梅雨明けの日の雷雨、の巻 [折々散歩]
今朝の地元新聞が,梅雨明け情報を載せています。
広島地方気象台は30日、岡山県など中国地方(山口県を除く)が梅雨明けしたとみられると発表した。平年より9日、昨年より5日遅い。
その梅雨明け当日の昨日の昼下がり、雷鳴がとどろき、激しい降雨がありました。ちょうどお出かけ中でしたので、土埃で汚れきったマイカーが、車体も足回りも洗い流されて,心持ちきれいになりました。
今日も、午前中から昼前までよく晴れていましたが、ちょうど先ほど、大雨洪水警報が出され、雷鳴も聞こえてきました。ちょっと危険なのでPCの電源を落とします。
今日は,小中学生の終業式。昼前に帰ってきて、焼きそばを一緒に食べました。明日からは,遅ればせの夏休み.さてどんな夏休みになりますか。
雨の中、高校生のお迎えに行きました。今朝は出遅れて、自転車を置いて、車で送ってもらったそうです。大雨洪水警報はでていても,我が家の周辺にはまったく気配がありません。今日も「洗車」効果を期待して,敢えて発達した雨雲が威力を振るっているように見える方面を経由して、走ってみました。すると、ワイパーを最速で動かしても、まったく前が見えないほどの激しい雨風に見舞われました。対向車の跳ね上げる水しぶきで,一瞬前方が見えなくなることもしばしばです。ところが、車を走らせるうちに,すっかり雨が上がり、道路もカラカラに乾いているらしい場所があります。わずか数百メートルの違いで、大きな違いです。そう言えば、梅雨明け後のこの雨は、まさしく夕立。「馬の背を分ける」とはよく言ったものです。
夏本番を迎え、庭の朝顔が涼を演出してくれます。
快晴の午前中、自然環境体験公園を歩いてみました。小ぶりの鳥が飛んできて枝に舞い降りた,と見えたのは、、、クマゼミでした。
しきりに合唱しています。
アブラゼミも,すこぶる元気。
トンボも、夏を謳歌しています?
ひさしぶりにカワセミをカメラに収めることができました。
カイツブリの親子。
ひな鳥は2羽いるようです。
雀の幼鳥。
蓮田に、バンのペア?
今日はこれにて。
三文の徳、の巻 [今日の「これなあに」?]
今日の「これなあに?」25日(土)の朝散歩で写しました。
ちょっと引いて全体を写せば、、、白いムクゲです。
先日の記事の補足として、UPしておきます
ピンクのムクゲ。
ベニシジミ。
朝起きは三文の徳で、ささやかながら嬉しい出会いがあります。
朝早く、老父からメールが届きました。今朝の地元新聞に投稿が掲載された由。「それはよかった」と、すぐに返信したつもりが、「送信」ボタンを押さないままで、遅い返事になってしまいました。
昨日は、現役最後の年を迎えているかつての同僚の投稿も掲載されていました。また、先週でしたか、新人時代の職場の先輩の投稿も目にしました。懐かしいお名前を目にし、近況が推し量られて、新聞投書が俄然身近に感じられることでした。
今日は年金者組合の全県の大会があり、地元支部からの参加者を車にお乗せして、出かけてきました。会場にも、久々にお目にかかる懐かしい顔ぶれがありました。高齢の皆さんですが、相変わらず意気軒昂です。
老父の今朝の投稿もこんな具合で、まだまだ元気です。
文字起こししておきます。
小学生との体操が元気の源
今年は、 新型コロナウィルスの影響で、夏休みのラジオ体操ができないかと思っていたが、コミュニティハウスの広場は3密にならないので、老人会「元気会」と学童と一緒にラジオ体操が始まった。
古い日記を見たら、平成9(1997)年7月22日から、小学生の夏休みに合わせてコミュニティハウスの広場でラジオ体操をしていた。それで一日が始まる。毎年休まず続けてきた。年相応に足腰が痛くなったので十分な体操ができないが、若い人たちと話をするのを楽しみに休まず出ている。いつまでできるか分からないが、週1回、リハビリを療法士の先生に懸命にしてもらっているので良くなっており、今年は休まず行くつもりだ。
夏休みのラジオ体操を始めた頃の小学生は既に大人になり、子どもさんがいる人もいる。元気会の人は次々と減少して寂しいものだ。体操が終わってからの朝ご飯はいつもより食が進む。元気の源と思う。来年のことは誰にも分からないが、健康でラジオ体操に参加できればと思う。
曾孫の面々も一緒に、元気にラジオ体操ができる日が近いことを祈ります。
今日はこれにて。
夏の日の思い出、の巻 [日録]
オリンピックが開かれるはずの「スポーツの日」だった7月24日(金)、年金者組合の地元支部主催の、「2020年度支部総会&ミニ講演会」に参加しました。
開会に先立ってギター伴奏で、「夏の思い出」「われら人生六十から」の歌を愉しく歌ってスタートしました。後者は、おなじみの「♪汽笛一声新橋を」のメロディで歌う替え歌です。歌詞は次のとおり。
一、われら人生六十から
心もからだも元気にて
七十で迎えに来たならば
ただ今お留守と言いなさい
二、われら人生六十から
いつもニコニコほがらかに
八十で迎えに来たならば
まだまだ早いと言いなさい
三、われら人生六十から
何も不足は言いません
九十で迎えに来たならば
そんなにせくなと言いなさい
第1部はミニ講演会。「一人でも行動する文化」と題して、緋田博(ひだ ひろし)さんのお話しを聞きました。講師の緋田さんは、岡山医療生協を定年退職後も、「笑いヨガ」など、健康問題を中心に講演活動を続けていますが、この日の講演ではそこを離れ、手づくり新聞「ひだニュース」発行にかける思いやこだわりを中心に、問題提起を込めたお話しがありました。
「ひだニュース」は、緋田さんが、三年ほど前から平和・地域温暖化・環境問題を中心に、新聞、雑誌などから気になる記事をまとめてコピー、冊子にして友人,知人に配布しているもの。緋田さんがこの新聞発行を思い立ったきっかけは、2016年8月、シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)解散時の「終わりは『新しいことの始まり』のはじまり」という言葉に共感したことだそう。「ひだニュース」では「一人でも行動する文化を根付かせてくれました。戦後民主主義は捨てたものではない。私たちは、平和憲法のもと『平和と民主主義と愛といのち』の大切さを教わり.大きな流れになっています。私は『ひだニュース』をとおしておくりたい。『民主主義ってなんだ!』『これだ!』『私はどうする!』共感するところからつながりましょう。一人の行動から、できるところから、つながりましょう」と呼びかけています。
緋田さんを動かしたもう一つのエポックは、笠原十九司「戦争には『前史』と『前夜』がある」(月間「世界」)という論文への書評を読み、入手するため奔走したが、書店には戦争肯定・讃美の史観のもとづく右翼的出版物は溢れているのに、真実を伝える書物が手に入りにくくなっている現実に驚愕したこと。そこから、「学びの広場」主催の笠原講座成功のため奮闘するとともに、個人名を冠したニュースの「恥ずかしさ」を乗り越えて、知り得たこと・気づいたことを広く伝える活動に取り組んでこられたそうです。
「戦争前史・前夜」に関するリアルな史実、除草剤「ラウンドアップ」グリホサート・輸入小麦の危険、佐藤広美著「災禍に向きあう教育―悲しみのなかで人は成熟する」の紹介など話題は多岐に及び、四十五分があっという間に感じるほどでした。さらに、 質疑応答の時間も、「種苗法・種子法」をめぐる動きや「里山」の復権など、話は尽きず、知的刺激に満ちたミニ講演会となりました。
第2部は、年に一度の定例の支部総会。二〇一九年度の総括と新年度方針。新役員などの議案が、提案通り承認されました。
上の写真を撮影したカメラのdataに、同日夕方付けでこんな写真も残っています。
孫のひとりが26日に2才の誕生日を迎えるので、前祝いにプチケーキでパーティです。
郷里の老父が、『ライン』にこんな写真を送ってくれました。そして、こんなメッセージを添えてくれています。
「7月26日の、誕生日の花は、むくげです。花言葉は、デリケートな美。 柔和です」
「おのずから今日を選びて咲きにけりいちにち花よ白いムクゲよ」
と歌にあるとおり、ムクゲは、朝に咲いて、 翌日の夕には萎む一日花だとされています。
今年のムクゲは、あまり写す機会がありませんでした。
ムクゲについて書いた過去記事で、思い入れの深いものを再掲しておきます。
散ってまた咲く無窮花や野分ゆく(2016-09-05)
置き換えてみればよくわかります。
ある日突然におふれが出て、これまでなじんだ姓名を名乗ることはまかりならぬ。改名せよ。たとえば山田太郎ならトム・ヤマダーノ、佐藤春子なら、ハルースカヤ・サトヴィッチなんて具合に。
抵抗して、改名手続きしない輩は、子弟を小学校にやることもまかりならぬ。なんてことになったら、冗談きついよ。ですよね。
またこんなおふれが出されたら?
今後一切、会話、及び通信には、常に公用語の○○語を用いるべし。下等言語たる日本語を用いてはならぬ。みだりにこの禁を破りたるものは、スパイと見なし断罪する。なんてこと、あり得ませんよね。
はたまた、こんなおふれ。
今後、すべからく国民は、薔薇の花を愛で、その美をたたえるべし。下劣きわまる文化伝統によって一般国民にいたるまで偏愛せる桜は、その花に妖毒を含みたること明らかなるによって、公共の施設、街路、私有地、山林原野を問わず、桜の樹は一切抜去し、その跡地にはことごとく薔薇を植栽すべきこと。これに背いて密かに桜を栽培したるもの、または、口頭、文筆、言論等において桜を賛美したるものは、罪軽からず。なんてこと、出来の悪い空想未来小説ですよね。
でもこんなことが、かつて実際にあったとしたら、口アングリではないでしょうか?
「創氏改名」という言葉を、ネット上でを検索しますと、「世界大百科事典」の以下の記述がヒットします。世界大百科事典 内の創氏改名の言及
【皇民化政策】より
…生徒は相互に監視させられ,朝鮮語を使った友人を摘発するのが日課となった。翌39年11月には,天皇家を宗家とする家父長体制に朝鮮人を組み込むために,〈創氏改名〉に関する法律を公布,40年2月から実施された。朝鮮人はついに自分の名さえ日本式に改めねばならなかった。…
【太平洋戦争】より
…これらの日常活動は,いずれも〈内鮮一体論〉に基づくものであり,国民総力朝鮮連盟の結成は,朝鮮における天皇制ファシズムの成立を意味していた。皇民化政策のなかでも日本語の使用と創氏改名は,朝鮮人に計り知れない苦痛を与えた。1938年3月公布の朝鮮教育令により朝鮮語は随意科目とされ,学校での朝鮮語の使用が事実上禁止されたばかりでなく,43年からは〈国語普及運動〉が大々的に展開された。…(中略)
「皇民化」の名の下に、名前を奪い、言葉を奪い、愛する花まで奪う?
そんなトンデモバナシを、最近読んで驚きました。
先日から、槇村浩の話題で、連続的に登場戴いている藤原義一さんが、「あなたに贈る短歌の花束」という本を出版されています。奥付を見ると2004年6月発行とあります。実はこの本、私は、ちょっとした縁で当時贈呈を受け、パラパラめくり読みしては、本棚に収めておりました。時々手に取ることはありましたが、全巻通読はしていませんでした。
しかも、筆者の藤原義一さんと、「草の家」学芸員として槇村浩を研究されている藤原義一さんを、同一人物と理解できず、深く確かめることもなく偶然の一致に寄る同姓同名の別人と思い込んでいました。うかつなことでした。
つい最近、この本を手に取り、読み進むうちに、こんな記述に出会い、驚愕を覚えました。(中略)
『金夏日歌集 無窮花』(一九七一年二月一日発行。光風社)を読みました。著者の名前は、キム・ハイル。無窮花は、ムグンファと読むのだと思います。ムクゲのことです。
著者は一九二六年(大正十五年)、朝鮮慶尚北道・桃山洞の一貧農の家に生まれました。そして、一九三九年(昭和十四年)、十四歳のころ、すでに朝鮮から日本に渡っていた父をたずねて、母と長兄夫婦、次兄らと日本に渡ります。彼が生まれる前の一九一〇年、日本は日韓併合で朝鮮を植民地にしていました。
「あとがき」で、ムクゲについて、こう書いています。
「日本帝国主義の侵略とその統治下においては、 朝鮮民族が限りなく愛するこの花を、自分の土地に植えることも、またこの花について話すことさえ許されなかったのです。
こうした抑圧のなかで、 無窮花はなおのこと私たち朝鮮民族の心に生きつづけ、私は幼い時から祖母や母に無窮花の美しさをひそかに聞かされてきましたが、祖国朝鮮に私が生まれ育った時代にはついに見ることができませんでした」
日本は太平洋戦争を始めました。長兄は日本海軍の軍属としてとられ、戦死します。著者も東京の戦災の炎をかぶり、両眼失明しました。さらに、こんなことが行われたのだそうのです。
(中略) 一九一〇年、日本は日韓併合で大韓帝国を植民地にしていました。同年八月二十九目、目本は朝鮮にその植民地文配のための政庁・朝鮮総督府を設置しました。(韓国統監府を改組)。 (中略)日本の植民者は、朝鮮に次々と日本の「軍国の花」 ・桜(ソメイヨシノ)の苗を植樹し、桜の名所を作っていきます。鎮海(チネ)の日本海軍の軍港には我が海軍の微章にちなみ一九一〇年に二万本、一三年に五万本、一六年に三万本、合計十万本の苗木が植えられました(『ある日韓歴史の旅鎮海の桜』、竹国友康、朝日新聞社)。
第四代朝鮮総督の斎藤実の時代には弾圧一辺倒では治まらなくなって民族紙の発行を許可します。「朝鮮日報」、「東亜日報」が創刊されました。しかし、それらは朝鮮総督府警務局が検閲しました。(中略)
「東亜日報」は、 一九二五年十月二十一日付に「読者と記者」の欄に「錦細江山の表徴『朝鮮国花』無窮花の来歴」という記事を載せました。
「昔のことですが、大韓時代に無窮花を国花として崇め尊んだのは、どういう理由からなのですか」(東大門外ユク・チュングン)という読者の質問に答えたものです。
「今から二十五、六年前」に尹致実(ユン・チホ=開化派の政治家)が愛国歌を:創作したが、その繰り返し部分に「無窮花三千里華麗江山(ムグンファサムチョンリョガンサン)」がありました。その時、初めて「木種(クンファ)」を「無窮花」と書き出したらしい。これと前後して島山安昌弘浩(トサナンチャンホ=独立運動家。一八七六-三八年)らが民族連動、国粋運動を展開する時、朝鮮を無窮花にたとえて「われわれの無窮花(ムグンファ) の丘は……」と演説しました。この時を前後し、木樓(クンファ)を「ムグンファ」とはっきり使いだし、朝鮮の国花と定めたようです。
記事は、こうした説明をした後で、次のようにのべています。
「---無窮花はそれほど華麗でもなく、枝とてそれほど美しくもなく、その上、葉は密集していて趣とてないのですが、朝露を浴びて咲いては夕刻に散り、また他の花が朝咲いてタ刻に散るというふうに、絶えず咲いては散る様が、 刹那を誇って風に散るのを武士道の誇りとしている桜よりも、赤色だけを誇る英国の薔薇よりも、花房だけただ大きいだけの中国の芍薬(シャクヤク)よりも、どれほど粘り強くて堅実であり、気概があって祈願がこもっていてみずみずしくて可愛らしいことは、ほかの何ものにも比べることはできないでしょう。
それで私たちの祖先は、この朝生夕死ではあるけれど、次々と咲く木槿を無窮花と呼んで国花としたようです。
しかしいまでは、無窮花が名にし負うほどの使命を果たせず、西北道では見られぬようになり、京畿方面では心ある人たちの丘の飾りとなり、全羅道では農家の垣根として残っているだけだそうです」
この記事は、 朝鮮総督府警務局が押収しました。ムクゲについては、過去にもこんな記事を書きました。
◆七夕雑話
◆雨の日の感傷散歩(せんちめんたるうぉーく)の巻
◆野分去ってオールドレンズと遊ぶ朝「無窮花」という別名は知っていましたが、苦難の歴史は知りませんでした。
近所の散歩道のムクゲです。
7月23日が『海の日だったそうですが、2才になる孫が、初めての海遊びを楽しんだのは、25日(土)でした。
0才児は、ずっと木陰でお昼寝。
次に会えるのはいつでしょうか。
今日はここまで。
「おめでとう詐欺」ですって?の巻 [日録]
まずは、最近の鳥写真のご紹介。
最初はホオジロ。
つぎは?
どうやら、ヒヨドリの幼鳥のようです。
カイツブリの親子。
これは鳥ではなかった、、、
これも鳥じゃありません。
さて今日の本題はこれから。
何日か前、パソコンの画面が突如変わり、「おめでとうございます。あなたが当選しました」云々のメッセージが出て、「iPhone 11 Pro」(でしたっけ?)を100円で購入する権利が抽選で当たったというのです。簡単なアンケートに答えるよう求められますので、一つ一つ答えていくと、最後にここをクリックしてくださいとあります。アンケートの送信ボタンだと思い、クリックしようとする、わがパソコンのセキュリティソフトが、「このリンク先は安全でない可能性があります」とメッセージをよこします。「可能性」の問題ですから、安全である可能性もあるんだよな、せっかくのチャンスを棒に振るのもシャクだし、、、と、しばし躊躇しましたが、「ま、iPhone 11 をどうしても欲しいわけじゃないし、、、何しろ、私は敢えてガラケーを使い続ける覚悟で、ほんの何ヶ月か前、『簡単ケータイ』の機種変更をしたばっかりだし、、」と言い聞かせて、キッパリ画面を閉じたのでした。(キッパリ画面を閉じたために、どんな画面だったか記録してなかったことがいささか残念です。)
後日ゆっくりネット情報を探ってみますと、案の定、数年前から話題になっている「おめでとう詐欺」という手口らしい。ついに私も、はめられそうになったワケです、くわばらくわばら。
あるサイトに、こんな画像が紹介されてましたが、まったくソックリだったような気がします。
こんなミエミエの手口ですが、「こんなラッキーチャンス、逃しちゃ損」と、半ば以上信じかけた自分が、お恥ずかしい限り。しかも、ぶら下げられた餌が、私の食欲をさほど刺激する代物でなかったからよかったものの、欲しくて堪らない景品だったとしたら、たとえ「安全でない可能性」があったとしても、敢えて危険を冒してでも虎児を求めようとしたかも知れません。未然にトラブルを避け得たことを僥倖として、二度とあやまちを繰り返さぬようにと、大いに自分をいましめたことでした。
未然にトラブルを避けるという点で、思いつくのは、例の「goto トラブル」。東大先端研の児玉名誉教授の警告。「エピセンター(震源地)を全力で止めないと、来月は目を覆う状況になる」謙虚に耳を傾けるべきではないでしょうかね。
連休は、孫たちと接するうちに、あっという間に過ぎ去り、ブログ更新もままなりませんでした。この連休での、我が家への瞬間最大滞在人口は、大人6人と、子ども(高、中各ひとりと、小学生ふたり、さらに、5才、4才、3才、1才、0才の9人)。総勢15人(数え間違いがなければ)の密状態でした。連休が終わって『日常』がもどると、その閑散さがいたく身に沁みます。
今日はこれにて。
その後のことども、の巻 [日録]
前回記事に紹介した我が家の軒先のツバメは、ようやく巣立ち、仲間と合流して、秋の旅立ちまでの集団生活にはいったことでしょう。
下のツバメは、我が家のそれではなく、先日郷里に帰る途中に立ち寄った商店の駐車場で見かけたものです。
さて、人間界は、新型コロナ蔓延の不安を抱えたまま、自滅的なインパール作戦さながらの「goto キャンペーン」期間に突入しました。その影響もあってか、あちこちで県外ナンバーの車もよく見かけるようになりました。自粛期間中は、県外ナンバー車はとても目立って、身近なケースとして、白眼視を怖れて「私は県外ナンバーですが在住者です」という標示をしている人もいるほどでした。
大阪在住の孫たちは、一時期はさすがに往来に遠慮があったのですが、 この連休は、少し気軽にやってくることができました。昨日の夕方到着。従兄弟姉妹達と久しぶりにたっぷり遊ぶことができました。
明るいうちから花火などを楽しみました。
今日は一日、雨が降ったりやんだりでしたが、もう一組のいとこ達も集合。乳幼児、保育園児、小学生が楽しく一日一緒に遊びました。部活から帰った中学生の兄も合流。夜はジジババ宅にお泊まりすることになったのですが、帰らなければならない保育園児の女の子は、悲しくて泣き出しました。
いつもなら、正月、五月連休、盆の次期などにあわせて、郷里の老父母の元へ家族4代つどい、元気な姿を確認するのが習わしですが、今年はコロナのために思うに任せず、長らく孫(老父母にとっては曾孫)の姿を見せることができずにいましたが、先週は、小4と保育園児の女の子、先々週は上記の泣き出した保育園児と0歳児の姉弟という風に、五月雨的に訪問しています。
鯉に餌をやったり、、、
沢ガニを捕まえたり、いつもの年と同じ、夏の日の「日常」を、わずかに取り戻しています。
しかし、今回帰省してきた大阪の孫一家は、時間の余裕がなくて今回も田舎に立ち寄ることができません。できれば八月に実現できればと期待していますが、さて、コロナの帰趨はいかがあいなりますか、、、
きょうはこれにて。
長梅雨の小休止、の巻 [折々散歩]
久しぶりに晴れました。
蝉時雨が盛大に響いています。
孫たちによる先日のセミ取り作戦では.たまたまアブラゼミを3匹ゲットしたのでしたが、蝉時雨の声の主は、総じてクマゼミのようです。我が家のコンクリート塀にも生まれたばかりらしいクマゼミがよじ登っていました。
庭のトマトの枝に、ヒメアカタテハ。
畑のヒマワリ。陽を浴びて嬉しそうです。
長雨のおかげで十分な水を得て、畑は雑草が勢いよく繁茂しています。朝のうちの草取り作業で、すぐに汗びっしょりです。
我が家の近くの電線に止まるツバメを見ると、最近初々しい若鳥の姿をよく見かけます。
我が家の玄関先の巣には、一羽だけ幼鳥の姿があります。どうした加減か、他のヒナたちは育たないまま落命した模様で、この幼鳥も心配なのですが、親鳥はそれでも餌を運んでくれているようです。
見た目はもう、十分に成鳥らしく見えますし、鳴き声ももはや雛の声ではないのですが、なかなか巣立とうとはしない様子。不要不急の外出は避けようとの意志が堅固なようです。
世の中は、コロナ感染者の発生が、尋常でない上昇を示しているのに、このタイミングで「gotoトラベル」キャンペーンの実施だとか。常軌を逸したこの愚策を、インパール作戦にたとえる論調も目にしますが、うなずかずにはいられません。
とすれば、安全のためには頑なに巣に腰を落ち着け、いっかな動こうとしない我が家の若ツバメなどは、あっぱれと言うべきでしょうか?
きょうはこれにて。
我ながら心驕りや梅雨晴れ間 [日録]
先日から何度か話題にしましたように、私もその編集に携わってきた、退職同業者親睦会の結成40周年記念誌がこのほど完成しました。
だまされないぞ!の巻(2020-06-11)
この間、ちょっと労力を費やしてきた案件が,ほぼ片付きそうです。私の所属する同業退職者の親睦組織が、今年結成四〇周年を迎えるそうで、記念誌を発行することになっており,そのお手伝いをしています。100ページ近くの冊子の編集がほぼ終わり,つい昨日、印刷所から第一校が上がりました。これを、しかるべき面々に,校正をして頂く必要がありますが,時節柄、実際に集まって作業をすることもままならず、コピーを郵送して、目を通して頂くことにしました。
月がわりのまとめ書き日記、の巻(2020-07-05)
6月30日(火)
退職同業者の会、の集まりの場に、印刷会社から刷り上がったばかりの冊子が届きました。私も係の一人として編集に携わっていた「結成40周年記念誌」です。肩の荷を自覚しはじめたのはかなり前ですが、具体的には昨年の秋頃から着手し、ようやく完成したものです。感慨もひとしおですが、いざ終わってしまうと、いささかの不飽和感・未達成感も残ります。
こんな冊子です(一部加工あり)。
先般、会員の皆さんのもとに発送しました。すると、何人かの方から,心あたたまるねぎらいの言葉をいただき、恐縮しながらも,「報われた」という思いを噛みしめることができました。
そのうちの一通。丁寧な細かい字でぎっしりと書き込まれたはがきを,昨日いただきました。一読、まぶたの熱くなるのを禁じ得ませんでした。以前、この記事で紹介したことのある先輩教師鴨川さんからのハガキでした。
懐かしき便り嬉しき聖夜かな(2014-12-24)
家を出る際に、郵便受けに二つの分厚い郵便物が入っているのに気づき、それを持って車へ。運転を終えて、 内容を確かめてみますと、どちらも懐かしい方からのメール便で、それぞれ書籍が同封されていました。
ひとつは、敬愛する先輩退職教師、鴨川恵美子さんが、12月20日付けで発行されたばかりの『続・ふたりの完結』と題されたエッセイ集です。
はるか後輩の私をも、「友人」と認めてくださり、贈ってくださったものです。
表紙カバーには、ブルーを基調とした落ち着いて深い透明感のある風景画が 描かれています。倉敷美観地区周辺のたたずまいのようです。元岡山県の国語教師で、退職後埼玉県に転居され、画家となられた武田昭一さんの作品だそうです。後書きによると、ご夫婦ともに国語教師で、お住まいも近くて昵懇の間柄であったことから、表紙絵を依頼されたのだそうです。
文章の冒頭は、こういう書き出しになっています。
夫、鴨川俊作は、一九九八年四月七日、大腸がんの発覚から、闘病の十ヶ月を経て、七十歳で亡くなりました。私は六十五歳、夫の『師』を見据えながら出来る限りの看病に努めました。
一周忌を期して、「ふたりの完結」を上梓し、友人の皆様に読んでいただきました。多くの感想が寄せられ、一箱の私の宝石箱として、時折取りだしては読み返し、折々の生きる支えになっておりました。
十数年を経た今日、私は二〇〇九年「脳梗塞」や、一三年「大腿部骨折」に見舞われ八十路の坂をやっと越え、「ふたりの完結」のその後を書いておきたいという心境になりました。(後略)
そして、地元紙「倉敷新聞」(現在休刊中)の記事から、こんな文章が引用されています。
鴨川俊作氏を偲んで二冊上梓
妻 恵美子さん『ふたりの完結』
偲ぶつどい実行委編追悼集「いつも労働者の中に」
倉敷新聞 一九九九年五月一九日付昨年四月七日、大腸癌のため逝去した北浜町、元日本共産党岡山県委員会副委員長、岡山県労働問題研究所理事長だった鴨川俊作さんの一周忌を記念して、このほどj夫人の鴨川恵美子さんが『ふたりの完結』(手帖舎刊)四六判、二五三ページ。合わせて、鴨川俊作さんを偲ぶつどい実行委員会が『いつも労働者の中に』~鴨川俊作さんを偲んで~ 四六判、一八三ページを発刊。それぞれの立場から故人を偲んでいる。(後略)
鴨川俊作さんには、生前、学習会などでの講義をお聞きしたことがあるだけですが、穏やかで、理路整然とした学究家という印象が強く残っています。 葬儀の時は、片隅に参列させていただきました。
当時贈っていただいた「ふたりの完結」も、感銘深く拝読したことでした。
実は、私の脳動脈瘤手術の後、拙宅まで見舞いに来てくださったことがありました。
その際、お若い頃の脳血管手術の経験も話してくださり、力づけてくださいました。
何かと気弱になっていた私には、大きな励ましで、春からの職場復帰にチャレンジできたエネルギーになりました。(ほかにも多くの方々の支えや励ましがあったればこその復帰でした。今や退職後も、非常勤でアルバイト生活をやってみようなどと思い立つこと自体、当時から見れば、不思議なことです。)
奇しくも、私の病気の2年後、脳梗塞で倒れられましたが、強靱な意志力でリハビリに励まれ、パソコン、ピアノ、プール、投書、など多彩な活躍を続けてこられました。
さらに、2013年には大腿部骨折を経験され、身動きが不自由になられたとお聞きし、心配しておりましたが、これまた強靱な意志力で、今年の八月にはショパンの「OP70の2」を発表会で演奏され、「ホフマンの舟唄」を連弾で弾かれたそうです。さらに、『続・ふたりの完結』を完成されたことに、敬服の思いはつきません。先ほど、お礼の電話を差し上げたところ、「気力が湧かないのよ。年をとるとはこういう事かしらね。」とおっしゃるお声には、張りがあり、 ほっと安堵したことでした。
ちなみに、文中の『続・ふたりの完結』の表紙絵を描かれた武田昭一さんは、上述の40周年記念誌の表紙絵のためにも絵画を寄せてくださいました。
ハガキの文面には、望外のお褒めの言葉が綴られ、「いささかの不飽和感・未達成感」(月がわりのまとめ書き日記、の巻)を,完全に雲散霧消させ、「我ながら心おごりせられし」(「大鏡」降り敷くは唐紅の錦かな(語彙貧困、安直無類、真情不在、拙劣至極)参照)の心境を味わったことでした。中でも、「Iさんはもちろん、皆さんから合格点は寄せられるでしょう」「肩の荷を下ろしてくださいね」というお言葉に、ついつい涙腺が緩むのを覚えずにはいられませんでした。私が「編集後記」にこう書いたことを踏まえての、ねぎらいのお言葉なのでした。
編集後記
およそ,ちゃらんぽらんを性とする私といえども,ここのところ,さすがにズシリと重い肩の荷を背負い続けてきました。というのも,10年前,I前会長が,編集半ばで実現を果たせぬままに推移してきた「30周年記念誌」の完成と,その後の10年分を加味しての「40周年記念誌」作成という,とてつもない任を仰せつかったためです。
身の程を考えるならば,当然辞退するのが賢明でしょうが,そうもいかない事情もありました。晩年のIさんとの格別のえにし(第2章所収の拙文参照)からも,その遺志を継ぐべき責任は自覚しておりましたし,(中略)国語科出身である私(中略)が,さしづめその任に当たるのが自然の成り行きだろうかとの自覚(諦め)もありました。
つらつら考えてみますに,10年前,Iさんが,記念誌完成を目前にしながら頓挫されたのは,もっぱらその完璧主義に起因しているだろうというのが,衆目の一致するところのようです。さすれば,その完璧主義からほど遠い私などは,かえって適任と言えるかも知れません。もう一つ,Iさんは,有能かつ責任感旺盛なるが故に,万事をご自身の手で成し遂げようと考えられたことが,あるいは災いしたのかも知れません。その点,私などは,「しんどいところは人に譲る」詐術にたけております。
そういうわけで,編集責任者の名をいただきながら,実質は別表の編集委員の方々に,分担分野の編集を全面的に委ねることにしたのですが,それが思惑以上に奏功し,ここに素晴らしい記念誌(自画自賛!)の完成を見ることができました。献身的努力によって存分に力を発揮してくださった編集委員の皆様に改めて敬意と感謝を表する次第です。(中略)
第2章は,「40周年記念号」のために会員各位から寄せていただいた文章,第3章は10年前に発行予定だった30周年記念号に向けての寄稿からの抜粋で構成しました。既に鬼籍に入られた方々の文章も含め,それぞれの思いの深さに,改めて感慨を禁じ得ません。
この記念号が,高退教運動の新たな発展にとっての,確かな礎となることを確信し,編集後記と致します。
見苦しい「自慢話」になりました。今日はこれにて。
雨上がりの生き物たち、の巻 [折々散歩]
すさまじい豪雨災害と、コロナのダブルパンチが日本列島を襲っています。被災された方々に、心からお見舞い申しあげます。
当地も、強い雨の日が続き、今朝も大雨洪水や、土砂崩れなど各種警報が出されていました。そのため、小学生と中学生の孫は休校だそうです。
朝、豪雨の中、かかりつけ医にいつもの薬をもらいに行き、ついでに郵便局へ寄りました.車を駐めてわずかの距離を歩くだけで、傘をたたきつける雨のしぶきが手足を濡らすほどでした。
昼前には雨も上がり、傘なしで歩けるほどになったので、久しぶりにご近所散歩です。満々と水を湛えた稲田の風景。被害がなくて幸いでした。
すっかり濁った小川のほとりに、ウチワヤンマが止まっています。
道を横切る者がいました。
巨大なミシシッピアカミミガメでした。
昼過ぎ、中・小・保の孫たちが来訪。セミ取りに行こうと誘います。
そう言えば、土砂降りの雨が緩んできたとたんに、蝉時雨の声がうるさいほどに聞こえてきました。天候不順でつい忘れていましたが、もう7月の中旬です。
保育園児がカタツムリを見つけ、「でんでんむしむし・・・\」と歌います。
こんなトンボもいましたが、これは網にはいりませんでした。
この散歩道は木陰ではあるのですが、陽射しが出てくるにつれて、さすがに季節相応に暑さが増してきました。かなりの距離を、ずんずん歩いて行くので、ついつい後れを取ります。
獲物は、アブラゼミ3匹と赤トンボ一匹。
いったん家へ持って帰りましたが、満足したので逃がしてやることにしました。
他に目撃したのは、アゲハ、クロアゲハ、ベニシジミなど、いろいろな蝶たちと、雀、カワラヒワ、ツバメ、ヒヨドリ、ドバトなど、おなじみの小鳥たち。そして、桜の木の枝から枝へと、つやつやした長大な黒い生き物が、うねうねと移動しているのを、しばらくみんなで観察(というより、あっけにとられて凝視)していました。アオダイショウでしょうか?証拠写真を写すことはできませんでした。
今日はこれにて。
梅雨空に「九条守れ」のスタンディング [日録]
2014年に発表された、埼玉県在住の女性による俳句が、この季節ふと脳裏に浮かびます。
梅雨空に「九条守れ」の女性デモ
当ブログでも、何回か話題にしました。
例えば、いざ子ども九条危篤夏椿(2017-06-25)にはこんなことを書きました。
先日momotaro様が、梅雨空に「九条守れ」の女性デモ の記事で、さいたま市在住の女性の方が詠まれた2014年の作品を紹介してくださっていました。
実は私も、ほぼリアルタイムで。この作品に触れたことがありました。
蜂あれこれ という記事で、金子兜太さんの句を紹介しています。
眼ぐすりを注すときすずめ蜂直降 兜太〈中略)
金子兜太つながりで、もう一つの話題。
埼玉県のある公民館で活動する俳句サークルは、毎月、会員互選の1句を「公民館だより」に掲載してきましたが、7月号に掲載予定だった会員の互選句が、「偏った意見」だとして掲載を拒否された事件があったそうです。
70代の女性の句で、
梅雨空に『九条守れ』の女性デモ
というもの。
msn産経ニュースによると、概要は次のようです。
「憲法9条守れ」の俳句、掲載見送る さいたま市公民館「一方に偏った意見、ふさわしくない」 2014.7.4 12:51
さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する月報に、俳句サークルが「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という市民の句を掲載しようとして館側が掲載を見送っていたことが4日、分かった。市は「掲載すると公民館や市の考え方だと誤解される可能性があり、判断は妥当」としている。
公民館を管轄するさいたま市生涯学習総合センターなどによると、三橋公民館は毎月、「三橋公民館だより」を発行。俳句欄があり同館で活動する俳句サークルが掲載する句を決めていた。6月24日、サークルが7月号用として女性が詠んだ9条の句を選び掲載を依頼、公民館側とセンターは相談の上、掲載を断った。
センターの小川栄一副館長は「公民館は政治的に偏った特定の事業を行ってはならないと法律で定められている。集団的自衛権をめぐる句と受け取られる可能性もあり、世論が大きく二つに別れるような問題で、一方に偏った意見を載せるのはふさわしくないと考えた」と話しているこの問題に触れて、「埼玉新聞」8月17日付けweb版が、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という表題の記事を掲載しています。
その一部を引用します。〈中略)
今回の俳句掲載拒否の問題を戦前の治安維持法による新興俳句運動弾圧と重ねる見方もあるが、金子さんは今回の方が根深い問題を含んでいると言う。
「新興俳句運動の『現実を俳句に書く』とするリアリズムが危険視された。だから取り締まりは、新興俳句系の俳誌だったり運動を担っていた人たちで、俳句を詠む一般の人たちにはそれほど影響がなかった。今回は一庶民の一つの句をやり玉に挙げて大げさな問題にした。こんな拡大解釈のようなことが、お役人だけでなく社会で行われるようになったら、『この句は政府に反対する句だから駄目』などと、一つ一つの句がつぶされる事態になりかねない。有名な俳人だけでなく、一般の人たちも萎縮して俳句を作らなくなる。俳句を作る人の日常を脅かすもので、スケールは小さいが根深い問題だ」と警告する。
(中略)仮に、国民の間に意見の相違があって、よしんば、それがマイノリティ(少数派)に属するものであったとしても、各人の信念によってそれを心に抱き、また表明することは、かりそめにも民主主義の社会においてはなんびとも妨げられることのない、基本的な権利です。ましてや、俳句を含めて文学や芸術の表現を、「思想」や「意見」というフィルターを通して評価する事自体、芸術・文化のなんたるかなんたるかを知らない粗野なふるまいと言わざるを得ませんし、その『思想』に難癖をつけて排除するなどは、暗黒時代の再来と言うべきでしょうか?しかも、問題の俳句に詠みこまれているのは、作者自身の意見というよりは、世の中の実際の「現象」、見過ごしがたい「世相」として確実に存在する実景に他なりません。
作者が、「女性デモ」を題材とした時点ですでに、それに共感しているかも知れないから、そこには暗黙裏に作者の意見が表明されているという強弁を労したとしても、それは、偏った意見とは言えないでしょう。
先ほど私は、「マイノリティ(少数派)に属するものであったとしても」と書きましたが、このニュースの場合は、少数派どころか、ほかなかならぬ「九条守れ」という国民多数の「意見」です。今年の実施されたどの種の世論調査でも、九条改訂反対が賛成を上回り、その差は開く傾向にあります。自前の改憲案まで掲げて世論喚起をはかってきた『読売新聞』でさえ、その世論調査(2014年3月15日)の結果は、こんな具合です。
Q、憲法9条は改正した方がよいと思いますか
思う 30% 思わない 60% その他 10%
9条第1項「戦争の放棄」については
思う 17% 思わない 76% その他6%
9条第2項「戦力の不保持」については
思う 39% 思わない 52% その他 9%こうした状況を踏まえれば、「九条守れ」を、偏った意見と言ってのけること自体、きわめて偏った意見ではないでしょうか?
ましてや、立憲主義のもとでは、憲法は、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障するために存在するものです。ですから、「九条」に限らず、行政なり公務員は、憲法を遵守することを義務づけられているのですし、公務員はみんな、憲法遵守を誓約・宣誓して任に就いたはずではないですか?
そのような大前提を足もとから掘り崩して、憲法を擁護する「意見」が時の政府の意向に沿わないからといって「偏っている」と断じていく空気は、なんかへんです。
なんかへんだな、と思っても、「どうして?」と聞けません。聞けるような感じじゃありません。---こんな事が重なっていくと、、、怖い怖い。
いざ子ども九条危篤夏椿
「 いざ子ども」は、「さあ、諸君」という呼びかけの言葉らしいですね。
万葉集の山上憶良の歌に
「いざ子ども早く日本(やまと)へ大伴(おほとも)の御津(みつ)の浜松待ち恋ひぬらむ」(万 六三・山上憶良)
があります。
[訳] さあ、諸君。早く日本へ帰ろう。御津の港の浜辺の松は今ごろ私たちを待ち遠しく思っているだろう。(学研全訳古語辞典より)
散歩道の夏椿が昨日からの雨に洗われています。
昨日、7月9日は、「9の日」です。地元「九条の会」による「9の日」行動が、この日も取り組まれました。午前九時から十時までスタンディングです。
Qさんは、snsにこんな記事をアップされています。無断借用ごめんなさい。
9の日行動から帰ってきたところです?今にも降りだしそうな空でしたがなんとかもちました?降れば即撤収のつもりでしたが・・・皆さん最後まで頑張りました?来月は学習会の予定です。
そして,Hさんも。
今日は7月9日。
毎月9日は、わが町の「9条の会」による月に1度の「行動の日」です。
いつものように、朝9時から1時間のスタンディングが、ある交差点で行われました。
明るい色合いで軽やかに風に揺れるノボリと、横断幕が仲間入りしましたので、なかなか目立つようになりました
ドライバーの方は、誰もがこちらに目を向けてくださいます。…次回は手を振ってみようかな笑...
これまた無断借用(汗)
ここで一句。
梅雨空に「九条守れ」のシルバーパワー
くたびれるパソコン仕事の気晴らしに、午後、少しだけ、カメラ散歩をしました。
空蝉を見つけました。
クマゼミ発見。
コシアキトンボ。
この前、カルガモの親子連れを見た蓮田のハスの花。
カルガモ真美着けられませんでしたが、、、。
バンがいました。
親子です。
今日はこれにて。
月がわりのまとめ書き日記、の巻 [日録]
前回の記事は、6月29日の投稿でした。瞬く間に7月もはやも第二週を迎えます。その間、晴れたり降ったりでしたが、週末九州地方を襲った豪雨のすさまじい爪痕が、一刻も早く癒えますようにと祈ります。近年頻発するこのような大災害が人々に与える苦痛と恐怖は、コロナの不安のもとでかつてなく増幅されずにはいません。人命優先、人々の健康と安全を最大の原則とする、政治と経済の仕組みを、確立することが急がれます。その意味でも、都知事選の行方が注目されます。
さて、6月末からのまとめ書き日記を記録しておくことにします。
6月29日(月)。
親ツバメが、ヒナに餌やりをしています。
4月の終わりに書いたこの記事トイレンズと遊ぶ、の巻
(2020-04-28)ではこう書いていました。
我が家の軒先に、ツバメがようやく巣作りを始めました。
いつもは、代々、古い巣を引き継いで修繕しながら、再利用して使うのですが、時に,どういう気まぐれか、少し離れた別の場所に新しい巣をつくったりします。我が家の屋根のどこかに住むスズメが、先住権主張のためか,ツバメの巣に危害を加え、ぼろぼろに崩したり、枯れ草などの迷惑な詰め物をしたりして嫌がらせをしたりすることもしばしばあります。
そんな損壊した巣を嫌って新居を建てようとする気持ちは理解できますが、去年のツバメが利用した巣は、ほぼ完全な形で残っていますし、その近くにもうひとつ健全な巣があります。
にもかかわらず、今年のツバメは、ずいぶん以前に損壊して、ほぼ土台だけになっていた古い巣の残骸をもとに、新居を建てようとしているのです。(中略)
今朝には工事がだいぶん進んでいます。
必ずしも熟練技術者とは言えないようで、少々無骨な仕上がりですが、完成目指して一生懸命です。
この記事で紹介したツバメは、どういうわけか途中で姿を見せなくなりました。ペアの片割れが、何らかの事故で落命したのだろうかと、推測してみています。
それから、かなりほど経て、二回目の巣ごもりを始めたペアが、冒頭紹介した親ツバメです。最初のペアとは別の個体のようです。使った巣も、4月に新築した物件ではなく、隣の中古住宅でした。
そう言えば、去年のブログ記事にもに同じようなことを書いていました。
玄鳥成長記録(つばくらめそだちのあとさき(2019-07-12)
何年前、いや何十年前からでしょうか、我が家の玄関先の軒下に、毎年のようにツバメがやってきて、営巣します。
玄関の鳥だから、ツバメを玄鳥と書くのでしょうか?いや、そんなバカな。「玄」は「黒」だからでしょうね。
念のために辞書で確かめてみますと,「玄関」も薄暗いところからそう名付けられたらしいですね。
げん【玄】
1 赤または黄を含む黒色。
2 老荘思想で説く哲理。空間・時間を超越し、天地万象の根源となるもの。
3 微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
「―を談じ理を折(ひら)く」〈太平記・一〉
4 《玄のつく名が多いところから》江戸時代の遊里で、医者のこと。また、医者を装ったところから、僧侶の客をいう。玄様。
「浅草あたりの―、色里にうかれゆきけるに」〈浮・常々草〉げん【玄】[漢字項目]
[常用漢字] [音]ゲン(呉) [訓]くろ くろい
1 赤または黄を帯びた黒色。「玄黄・玄米」
2 奥深くて暗い。「玄関・玄室・玄妙/幽玄」
3 奥深い道理。「玄学」
4 はるかに遠い。「玄孫」
[名のり]しず・しずか・つね・とお・とら・のり・はじめ・はる・はるか・ひかる・ひろ・ふか・ふかし
[難読]玄鳥(つばくらめ)・玄孫(やしゃご)出典 小学館デジタル大辞泉
何年前、はたまた何十年前か思い出せませんが、最初は、つがいのツバメが、せっせと泥や藁くずを運んできて、見事な巣を作り上げました。同じペアなのか、またはその子孫たちなのか、その次の年、また次の年と、同じ巣をリフォームして雛をかえし、そろって飛び立っていって、季節が巡ります。
どういう訳か、少し別の位置に新しい巣を作って、子育てした年もあります。その翌年、どちらの巣を利用するかは、気まぐれのようにランダムで、はっきりし理由がわかりません。いつの頃からか、我が家の屋根に居住するらしいスズメが、ツバメの巣に悪戯を仕掛けることが多区なりました。枯れ草や羽毛、ぼろ屑といった、巣材様のものをつめ込むことが多いので、自分の巣として利用するためかと最初は思っていましたが、どうやらそれだけでは説明しきれない動機があるようにも思えます。
これでは、自分だって入れませんから,嫌がらせとしか思えません。また、クチバシで、巣の土をかじるのでしょうか、大きな穴をあけて、ツバメが新しい泥で補修してリニューアルする気力も萎えてしまうような意地悪もします。それが元で、修復を断念した巣の跡もあります。
そのようなわけで、我が家の玄関軒下には、新旧あわせて三つほどの巣(や巣の痕跡)があり、今年のツバメは、大幅修復により、ほとんど新築に近い立派な巣をこしらえ、今期二度目の巣ごもりが終わろうとしています。
6月30日(火)
退職同業者の会、の集まりの場に、印刷会社から刷り上がったばかりの冊子が届きました。私も係の一人として編集に携わっていた「結成40周年記念誌」です。肩の荷を自覚しはじめたのはかなり前ですが、具体的には昨年の秋頃から着手し、ようやく完成したものです。感慨もひとしおですが、いざ終わってしまうと、いささかの不飽和感・未達成感も残ります。
7月1日(水)
晴れました。
教育相談のボランティア。妻が友人と約束をしたというので、後楽園まで送り、県立図書館に車を駐めて、事務所まで歩きます(二十分弱)。暑さはさほどでもありませんが湿度が高く、梅雨を感じます。
7月2日(木)
晴れたので、郷里に草刈りに帰ってきました。我が家を出発したのは午前6時前.途中通勤渋滞の影響もあって到着したのは8時頃でしたが、ご近所の土地(空き家の庭や非耕作農地)を、シルバー人材センターの数人の人たちが草刈り剪定の作業を始めていました。その一人は小学校の同級生のN君でした。
以前この記事でも紹介したことがありました。
喪失と復元、そして出逢い、の巻(2019-11-03)
一昨日は、郷里に帰って少々畑仕事をしたのですが、奇遇とも言える出逢いがありました。
(その2)お隣の家の草刈りを委託されて、シルバー人材センターの方が数人作業に来られていました。そのうちの1人が、近づいてきて挨拶をされます。何と、幼なじみの同級生N君でした。世間は狭いものです。
まずまずの作業日和でした。私は早々に切り上げたのですが、シルバーの人たちは弁当を挟んで午後も作業をしておられました。壮健なこと。
この日のツバメ。
7月3日(金)
年金者組合地元支部の集まりがありました。朝方、短時間、畑の草取りをしましたが、すぐに雨が強くなりました。
ヒマワリが咲きました。
種ができたら、ハムスターの餌にする計画です。
スイカも、少しずつ太ってきています.毎年のことながら、適切な収穫時期がわかりません。
7月4日(土)
自然環境体験公園へ行ってみました。
ムクゲが満開です。
ハクセキレイ。
7月5日(日)
今日のツバメです。
東京都知事は、小池氏が再選、だそうです。まだ幻想が消えないのでしょうか?
今日はこれにて。