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五位鷺再会、の巻 [折々散歩]

コロナの蔓延収まらぬ中ですが、大阪に住む次男一家が、16日(日)にちょっと立ち寄り、小1の女の子だけを置いて帰りました。お嫁さんのお父さん(孫にとってはジイジ)が去年亡くなり、今年が初盆なので、数日の実家に滞在して法要を済ませて大阪へ帰る途中、我が家に立ち寄ってくれたのです。

これにあわせて,この日は長女も、4才の孫娘と4ヶ月の赤ちゃんの顔を見せに来てくれました。

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かわいいでしょ。これ、男の子です。イケメンではありませんか!

いとこ同士の賑やかな交流も束の間、大阪のパパ・ママ・2歳児の一行は、夕方になる前に出発。

例年のお盆ラッシュほどではないにしても長旅ご苦労様です。

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夕食は、長男家のママがカレーの用意をしてくれて,みんなでごちそうになりました。そして、中1男、小4女、小1女、保育園児(5歳・4歳)は,我が家にお泊まり。非日常を満喫しておりました。

17日(月)は、高校生は学校、中学生は午後部活と、普段の生活が始まりかけています。中学生は、宿題も一部提出しなければならないそうで、今の時期からもう、夏休み終わり恒例の宿題三昧の日々をを送っています。小学生時代、不登校傾向が続き,ほとんどの時間を保健室で過ごしたこの中学生、今も食は細く体格は小さいですが、エネルギーは回復・充実してきているようです。

午前中、この中学生が絵画の宿題にとりくむのに合わせて、女の子達もみんな水彩絵の具と絵筆を使って,お絵かきに熱中。ジイジは、注文を受けて、四つ切り画用紙の買い出しに派遣されました。駐車場から店まで歩く間に、身体が蒸発してしまいそうな激しい暑さです。この日の最高気温は、当地でも37.1℃あったそうです。

お散歩は,早朝に限ります、、、が、6時台になるともう汗だくです。

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涼しいうちにお食事中の山羊などにも出会います。

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緑の稲田にダイサギの白がひときわ映えます。

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アオサギとのコラボ。

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強い陽射しを浴びても,アオサギは暑さには平気そうです。

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何年ぶりかで、この鳥に会いました。

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続けて何日か、見に出かけていますが、なかなかシャッターチャンスに恵まれません。

ゴイサギについて当ブログで最初に触れたのはこの記事でしょうか。

ダイサギ ゴイサギ ダイゴ帝?(2013-09-06

生き物の名前は片仮名書きされることも多いですが、言葉の響きからだけでは実物をイメージできないこともままあります。
たとえば、「シラサギ」といえば「白鷺」=「白い鷺」とすぐさま連想が働きます。

(中略)

「アオサギ」というと、「青い鷺」と連想されます。実際は青色というよりは灰色の勝った色合いで、英名は Grey Heron(グレーの鷺)と呼ぶらしい。もっとも、黒毛の馬は、古くから「アオ」と呼びます。古語辞典によれば、「①青い色。本来は、白と黒の間の広い範囲の色で、主として青・緑・藍(あい)をさす。②馬の毛色の名。全体に青みがかった黒色。また、その毛色の馬。」(「学研全訳古語辞典」)とありますから、名前と実物に矛盾はありません。

(中略)

「枕草子」に「鳥は」と題する章段があり、鷺についてこう書いています。「鷺は、いと見目も見苦し。眼居なども、うたてよろづになつかしからねど、『ゆるぎの森にひとりは寝じ』と争ふらむ、をかし。」
口語訳:「鷺は、見た目も見苦しい。目つきなども嫌な感じで、万事に親近感が持てないけれど、『ゆるぎの森で一人寝はすまい』と妻争いをするというのが、おもしろい。」
「ゆるぎの森に」は「高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを」(古今六帖・第六)という古歌を踏まえているそうで、コロニーに集まる鷺たちが、夜中に声を上げながら騒いでいる様を、風流な妻争いになぞらえています。このことで、他の欠点が減殺され、「をかし」と感じられるというのです。
この鷺は、やはり「アオサギ」でしょうかねえ。」

(中略)

