気温は昼間も10℃ほど。まだまだ暖房が必要です。


今日はこれにて。


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ふたつの菜の花忌??の巻 [今日の暦]

今日は「菜の花忌」


「デジタル大辞泉」などによると「司馬遼太郎の忌日」とあります。


菜の花忌(読み)ナノハナキ

デジタル大辞泉の解説

なのはな‐き【菜の花忌】

司馬遼太郎忌日2月12日菜の花を好んだこと、また作品「菜の花の沖」があることによる。


他方、「デジタル大辞泉プラス」には、上記にプラスしてこう解説されています。


菜の花忌
浪漫派の詩人、伊東静雄の忌日。3月12日。
菜の花忌
歌人、前田夕暮の忌日。4月20日。

前田夕暮はおくとして、司馬遼太郎と伊東静雄、同じく今日が忌日で、ともに「菜の花忌」と称するそうです。


司馬遼太郎の没年は1996年(平成8年)、伊東静雄は1953年(昭和28年)ですから、元祖は伊東静雄ということになりますか(笑)


伊東静雄を紹介するHPに、菜の花忌についての記事があります。


詩人伊東静雄が没したのは、昭和28年3月12日であった。
郷土諌早では、上村肇を中心とした文学関係者が、伊東静雄の詩風の典雅と人格の高風を欽慕して詩碑の建立が計画され、全国の文化関係者に詩碑建設の趣意書が発送されたのは、昭和29年1月である。
その趣意書に名前を連ねた主な賛助者は、林富士馬(詩人)、蒲池歓一(詩人)、野田宇太郎(詩人)、桑原武夫(京大教授)、保田与重郎(作家)、富士正晴(詩人)、小高根二郎(詩人)、庄野潤三(作家)、佐藤春夫(作家)、三好達治(詩人)、川副国基(早大教授)、田中克己(詩人)、清水文雄(詩人)、北村徳太郎(代議士)を始めとする25名であった。
やがて全国から浄財が寄せられ、昭和29年11月23日建立の除幕式が挙行された。除幕式には、伊東花子未亡人、令姉江川ミキ氏、蒲池歓一氏、松永伍一氏、丸山豊氏他多数の文学関係者の来席を見た。
「菜花忌ーさいかきー」第1回が始まったのは、昭和40年3月、伊東静雄13回忌からであり、その後「菜の花忌」とやさしく呼ばれるようになった。


伊東静雄についてウィキペディアは詩人としての出発点をこう記述しています。


1935年(昭和10年)処女詩集であり代表作『わがひとに与ふる哀歌』を発行し、萩原朔太郎から「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と賞賛を受け一気に名声を高めた


同時代作家達からの評価や、影響を受けた作家達への興味は尽きませんが現代作家の第一人者大江健三郎の短編「火をめぐらす鳥」(1991年)では、伊藤静雄の詩「鶯」高校時代に読み《身体の芯に火の玉があり、その熱でシュッシュッと湯気のたつような涙が噴出するのに、茫然と》した思い出を語っています。「火をめぐらす鳥」はまさしくこの詩に触発された作品で、その締めくくりの部分に、伊東静雄のこの詩から次の一節を引用しています。
「私の魂」といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう


私も、伊東静雄の詩は高校時代読んだ記憶はありますが、「鶯」という作品は、あいにく印象に残っていません。私の記憶に残っているのはこの詩です。


自然に、充分自然に


草むらに子供は※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)く小鳥を見つけた。
子供はのがしはしなかつた。
けれども何か瀕死に傷いた小鳥の方でも
はげしくその手の指に噛みついた。

子供はハツトその愛撫を裏切られて
小鳥を力まかせに投げつけた。
小鳥は奇妙につよく空を蹴り
翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。

自然に? 左様 充分自然に!
――やがて子供は見たのであつた、
礫のやうにそれが地上に落ちるのを。
そこに小鳥はらく/\と仰けにね転んだ。

(青空文庫より)


司馬遼太郎は、はるかにポピュラーでしょう。テレビドラマや映画の原作としても、沢山の有名作品が残っています。


司馬遼太郎記念館のHP菜の花忌について書かれたページがあります。


2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」です。司馬遼太郎は野に咲く花、とりわけタンポポや菜の花といった黄色い花が好きでした。『菜の花の沖』という長編小説があることにも由来します。

記念館の書斎の前には、直径1メートルほどのヒューム管があります。司馬遼太郎はここに菜の花を植え、春の開花を楽しみにしていました。このあたりは、小さいながら雑木林風の庭になっていて、今も同じようにボランティアの皆さんが菜の花を植え、来館者をお迎えしています。

また、この日の前後には、1997年以来、毎年、東京と大阪交互にシンポジウムや講演会を開いています。会場に全国から贈られる菜の花約3500本が飾られ、終了後、入場者にお配りするのが恒例になりました。記念館やその周辺の道路にも菜の花が飾られ、この日の来館者にプレゼントしています。


二つの「菜の花忌」は、創始者争いに陥ることなく、平和的に共存しておられるようです(笑)。前掲の伊東静雄HPの菜の花忌のページの続きです。


時は流れ第34回の「菜の花忌」には一つのメッセージが寄せられた。「ようやく司馬遼太郎の書斎の前の庭にも菜の花が咲き始めました。同じ野花を愛された詩人の魂にこの花をささげます。」発信者は司馬遼太郎夫人、福田みどりさんだった。


今日のプチ散歩で見かけた菜の花です。(正確には野菜の花)


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梅の花。


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野の花。タネツケバナ?


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ムクドリ。


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ハクセキレイ。


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コガモ。


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コガモの群れがほとんどいなくなりました。


今日の付録。スズメです。


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今日の画像は、PENTAXK30+KENKO ミラーレンズ 400mm F8。少しでもコンパクトなお散歩カメラを探る、果てなき実験はつづきます。


きょうはこれにて。


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難読お名前クイズだ!の巻 [友人]

難読人名クイズです。 次のAさん、Bさんの姓は、それぞれなんとお読みすればよいでしょうか 。


A 榑松さん

B 川后さん


学生時代からの古い友人で、愛知在住のハチロークンは、当ブログの常連登場メンバーです。最近では忘れてました、の巻(2019-02-21)にも、ちらりと登場願いました。そのハチロークンが、いつだったか「日本広しといえども(あるいは、愛知県内で、と言ったかも知れません)榑松、川后の両方が読める人物、しかも両方と面識がある人物は自分だけではないかと思う」などとヘンな自慢をしていたことを思い出します。


Aは「くれまつ」さんとお読みします。


ハチロークンの地元、愛知県の愛労連(愛知県労働組合総連合)の議長が、 榑松佐一さん。あいにく、私は面識がありませんが、ハチロ-クンは地元だけに、正しく読めても不思議はありません。しかも、最近の中日新聞(2019年1月25日付)にこんな記事があります。


候補者ルポ(上) 榑松佐一さん

2019年1月25日

スーパー前で買い物客らと握手する榑松さん(左)。演説では暮らし重視の政策を訴えた=名古屋市天白区で

写真

二十三日、名古屋市内のスーパー。日中の買い物客は女性が中心だ。「僕は生協出身です。価格に厳しいお母さんと随分やり合いましたよ。その意味じゃ百戦錬磨です」。選挙とはまるで無関係の話で気を引くと、一気にまくしたてた。「県民の暮らしはよく分かっているつもりです。暮らしの土台を支える県政に一緒に変えましょう」

この日、県労働組合総連合(愛労連)議長の新人榑松(くれまつ)佐一さん(62)が遊説先に選んだのは、市内でも人口の多い緑、天白区。午前八時から三十~四十五分刻みで街頭演説を十一カ所でこなし、うち七カ所は住宅地にも近い大小のスーパー前だった。「人が集まりやすく、特に『口コミ力』のある女性票取り込みが狙い」と陣営関係者。本人も「選挙カーから手を振ってても、お年寄りと女性の反応はいいよ」と喜色を見せる。

「中部国際空港の二本目滑走路やカジノは不要」「教育や福祉、医療への予算配分で安心できる県政を」。主張の根幹は揺るがないが、場所などに応じて細部は工夫して変える。子連れの母親の姿を見かけると「保育士の待遇改善で保育、学童保育を充実します」。市営住宅が近いと「市営はきれいですね。県営も、単身者の入居を認め、若者支援策としての活用と修繕を進めます」と訴えた。

正午、昼食のため緑区の共産党地区事務所へ。揚げ出し豆腐に野菜の煮物など、おかず四品でご飯茶わんを空にすると、取り出したのはスマートフォン。選挙期間中も会員制交流サイト(SNS)で続けている外国人技能実習生らの労働相談だ。この日は千葉県で働くベトナム人実習生からの家賃に関する相談に平仮名で返信。「日本語だって十分通じる。よく勉強しているもの。同じ国に暮らす彼らを守ることも政治の重要な役割だ」。演説中は見せない険しい表情ものぞかせた。 


そう言えば、愛知県知事選のニュース、新聞・TVで目にしましたっけ。 ちなみに、愛労連のHPに、選挙結果と支援団体としての総括などが掲載されています。相乗りの現職に及ばなかったものの、善戦健闘の選挙だった由。お疲れ様でした。

愛労連新聞 第308号


■愛労連新聞 第308号(2019年2月10日発行) PDF版ダウンロード




一方、Bは「せんこう」さん。
ハチロークンが言うのは、広島県労連議長などを歴任した川后和幸氏のことです。こちらは、私も面識があります。というよりも学生時代の友人で、サークル活動をともにした仲でもあります。


何年も前に書いたこの記事でS氏と書いたのが彼のことです。


夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて


今回のために実行委員の方が手作りしてくださった、特別製の「歌集」をもとに、次から次へと「歌声」の合唱が響きます。カラオケなんか使いません。伴奏もありません。指揮は、学生時代から音楽面でも「頭角」を表していたS氏。某県の労働組合の役員を歴任し、最近まで、ローカルセンターの議長を勤めました。彼は私とは同期の入学で、専門は栽培漁業でした。学者・研究者の道が向いていると、自他共に認める人でしたが、思わぬ方面で活躍することになりました。


その川后和幸氏の身の上に、最近一大事が持ち上がっているらしいと、複数の友人から報せがありました。委細は、次の動画ニュースをご覧ください。


広島市長選 市民 団体の川后和幸氏 が出馬へ(RCC中 国放送) Yahoo!ニ ュース


これも。


http://douganews.info/?p=32829


また、中国新聞アルファにはこうありました。


【’19統一選】広島市長選の構図ほぼ固まる 継続か刷新か論戦へ

中国新聞社2019/03/03 05:59

広島市長選は、告示3週間前になってようやく構図がほぼ固まった。3選を目指す現職の松井一実氏に、ともに新人で市民団体世話人の川后和幸氏、会社員前島修氏の2人が挑む。2期8年の市政運営に対する評価をベースに、継続か刷新かを有権者に問う戦いとなる。各陣営は2日、会合を開くなどし、前哨戦の火ぶたが切られた。

▽大型事業・暮らしが争点

選挙戦は松井氏と、現市政に批判的な市民団体が擁立した川后氏を中心に展開するとみられる。松井氏は選挙公約に、紙屋町・八丁堀地区の再整備やアストラムラインの延伸などの大型事業を提示。自民、公明両党の推薦を得たほか、連合から推薦される見通しで、国民民主党も支援を検討している。川后氏は、平和行政や暮らしの充実に軸足を置いた施策を主張。支援を受ける市民の意見を基に公約をまとめたいとする。

(中略)川后氏は、中区であった「市民の願いにこたえる広島市長を誕生させる会」の集会で賛同者約120人を前に決意表明。「市民の声に従う市政を実現させる。一部の権力者や時の政府の顔色をうかがう市長であってはいけない」と訴えた。準備期間が短いとして一人一人の協力を呼び掛けた。

誕生させる会は小規模な集会を市内各地で開き、参加者の意見を公約に反映させる考え。並行して、現在約千人いる賛同者をさらに増やす活動も進める。



こんなチラシができています。

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ある友人は、川后氏立候補の報せに添えて、「人生終盤になってから、植木君といい、米田君といい、みんな大変だ。」とメールを寄せてくれました。同感、同感です。


植木君というのは、直近では、昨年11月の松山市長選挙に出馬して奮闘した植木正勝氏のこと。新聞報道はこちら。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181117-00010002-senkyocom-pol


任期満了に伴う松山市長選挙は11月11日(日)に告示され、共産党が推薦する新人の植木正勝(うえき・まさかつ)氏(66)、現職で3期目を目指す野志克仁(のし・かつひと)氏(51)の無所属の2名が立候補しました(紹介は届出順)。
今回の市長選挙は2期8年間の野志市政への評価、中心市街地再開発の是非、人口減少対策などが争点と考えられます。

【松山市長選挙】新人 植木正勝氏 VS 現職 野志克仁氏の一騎打ち

黒瀬ダム分水を中止し、医療・福祉・地域経済を豊かに。新人 植木正勝氏

黒瀬ダム分水を中止し、医療・福祉・地域経済を豊かに。新人 植木正勝氏

植木氏は西条市出身、高知大学教育学部卒業。日用品卸売業を経て周桑民主商工会副会長や共産党東予地区委員長などを歴任しました。2012年の衆議院選挙、2013年の参議院選挙に共産党公認で出馬するも落選。現在は共産党中予地区委員長を務めています。

【松山市長選挙】新人 植木正勝氏 VS 現職 野志克仁氏の一騎打ち

松山市長選 選挙公報

植木氏は「ムダをなくし暮らし・福祉第一の市政に」をスローガンに以下の政策を掲げました。

 


また、「米田君」とは高知県議会議員の米田稔氏。議員団紹介記事はこちら


yoneda


お二人とも、過去記事で何回か話題にしました。


たとえば昨日今日の備忘メモ、の巻


自分に誇るものがないせいで、友達自慢、知り合い自慢をする習癖が身につきました.余談ついでに、友達自慢をもう一つ。

愛知県在住の友人ハチロークンが こんなニュースを知らせてくれたと、ヨシミさんが教えてくれました。

松山市長選 共産系植木氏が出馬会見

10/11(木) 17:07配信

愛媛新聞ONLINE

松山市長選

松山市長選に出馬を表明し、公約を語る植木正勝氏=11日午前、市役所

任期満了に伴う松山市長選(11月11日告示、18日投開票)で、共産党中予地区委員長の植木正勝氏(66)=北梅本町=は11日、市役所で会見し、同党推薦の無所属新人として出馬を表明。「憲法を生かした暮らし・福祉を守っていく」と述べたほか、県営黒瀬ダム(愛媛県西条市)からの松山分水中止や原発ゼロなどを公約に掲げ、現職との差別化を図るとした。

愛媛新聞社

この植木正勝氏(66)は、大学同期の友人です。以前この記事夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて

でも紹介(友達自慢)したことがありました。

閉会挨拶をしているのは、高知県議米田稔氏(公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、教育学部中学校課程の出身。学生時代、アパートに泊めてめてもらったり、箱買いのインスタントラーメン(実家からの仕送りらしい)を食べさせてくれたりしました。「ラーメン食う?」という、独特の声音が今も耳に残っています。
英語教師への道を断念して、社会運動に身を投じ、市会議員を経て県会議員を五期勤めています。
ちなみに、7月の参議院選挙で東京選挙区から立候補して見事当選した吉良よし子さんのお父さんが、米田氏の同僚県議の吉良富彦氏。お母さんも、学生時代の年下の友人です。何も私の手柄ではないですが、テレビや新聞で注目を浴びる姿は「キラキラ」まぶしくて、我がことのように誇らしい気がします。
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もう一枚の写真。真ん中の男性は、参加者の一人で、衆院選挙・参院選挙と続けて、愛媛選挙区から出馬して落選はしたものの、得票を伸ばした植木正勝君(これまた公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、小学校課程出身。別項で紹介した「植木正勝が植木枝盛になるに当たっての労働の役割」の筆者です。
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同い年でも、隠居を決め込んでいる我が身が、少々後ろめたく、恥ずかしい思いが拭えません。「頑張らない!」との誓いを噛みしめ、自然体、悠々自適をモットーとしたいと考えている私ですが、世の中の望ましい変革のために日々奮闘している友人、知人、先輩方の姿を思うたびに、応分の協力、応援、献身は厭うまいと思い返しているところです。




友達自慢ついでに、もうひとり同期の友人、京都市議赤阪仁氏のHPはこちら


彼についても、この記事で紹介したことがありました。2016年夏のサークル同窓会の記事です。


夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)


同じく同期で、病気のため勇退したものの高知県議を長く務めた牧義信君も参加してくれていました。学生時代に属したサークルは違うものの、同じ教育系サークルで、薄い間仕切りで隔てられた隣接する部室で活動していました。現在、伏見区を基盤に京都市議をしている赤坂仁君も、同期です。学生時代も、自治会執行委員長など、リーダーシップを発揮していました。そう言えば、学生自治会の委員長をつとめた歴代のメンバーが、サークルの隔てを超えて何人も参加してくれていました。


頭が下がります。もう一度、同じ言葉を繰り返します。


同い年でも、隠居を決め込んでいる我が身が、少々後ろめたく、恥ずかしい思いが拭えません。「頑張らない!」との誓いを噛みしめ、自然体、悠々自適をモットーとしたいと考えている私ですが、世の中の望ましい変革のために日々奮闘している友人、知人、先輩方の姿を思うたびに、応分の協力、応援、献身は厭うまいと思い返しているところです。




今朝の気温は10℃。寒さがぐっと和らぎました。


深山公園へ行ってみました。


今日の付録は、難読漢字クイズです。


A尉鶲


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ジョウビタキです。(♀)


B 瑠璃鶲


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以上PENTAXK5Ⅱ+AFBORG60ed(トリミング)


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ッルリビタキ。


PENTAX K-30+TAMRON AF18-250mm F/3.5-6.3 Di II LD Aspherical [IF] MACRO


上はトリミング画像。


下は、元画像です。250mmではやはり遠い?


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C篝火花


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カガリビバナ(シクラメンの別名)だそうです。


このシクラメン、寒い時期、スーパーの園芸コーナーで、値引き品として200円で並んでいました。花は一輪だけしかついていませんでしたが、小さなツボミが続いて育ってきそうでしたので、買い求めました。居間の出窓で、ガラス越しの陽射しを受けて、ようやく次々に良い花が咲いてくれています。


今日はこれにて。


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またまた3月10日に思う、の巻 [今日の暦]

今日は3月10日。昨日の記事で東京大空襲に触れました。


so-netブログの先輩、ChinchikoPapa様の最新記事に、その日の空襲被爆の模様が、息詰まるドキュメンタリーのように迫真的に描かれています。無断でリンクを貼らせて戴きます。


1945年3月11日のヴァイオリンソナタ。


こんな記事が満載です。


当時、防護団の防空・防火訓練で必ず唄われた歌に、『空襲なんぞ恐るべき』Click!というのがあった。親父も、ときどき嘲るように口ずさんでいた歌だ。
1 空襲なんぞ恐るべき/護る大空鉄の陣
老いも若きも今ぞ起つ/栄えある国土防衛の
誉れを我等担いたり/来たらば来たれ敵機いざ
2 空襲なんぞ恐るべき/つけよ持場にその部署に
我に輝く歴史あり/爆撃猛火に狂うとも
戦い勝たんこの試練/来たらば来たれ敵機いざ
陸軍省と防衛司令部の「撰定歌」として、全国の防空・防火訓練で必ず唄われていた。この勇ましい歌に鼓舞され、東京大空襲で消火を試みようとした人々は、ほぼ全滅した。


記事の核心は、翌11日のこと。


燃えるものはすべて燃えつくし、ようやく延焼の火も消えつつあった翌3月11日、19歳の少女が巣鴨の住居焼け跡の防空壕からヴァイオリンケースを抱えながら、ひたすら日比谷公会堂をめざして歩きはじめた。


東京大空襲の翌日、日比谷公会堂で催された巌本真理(メリー・エステル)の演奏会。珠玉の映画の一シーンのように、胸に迫ります。




朝から冷たい雨です。


かなり本格的な降りになっています。


今日の散歩は、スーパーやホームセンターの店舗内を、物色しながら歩く程度。せいぜい4000歩といったところですが、傘を差して外歩きをする元気はありません。


ちょっとだけ家の周りを歩いてみました。


我が家の玄関先のボケ。


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散歩道のコブシの花が開き始めています。


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この桜は、品種は何でしょう?


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ニホンスイセン。


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今日はここまで。


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東京大空襲に思いを馳せる、の巻 [今日の暦]

久しぶりに、早乙女勝元さんのお姿を拝見し、感慨を覚えました。


朝日新聞DIGITAL3月8日付のこの記事にリンクを貼らせて戴きます。   一部引用します。


「焼夷(しょうい)弾攻撃だけで一夜にして10万人もの人が亡くなったというのは、核兵器の被害と何ら変わらない。通常の火薬兵器でも核並みの被害を出すんです」。そう語るのは、作家の早乙女勝元さん(86)。館長を務める東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)によると、原爆被害を除く全国の空襲による民間人の死者数は、東京23区と約530市町村で推定約20万3千人に上る。2014年11月に地域史を調べて積み上げた数字で、これは二つの原爆で亡くなった犠牲者(広島14万人、長崎7万人)に匹敵するという。

(中略)

1970年に発足した「東京空襲を記録する会」に、早乙女さんは発起人の1人として加わった。背景にはベトナム戦争があった。60年代後半、沖縄の米軍基地を飛び立ったB52爆撃機がたびたび北ベトナムを空爆。下町で反戦集会に携わるなか、教科書では広島・長崎の原爆に触れても、東京大空襲の無差別爆撃に関するくだりはほとんどないことに気づいた。首都最大の受難史ともいえる惨禍の記憶を後世に伝えたい。その思いは「記録する会」の結成につながった。


ほんの先日、映画「あの日のオルガン」を観て、東京大空襲に思いを馳せたばかりでした。


平穏な日常こそがしあわせ、の巻


ところで、東京大空襲については、2015年に、こんなことを書いています。


昨日の「今日の暦」ーーー3月10日のえとせとら


1945(昭和20)年3月10日未明、米軍の約300機のB29爆撃機による空襲により、都内で26万戸以上の建物が焼け、100万人以上が罹災、およそ10万人が犠牲となりました。(中略)

この残虐な空襲を指揮したのは、米海軍のカーチス・ルメイ将軍でした。のちのベトナム戦争では、空軍参謀長として、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した人物でした。

1964年航空自衛隊創立10周年に来日した彼に、こともあろうに、日本政府は、航空自衛隊の戦術指導に対する功績を称えて勲一等旭日大綬章を授与したのでした。これが象徴するように、長期にわたって政権に君臨する日本の歴代保守政権は、東京大空襲を初め、その後日本全国に及んだ空襲・空爆(わが岡山市は、6月29日未明、空襲を受け、市内が焦土と化しました)と、その極致としてのヒロシマ・長崎の原爆投下による被災について、その真相を明らかにすることに消極的です。

他人を恨まないサムライ精神の美徳なのか、それともジャイアンの無法を、常に無条件に賞賛受容するスネ夫精神の発露なのか?

ご自身の体験と、綿密な取材をもとに「東京大空襲」(岩波新書)、「東京が燃えた日―戦争と中学生」などの著者で、作家・児童文学作家の早乙女勝元(さおとめ かつもと)さんは、12歳でこの大空襲を経験されました。
3月10日付の朝日新聞デジタルが、近影とともにインタビュー記事を掲載していました。

政府・行政当局が消極的ななか早乙女さんは「東京空襲を記録する会」を結成し、東京大空襲の惨状を掘り起こし次世代に語り継ぐとりくみに中心的役割を果たしてこられました。この「東京空襲を記録する会」を母体に、2002年、「東京大空襲・戦災資料センター」が東京都江東区にオープンし、とりくみを継続しています。

江東区と言えば、大空襲の被害が最も大きかった地帯の一つです。私も若い頃、ホンの一時期、江東区の下町に住んでいたことがありました。 よちよち歩きだった子ども二人を遊ばせた公園にも、黒く焼け焦げた遺体がうずたかく積まれたと記録されており、ゆるがせにできない身近な出来事と感じたことでした。

東京が燃えた日―戦争と中学生 (岩波ジュニア新書 (5))


 


2013年の9月に書いたこの記事でも早乙女勝元さんを話題にしました。


昨日の「今日の暦」---「パパママバイバイ」のこと


この事件(注 1977年9月27日の横浜米軍機墜落事件)を描いた「パパママバイバイ」の原作者の早乙女勝元さんは、東京大空襲の実体験者で、学生の頃も何回か、そして就職してからも別の土地で、講演をお聞きする機会があり、そのたびに感銘を受けました。静かな語り口の中にも、平和への切実な希求と楽天的な勇気がみなぎるお話が、印象に残っています。

パパママバイバイ (子ども平和図書館)

パパママバイバイ (子ども平和図書館)

もはや、講演の内容は細切れにすら思い出せませんが、ただ一つ、確か小林多喜二を引き合いに出してでしたか、「私は、あるいは、凶暴な肉体的暴力に対して、耐え抜くことはできないかも知れない。でも、日常生活の中で求められるささやかな勇気を、自分なりに発揮することならできると思う。」というような趣旨のお話は、長い間私自身への戒めとなったことは確かです。
この事件を題材に、以前私が勤めていた高校の演劇部が、創作劇として演じたことがありました。手元の資料を探ってみると、1982年のことでした。「ハトポッポのうた」という題名で、中国大会にまで出場しています。墜落事故によって大やけどを負い、ついには息を引き取った林裕一郎君(当時3歳)がいまわの際に残した言葉が「パパママバイバイ」でしたし、弟の康弘ちゃん(当時1歳)も、「ハトポッポ」の歌を口ずさみながらあと追うようにして亡くなったのでした。「ハトポッポのうた」は、このエピソードに基づいてつけられた題名でした。

(中略)


 


思えば、他でもなく、私の父も空襲体験者で、以前、その旨を地元新聞に投稿した話題は、この記事で紹介しました。


家族3題(代)噺、の巻


父の新聞投稿を再掲させて戴きます。


若者に絶対駄目と願いたい

○○○○ 91 (美作市)

年を重ねても昔のことはよく覚えている。 「欲しがりません勝つまでは」と教育された。国民学校高等科2 年で卒業して、東京の軍需工場へ就職した。 先輩の指導を受けて、油だらけになり懸命に働いた。会社には私立の青年学校があり、ほとんどが軍事教練だった。
戦争は激しくなり、東京の空には毎日のよぅに米軍機が偵察に来るようになった。19 45年3月10日、東京大空襲があり10万人以上の人が命を失った。 5月25日の大空襲では、庭の防空壕に避難したのでみんな助かった。が、工場も寄宿舎も丸焼けになったので命からがら田舎へ帰った。
8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ大勢の人が亡くなった。あと1年も戦争が続いたら徴兵検査を受けて軍隊に入り、現在の自分がなかっただろぅと思うと戦争の恐ろしさをつくづく思う。
あのひどい戦争の状況を知る人が少なくなった今、戦争を知らない若い人に、戦争は絶対駄目だと強くお願いする。


たまたま難を免れて無事であったからこそ、今私が存在し得ているのだと思えば 、なおさら他人事とは思えません。




今朝は、冷え込みました。玄関先につるした温度計を見てみると、ほとんど0度でした。朝食のパンを切らしていたので、近くのコンビニまで歩いて買いに出ました。


天空には、星が瞬いています。


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雑木林と見えるのは、ソメイヨシノの桜並木です。蕾がふくらむのはいつの頃になるでしょうか。


PENTAXk30+TAMRON AF18-250mm F/3.5-6.3 Di II
LD Aspherical [IF] MACRO で写しました。


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こちらは、OLYMPUS E-PL7+M.ZUIKO 17mm 2.8。


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晴れた夜明けです。


午前中、所用がありましたが、時間調整のため寄り道をしてみました。


河津桜が咲きそろっています。


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ヒヨドリが花と戯れています。


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けたたましい囀りです。


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カワラヒワも沢山います。モミジバフウの実をついばんでいるようです。


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ツグミ。


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黄色いスイセンが群れ咲いています。


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昼間は、熱いほどの陽射しでした。


午後、小5の孫は、友達と一緒に、魚をすくいにアミとバケツと長靴をもって小川に出かけ、妹たちもついて行って遊んだようです。帰ってきて、今度は近所の公園や我が家を遊び場に、元気に楽しんでおりました。


今日はこれにて。


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七転八○、の巻 [雑話]

中3の孫が、昨日今日と高校入試を受験しました。 とにかく終わってよかったと、どっぷりゲーム三昧の午後だそうですが、さて運命はいかに? ところで、もしもこんな問題が出題されていたら、それは不適切問題ですね(笑)

問題

次の空白部○に適切な文字を入れ、正しく四字熟語をつくりなさい。

 七転八○


なぜなら、「倒」も「起」も正解ですから。


四字熟語辞典の解説を見てみます。


七転八倒の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
しちてん-ばっとう【七転八倒】
激しい苦痛などで、ひどく苦しんで転げまわること。転んでは起き、起きては転ぶこと。▽「七」「八」は数が多いことをいう。「しってんばっとう」「しちてんはっとう」とも読む。また「転」は「顛」とも書く。

出典
    『朱子語類しゅしごるい』五一
句例
    七転八倒してもがく
用例
    ぼくは、居たたまれず、船室に駆けこみ、頭を押えて、七転八倒の苦しみでした。<田中英光・オリンポスの果実>
活用形
    〈―スル〉


七転八起の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
しちてん-はっき【七転八起】
何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力すること。転じて、人生の浮き沈みの激しいことのたとえとして用いることもある。七度転んでも八度起き上がる意から。▽一般に「七転ななころび八起やおき」という。「転」は「顛」とも書く。

句例
    七転八起の人生
用例
    耻(はじ)もかく。名誉も得る。七転八起。一栄一辱。棺に白布しらぬのを蓋おおうにいたって。初て其その名誉が定まるんだ。<坪内逍遥・当世書生気質>
類語
    捲土重来けんどちょうらい 不撓不屈ふとうふくつ 


「七転八起」という故事成語から、私は武者小路実篤のこの詩を連想します。


師よ師よ 武者小路実篤

「師よ、師よ
何度倒れるまで
起き上らねばなりませんか?
七度までゝすか?」

「否!
七を七十倍した程倒れても
なほ汝は起き上らねばならぬ」

(『詩千八百』


高校生の頃、「耽読」した最初の作家(文筆家)は、この武者小路実篤でした。新潮文庫にある彼の作品は、手に入る限りたいてい読んだ気がします。彼が、「ト」の字を見ても頬が赤くなるほど心酔したというトルストイに特別の好感を抱くようにもなりました。有島武郎や里見弴、長与善郎、木下利玄などといった「白樺派」の人々の作品へと、読書傾向が傾いたのも自然なことでした。
(一方、彼が「先生」と特別視した夏目漱石や、お互いに無二の親友と認め合う志賀直哉の作品には、格別傾倒するということもないまま過ぎました。これらに面白さを感じるようになったのは、もう少し大人になってからになります。)


「白樺派」の(特に武者小路実篤の)、「お目出たき人」の名に恥じない楽天的・向日的な人道主義は、「バカラシ派」と揶揄されるほどに、現実知らず・苦労知らずの「ボンボン」の理想主義との批評は、無視できないものがあります。私自身、「安っぽいヒューマニズム」ゆえに心惹かれていくのではないかという思いから、武者小路ファンであることは公然とは表明しかねる気後れを観じた時機もありました。


宮本百合子の初期作品「貧しき人々の群」にこの一文を見つけたのは、そんな学生の頃でした。


貧しき人々の群

宮本百合子

序にかえて
C先生。
先生は、あの「小さき泉」の中の、
「師よ、師よ
何度倒れるまで
起き上らねばなりませんか?
七度までですか?」
と云う、弟子の問に対して答えた、師の言葉をお覚えでございますか?
「否!
七を七十乗した程倒れても
なお汝は起き上らねばならぬ」
と云われて、起き上り得る弟子の尊さを、この頃私は、しみじみ感じております。

後に、苛酷な弾圧に抗して、プロレタリア文学と反戦・平和・労働者解放の社会運動に献身する百合子十七歳の作品です。その根底に白樺派ヒューマニズムへの傾倒があったことは、新鮮な驚きでした。


「七転八起」の言葉は、「転んでもただは起きぬ」ということわざを連想させます。


「転んでもただは起きない」の意味は、「デジタル大辞泉(小学館)」によるとこのとおり。


たとえ失敗した場合でもそこから何かを得ようとする。欲の深い、また、根性のある人のたとえ。転んでもただでは起きない。


とっさに思い出す例として、「今昔物語」の受領のエピソードがあります。


今昔物語集 巻28
「信濃守藤原陳忠落入御坂語 第三十八」

信濃守の任期を終え京へ帰還する陳忠は、信濃・美濃国境の神坂峠を過ぎるとき、乗っている馬が橋を踏み外し、馬ごと深い谷へ転落した。随行者たちが谷を見下ろすと、とても生存しているようには思われなかった。しかし、谷底から陳忠の「かごに縄をつけて降ろせ」との声が聞こえ、かごを降ろし、引き上げてみるとかごには陳忠ではなくヒラタケが満載されていた。再度かごを降ろし、引き上げると今度こそ陳忠がかごに乗っていたが、片手に一杯のヒラタケを掴んでいる。随行者たちが安心し、かつ呆れていると、陳忠は「転落途中に木に引っかかってみれば、すぐそばにヒラタケがたくさん生えているではないか。宝の山に入って手ぶらで出てくるのは悔やみきれない。『受領は倒るるところに土をもつかめ』と言うではないか。」と言い放った。(ウィキペディアより)


ところで、NHK朝ドラ「まんぷく」のモデルで、初めてインスタントラーメンを開発した安藤百福(ももふく)さんが、こんな言葉を残しているそうです。



転んでもただでは起きるな!  - 定本・安藤百福 (中公文庫)

転んでもただでは起きるな! - 定本・安藤百福 (中公文庫)

  • 作者: 安藤百福発明記念館
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2013/11/22
  • メディア: 文庫



転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんでこい。逆境に立ってすべての欲とこだわりとを捨て去ったとき、人は思わぬ力を発揮できる。


さて、今日の私のケースは、「七転八倒」でしょうか、はたまた、「七転八起」だったでしょうか、あるいは、「転んでもただは起きぬ」だったでしょうか??


朝は冷え込んだのですが、日中は穏やかな陽射しが表れました。自然環境体験公園に出かけ、こんな桜の花を写しました。


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花に気を取られて、足もとに段差があることに気づかず、足もとがぐらついて、無惨に転倒してしまいました。手にカメラを持っていましたので、とっさに防御態勢に移ることができず、舗装された地面に、膝をしたたかにうちつけ、痛ましい打ち身と擦り傷を負ってしまったのです(トホホ)。


これ、七転八倒です。


でも、これにめげず立ち上がり、さらに散歩を続けていると、、、メジロがあらわれたり、、、、


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ジョウビタキも、、、


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モズも、、、


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シロハラも、、、


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そして、カワラヒワも、撮影に応じてくれました。


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そして、最後は上空にこの鳥が現れて何度も旋回してくれました。


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ハトほどの小さな猛禽です。


トリミングします。


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ハイタカ?


ズボンが少し破け、膝に擦り傷と腫れが残りましたが、嬉しい散歩でした。


これ、「七転八起」でしょうか?あるいは、「転んでもただは起きぬ」でしょうか?


お後がよろしいようで。


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啓蟄雑話(補遺)、の巻 [雑話]

昨日の記事の追加です。


昨日の国会中継の終わり頃、日本共産党の辰巳コータローさんが示していた資料が、今朝の「しんぶん赤旗」に紹介してありました。前日の小池晃さんの追及を受けて、厚労省が開示したものだそうです。


第三者機関、独立機関であるはずの「特別監査委員会」樋口委員長がどれほどどっぷりと厚労省と深い関係似合ったかを示すもの。これじゃ、厚労省に忖度して、「虚偽ではあるが隠蔽ではない」なんて報告書書いても不思議じゃないですよね。


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準備していて掲載し忘れていた写真も、ついでですからupしておきます。


庭のヒメウズ(姫烏頭)


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数日前から、隣の空き地に、なにやら白っぽいものが見え、気になっていました。


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よく見ると、ヨモギの新芽のようです。


今日はこれにて


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啓蟄雑話、の巻 [今日の暦]

今日は啓蟄


去年書いた記事をコピペします。


啓蟄にちなんで穴の鼠を思う,の巻


去年の啓蟄の日、こんな記事を書きました。
啓蟄や這い出る虫も命がけ、の巻

今日は啓蟄だそうですね。
過去にも、この日にちなんだ記事を、何度か書いていますので、能書きはほどほどにいたします。
啓蟄や律儀な虫は凍えたらん
啓蟄雑話
ウィキペディアにこうあります。

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。二月節(旧暦1月後半から2月前半)。「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意で、「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)という意を示す。春の季語でもある。

毎年、同じようなことばかり思いつくものですが、今日は漢字にこだわってみます。「蟄」は画数も多く難しい漢字ですが、「虫」に関係ありそうなことはなんとなくわかります。
ところで、最近話題の「改ざん」の、「ざん」てどんな漢字だったっけと、気になり始めたのは昨日のこと。たしか「ネズミ」を含んでいたよな。ネズミが大事なものを思うままにかじって、変形させてしまうイメージだったっけ?等と思い巡らし、あとで確かめてみようと思ったまま、今朝になりました。
なんと、何気なく目を通していた今朝の『しんぶん赤旗』に、こんな記事を見つけました。

穴と鼠の合体でした。とてもこの字はそらでは書けません。


森友問題と言えば、ちょうど籠池サンの公判が大阪地裁で開かれるそうです。


HUFFPOSTの記事を引用します。


森友学園の籠池泰典・前理事長「安倍首相はエセ保守」元NHK記者の ..

学校法人「森友学園」(大阪市)の前理事長、籠池泰典被告(66)と妻の諄子被告(62)に対する補助金詐欺事件の初公判が3月6日、大阪地裁である。

籠池夫妻は国や大阪府、大阪市の補助金をだまし取ったなどとされる詐欺や詐欺未遂罪に問われている。

裁判に先立ち、籠池夫妻は単独取材に応じ、「安倍首相の関与を隠すための国策捜査だ。勝たないかん」と全面的に争う姿勢を鮮明にした。

インタビューの中で、泰典被告は一連の問題が発覚する前、小学校で使う副読本を安倍晋三首相側に渡していたことや、昭恵夫人から100万円を寄付された際、昭恵夫人から「内緒に」するよう口止めされたことも明らかにした。

かつては信奉していた安倍首相を「エセ保守だ」と指摘。その上で、「保身のために我々を切り捨てた。国民もだまされている。退陣するまで闘う」と「宣戦布告」した。


森友問題における「捏造、改竄」の概要は頭に浮かびますが、はて、厚生労働省の地下資料って何でしたっけ??


目下、国会で追及中の毎月勤労統計改竄のことではないですよね。


ああそうでした。こんなこともありましたっけ。


https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000121538.html


野党議員が厚生労働省を訪れ、当初、「なくなった」とされながら、その後に見つかった労働時間の調査票の原本を確認しました。

自由党・森ゆうこ参院議員:「ロッカー探したけどなかったという話自体が嘘!嘘ですよ、これ見れば」
厚生労働省職員:「手元にないということで大臣には報告をしていたと。改めて倉庫を確認したら出てきたと」
厚労省の地下倉庫で見つかった労働時間に関する調査票の原本は段ボール32箱分で、野党議員は「枚数から考えてもすぐに見つかるはずで、時間稼ぎをしていたのでは」と追及しました。しかし、厚労省側は「手元に資料がない」と倉庫で見つけた時期などは明らかにしませんでした。野党側は与党に対し、働き方改革関連法案の今国会での提出を見送るよう求めています。


お得意の「隠蔽」の典型例ですね。


捏造、改竄、隠蔽---現政権のもとで、日常茶飯のように、余りに頻繁に事例が露呈しますので、慣れっこになって、いちいち思い出せなくなっています。


今回の毎月勤労統計不正も「虚偽であっても隠蔽ではない」ですって?産経新聞正論の2月27日付記事にはこうありました。


厚生労働省の「毎月勤労統計」の不適切調査問題で、厚労省の特別監察委員会が27日に公表した追加報告書は、組織的にも個人的にも隠蔽(いんぺい)を図ったことを再び否定し、「虚偽の説明」と矮小(わいしょう)化した判断を下した。結論や大筋の事実関係は1月に出された報告書とほぼ同じ。法律論を駆使して、厚労省側をかばったとも受け取れる内容の乏しい報告書となっている。


二つの特別監査委員会の報告書について毎日新聞(2月27日付)にこんな対照表が掲載されています。


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第三者性、中立性の担保を標榜して構成された新しい特別監査委員会の樋口美雄委員長が、まったく第三者でも中立でもなく、限りなく厚労省側に立つ人物であることは、困ったものです。今日付の「しんぶん赤旗」に掲載の図表が雄弁に語っています。


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昔、田中角栄の時代、「五つの大切、十の反省」なるものが道徳教育の眼目に掲げられたことがありました。


「五つの大切」
1 人間を大切にしよう
2 自然を大切にしょう
3 時間を大切にしよう
4 モノを大切にしよう
5 社会を大切にしよう
「十の反省」
1 友達と仲良くしただろうか
2 お年よりに親切だったろうか
3 弱いものいじめをしなかったろうか
4 生き物や草花を大事にしただろうか
5 約束は守っただろうか
6 交通ルールは守っただろうか
7 親や先生など、ひとの意見をよく聞いただろうか
8 食べ物に好き嫌いを言わなかっただろうか
9 ひとに迷惑をかけなかっただろうか
10 正しいことに勇気をもって行動しただろうか


金権体質の芬々とするおまえさんだけには言われたくない、と当時、教育に関わる人たちはみんな思ったものでした。


でも、今思えばまだマシだったと思えてきます。


アベ内閣のもとで、「道徳の教科化」がすすめられ「国や郷土を愛する態度」「愛国心」が強調されてますが、まったく、おまえさんだけには言われたくないのです。


「東洋経済online」の この記事(2018/05/16)が、考えさせられます。


学習指導要領には教えなければいけない価値として、「徳目」とも称される22の項目が設定され(高学年の場合)、それらの項目を元に教科書は編纂される。さらに、文部科学省は学習指導要領解説の中で、各項目に対する解説を細かに行っている。
たとえば、「善悪の判断、自律、自由と責任」という項目は、小学校1年生、2年生では「よいことと悪いこととの区別をし、よいと思うことを進んで行うこと」、3年生、4年生では「正しいと判断したことは、自信をもって行うこと」、5年生、6年生では「自由を大切にし、自律的に判断し、責任のある行動をすること」と、解説されている。

実際に2年生の道徳の教科書「小学どうとく」(教育出版)をひらくと、「つよいこころ」というタイトルの読み物では、「ゆう気を出すとき」の一例として「なかまはずれの子に声をかけるとき」などが書かれている。さらに、「学びの手引き」として「みなさんがゆう気を出すときは、どのようなときでしょう」「それぞれのゆう気では、何がちがいますか」「ゆう気を出すためには、何がひつようなのでしょうか」など、その価値(規範)を学ぶための問いが設定されている。

ただ、問いがあるということは答える機会があるということである。そして問いに対する回答は評価の対象になる可能性が高い。しかしどうやって彼らの「道徳的判断」を評価するというのだろうか。「発言」や「行動」に現れない心の動きこそが道徳において重視されるべきであろうし、それぞれの状況や個別具体的な場面によって判断の価値も異なる。それを一律に評価することなど誰ができるだろうか。

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子どもたちに、市民的社会的なモラルを身につけさせることは、子育て・教育の重要な柱でしょう。親、社会、学校が、それぞれの役割に応じて、その仕事を担うことは当然ながら必要です。でも、それは、あれこれの徳目を注入することによって達せられるものではありません。戦前戦中の「修身」が、御国のために喜んで命を捧げる「少国民」=軍国少年・少女を育てあげることに寄与した例を挙げるまでもなく、評価を伴う「道徳の教科化」は、アブナイ道です。ましてや、アベ政権のもとでそれが進められていることは、とても我慢ができません。
強者には媚び、へつらい、見苦しく尻尾を振ってすり寄るけれど、弱者にはうって変わって強圧、強要、脅迫、贔屓をもって対応し、忖度を最高レベルの道徳として蔓延させ、上から下まで、虚偽、言い逃れ、捏造、改竄、隠蔽を常套手段とする「ミニクイ国ニッポン」を形づくった張本人に「道徳」を語って欲しくはありません。


週刊朝日 3.15号 室井佑月さんのコラム「しがみつく女」連載497回にこんな記事がありました。深く納得させられます。


毎月勤労統計のデタラメ調査について、2月22日付の朝日新聞デジタル「官僚への支配強める長期政権 森友・加計と似た『忖度』」という記事が載っていた。
だよね、みんなそう思う。直接的に安倍首相の命令があったのかどうかは不明だけど、ぜんぶ安倍さんの都合が良いように物事が不正に進められている。

森友学園問題は、学園の前理事長が、安倍首相の熱烈な支持者だった。そして、安倍さんの奥さん、昭恵さんが、学園が作ろうとしていた小学校の名誉校長になった。財務省は国有地をタダ同然で学園に売り、公文書も改ざんした。地中深くにゴミがあったという嘘までついて。当時、理財局長だった佐川氏は、国会で売却の経緯を聞かれ、誰かさんをかばって虚偽答弁をした疑いがある。
加計学園問題は、学園の理事長が安倍さんの親友。行政をゆがめ、新たなルールのもと、むりくり愛媛県の今治市に獣医学部が作られた。このときは内閣府が「総理のご意向」と文部科学省に伝えた文書が出てきたんだ。柳瀬・元首相秘書官が、誰かさんの命を受けたのか、学園関係者と面会し、競合する学校に勝てるようレクチャーしていた。
そして、毎月勤労統計問題。厚生労働省が中江・元首相秘書官の意見を受けて、有識者検討会の結論を変えた。その証拠のメールが出てきても、中江氏は「記憶にない」と苦しい言い訳。
こらっ、なんでそんなことした? 誰かさんが、アベノミクスがうまくいき、国民の賃金は上がっている、そういいたがるからでしょ。誰かさんのために、調査法をこっそり変えて、数字をごまかしたんじゃね?
ひょっとして、官僚たちが誰かさんを守るのは、誰かさんが怖いから?
2014年に内閣人事局が出来、政権が官僚人事に口を出せるようになった。
不正を犯してもあの人のために動けば出世し、逆に既存のルールを厳格に守り、あの人に意見をいうような人は出世できない。
出世できないどころか、前川(元)事務次官のように、卑劣な嫌がらせを受ける。
不正をし、嘘をつき、あの人をかばった官僚が、その後、社会的に良いポジションに収まっていたりすると、腹が立つ。

(中略)

官僚たちの「忖度」・・国民全体の奉仕者である公務員が、一部の人間を優遇すること自体が大問題。しかし、官僚たちをそうゆう立場に追い込み、操っている安倍首相と安倍内閣こそが『諸悪の根源』である。


昨日は、郷里へ。暖かいを通り過ぎて、暑いほどの陽射し。


啓蟄の名に恥じず、虫が元気に活動していました。


ヒラタアブとハコベの花。


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ヒメオドリコソウ。


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オオイヌノフグリ。


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庭の馬酔木の花。ようやくほころび始めています。


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庭の山茶花。冬の寒い頃から咲いています。


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隣の庭の椿。家の主は、長く療養中で、ずっとお留守です。ご近所には、そんな空き家が目立ちます。


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啓蟄の今日は、一日冷たい雨でした。


国会中継、途切れ途切れに聞きました。


考え方は別として、国のトップの方々に、人間的立派さをもとめたくなるのは人情というものでしょう。それだけに、首相はじめ、国権の中枢の面々の、誠意のなさにがっかりして気分が落ち込みます。


夕暮れ頃になって、若手の辰巳コータローさんと、吉良よし子さんの質問を聞き、思わず目頭が熱くなりました。


辰巳さんは、厚労省隠蔽問題と、森友問題を追及していました。当事者達が、もう、闇に葬ったつもりのこの問題。うっかり関心が薄らいでいた自分に気づきます。しつこく、粘り強く解明するのは、現代を生きる私たち国民の責任。


「毛利家の正月儀式」の言い伝えのごとき執念深い追及を忘れてはならないと、改めて思うのです。ウィキペディアの記事を参照します。


巷説の一つに、新年拝賀の儀で家老が「今年は倒幕の機はいかに」と藩主に伺いを立て、藩主が「時期尚早」と答える習わしがあったとの俗話が知られる。昭和2年(1927年)、歴史学者の井野辺茂雄が『幕末史の研究』において、毛利家の家史編纂者である中原邦平から聞いた話として著作に紹介している。井野部の記述では、毎月元日、諸藩士が登城する前に藩主が「もうよかろうか」と言い、近臣が「まだお早う御座います」と返すというものであったとしている。ただしこれは古老による伝承であると断っており、「後世にはなかった」としている


同じ長州のアベさんです。「森友の義はいかに」と問い続けねばなりますまい。


辰巳さんにちづく質問者は、吉良よし子さん。奨学金返済に苦しむ学生・青年の思いを代弁して、政府に迫ります。ガンバレ吉良さん。


これって、中立・独立?いえ、いえ、もちろん、贔屓ですとも。私、すっと前から、吉良さんファンですから。


これらの記事参照。


これでまた病気自慢に箔がつき


開票速報見ながらの夜更かしでしたが、熟睡できました。
選挙結果も、自民圧勝はいただけませんが、対抗の受け皿がほかになく、共産党への期待につながったというのは、わかりやすくて大変結構。
東京の吉良よし子さん、キラキラしていてまぶしいです。学生時代、この人のお母さんは、私たち夫婦の共通の友人でした(もちろん、みんな未婚でしたが)。


まわり道してつづき聞くカーラジオ


昨日、一昨日に下書きしておいたブログ記事の仕上げ二時間を費やした後、かかりつけ医に向かう道すがら、カーラジオから国会中継が聞こえていました。各党代表が短時間質問する参院本会議決算質疑の中継で、ちょうど共産党の吉良よし子さんの質問が始まりました。
以前この記事に書きましたが、吉良さんは学生時代の友人の娘さんですので、その活躍は、他人事とは思えません。

(中略)

限られた時間に、国民の思いを余すところなくぶつけようとの思いの強さからか、少し硬調で早口の、読み上げ口調ですが、憲法、暮らし、雇用、働き方、年金・社会保障、南スーダン等々の重大問題を、理路整然と、淀みなく、しかも意志強く追及していました。新入社員の高橋まつりさんを自殺に追いやった過労とパワハラの問題、ライフワークのブラック企業、不安定雇用の問題など、若者に未来への希望を持たせない日本社会のあり方への追及は、抑えた口調ながら迫力満点で、要所要所でうんうんとうなずきながら聞きました。涙腺が強く刺激され、視界がかすむこともしばしばでした(アブナイアブナイ)。そのままでは質問途中で病院へ着きますので、あちらこちら遠回りをして終わりまで聞きました。
それにしても、アベ氏の聞く態度も、答弁内容も、いつものことながら、質問者を、つまり国民を軽んじているとしか思えない不真面目なもので、憤慨に堪えません。


これって脅迫じゃないですか?の巻


一昨日の記事で、吉良よし子議員の参院本会議質問を話題にしました。
日本共産党の「しんぶん赤旗」webペ-ジに紹介記事がありましたのでカクサンさせていただきます。なお、私は、吉良議員のお母さんが学生時代の友人である縁から、その娘のよし子ちゃんのファンです。
一部だけ引用します。

写真

日本共産党の吉良よし子議員は28日の参院本会議で2015年度決算報告への質問に立ち、雇用や社会保障、安保法制の本格運用をめぐる安倍晋三首相の姿勢をただしました。首相は従来の立場に固執して、まともに答えませんでした。

吉良氏は、若者が安心して働き子育てできる社会にしなければ景気もよくならず、「日本に未来はない」と述べ、雇用や社会保障の抜本的な改善を求めました。

雇用について、吉良氏は、大手広告代理店・電通の新入社員が過労自殺した労災事件にふれ、「若者の命をも奪う『ブラック企業』は絶対になくさなければならない」と強調。安倍内閣が法案を提出している裁量労働制の拡大や「残業代ゼロ」制度は、過重労働を合法化したい大企業の要望を取り入れたものだとして撤回を求めました。

吉良氏は、「年金カット法案」について、「公的年金に頼る高齢者に痛みを強い、若い世代の将来不安も増すばかりだ」と批判。廃案を求めました。 (以下略)

特に年金カット法案の追及のくだり「「公的年金に頼る高齢者に痛みを強い、若い世代の将来不安も増すばかりだ」。よく言うてくれたと目頭が熱くなりました。高齢者と若者世代を対立・分断させといて、両方をひっぱたいで搾り取るアベ流を、若者自身の言葉でズバリ斬ってくれました。
アベさん、こうも言ってのけたそうですね。
「決して皆さんの信用が上がることはないですよ、はっきり申し上げて」
「それで民進党の支持率が上がるわけじゃない」
またまたヤクザか居直り強盗の脅し文句!世界に先駆けてのトランプ詣でを決行して忠犬ぶりをアピールし、元のご主人様のオバマさんからも、世界の心ある人々からもケーベツされていることもご存じなく、国の本当の主人である国民に対しては、傲岸不遜の奢りよう、、、いずれ「過去の人」として歴史の屑籠に棄てられることは間違いないでしょうが、できうれば害悪の少ないうちに、さっさと退場していただきたいものです。



 


短い散歩で、モズに会いました。


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今日はこれにて。


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確定申告で終わった一日、の巻 [日録]

朝から強い雨音が聞こえ、起き上がるのが億劫な一日でした。


雨の中朝散歩に出かけようかとも思いましたが、くじけました。


午後には晴れるとの予報なので、散歩は雨が上がってからに延期して、一日延ばしにしてきた宿題に手をつけることにしました。確定申告書の作成です。


妻の助けも借りて、書類作成に励みますが、ちっともはかどりません。外は雨が上がっていますが、散歩どころではなく、やっとのことで書類作成が仕上がったのは午後三時頃。税務署宛に郵送することにしました。


思えば退職直後の確定申告の模様をこの記事に書きました。


確定申告終えたる午後や苔光る


昨日は、ほぼ午前中いっぱいかけて確定申告を終えてきました。

大変な行列でした。

パソコン入力で処理すれば、すぐ終わるはず、、、だったのですが、私の場合退職手当の関連で、レアなケースに相当する部分があったようで、我が家のパソコンによる処理でもはじかれ、税務署のパソコンでも処理できず、結局、職員の方のお手を煩わせて(4人の方に、繰り返し事情を説明しましたが、、、) 手書きで書類作成していただきました。ご親切に感謝します。

現役中は年末確定も何も、事務担当の方が処理してくださって、言われるままに書類を整えるだけでしたので、いざ自分でやるとなると、未知の迷い道に紛れ込んだ不安感、憂鬱感にとらわれ続けたここ数日でした。
前日まで、資料揃えやら下書き準備やら、ネット検索やらダウンロードやら、費やした労力と気苦労は並大抵ではなく、この種の処理は、つくづく苦手だと再確認したことでした。


その翌年は、いくらかは単純な申告内容になりましたが、窓口まで持参しました。


昨日の「今日の暦」ーーー3月10日のえとせとら


確定申告は、家のパソコンで、国税庁ホームページの導きのままに書面を仕上げて印刷し、添付資料も整えて持参したのですが、受付案内の方に「提出ですか?」と訪ねられましたので、やや心許ない点もあるのでチェックして欲しいと申しますと、待ち時間2時間ほどといわれました。待つか提出するかは自身の判断に委ねるとのことでした。

郵送しないで、折角出向いて来たので、乗りかかった舟で、待つことにしました。退屈な時間待ちの間、読む本くらいは携えておくべきでした。


翌年はチェックを受けずに窓口で提出。無事クリアーできたので、次からは郵送で済ましています。


ですが、郵送するには書類を入れるためのA4サイズの封筒が必要なのですが、あいにく持ち合わせがありません。散歩がてら数百メートル先のスーパーまで徒歩で買いに行く事にしました。こんなときにはカメラを携行して歩くことが多いのですが、今日は身軽に歩きたい心境でした。結局外歩きはそれ限りで、写真を撮る機会がありませんでしたので、ちょっと古い写真を掲載しておきます。


まずは、我が家の玄関先に咲き始めているボケの花。


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我が家の庭の日本水仙。昨年の暮れから咲き続けてくれています。


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河津桜、あちらこちらで咲いています。先日映画を観に行った倉敷への道すがらでも、沿道を彩っていましたし、孫の小学校の道沿いの並木も見頃になっています、今日は、強い風でしたが、まだ散り始めるには早いようです。


下の写真は、先日訪ねた岡山飛行場近くの阿部池畔に植えられた河津桜。中央の枝に止まっている鳥は?


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アオジです。


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今日はこれにて。


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冷たい雨の桃の節句、の巻 [今日の暦]

今日は雛祭り、桃の節句です。


これは梅ですね。


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これはなんでしょう。


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今日は一日雨でした。朝散歩も雨の中で、お見せできる写真が撮れません。


夕食は孫宅でカレーライスをごちそうになり、そのあと、昼間孫達がバアバとつくったシフォンケ-キをデザートにいただきました。


これも写真はありません。




下は昨日の朝散歩の写真です。


ビニールハウスが朝日を浴びています。


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うっすらと霜を帯びたホトケノザ。


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水玉光る麦の芽。


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ツグミ。


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コガモの群れも個体数が減りました。


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お母ちゃんが仕事なので、三歳児を預かりました。


深山公園へ行ってみましたが、フード付きの上着でも少し寒い感じ。


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カモの数が少なくなりました。


今日の付録。


先日訪ねた後楽園で、上空を舞っていた鳥。


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オオタカでしょうか?PENTAX DA55-300mmの望遠側で、ノートリミングでこのサイズに写りました。慌てると画面中央に収まりません(汗)


今日はこれにて。


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フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA