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カエル三題、の巻 [雑話]

三題噺を一席。


1)変える


前回記事を書いた後、ネット上でこんな秀逸な四コマ漫画をみつけました。


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作者のぼうごなつこさんについては、この記事でも紹介させていただいたことがあります。


猛暑日の涙、の巻


最後にこんなマンガを紹介させていただきます。

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まんがイラスト ぼうごなつこのページからお借りしました。


ところで、丸山穂高議員のトンデモ発言の潜在的底流についてリテラ5月14日・15日付記事がこんな指摘をしています。同感です。


「戦争」発言の丸山穂高だけじゃない、維新はネトウヨの巣窟(5/14)


もちろん、これは丸山議員個人だけの問題ではないだろう。周知の通り、維新の会は自民党と比肩するネトウヨ議員の巣窟と言っていい。

その代表格が“暴言王”などと呼ばれて悦に入っている足立康史衆院議員だ。周知のように「アホ」「バカ」「死ね」が口癖で品性下劣そのもの。(中略)

地元・大阪ではもっと露骨だ。2017年の衆議院選挙には、橋下徹氏の大阪市長時代の元秘書である奥下剛光氏が維新から立候補したが、その直前、ヘイト団体・在特会の元関西支部長である増木重夫氏が事務局長をつとめる団体が奥下氏を応援する講演会を開催しようとしていたことが発覚した。講演自体は取材の動きを知った奥下氏がキャンセルしたが、会には辻淳子・大阪市議ら維新の地方議員が参加していた。

大阪では、こうしたかたちで維新とネトウヨ・ヘイト勢力の融合が進んでいるのだが、それ以前に政治家としての資質が問われる言動をする府議、市議が多数いる。維新所属または当時所属していた議員の不祥事をいくつか挙げてみるとこんな感じだ。

経営していた整骨院で療養費をだまし取り詐欺罪で実刑判決をくらう市議、忘年会帰りに泥酔してタクシー内で暴れる府議、女子中学生らを集会に勝手に誘ってLINEで無視されると「ただで済まさない」「身元を特定している」などと恫喝する府議、宴席で女性市議の胸を触る写真が報じられ「触診です」と苦しい言い訳の市議、その女性市議の足の匂いを嗅ぐ市議、飲酒運転でひき逃げする市議(有罪)……。

というか、そもそも松井一郎代表じたいが、今年4月の大阪W選挙でネトウヨサイトのデマをリツイートして拡散するような政治家だ。「透析患者は殺せ」の長谷川豊氏を2017年総選挙に続き今年の参院選と国政選挙に擁立しているという“実績”も忘れてはならない。

 


安倍首相の思想は“戦争しないと”丸山穂高と変わらない! 過去に「日本人も血を流せ」「尖閣は外交でなく物理的な力で」発言(5/15)


維新・丸山穂高議員による「戦争しないとどうしようもなくないですか」発言。維新は火消しに躍起で丸山議員を除名処分にしたが、しかし、今回の問題、跳ね上がり議員が酒の勢いで口を滑らせた、ということで終わらせてはいけない。

なぜなら、あの発言の根っこにあるネトウヨ丸出しの浅薄な“戦争扇動”思想は丸山議員にかぎったものではないからだ。歴史修正によって過去の侵略戦争を美化し、国民が国を守るために命をかけることを迫り、日本人が血を流す未来の戦争を煽る──。こうした姿勢の議員は政権与党である自民党にこそ、やまほどいる。

そして、この頂点にいるのがほかでもない、総理大臣である安倍晋三だ。


また、ちょっと古いこの記事もついでに引用させていただきます。


石原慎太郎が「野望は中国との戦争」(2014/08)


日本維新の会解党にともなって、「次世代の党」をたちあげ、最高顧問の椅子に座った石原慎太郎。22人という予想以上の数の議員を集めたこの石原新党は同じく自主憲法制定をめざす安倍政権とも急接近しており、将来的には公明党にかわって与党の一角を占める可能性も出てきた。

ところが、そんな政局のキーマンともいえる石原慎太郎がここにきて、とてつもなく危険な発言をしたことをご存知だろうか。

石原は先日、発売された「週刊現代」(8月9日号)で、今の野望は何か、と聞かれてこう答えたのだ。

「支那(中国)と戦争して勝つこと」


とどめは、これでしょうか。


ミタパンも批判…自民党の「失言防止マニュアル」が酷い!


大きな批判が巻き起こっている日本維新の会所属だった丸山穂高議員による「戦争しないとどうしようもなくないですか」という言語道断の暴言。だが、これが他人事ではないのは、“暴言の宝庫”である安倍自民党だろう。実際、4月には「総理とか副総理が言えないので、私が忖度した」と発言した塚田一郎・国土交通副大臣や「復興以上に大事なのは議員」と述べた桜田義孝五輪相(いずれも当時)が相次いで辞任しているからだ。

しかし、そんななかで安倍自民党の“無反省体質”を如実に象徴するような問題が浮上した。

それは、自民党が参院選を控えて“失言防止マニュアル”を作成、党内に配布していたことがわかったからだ。

(中略 )

この“失言防止マニュアル”に対しては疑義の声が殺到。御用メディアであるフジテレビの『FNN Live News α』ですら、メインキャスターを務める三田友梨佳アナウンサーが、このように苦言を呈した。

「必要なのはマニュアルではなく判断力なのではないでしょうか。言って良いことと悪いことの判断は、誰かに言われてではなく、自ら責任を持っていただきたいです。マニュアルが必要になる時点で、国会議員の資質とは一体何なのか、考えてしまいます」

このミタパンの的を射た指摘は、Twitterで〈正論を言うミタパン〉というコメントつきで拡散され、17日21時現在、約2万7000リツイート、「いいね」は約11万もついている。

こんな対策では、自民党議員の暴言癖がなくなることはまずもってないだろう。問題なのは、為政者が差別的な暴言を吐き、それを謝罪もせずに済ませたとき、その暴言は暴言ではないと社会にお墨付きを与えてしまうことだ。そして、「暴言の宝庫」たる安倍自民党がそうした問題にまったく無反省であることが、これではっきりとした。差別の再生産、社会への偏見の蔓延も食い止めるには、この思い上がった政党を与党から引きずり下ろすほかないのである。

(編集部)


そろそろ変える時でしょう。




2)帰る


話は変わって、昨日の朝日新聞岡山版短歌欄に、こんな歌が掲載されていました。


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「イチローと同じ名を持つわが叔父は南の島の海底に眠る」


作者の叔父様は、1944年、フィリピン沖で乗っていた輸送船が爆撃を受けて船と共に沈み、帰らぬ人となられました。22歳くらいだった由。痛ましいことです。


そう言えば、妻の叔父は、十代の若さで志願して戦地に赴き、搭乗機が撃墜されて亡くなりました。その話題は、以前この記事に書きました。


もう一つの「今日は何の日」


ちなみに、軍用飛行機や艦船、戦車などのプラモデル製作にあこがれながら、気ままに購入できもしない子ども時代、カタログを丹念に眺めて心を躍らせたものでしたが、一番のお気に入りは、そのフォルムの際だつ三式戦闘機「飛燕」でした。独特のフォルムは、空冷エンジンを積載していたためだそうで、爆音も独特のものだったそうですね。
さらにちなみに、たまたまのきっかけで「一式陸攻」のプラモデルを作ってから、この無骨な攻撃機に親愛感と愛着を覚えておりました。ところで、妻の、亡くなった父親は、海軍で戦艦などに乗った軍人でしたが、死線をくぐって生きて復員し、90歳を越える天寿を全うしました。穏やかで、慈愛に富む人柄でしたが、天皇への崇敬と、「大東亜戦争」の「正当性」へのこだわりは、終生、曲げることがありませんでした。また、その弟(妻にとっては叔父)は、少年兵として志願していくさに赴き、10代の若さで戦死されたと聞いていました。仏壇の上の額には、戦闘服・戦闘帽を着けた凛々しい少年の遺影が飾ってあります。その戦死の模様はつまびらかでなく、遺骨も帰ってきていません。
義兄(妻の兄)が、厚生労働省などを通じて調べたところによると、戦死時に搭乗していたのは、この一式陸攻だったそうです。いのちを共にしたその愛機は、あるいは、この水島工場で生産された機体だったかも知れません。


かりそめにも「戦争」を口にするならば、このようにあたら若い命を戦場に散らし、ふたたび帰ることのなかった無数の人たちのことを、思いみることがなくてはなりますまい。ブログを始めたばかりの頃(2013年)こんな記事を書きました。


すすり泣くごとく木枯らし吹きすさぶ


海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

スケールの大きい、そして何か寂寥感のただよう句として、高校生の頃から耳に残っていました。力の限り吹きすさんだ木枯らしが、荒れ果てた海の上を、目当てを失って右往左往しながら、途方に暮れて、なおむなしく暴れまわっている様が、印象的です。なによりも、木枯らしを擬人化するという発想に、意表を突かれました。

最近、この句にもう一つの含意があることを知りました。
呑亀さん(http://profile.ameba.jp/msato0596/)が、国会図書館のマイクロフィルムの中から発掘された資料によると、昭和三十二年発行の雑誌『財界』五月号で、作者はこう述べているそうです。
http://ameblo.jp/msato0596/entry-11410983063.html

「十一月十九日
海に出て木枯帰るところなし
この句は、後に世評に上った句であるが、昭和十九年の作である。この句を作った同じ日に、
ことごとく木枯去って陸になし
といふ句がある。陸上を吹いて走ってゐた木枯はすべて海上に出尽し、陸上は静まりかへってゐるといふのである。
「海に出て」の句は、この句を経て、更に木枯を主体化したものである。吾が身が木枯になって海に出たきり、最早陸地へ帰ることはないといふのである。この句を作ったとき私は特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いてゐた。この句はあの無残な戦法の犠牲者を悼む句でもあった。」

木枯らしの、叫びを上げて荒れ狂い、静まってはまた、時折自制心を失ったかのように荒れ狂うさまに、「神風」と祭り上げられて特攻にかり出された若者たちの、痛ましい姿が二重写しになっていたのです。
同じ作者のこんな句もよく知られています。 
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ 山口誓子
「学問のさびしさ」は与謝野晶子が、まだ鳳晶子であった頃、与謝野鉄幹(寛)を思って詠んだこの歌と通うところがあるでしょう。
やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君 与謝野晶子
こんな真摯な克己心と自己研鑽を重ねながら、学問を修め、身を修めて、立派に成長した若者が、その学問と人生を花開かせることなく、むなしく戦場の露として、海に、大陸に、南方諸島に消えていったのです。
戦没学徒の遺稿を集めた「きけわだつみのこえ」の冒頭にはこの言葉が書き留められ、現在を生きる者たちに、静かに呼びかけています。

「嘆(なげ)けるか 怒(いか)れるか
はた黙(もだ)せるか
聞け はてしなきわだつみのこえ

(中略)

ところで、 やたら「美しい日本」「強い日本」を強調する安倍サンが首相になって、またぞろ、威勢のいい方々の声がかまびすしく聞こえるようになってきたようです。TVやマスコミ上にも、近代日本の侵略の歴史を認めない、日本国憲法化の民主的諸制度や人権尊重の思潮に不満、アジア諸国民への蔑視と排外主義、社会的弱者への蔑視という傾向を持った言説が、目立ちます。
ネット界でも、「ネトウヨ」と呼ばれる得体の知れない種族が、近年増殖しているそうですね。
体系的な思想潮流や勢力ではないので、ますますとらえどころがなく、おつきあいの仕方も定まらないので、お近づきにならないのが賢明とは思うのですが、社会的存在としては無視できない勢いのようで、困ったものです。特に、その攻撃のターゲットとされた方々の心情を思うと、面と向かって反論することも適わず、いわれのない侮蔑にさらされ続けることの心労はいかばかりかと、暗い気持ちになります。

(中略)

それにしても、こういう風潮を背景にして、またこういう風潮をあおりながら、安倍さんがすすもうとしているのが、「いつか来た道」でなければと、切に願います。

(中略)

(百八十五回国会での所信表明演説で)「憲法改正」だけは妙にぎらぎらとして具体的で、本気でやるつもりのように聞こえますね。
どうか、安倍さん。「国民的な議論」の際に、どうか、 「嘆(なげ)けるか 怒(いか)れるか はた黙(もだ)せるか」わからない、かすかな「わだつみのこえ」や、「木枯らしのこえ」に、真摯に耳を傾けて欲しいものです。




3)蛙


昨日から一泊で、四国へ出かけてきました。泊めていただいたのは、大学時代の先輩のGご夫妻のお宅。数年おきにやっている、大学時代のサークル仲間の同窓会を、この秋に開催するための打ち合わせ会に、先輩後輩含めて10人ほどが集まった次第。おおかたは当ブログの常連の面々で、「イチローと同じ名を持つ」イチローさんご夫妻も、おいででした。


大事な会議は、1時間ほどで終わり、後は久闊を叙し歓談です。銘酒や名産、地元の菓子などを持ち寄り、大いに飲み、大いに語りました。気がつくと、日付が変わっていました。みなさん、元気なものです。今朝見ると、一升瓶が3本、きれいに空になっておりました。ほかに、ビールも、梅酒やワインもありました。美味しいお酒でした。写真に収めておけばよかったと後悔。


昼過ぎに帰ってきましたら、GWに孫たちが捕まえてきて、我が家の小さな水槽で飼っているオタマジャクシが、蛙になりかけているそうです。


おたま


割れ鍋に綴じ蓋、の巻


まだシッポは残っていますが、足はちゃんと生えて、時々小高い石の上によじのぼり水上に上がっているのに気づいたのは、4歳の保育園児だそうです。


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2匹並んでいるように見えるのは、ガラスが鏡になっているのです。


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もうすぐ地上に上がるタイミングのようですし、成体になると餌の確保も難しいので、明日にでも逃がしに行こうと話がまとまっているようです。


小六の孫は、保健室登校の時期、折り紙をして時間を費やすことが多かったようです。凝った作品を作って、持って帰るので、我が家の玄関先やピアノの上などに飾っていますが、それ以外に段ボール箱一杯溜まっています。きちんと写真に残しておくように妻に言われていますが、まだ着手できていません。


今日、試しに蛙の折り紙を写してみました。


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上に小さな子蛙?が乗ります


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明るいところで写してみます。


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こんな模様の紙でも追ってます。


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今日はこれにて。


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写真素材 PIXTA