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コットン水車もまわってる,の巻 [折々散歩]

後楽園の水路を水車が回っていて、涼を感じさせてくれます。


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ところで、ここを通るといつも「コットン水車もまわってる」というフレーズが,口をついて出てきます。「もずが枯れ木で」の歌の一節です。古いところではこんな記事を書いたことがありました。


ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。(2013-09-29)


元職場では、廊下で出会った時など同僚のSさんと、百舌の鳴き声を確認しあうのが、この季節の習わしになっていました。Sさんは音楽にも秀でた方で、洋楽のレパートリーも豊富なのですが、「『もずが枯れ木で』が好きなんです」とおっしゃったことがありました。
私もモズを見ると、この歌を想い出します。
もずが枯れ木で
【作詞】サトウ ハチロー
【作曲】徳富 繁
もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる
みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ
兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ

(中略)

「兄さ」は徴兵により、凍える満州に送り出されていきました。
サトウハチローの作詞が昭和10年(1935年)、徳富繁の作曲が昭和13年(1938年)だそうです。
軍国主義華やかなりしこの頃、人為による「兄の不在」、「愛する者の不在」を、こうも切々と訴えた詩が生まれたことは、驚きです。この時代、反戦や民主主義を目指す思想や運動には徹底的な弾圧がくわえられ、ありとあらゆる芸術、文化、言説が、「戦意高揚」へと駆り立てられていきました。
石川達三の「生きている兵隊」(『中央公論』1938年3月号)が発行禁止処分を受けるなど、表立って「反戦」を唱えなくとも、少しでも戦争の悲惨を伝え、戦意喪失させるような作品は、発売禁止にされました。そんなご時世に、「鉄砲が涙で 光っただ」なんて、日本男児にあるまじき「女々しい」歌が検閲を免れ、地方の民謡として歌い継がれたことは、希有な奇跡だったかも知れません。.


まったく牽強付会の、文章展開ですが(汗)、「もずが枯れ木で」の歌詞には、「綿びき車は おばあさん コットン水車も 廻ってる」とあります。「綿引き車」「コットン」と二つも綿に関わる言葉が出てきますので、きょうの話題は「綿」に決めました(汗)。


綿の話題は、今月初めの記事で書きました。


棉から綿へ、の巻( 2020-09-05 )


今日はその続きになります


昨日今日と、少しまとまった雨が降りました。


綿花は、雨に濡れると品質が落ちるようなので、雨になる前に収穫できるものは収穫してきました。これまで収穫したものとあわせるとかなりの分量になります。


綿花の固い殻から、種のついたままの棉を取り出します。


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種と繊維(綿)とを分離すルために使われる「綿繰り機」は、簡単なものでもかなり高価なので、その代用として製麺機をもちいてみたという話は前にも書きました。


小4の孫が手伝って(遊んで?)います。種のついた実をほぐしながらローラー部分に挟み、ゆっくりぐるぐる回します。


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取り除かれた種です。このザルの上に乗っているのは、1600粒ほどだと言います。最初10粒購入したものが、100倍以上に増えたと、妻は威張っています。来年もこれを蒔いてみたいと思っているようです。


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これが取り出された綿です。


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この綿の繊維を梳いてほぐし、繊維を一定方向に揃える作業がこれにつづきます。


下の写真、左側のオレンジ色のハンドカーダーと呼ばれる道具(2対)を用います。細長いまとまりを「プーニー」と呼ぶそうです。日本では、地方によって“じんき”とか“撚り子(よりこ)”などとも呼ばれるそうです。


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この「プーニー」から糸を紡いでいく道具がスピンドルですが、妻はこれを段ボールと菜箸を利用して手作りしたそうです。


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今日はここまで。


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