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雨のち晴れの春分の日、の巻 [折々散歩]

昨日は、「倉敷美しい森」を数百メートル散歩しただけでは物足りなくて、午後、近所の自然環境体験公園を歩いてみました。


白い辛夷が眩しいほど。


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カルガモが、悠然と散歩中でした。


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地に遊ぶカワラヒワ。


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「やはらかに柳青める」枝に、ツグミ。


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ツグミの鳴き声はどう聞こえますかね。こちらの のページを参照させていただきます。 鳥の聞きなし – BIGLOBE

ツグミ(鶫)
「きいきい」    

「きやあ きやあ きやあ きやあ」    

「キュキュ」    

「くあつ くあつ」    

「クイッ、ツィー」    

「ケェッス、ケェッス」 (驚いて飛び立つ時の鳴き声)    

「フィリー・ホーリー」 (菅野徹「ツグミの美声 50年に2回」(まちかど 四季散歩)
2007年4月7日、読売新聞、佐賀12版 くらし22面)
(※この新聞の写しは、松﨑悦郎氏よりいただいた。)
(新聞のエッセイ)ツグミは、北帰行の迫るころ、「フィリー・ホーリー」と朗々たる歌を聞かせてくれることがあり、その美しさは、日本で聞ける野鳥の中で一、二を争う。ただ、この半世紀あまり、耳をそばだてているが、はっきり聞いたのは2回だけ。北の国へ行って、ツグミの歌を、思い切り聞きたいというのが、私の見果てぬ夢の一つだ。(菅野徹)


私の耳には、「キョッ、キョッ」と聞こえます。


先日、テレビの料理番組を見ながら、中3の孫が、豚肉の旨味成分について「イノシシ酸?」と興味を示しました。豚の先祖にちなんで、含有成分の命名がなされたかと思ったらしいです。何のことはない画面のテロップに「イノシン酸」とあるのを、「ン」を「シ」と見間違えたらしいです。


その伝で行くと、「キョッ、キョッ」は「キョシ、キョシ」と読み間違わないとも限りません。高浜虚子(キョシ)の号は、本名清「キヨシ」にちなんだものだそうです。その虚子の『漱石氏と私』という文章に、漱石の愛読者という男が、虚子のもとに山鳥を贈ってよこしたという記述があります。


拝呈
私は大正三年の春先生に松山で御目にかかり、四年の十二月に夏目先生に紹介していただいたものでございます。先生の御蔭で夏目先生に御目にかかる事が出来て大変悦んで居りました処、夏目先生は死なれましてまた寂寞を感ずるようになりました。遠慮であったのと御邪魔してはならぬという考えから度々は参りませんでしたが、比較的に親しく御話を承り少しは串戯も申しましたが、死なれて急に何となく物足らないような心地になり、東京に居ってもつまらないような心になりました。それと同時に、今まで運命とかいうような事は全く考えた事もなかったのですが少しは運命という事を考えるようになりました。私が松山へ行ったのは数年前『坊ちゃん』を読んだ事がありましたため、その跡を尋ねに松山へ行きたいという心が自然にその年の春浮んで来たのです。同時に先生が御郷里の松山へ帰って御出でだとは思いもそめなかった事であります。それに夏目先生の下宿の跡を尋ねて廻って居った時先生に御目にかかるを得たのは如何に考えても不思議な運命だと思われます。それのみならず紹介していただいて一ヶ年の後夏目先生が死なれたという事がまた奇しく思われます。昨年十二月九日に死なれるのが天命であったとすれば、御生前に御目にかゝるために松山へ行きたいという心が三年の春に浮んだのであるかも知れぬと思います。考えれば如何にも妙です。どんな力が働いてこんな事が出来るのかちょっとも知れませぬ。しかし何はともあれ先生に紹介していただいた事は常に深く感謝しております。この冬休暇に帰って猟をして居るうち今日山鳥が一羽とれましたから御礼の印に御送り致します。ツグミではないから安心して食って下さいませ。
一月十日
義雄
高浜先生

私から言っても丁度松山に帰っていて、然も以前漱石氏の寓居であった所に行っていた時に、渡辺君が漱石氏の寓居の跡を訪ねて来たということは奇縁といわねばならぬ。山鳥は早速調理して食った。旨かった。ツグミ云々とあるのは漱石氏が胃潰癰を再発して死を早めたのはツグミの焼鳥を食ったためだとかいう話があったのによるのであろう。


漱石が胃潰瘍を再発したのは、金沢在住の英文学者で俳人の大谷繞石(正信)から贈られたツグミの粕漬けを食べたためだと言われます。




春分の日の今朝、寝覚めのひととき、しとしと降る雨の音を聴くともなく聞いていました。


「雨しめやかに降り注ぐ」というフレーズがどこからか湧いてきました 。


そうでした、そうでした、昔高校生の頃作った詩のフレーズでした。


春 其の一


木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、この項の趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今回は、高3の時に、「春」という同一の表題で何編か作ったソネット(14行詩)形式の詩のうちの一つだ。便宜上、其の一と名付けておきたい。


春 其の一 木下透

茶色い風が吹いてはいない
かわいたチリが舞ってはいない
古新聞紙が飛んではいない
静かな静かな春の訪れ
雨 しめやかに降りそそぐ
柳の新芽 青い水玉
枯芝の焼け焦げから 濡れた緑が一,二寸
しっとりぬれた砂の間に 私はそっと素足を潜らす

私は何も失くしてしまった
古こうもり傘を伝う雨つぶ
静かな静かな春の訪れ
私はやはりひとりなのだ
いやしかし・・・重いけだるさ
静かな静かな春の訪れ


それから、こんな文章の一節にも思い当たります。


せるふ・こむぷれいせんす(その2) 「プロローグ」


プロローグ

絹糸のように細い冷たい雨が、音もなく、しめやかに降り続いている。遠くの山々は、白く柔らかくけぶっている。先頃まであれほど鋭利にとがっていた空間が、心なしか潤ったような、頭蓋の先端までキンキンと痛めつけた空気が少しく優しく感じられ始めたような、煤煙と塵埃で真黒くすすけていた光線が、健康な生命を取りもどしたような、―――そんな季節だ。
重く垂れ込めた雲の間を、数羽の白い鳩の群れが、大理石の重みと気品をもって飛び去った。重苦しいゆううつの中で、それは、ささやかな羽音とひとしきりの緊張をもたらし、そして去った。あとには哀しい空白だけが(やはりそれは必然的に)取り残された。


そんな感傷を誘うような、今朝の雨音でした。


雨の日仕様で、防塵防滴カメラPENTAX K10D+smc PENTAX-DA L 50-200mm F4-5.6 ED WR を持って朝散歩に出かけてみました。


スノーフレーク。


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ハクモクレン。


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菜の花。


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スイセンいろいろ。


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コブシいろいろ。


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ハナニラ。


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この雨も午前中には上がり、気温も急上昇。23℃にまでなりました。そして、今夜はまた冷えるのですと。


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