暖冬と言うても寒かろ濡目白 [折々散歩]
最近、雨の日が多く、なかなか、散歩に出かける気になれませんが、先日は、傘を差して自然環境体験公園を歩いてみました。防塵防滴仕様の、pentaxk30+DAl50-200mmF4-5.6ED WRと、fuji finPIX s1を持って出ました。
それにしても、寒中というのに、どちらかというと暖かい雨です。
マユミの実に滴る水玉。
梅のつぼみです。
水鳥たちも雨の中です。
オオバン。
カルガモ。
メジロの群れが、枝から枝へと活発に動き回っていますが、暖冬と言ってもずぶ濡れでは冷たいのではないでしょうかね?
今朝は、晴れてよい天気になりそうでしたので、深山公園へ出かけてみました。ですが、この冬では一番と思える冷たさです。歩いて少々汗をかいた頃、雪花が舞うのをみました。なるほど、ローカルニュースで「岡山市で初雪を観測」と報じていました。 強い冷え込みの中で、梅の花が咲き始めていました。
こんな季節、何かの折にふと、「あなた変わりはないですか日ごと寒さがつのります♪♪」と、都はるみの「北の宿から」の歌詞が脳裏に浮かびます。昭和50年(1975年)の作品と言います。20歳代のあれこれの記憶が蘇ります。
ところで、今、この歌詞を思い出したきっかけは、あの「つのる」騒動。「東京新聞」から一部引用します
問題の答弁は二十八日の衆院予算委で飛び出した。宮本徹議員(共産党)が、安倍政権下で桜を見る会の参加者数が急増した理由を追及。首相の地元事務所が友人や知人は申込書をコピーして使うよう呼び掛けていたと指摘し、「幅広く募っている、募集していることをいつから知っていたのか」と質問した。
安倍首相が「私は幅広く募っているという認識でした。募集しているという認識ではなかった」と答えると、議場は失笑に包まれた。宮本氏は苦笑しながら「日本語を四十八年使っているが、募るというのは募集するというのと同じ。募集の募は募るっていう字なんですよ」と続けた。
このやりとりが報じられると、ツイッターには「#募ってはいるが募集はしていない」というハッシュタグが出現。「答えてはいるが、答弁はしてない」「マズい部分隠したが、改ざんではない」といった投稿が相次いでいる。
◆意味は同じ 永田町用語なのか?
言葉自体の意味はどうなのか。広辞苑で「募る」をひいてみると、「ますます激しくなる」などと並び、「広く求め集める。募集する」とあった。「募集」をみると、こちらは「つのり、あつめること」としか書かれていない。
椙山女学園大の加藤主税名誉教授(言語学)は「募るも募集も意味は同じ」と説明。そのうえで「あえて直感的に言うと、募集する方が堅く、書類提出や意思表明などが必要な印象があり、募るは自由に参加できる感じ。その意味では、桜を見る会の実態は『募る』で合っているのでは」と解説する。
首相はいつもどちらで答弁しているのか。現在公開されている国会会議録を見る限り、桜を見る会の関連では「募る」を使うことが多いようだ。もしかして永田町用語として使い分けがあるのかと、政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏に聞くと、「そんなことはありません」と断言された。
「そもそもこの問題はいろいろなことがいいかげん。理屈になっていないことを理屈で言い逃れしようとして無理が生じ、こういうことになる」
◆迷言頻発しても開き直り
首相は過去の国会でも、自身を行政府の長と言うべきところを「立法府の長」と言って会議録の修正を招いたり、「云々」を「でんでん」と読み間違えたりしてきた。報道陣から「今年の漢字」を一字で表すように問われ、「責任」と字余りで答えたこともある。
(後略)
募りに募って、ますます激しくなっているのは、安倍さんの「私物化」欲ですかな?言語まで私物化するとはさすがです。「今に、募るという語は、募集する意味ではないとの閣議決定をするのだろう」と喝破した人がありましたが、ありそうでコワイ。
今日はこれにて。
昨日の付録。の巻 [折々散歩]
一昨日・昨日とミコアイサの写真をいろいろ紹介しました。
今日は、その付録です。
FUJI FINEPIX S1も一緒に持っていましたので、念のために写しておきました。
ノートリミングでこの程度の望遠撮影になります。
デジタルズームをつかうとさらに大きく写せます。ただし、画像の精細度はかなり落ちますが、、、、。
コガモもいました。
今日はここまで。
ちょっとあかるい気持ちになりました、の巻 [日録]
今日は午前中、教育研究の会がありました。
開会挨拶で、職場の多忙に触れたHさんは、同僚間でも「お忙しいところすみませんが」と声をかけてから用件を告げるとか、放課後質問に応じた帰り際、生徒が「お手間を取らせて申し訳ありません」と慮ってくれたとか、リアルな実情を紹介してくださいました。
目当ては、「学校の日常を『見える化』する-教育活動の持続可能性をもとめて-」と題した内田良氏(名古屋大学准教授)の講演。
要約するには内容の濃い、刺激的な提起に溢れていました。右からの「教師は聖職」という無償労働のおしつけ論にはくみせずとも、「生徒のために、みずから進んで献身的に尽くす」ことは、教育労働の醍醐味であり、教育という営みの本質的特性ととらえるい思いが、多かれ少なかれ私(達)の中にはありました。「加熱するのは魅力があるから」「子どものため。自分は楽しい。好きでやっている」を問い直し、リスクを除去するマネージメントが必要。「教育は無限、教員は有限」だから、全部意義があるから捨てられない状況を転換し、優先順位をつけるべし。深くうなずかされました。
元気をもらった二つのエピソード
その1)教師の働きかた改革、予想以上に応援団が多いという例。
概要を「netgeek」から引用します。
news zeroで紹介された教師の労働改革について、タレントの若槻千夏(35)がその内容に真っ向から噛みついた。ネット上で批判の声があがっている。自身は2児の母でもある。
出典:https://www.instagram.com/p/Bv1SsduDZmM/
番組では愛知県の小学校教師が出演し、教員不足に悩む学校が労働改革に取り組んでいるという話を紹介した。具体的には「6時以降は学校の電話に出ない」「留守番電話をつける」「時間外に何かあっても親の役目、万引きなら警察の役目」と対応方針を改め、「勤務時間を超えて教員がやることは今後なくなっていく」と総括した。
以前から劣悪だと指摘されることの多かった学校の先生の労働環境が改善されるのは良いことに思えた。しかし、ここで若槻千夏が母親の視点から反対し始める。
若槻千夏の発言まとめ
・えーなんか寂しいですけどね
・子供が帰ってこないときに探して見つからないときに親は学校に電話する
・だってごくせん見て育ったんでしょ?
・ちょっと皆さん!金八先生見たでしょ?
・そんなビジネス化しちゃ駄目ですよ
この意見に対し教師は「金八先生のやり方を続けてきたから学校の先生になる人がいなくなった」と返答。労働環境を改革する必要があるという主張は一貫しており、スタジオも若槻千夏を除いて納得する。
「良い案だと思います」という言葉が飛び交う中で、若槻千夏は「そこが全てじゃないですよ!もっと減らせばいいところがあるじゃないですか?私はそこじゃないと思う!」と強く言い続けた。
出典:https://www.instagram.com/p/BwzPv3fFOJF/
放送終了後、ネット上では「若槻千夏の言い分はおかしい」と非難轟々の嵐に…。ネット上の声をざっとまとめると以下の通り。
・先生に限らず、サービス残業をしろと要求するのはおかしい
・過剰な要求をする一部の保護者がいることが問題
・何でも先生の責任にすべきではない
・ごくせんと金八先生はドラマという作り話の世界だ
・モンスターペアレントかと思う
・保護者だけど若槻千夏は間違っていると思う
教師というのは趣味でやっているわけではなく、あくまで仕事。しっかり時間で線引きすることはさほど悪いことではないと思うのだが…。
一昔前なら、時間外に対応しない学校・教師にこそバッシングが浴び競られたかも知れません。今、全く逆の現象が起こっているのは、それだけ教師の労働環境の酷さが、周知のものとなっているのでしょう。
その2)文部科学省が、授業時間の削減、学力テスト・教員免許更新制度の廃止を検討してるんだそうです。
内田先生のご発言、お仕事について、参考までに、こんなページをご紹介しておきます。
内田良の記事一覧 - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/
https://uchidaryo.jimdofree.com/yahoo-%E8%A8%98%E4%BA%8B/
話変わって、昨日の記事で、満足度が100%とは言えない旨、記しました。それは、レンジャクに会いそびれたからではありません。否、もちろんそれもありますが,もしレンジャクに会えていたら、満足度の上限は100を超えてしまったでしょう。ミコアイサに会えただけで、十分満足なのです。
が、唯一悔やむらくは、せっかく用意した、重いSIGMA DG 120-400 4.5-5.6 APO HSの画像が、本体とレンズの両方の手振れ補正をオンにしてしまっていたせいか、イマイチ精細度に欠けた点でした。AFborg 60edの画像をトリミングすればこれまででトップレベルのミコアイサが撮れたので、十分満足できたはずなのですが、自分のケアレスミスで、SIGMA DG 120-400 4.5-5.6 APO HSMでの撮影をしくじってしまったことが、心残りだったのです。
そこで、昨日は、帰り道にもう一度、件の池に立ち寄ってリベンジをはかったのでした。
400mmの望遠端でも、小さな点にしか見えません。
適当にトリミングします。
レンズ側の手ぶれ補正のみをon。ブレはないようです。
カワウとミコアイサ。
ホシハジロとミコアイサ。
ダンスするミコアイサ。
優美な白い鳥たち(ダイサギとミコアイサ)
ついでに、AFBORG 60EDでも写しておきました。これはカメラ側の手ぶれ補正をon。
トリミング画像です。
滑水するミコアイサ♂
滑水するミコアイサ♂(後)と♀(前)
滑空するミコアイサ♂(後)と♀(前)
満足です。
今日はこれにて。
嬉しい出逢い、の巻 [折々散歩]
昨年12月、こんな記事を書きました。
故郷、の巻
郷里の実家の隣家のご当主が、ここ何年かの入院生活の後に亡くなられ、15日が葬儀との由、木曜日に聞きました。
13日(金)は、午後、会議の予定でしたので、それを済ませ、14日(土)郷里に前泊することにしました。季節柄、当日の朝、濃霧に遭ったりすると、葬儀に間に合わなくなってはと、心配でしたから。
葬儀当日の15日、父の「代理」で、組内として受付等のお手伝いに行ってきました。(以下略)
月日の経つのは早いもの、「五十日祭」(神式なので)が、今日行われました。またまた父の代理で参列したのですが、一昨日の朝が酷い霧でしたので、昨日から実家に一泊して、徒歩数歩のお宅まで出かけてきました。
今は家を離れている令息・令嬢が、それぞれご夫婦とお子様達で、立派に儀式を取り仕切っておられました。私よりもずいぶん若いご兄妹ですが、子どもの頃の遊び友だちです。
ご親戚の方々も、おおかたは、子どもの頃の顔見知りです。最も年齢の近いS男さんは、わずかに年上で、幼児の頃、遊んでもらったことがあります(淡い記憶ですが)。この方とは、奇しき縁で、今から15年ほど前、ある労働組合の代表として全県の労働団体の役員をされていたちょうど同じ時期に、私も高校関係の教職員組合を選出基盤に同じような立場にありました。月に一度ほどでしたか、会議で同席することがあって、何かむずむずする面はゆさとうれしさを感じたものでした。
そんな間柄であるのに、葬儀の日には、それらしいお姿であるけれども確信が持てず、声をかけそびれたままわかれたのでしたが、今日は、お互いにはっきり認識できて、淡く曖昧に途切れて不確かな脳内回路が、わずかにつながった感覚を覚え、嬉しく感じました。他にも、感慨深いできごとが多々あったのですが、今回記事では割愛させていただきます。
今日の記事のメインは、ミコアイサです(???)。
心ははやれど.の巻
の記事でこう書きました。
M師から、レンジャクの飛来場所を教えていただきました。
近くに、ミコアイサも見られる由。
その「飛来場所」というのが、郷里への道中の中間点に位置するので、立ち寄ってみることにしました。
教えられた場所をどうにか尋ね当てたのですが、キンクロハジロや
何かの猛禽類や、
ツグミや、
オオバン
カルガモや、
ミサゴの姿は確認できたのですが「
レンジャクは見つけられません。
万事休して、携帯電話でⅯ師に問い合わせると、、、最近姿を見かけなくなったとの由。残念無念。
いったん切れた電話でしたが、M師がもう一度掛けてくださり、ミコアイサのいる池へ案内しようかとの、有り難い仰せ。いやも応もなく、お願いしました。
その池は、あたかも野鳥の楽園の体。こんなにたくさんの個体数は、はじめて見ます。
pentaxk-r+SIGMA DG 120-400 4.5-5.6 APO HSMで写すと、、、
そしてpentax K5Ⅱ+AFBORG60EDで。
M師の「最も長い望遠レンズで」のアドバイスで、PENTAXK5Ⅱ+SIGMA DG 120-400 4.5-5.6 APO HSMの400mm望遠端で写したのがこれ。
ホシハジロの群れも大勢。
あとで気づきました。 SIGMA DG 120-400 4.5-5.6 APO HSMの手ぶれ補正をONにしているのに、本体ONにしてしまっていたことが、かえって描写を不鮮明にしてしたかも知れません。トリミングしてみると、こんな具合。
望遠倍率の低いAFBORG60EDの画像をトリミングすると、もっと鮮明です。
前が♂、後ろが♀だそうです。
満足度は100%とは言い切れませんが、嬉しい出逢いでした。
今日はこれにて。
雨のロウバイ、の巻 [折々散歩]
大寒を過ぎて、冷えこみの気配を感じたかと思う間もなく、春先のような温暖さに包まれています。
昨日は雨の朝、今朝は深い霧でした。
昨日の朝は雨の散歩ですが、手袋もマフラーもなしで、平気でした。
ロウバイが、変わらず匂っています。
雨に洗われるスイセン。
ハルジオン?
それともヒメジョオン?
わが庭のナンテンが、露を宿しておりました。
今週も何かと外に出る用事が多くて、カメラを手にする機会がめったにありません。
今日はこれにて。
心ははやれど.の巻 [折々散歩]
M師から、レンジャクの飛来場所を教えていただきました。
近くに、ミコアイサも見られる由。
訪ねてみたいのはやまやまながら、なかなかまとまった時間がとれません。
18日(土)には年金者組合地元支部の新年会。その前後も、準備やら何やらで手が取られます。時間の隙間を見て、手近なところで探鳥よくを紛らわせます。
自然環境体験公園のジョウビタキ。
今日は朝から時間がありそうな気がして、M師おすすめの場所に足を向けてみるつもり満々でしたが、ふとカレンダーを確かめると,予定が入っていました。昼休み時間に、アメリカのイラン先制攻撃に反対する緊急集会・デモがあったのです。
どうせ有料駐車場に駐めるなら、後楽園駐車場に駐めて少し歩くことにしました。
岡山城を近くに見ながら歩きます。
いろいろな小鳥が姿を見せてくれました。
エナガ。
メジロ。
シジュウカラ。
デモもあわせて、歩数一万歩を超えました。
後楽園の中に入る余裕はなく、今日の散歩は終了です。
今日はこれにて。
続初撮りあれこれと、これなあにあれこれ、の巻 [今日の「これなあに」?]
今日のこれなあに?その2
トリミングします。
このあと、児島湖畔で見かけたこの鳥と同じでしょうか?
トリミングしました。
これは、キンクロハジロですよね。
同じく児島湖でみかけたこれなあに?
ヨシガモでしょうか?
児島湖は、よく晴れていました。
常山が水に映って、「逆さ児島富士」です。
墓地の片隅に、チロの墓があります。
以前この記事に書きました。↓
2007年の正月に、18歳で長寿を全うしたチロは、これも捨て犬上がりでしたが、長く家族の一員として私たちを悦ばせてくれ、いまは、故郷の先祖の墓地に眠っています。たくさんの想い出がありますが、ごくごく私的な思い入れとなりますので、語ることはしません。
若かりし日のチロの写真をご覧下さい。隣にいるのは、小学生の頃の次男です。今や、2歳の女児の父です。
安酒をちびりちびりやりながら書いておりますと、話がもつれにもつれて、どこに転げて行くやら分かりません。 産前休暇に入った娘が、旦那さんの帰りが遅いので今晩は夕食を共にしたいと言いますので、待っています。待ちながら、安酒をちびりちびりするうちに、だいぶ出来上がってしまいました。
自分が生まれるよりも前に逝った飼犬の墓に、手を合わせてくれている孫たちです。
今日はここまで。
初撮りあれこれと、これなあにあれこれ、の巻 [今日の「これなあに」?]
初シロハラ(深山公園にて)
同じ日、深山公園で見かけたこれなあに?(その1)
初ウグイス?でしょうか?
翌日、自然環境体験公園で遭った、初ミヤマホオジロ。
初カワラヒワ。
初カルガモ、、、とはいえ、この池でいつも見かけていますが。
初カイツブリ(いつも見てますが)
初ジョウビタキ、の巻 [折々散歩]
先日の深山公園散歩で、ジョウビタキに遭いました.今年になってから、わが家の前でも散歩道でも、何度も目にしているのですが、カメラを持ち合わせていなかったので、今回が、初撮りのジョウビタキです。
♀です。ややトリミングします。
♂。ずいぶん近くまでやってきて、ポーズを取ってくれました。
今朝の散歩道で、ロウバイを写しました。だいぶ前から咲いているのは気づいていたのですが、写したのは今年初。周りがまだ暗い日の出前の時刻、むせるほど濃密な甘いよい香りが漂っています。
ストロボ使用。
少し明るくなったので、ストロボなしで写しました。自然ないろはこんな感じでしょうか。
スイセンも花盛り。
枇杷の花にもほのかな香りがあります。
今日はこれにて。
初エナガ、の巻 [折々散歩]
昨日の深山公園で、最初に遭ったのはエナガでした.今年の初エナガです。
遠い木の枝先を、素早く動き回るで、なかなか捉えられません。しかも、PENTAXK5Ⅱ+SIGMA120-400のこの組み合わせは、苦手な被写体があるらしく、ピント合わせがもたつきます。しかも、枝かぶりばかりで、チャーミングポイントのつぶらなお目々がなかなか見えませんが、、証拠写真だけ掲載させていただきます。
すべてトリミング画像です。
今日は、自然環境体験公園と、近くの児島湖畔を歩いてみました。すると、ここでも、エナガが数羽、群れであらわれました。
トリミング画像です。
今日はこれにて。
初コゲラ、の巻 [折々散歩]
午後は会議の予定です。こんな日の午前は時間に貪欲になって、かかりつけ医でいつもの薬をいただいて、その足で深山公園を散歩。起伏のある散歩道を一時間余り歩くと、汗が出て、いったん家に帰ってシャツの着替えが必要でした。歩数は一万歩を超えました。
PENTAXK5Ⅱに、重いSIGMA APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSMを久々に使用。ピントあわせに手間取ります。
今年初のコゲラです。
次はトリミング画像。
今日はここまで。
今日は9の日、の巻 [時事]
昨日の記事で、アベさんは中東歴訪を中止したのに、自衛隊中東派遣は予定どおりに強行するというサカサマに疑問を呈しておきました。同じことを考えた人は少なくないらしく、「リテラ」にこんな記事がありました。
そんななか、日本政府は安倍首相の中東訪問の延期を決定した。アメリカがソレイマニ司令官を殺害した当日も翌日も、映画鑑賞にゴルフと緊迫感ゼロで休暇を楽しみ、ゴルフ場で記者団に中東情勢について問われても、アメリカ・イランに自制を呼びかけることもせず、「今月、諸般の情勢が許せば中東を訪問する準備を進めたいと思っている」と逃げた安倍首相。6日の年頭会見でも「これからも日本ならではの外交を粘り強く展開する」と宣言。昨日7日の自民党役員会では、サウジアラビアとUAE(アラブ首長国連邦)、オマーンの3カ国を11日から訪問する予定であることをあきらかにしたばかりだった。ところが、今日になって安倍首相は緊迫した情勢に怖気づいたらしく、いきなり予定を覆したのである。もっとも、この訪問中止、大半の社が報道したものの、書き方はいずれも「政府が明らかにした」「政府が方針を固めた」という非公式なかたちで、安倍首相からも菅官房長官からも正式発表はないままだ。一体どういうことなのか。
「きょうは午前11時前から国家安全保障会議(NSC)4大臣会合が開かれたが、安倍首相はその前に官邸で今井(尚哉)首相補佐官や外務省幹部らと面談している。訪問中止はその席で決まったらしい。ただし、いきなり正式に発表すると『中東外交を展開すると大見得を切っておいて、怖気づいたのか』と批判を受ける可能性があるため、表向きは『情勢を見て慎重に判断する』という姿勢を崩さず、裏で訪問延期を既成事実化するため、情報を流したんでしょう。タイミングから見ても、リークしたのは今井首相補佐官あたりじゃないでしょうか」(全国紙政治部記者)
なんとも姑息なやり口だが、安倍政権の本性がもっと現れたのは、この中東訪問中止の決定のすぐあとだった。NSC終了後に菅義偉官房長官は定例記者会見をおこなったのだが、そこで自衛隊の中東派遣問題について問われた菅官房長官は、事も無げにこう言い放ったのだ。
「日本関係船舶の安全確保に必要な情報収集体制、ここを強化することは必要であると考える。現時点において、その方針に変更はなく、現地の情勢を見極めつつ、準備に万全を期していきたい」
11日から予定していた安倍首相の中東訪問はすぐさま中止にしたのに、同じ11日に哨戒機部隊が日本を出発する自衛隊については「方針に変更なし」とする──。安倍首相は“世界で唯一のアメリカとイランの橋渡し役”などとさんざんアピールしてきたくせに、いざ危険が高まると逃げ出し、それなのにその危険が高まっている中東への自衛隊派遣は見直すこともせず、予定どおり派遣するというのである。一体、自衛隊員の命を何だと思っているのか。
しかも、イランの国営放送によると、イランの革命防衛隊が声明を出し、アメリカの同盟国に対して「各国の領土が米国による攻撃に使われた場合、イランの反撃の標的になる」と警告したという。つまり、アメリカの同盟国である日本に対するリスクも非常に高まっているのだ。
一方、野党4党は自衛隊中東派遣の閣議決定撤回を求めることで一致した由。賛成です。
立憲民主党など野党4党は8日午前の国対委員長会談で、イランがイラク国内の米軍駐留基地をミサイル攻撃したことを受け、海上自衛隊を中東に派遣する先月の閣議決定について見直しを求めることで一致した。立憲の安住淳国対委員長は会談後、記者団に対し「状況が一変した。小規模な紛争というよりも戦闘状態に近い状態まで緊張が高まっている。こんな中に自衛隊の艦艇を派遣して調査するという感覚は信じられない。閣議決定は撤回することが正しい」と述べた。 (「毎日」)
今日は、一月九日。私の居住地でも、毎月九日に「9の日行動」がとりくまれています。憲法九条をまもろうと呼びかける行動です。これまで、所用があったり、忘れていたり(汗)で、初めて参加しました。よく晴れた、のどかな陽射しのもと、朝9時から10時まで、プラカードを持ってスタンディング。手を振って通り過ぎる車もあり、清々しいひとときでした。
Q男さんのフェイスブックから、お写真を無断借用いたします。
今日はここまで。
まるで昨日のことのよう、の巻 [時事]
フェイスブックは、時々、思いついたように、過去の投稿を掘り起こしてくれます。今日も、五年前の記事を思い出させてくれました。
仲良くあそぶメジロに会いました。(後楽園にて)
枯れ枝をよくみると、椋鳥が止まっています。
当ブログを探ってみると、この記事が該当するようです。
後楽園散歩finepixバージョン(2015-01-08)
昨日の後楽園散歩のfinepixバージョンです。
あちらこちらでメジロの群れを見かけましたが、地面に下りて 仲良く遊んでいるのは初めてみました。
(中略)
大きいサイズの写真はここにあります。
このページもご覧いただければ幸いです
五年前なんて、昨日のようです。でも、思えば、シニア料金適用前でしたから、後楽園入場料の負担は、今より大きかったワケです。年間パスポートを購入して、がめつく元を取ろうとしていたせいもあって、今より足繁く後楽園散歩を楽しんでいたような気がします。やはり、五年の経過は、体力・気力の減衰をもたらしているのかも知れません。最近、良い出会いに恵まれないのも、むべなるかなです。ちょっと反省しています。
とはいえ、月曜は0度に近い冷え込み、火曜は雨、今日は激しい風で、出歩くに不向きな天候が続きます。それと、何かと神経を使うパソコン仕事も重なって、ゆとりが持てません。
そんななか、桜を見る会の顛末、IR汚職の成り行きも影を薄めるほどの、ごろつきトランプの暴虐無法、、、、あきれて思考が追いつかないうちに、事態がどんどん転がっていく居心地の悪さが募ります。
そう言えば、以前も引用したことがありましたが、昔、真似事で作っていた我が家のホームページの「更新履歴」にこんなことを書いたことがありました。これまた、まるで昨日のことのようです。
2003.2.15 トップページと作品のページを多少更新しました。
それにしても、イラク・朝鮮半島情勢は、人類史を逆戻りさせる愚劣さです。「ならず者国家」を成敗する先頭を、一番のならず者が突っ走るの図。泣くに泣けず笑うに笑えぬ出来損ない笑劇に、どこまでつきあわねばならないのでしょうか?
「空爆」は、民衆の側から見れば、「空襲」です。逃げまどう民衆を念頭に入れないアメリカの視点は、ベトナム以来変化なしということか?「戦場」が常に自国の外にあったアメリカにとって、逃げまどう民衆の姿はイマジネーションの限界の外にあるのかもしれません。
では、日本の姿勢はどうなの?「悪い政府」の統治下であろうがなかろうが、各地の大空襲とヒロシマ・ナガサキの辛酸を嘗めた日本の民衆の視座からは、「空爆やむなし」の結論は、生まれる余地のないもの。にもかかわらず、NATO傘下のヨーロッパ諸国に比べてさえもふがいない追随三昧。嘆かわしい限りです。
2003.2.26 フランスのリベラシオン紙のコラムは、ブッシュを裸の王様にたとえたと言います。前々からそう思ってました。「王様は裸だよ」の声を、率直に伝えてあげる方が忠義かつ親切というものでしょうに。「お美しい」「お似合いでげす」のおべっかを、自分ばかりか周囲にも強要する幇間(太鼓持ち)の罪は如何?リンク集を緊急編成しました。
2003.4.20 ブッシュさん、3歳児をひねりつぶして、「勝った勝った」と誇っても、誰も腹でケーベツするだけ。ただ、手のつけられない乱暴者のやることだから、顔をしかめて黙って見ているまでのこと。
でも、ブッシュさんは気づいているのかしら?あなたに突如「ならず者国家」の烙印をおされ、第2第3のイラクとしての標的にさらされるおそれを感じている国々が、このイラク戦から何を学ぶか?について。
「力こそ正義」という、ブッシュ流の新しい(実は西部開拓時代以前の未開野蛮な)むき出しの力の政策の前では、国連中心の国際秩序を誠実に遵守することは愚挙であり、ましてや国連査察に誠実に応じたり、大量破壊兵器の廃棄など馬鹿正直に実行するなどもってのほか。細菌兵器、化学兵器、核兵器、無差別テロ攻撃・・・いずれをとわず、物量に勝るアメリカに「軍事的」に対抗する道すなわち無限の軍拡の連鎖、憎悪と報復の連鎖への道をひた走るしかない、と、向こう見ずな破滅的な決意を促したに違いないことを。
ブッシュ=アメリカをジャイアンに喩えた人がいました。ジャイアンは、自分のコンサ-トを誰もが歓迎しているに違いないと信じているのでしょうね。メーワクに感じながら、「いや」と言い出せないのは、ジャイアンに正義が存するからではなく、彼の腕力をはばかる故であることは、誰もが知っています。知らぬはジャイアン一人でしょう、かわいそうなジャイアン。
そして、ジャイアンの正義は、彼の腕力を上回る力(ドラエモン由来の)によってついえ去るしかないのです。ジャイアン少年は、心底、真の友情を求めながら、たまたま他を圧する腕力と粗暴さを備えていたが故に、怯えと追従と憎しみをもって遇されるしかなかったのです。もしも彼が、平凡な腕力の少年であったなら、その純朴な個性はより好ましい輝きを増し、周囲から真に愛され、好ましい友情を獲得できたに違いないのに・・・。
リンカーンの国、ホイットマンを生んだ国、民衆愛と寛容な民主主義の伝統ある朗らかなアメリカが、なぜこんなにも野蛮で狭量なふるまいしかできないのでしょうか。ベトナム戦争への苦い反省も忘れたかのように。ソ連、東欧の自滅をへて、対立軸を失い、「一人勝ち」してしまったことの不幸なのでしょうか?ジャイアンの不幸、孤独との相似が、なにやら真実味を帯びてきました。オバマよ!お前もジャイアンか!(2013-10-25)
否、トランプの無法を、ジャイアンに喩えては、余りにジャイアンに失礼に当たりましょう。もはや、トランプには正義のかけらさえ必要ないように見受けられます。彼の真骨頂は、「ビジネス」・「実利」・「かけひき」、、、、だと指摘する人もあるようです。もしそうであるなら、人類にとって、この上ない僥倖と言わなければなりません。破れかぶれの、破滅的な博徒としか見えない私の不明を、恥じる時が来るとすれば、それは望外の喜びというべきでしょう。
でも、「ビジネス」を言うなら、何よりも、客観データに基づく取引相手の正確な把握が不可欠でしょう。とすれば、イスラムの教えに忠実なイランの人たちにとって、「目には目を」(ハンムラビ法典)の教えを厳格にまもることがいかに大切かを知ることは、取引の前提となるはずです。
目には目を歯には歯を
【読み】
めにはめをはにははを【意味】
目には目を歯には歯をとは、自分が害を受けたら、それと同じようにして復讐をすることのたとえ。【目には目を歯には歯をの解説】
【注釈】
自分が受けた害と同じ事をして、復讐するということ。
目を傷つけられたら相手の目を傷つけ、歯を折られたら相手の歯も折るということから。
本来は、被害者が受けた害と同等の害を加害者にも与えるという同害報復(タリオ)の言葉である。
今では広く復讐するの意で使われている。
『旧約聖書・エジプト記・21章』には「Eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot.」とある。
しかし新約聖書にある「左の頬を打たれたら、右の頬も差し出しなさい」と、イエスが復讐を戒める言葉を説いたことも知られている。
「目には目、歯には歯」とも。【出典】
『ハムラビ法典』 『旧約聖書』(後略)
同害報復(タリオ)とは、「目には目を(それ以上の報復はしない)、歯には歯を(それ以上の報復はしない)」という点で、無制限の復讐に歯止めをかける意味があるそうです。
イランは、日本時間の8日午前、米軍が駐留するイラクの空軍基地など2拠点を10数発の弾道ミサイルで攻撃したと報道されています。「殉教者それ今に作戦」と名付けられたこの攻撃について、イランのザリフ外相は「均衡の取れた自衛措置を実行し完了した」とツイートしたそうです。革命防衛隊は、声明を出し、米軍による反撃にはさらに厳しく対応する、米同盟国も標的になるなどと警告しています。報復は報復の連鎖を呼び、同盟国・協力国をも巻き込んで壊滅的な結果をもたらすこと必至です。
トランプは、一片の正義も利もない報復に手を染めてはなりませんし、「同盟国」もその旨進言すべきです。そんなとき、アベさんは、11日から予定していた中東三カ国歴訪は延期するけれど、国会にも諮らずどさくさまぎれに決定した海上自衛隊の中東派遣は、予定通り強行するんだそうです。やめて欲しいな。
今日はこれにて
今朝の朝景色、の巻 [折々散歩]
日の出を写してみたくて、鴨川の近くまで歩いてみました。暗いうちに出発して、イメージした場所まで、30分ほど歩いて、7時を過ぎましたが、暗いまま、、、
上の写真は、ホワイトバランスの設定を間違っていました(汗)
10分ほど経過して少しずつ、赤味を帯びてきますが、、、
さらに10分経過。
この場所についてから、30分ほど経過しました。
かなり長く粘ったのですが、太陽がのぞきそうなあたりが、雲に覆われているようで、これは山の端から昇る朝日を捉えることは困難と、あきらめて帰途についたころ、朝日が顔を表し始めました.残念なことに、川から遠ざかってしまい、朝日が水面に映る様を撮り逃してしまいました。
同じような写真を沢山写しましたが、なかなかきれいな風景写真になりました。
今日はこれにて。
正夢の初夢?の巻 [折々散歩]
2020年も、どうかよろしくお願い申し上げます。
朝の散歩で初日の出を拝むことができました。
紙の年賀状をアレンジして、web版年賀状をお送りします。
昨夜の夢で、水に映る日の出を美しく撮影することに成功したと見ました。目覚めても名残惜しくて、夢うつつで思いをめぐらせました。朝散歩の行き先を、東の方角に水がある場所にしてみました。
農道の水たまりに薄氷がはっていました。
未明の小川。これはいつも通る用水路です。
遠くに麦飯山が見えます。だいたいあちらの方向から日が昇るはずです。
散歩の足を伸ばして倉敷川の対岸へ出ました。
朝霧がよい雰囲気です。
朝霧の中の澪標(みおつくし)です。
澪標については過去記事で何度か書きました。たとえば、、、
またまた、蓮にまつわる蘊蓄話、の巻
以前こんな記事を書きました(2014年12月)。
降り敷くは唐紅の錦かな(語彙貧困、安直無類、真情不在、拙劣至極)
今日、仕事から帰って見ると、ゆうメール便で書籍が届けられていました。教科書、参考書、辞典等教育系の出版物を発行している出版社B堂からでした。
思えば、私自身も、中学・高校生時代この出版社の問題集のお世話になりました。
中身は、特にお正月シーズンを目当てに、各社から例年のように発行される百人一首の解説書です。 百人一首のすべての歌が、過不足のない、わかりやすい解説とともに歌ごとに美しい写真も添えられて、あたかもミニ写真集という趣の冊子です。付録には朗詠のCDも付いていて、至れり尽くせりです
なぜこんな書籍が送られてきたかというと、実はこの中に、ずっと以前に私の撮影した澪標の写真が、無償ですが(笑)、1枚採用され、その記念に献本をいただいたという次第です。ご縁のはじまりは、このブログの写真を編集者の方が見つけてくださり、使用を打診してこられたのでした。澪標などという題材は、よほどレアなものであるようです。
妻に自慢していますと、「早速、ブログに載せたら?」とからかいます。
自慢話になるのも気が引けますし、個人情報の問題もあって、いったん躊躇はしましたが、ブログネタの一つとして紹介させていただく事にしました。。
事の発端は、こちらの記事のこの写真でした(2013年8月)。
夕映えの倉敷川に澪標(みおつくし)
- 作者: 鈴木 日出男
- 出版社/メーカー: 文英堂
- 発売日: 2014/12/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
この本の40ページに、澪標の写真が掲載されています。
よくよく過去記事を探ってみると、この記事に該当の歌を少し紹介しておりました(2016年1月)。ヨシガモでした、の巻
わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ 元良親王(20番) 『後選集』恋・961
〔解釈〕 どうしてよいか行きづまってしまったのだから、今となってはもう同じことだ。難波にある澪標ではないが、身を尽くしても逢おうと思う。
お正月ですので、時節柄再度紹介させていただきます(笑)
朝霧の中をカモの群れがのどかに水面に浮かんでいます。
山際が少しずつ明るんできました。
先日来話題にしている常山と麦飯山が並んで見えます.中央付近のとがった山が常山、左の方のふたこぶのおにぎり山が麦飯山です。よく晴れたお正月です。
今日はこれにて。