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すべてちぐはぐ、の巻 [折々散歩]

NET上にこんな記事を見つけました。

安倍首相はどこだ?

日本国内での感染拡大を防ごうと各省庁が対応する中、米ロイター通信が「安倍はどこだ?」との記事を2月25日に出した。
歴代最長の首相である安倍晋三 (65) は今回のウイルス対策に関して対応に失敗しつつあり、その舵取りが出来ておらず、自分の役割を主に厚生労働大臣に任せきりだと批評家は書いている。

日本の政治に詳しいコロンビア大学のジェラルド・カーティス氏は安倍総理の対応不足について記事内で「リーダーシップはどこにあるのか?」と述べている。
「今でも、安倍氏は世間に出て来ず、大衆と話すことや、人々を動員することもしていない」「これは長く続ければ続くほど彼を傷つけると思う」とコメントした。

というのも、2月15日16日にANNが安倍政権の支持率を世論調査したところ、1年7ヶ月ぶりに支持率が逆転。不支持率が支持率を上回る結果となった。
支持しない側の理由として「安倍総理の人柄が信頼できないから」「政策に期待が持てないから」などの声が上がっている。
さらに産経新聞の調査によると有権者はコロナウイルスに対する政府の対応を巡り、85%が今回の感染症について「心配している」と答えている。

日本での新型コロナウイルス(COVID-19)感染者が150人(2月25日時点)を越える状況下で「安倍はどこだ?」とロイター通信が報じている。

buzzfeed.com

新型コロナウイルス感染者が増え続ける日本。この状況に米ロイターが「安倍はどこだ?」

日本での新型コロナウイルス(COVID-19)感染者が150人(2月25日時点)を越える状況下で「安倍はどこだ?」とロイター通信が報じている。

「厚生労働大臣に任せきり」「リーダーシップはどこにあるのか?」という国際的な批判に過敏に反応したのかどうか、アベ首相は26日、新型コロナウイルス感染症対策本部を開き、全国的なスポーツや文化イベントの中止や延期、規模縮小を要請したのにつづき、27日、前触れもなく突然の休校要請を大々的に発表しました。

臨時休校という措置の是非はともあれ、あまりの唐突さに、教育現場も保護者国民も、そして文科省や地方自治体もあらでもがなの動揺に振り回されています。

与党にも文科省にも十分な相談なしの、いかに唐突な決定だったか、いろいろな報道によって明らかにされてきています。その一つ、J-CASTテレビウォッチの記事を興味深く読みました。

「影響が大きすぎる」文科省も公明党も必死で止めたのに安倍首相が強行!小中高校「全国一斉休校」の大混乱

2020/2/28 12:16

安倍首相がぶち上げた「小中高校の臨時休校」要請で、教育現場はもちろん、企業や共働き家庭などに大きな混乱が起きている。なぜこのタイミングだったのか。ある与党幹部は「北海道などが休校を打ち出して、評判が良かったから味をしめたみたいだ」と話す。

   文部科学省も公明党も「影響が大きすぎる」と必死で止めたが、官邸主導で決められてしまったという。自民党内からも反対の声は強く、元厚労相も「共働きの家庭の支援なども同時に打ち出さないと、日本全国が大混乱になる」と批判する。

働きに出られず、たちまち生活に困るひとり親家庭

   

   日本感染症学会専門医で東京医科歯科大の寺嶋毅教授は、「影響が大きいので、臨時休校という切り札は何度も使えるものではありません。1枚限りかも知れないのに、それをいま全国一律で使ってしまうのはどうなのか。すでに2週間の休校を決めていた北海道や市川市の様子をもう少し見てから、各自治体の判断でもよかったのではないでしょうか」とクビをひねる。

   神戸大感染症内科の岩田健太郎教授はツイッターで、「なぜ学校? なぜ休校? 根拠となるデータは?」「お家に専業主婦のお母さんがいるという世界観から、逃れられないらしい。コロナ感染は地域差が大きいので、『全国一律』なプランはうまくいきづらい。北海道は分かるけど、ほかの地域だと意味不明」と書いた。

次はYAHOOニュースの記事です。専門家会議とも相談していないらしい。

今はまだ諦める時期じゃない」「一斉休校は議論していない」 新型コロナ専門家会議の委員が協力を呼びかけること

2/28(金) 13:06配信

BuzzFeed Japan

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の対策について、政府に助言を続けてきた「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」(座長=脇田隆字・国立感染症研究所所長)は2月24日、「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解」を公表した。【BuzzFeed Japan Medical / 岩永直子】
この専門家会議に、医療社会学や医療倫理を専門とする立場から参加していた東京大学医科学研究所公共政策研究分野教授の武藤香織さんがBuzzFeed Japan Medicalの取材に応じ、見解の狙いを語った。
※インタビューは2月25日午後に行われ、その時の情報に基づいている。休校要請については、28日に追加質問し、回答を得た。

(中略)

休校要請については? 「専門家会議で議論していない」

(政府の全国の小中高校に対する休校要請を受けて、急遽、28日に以下の質問を追加した)
――政府の全国休校要請については専門家会議では議論していないと、委員の岡部信彦先生らがメディアに答えています。実際どうだったのでしょうか? そして今回の要請についてどう考えますか?
北海道内の学校の対応については、専門家会議内部で妥当性について議論が交わされましたが、状況に応じて、学級か学校単位の休校を選ぶべきだという議論になりました。
それは、新型インフルエンザの時とは違って、これまでのデータからは、子どもが流行の原因になっていないし、子どもの重症者が増えていないためです。このウイルスは、インフルエンザとは違う特徴を持っているのです。
今回の全国一斉休校要請については、事前に政府から意見を求められておりませんし、議論もしていません。この政策の優先順位の高さ、どういう状況になったら解除できるかといった基準など、政府のご判断の根拠を理解できていない状況です。

しかるべき専門家や当事者、広く各方面に諮って最善の対策を練り上げるのではなく、姑息な人気取り・手柄稼ぎに終始するから、肝心な点が欠如した粗雑な物にしかならないのでしょう。せっかくの予算委員会で、コロナウイルス対策の予算をびた一文も積み増すことなく、野党の反対を押し切って当初提案通りの補正予算を強行成立させるなど、何から何までちぐはぐなのです。

こんなツイッター記事に、『その通り』と膝を打ちました。

image吉良よし子事務所

(2/27吉良よし子議員のTwitterから)

突然の首相の休校要請に
不安と混乱の声が広がっています。
感染拡大防止は必要ですが、
親が休めるのか、休業補償はできるのか。生活、地域経済への影響は?

それにしても、コロナ対策費153億円は少ない。衆院で採決が狙われている予算案、コロナ対策費はゼロ…

検査体制の拡充、実態把握も大事です

https://www3.nhk.or.jp/…/html/202…/amp/k10012304751000.html…

吉良よし子事務所

(2/28吉良よし子議員のTwitterから)

「つまんないこと」なんかではない。

学童保育が機能するかどうかが、雇用継続できるかに直結する人がいるという現実をどう思っているのか。

突然、休校要請しておきながら
それにともなう混乱、不安によりそう姿勢がないなんて論外。

https://mainichi.jp/articles/20200228/…/00m/010/121000c.amp…

麻生太郎財務相は28日の閣議後の記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた小中高校などの臨時休校を巡り、共働き家庭などで生じる学童保育などの費用負担について質問した記者に対して、「つまんないこと....

このウェブサイトについて

mainichi.jp

麻生財務相 休校中の学童保育負担「つまんないこと聞く」 新型肺炎対策 - 毎日新聞

麻生太郎財務相は28日の閣議後の記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた小中高校などの臨時休校を巡り、共働き家庭などで生じる学童保育などの費用負担について質問した記者に対して、「つまんないこと....

何度も書いてますが、吉良よし子さんは、わたしにとって「特別の人」です。

最も古い記事はこれでしょうか?

これでまた病気自慢に箔がつき(2013-08-06)

自身の備忘のために古い記事を掲載しておきます。
開票速報見ながらの夜更かしでしたが、熟睡できました。
選挙結果も、自民圧勝はいただけませんが、対抗の受け皿がほかになく、共産党への期待につながったというのは、わかりやすくて大変結構。
東京の吉良よし子さん、キラキラしていてまぶしいです。学生時代、この人のお母さんは、私たち夫婦の共通の友人でした(もちろん、みんな未婚でしたが)。
さて、私は、今日の午後入院、明日が手術です。
明易や さも遠足の朝のごと
入院手術を前に、日常から非日常へ足を踏み入れるわくわく感を覚えている、なんて言うと不謹慎で罰が当たりそうですが、強がりばかりでもない、不思議な心境です。(7/22記)

このよし子ちゃん、今や押しも押されもしないベテラン参議院議員。しかも、この前の党大会で「幹部会委員」の選出されたそうな。雲の上のいかめしい存在に思えるその肩書きと、眩しいほどの初々しさ・親しみやすさを、なかなか統一的に認知するのが難しいのですが、、、、一般国民・庶民との隔てがなく、常に市井の民の傍らにあって、共に感じ、共に想い、共に行動する草の根政党としての、新しい時代のリーダー像がここにあると思えば、納得できる気がします。いや、話題がそれました。

昨日の28日(金)は、午前中、さる教育関係団体の事務所に立ち寄り、ちょっとしたお手伝いをしてきました。前日の突如の「休校要請」で、現場は大変な混乱のただ中にある様子。アベさんの言う休校期間の開始日である月曜日は、3月2日。例年、わが地方で高校の卒業式に充てられることの多い3月1日が、今年は日曜日であることから、ズバリ2日に卒業式を予定している学校が大半なのですが、突然の「休校要請」でてんやわんやの様子です。

あと、教育関係、市民運動関係のさまざまな自主的行事なども中止や延期の措置が取られていて、モロに影響が波及してきています。さらに夕方には、孫たちが、「月曜日から休校」という旨の通知を携えて下校してきましたから、ジジババの生活にも直接の影響が及ぶことになります。

さらにさらに、地元の公民館が休館になった由。公民館活動としてのささやかな織物講座を受講している妻にも、その影響は、小さからぬ様子です。

束の間の安息をと、ちょいと後楽園を歩いてきました。

さすがに外国人観光客の姿はまばらで、特に中国からのお客さんは少ないように見受けました。

午後から天気が崩れる予報でしたが、昼間はおだやかな陽射しがありました。

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AF機能が故障したpentax  k30をマニュアルフォーカス専用機として使おうという実験のために、BORG45EDを、AFアダプターを外してMFで使ってみることにしました。説明がややこしいのですが、AFアダプターを使う時には、レンズのF値を稼ぐために、レンズ後尾にクローズアップレンズNO5を取り付けていますが、これが不要になります。ということは、望遠倍率がわずかに伸びるという理屈なのですが、実際には期待したほどの効果は感じられません。あとで気づきましたが、AFアダプターには、1.8倍ほどのリアテレコンの働きもあったんでしたっけ。

ノートリミング画像では、このレベルです。

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手動ピント合わせの精度は、まったく不確かですが、たまたまピントが合っていそうなものを、トリミングすると、、、

ジョウビタキ♀。

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ツグミ。

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ヒヨドリ。

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セグロセキレイ。

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ペンタックスK30のファインダーは、比較的視認性がよく、合焦音やインジケータ(合焦を知らせる赤い光)の助けを借りれば、手動ピント合わせも、ある程度までは使えなくもないですが、やはり億劫ですし、撮影結果には常に不安がつきまといます。AF開発以前のフィルムカメラ時代には、手動ピント合わせが当たり前で,ファインダーの中でピントが合っていく様子に、ある種のワクワク感と快感を覚えさせたものです。しかし、老眼の進行と共に目ででピントを合わせることはほとんど困難になり、繰り返しの感慨になりますが、AFの便利さには、やはり勝てませんね。

今日はこれにて。


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老齢の父の楽しみ、の巻 [家族]

今朝の地元紙読者欄に、92歳の父の投稿が掲載されました。


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参考までに文字に起こしておきます。


私の地区の「元気会」(老人会)では、毎月「ふれあい会」がある。 ボランティアの皆さまのお世話になり、昼食のごちそうがいただける。アトラクションとして、囲碁ボールやカラオケ、いろいろな演芸を計画してくださり、楽しく一日を送ることができ、うれしい。
  このふれあい会の始まりは二十数年前、今は亡き当時のA会長の時で、私も民生委員としてお手伝いした。その役員の家族が食事を作った。当時は地区に一人暮らしの人が多くて、たくさんの方の出席があり喜んでもらった。その後の役員の方、食事を作ってくださる方に感謝している。いつの間にか私は地区の最年長になった。ふれあい会を楽しみに毎回参加している。
もう一つの楽しみは週1回、通所リハビリに行っていることだ。 いつもの仲間と話ができて、足腰をリハビリするのに職員さんが親切に世話をしてくれる。一日でも長くふれあい会や、リハビリに出席して健康寿命を延ばしたいと思っている。


全国に不安を広げている新型コロナウィルス禍は、このようなささやかな楽しみにまで影を投げています。先日は、兵庫県在住の叔父が、骨折して入院したのだが、家族の見舞いを含めて、外部との接触が禁じられているのだとか。一刻も早い沈静化を祈りたいものです。


今朝は、夜間の雨の名残が道路を濡らしてはいましたが、傘も持たずに散歩ができました。AF機能が故障して、MF専用機として使うことに決めたペンタックス k30に、いっそのことm42スクリューマウントのベリーオールドレンズSuper-TAKUMAR:1.8/55を装着して出かけることにしました。ペンタックス k30は防塵防滴機能を持つカメラですが、レンズの方は1960年代~1970年代初頭頃の製品ですので、当然のことながら、「防塵防滴」などというしゃれた機能はついていません。ですので、散歩途中に雨がパラパラ降ってきたのは困りましたが、服や手でかばいながら撮影散歩を続けました。


光量が足りず、ブレ気味ですが、雨模様の朝の雰囲気は出ているかも。


野菜の花です。


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散歩道の街路樹として、いろいろな梅が植えられています。


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これも梅、のつもりで写しましたが、滑らかな枝の様子は、桜でしょうか?ソメイヨシノにしては早すぎますから、早咲きの品種でしょうが、、


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ユキヤナギ。


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マンサク。


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ムスカリ。


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限定的な用途になら、使えそうに思えます。


ただ、こんな時に限って、望遠レンズを持ってこなかったことが悔やまれるのは、良くあるパターンです。カワセミがいました。しかも2二羽。とりあえずカメラを向けて撮影してみますが、画面上で確認することは至難です。川の左岸中程を、凝視してみてください。


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思い切ってトリミングしてみます。


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散歩から帰った頃には、強い雨に変わり、今日は終日、冷たい雨が降り続いています。


まずはここまで。


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コロナ危機に考える、の巻 [折々散歩]

新型コロナウィルスが、世界を震撼させています。自然の奥深さに対して、人知は有限である、などということははじめからわかっていることです。それだからこそ、根拠もなく傲慢に陥らず、精一杯英知を寄せ、最善を尽くすしかないのです。大きな権限を付託されている立場のリーダーこそ、その全力を発揮して欲しいのです。


ネット世界を瞥見すると、もっともだと思わせられる記事に沢山遭遇します。


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一部分を拡大します。


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写真の説明はありません。


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世界有数の医療水準、知見を誇るニッポンが、先の見えない不安におののかねばならない現状は、コロナウィルスそのものの怖さ以上に、政権担当者の無策、無責任、無節操の甚だしさに起因しているのは間違いないでしょう。


春野訪れは、着実に進んでいます。


24日(月)には、郷里の畑の耕耘をしてきました。


オオイヌノフグリが、コバルトブルーの花弁を思うままに広げていました。


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臨月間近の長女も、久しぶりに同行。もうすぐお姉ちゃんになるこの孫は、お子様ランチが大好きです。


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一方こちらの孫は先日5歳になりました。


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近所の公園に梅が咲いています。


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今日は、久しぶりに晴れたので、自然環境体験公園を歩いてみました。


マンサク。


K5Ⅱ+AFBORG45EDで写しました。


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これは、PENTAXK30+トキナー90mmmacroで撮影。


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河津桜が一気に咲き始めています。


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以下、PENTAXK5Ⅱ+AFBORG45EDの画像です。


ヒヨドリ。


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カルガモ。


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河津桜の蜜を求めて、メジロが遊んでいます・


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今日はこれにて。


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けりをつけたい、の巻 [折々散歩]

年金者組合の地元支部で第五回目になる支部主催憲法学習会が、昨日2月21日(金)に開かれました。
憲法を逐条で読んできた今回の学習テーマは、前回に引き続いて、第9条。前回学習会での要望に応えたものです。
講師のOさんは、「今回は、自衛隊に焦点を絞って」と前置きして、憲法9条の意義と価値、アメリカの要求に応じて解釈を次々と変え、警察予備隊→保安隊→自衛隊→海外派遣→集団的自衛権行使へとエスカレートさせてきた歴代政権の言い分と、さらに踏み出して明文改憲を急ぐ安倍内閣の動きを、A4 6ページにわたる詳細なレジュメをもとに具体的に明らかにしてくださいました。
「戦後75年間、日本には憲法9条があったので、自衛隊員が戦闘で亡くなることも、また相手を殺すこともなかった」のに、最近では、模擬戦闘で自衛隊員が負傷したり敵兵士が死亡する場面を想定した訓練が行われているとか、隊員への訓示で「遺書を書き、自分の身辺整理をしてほしい。遺書を書くと今、解決しなければならないこと、言い残す相手などが見えてくる。これこそが軍人として有事に即応する心構えである。言い換えれば命を賭す職務につく軍人としての矜持である」(2010年北部方面総監千葉徳次郎陸将)などと発言する事例を紹介され、肝が冷える思いがしました。
「閣議決定でなんでもできる状況にあるが、国会より閣議が上なのか?」「戦後文部省が作成した『新しい憲法の話』を、最近読んでいる。こんなふうに、わかりやすく噛み砕いて、憲法を大勢の人に語ることが大切。」「60年安保を経験したが、今日の学習で改めて安保条約についての理解が深まった。」など、多彩な質問や意見が交わされました。
憲法を逸脱して思うままに振る舞う安倍内閣への具体的批判も相次ぎ、それでもなお一定の支持率を得て政権を維持していることへの憤懣の声と、その一方で、いま、「桜を見る会」の問題でもコロナ対策の問題でも、広汎な国民の間に安倍内閣への怒り・批判が広がっていて、政権崩壊の予兆が感じられるとの指摘もありました。
ところで、前回記事でこんなザレ歌を紹介しました。
久方の光のどけき春の日に静心なくアベの散るらん
小倉百人一首にも収められた「久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらん 紀友則」のもじりです。本歌の歌意は「光ものどかな春の日に、どうして桜の花はこんなにも慌ただしく散り急いでいるのだろうか」といったところ。末尾の「らん」は、「原因推量」の助動詞です。一方、冒頭のザレ歌では、「らん」は「現在推量」で、「(ちょうど今)安倍内閣が散っていることだ」と解釈していただきたい。
早咲き品種として知られる河津桜が、当地でも、1輪2輪とほころび始めています。ソメイヨシノの開花も早まりそうです。いにしえから、人は桜の咲き散りに、一喜一憂して心を動かしたもののようで、前述の紀友則の歌も、散り急ぐ桜を惜しみ嘆いたものですが、冒頭のザレ歌は、決して安倍内閣の崩壊を惜しむものではありません。

「桜を見る会」「コロナ対策」「実質賃金低下」「消費不況深刻化」---、辛抱強いわが国民も、さすがにアベ政治に愛想を尽かしていて、信頼できる代替勢力さえあれば、すぐにも転換を求めている。そんなことを、この憲法学習会での懇談からも、強く感じました。

午前中の雨が上がったかと、今日の午後散歩に出かけてみましたが、急に暗雲立ちこめ、冷たい雨に降られました。

河津桜がほころんでいます。

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昨日の状態から,一日で大きな変化がありました。

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マンサクも満開です。

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昨日のジョウビタキ♂

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コサギ。

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ケリがいました。

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以上、昨日の奢侈なH、K5Ⅱ+AFBORGE45によります。

今日は、雨を想定して、防塵防滴のFINEPIXS1を持って出ました。

ジョウビタキ♂。

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今日もケリがいました。

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以前書いたこんな記事と同工異曲ですが、同じ結論を繰り返したいと思います。

なかなかケリがつきません、の巻(2016-04-25)

やはり、ケリの群れが、いました。



カメラは、finepix s1です。望遠能力は高いのですが、相手が遠いんですよね(画像は、トリミングしてます)。ケリは、警戒心が強い鳥らしく、なかなか近寄らせてくれません。
いったんは家に帰りましたが、欲求不満がたまる一方です。かといって、ジリジリ気温が上がっていきますから、もう一度歩いて出かける元気はありません。
そこで、一計を案じて、自動車で近寄って、ウインドウ越しに写してやろうかと、思いつきました。
ここでけりをつけてやれ、という勢いです。
ところで、「けりをつける」の表記を、「鳧を付ける」と書くことがあります。「鳧」はこの鳥のことです。
ウィキペディアには「チドリ目チドリ科タゲリ属に分類される鳥類の一種」とあります。

その甲高い鳴き声が、「ケリ、ケリ」と聞こえるところからの名付けのようです。
それでは、「けりをつける」という言葉の意味するところと、この鳥とどのような関係があるのか?というと、無関係。当て字らしいですね。
「けりをつける」という語の語源は、過去の助動詞「けり」に由来すると言うのが通説です。「けり」という助動詞は、「今は昔、竹取の翁というものありけり」など用法に見るように、「人づてに聞いた過去の事実」をあらわす語で、「~たとサ」というニュアンスになります。
「き」という助動詞が。「自分が体験した過去の事実」をあらわすのと、はっきり区別されます。
「けり」には、「はじめて気づいたが、~だったのだなあ!」という、発見をあらわす場合があります。この用法は、一般に「詠嘆」と名づけられ、「~だなあ!」「~ことよ!」などと訳されます。
和歌などに多く用いられる用法で、「けり」で歌が終息する。締めくくられる。というわけで、物事の決着をつけるときに、「けりをつける」というようになったそうです。

もちろん、「蹴りを入れる」は似て非です。

安保法案に「法的安定性は関係ない」などと、豪語しておいて、予想外の批判を浴びるとぺろりと舌を出して、「発言を取り消すとともに心よりおわび申し上げる」といったレベルの口先の陳謝でお茶を濁し、「職務に専念することで責任を果たしたい」といい募る厚顔さには、「国民をなめたらあかんで」と、蹴りを入れたいところですな。

一人できの悪い補佐官の不始末というものじゃないでしょ。 奢りと不遜で塗り固められた、安倍政権そのものの救いのない劣化の、一端にすぎないのでしょう。

辛抱強いわが国民も、そろそろ存分に主権を発動して、安倍政治にケリをつけたいものです。

繰り返します。辛抱強いわが国民も、そろそろ存分に主権を発動して、安倍政治にケリをつけたいものです。

きょうはこれにて。


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雨水を前に、の巻 [今日の暦]

暦の上では、明日が「雨水」だそうです。過去記事で、ついつい何度も話題にしています。


今日雨水青空も得しヒレンジャク(2014-02-19)


今日は「雨水」。寒さが和らぐというのですが、平年よりは冷たい一日でした。


多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻(2015-02-20)


昨日は雨水。少し寒さの緩んだ岡山後楽園を歩いてみました。

早じまいの仕事帰りですので、入園したのが4時過ぎでした。すると園内放送が、「当園の開園時間は、午後五時までです。」と、繰り返し放送しています。慌ただしい散歩でしたが、うっすら汗ばむ心地よさでした。

雨水の日の岡山城


雛飾り草もむしりし雨水かな(2016-02-19)


今日は暦の上では、二十四節気の一つ「雨水」。立春から数えて15日目頃とか。地下の虫たちが動き始めるという「啓蟄」までの期間を言うこともあるそうですね。
空から降る雪が雨に変わり、氷が溶けて水になる時季。草木が芽生え、農耕の準備を始める目安とされました。このあと、寒さがぶりかえすこともありますが、三寒四温を繰り返して、春に向かいます。
地方によっては、この日に雛人形を飾る風習もあるそうです。


孤高の鳥、群れる鳥、の巻(2017-02-21)


今年の「雨水」は2月18日でしたが、その後の寒さが身体にこたえます。
土中の虫が目覚めて動き始めるという「啓蟄」が、今年は3月5日だそうですから、その頃まではまだまだ寒さのぶり返しがあるのでしょうかね。


昨日は雨水、今日は多喜二忌、の巻(2018-02-20)


昨日は雨水。
今日は多喜二忌。
いずれも記事にしたい題材ですが、今日は軽く通り過ぎることにします。
多喜二について書いた直近の記事は、昨年10月のこの記事でしょうか?

「多喜二の母」に思う、の巻(2)

「多喜二の母」に思う、の巻


南(みんなみ)の便り届くや今日雨水(2019-02-19)


辞書にはこうあります。

う‐すい【雨水】
1 あまみず。
2 二十四節気の一。2月19日ごろ。水ぬるみ、草木の芽が出始めるころの意。《季 春》「薩埵(さった)富士雪縞あらき―かな/風生」

出典 小学館デジタル大辞泉


よくもまあ、飽きもせず、毎年のように、似た記事を書いているものです、今年は、異常ともいえる暖冬で、ここのところやっと平年並みの寒さが戻ったところで、週末からの雨も、とても水ぬるむという感じではない冷たい雨でした。昨日も強い北風でしたので、閉口して散歩はサボりました。


今日は、雨も上がり、気温は低いものの、風が緩んだので、少しだけ近所の自然環境体験公園を歩きました。さすがに指が冷たいので、今年になって初めて、手袋(車中においていた軍手ですが)をはめて歩きました。例年ですと、この季節、手袋なしで歩くことなどありませんが。


マニュアルフォーカスレンズ専用機として使うことにしたPENTAX k-30に、本当に久しぶりに、ケンコー ミラーレンズ 400mmを組み合わせてみました。


ミラーレンズの使い道、の巻(2018-03-23)に書いたのとなじような思いつきです。


今朝の散歩に持ち出したのは、PENTAXK10Dに、KENKOミラーレンズ400mmの組み合わせ。軽量コンパクトな望遠レンズです。ピント合わせがシビアなマニュアルフォーカスですので、K10Dのファインダーが好ましいのでは?という思いつきです。
実際、このカメラ、撮影時の快感は、なかなかのものです。


k-30は、K10D寄りもさらに軽量コンパクトで、メーカー公称約650g(専用電池、SDカード付き)。これに、KENKOミラーレンズ400mmが495gですから、この軽さで400mmの超望遠撮影ができるとすれば、これに勝る組み合わせはありません。


問題は、その写りですが、、、


条件が合えば、そのリーズナブルな値段を超える描写を見せてくれます。


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手のひらに載せてもかさばらないコンパクトさは、散歩のお供としても好適です。


ミラーレンズ400mm F8製品画像


f8というレンズの暗さは、明るい日中用と割り切れば事足りますし、MF限定という障壁は、どうせ故障してAF動作しないk-30には、うってつけ、、というわけで、もっと出番があっても良いように思いました。ただ、ピント合わせに時間がかかるのは、少々の修練では克服できそうもなく、今日もカワセミに会ったのにシャッターチャンスを逃しました(涙)。それと、トビモノには手も足も出ません(トホホ)。


じっとしてくれている鳥は、、こんな感じで記念撮影ができました。


スズメ。


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トリミングします。


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アオサギ、こんなに大きい鳥だとノートリミングでも大丈夫です。


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シロハラ。


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以下はトリミング画像です。


特徴あるリングボケが発生することがあります。


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カワラヒワ。


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メジロ。


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ジョウビタキ♀。


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ジョウビタキ♂。


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それにしても国会の劣化、目を覆うばかりです。


ここでザレ歌。


まことなき政府答弁に倦み果てて憎き仇!と霜柱踏む


あな醜く節操もなき捨て台詞「ANAホテルもう使わないもん」


本歌取りのザレ歌(安直至極)


世の中に絶えて桜のなかりせば アベの心はのどけからまし


久方の光のどけき春の日に静心なくアベの散るらむ


この世をばわが世とぞ思う 望月の書きたることはなしにしてくれ


今日はこれにて


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束の間のぬか喜び、の巻 [雑話]

「喜びも束の間」と言うフレーズが頭に浮かんで。はて、「束の間」とはなんだっけ?と気になりました。


精選版 日本国語大辞典精選版にはこう説明されています。


つか【束】 の 間(ま)

(一束(ひとつか)、すなわち指四本の幅、の意から) 時間がごく短いこと。少しの間。ごく短い時間のたとえ。つかのあいだ。

※万葉(8C後)四・五〇二「夏野行く小鹿の角の束間(つかのま)も妹が心を忘れて思へや」

※徒然草(1331頃)四九「人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり」


引用歌の「小鹿の角」は、「夏は鹿の角が生えかわって、新しい角がまだ短いところから) 短い時間の意の『つかのま』『ほどなし』などを引き出す表現。 」なのだそうです。「束」は、指4本の幅だそうですが、動詞「つかむ」と同源かとも言われ、「束の間」とは、一つかみできるほどの僅かな時間、ということにもなりそうです。


ところで、この「束の間」を、「つかのあいだ」と読んで、同じ意味に用いる例もあるようです。


例えば、草壁皇子のこの歌。


大名児(おほなこ)を 彼方(をちかた)野辺(のへ)に 刈る草の 束(つか)の間も我忘れめや (万葉集 二・一一〇)


【Kazg訳 オオマイダーリン、スイートハート!愛しの大名児ちゃんのことを、あっちやこっち、野辺で刈る草の、ほんの一つかみほどの僅かな時間も、ボクは忘れられようかいやいや忘れられへんわ、ホンマ!!】


確かに「つかのあいだ」と読まないと、まったくの字足らずになって語調が悪いですね。


ところで、この歌には、こんな詞書きがあります。


日並皇子尊の、石川女郎に贈り賜ひし御歌一首。女郎、字を大名児と曰ふ。


日並皇子尊は草壁皇子で、大名児とは、石川郎女(いらつめ)のことだそうです。万葉集には石川郎女(女郎と表記するものもある)と呼ばれる女性が、五人ほども登場すると言います。詳細は不祥ですが、この草壁皇子に愛を告白された石川女郎は、大津皇子との間の相聞歌で記憶される石川郎女と同一人物であるようです。こんな歌のやりとりです。


大津皇子の、石川郎女に贈りし御歌一首   
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れし山のしづくに


【Kazg訳 足を引きずり、あえぎあえぎ登るようなキツイ山の、雫にぐっしょり濡れながら、キミを待っていて、ボクは立ったままでマジ濡れちゃったヨ、山の雫にさ! 】


石川郎女の和し奉りし歌一首。
我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを


【Kazg訳 ワタシを待つと言ってアナタが濡れたっていう山の雫に、いっそ、なれたら嬉しかったのに、ワタシ!!】


いやいや、お熱いことです。石川郎女はどうやら、草壁皇子には応答歌を返していないようですので、この三角関係、大津皇子の勝利に終わったようです。


余談ですが、その大津皇子、謀反の罪を着せられて悲運の最期を遂げるのですが、自分の過去記事を検索してみると、こんなことを書いていました。


猿沢の池かとまがう水田(みずた)かな(2014-06-14)


大津皇子は天武天皇の皇子で、お母上は、天智天皇の皇女であられた大田皇女(おおたのひめみこ)よ。父帝が崩御されたあと、讒言によって謀反の罪を着せられて捕えられ、磐余にある自邸にて自害させられたの。御年は24の若さだったわ。
これを悼んだ姉君の大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌も、哀切よね。

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背(いろせ)とあが見む

「不本意ながらこの世に生きて残された私は、明日からは弟が葬られた二上山を弟と思うことにしますわ」

「うつそみ」は「うつせみ」 とも言うわ。「現し身」=現にこの世に生きている身という意味。「現(うつつ)」は「夢」の対義語で、「現実」を意味するし、「覚醒した状態」「正気の状態」を表すことも多いわ。夢なら良かった、酔って忘れられたらそれもいい。でも、冴えた正気の目で現実を見つめなければならないことのつらさ。せめてあの山を、あなたを偲ぶよすがと思って、心を慰めることにしましょう

磯のうへに 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありと言はなくに

「岩の上に生える馬酔木(あせび)の花を手折って、あなたに見せようと思うけれど、見せたいあなたが健在だとは誰も言ってくれないの」
大伯皇女は、伊勢神宮の斎宮で、神様に仕える身の上でいらっしゃったのよ。父帝が亡くなられたあと、謀反の罪で捕らえられるまでのある日、弟の大津皇子が皇女を伊勢まで秘かに訪ねたことがあったわ。姉皇女は、男子禁制の斎宮の身でありながら、弟皇子を懇ろに迎え、親密に一夜を語らい、まだ空が暗いうちに旅立つ弟を、姿が見えなくなってもずっと見送ったのよ。それが最後の別れとなる予感があったのかどうか、知る由もないけれど。次の二首は、そのときの歌。

わが背子を大和へ遣ると小夜更けて あかとき露に我が立ち濡れし

「私の愛するあなたが、奈良の都に帰るというので、夜も更けてからその無事を祈って見送り続けていると、私の身体は明け方の露にぐっしょりと濡れてしまったことですわ。」

二人行けど行きすぎ難き秋山を いかにか君が一人越えなむ

「二人で行っても越えるのが難儀な秋山を、愛するあなたはどうやって一人で越えているのでしょうか」

実の姉弟の間柄なのだけど、同時にこの世で最も信頼できる相手、心の通いあう相手、互いに恋人同士のような思慕を抱いていたのかしら。

ところで、大津皇子憤死の知らせを聞いた妻の山辺皇女(天武天皇の皇女)は、半狂乱になり、裸足で墓まで駆けつけて、大津の皇子の跡を追って殉死したそうよ。なりふり構わず、その愛を貫いた山辺皇女さまもおいたわしいけれど、神に仕える斎宮の身故にそうすることもかなわなかった大伯皇女さまは、いついつまでも悲しみが晴れることなく、さぞやお辛いことだったであろうと思われますわ。

全くの余談になるけれど、『日本書紀』によると、「御船西に征き、初めて海路に就く。甲辰(8日)に御船大伯海(おおくのうみ)に到る。時に大田姫皇女(おおたのひめみこ) 女子を産む。よりて、是の女を名づけてを大伯皇女(おおくのひめみこ)という」とあるわ。斉明7年1月のことよ。
つまり、大伯皇女さまは、お父様の大海人皇子(後の天武天皇)やお母様の大田姫皇女さまも乗り込んで、朝鮮出兵のため難波を出航した船団が、岡山県邑久(おく)郡の海=小豆島の北方=大伯の海の上を通りかかったとき、つまり船上でお生まれ遊ばしたのね。「大伯」は「邑久」の古名なのね。今は平成の大合併で「瀬戸内市」なんて無個性な名前になってしまっているのが、ひどく残念に思えるわ。




「ぬか喜び」という言葉も浮かんで、調べてみました。


レファレンス協同データベース


  図書館関係のこんなサイトに、下のようなレファレンス(質問・回答サービス)がありました。   


提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)
管理番号
(Control number)
M16011510377375

事例作成日
(Creation date)
2016/1/6
登録日時
(Registration date)
2016年03月28日 00時30分
更新日時
(Last update)
2019年12月19日 00時31分

質問 (Question)

「ぬか喜び」の語源が知りたい。なぜ「ぬか喜び」と言うのか。

回答(Answer)

『日本国語大辞典』の「ぬか喜び」の項をみると「あてがはずれ、あとでがっかりするような時の、一時的な喜び」とあり、『狂歌・後撰夷曲集』(1972)の用例が引用され、近世には使用されていたことが解る。

語源は資料により見識が異なっており、複数の説がある。複数の資料を確認したところ、おおむね3つの説がみられた。

(1)ぬかの形状から「こまかい、ちっぽけな」といった意味で用いられ、さらに「頼りない、はかない様子」といった意味も加わり、「ヌカヨロコビ」の語が生じた。

(2)ことわざの「糠に釘」からきている。
『大言海』には「糠ニ釘、利目ナキ意カ」とあり、また『慣用句・故事ことわざ・四字熟語使いさばき辞典』によると「糠に釘を打ち込んだと喜んだら、すぐ抜けて、がっかりした」ことから生まれたとしている。

(3)「喜びが抜けがら」の意。
『日本語源広辞典』によると語源は、「糠+喜び」とし、「喜びが抜けがら」の意として紹介している。    


語源は諸説あるようですが,なるほど「あてがはずれ、あとでがっかりするような時の、一時的な喜び」という意味は確認できました。


さて、今日タイトルの「束の間のぬか喜び」のココロは?


先日の記事黒死病異聞、の巻(2020-02-07)で、故障カメラをDIYの分解修理で、18000相当修理代金を浮かした件を、自慢げに報告しました。たしかに、しばらくは快調な働きを示してくれていて,満悦至極だったのですが、ここのところ、「黒死病」の症状とは別の、原因不明の挙動不審があらわれるようになり、ついにはAFが全く効かなくなりました。


文字通り「束の間の幸せ」「ぬか喜び』に終わったワケでした(トホホ)


仕方がありません。今の所、MF撮影は無問題でできるようですので、MF専用機として活用することにしました。


一時の季節はずれの暖かさが一転して、今日は一日、冷たい雨と激しい風ですが、朝のうちはまだそれほどでもなかったので、私にとっては最初に出会ったMFレンズsmc pentax-m 50mm f1.7(最初の個体は故障して、中古で買い換えましたが)を装着して、近所を歩いてみました。


通り道の庭に咲く紅梅です。


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白梅も見頃。


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ナズナ。


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ホトケノザ。


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ニホンスイセン。


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ピント合わせに手間取りますから、素早く動く相手には追いつけませんが、静物を写すことはまずまず可能です。最短撮影距離が45cmと、マクロ撮影のも不向きですが、それに近い使い方はできそうです。末永く活用してやりたいものです。


私が。特段の理由もなくPENTAX機と付き合ってきたいきさつは,これまでも何度か書きましたので繰り返しませんが、今手元にあるすべての個体が、不調を抱えています。


1)k5Ⅱ---メイン機で、その性能その他には何の不満もありませんが、いつの間にか視度調整レバーが取れて(折れて?)しまいました。視度調整できないのは非常に辛いのですが、我慢してAF任せで撮影することは可能なので、それに甘んじていましたが、つい最近、爪楊枝の先でレバーを動かせることが分かり、かえって不用意に触って位置が変わってしまうアクシデントも防げて、快適に使えています。


2)k30---今日の記事の通り。


3)kr---内蔵キャパシタ電池が劣化した成果、バッテリ-交換のたびに日付設定がリセットされ、いちいち設定しなおさなければなりません。そのたびに新品を買ったうれしさを味わえる、と思えば有り難いことですが、出先で撮影中にバッテリー切れで交換したような時、シャッターチャンスが失われることに怯えながら、日付設定する焦れったさは、好ましいものではありません。魚釣りで、ちょうど当たりが出て、釣れ始めた時に仕掛けがもつれて、交換している時の気持ちとダブります。


3)PENTAXQ(シリーズ)--すべて内蔵キャパシタ電池の劣化で、上と同様の症状です。


でも、だからといって、キッパリ縁を切って他社に乗り換えようとは思いません(たぶん)。


「束の間も我 忘れめや」 というほどの恋心を燃やしているというわけではありませんが、、、。


今日はこれにて。


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続野鳥の森で見たもの、の巻 [折々散歩]

1988年、わが地方に二つの「大橋」が架けられました。一つは瀬戸大橋(南備讃瀬戸大橋)、もう一つは「邑久長島大橋」です。前者については、「夢の懸け橋」と国を挙げて喧伝されましたが、歴史的意義は、後者が勝るといえるかもしれません。全長わずか30メートルのこの橋が負った「人間回復の橋」の名がその重みを端的に表しています。

というようなことを思いつつ、いろいろと記憶をひもとくうちに、こんな過去記事を思い出しました。

Iさんを偲ぶ、の巻(2019-08-26)

Iさんをしのぶ会が、昨日あったのです。しのぶ会は、澄んだ鋭い柝(き=拍子木)の音から始まります。これを打ち鳴らすのは、高校生演劇の指導やみずからも演劇活動に関わって来られたI女史です。実は、故Iさんも、高校教員のかたわら、地方劇団の中心として、長く演劇活動に携わってこられたのでした。

この柝は、実は、当ブログで何度か話題にしたことのある畏友、故Hさんの遺品で、歌舞伎好きだったHさんが入手していたものでした。この記事などは、Hさんと柝との結びつきを思い出させます。

現職時代、私も所属していた岡山高生研(全国高校生活指導研究会岡山支部)のHP(現在は閉鎖中)に、こんな記事がありました。温羅に関する記事を一部引用させて戴きます。

温羅太鼓(ダイジェスト)目次


1990年岡山・倉敷市で開かれた高生研第28回全国大会で,現地実行委員会が発行した情宣紙の題名が「温羅太鼓」。
「さりげなく,だが力強く」を現地スローガンに掲げ,明るく楽しいトーンを大切にとりくんだ全国大会が,岡山高生研に残した財産は何だったか?あらためて確認してみたいものです。
なお「温羅」は「うら」と読み,古代吉備の伝説上の人物。近年岡山県では,町おこしの一環として,この「温羅伝説」にスポットライトをあて,「市民参加型のまつり」として「うらじゃ」祭りが盛大に取り組まれています。
このまつりが始まったのが,1994年だそうですから,岡山高生研の「温羅太鼓」のほうが,4~5年も先輩ということになります。自慢するわけではないですが...。(2007年9月記)

(中略)

「温羅太鼓」と名付けられたこの情宣紙は、1990年8月2日までに34号が発行されています。私も、当時、情宣係の一員として、この発行のお手伝いをし、大会期間中は会場となっていたホテルの一室にとまりこんで早朝から深夜まで、一日数回発行の速報の編集に携わったことが思い出されます。また、現地実行委員会が提供する文化行事として、「温羅」とその一族に焦点を当てた群読劇にも取り組み、私も演者の末席を汚したものでした。このとりくみの中心を担ってくれたのが、当ブログでも何度か紹介済みの畏友H氏でした。その彼は、早々と文字通りの「鬼籍」に入ってしまわれました。

長い引用になりましたが、ここに紹介した「群読劇」で、柝を鳴らしたのは、在りし日のHさんでした。

そして、そのHさんが逝去された後、有志実行委員会で主催した偲ぶ会では、実行委員の一人だったIさんが柝を鳴らしたのだったと、I女史は思い出させてくださいました。下の記事を書いた2014年のことでした。

亡き友を偲ぶ会あり燕来る(2014.3.28)

長い引用を含んだ冗長な引用で、さぞや読み取りにくいことでしょう(汗)。細部は端折って、ここで紹介した情宣紙「温羅太鼓」にこんな記事があったことを言いたかったのです。これを書いたのは私でした。

おかやまうらおもて4
瀬戸大橋

”夢の本四架橋の謳い文句のもと大型プロジェクトの一つとして8988年4月瀬戸大橋が開通した。
全長12.3キロメートルに及び観光橋としては世界1級らしいが,①大橋建設工事で潤ったのは大手企業ばかりで,地元業者はさっぱり,②予想以上の騒音公害,沿線住民は憤激,③高い通行料で気軽に利用するわけにもいかず,④宇高連絡船の廃止で港町は寂れるばかり,⑤地元児島に停車する特急はわずか,⑥橋桁となった島々には,期待された恩恵もなく,地元無視もきわまれりと「怒りの声は里に満ち」ている。

これと並んで、長島大橋についても書いたように思うのに、見当たりません。記憶違いでしょうか()

長島大橋に関連して、「東洋経済ONLINE」2019年10月17日付けの記事(https://toyokeizai.net/articles/-/307361)に栗田 シメイさんがこんなことを書いておられます。

瀬戸内海に浮かぶ長島とそれをつなぐ邑久長島大橋(写真:Sunrise / PIXTA)

https://toyokeizai.net/articles/-/307361

ハンセン病隔離政策で苦しんだ「孤島・長島」の今

「人権の島」を生きた人々の数奇な人生

人間回復の橋――。それは、岡山県瀬戸内市長島にかかる30メートルほどの「邑久(おく)長島大橋」のことを指す。岡山市から40キロに位置し周囲約16キロメートルの長島は、ハンセン病の国立療養所として90年近い歴史を刻んできた。”人権の島”とも呼ばれる長島。“希望の橋”が架かったのは今から31年前だ。これは瀬戸内海に面する孤島が、実に58年間も隔離が続いてきたことも意味する。かつて、国立ハンセン病療養所・長島愛生園内に県立邑久高校新良田(にいらだ)教室という4年制の定時制の高校があった。新良田教室は、国立ハンセン病療養所内で唯一設置された高校だ。1955年の開校から1987年の閉校まで、全国からハンセン病の若者が集まり、その間307人の生徒が巣立っていった。

新良田教室教師の自責の念


新良田教室は、ハンセン病療養中の学生たちにとってわずかな希望でもあった。当時、ハンセン病を発症した子どもたちは、進学への道が絶たれていたからだ。同高を卒業し、完治することで大学や短大・専門学校への進学が公的に認められた。
卒業生の中には、医師・作家・教師・看護師・実業家やデザイナーなど幅広い分野で優秀な人材を輩出した。
新良田教室で1970~1975年まで5年間にわたり英語教師として教員を務めた山下順三氏(78)は、教員を退職した後もハンセン病の啓発活動に勤しんでいる。
山下氏は、自身の回顧録を基にした自主映画も現在制作しているという。山下氏をつき動かすのは、今なお残る自責の念だ。「当時の教員たちは、厚生省・県・医療機関と学校との板挟みでした。生徒たちには全身の消毒が義務づけられ、職員室の前のベルを鳴らすことで、初めて職員室への入室が許可されました。ある日、生徒の1人から言われました。『先生、私たちが職員室に入るときにベルを鳴らさないといけないという行為自体が、偏見と差別じゃないんですか。もう私たちは職員室に行くのが嫌なんです』と。
(中略)

紡がれる思い 新良田の記憶を風化させないために――。そして未来へ

32年前に閉校した1つの特別教室が、未来へと繋がる懸け橋となったのは1年半前のことだ。新良田教室に関わった人々が発案し、映画という形でその記録を公開するプロジェクトが動き始めた。長島を舞台とした映画は、『ベルの音が聞こえる』という名前で2020年春に上映予定だ。自主制作映画でありながら、18名のプロジェクト発起人が立ち上がり、資金繰りから監督の調整まですべて自分たちの足で動いた。
(中略)

岡山の孤島を生きた人々が紡いだ想いは、1つの作品として後世へと継がれていく。

同業のよしみで、邑久高校新良田教室の概要については、既知のことがらでもあり、旧職員の方の幾人かとも面識がありますし、この映画制作についても聞き及んでいました。というよりも、親しい友人であるOさんが、この映画「新良田レクイエム・ベルの音が聞こえる」のオーディションに通って、教師役で出演されていること、その撮影も終わり、今年の春公開予定であることなどなど、ご本人からお聞きしていたのでした。

OさんのFBから、写真を勝手に借用させていただきます

画像に含まれている可能性があるもの:5人、、スマイル

そんなわけですから、太平山野鳥の森からの俯瞰でこの橋を見た時、ピンとくるのが当たり前ですのに、別の橋と勘違いするなんて、何とうかつなことでしょう。いつものことながら、半知半解というのは、とんでもなく恥ずかしい間違いをおかすものかと、改めて赤面した次第です。

それでも、過誤を改むるに遅すぎるということはないわけで、「わずか30メートル」と口で言ってきましたが、実物で見るとその至近さへへの認識が深まる思いがします。その思いから、前回記事へのgonntan様のコメントにこう返させていただきました。「文字通り目と鼻の先のわずかな距離を、自由に行き来出来ないつらさ、くやしさ、察するに余りあります。見下ろせば、ほんのわずかの『隙間』でしかないのに、、、」

終わりに今日の付録。

昨日、馬鈴薯の植え付け準備に、畑を短時間耕したあと、近所の自然環境体験公園へ、PENTAX k-30+ケンコーミラ-レンズ500mmf6.3を持って出かけました。

すると出会ったのは、先日「これなあに?」とお尋ねしたのと同種らしき小鳥。

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頭の頂きに黄色い菊の模様が見えます。キクイタダキですね。

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太平山「野鳥の森」などをわざわざ訪ねなくとも、地元の公園であっさり出会えたのは、嬉しいような拍子抜けするような、、、。

安価のミラーレンズですのでそれなりの画質ですが、500mmの望遠性能は侮れません。(それでも少しトリミングします)

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午後、もう一度、今度はTAMRONレフレックスレンズSP 500mm F/8を持ってでかけました。画質較べは、こっちの勝ち?

マンサクの花(ノートリミング)

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またまたキクイタダキ。

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この鳥は、菊の紋様が赤いです。

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野鳥の森で見たもの、の巻 [折々散歩]

昨日の自然環境体験公園の散歩で、梅やマンサクの花だけでなく鳥たちにも出会いました。ただ、PENTAX k-30に装着したレンズが、70-300mmと、鳥の撮影にとってはやや非力です。


というわけで、以下、すべてトリミング画像です。


ツグミ。


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ムクドリ。


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シメ。


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シロハラ。


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メジロ


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ジョウビタキ♀


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ミヤマホオジロ。


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今日は、瀬戸内市に住む孫宅に届け物のついでに、地図で調べたここへ行ってみました。


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瀬戸内海が見下ろせる山(太平山)に、整備された遊歩道を設けてあり、野鳥観察を師ながら、約一時間の山道散歩ができるようになっています。山道と言っても、能く整備されていて、足もとに不安もなく景観も開放的です。


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名産の牡蠣の養殖に用いる牡蠣筏(かきいかだ)がおだやかな海に浮かんでいます。


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親切な掲示板が、あちらこちらに立てられています。


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そしてこんなクイズもあちこちに、、


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どんな珍鳥に会えるだろうかとワクワクしながら歩きますが、よく整備されているとは言え、傾斜のある山道ですので、結構疲れます。


その上、途中で空が雲に覆われ、冷たい小雨が降り出す始末。


野鳥の森の順路を一回りし、出口あたりにさしかかった頃にようやく薄日が射し始めました。


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この野鳥の森で写せた鳥は?他にも鳥影は見たのですが撮影できたのはこれだけでした。


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トリミングします。


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ジョウビタキ♂でした。


見下ろすと、こんな橋に気づきました。


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近年、日生と鹿久居島(かくいじま)を結ぶ橋が架けられ、車で行き来できるようになったというニュースが蟻、その橋を鹿の群れもわたっているという話も聞いていましたので、ああ、あそこにみえるのが鹿久居島かと、ひとり飲み込みしたのでした。


山道で、こんなものも見つけていましたので。


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鹿のフンです、、、。


が、家に帰って調べてみて、大変な間違いに気づきました。


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地図では中央下方にある「長島」と本土を結ぶ「人間回復の橋」であることに、うかつにも思い至りませんでした。地元RSKTVの番組紹介記事をコピーさせていただきます。


瀬戸大橋開通の翌月に架かった“もうひとつの橋”#邑久長島大橋。「#ハンセン病 に隔離は必要ない」…回復者の悲願だった橋が30歳を迎えます。社会にもたらしたものとは? http://rsk.co.jp/tv/message/

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今日はこれにて。


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森の中のこれなあに?の巻 [今日の「これなあに」?]

前回記事で、分解修理を試みたPENTAX k-30 の試写のため、深山公園を歩いたことを書きました。その時写した小鳥が、家に帰って拡大表示してみても、名前がはっきり分かりません。


今日のこれなあに?その1


最初は後ろ姿ばかり見せているので余計に???です。


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正面顔なのですが。かなり仰角なので顔の特徴がつかめません。


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この姿形から、自分の記憶を総動員してみると、、、


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以前この記事↓に書いたキクイタダキでしょうか?


きくいただきでしょうか?の巻(2017-02-02)


頭のてっぺんに黄色い飾りが見えるような気がします。

キクイタダキでしょうか?
「菊戴」、つまり頭のてっぺんに菊の花をいただいているという命名だそうですね。もしそうだとすると、初めて撮影に成功したことになります。


また、この記事↓でも紹介しました。


取り急ぎご報告まで、の巻(2017-11-01)


そして、昨日はこの鳥に会いましたので、取り急ぎ報告します。


(中略)


トリミングして顔をアップにします。

頭のてっぺんの黄色い飾りがすこしだけ写せました。
キクイタダキ(菊頂)でしょうか?もしそうだとすると、県内では早い情報だと、M師が教えてくださいました。早いのが取り柄ですので、取りあえず写真をupしておきます。


頭の黄色い菊紋が確認できないと、自信が持てません。


そして今日のこれなあに?その2


これも同じ深山公園です。


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地面の草や茂みの間を、素早く動き回る地味な小鳥です。


ウグイスですかね??


一昨日は、郷里の実家に帰り、畑の耕耘などをしてきました。耕耘前の畑には、鹿のものらしい足跡が、しっかり(ダジャレのつもりじゃありません)残されています。周囲には柵を施し、ネットを張ってはあるのですが、意に介することなく、堂々と出入りしている様子。ジャガイモの作付けを計画しているのですが、食害を受けることなく無事に育つかどうか、心配です。


ちょっと出かけますと、正面方向に中国山地がみえます。暖冬の今年も、さすがに最近の冷え込みで、那岐山、後山などの頂は、うっすら雪化粧をしています。カメラを持っていなかったので、携帯で写しました。


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ズームすると、、、


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今日は、午前中、地元9条の会主催の「9の日」行動として、憲法学習会が催され、参加してきました。


学習会は冒頭、世話役のQ男さんが「この9の日行動は、雨に降られたことがなく、今日も晴れ。参加者も、50代、60代、70代、80代、90代とバラエティに富む。(40代以下がいないのは寂しいが)今日は、その90代のAさんのお話しをもとに、改めて憲法を学びましょう」とあいさつ。そして持参のギター伴奏で、「あの日の授業」を歌って、会が始まりました。


あの日の授業

【作詞】笠木透
【作曲】安川誠

1.あの日の先生は 輝いて見えた
  大きな声で教科書を 読んでくださった
  ほとんど何も 分からなかったけれど
  心に刻まれた あの日の授業

~語り~
 「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と
  戦争をしないようにと、二つのことを決めました。
  その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争を
  するためのものは、いっさい持たないということです。
  これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
  これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨てて
  しまう』ということです。しかし、みなさんは、決して
  心細く思うことはありません。日本は正しいことを、
  他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいこと
  ぐらい強いものはありません。」

2.あの日の先生は 熱っぽかった 
  これだけは決して 忘れてはいかんぞ
  あわをふいて ほえたり叫んだり
  心に刻まれた その日の授業

~語り~
 「もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、
  決して戦争によって、相手を負かして、自分のいい
  ぶんをとおそうとないということを決めたのです。
  おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。
  なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の
  国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争
  とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすような
  ことは、いっさいしないことに決めたのです。
  これを戦争の放棄というのです。
  そうして、よその国となかよくして、世界中の国が
  よい友達になってくれるようにすれば日本の国は
  さかえてゆけるのです」

3.あの日の先生は 涙ぐんでいた
  教え子を戦場へ 送ってしまった
  自らをせめて おられたのだろう
  今ごろ分かった あの日の授業

4.あの日の先生は 輝いて見えた
  大きな声で教科書を 読んでくださった
  ほとんど何も 分からなかったけれど
  心に刻まれた あの日の授業


「語り」の部分は、若いHさんが切々と朗読され、胸を打たれました。


この歌について、最近、こちらのブログ記事を読み、深く共感しましたので、勝手ながら引用させていただきます。


「あの日の授業」を再び。

「あの日の授業〜新しい憲法のはなし〜」
という唄を知りました。
詞 : 笠木透 曲 : 安川誠 (1992)

任期中の「改憲」をこの国の首相が明言する今だから、
大きな声で唄い、読み、「あの日の授業」を再現しながら大きく広がってほしい思いです。

https://m.youtube.com/watch?v=_lV7fhgIguU

「あの日の授業」で先生が「大きな声で」「読んでくださった」のは、
「新しい憲法のはなし」
という教科書です。

日本国憲法が施行された1947年に文部省が発行し、全国の中学校1年生がこの教科書で学びました。

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しかし、1950年の朝鮮戦争を期に日本の再軍備が始められると「副読本」に格下げされ、1951年以降使われなくなりました。

私が中学校2年生の時、この教科書を読んでくださった先生がおられました。

私が所属していた速記クラブの先生で、先生が大きな声で読み上げるこの教科書の内容を私たちが速記で書き留める、ということをしました。

だから、この唄で朗読されているものにも聞き覚えがあります。

当時の私は、先生の声を聞きながら、
ふむふむ、そっかそっか、
この国はもう2度と戦争はしない、武器も持たない平和な国なんだな…
と、すっかり安心していたものでした。
現実も知らずに…。

1976年のことです。
この時、先生は、この憲法9条があるにもかかわらず、悲しい戦争の教訓をたちまち投げ捨てて軍備拡大へと向かい続ける現実を見据えながら、私たちに大切なことを伝えようとされていたのだと…

この唄を聴いて、私が体験した「あの日の授業」を思い、しみじみとわかった気がしています。



Aさんは、天皇を現人神と信じ、神風が吹いて神国日本は必ず勝つと信じ込んだ軍国少年としての体験と、戦後の大人・教師への不信の大きさを踏まえ、安倍首相らを先頭に進められる改憲策動によって、戦前が再現されてはならないことを強調され、現憲法は「占領軍の素人が数日間で作り、押しつけた憲法」などとする「押しつけ憲法」論へのアンチテーゼとして、二人の女性について紹介されました。


ひとりは、憲法作成に携わった25人の委員の1人ベアテ・シロタ・ゴードンさん。法律家の長女ニコル・ゴードンさんの「母は、確かに私のように法律の知識はない「素人」だった。けれど母は、日本の女性がどれだけく苦しんでいるのかを能く理解していた」との反論。ゴードンなくして24条はなかった、という歴史真実を改めて再認識しました。


もう1人は、家父長的家族主義に縛られる女性である美智子上皇后。その皇后時代の、2013年79歳の誕生日に際して、「かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市家法草案』のことをしきりに思いだしておりました。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い思いに触れ、深い感動を覚えた---」(宮内庁ホームページ)などの談話を発表。安倍主動の改憲論議への「懸念を感じ取れる内容」とAさんは指摘されました。同感です。


そして、五日市憲法草案をはじめとする市井の人々の「政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い思い」こそ、日本国憲法の底流に息づいているのであって、「素人が数日間で作り、押しつけた」等という悪罵への雄弁な反証が、ここにある、と強く感じたことでした。


私も、うろ覚えで、植木枝盛や安藤昌益の名前を口にしたりなどしましたが、植木枝盛はまだしも、安藤昌益は江戸(元禄)時代の思想家でしたわい。その人権意識・平等意識が、現憲法の底流としてどの程度生き続けているかは、確かめるすべもありませんが、しかし、憲法が謳う人権・民主の理想は、日本及び世界の人民が、そのたたかいのなかで勝ち取り拡大してきたものの集大成なのであって、「素人が数日間で作り、押しつけた」ものではあり得ないと、言いたかった次第でして、、、。


学習会終了後、足を伸ばして、自然環境体験公園を歩いてみました。PENTAX k-30に、久々にSIGMA APO 70-300mm F4-5.6 DG MACROを装着。花の望遠マクロ撮影を試しました。


冷え込みが厳しい中ですが、さすがに立春も過ぎたことを察してか、白梅が、ほころび始めています。


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そしてマンサクも咲いていました。


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春はすぐそこです。


ここで出会った鳥については、次回と致します。


今日はこれにて。


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黒死病異聞、の巻 [趣味]

まずは、前回記事の付録です。同じ機会、同じ場所で写したメジロです。(by PENTAXK5Ⅱ+AFBORG60ED)


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次は、深山公園にて、PENTAX k-30で撮影(昨日)。


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今日の記事は、このPENTAX k-30にまつわるちょっとオタクな話題です。


テーマは「黒死病」。と言っても、新型コロナウイルスの猛威から連想を誘われて、かの高名な破滅的な伝染病「ペスト」の別名を思い出したというわけではありません。


わが愛用のPENTAX k-30に発現した不具合。NET上では「黒死病」というおどろおどろしい病名を与えられ、多くの症例報告がUPされています。


以前、こんな記事を書きました。


割れ鍋に綴じ蓋、の巻(2019-05-02)


最近、PENTAXK30というカメラを中古で買って使っています。HOYAによる吸収という転変を経たPENTAXが、リコーと合併して最初に発売した防塵防滴の「ミドルクラス」カメラです。2012年の発売当時、向井理の出演するCMで注目されました。
発売当時から関心はありましたが、ちょっと奇をてらった尖った感じのデザインが感じが好きになれず(それより何よりお小遣いが及ばず)、手を出さないままで今日まできました。最近、諸事情から手元にPENTAX機がK5Ⅱ一台になり、お手軽お散歩カメラも確保しておきたい思いから、なりゆきでこれを入手したのでした。
思っていたより軽量コンパクトで、使ってみると、デザイン的にも違和感がなく、使い勝手もよくて気に入っています。すでに生産中止になって久しい旧製品の使用感を、今更コメントするのもタイミング遅れというものですが、世間ではよく知られているらしい一つの問題に今更気づきましたのでメモしておきます。
というのは、中古で購入した直後から、シャッターを切って液晶画面で写りを確認すると、画像が真っ暗・真っ黒でがっかり、という現象に時折見舞われました。いや、時折と言うより、かなりの頻度でこの現象が起こります。
netで調べてみると、似た症例がかなりたくさん報告されており、かなりよく知られたトラブルのようです。
自動絞り制御の不具合によるもので、メーカーによる修理が必要なようで、一万数千円の出費を覚悟しなければならないようです。それでは、中古での購入価格と大差なくなってしまいます(トホホ)。
さらにネット記事を探っていますと、自己責任で分解して修理する方法も克明に紹介してあったりします。10年前、いや20年前なら、きっと試してみたことでしょう。ジャンクパソコンの分解組立や、ジャンクレンズの分解掃除など、わくわくしながら試していた頃ですから。ただ、いま振り返れば、成功体験の方が極めて少なかったのですが(汗)
分解修理の方法をとらずにすます方法は?
1)専用バッテリーではなく単三乾電池を使う、
2)しばらく連写撮影をしてみる
3)ファインダーではなくライブビュー撮影をしてみる
などの方法が紹介されていました。その原理を説明するとややこしいので省略しますが、絞り制御ユニットの中の部品が、余分な磁気を帯びることで適切に作動しなくなるためらしいです。


1)の方法が有効と思われて、もっぱら単三電池(充電式)で使用するのを常としていましたが、この条件でもしょっちゅう暗黒症状が出現するようになりました。


2)の方法によれば、ほぼ回復するのですが、何枚、あるいは何十枚連写すれば回復するのか確実ではなく、肝心のシャッターチャンスに対応しかねます。


3)は、私の撮影では実用的でありません。


というような中で、どうしてもストレスがつきまとうので、気持ちにゆとりのある場合にしか、このカメラは持ち出せず、勢い使用頻度が減ります。


いっそ、思い切って修理に出そうかと迷うこともあるのですが、どうやら修理代金は1万8000円といったところらしい。これでは、本体の中古購入価格を上回り、馬鹿馬鹿しい限り。いっそ、別機種の中古購入を検討しようか、とも迷うのですが、困ったことに、この症状は、わがk-30のみならず、シリーズのk-50、k-70、k-s1、k-s2でも、高い頻度で発症するそうで、代替機を得ても、同じ苦労を覚悟せねばならぬらしい。


で、とうとう、悪魔の誘惑にあらがいがたく、禁断の「分解修理」に着手してしまったのです。


いつも、この種のDIY(do it yourself=自分自身でやる)で、懲りることなく陥る失敗は、外した部品やネジがどこの部分だったか分からなくなる悲劇。このたびも、それを怖れて、慎重の上にも慎重を期して、発泡スチロールに書いた図面の該当位置に、ネジを突き刺して保管し、組み立て時に正確に使うことに留意しました。


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外皮をはぎ取ると、見事に骨格があらわれました、ここまでは、難しい作業ではありません。


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蓄電しているコンデンサ類に触れると感電の危険があるということで、そこは慎重に、、、。


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電磁コイルの中にあって、露出を司るこの馬蹄型の部品が、電磁石の影響で磁気を帯びたままで悪さをする、というのがこのトラブルの原因であるようです。薄くハンダを載せることで、電磁の影響を減らす、という方法や、ヤスリで一部を削るなどの対処法が,NETでは紹介されています。


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ハンダとハンダごては、いま孫宅へ出張中なので、ヤスリで削る術をほどこすことにして、元の姿に組み立てなおしました。はやる心で電池を入れ、電源ON。早速試写してみますと、、、、、露出異常は、まったく起こりません。ひょっとして、18000円に匹敵する手術成功?嬉しいです。


組み立てが終わっても、ネジが2本余ったんですが(汗)、、、気にしない気にしない。


昨日は、午前中、かかりつけ医への通院のあと、このPENTAX K30をもって、深山公園を歩いてみました。


ヤマガラ。


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シロハラ。


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キジバト。


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そして、カワセミもいました。


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さて、「黒死病」の癒えたこのカメラ、いつまで活躍してくれるでしょうか?楽しみです。


嬉しいことがもう一つ。


昨日、かかりつけ医で、血液検査をしていました。


昨年夏に受けた人間ドックで、腫瘍マーカーにやや高い数値が出て、このかかりつけ医で再検査をしてもらったら、またまた基準を超える数値。経過観察ということで、昨日、検査してもらっていました。その結果を、今日電話で聞くと、正常範囲。ほっとしました。


今日はこれにて。


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クロガネモチをついばむメジロ、の巻 [折々散歩]

立春を過ぎてから本格的な冬の寒さがやってきたようです。大阪の孫も、瀬戸内市に住む孫も、同じ時期にインフルエンザに罹ったそうですが、漸く元気な声を聞かせてくれました。心配なのは新型コロナウィルス禍の成り行きです。だからといって、「桜の話どころじゃない」とはなりません。それから、賄賂まみれの賭博場騒動も、追及の手をゆるめるわけにはいきません。

事ほどさように心塞ぐことばかりですが、少しは癒やしも必要でしょう。先日のレンジャク観察の手待ち時間、しきりにクロガネモチの実をついばむメジロたちを、沢山写しましたので、ついでにUPしておきます。

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今日はこれにて。


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ようやくに尋ね当てたる緋連雀、の巻 [折々散歩]

ずいぶん以前こんな記事を書きました。

今日雨水青空も得しヒレンジャク(2014-02-19)

先日、M先輩から、写真も添えて教えていただいた鳥情報に誘われて、教わった公園に出かけてみました。

近所は通りかかることがあるのですが、中に入ったのは初めてでした。

すると、いろいろな鳥に会えました。

お目当ての、ヒレンジャク。いましたいました。

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緋連雀ひとたびたって影見えず(2014-03-08)

こんな句がありました。

緋連雀一斉にたってもれもなし 阿波野青畝

阿波野青畝についてウィキペディアはこう解説しています。

阿波野青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月10日 - 1992年(平成4年)12月22日)は日本の俳人。本名は阿波野敏雄。昭和初期に、山口誓子、高野素十、水原秋桜子とともに名前の頭文字を取って『ホトトギス』の四Sと称された。

大野林火の「近代俳句の鑑賞と批評』(明治書院)はこの句を取り上げて、こう解説しています。

幼時耳を患い、耳の遠いことが青畝の抒情詩人に駆り立てている。俳句を始めた畝傍 中学5年のときの句に「虫の灯に読み昂りぬ耳しひ児」(大正6年)があり、虚子を感嘆せしめている。加うるに当時郡山中学に教鞭をとる主観尊重の原田浜人の指導を受けていた。そのころのホトトギスは原月舟を中心にもっとも繊細な客観写生の試みられていたときである。少年 青畝はその不満を虚子に訴えた。「御不平の御手紙拝見しました。浜人君からも似よった御手紙をもらいました。しかし私は写生を修練して置くといふことは、あなたの芸術を大成する上に大事なことと考へます。今の俳句はすべて未完成で其内大成するものだと考へたら腹は立たないでせう。さう考へて暫く手段として写生の錬磨を試みられたならあなたは他日成程と合点の行く時が来ると存じます。不取敢(とりあえず-引用者中)其れだけを御返事と致し置きます。」が虚子の返事である。写生という、大きな、緩い、しかしながら強い 羈縛の許に、俳句会を率いてきたのが虚子である。大正八年九月のことである。この来書に青畝は大いに悟り、次第に写生を重んじ、謙虚に自然に接し、以後、その考えは揺ぐことがない。

森田峠によると、七月三日中学を卒えた青畝は半年ほど京都で下宿生活をしていた。そのころ、嵐山付近ではじめて緋連雀を見かけて、この句が出来たという。連雀は東部シベリア地方から秋季群をなして渡来する鳥、尾の先が黄色のものを黄連雀、赤いものを緋連雀という。体は葡萄色、翼と尾羽は黒色、小声でチリチリと鳴き、群をなして生活をする習性がある。

この句、その習性をとらえて彩色豊かな 一幅の日本画に仕立てている。眼前の賑やかな美しさは「一斉に立って」「もれもなし」で、すべては眼前から消え去ったのだ。一句の調子が張っている上に、景を叙べて印象明瞭であるため、眼前の美しさと、瞬時消え去った空白感との落差が鮮やかに伝わる。作者の主観はそうしたところに息づいているのである。

今年は、二度の訪問で、続けて運良くヒレンジャクの姿を納めることができました。

が、この状態から一斉に飛び立って去っていったのが、今年の緋連雀の見納めだったかも知れません。

それから時は経過して、こんな記事にもヒレンジャクが登場します。

ヒレンジャク再び、の巻(2018-03-12)

フカヤマと書いてミヤマです,の巻(2)(2018-04-02)

この日もカメラマンさんたちが、そこここで大きなレンズのカメラを構えておられます。その先を窺うと、、この鳥が飛んできて梢の先に止まったのが見えました。

この日は、子守がメインですので,望遠撮影の準備をしていません。携行カメラの最大望遠性能は、OLYMPUS E-PM1+lumix G VARIO 45-200mmです。これを,デジタルテレコンを有効にすると、400mm相当。35mm換算で800mm相当になるはずですが、、、豆粒ですね。
トリミングします。
ヒレンジャクに再会か?と思ったのですが、、、。

よくよく色の具合を見ると、、

これってキレンジャクじゃありません???

そして、つい最近、この記事に書いたとおり、またレンジャクの姿が見られるかも、という期待が募っていました。「募集する」という意味の「(-を)募る」(他動詞)、ではなく、「ますます激しくなる」という意味の「(-が)募る」(自動詞)です。念のため。

心ははやれど.の巻(2020-01-20)

M師から、レンジャクの飛来場所を教えていただきました。

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近くに、ミコアイサも見られる由。

先日、ようやくミコアイサは目撃することができましたが、レンジャクは去ったあとで、残念な思いをしたことでした。が、2月になってから、またM師から「またまたレンジャクが来ました、、、2、3日は滞在するのではないかと 思います」とのメールをいただき、おおよその場所も教えていただきました。ここのところ、いろいろと野暮用があって、まとまった時間が取れないと思いつつも、矢も楯もたまらず、今日の午前中、思い切って出かけてみました。

教わったあたりを車でウロウロしていると、巨大レンズや三脚などを装備したそれらしい方々が数人、街路樹の方を窺っておられるらしい様子が、遠目にも見て取れました。車の駐車場所を見つけるのに手間取りましたが、ようやくのことでお仲間に紛れ込むことができました。

と、しばらくして、にわかにカメラマンさん達の間に緊張が走り、上空を数羽がこちらに向かって飛んできて、少し離れた梢に止まるのが見えました。慌ててシャッターを切りましたが、またいっせいに飛び立ち、実際に写せたのはわずかの枚数でした。証拠写真だけは残せましたが、遠いのでトリミングします。

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緋連雀(ヒレンジャク)も黄連雀(キレンジャク)も混じっているようです。

と、先客の女性カメラマンの方から、撮れてよかったですね、と声をかけられました。見ると、なんと、M師の奥様でした。野鳥写真では知る人ぞ知るベテランカメラマンです。M師は午前中、地元のスケッチの集まりに出かけておられる由で、お一人で撮影に来られていたようです。といっても周囲のカメラマンの方々も、お知り合いのようですが、、、。

その場で待つこと小一時間、今度は近くの山の木枝の先に、さっきより沢山のレンジャクたちが舞い降りて止まりました。

持っていた機材は、PENTAXK5Ⅱ+AFBORG 60EDですが、さすがに遠すぎ、トリミングしないと姿が確認できません。

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思い切ってトリミングします。

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欲を言えばキリがありませんが、証拠写真が残せて、来た甲斐がありました。そうこうするうちに、お昼も近づいた頃、M師もおいでになり、声をかけてくださいました。直接お礼も言えて、嬉しいことでした。

今夜は演劇鑑賞。劇団民芸の「集金旅行」。井伏鱒二原作の、軽妙でコミカルな舞台。楽しい一日でした。

今日はこれにて。


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カモカモエブリバディ、の巻 [折々散歩]

2月1日(土)の早朝、ラジオから童謡「証城寺の狸囃子」が流れてきました。それと前後して、「今日は何の日」として次のようなできごとが紹介されていました。



■1895年(明治28年) 京都で日本初の路面電車が走る
■1946年(昭和21年) ラジオ「英語会話」放送開始
■1948年(昭和23年) エリザベス・サンダース・ホーム開設
■1953年(昭和28年) NHKテレビの本放送が始まる
■1954年(昭和29年) マリリン・モンロー来日
■1987年(昭和62年) 北海道・広尾線廃止
■1989年(平成元年) 相互銀行が普通銀行へ転換


1946年(昭和21年)のこの日、放送開始されたNHKラジオ『英語会話教室』は、1951年2月9日まで、毎週月曜から金曜日までの午後6時から15分間放送されたそうですが、その主題歌「カムカムエブリバディ」は、「証城寺の狸囃子」の曲に、平川アナウンサーが歌詞をつけたものだといいます。



Come, come, everybody.
How do you do, and how are you?
Won't you have some candy,
One and two and three, four, five?
Let's all sing a happy song,
Sing tra-la la la la


ウィキペディアにはこんな解説が載っています。


平川 唯一(ひらかわ ただいち、1902年2月13日 - 1993年8月25日)は、日本放送協会(NHK) のアナウンサー、ラジオの英語会話講座講師。通称「カムカムおじさん」。1946年から1951年までラジオ番組「英語会話教室」を担当し、人気を博した(番組は「カムカム英語」という別名で知られる。岡山県出身。


この平川さん、岡山県の現高梁市のご出身で、「1916年に津川尋常小学校高等科2年を修了し農作業の手伝いをしていたが、1918年の16歳のときABCも知らないで、数年前からアメリカに出稼ぎに行っていた父を追って兄と渡米し、ポートランドで半年ほど線路工夫などに従事し、、、(ウィキペディアより)」と、大変ご苦労されたのだそうです。


今日の表題は、「鴨、鴨、、、」の駄洒落です。


自宅近くの用水路に、今年もコガモが姿を見せてくれています。


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早朝のNHKラジオでは、2月1日の誕生日の花は「花菜(ハナナ)」だと言っていました。道端にの畑に咲いているこれは、野菜の花ですね。


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これまた散歩道の脇に咲く紅梅。


2月の別名を「梅見月」と言うそうですね(ただし、旧暦のようですが)。


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今日の付録。前回記事で、シジュウカラをGIFファイルでUPしてみたのですが、ファイルサイズが大きすぎて送信できませんでした。何とかファイルを縮小してみたのですが、今度は静止画のままで、失敗続き(涙)今日は、そのリベンジで、小さなサイズの「動くGIF」にしてみましたが、さていかがでしょう?


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今日はこれにて。


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睦月晦日の鳥三昧、の巻 [折々散歩]

早くも今日は2月1日。三日後には立春だそうです。


わが地方では、昨日は、統計上最も遅い初雪を観測したと言いますが、風に吹かれてちらほら雪片が舞う程度。暖冬異変はどこまで進むのか?トランプさんは悲観するなとおっしゃるが、なんとも無気味です。


1月31日の鳥たち。


まずは雀。


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山雀(ヤマガラ)


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四十雀(シジュウカラ)


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コゲラ


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シロハラ


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最後はカワセミ。


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急に飛び立ったのでダイビングかとシャッターを押しましたが、捕らえきれず、思いもよらぬ遠くの方へ飛び去りました。


見ると、こんな招かれざる客が、カワセミの止まっていた枝をのそりのそりと匍匐してました。取り逃がしてふてくされ気味のネコ君です。


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今日はこれにて。


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フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

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写真素材 PIXTA


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