「ダイサギ」が「大鷺」と気づけば「なあんだ」なのですが、、、。「白鷺」にも、様々な種類があり「ダイサギ」「チュウサギ」「コサギ」などと分類されるそうですが、素人目には同じように見えてしまいます。散歩中に出会うと、その純白の優美な姿に惹かれ、しばしばカメラを向けますが、果たして「大鷺」か「中鷺」か「小鷺」か、はたまたそれらの亜種か?とうてい識別できず、ギブアップです。
「ゴイサギ」。なんだか居心地のよくない響きではありませんか?子供のころ、「あれはシラサギ、これがゴイサギ」などと呼ばれるのを聞いて、後者には幾段か格下の物に対する軽んじるニュアンスを感じたような記憶があります。
ですが、「五位鷺」と表記され、名付けのいわれを聞けば、少々評価が覆される気もします。
「五位」は、古代の官位で、原則としてこれより上が「殿上人」の資格を得るボーダーで、宮中で天皇に謁見する事が許された、特別な存在です。
再度、古語辞典によると、こうあります。「てんじゃう-びと 【殿上人】/名詞/清涼殿の「殿上の間(ま)」に昇ることを許された人。四位・五位の人の中で特別な人。蔵人(くろうど)は六位でも許された。「上人(うへびと)」「雲の上人」「雲上人(うんじやうびと)」「殿上」とも。(中略)/[反対語] 地下(ぢげ)。/参考「殿上人」は貴族の中流階層で、直接政治にかかわる上級の「上達部(かんだちめ)」と、昇殿のできない「地下(ぢげ)」との中間に位置する。」(「学研全訳古語辞典」)
なぜ、この鷺がこれほどの官位を名に持つのか?
平家物語に、こんな記載があります。
「延喜御門、神泉苑に行幸あって、池のみぎはに鷺のゐたりけるを、六位を召して、『あの鷺取って参らせよ』と仰せければ、いかでか取らんと思ひけれども、綸言(りんげん)なれば歩みむかふ。鷺羽繕ひして立たんとす。『宣旨ぞ』と仰すれば、平んで飛び去らず。これを取って参りたり。『なんぢが宣旨にしたがって、参りたるこそ神妙なれ。やがて五位になせ』とて、鷺を五位にぞなされける。今日より後は鷺のなかの王たるべしといふ札をあそばいて、頸にかけてはなさせ給ふ。」(巻第五 朝敵揃)
延喜御門(えんぎのみかど)とは、醍醐天皇のこと。この頃は「宣旨を向かつて読みければ、枯れたる草木も忽ちに花咲き実生り飛ぶ鳥も従ひき」というほど、天皇の威光がすばらしかったというエピソードです。
要旨はおよそ次の通り。---神泉苑(しんせんえん)に天皇が出掛け、池に鷺(さぎ)がいるのを見て、六位の者を呼び、「あの鷺を取って参れ」と命じた。六位は「どうして捕まえられようか」と思うが、勅命なので鷺の方へ歩いていく。鷺は毛づくろいをして今にも飛び立つところだったが、六位が「宣旨である」と声を掛けると、鷺はその場に平伏して飛び立たなかった。これを捕まえて献上すると、天皇は鷺の神妙な態度を誉め、五位の位を与えた。そして木の札に「鷺の中の王」と書いて鷺の首にかけ、空に放った。
成鳥は頭部~背中が青く、胸~腹が白色のツートンカラーの、端正な要旨をしています。「五位」の名もむべなりと感じます。

久しぶりにこのサギに出会ったので、長い引用をしたくなりました。

その後の記事でも、何度か話題にしましたが、たとえばこんな記事には、ちょっと見栄えの良い写真を載せています。

シリーズ「サギ」 その5 ゴイサギの巻(2015-11-11)

ゴイサギに会う、の巻(2016-11-19)

「赤い目」再話、の巻(2017-03-23-1)

昨日の夜も、小4、小1、保育園園長組の従姉妹が我が家で合宿。懇親を深めています。合間を見てのブログ更新です。

今日はこれにて。


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今日の二つ蜻蛉、の巻 [折々散歩]

今日の朝散歩のお供は、pentax ks-1+Kenko テレプラス1.5倍+SIGMA MACRO 50mm F2.8 EX DG 。珍しく新品で買ったマクロレンズですが、私の使用法では帯に短しで、めったに出番がありません。Kenko テレプラスを装着することで、少し焦点距離(ワーキングディスタンス)を稼ごうと狙ってみたのです。


中望遠で風景写真を撮ることもできます(当たり前ですが)。


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朝露を狙ってみます。


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マクロ撮影のお遊びは、当ブログを始めたばかりの頃からの定番で、朝露の写真も性懲りもなく何度もアップしていますが、機材的には今日の組み合わせが相応の優位性を見せてくれます。


白玉か何ぞの露に朝日かな(2013-08-30)


果てなきマクロの珍冒険(2013-08-30)


葉月晦の薀蓄!!(2013-08-31)


今朝マクロレンズを持ち出した動機は,先日望遠レンズで写したイトトンボをマクロ撮影してみたいと考えたからでした。


少しだけトリミングしています。


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恋の季節です。


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そう言えば,以前、「二つ蜻蛉」の記事を何度か書きました。


一番古いのはこの記事でしょうか鏡花忌に二つ蜻蛉も艶めくや(2014-09-08)


先日、この記事で縷紅草(ルコウソウ)とおぼしき赤く可憐な花を話題にしたところ、 ふゆん様からいただいたコメントで、泉鏡花を思い出させていただきました。

鏡花が亡くなる2カ月前に「中央公論」に発表した「縷紅新草」」は、鏡花最後の作品=絶筆となりました。

縷紅新草

縷紅新草

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/13
  • メディア: Kindle版

この「縷紅新草」という題名は、夏に小さな赤い花を咲かせる縷紅草に”新”を加えた鏡花の造語で、登場人物の儚い娘を連想させます。

「縷紅新草」は、こんな不思議な歌で始まります。

あれあれ見たか、
あれ見たか。
二つ蜻蛉(とんぼ)が草の葉に、
かやつり草に宿をかり、
人目しのぶと思えども、
羽はうすものかくされぬ、
すきや明石(あかし)に緋(ひ)ぢりめん、
肌のしろさも浅ましや、
白い絹地の赤蜻蛉。
雪にもみじとあざむけど、
世間稲妻、目が光る。
あれあれ見たか、
あれ見たか。

もと千五百石の武家の娘だった初路は、没落後親類に引き取られ、はんかち工場の「お針子」として働きますが、周囲からはその容姿と刺繍の腕を嫉妬されます。彼女が考案して海外でも評判の高かった「二つ蜻蛉」のデザインの刺繍を、男女の性にこと寄せてからかい、中傷するはやし唄まで、誰歌うともなく周囲に広がり、彼女をはやし立てるのです。純真な初路は、辱めに耐えられず、それを苦に自殺します、、、、。

この「二つ蜻蛉」のデザインは、あでやかな紅糸で刺繍されるアカトンボでしょうが、今日の散歩で見たのはギンヤンマの「二つ蜻蛉」でした。

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今日はこれにて。


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小鳥の森のこれなあに、の巻 [折々散歩]

昨日8月12日、郷里の老父母を訪ねる途中寄り道して、「小鳥の森」を散歩してみました。

森の中のこれなあに?下の4枚は、皆同じ個体です。

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これも識別できません。これなあに?

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次は、セグロセキレイですか?

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モミジの青葉が透過光に映えて美しいです。

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空にはこんな月が浮かんでいました。

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今日(8/13)の朝散歩。

正面は麦飯山方面です。

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正面は常山。児島富士とも呼ばれます。

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富士に月見草がよく似合うと太宰治が言いましたが、、、。

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雀とエノコログサ(ネコジャラシ)

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ギンヤンマ。恋の季節です。

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ギンヤンマを写したつもりが,手前にイトトンボが映り込んでいました。

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イトトンボの姿を、散歩道(田圃のあぜ道)によく見かけます。

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最近あたらしく修繕された歩道に、かわいいツチガエルがいました。

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午前中、深山公園へのお出かけに着いていたのは5才の保育園児だけでした。

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湯具で遊んだ後、赤松池に移動します。鳥さんに食パンをあげたいと言って用意してきたのですが、残念、もちろん鴨は北へ帰っていますし、白鳥やアヒルは,沖の方に移動していました。持ってきたパンは,鯉にやりました。が、他のお客達も沢山餌を与えているらしく,どうも食欲がないみたいです。小さなブルーギルの群れや、ミシシッピアカミミガメが食べに来ますが、今一つ風情が感じられません。

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自然環境体験公園の鯉に餌やりしようかという事になって、車で移動しました。

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さすが夏休み中のこととて、家族連れの姿も三々五々見受けられます。水の流れもあり、緑は多いのですが、日光直射状態で、ただならぬ暑さです。すっかり汗をかいて早々に退散しました。

今日はこれにて。


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秋遠からじ?の巻 [日録]

梅雨明け以来、日照り続きです。地方によっては40℃を超えるところもあったとか。わが地方はそこまでではありませんが、体温に近い日々が続いています。


8/10 雲は広がっていますが、早朝から暑くなりそうな気配です。


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8/11 かかりつけ医に常用のお薬をもらいに行ったついでに、深山公園を歩いてみました。一歩日向に出ると、朝から激しい暑さですが、木陰は少し涼しさを感じます。


森の中は、ツクツクホウシの声で溢れています。時にミンミンゼミの声も聞こえますが、少し歩くとまたツクツクホウシにかき消されますです。我が家の近くの散歩道は、クマゼミの轟音で、耳が潰れそうですが、この公園の山道では、クマゼミの声が懐かしい(笑)ほどです。ツクツクホウシ、いっせいに鳴いている様はけたたましく、音量もなかなかのものですが、不思議に、クマゼミほどには苛立たしい不快感を催しません。クマゼミのシャンシャンシャンシャンという単調な鳴き声に較べ 「ツクツク ホウシ」または「オーシー ツクツク」という変化に富んだ音色が「騒音」の不快さを軽減するのかも知れません.あるいはまた。ツクツク法師という畏れ多い御名が印象に影響するのかも知れません。ツクツクホウシの鳴き声について,ウィキペディアはこう書いています。


オスは午後の陽が傾き始めた頃から日没後くらいまで鳴くが、鳴き声は特徴的で、和名もこの鳴き声の聞きなしに由来する。鳴き声は「ジー…ツクツクツク…ボーシ!ツクツクボーシ!」と始まる。最初の「ボーシ!」が聞き取りやすいためか、図鑑によっては鳴き声を「オーシツクツク…」と誤った表記をすることもある。以後「ツクツクボーシ!」を十数回ほど繰り返しながらだんだん速度が早くなり、「ウイヨース!」などと表現される鳴き方を数回繰り返したのちに、最後に「ジー…」と鳴き終わる。

また、1匹のオスが鳴いている近くにまだオスがいた場合、それらのオスが鳴き声に呼応するように「ジー!」と繰り返し声を挙げる。合唱のようにも聞こえるが、これは鳴き声を妨害しているという説がある。


夥しい個体数です。


しかし、いつものことながら、カメラに収めることはむずかしい、、。


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鳴き声にほとんど気づくことのない,ニイニイゼミを久しぶりに見ました。


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アブラゼミの声も目立ちません。


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アゲハ。


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ツマグロヒョウモン♀


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このトンボ大変小さく(ハッチョウトンボほどではないですが)3cmほどでしょうか。


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カワセミにも久しぶりに会いました。


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キキョウがあちこちに咲いています。


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ギボウシ。


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秋が遠くないのかも知れません。


今日はこれにて。


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9の日のメモ、の巻 [日録]

庭の朝顔が、毎朝、とりどりの花を楽しませてくれます。


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何日か前、「朝顔に自転車取られて、になってるよ」と妻が言います。確かに長く放置するうちに、こんな状態になっています。


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昨日8月9日は、この自転車で出かけようと思い、ツルをほぐして朝顔と自転車を分離させました。両輪に空気を入れて、出かけたのですが、ほとんど目的地に着いたところで、マスクを持ってくるのを忘れていたことに気づき、取りに引き返しました(汗)


用件は?というと、地元9条の会の「9の日行動」。お世話役のQ男さんが、フェイスブックにこんな投稿をしてくださっています。こっそり盗用させていただきます(ゴメン)。


今日は我が町の9条の会の行動日です?暑さを避けて室内で学習会をしました?テーマは(夫婦別姓制度と憲法)でした。ジェンダーの問題を考えました。頭を整理するのに時間がかかりそうです。来月は9月9日9時からスタンディングです?

画像に含まれている可能性があるもの:座っている人、テーブル、画面、室内


会は、ギター伴奏による歌声で始まりました。


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森の中のこれなあに?の巻(2020-02-09)でも紹介した「あの日の授業」です。


あの日の授業

【作詞】笠木透
【作曲】安川誠

1.あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業
~語り~
「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と
戦争をしないようにと、二つのことを決めました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争を
するためのものは、いっさい持たないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨てて
しまう』ということです。しかし、みなさんは、決して
心細く思うことはありません。日本は正しいことを、
他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいこと
ぐらい強いものはありません。」
2.あの日の先生は 熱っぽかった
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた その日の授業
~語り~
「もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、
決して戦争によって、相手を負かして、自分のいい
ぶんをとおそうとないということを決めたのです。
おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。
なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の
国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争
とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすような
ことは、いっさいしないことに決めたのです。
これを戦争の放棄というのです。
そうして、よその国となかよくして、世界中の国が
よい友達になってくれるようにすれば日本の国は
さかえてゆけるのです」
3.あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業
4.あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業


参加されていたmikopon559様のオシャレなブログ「木陰な時間」(http://mikopon559.blog.fc2.com/blog-entry-693.html)から、御記事をすっかり無断借用することで、学習会の模様をお伝えします。


今日は8月9日。
毎月9日は、わが町の「9条の会」による月に1度の「行動の日」です。
長崎に原爆が投下された日と重なりました。
今回は猛暑を避けて、涼しい室内での学習会でした。
お話をしてくださったのは、まるで青年のような元高校教師(1929生・90歳)の方。
今回はどんなお話を…?と楽しみにしていたそのテーマは、意外にも?!
「夫婦同姓制度と憲法」
という、ジェンダーと憲法に関するお話でした。

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はじめに、金子みすゞ(1903?1930)のことが語られました。
「みんなちがってみんないい」「星とたんぽぽ」…目には見えない心やいのちなどの大切さをうたう500編以上の詩は、その多くが戦後になるまで埋もれたままだったんですね。
「彼女が若くて自死した1930年の前年」には、「治安維持法の死刑法への改悪に『孤塁』を守ってたたかった山本宣治(山宣)」が刺殺され、「小林多喜二の『蟹工船』は発売禁止になりました」。
「世はまさに戦争にむかい『みんな強くておなじがいい』という時代」だったとのこと。
「みんな強くておなじがいい」…
戦後になるまで埋もれていたことが意味するもの、暗黒の時代に、それでも作品を生み出し続けた若い彼女の切なる思いに初めて触れて、胸が痛く、そして熱くなりました…。
夫婦同姓制度が始まったのは明治時代のこと。1989年施行の旧民法に「家制度」が定められ、「法的無能力者」にされてしまった妻は夫の家に入りその姓を名乗ることを定められた、それが夫婦同姓制度のはじまりなのだそうです。

今、夫婦同姓の強制に反対する世論は高まってきているものの、最高裁では合憲の判断です。
「『家制度』によってつくられた意識や無意識、悪しき慣習、「性別役割分業観」などなど」、未だに広く私たちに降りそそぐジェンダーへの問題意識が大きくならないと憲法24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)も守られないのではないか、と語られました。
男性のみならず、私たち女性にもまた生き様が問われているのだと感じます。
そして、最後はこのように締めくくられました。
「ジェンダー平等の声が次第に高まっていく状況のなかで、感銘を受けた金子みすゞの作品と生き方はジェンダー平等の理念と通底するところがあると思ったので、あえて話題にさせていただきました。
“みんなちがってみんないい” “つよいその根はめにみえぬ / みえぬけれどもあるんだよ / みえぬものでもあるんだよ” といううたの奥底にある尊い心・命は“すべて強くておなじがいい” の軍国思想の風潮に封殺されて暗黒の時代に突き進んでいった歴史の教訓を忘れたくない思いを伝えたかった次第です」。
この国の「憲法」と、「憲法」を大切に思う人たちと、共にいられることの心強さ、ありがたさが身にしみる学習会でした。
次回は、9/9 9:00? 1hのスタンディングの予定です♪

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まったく同感なので、付け加える言葉はありません。




折しも8月9日は長崎「原爆の日」。長崎市主催の平和式典で、田上市長は、「長崎平和宣言」を読み上げ、日本をはじめ各国政府に、1日も早い核兵器禁止条約の署名と批准の実現を求めました。6日の松井広島市長の「平和宣言」と同様、強く胸を打つ訴えでした。

備忘のために、長崎平和宣言全文を書き止めておきます。


「長崎平和宣言」(全文)

私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。
4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。
人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
被爆者は、この地獄のような体験を、2度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。
新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
〈核不拡散条約の発効から50年の節目〉
ことしは、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。
しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。
それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。
その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。
地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。
核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。
そうではありません。
核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
〈ローマ教皇の2つの“鍵”〉
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、2つの“鍵”となる言葉を述べられました。
1つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。
もう1つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
〈世界に警告を発し続けた被爆者に敬意と感謝の拍手を〉
ことし、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。
被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。
きょう、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。
確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
〈新型コロナ・地球温暖化・核兵器 みんなが“当事者”〉
若い世代の皆さん。
新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。
あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。
核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
〈世界の指導者へ〉
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。
来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
〈日本政府と国会議員へ〉
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、1日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
〈すべての人々と連帯 核廃絶に力尽くす〉
東日本大震災から9年が経過しました。
長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。


それに引き換え、安倍首相の浅薄で空虚なあいさつは、相も変わらずでした。そしてこれまた、相も変わらぬことに、広島と長崎の挨拶文は、ほとんど寸分違わぬコピペだったとネットで話題になっています。「ハフポスト」のまとめをコピペしておきます(汗)


太平洋戦争で原子爆弾が投下されてから75年になる今年、広島と長崎で平和祈念式・式典が開かれた。安倍首相は例年通りあいさつに立ったが、その内容が広島・長崎とともに「ほぼ同じ」だとネットで指摘されている。

2020年を比べると

安倍首相のあいさつ全文は首相官邸がアップしている。記事作成時点では広島市で行われたもののみだが、長崎市のあいさつ全文も各報道機関が掲載している。 それを見比べてみると、類似性は明らかだ。地名や式典名を除き、読み始めから以下の部分は共通している。 『本日ここに、被爆75周年の(※式典名)が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています』 その次から、広島と長崎で異なる。

広島:『75年前、一発の原子爆弾により廃墟と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています』

長崎:『75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様のご努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です』 しかし、そこから似た文章が続く。(以下略)


コロナ対策で世界ワーストワンとみなされるアベ首相。「唯一の戦争被爆国」を標榜しながら、核兵器廃絶への本気さがまったく感じられないお粗末さです。それを、より際立たせるのが、迅速的確なコロナ対策で世界中から高い評価を得、愛と誠意に満ちた丁寧な訴えかけで、人々に勇気と励ましを与えたニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相の姿勢です。彼女が、8月6日広島の日にあたってツイッター上で語った「核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者への償いになる唯一のこと」とのメッセージは、ヒロシマ・ナガサキを持つ日本政府こそが率先して世界に発すべき訴えではなかったかと、切に思います。これまた。「ハフポスト」のまとめを引用します。


世界が新型コロナウイルスに対応するチャレンジに直面し続けるなか、広島と長崎への原爆投下から75年を迎え、世界で起きた出来事の破滅的な影響を思い起こさせます。 1945年8月、世界は核兵器が何をもたらすのかを初めて目にしました。 最悪の結果を生み、爆撃の衝撃で亡くなっただけではなく、その後も長く続く放射能の後遺症で、人々に想像もできない苦しみや被害をもたらしました。 それ以降も、太平洋などでの核実験による悲惨な影響を目にしてきました。 現存する1万3000個以上の核弾頭の一つ一つが、広島や長崎で目の当たりにしたよりも強大な破壊力を有しています。 たった一つの爆弾が、破滅を意味します。そして、核戦争がそこで終わるとは誰も信じてはいません。 数百万人の命を一瞬にして奪い、環境に取り返しがつかないダメージを与えます。専門家は、いかなる国家や国家の集団、国際的な組織も、核戦争の影響に備えたり、対処したりすることはできないと警告しています。 備えることができないのなら、食い止めるしかないのです。 国連のグテーレス事務総長も言うように、国際的なコミュニティは、核の非武装化に向けた取り組みを再度活性化させなければなりません。人間性を守ると呼んでいます。 他人や将来の世代に残すことのできる課題ではありません。 ですからニュージーランドは、大多数の国連加盟国とともに、核兵器禁止条約を採決したのです。 私は、核兵器根絶に向けて必要不可欠なステップとして、そして全ての核保有国の核兵器ゼロの達成を含めた地球規模の交渉を求めて、他国もこの動きに加わり、このランドマークな条約を広めることを要請します。 このことが唯一、広島と長崎への原爆投下や、太平洋などでの核実験によって苦しめられた人たちに対する報い、レガシーとなるのです。

浜田理央 / ハフポスト日本版




今日の付録。夏らしい写真を掲載しておきます。


畑で採れたスイカ。


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トンボ各種。


まずは、ウチワヤンマ。


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これはオニヤンマかな?


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ギンヤンマ。


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ツクツクボウシの鳴き声を聞くようになりました。


が、声はすれども姿は見えず、撮影を諦めるのが常です。


声のする方を凝視すると、、、


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いや、これは、クマゼミでしょうね。


ではこれは、、、?


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そう言えば5年前(2015年)にこんな記事を書きました。


八日目の蝉もをるらん原爆忌


去年は、原爆忌の前後に、続けざまにヒロシマ、ナガサキについて書いています。
「三題噺補遺 夾竹桃のこと」
「続 夾竹桃のこと」
「原爆歌集句集長崎編から(その1)」
「『原子雲の下より』 のことなど」
「原民喜『原爆小景』のことなど」
「なんと言っても峠三吉でした。
「茸(キノコ)野分して長崎の日は雨だった」

毎年毎年、この季節になると蝉の姿ばかりをカメラで追います。ブログを始めてからも、蝉の記事も多いし、蝉の画像も見飽きるほど掲載しています。
今日の記事は、蝉を中心に載せようかと思いついて、いざ書きかけると、話題が皆、二番煎じであることに気づきます。
ちなみに、過去の記事から、蝉に関する蘊蓄を引用してみました。

「空蝉のなほ登らんとてや見上げたる」
空蝉のフォルムに惹かれます。フィルム時代から、何枚も写した覚えがあります。
すでに本体は、殻を脱ぎ捨ててはばたき、そしてわずか七日間の生命を謳歌して、もはや静かに眠っているのでしょう。でも、脱ぎ捨てられた空蝉は、今なお、樹皮や木の葉にがっしりと爪を食い込ませ、さらに上方を志すかのように、遙か高みを見据えているようにも思えます。
近所の樹林では、いつしかクマゼミの声は聞かなくなり、もっぱら、アブラゼミが鳴いたり飛び交ったりする姿を見かけます。
(中略)
「アブラゼミ」の命名は、「ジリジリ」という鳴き声が、煮えたぎる油に似ているからだとか。朝夕の蝉の声は、心なしか、ものわびしく聞こえるようになりました。秋もそこまで近づいている、、、でしょうか?

「ツクツクホウシを見た」
ツクツクホウシは、「ツクツクホーシ」と鳴くのか、「オーシツクツク」と鳴くのか「論争」があるそうですが、どうしても聞き定めることが出来ません。
(中略)
藤沢周平氏の「蝉時雨」は、ヒグラシでしょうか。直木賞作家葉室麟 氏の「蜩ノ記」も。「カナカナカナ」と哀感を含んだ鳴き声は、涼しさと物寂しさを演出しますね。

「蝙蝠を日傘に虫撮る夏休み」
そういえば、去年の夏もこんな記事を書いていました。
そこにも書きましたが、最近はクマゼミの姿が一番目につきます。
体格も勇ましいので、以前は、珍しい蝉だと思って珍重したものですが、今は一番ポピュラーです。
「シャンシャンシャン」と余計に暑さを増幅する鳴き声が、うるさいことです。
南方系の蝉だそうです。
アブラゼミ。 「ジージー」という鳴き声が加熱した油の音に似ているための名付けと言います。
子ども時代は、これを捕まえると少し自慢でした。
ニイニイゼミ。小さくて地味な蝉です。樹皮の模様に隠れて、動かずにいると気づきません。
子ども時代は、この蝉が一番身近でした。そっと近づいて、手で捕まえても、幽かにばたばたと暴れますが、じきに観念して静かになります。そのまま、服やシャツに しがみつかせても逃げないので、何匹も装着して歩いたものでした。バッジか何かのように。
環境の変化によるのか、近年生息数が減少しているようです。
松尾芭蕉が山形の立石寺(りゅうしゃくじ)で詠んだ 閑さや岩にしみ入る蝉の声 の蝉はニイニイゼミだったかと思われます。
「閑かさ」は外界の静かさではなく、心の中の静謐さだ、とはいえ、クマゼミではうるさすぎましょう。アブラゼミの鳴き声も、やはり耳障りです。心を逆なでしないレベルのニイニイゼミの鳴き声が妥当でしょうか。
ハルゼミや、ヒグラシ、あるいはツクツクホウシというアイディアも浮かばなくはありませんが、芭蕉が立石寺を訪ねたのは元禄2年旧暦5月27日(新暦で1689年7月13日)だといいますから、やはりニイニイゼミの活動時期でしょうかね。

漸(ようよ)うに姿見せたか法師蝉
ここのところ、つつつくほうしの声はしょっちゅう耳にしますが、目を凝らしても姿を捕らえることが出来ず残念な思いがしていました。
ところが今日は、孫のお供で図書館に行ったとき、玄関前の植木から、威勢のよいツクツクホウシの鳴き声が聞こえますので。じっと目を凝らすと、やっと見つけ出しました。


またまた二番煎じでした


今日はこれにて。


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コロナ止まぬヒロシマの日や草払う [今日の暦]

コロナが猛威を振るう中、75年目のヒロシマ原爆忌を迎えました。


ヒロシマでの記念式典の模様を、新聞はこう伝えています。


広島への原爆投下から75年の節目となる「原爆の日」を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が開かれた。新型コロナウイルスの感染を防ぐため、規模を大幅に縮小。松井一実市長は核兵器禁止条約に賛同しない日本政府に署名・批准を求めたが、安倍晋三首相は昨年に続いて条約に言及しなかった。(中略)

松井市長は平和宣言で「『75年間は草木も生えぬ』と言われた。しかし広島は復興を遂げ、平和を象徴する都市になった」と強調。一方で国際的には核廃絶に向けた動きが不透明になっているとも指摘し、米国の「核の傘」に依存する日本政府に対して「核保有国と非核保有国の橋渡しをしっかりと果たすためにも、被爆者の思いを誠実に受け止めて核兵器禁止条約の締約国に」と求めた。

安倍首相はあいさつで「非核三原則を堅持しつつ、立場が異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促す」と述べた。


今、コロナ克服に向け、国民(ひいては人類)の英知と総力を結集して有効な対策を打ち出すべき時、そのための国会開催要求をも拒絶し、10兆円ものコロナ対策予備費を懐にしまい込んだままひたすら逃げ隠れを続けてきたアベ首相。その無策・無能ぶりがあまりに恥ずかしくて、人に合わせる顔がないという殊勝な心境かと思いきや、相も変わらず核兵器禁止条約に基づく核なき世界秩序確立へと向かう世界の趨勢に、「唯一の戦争被爆国」を名乗って核大国擁護の障壁を買って出る厚顔無恥。お辞めください、殿!見苦しゅうござるぞ!!




先日の記事で、ラジオ体操を話題にした父の新聞投稿に触れました。こちらでも、例年より遅い夏休みが始まり、近所の公園でラジオ体操が始まっています。が、ちょっと覗いてみると、足もとが草ボウボウで、かわいそうなほど。少しでも緩和できればと、草刈りを試みてみました。田舎では、エンジン刈り払い機を使っているのですが、こちらでは子供だましのバッテリー式簡易草刈り機があるだけ。刈り払い能力もさることながら、バッテリーの持ちがシビアです。満充電しても、20分持たないレベル。2個のバッテリーを用意しての作業ですが、ちっともはかどりません。作業しては充電、充電しては作業のサイクルで、朝夕、暇を見ては何ラウンドかの作業を続けて、今日で四日目。最初の草むら状態と比べればましにはなっていますが、整備されたグラウンドにはほど遠い環境。まだ刈り残しだらけなのですが、子どもたちのラジオ体操は今週で一休み。夏休みの終わりの時期にまた再開するのだそうです。その頃にはまたまた夏草が勢いを増して、元の木阿弥になるだろうと思いながら、今朝も2ラウンドほどの作業で汗びっしょりでした。




県の年金者組合の新聞今月号に、こんな記事を載せました。いまのタイミングなので、ご紹介しておきます。


「♪夏に咲く花夾竹桃」という歌詞(藤本洋作詞・大西進作詞「夾竹桃のうた」)のとおり、原爆記念日の頃、炎天下の広島の街を彩るのがこの花です。ところで、八月五日は俳人中村草田男の命日。「草田男忌」と呼ばれます。「夾竹桃戦車は青き油こぼす」八〇年前の彼の句の不気味なリアリティが、アベ政治のもとで再び蘇ることのないよう祈ります。同い年で、共に「東大俳句会」出身の山口誓子にも、次の句があります。「夾竹桃荒れて台風圏なりけり」強い風と雨に、夾竹桃の茂みがゆさゆさと揺れるさまが目に浮かびます。

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過去のブログ記事の焼き直しです。三題噺補遺 夾竹桃のこと(2014-08-03)




先日、M師から鳥写真入り暑中見舞いメールをいただきました。こんな鳥たちが手招きをしていました。


カイツブリの親子。ヒナが浮巣の上で育てられています。


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ブッポウソウ、巣立ちが近いそうです。


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アオアシシギ。


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カルガモの親子。


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精進を積んで、こんな写真を写してみたいと、いつものごとく思ったことでした。


ところで、昨日、後楽園を訪ねた際、偶然に蓮田のそばでカルガモを見つけました。


珍しくもないが、とりあえず、と思って写しておきました。


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そして、近くのトンボなどを追いかけておりました。


真っ赤なトンボ。ショウジョウトンボかと思われます。


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トリミング画像です。


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チョウトンボ。


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トリミング。


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このハスは、一天四海(大名バス)。


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井田の古代ハス(大賀ハス)は、もう花期が終わっていました。


さっきカルガモがいた畦を改めて良く見ると、、、


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あのカルガモの奥の方に見えるのは、、、どうやら子どもたちではないですか。もはやヒナと言うには立派に育っていて、少年か若者と言った風情です。


が、しぐさや、産毛の様子などには、まだまだあどけなさが残っています。


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鳥の手招きに心は惹かれますが、梅雨が明けたかと思えばこの暑さ。まったく閉口です。


M師のメールにこうありました。


コロナという疫病で社会生活が萎縮してうっとおしい毎日です。高齢者は特に注意しなさいと言うことで私は人の集まるところは避けもっぱら山間、 樹間、林間をうろついております。


「山間、樹間、林間」に憧れは尽きません。


今日はこれにて。


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暑中涼あり、の巻 [折々散歩]

庭の朝顔が、毎朝、涼を演出してくれます。

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それにしても暑い日が続きます。今日など、日中は体温超えでした。

昨日も暑い中、裁判所前に集合です。

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年金裁判の口頭弁論が、4月に予定されていたものがコロナの影響で

延期されていたものです。皮肉なことに、感染者の数は今の方が多いのですが、、、。

100名近くが傍聴に駆けつけたのですが、法廷内に入れるのは、原告のうちの限られた人だけ。残りの参加者は、別会場で待機です。

待機中、DVD映像が放映されました。内容は少し古いですが,テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」という番組の「年金困窮者」を追ったシリーズ何週分かを騙取したまのらしい。たとえば、こんなないようでした(net上の該当記事をコピーして紹介します)。

●2017年10月11日放送

理髪店の店主・斉藤直樹さん(仮名・80)の年金受給額は夫婦で約9万円(月額)とギリギリの生活を送っている。この日は40年来の常連が訪れた。かつて一日平均10人はいた客は月5~6人に減少した。カット料金は20年前から4000円、月の売上は約2万円だという。節約生活を送る夫婦の1番の悩みは年々増える医療費だった。かつて理髪店のそばには商店街があったが現在はほぼ閉店している。予想だにしなかった厳しい年金生活は夫婦の唯一の楽しみも奪ってしまった。

●2017年11月22日放送

5万円の年金生活をしている鈴木美代子さんは、全日本年金者組合に相談に行った。すると、リバースモーゲージという制度を紹介されたという。リバースモーゲージとは、高齢者が住居不動産を担保することで、自治体または銀行から生活資金を融資してもらえる制度。借りた人が死亡したら、担保を売却し処分する。神奈川県でリバースモーゲージを利用する条件は、不動産の評価額の70%が1500万以上あること。鈴木さんは審査の結果、年間120万円が3か月ごとに振り込まれることになった。年金と合わせて月15万円ほどで生活できるようになった。生活資金の融資期間は10年だが、融資期間終了後も自宅に住むことが可能。鈴木さんの医療費は月約3000円ほどで同年代より少ない。鈴木さんは週一回マッサージを受けている。鈴木さんは今後のことを考えて、できるだけ貯金しているという。現在、日本の年金受給者は約4000万人。全国に911支部がある全日本年金者組合では年金の相談に応じている。相談は年々増加しているという。

●2018年2月28日放送

去年10月に夫が他界し急に年金の支給額が半分になってしまった大森和子さんは「40年間国民年金を払ってやれやれと思ったら減らされた。こんな踏んだり蹴ったりの老後があるとは思わなかった。ひどすぎる」と胸中を露わにした。年金の相談を受け付ける全日本年金者組合でも最も多く寄せられるのは遺族年金の悩みだという。現在日本には年金受給者が約4000万人存在する。多くの人が生活に不安を抱えている。

などなど、いずれをとっても深刻な、身につまされる苦境が生々しく描き出されます。そしてそれは、決して特別な希有な事例ではなく、極めてありふれた、誰の上にも起こりうる境遇であることに、改めて事態の深刻さを痛感します。つまり、現行の年金制度が「老後の安心」を保証するものでは決してなく、さらに若い世代にとってはより劣悪な制度が押しつけられようとしている事実を、改めて直視しないわけには行きません。

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横断幕にある「若い人も高齢者も安心できる年金制度を!」のスローガンを、さらに高く大きな声にして行かなければと、思いました。

DVDを視聴しながら待機するうちに、口頭弁論が終わったらしく、入廷していた人々が、三々五々会場に到着し、「報告集会」が始まります。原告団長の東さんは冒頭あいさつで、まず、これまで原告側が求めてきた原告証人尋問を、裁判所が認めたことを報告。拍手に包まれました。年金引き下げによる被害を、生の声で裁判官の耳に訴える機会を得たことは、一歩前進です。

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弁護団長の則武弁護士は言いました。「私は最近確信している。コロナで政府が何の策も採ろうとしないのは、無能のゆえではなく、コロナで高齢者が死んでいくことを望んでいるからだ、と。」まさに、高齢者を社会のお荷物と見る立場からすれば、当然の帰結と言うべきかも知れません。

この立場を転換させ、憲法が示す生存権を守りぬく年金制度を確立する上で、この裁判はとても大事。全国の年金裁判は、これまでのところ、負け続けているそうです。しかし、これをもって無力感にとらわれるべきではない。私たちの裁判運動は決して敗北することはない。なぜなら、最後に勝つまで何度も闘うからだ、、という趣旨の弁護団長のお話、胸にしみました。


今日も暑い日でした。教育相談ボランティアは、児童生徒の夏休みにあわせて一応おやすみなのですが、郵便物の処理などのための当番を、交代でこなしています.今日は私の番、ということで、午前中短時間、「出勤」しました。そのついでに、久しぶりに後楽園を歩いてみることにしました。

これは、道中の景観。

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お城ではみょなかを中心に「烏城灯源郷」という催しが行われるところだそうです。

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後楽園の入り口は、コロナ対策のため、ものものしい雰囲気です。まずは、指示通り、マスクを着けて入園します。

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暑いさなかですが、かやぶき屋根の建物や、木々の緑に、心が安らぎます。

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青モミジ。

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涼しげな流れに目が引かれます。

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pentax k-r+DA50mm f1.8で写しました。

今日はこれまで。


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成長、の巻 [折々散歩]

お節介なfacebookのサービスに,気まぐれに昔の記事を思い出させてくれるお知らせが、あったりします。7年前の今日の記事にこんなことを書いていました。


お兄ちゃんは自転車、私は三輪車で遊んでいましたが、かわりばんこに三輪車を押して遊びました。それから、虫取り網で、お兄ちゃんを捕まえました。セミも捕まえました。


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保育園児0だった「私」は、今では小4。虫取り網で捕まった「お兄ちゃん」は中1になりました。上の「お兄ちゃん」は高2で、今日17才の誕生パーティを前倒しで祝いました(日曜なので)。


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先日、じいじの誕生日を祝ってくれてからまだ数日しか経っていませんので、子ども達は、嬉しいバースディケーキラッシュを堪能しています(毎年のことですが)。


このケーキは、小4の孫(7年前の記事の「私」)が,スポンジケーキの上に生クリームとフルーツをトッピングして作ってくれたものです。


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それと,ママが市販のケーキを買ってきてくれました。


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そして、保育園児の孫がこんなプレゼントを作ってくれました。


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子どもの成長は早いものと,改めて思います。


カイツブリの雛も,すくすく成長しています。


親鳥が、率先垂範で,潜水や餌取りのレッスンを,何度も何度もひな鳥徳利帰しています。


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ところで、今日のこれなあに?


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こちらの方がわかりやすいでしょうか?


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オタマジャクシ時代のシッポをまだ相当残しているカエル、、、その大きさから見て、ウシガエル?おびただしい個体数ですが、彼らが無事大きく成長することは、自然界にとっては決して好ましいことではないのでしょうね。


今日はこれにて。


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フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA