3回言いました、の巻 [時事]
1月28日付Yahooニュースに 梅沢富美男 菅首相「生活保護」発言に怒り爆発「こんなにバカにされて自民党に入れるヤツいるのかね」という記事が掲載されていました。大変興味深いので、一部引用してご紹介しておきます。
俳優の梅沢富美男(70)が28日放送のTOKYO MX「バラいろダンディ」(月~金曜後9・00)に出演、物議をかもしている菅首相の「最終的には生活保護がある」発言について「国民をバカにしている」と怒りをぶつけた。
問題発言が飛び出したのは、27日の参院予算委員会の答弁。菅首相は新型コロナウイルス対策で「10万円」を給付する特別定額給付金を「再び支給することは考えていない」と否定。一方で、政府の支援が届いていない人がいるのではないかとの質問に「最終的には生活保護という仕組みもある」と語った。
これに対し、「国民が生活保護に陥らないようにすることが政治の役割ではないのか」との声が噴出し、SNS上などで大炎上する騒ぎになっている。 梅沢は「言っちゃいけないことを言っちゃったよな。国民をなんだと思ってるんだ」と憤った。コロナ禍で経済的に困窮する人が続出している状況を知りながら「10万円なんて出しませんよ…と。よくそこまで言えたよな」。
一方で、「国民が試されている」との見方も示した。「今度の選挙ではっきりするんじゃない。これで応援する国民なら、生活保護受ければいいじゃない。でも、おれは変わってくると思うよ、こんなにバカにされてまで自民党に入れるヤツいるのかね、疑問だな」と声を荒げた。
「生活保護があるでしょ」は、彼らのお得意のセリフですね。私も所属している年金者組合が全国各地で国を相手に争っている「年金裁判」においても、被告の国側は、「年金切り下げにより生活していけなくなる人がでたとしても、憲法25条(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)に違反しているとは言えない。セーフティネットとしての生活保護があるから」みたいなことを繰り返し主張してますよね。
でも、一方で、生活保護受給に苛酷なハードルを設定して、受給抑制を強めていることは周知の事実。役所の窓口では、俗に「水際作戦」とか「硫黄島作戦」とか呼ばれる対応が、推進されているそうな。
「水際作戦」とは、福祉事務所の窓口という水際で、「まだ働くことができる、最低生活費以上の預貯金や所持金(手持ち金)がある、住居を持っている、住居の家賃が高すぎる、自家用車を保有している」などの理由をつけて申請を受け付けないというもの。「硫黄島作戦」とは、旧日本軍が米軍を硫黄島に上陸させた上で迎撃を図った作戦にちなみ、生活保護を決定してから辞退届を出させたり転居させて保護を打ち切ること。
その結果、餓死・孤独死・自殺といった悲惨な事件も跡を絶ちません。
生活保護受給を妨げるハードルのとして、いまひとつ「扶養照会」があります。yahooニュース1/24付生活保護の扶養照会の「闇」 行政が大学生や80代の高齢者にも要求から一部引用します・
コロナ関連の生活困窮に対応する生活支援策として、社会福祉協議会の特例貸付や住居確保給付金の要件緩和が行われてきたが、いずれも期限付きの制度であり、すでに貸付や給付が終了してしまったという相談も少なくない。
そうすると、生活困窮の拡大を受け止めることのできる制度は、ほぼ生活保護だけということになる。しかし、生活保護の捕捉率(受給資格のある人のうち、実際に受給している人の割合)は2割程度と言われており、かなり多くの人たちは保護申請を避けている現状がある。
その要因の一つとして、保護申請時に行われることの多い扶養照会の存在が挙げられる。扶養照会は申請者の親族に対し、扶養(金銭的援助など)の可能性についての文書を送付する制度だ。生活保護申請を家族に知られることを恥だと思う人も多く、保護申請の大きな障害となっている。
しかも、日本の扶養照会は世界的に見ても「異様」に執拗なうえに、まったく効果がなく、無駄な行政経費の代表格といってもよいほどなのだ。
そこで今回は、生活保護における扶養照会について解説していきたい。(以下略)
この扶養照会の問題昨日の国会でクローズアップされました。
田村厚労相
「義務ではございません
義務ではございません
扶養照会が義務ではございません」
小池晃議員
「だったらやめましょうよ」
(2021.1.28参院予算委員会)
https://tr.twipple.jp/t/37/1354766831051968512.html
立川談四楼さんのツイートがズバリそれを取り上げています。お見事。
ところで、立川談四楼さん、ツイッターでのその切れ味鋭い発言に溜飲を下げることがしょっちゅうなのですが、遅ればせながら、最近、この方についてのエピソードに、思わず膝を叩いたものでした。wikiより引用します。
1983年、落語協会での真打昇進試験において、談四楼と兄弟子の小談志(後に談志門下を離れ喜久亭寿楽になる)が不合格になる。これをきっかけに談志は弟子をつれて落語協会を離れ、落語立川流を結成。同年11月、落語立川流真打に昇進。
師匠の立川談志は、人気番組「笑点」の司会としても記憶される軽妙洒脱の落語家ですが、政治的には自民党参院議員、沖縄開発庁政務次官(持ち前の喧嘩っ早さで、わずかて36日間で辞任しますが)を務めた人。でも、その気骨は、弟子の談四楼さんに脈々と受け継がれているものと見えます。
【記事の追加】
談四楼さんは、師匠の没後、小説「談志が死んだ」を書いています。
その死は弟子たちにも伏せられていた。立川談志、享年七十五。この不世出の落語家に入門したのは十八歳の春だった。それから四十年近く惚れ抜いた師匠から突然の破門宣告。「てめえなんざクビだ」。全身が震えた。怒りの理由が分らない。振り回され、腹を立て、やがて気づいた。大変だ。壊れてるんだ、師匠は――。偉大な師匠(おやじ)の光と影を古弟子(せがれ)が虚実皮膜の間に描き尽す傑作長篇小説。
祝!なんと落語立川流20周年「落語家の了見」最初で最後か、の大饗宴!家元+37人が勢ぞろい「亡くなっちまったら、どうなる?」「ぼけちゃう場合だってあるかも」「パンドラの箱を開ける」「たぶん、崩壊しちゃいますよ」「談志のDNAは残っていく」「立川流の残党とか、言われちゃうんだ」「二代目の家元はだれ?」「談志って名はだれも継げないよ」「落語界再編が起こるんじゃないか」「落語協会も変わったと思う」「派閥政治の終わりと一緒だな」「頼むから、敵を作るな」「分家させていただきます」「わたしは裏立川流を」「わたしは新協会を」「いいじゃないですか、喧嘩腰トーク」「ずっといるんですよ、師匠の生霊が」「上納金は、だれに払うの?」「新年会とか、どうするんですかね」「新年会の前に、まず告別式だろう」――(「第一部」より抜粋)
早や、一月も終わり。だんだん、夜明けが早くなってきました。
未明の西空には有り明けの月。
東の空が、次第に明るくなります。
用水路に映る明け方の空が、
麦畑の向こうに「児島富士」とよばれる常山が見えます。
今日も「とりくらべ」。
OLYMPUS E-30+KENKO ミラーレンズ500mm。
ピント合わせが難しい。
庭の水仙。
朝日を浴びる紅梅。
枝かぶりのゴイサギ。
ツグミ。
モズ。
カワウ。
枇杷の花とメジロ。
午後持ち歩いたのは、OLYMPUS E-520+tamron レフレックスレンズ 500mm。遙か昔のオールドレンズですが、侮れませんね。
今日はこれにて。
今日のお悩み、の巻 [日録]
わたし、悩んでいます。
こんなメールがきました。
いつもJcbカードをご利用頂きありがとうございます。
お客様のカードご利用内容をお知らせいたします。ご利用カード:Jcbカード
◇利用日:2021/01/28 3:53:13
◇利用取引:買物
◇利用金額:36,201円利用いただき、ありがとうございます。このたび、ご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、誠に勝手ながら、カードのご利用を一部制限させていただき、ご連絡させていただきました。つきましては、以下へアクセスの上、カードのご利用確認にご協力をお願い致します。お客様にはご迷惑、ご心配をお掛けし、誠に申し訳ございません。何卒ご理解いただきたくお願い申しあげます。ご回答をいただけない場合、カードのご利用制限が継続されることもございますので、予めご了承下さい。
▼ご利用確認はこちら
https://my.jcb.co.hfzgcj.com
弊社は、インターネット上の不正行為の防止・抑制の観点からサイトとしての信頼性・正当性を高めるため、大変お手数ではございますが、下記URLからログインいただき、 ※JCBカードログインはこちら
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▼ご利用通知サービスのサービス内容紹介はこちら
https://my.jcb.co.hfzgcj.com※このメールアドレスは送信専用です。ご返信に回答できません。
■発行者■
株式会社ジェーシービー(JCB Co., Ltd.)
https://my.jcb.co.hfzgcj.com
東京都港区南青山5-1-22 青山ライズスクエア 〒107-8686
指示されたURLをたどると、こんなログイン画面が現れます。
疑わしい点を見いだすことは困難です。ページ上に設定されているリンク先もそれぞれたぐってみましたが、周到に作られています。
ところで、ホンモノのmyjcbログイン画面はこれです。
見分けがつきません。
念のためにJCBのHPに掲載されているフィッシング詐欺にたいする警告を確認してみました。
https://www.jcb.co.jp/service/safe-secure/trouble/phishing-mail/
不審なメールがきた
JCBを装った不審なメールが配信されています。
事例をご確認のうえ、不審なメールにご注意ください。不審なメールを受信した場合
JCBがメールで直接カード番号や暗証番号などを問い合わせたり回答をお願いしたりすることはありません。不審なメールを受信した場合は、メール内のリンクを押したり、リンク先のWEBサイトで個人情報を入力したりしないでください。
個人情報を入力してしまった場合
万が一、カード番号や暗証番号などの個人情報を入力してしまった場合は、カード差し替えのため、紛失盗難デスクへご連絡ください。
フィッシングメールの事例
1.送信元が本物か確認してください
JCBから実際にお送りしているメールアドレスによく似たメールアドレスが使用されていることがあります。
JCBを名乗るメールを受信した際、必ずメールアドレスのドメイン(@以降)がJCBのものであるか確認してください。
また、次の点にも注意して、第三者がJCBを装ったメールでないかを確認してださい。(1)宛先に自分以外のメールアドレスがはいっていないか
(2)個人情報の変更、入力を促す内容のメールではないか
(3)不明なファイルが添付されていないか
2.メール内のリンク先が本物か確認してください
フィッシングメールに記載されているリンクを押すと、フィッシングサイトへ誘導され、個人情報の入力を促されます。次の点などに注意して、URLが偽装されていないか、確認してください。
(1)URLがJCBのWEBサイトと類似の偽物でないか
(2)記載されているURLと、リンク先のURLが異なっていないか
(3)マウスオーバーしたときに表示されるURLがJCBのものか
JCBからのご連絡に関する事例や、よくあるご質問は次のリンクよりご確認ください。
フィッシングサイトの事例
1.URLが本物か確認してください
フィッシングサイトは本物のWEBサイトとよく似ているため、見た目だけで判断することが困難です。個人情報を入力する前に、必ずWEBサイトのURLを確認してください。JCBのWEBサイトで個人情報入力を求める可能性がある主なURLは次の通りです。
<J/Secure(パスワード入力画面)>
https://acs.cardnet-tds.com/***
https://acs-jcn.dnp-cdms.jp/***
- 「***」の部分の文字列は固定ではありません
2.URLが偽装されていないか注意してください
見た目はJCBのURLであっても、URLが偽装されたWEBサイトが表示されることがあります。次の点に注意して、偽装されたWEBサイトでないか確認してください。
(1)アドレスバーが表示されており、画像で上書きされていないか
(2)情報入力画面がポップアップで表示されていないか
(3)MyJCBのログイン画面でMyJCB ID/MyJCBパスワード以外の情報を確認されていないか
3.アドレスバーに鍵マークがあるか確認してください
アドレスバーに鍵マークが表示されていないWEBサイトでは個人情報を入力しないでください。また、パソコンから閲覧している際は鍵マークをクリックし、証明書の発行先が「JCB Co.,Ltd」となっていることを確認してください。
鍵マークはSSLという通信技術によってやり取りが暗号化されている場合に表示されます。鍵マークが表示されたサイトは改ざん・なりすましが防止され、「証人局」により身元が保証されていることを表します。
フィッシング対策の最新情報は「フィッシング対策協議会」のWEBサイトよりご確認ください。
ところで、過去メールを探ってみると、以前にも、複数通届いていました。
JCBカードをご利用のお客さま
利用いただき、ありがとうございます。
このたび、ご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、誠に勝手ながら、カードのご利用を一部制限させていただき、ご連絡させていただきました。
つきましては、以下へアクセスの上、カードのご利用確認にご協力をお願い致します。
お客様にはご迷惑、ご心配をお掛けし、誠に申し訳ございません。
何卒ご理解いただきたくお願い申しあげます。
ご回答をいただけない場合、カードのご利用制限が継続されることもございますので、予めご了承下さい
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株式会社ジェーシービー
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お問い合わせは上のURLの、専用フォームよりお願いします。
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本メールに掲載されているすべての記事、文章等の無断転載を禁止します。
著作権はすべて、株式会社ジェーシービーに帰属します。
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もう少し前にも、、、
===================================本メールはJCBカードのご利用にあたっての、大切なご連絡事項です。そのため、「JCBからのお知らせメール配信」を「希望しない」に設定しているお客様へもお送りしています。===================================
ご使用に感謝jcb会員の専・用webサービス「myjcb(マイジェーシービー)」 最近ではシステムのバージョンアップにより、MyJCBが正常に使えなくなったり、
カードが停止されたりするなどの不具合が発生している。
現在,クライアントにはオンラインログインによるアカウントのアップグレード認証を要求したり,IDを忘れて再登録したりしている ご不便とご心配をおかけしまして誠に申し訳ございませんが、何とぞご理解賜りたくお願い申しあげます。 下の【お問い合わせ窓口】まで認証や登録を行う MyJCBに登録済の方 ===================================弊社におけるセキュリティー対策について
弊社では、カードの不正使用を未然に防ぐためにさまざまなセキュリティー対策を実施しており、今回のご案内も未然防止策のひとつです。詳細は弊社ホームページ:「安心してご利用いただくために」をご参照ください。
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今後ともJCBカードをご愛用くださいますようお願い申しあげます。■本件に関するお問い合わせ│株式会社ジェーシービー│JCBインフォメーションセンター│東京 0422-76-1700│大阪 06-6941-1700│福岡 092-712-4450│札幌 011-271-1411|※9:00AM?5:00PM 年中無休|※電話番号は、お間違いのないようおかけください。|※一部の電話機で利用できない場合があります。
どの文面も、もっともらしいことが書いてあります。連絡先の住所や電話番号も、それっぽいですね。実際に電話して確認することはしていませんが・・・。念のために、指示されたURLをクリックしてみましたら、既知の詐欺サイトであることを警告するこのような表示があらわれました。やっぱりね。
でも、冒頭に紹介しました最新のメールに記載のアドレスについては、警告が現れません。ひょっとしてホンモノ?という疑いが払拭しきれませんので、イチかパチか、カード番号とパスワードを入力してログインしてみようかと思ってみたのですが、、、。
わたし、悩んでます。
というのも、私、クレジットカードは何枚か持っていますが、よくよく考えると、JCBカードを持っていないのです(以前、使っていたことはありましたが、紛失したのを機に別のカード会社に乗り換えたのでした)。
おあとがよろしいようで・・・
付録は、きょうの「とりくらべ」。
朝、眼科に出かけ、そのあと、深山公園を歩きました。
ぽかぽか陽気に、梅の花も伸び伸びとほころんでいます。
サザンカの花から花へと動き回って、吸蜜しているメジロ。
あちらこちらで、何羽ものシロハラに会いました。
このシロハラが採餌しているのは、足もとに散らばっている粒状のもの。
よく見ると、この公園に住み着いているネコたちのためにどなたかが与えているペットフードらしい。ちょっと複雑な心境です。
一生懸命木をつついて、虫を捕食しているコゲラ。
以上は、OLYMPUS E-520+ZUIKO70-300mmで撮影。ほぼ満足の写りです。
次は、PENTAX K5Ⅱ+AFBORG 60EDで撮り比べ。
やはり精細度が高いです。
逆光のメジロは、画像調整したものの、やはりちょっと苦しいです。
ヤマガラは沢山出てきてくれますが、ヒマワリの種を与えて餌付けし「手乗り」を楽しんでいらっしゃる散歩客のお邪魔をしては悪いので、邪魔にならない場面・タイミングを選んで写します。
ジョウビタキ♂
珍鳥には出会えませんでしたが、出てきてくれてありがとう。
午後は畑に出かけ、大根を引いたり、ジャガイモ栽培を前に、堆肥をすき込んだり、納得の一日・・・・・だった、と思いきや、大事な会議をすっぽかしたらしい事を、お友達からの別件メールで知りました。年末にガラケーからスマホに代え、予定表の管理をスマホに移行したのですが、なぜか今日の予定をメモしそびれていたものらしいです。
頻発する物忘れ、注意力減退、ポカ、うっかりミスの常態化・・・。「今日のお悩み」はこれです(トホホ)
【付録の付録】
デジタル大辞泉(小学館)の解説
ぽか
囲碁や将棋で、考えられないような悪い手を打つこと。転じて、するはずのないばかばかしい失敗。「ぽかをやらかす」
とりくらべ2,の巻 [折々散歩]
前記事のこの鳥は、ビンズイのようです。皆様、ご指摘ありがとうございました。
ビンズイと言えば、なぜか地面を歩きながら採餌している姿ばかりが思い浮かび、木の枝に止まっている姿はイメージできませんでした。小鳥ですから、木枝に止まるのは当然ですのに、、、。
以前、こんな記事を書いたことがありました。
ビンズイ探訪、の巻(2018-01-05)
ところで、ビンズイは、英語ではOlive-backed Pipit(オリーブ色の背中のセキレイ)と呼ぶそうですね。セキレイ科の小鳥だそうですから、実に直截な命名で、わかりやすいです。(味も素っ気もないとも言えますが、、)
一方、和名の「ビンズイ」の方は、どういう意味があるのか、とっさには思いつきません。
今から10数年も前、鳥についてはまだまったくの初心者で、スズメとツバメとカラスとハト位しかとっさには見分けられなかった頃、たまたま写した鳥の名を、職場の同僚であった生物教師のKさんに教えてもらったなかに、シロハラ、アオジ、キビタキなどと混じって、ビンズイの名もありました。そのときも、「ビンズイ」の名前に、意味的要素を見いだすことは困難でした。
それもそのはず。「ビンズイ」は鳴き声を「ビンビンツイツイ」と聞きなしたことによるそうです。漢字で便追とも木鷚とも書くそうです。前者は音を当てたもの。キヒバリ(木雲雀)という別名もあるそうですね。このビンズイ(キヒバリ)と、タヒバリ(田雲雀)との見分けは、チョー難しいですね。
過去記事にも、ビンズイは時々登場します。ビンズイでした。(2015-01-31)
M師から、ビンズイでは?とアドバイスをいただきました。 今日も、深山公園に出かけてみました。
すると、いました。ビンズイですね。深山公園のビンズイ posted by (C)kazg
ところで、とっさに、ビンズイと迷うのが、アオジです。昨日、郷里の父母宅を訪ねる途中で寄り道した「小鳥の森」で出会ったアオジです。
アトリも、同じような採餌情景を、見せてくれます。
手前をよく見ると、、、
シロハラも同じような採餌行動を見せています。
メジロは沢山いましたが、逆光です。。
枝から枝へのエナガ。
ジョウビタキ♂も登場。
実は下の写真は、一昨日、事前環境体験公園で写しました。「撮り比べ」と言っても、同じ機材ですが、、、(汗)
「鳥比べ」のラストは、、、
ルリビタキ♂。辛抱して待ってると、現れました。
今日はこれにて。
とりくらべ、の巻 [今日の「これなあに」?]
3月並みの陽気になるでしょう、と予報がありました。明日からはまた天気が崩れるそうで、貴重な一日。深山公園を歩いてみました。
気合いを入れて、PENTAXk5-Ⅱに重いsigma DG 120-400mm APOを着け、カメラバッグは車内に残したまま、意気込んで歩き初めたところで、シロハラに会いました。ところが、シャッター半押ししてもAFが反応しません。あちこち触ってみて、レンズのボタンをマニュアル設定しているのに気づいて、AFに変更。---しかし、改善されません。しかも、シャッタ-も切れないのです。これは、、、と、レンズとマウントとの接触不良を疑い何度か付け替えてみますが、これも効なし。バッテリーはフル表示がされているのですが、安価な互換バッテリー故、接触の具合で作動不良もあろうかと、何度か入れ直して観たり、接点部分をぬぐってみたり、、、して、ようやく撮影できました。
が、それも束の間、バッテリー切れのサインが表示され、うんともすんとも言うことを聞かなくなりました。がっかりして、車まですごすごと引き上げ、念のためにバッグの中を探ってみると、、、、、ラッキーありましたありました、予備のバッテリーがバッグのポケットに入れてありました。
早速電池を付け替えて、再度歩き始めます。
天気が良いので、光線の具合も申し分なし。小鳥たちの活性も高いような予感がして、胸が躍ります。
シジュウカラ。
ジョウビタキ♂。
そして今日のこれなあに?
エゾビタキ???でしょうか??
残念なことに、取り替えたバッテリーも電池切れ表示。途中で断念して、散歩中断とあいなりました。撮影は諦めても、ウォーキングだけでも続ければ?という判断もあり得たのですが、そこはそれ重いレンズとカメラあわせて2kg超になる、無用の長物の大荷物を抱えて歩く気力が失せてしまいましたので---。「冷蔵庫電気なければタダの箱」というCMがありましたっけ?写真機も、電池なければただの塊に過ぎませんな。その点、昔の機械式カメラは、電池など不要でしたから、便利で信頼できましたよね。
ところで、今日のタイトル「とりくらべ」のココロは、昨日の機材と撮り比べてみようかと考えた次第。昨日、雨上がりの散歩道で使ったのは、OLYMPUS E-520+ZUIKO70-300mm。最近の使用歴では、どうも思わしい結果が出ていないので、初心に戻ってRAW撮影してみようか、と思ったのでした。これで使い物にならなければ、この取り合わせでの望遠撮影は、きっぱり諦めようとも思いました。
こういう題材では、決して写りは悪くはないと思います。
問題は、「鳥比べ」です。
枇杷の花に吸蜜するメジロの群れ。
トリミングします。
ジョウビタキ♀
カワセミ。
今日はこれにて。
核無き世界兆すかマンサク咲き初むる、の巻 [折々散歩]
昨日は、核兵器禁止条約発効の日。
テレビなどでも、再三にわたり、アイキャン(ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン(かくへいきはいぜつこくさいキャンペーン、 International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)のとりくみや、様々な立場から核廃絶を願う世界各地の人々の姿に注目する番組が、放送されていました。
午前中、誘われて、あるレクリエーションの場(「卓球を楽しむ会」)に参加しておりましたら、会はちょっと予定を早めて終了。昼の時間帯には、条約発効を歓迎し、日本政府の署名・批准を求める街頭行動に参加される由。私は失礼しましたが、全国でも同様の行動が取り組まれたそうです。
momotaro様の昨日付記事No nukes future 核なき世界に向かって に、次のようなコメントを記しましたが、改めて再掲させていただきます。
>Wish you were here. を忘れちゃいけませんよね。
まったくそのとおりです。世界中の誰がなんと言おうと、「ノーモア核被害」の声を、率先して上げ続けなけれまならない我が国の政府が、核保有国の顔色を窺って、グズグズまごまご、みっともない宙ぶらりんの態度を続けてるのは酷く恥ずかしいことですね。次々と、署名・批准を進めてきた世界中の国々と、それを支え続ける人々に、「ありがとう、共に歩もう」と発信するまともな政府を持ちたいものです。
ところで、最近、車の運転中の退屈しのぎに、図書館で借りた朗読CDを聞くのが習慣になっていることは、以前も話題にしました。
もっぱら、池波正太郎、平岩弓枝、藤沢周平などの作品が、巻数も多くて、しかもハズレなく面白く聞けるので、勢い選択が偏るのですが、時々は、傾向の変わったものもと、あれこれ取り混ぜています。そのうちの一つとして、何気なく借りてきたものに、この作品がありました。
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 3,080 円
井上ひさしは、どちらかというと愛読していて、大抵の作品には目を通しているはずでしたが、これはまだでした。しかも、この作品が映画化された当時、評判も高く、私の周囲でも話題になっていましたのに、なぜか観る機会がなかったのでした。そのうえ、ずっと以前、こまつ座による公演が地元であったはずなのに、どういう都合か、チャンスを逃しています。
未読のまま、勝手にイメージしていた内容とはまったく違っていました。(なぜか、小津安二郎の「東京物語」のような父娘像を想像していたのです)つくづく、知らぬ怖さを思い知った次第です。
アマゾンでの書籍紹介を引用します。
昭和23年、原子爆弾を投下され三年後の広島。バラックのような簡易住宅。
「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」愛する者たちを原爆で失った美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」をかってでて励ます父・竹造は、実はもはやこの世の人ではない――。
「わしの分まで生きてちょんだいよォー」
父の願いが、ついに底なしの絶望から娘をよみがえらせる、魂の再生の物語。
著者の言葉
……ここまでなら、小説にも詩にもなりえますが、戯曲にするには、ここで劇場の機知に登場してもらわなくてはなりません。そこで、じつによく知られた「一人二役」という手法に助けてもらうことにしました。美津江を「(しあわせになってはいけないと、自分を)いましめる娘」と「(しあわせになりたいと)願う娘」にまず分ける。そして対立させてドラマをつくる。しかし一人の女優さんが演じ分けるのはたいへんですから、亡くなった者たちの代表として、彼女の父親に「願う娘」を演じてもらおうと思いつきました。べつに云えば、「娘のしあわせを願う父」は、美津江のこころの中の幻なのです。
(「劇場の機知――あとがきに代えて」)
本書「解説」より
かつて私たちは、死者の声に耳かたむけることにあまり疑いをもたない世界に住んでいた。死者の声が聞こえたり、死者が立ちあらわれたりすることに、少しのふしぎもないような世界に暮していた。死者との共生であり、「生きている死者」との対話がすぐそこにあったのである。
「父と暮せば」には、失われてしまった「死者との共生」の感覚が奇蹟のように表現されている。たとえば世阿弥のように、である。
――今村忠純(大妻女子大学教授)
井上ひさし(1934-2010)
山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後、「ひょっこりひょうたん島」の台本を共同執筆する。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『腹鼓記』、『不忠臣蔵』(吉川英治文学賞)、『シャンハイムーン』(谷崎潤一郎賞)、『東京セブンローズ』(菊池寛賞)、『太鼓たたいて笛ふいて』(毎日芸術賞、鶴屋南北戯曲賞)など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍した。2004(平成16)年に文化功労者、2009年には日本藝術院賞恩賜賞を受賞した。1984(昭和59)年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行った。
この本には、こんな前書き(前口上)がそえられています。
ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。
あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人問の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人問を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人問の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。どうか御覧になってください。
実際には、その予言はかなえられず、ナガサキをテーマとする作品は、その遺志を継いだ山田洋次監督により「母と暮せば」に結実したのでした。
作品の一節を引用します。
美津江 うちはしあわせになってはいけんのじゃ。じゃけえもうなんもいわんでつかあさい。
竹 造 これでもおまいの恋の応援団長として出てきとるんじゃけえのう、そうみやすうは退かんぞ。
美津江 ……応援団長?
竹 造 ほうじゃが。よう考えてみんさい。わしがおまいんところに現れるようになったんぽ先週の金曜からじゃが、あの日、図書館に入ってきんさった木下さ んを一目見て、珍しいことに、おまいの胸は一瞬、 ときめいた。そうじゃったな。
美津江 (思い当たる)……。
竹 造 そのときのときめきからわしのこの胴体ができたんじゃ。おまいはまた、貸山台の方へ歩いてくる木下さんを見て、そっと一つためいきをもらした。そうじゃつたな。
(思い当たる)……。
そのためいきからわしの手足ができたんじゃ。さらにおまいは、あの人、うちのおる窓口へきてくれんかな、そがいにそっと願うたろうが。
(思い当たる)……。
そのねがいからわしの心臓ができとるんじゃ。
美津江 恋はいけない。恋はようせんのです。もう、うちをいびらんでくれんさい。
竹 造 そがいに強うこころを押さえつけとってはいけんがのう。あじもすっぱもない人生になってしまいよるで。
美津江 もうおちょくらんでくれんさい。うちやあ忙 しゅうしとるんです。
竹造 ……もしかしたら原爆病か。あいつがいつ出てくるかもしれんけえ、そいで人を好いちゃいけん思うとるんじゃな。
美津江 (頷いてから)じゃが、木下さんが、そのときは命がけで看病してあげるいうてくれちゃったです。
竹造 なんな、ずいぶん話は進んどるんじゃないか。(ひらめいて)そうか、生まれてくるねんねんのことが心配なんじゃな。たしかに原爆病はねんねんにも引き継がれることがあるいうけえ、やれんのう。
美津江(頷いてから)そのときは天命じゃ思うて一生懸命、育てよう……、
竹造 そいも木下さんのお言葉かいの。
美津江 遠回しにじゃけど、そがあいうとられとってでした。
竹造 遠回しであれ近回しであれ、そこまで話し合えるちゅうことは……、もう、わしゃ知らんが。
美津江 そいじゃけえ、いっそう木下さんと会うちゃいけんのです。
美津江 うちよりももっとえっとしあわせになってええ人たちがぎょうさんおってでした。そいじゃけえ、その人たちを押しのけて、うちがしあわせになるいうわけには行かんのです。うちがしあわせになっては、そがあな人たちに申し訳が立たんのですけえ。
竹造 そがあな人たちいうんは、どがあな人たちのことじゃ。
美津江 うちより美しゅうて、うちより勉強ができて、うちより人望があって、ほいでうちを、ピカか ら救うてくれんさった。
竹 造 ……ピカから、おまいを?
美津江 (大きく頷いて)うちがこよに生きておれる んは、昭子さんのおかげじゃけえの。
竹 造 突飛をいいよる。あんとき、うちの庭にはわしとおまいの二人しかおらんかったはずじゃ。どこに昭子さんがおったいうんかいね。
美津江 手紙でうちを救うてくれんさったんよ。
竹 造 手紙で……
美津江 あのころ昭子さんは県立二女の先生。三年、四年の生徒さんを連れて岡山水島の飛行機工場へ 行っとられたんです。前の日、その昭子さんか ら手紙をもろうたけえ、うれしゅうてならん。 徹夜で返事を書きました。ほいで、あの朝、図書館へ行く途中で投函しよう思うて、うちこよに厚い手紙を持って庭を裏木戸の方へ歩いとった……。
竹 造 わしはたしか縁先におった。一升瓶につめた玄米を棒で突いて白くしとったんじゃが、石灯龍のそばを歩いとったおまいを見て、「気をつけて行きいよ」……。
美津江 (頷いて)その声に振り返って手をふった。そんときじゃ、うちの屋根の向こうにB29と、そいからなんかキラキラ光るもんか見えよったんは。「おとったん、ビーがなんか落としよっだが」
竹 造「空襲警報が出とらんのに異な気なことじゃ」、そがあいうてわしは庭へ下りた。
美津江「なに落としよったんじゃろう、また謀略ビラ かいね」……。見とるうちに手もとが留守になって石灯龍の下に手紙を落としてしもうた。
「いけん……」、拾おう思うてちよごんだ。そのとき、いきなり世問全体が青白うなった。
竹 造 わしは正面から見てしもうた、お日さん二つ分の火の玉をの。(中略)
美津江 その火の玉の熱線からうちを、石灯龍が、庇うてくれとったんです。
竹 造 (感動して)あの石灯龍がのう。ふ-ん、値の高いだけのことはあったわい。
美津江 昭子さんから手紙をもろうとらんかったら、石灯龍の根方にちよごむこともなかった思います。
美津江 そいじやけえ、昭子さんがうちを救うてくれたいうとったんです……。
いきなり美津江が顔を覆う。
竹 造……どうしたんじや?美津江 昭子さんは、あの朝、下り一番列車で、水島から、ひょっこり帰ってきとってでした。
竹 造(ほとんど絶句)なんな……。
美津江 夜の補習のために、謄写版道具一揃いと藁半
紙千枚、そよなものがひょっこり要るようになって、学校へ受け取りに来られたんです。
竹 造 ほいで、どうした? まさか……。
こんなところで、地元の地名に出会って面食らいます。確かに水島はこんな過去記事でも述べたように、兵器生産の拠点でした。
もう一つの「今日は何の日」(2015-06-22)
ところで、前述の水島空襲の記事に「当時の水島航空機製作所では、日本海軍の一式陸攻や紫電改を生産しており、米軍が日本の軍需産業を破壊する目的で行った空襲であった。」とあります。(中略)
子どもの頃、貝塚 ひろし「零戦レッド」、辻なおき「0戦はやと」などで、子ども達に人気の「零戦」などに比べて、ややレアな感のあった「紫電改」ですが、学生時代になって初めて、ちばてつやさんの「紫電改のタカ」を友人に教えられて読み、その悲劇性とともに記憶に刻みつけられた機種名でした。ちなみに、軍用飛行機や艦船、戦車などのプラモデル製作にあこがれながら、気ままに購入できもしない子ども時代、カタログを丹念に眺めて心を躍らせたものでしたが、一番のお気に入りは、そのフォルムの際だつ三式戦闘機「飛燕」でした。独特のフォルムは、空冷エンジンを積載していたためだそうで、爆音も独特のものだったそうですね。
さらにちなみに、たまたまのきっかけで「一式陸攻」のプラモデルを作ってから、この無骨な攻撃機に親愛感と愛着を覚えておりました。ところで、妻の、亡くなった父親は、海軍で戦艦などに乗った軍人でしたが、死線をくぐって生きて復員し、90歳を越える天寿を全うしました。穏やかで、慈愛に富む人柄でしたが、天皇への崇敬と、「大東亜戦争」の「正当性」へのこだわりは、終生、曲げることがありませんでした。また、その弟(妻にとっては叔父)は、少年兵として志願していくさに赴き、10代の若さで戦死されたと聞いていました。仏壇の上の額には、戦闘服・戦闘帽を着けた凛々しい少年の遺影が飾ってあります。その戦死の模様はつまびらかでなく、遺骨も帰ってきていません。
義兄(妻の兄)が、厚生労働省などを通じて調べたところによると、戦死時に搭乗していたのは、この一式陸攻だったそうです。いのちを共にしたその愛機は、あるいは、この水島工場で生産された機体だったかも知れません。
四歳の目に焼きつきし夏の空(2015-06-25)
先日、水島空襲の記事を書きましたら、読んでくださったM先輩からご丁寧なメールをいただきました。そこには、思いもかけない、ご自身の幼時の体験が、生々しくつづられていました。
大変衝撃を受け、感ずるところ大でしたので、不躾ながら当ブログへの転載をお願いしましたところ、快諾いただきましたので、以下ご紹介します。
なおMさんは、私達の世代からすればひとまわり年上の先輩で、同じ職場に働いたことはありませんが、若い頃から今に至るまで、仕事を初め多方面にわたって、「先達」としていろいろな機会に親身に相談・助言に応じてくださっています。そのような関係で、水島地区のご出身であることは、前々から存じ上げておりましたが、このお話は初めてうかがい、なおさらに強く心打たれたのでした。70年前の6月22日朝、私は水島が見渡せる連島町大江の自宅の庭に掘られた防空壕(菜園の庭を掘った)の中に家族と居ました。祖母だけは何処に居ても死ぬのは同じだと防空壕に入るのを拒んで入りませんでした。
当時4歳の私は岡山市の空襲は覚えていませんが水島空襲は覚えています。兄が覗き穴から外を見せてくれました。
夏の青い空に幾筋もの真っ白い飛行機雲が入り交じって浮かんでいました。恐らく松山の航空基地から飛び立った源田部隊の紫電改が迎撃戦を挑んだのでしょう。
爆撃が終わり空襲警報が解除されてから、近所の人が隠れていた共同の防空壕がある裏山に上がり水島方面を見るとまだ爆撃による火災の黒い煙が上がっていま
した。その時、東の方から飛行機が二機飛来しドンドンと爆弾か高射砲の発射音かの様な音がしました。飛行機は反転して逃げて行った様に思いました。
大人になってその話しを兄弟にするとそんな事はなかった、4歳のお前にそんな記憶があるはずがないと否定されました。そうかなと思っていましたが、10年程前水島空襲を調べていた日笠先生(引用者注 日笠俊男氏: 岡山空襲資料センター代表)の調査記録に、6月22日姫路空襲に来たB-29二機が残った爆弾を、海上投棄するより有効活用しようと水島に廻って投下したと、米軍の記録に残っているとあるのを発見して、私の記憶が間違いなかった事が判りました。
三菱水島工場では一式陸攻が生産されていましたが、その1号機が完成した時、婦人会の人が日の丸の小旗を持って祝賀に行くのを、姉の自転車の後部座席で見た記憶があると言っても、そんな小さいときの事を覚えているはずが無いととり合ってくれませんでした。
終わり頃には川西の紫電改も作ったが完成したのは数機だったようです。当時三菱に務めていた長兄は川西と三菱では設計図の描き方が違うので苦労したと言っていました。勤めていた工場が壊滅した兄は、その後軍隊に招集されたようです。
昭和20年の夏の終わり頃の夕方、家族が裸電球の暗い部屋に集っていた時、我家に向かう石段を上がって来る軍靴のカッツ!カッツ!という音が響いて来ました。(昔は靴の裏に鉄の鋲が打ち付けてありました)
姉が「あっ!兄さんが帰って来た」と言うとその場がぱっと明るくなったように感じました。その後どのような展開があったかは何も覚えていませんが、兄が復員して来たあの靴音だけは良く覚えています。
兄弟と言っても16歳も年が離れていると、話しをする事はほとんどありませんでしたので、一ヶ月少々の兄の軍隊生活がどんなものだったか全く知りませんでした。最近時々ハガキのやり取りをする様になりました。
兄は定年退職後NHKの短歌教室に入って勉強したようです。その教室の仲間で作った短歌の本が送られて来た時に兄の「軍刀を抜いて我に特攻を迫りし上官あ
り・・・」という歌を目にしました。飛行機は作っていたけれど操縦も出来ない兄に、どんな特攻かと思って質問したら、次の様な返事が来ました。
「8月15日負けたと判った時、中隊長が地上勤務の者、整備兵も含め全員を乗せ、四国沖の米軍攻撃をすると云い、16日に赤飯を食べて出撃のお祝いをしたが、翌日作戦中止命令がきた。九十年生きたが、生きて良かったとは思わない。」と書いてありました。
最後の「生きて良かったとは思わない」という兄の思いを知った時、切ないと言ったら良いのか無惨と言ったら良いのか表現しがたい感情におそわれました。(完)一読して、生活の隅々にまで戦争が及んだ時代の空気を、改めて間近に嗅いだ思いがしました。耳で聞き、文字で読んで、ある程度は知っているつもりであったそれが、まがうことのない実体として、確かに存在し、今につながっているということの実感は、圧倒的な重みを持って迫ってきます。是非、それを、少しでも広くお伝えしたい、と切実に思ったことでした。
「父と暮らせば」の引用に戻ります。
竹 造 もうええが。人なみにしあわせを求めちやいけんいうおまいの気持が、ちいとは分かったような気がするけえ。
美津江 じゃがのう、こうよな考え方もあるで。昭子さんの分までしあわせにならにゃいけんいう考え方が……。
美津江 (さえぎって叫ぶ)そよなことはできん!
竹 造 おまいは病気なんじゃ。病名もちゃんとあるど。
生きのこってしもうて亡うなった友だちに申し訳ない、生きとるんがうしろめたいいうて、そよにほたえるのが病状で、病名を「うしろめとうて申し訳ない病」ちゅうんじゃ。(鉛筆を折って、強い調子で)気持はようわかる。じゃが、おまいは生きとる、これからも生きにゃいけん。そいじゃけん、そよな病気は、はよう治さにやいけんで。
美津江 (思い切って)うちがまっことほんまに申し訳 ない思うとるんは、おとったんにたいしてなんよ
竹 造(虚をつかれて)なんな……。
美津江 もとより昭子さんらにも申し訳ない思うとる。じやけんど、昭子さんらにたいしてえっとえっと申し訳ない思うことで、うちは、自分のしよったことに蓋をかぶせとっだ。……うちはおとったんを見捨てて逃げよったこすったれなんじや。
美津江 そいじゃけえ、できるだけ静かに生きて、その機会がきたら、世間からはよう姿を消そう思うとります。おとったん、この三年は困難の三年じゃったです。なんとか生きてきたことだけでもほめてやってちょんだい。
竹 造 (ぴしゃり)聞いとれや。あんときおまいは泣き泣きこよにいうとったではないか。「むごいのう、ひどいのう、なひてこがあして別れにやいけんのかいのう」……。覚えとろうな。
美津江 (かすかに頷く)………
竹 造 応えてわしがいうた。「こよな別れが末代まで二度とあっちやいけん、あんまりむごすぎるけえのう」
(頷く)……。
わしの一等おしまいのことばがおまいに聞こえとったんじやろうか。「わしの分まで生きてちよんだいよオー」
原爆に焼かれて死んだ無数の人々、また原爆を生き延びながら、幸せになることをやましく思わざるを得なかった無数の人々、また、その子どもたち・孫たちの思いを、核兵器禁止条約の発効は、どれほど慰め励ましたことでしょう。さらに願わくば、日本政府も、その思いを受け止めて、この歴史的な歩みに加わってほしいものです。「Wish you were here.」ですね。
竹造=すまけい、美津江=斉藤とも子、ともに真情のこもった朗読は、切々として胸に響き、深い感銘を覚えました。
このお二人とも、いろいろなTV番組や映画などでお目に掛かったことはあるはずなのに、失礼ながらほとんど意識したことがなかったことを恥ずかしく思いました。
実は、これまた、最近図書館で借りた藤沢周平作 山田洋次監修・解説「祝い人助八 」が、すまけいさんの朗読でした。その語り口は、ひとつの揺るぎのない世界を形成していて、いつも以上に藤沢ドラマに引き込まれながら大変面白く聞きました。遅ればせながら、この人のファンになろうと、ひそかに決心したものです。(なお、「祝い人」は「ほいと」と読ませ、古く物乞いをさす言葉です。身なりを構わぬ薄汚れた風体から、そのような蔑称で呼ばれた武士が主人公です。)
ところが、そのすまけいさんは、2013年に亡くなられた由、調べてみて知った始末。残念至極、知らないことの怖さ恥ずかしさに打たれています。
今日は、寒さはゆるみましたが、かなりの雨が降り続いています。傘を差して軽く散歩しました。
ロウバイは花期が長く、雨の中でも甘い芳香を放っています。
バラの花が雨に濡れて艶を増しています。
先ず咲くというマンサクが、ようやくほころび始めていました。「春遠からじ」とうれしくなります。
今日はこれにて。
おおさむこさむ、の巻 [今日の暦]
♪おおさむこさむ という童謡を口ずさみたくなる気候です。
私の記憶では、「おおさむこさむ 山から小僧が飛んできた なんと言って飛んできた 寒いと言って飛んできた・・」と歌ったと思います。
が、ネットでは、、「・・なんと言って泣いてきた・・・」という歌詞が優勢のようにも見えます。そこで、気になってもう少し調べてみると、童謡集、教科書などに「泣いてきた」が、広辞苑などでは「飛んできた」が紹介されているとのこと。他にもいろいろな言い回しで歌い継がれてきたようですね。
ところで、「小僧」とは何か?も気になります。「コゾウ」の音から「子象」をイメージしてしまって可笑しく思いつつも、山寺で修行中の小僧かと、坊主頭に僧衣姿の一休さんみたいな子どもを漠然と思い描いてきたのですが、それもまた、不思議な存在です。
冬の形象、北風の象徴、などとも解説されますし、「北風小僧のカンタロウ」のイメージにもつながりますが、いずれにしても、「おお、寒!」と口にした勢いで「小寒」と語呂をあわせたのに違いありません。
漢字で表記すれば「大寒小寒」となり、今日がその「大寒(だいかん)」で、名前に恥じない寒い朝で、また睡蓮鉢に氷が張っていました。今日は、定例のスケジュールに縛られて、散歩する余裕はありませんでしたが、日中は暖かな陽射しでした。
ここ1週間ほどのお散歩写真を載せておきます。
深山公園のバン。
ばんとコガモ。
コガモ。
散歩道畑で咲き始めた梅。
早春に「先ず咲く」というマンサクは、まだ咲いてませんが、少しほころび始めているようです(自然環境体験公園)。
マンサクの枝に遊ぶメジロ。
自然環境体験公園のカワセミ。
上のカワセミは、PENTAX K5Ⅱ+AFBORG60EDで撮影。トリミングしてますが、解像はなかなかのものと思います。
下のカワセミは、家の近所の散歩道。OLYMPUS E-520+ZUIKO70-300mmで撮影しました。
トリミングのせいもありますが、細部の描写に不満は残ります。でも、35mm換算で600mm相当の望遠撮影可能な機材が、小さなショルダーバッグに収まるので、軽装散歩のお供としては文句は言えません。
明日あたりから、少しは寒さが緩むという予報ですが、さてどうでしょうか?
今日はこれにて。
タカ派、の巻 [今日の「これなあに」?]
ずっと以前、こんな記事を書きました。
戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 補遺 木下 透(2014-02-23)
このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。
木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、この項の趣旨である。
(中略)
ところで、昨日アップした詩「春 其の2」は、「 うららかの春の一日(ひとひ)/萌える若草の香を淡く感じながら/私はひとり寝そべっていた/柔らかな空を 二つのかげが ゆうるりと舞うていた」とつづく。
二つのかげとは何だろう?などと疑問に思われる人はまずあるまいが、「戦争の影」なんてモノではなさそうだ。ましてや、グラマンだとかB29だとか、そんな即物的な形象でもまさかないだろう。
「ゆうるりと」と言う表現からも、文字通りのどかな、平和な情景にふさわしい、トンビかなんかだろうと思って間違いない。
「ゆうるりと」というフレーズは、文芸部の顧問でもあった恩師U先生の、お好みの表現だったように思う。そんな言い回しまで、知らず知らず感化を受けていたのだろう。昨日、岡南飛行場近くの阿部池周縁を散歩していると、空を二つの影がゆうるりと舞うていた。
これは、どうもトンビではなさそうだ。最近、近所の散歩道でも、ちょくちょく猛禽類の姿を見かけることがある。あわてるので、なかなかカメラに収めることができず、ピンボケ、手振れ写真の量産になってしまう。
ワシタカらしい鳥を見ると、なんだかそわそわして、特別扱いしている自分に気づくが、いかんせん、目視でその種類を見分けることができないので、写真を元に図鑑を調べる必要があるのだが、この不鮮明な写りではそれもできず残念だ。(中略)
鳥に関してだけは、「タカ派」志向の要素なしとはいえない私だが、政治思想上のタカ派は、論理も行動も乱暴でデリカシーにかけるので、好きになれない。
特にあの、青年将校がよって立つ「問答無用」の論理(いや、正確には「無理」)を、私はもっとも厭悪するものだが、最近の世の風潮はこれを増幅させているようで、いやな気分だ。
ほら、あのマスゾエさんのしゃべり方、イシハラさん、ハシモトさん、乱暴なキメツケで扇情的に自己の特異な主張を押し通そうとする点でそっくりに見える。そんな人物をリーダーとして戴いている市民(シチズンという意味で)のレベルが、それだけお粗末だってことで、またまた気が滅入る。
なぜ、こんな記事を思い出したかというと、先日のご近所散歩でこんな鳥に出会ったのです。
これなあに?
猛禽類には違いないようです。尾の形からしても、トンビではないなあと思いましたがどうもはっきり確認できません。くもりの朝の光量不足のせいもありましょうし、この時持って出ていた機材の限界もあるでしょうか。めったにつかわない、オリンパスE-520+ZUIKO DIGITAL ED 70-300mmという組み合わせでした。比較的コンパクトで望遠倍率が稼げるコンビかもと、半ば実験的な気持ちで、久しぶりに持ち出してみたのですが、ピンボケのせいか手ぶれのせい(手ぶれ補正は備わっているのですが)か、精細度でやや不満が残る組み合わせでした。
はっきり確かめたくて近寄るのを察したのか 、やおら飛び立ちました。
よく見ると、なにか獲物をゲットしたようで、いつの間にか、足で小生物を「鷲づかみ」にしているようです。
チョウゲンボウでしょうか?
こんな鳥の群れも、飛んでいます。
アメリカ、ロシア、中国など頑迷な核保有国による妨害をはねのけて、この1月22日、核兵器禁止条約が発効し、人類史における価値ある一歩が踏み出されます。
「唯一の戦争被爆国」を「売り」にしながら、「傘の下」でこそ平和が保たれると強弁し、核保有国と非核国との橋渡しの役割を果たすなどという特異な珍論を唱えて、署名にも批准にも非協力を続ける日本政府は、ハトでもなくタカでもなく、差し詰めコウモリの類でしょうか?きょうはこれにて。
氷解の巻 [折々散歩]
寒さが少し緩みました。 玄関先の睡蓮鉢も 散歩道の小川も 氷はもうすっかり溶けてしまいました。
岡山地方の最近の気温の変化を、気象庁発表のグラフで見ると、、、
今日はさらに暖かい、春のような一日でした。
今朝の散歩では梅がほころび始めていることに気がつきました。
霜焼け状態のハクサイの上にジョウビタキ♀。
先日は氷上を歩いていたセキレイの足取りも軽やかそう?
昨日は、手の放せない用事があって散歩はおやすみ。一昨日はかかりつけ医に いつもの 薬をもらいに行ったついでに、少し足を伸ばして、深山公園を散歩してみました。
特別な珍鳥には 出会えませんでしたが、 今年初めての 出会いもありました 。
これは アオジにも 見えましたが ビンズイでしょうかね。
アカハラにあいたかったのですが、赤いのはサザンカの花びらで、この鳥は、、、シロハラですかね。
ヤマガラは、いつも大抵顔を見せてくれます。
ジョウビタキ♂
メジロも、あちらこちらで群れています。
そして、この日のとっておきの1枚・・・
最初は、ジョウビタキ♀かと思ってカメラを向けたのですが、よく見ると、ちょっと違うカンジ。ラッキーなことに、ルリビタキ♀の初撮りではないでしょうか?
ところで、医院の 待合室で テレビを見ていると、 コロナの問題に関連する番組でした。 あいにく 音声が聞き取りにくく 、内容がよくわかりませんでしたが、テロップを読むと、興味深い展開でした。
後で ネット検索してみますと あらましこんな具合で した。
ノーベル賞受賞者・本庶佑さんの提言に賛同相次ぐ 「コロナ専門病院設置」「隔離と食事提供策でホテル・飲食業を支援」
「中スポ」2021年1月14日 13時33分(https://www.chunichi.co.jp/article/185375)
ノーベル医学生理学賞を受賞した京都大特別教授の本庶佑さん(78)が14日、テレビ朝日系の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」にリモート出演。本庶さんが述べた提言にネット上で賛同が相次いだ。
番組では、大阪府など7府県が追加された13日の緊急事態宣言の会見を紹介。本庶さんは「相変わらず飲食業をターゲットにして、そこが大きな感染源であるという意識」「政府側の積極的な対策、方針が見えていない」と明確さの欠如を残念がった。
番組の中盤にはノーベル賞受賞者4人が出した「緊急共同声明」の提言を紹介。通常の病院がコロナ患者を受け入れると、他の症状の患者の足が遠のき経営を圧迫するため、「1つの病院を丸々、コロナ対応病院とするのが効率が良い」と述べ、専門病院を設けるべきだと主張した。
続いて「GOTOトラベル」などの業界支援の仕方ではなく、検査数をより増やすために集約して資金を投入する方が有効的だとした。
ある会社が既にPCR検査の機械をトラクターに埋め込んだ移動式の検査態勢を整えていると明かし、導入すべきだと強調。また無症状感染者を借り上げたホテルに滞在させ、食事を提供する隔離態勢を提案。ホテルと飲食業界にもプラスになり、効率的に経済が回せる方法だと訴え、「1年前から繰り返し申し上げていますが、いまだに厚労省の考えが変わっていないのは全く理解できない」と語気を強めた。
ネット上ではこれらの提言について「素晴らしい」「本庶さんのいう通り」「納得がいく」と賛同が相次いだ。ともに番組にリモート出演した東京工業大の大隈良典栄誉教授の発言も含めて「こんな優秀な先生方の提言が無視される政府の無能っぷり」と嘆く声もあった。
ネット上では、これに関連して、ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典、大村智、本庶佑、山中伸弥氏ら日本人科学者4氏の5つの提言が紹介されています。
① 医療機関と医療従事者への支援を拡充し医療崩壊を防ぐ
② PCR検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離を強化する
③ ワクチンや治療薬の審査及び承認は独立性と透明性を担保しつつ迅速に行う
④ 今後の新たな感染症発生の可能性を考えワクチンや治療薬などの開発原理を生み出す生命科学およびその社会実装に不可欠な産学連携の支援を強化する
⑤ 科学者の勧告を政策に反映できる長期的展望に立った制度を確立する
全面賛成です。
とどめは、ご存じぼうごなつこさんの風刺漫画(#100日で収束する新型コロナウイルス)。無断引用ご容赦ください。
最終コマを拡大します。
心にかかっていた 疑問や未整理の問題意識が、 すっかり 氷解したような 気がしました 。
明日はまた冬に逆戻りで、氷結の恐れもあるそうですが(笑)
氷上の賓客(?)、の巻 [折々散歩]
昨日のお散歩記事の続きです。
まずは、昨日の最後にご紹介したジョウビタキ嬢に、もう一度登場してもらいます。
背景は凍った小川です。
♂も登場。
ヌートリアが氷の上を歩く姿も目にしました。
写真は、地上に上がりのどかにひなたぼっこするヌートリア。
害獣として駆逐するとりくみがすすんでいるためか、ここでヌートリアに会ったのは久しぶりです。
川が凍ると、採餌に苦労するのがカワセミさん。
氷を避けててダイビングしていました。
見事、獲物をゲット!
沢山写したので、大盤振る舞いで掲載しておきます。
今日の付録。
天気が良いので、メジロが大勢、大きなセンダンの木の上で遊んでいました。
連休明けの今朝は、一面の銀世界、というほどではありませんが珍しく雪でした。
近所の公園が、こんな様子で、うっすら雪帽子を被っています。そしてさらに淡雪が空から舞い降りて来ています。
気温的には、ここ2~3日の冷え込みに比べるといくらか穏やかで、早朝の気温も久しぶりに零下を脱したのですが、
玄関先の睡蓮鉢の氷は、依然として分厚いままです。
今日は車で郷里の父母の元を訪れる予定にしていたので、積雪は御免被りたたかったのですが、とりあえず出かけてみることにしました。交通情報、お天気情報に留意しながらの運転でしたが、わずかに雪花が舞う状態はあったものの、道路への積雪はなく、お昼前には青空ものぞき、問題なく行って来ることができました。往復四時間は車の中でしたので、カメラ散歩の機会はありませんでした。
遅ればせの緊急事態宣言のもとでも、コロナ感染は依然として高水準で推移しているようです。明日にも、大阪・京都・兵庫のほか、愛知、岐阜、福岡、栃木に緊急自事態宣言を拡大との報道も流れています。政権寄りの結果が出やすい傾向があるNHKの世論調査でも、内閣支持を不支持が上回ったそうです。後手後手のコロナ対応が主因でしょう。本気で取り組む気がないのなら、サッサと辞めていただいてはどうでしょうか?
来週の1月20日には任期が終わる親分も、往生際が悪いこと。前代未聞の議会乱入煽動に、「アメリカの内政に関することで、政府としてコメントを差し控える」(加藤官房長官)と批判を避けるガースー政権の没主体。核兵器禁止条約への態度と重なりますね。
今日はこれにて。
氷上の淑女(?)、の巻 [折々散歩]
今日のタイトル「氷上の淑女(?)」の(?)の意味は、♂♀が定かでないので、、、。でも、ジェンダーフリーが志向される現代、性別に拘泥するのも時代逆行かも知れませんね(笑)
経験した事もない冷え込みです。
私の出身は、県北部に位置する、冬は比較的寒冷な気候の土地でした。子どもの頃の記憶では、凍える一月二月の思い出が断片的に浮かびます。雪に閉ざされるようなことはないまでも、川が凍結して、向こう岸近くまで歩いて渡ることができた冬もありました。受験生の頃の深夜など、部屋に石油ストーブを点けているのに、ミシミシと音がして、部屋の窓ガラスの水滴が凍り付いたり、万年筆のインクが凍結したりという寒さも経験しています。水道管の破裂なども珍しいことではありません。
が、最近は、温暖化の影響もあって、そんな寒さもごく稀ですし、特に現在の住居が、比較的温暖な土地ですので。余計にそうです。ところが今年の冬は、格別です。
玄関先の睡蓮鉢に、メジロなどの小鳥が飛んできて、水を飲もうとしてすぐに飛び去りました。氷が張っているためです、しかも、「薄氷」のレベルではなく数センチの厚みがあるようです。それが日中も融けることなくまた次の日、厚みを増すという日が続いています。
夜間は零下四度五度という記録的な冷え込みが続いていますが、今朝は、陽射しがのぞくとそれが少し緩み。穏やかな日中となりましたので、短時間ご近所散歩を試みました。
いつもの小川(用水路)が、氷に覆われています。
その氷の上を、エレガントな淑女(?)が、優雅に歩んだりスケーティングしたりしています。
セグロセキレイです。
そして、ツグミ。
氷の僅かな割れ目から、水を飲んでいるようです。
ジョウビタキ(♀)の背後の小川が、一面凍っているのもおわかりでしょうか?
今日はこれにて。
山茶花山茶花咲いた道、の巻 [折々散歩]
「この冬最大級の寒波」で、大雪に見舞われた地方も多いようです。我が地方は、淡く雪花が舞う程度でしたが、激しい寒風が、耳を切るようでした。そんな中でしたが、思い立って、昨日は深山公園を歩いてみました。
寒風に堪えて、山茶花が目を楽しませてくれます。
ずっと以前にこんな記事を書いたことを忘れていて、似たような話題を書きかけました。
椿とは失礼しちゃうわ!山茶花よ!2013-11-20)
昨日のブログ記事で、椿の花として紹介したものはサザンカではないかと、M先輩からメールを戴きました。
確かに、椿は春に咲き、花びらが落ちないで花ごと落ちる。だから武家の家では、首が落ちることを嫌って庭に植えなかったという話を聞いたこともありました。
これに対して、サザンカは花びらが散る。などのことは、昨日の散歩中も頭に浮かび、確かに木の根本の地面には花びらが散っていることにも気づいていましたが、園芸品種によっては花びらが散る椿もあるらしいし、寒椿というのもあるらしいから、と、深く確かめもせずに、昨日は「椿」と称して画像をアップしたのでした。
でも、Mさんがスケッチして送って下さった見分け方のポイントを見ると、やはり、今咲いていたのはサザンカですね。失礼しました。一緒にしないで!と山茶花がむくれているかも知れません。
(中略)
サザンカというと、「たきび」(作詞:巽 聖歌 作曲:渡辺 茂)の歌を思いだします。
サザンカサザンカ咲いた道
たき火だたき火だ落ち葉焚き
確かに北風ピープーの季節に似合っていますね。
wikiによると、この歌も受難の歴史があるようです。
12月9日と10日の「幼児の時間」で楽曲が流された。当初は12月9日から3日間の放送で流すことを予定していたが、12月8日に太平洋戦争が勃発したために、初日に放送されると軍当局から「焚き火は敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」とNHKに批判があり、11日の放送は戦時番組に切り替えられた。
さて、サザンカを漢字で書くと「山茶花」です。この字は漢字検定などでも出題される難読漢字の定番です。
これは音読みで「サン」+「チャ」もしくは「サ」+「カ」の組み合わせで、「サザンカ」ではなく「サンザカ」と読む方が自然ですよね。実際に、関ヶ原の合戦の頃に刊行された『日葡辞書』には、「サンザカ」という読みが記録されているそうですから、元々そう呼んでいたものが、「音位転換」を起こして「サザンカ」となったものらしいですね。
「たき火だたき火だ落ち葉焚き」と口ずさみかけて、現代の子どもには「落ち葉焚き」はイメージできないだろうなと思うことがしばしばあります。
我々の小学生時代には、登校前の近所の子どもたちが、三々五々集まって、揃って歩いて登校していたのですが、冬の凍りつく朝などには、近所の人が枯れ葉や枯れ木、豆殻などを燃やしている(子どもたちへのサービスなのですが)たき火の周りを囲んで、いろいろなおしゃべりをしながら、衣服の下に十分暖気を取り込んでから、出発したものでした。駆け足や早足で登校するうちに、身体はすぐに暖まりますが、手足の先や耳の凍えは、その季節ならではの記憶です。ここ数日の寒さは、それを思い出させます。
昨日の深山公園の散歩道は、グループでの散歩客も目立ち、コロナ禍のもとでの市民(とくに高齢者)の時間の過ごし方として、好適と見なす人が多いのだと納得させられました。早く、この寒さが緩んで、快適な散歩日和を堪能したいものです。
小中学校は、新学期が始まりました。始業式の6日は、お昼には帰宅。幼稚園・保育園の孫たちも我が家にやってきて、久しぶりに(年が明けてからは初めて)従姉妹達が顔を合わせ、仲良く遊びました。乳母車の0歳児もつれて、近所の散歩に出ました。冷たい風に向かって走る姿は、さすがに「風の子」です。
歩きながら、「春が来た 春が来た どこに来た」と歌い始め、「山に来た 里に来た・・」ときて、幼稚園・保育園児のふたりがあやふやになったところで、小四生が、「野にも来た」と教えます。「ノニモて??」と尋ねるので、ちょっと考えて「野にも・・・野原のこと。」と答えると「野原シンノスケ?」と続けます。さすがに「クレヨンしんちゃん」の姓はなじみ深く、とっさに思いつくようです。
「冬来たりなば春遠からじ」と、春に思いを馳せるとともに、それより何よりコロナの収束の早からんことを祈るばかりです。菅首相が、やっと思い腰を上げ、四都県に緊急事態宣言ですって。間に合って欲しいです。
深山公園で、アオジに会いました。新年明けてからは初撮りです。
山雀(ヤマガラ)。これも新年初撮り。
四十雀(シジュウカラ)。
オマケは、ご近所の雀(スズメ)。
今日はこれにて。
初訂正、の巻 [折々散歩]
毎度のことですが、先日の記事の訂正があります。今後の無数の訂正の第一回目(笑)となる予定です。鳥の名前の間違いについて、M師からご助言頂きました(多謝)
【訂正その1】
めでたき初鴫!の巻で、「タカブシギ」と書いたのは「タシギ」の誤りでした。
そう言えば、例えばこの記事にも、そう紹介していましたっけ。
蓮田のシギ、の巻(2017-10-20)
細かい違いに気がつかない、の巻(2016-10-25)
そして、フォト蔵の写真を紹介していました。
http://photozou.jp/photo/photo_only/3145535/251772765?size=1024#content
↑タカブシギ
↑タシギ
【訂正その2】
まだまだつづく初撮りづくし、の巻 の記事で、「メジロ』と書いた鳥は、キクイタダキでした。
今日も、これなあに?の巻(2020-11-08)では、こう書いたばかりだったのに。
メジロが群れて遊んでいます。
キクイタダキを見つけて、しめしめと思ったのですが、暗いし動きが素早い。枝かぶりとピンボケ、ブレブレ写真の量産でした。
不鮮明な写真ですが、頭の菊色のカンムリが写ってますので、証拠写真として残しておくことにします。
今日、自然環境体験公園でメジロに会いましたので、記録写真をUPしておきます。
カワラヒワ。
ツグミ。
ジョウビタキ♂。
ジョウビタキ♀
モズもいました。
まずは訂正まで。
まだまだつづく初撮りづくし、の巻 [折々散歩]
M師からの年末の鳥情報では、私の行動エリアの深山公演でアカハラが確認されたとありました。何度か訪ねてみましたが、会えません。
昨日、遊歩道のすぐ目の前に、それらしい鳥が飛んできました。枝の間に隠れた姿を、なんとか撮影したいと粘りましたが、なかなかうまくいきません。
やっと写せたのがこれ。
腹が赤くありません。
シロハラでしょうね。でも、今シーズのシロハラは初撮りでした。
エナガの群れが枝から枝へ動き回ります。
でも、逆光です。
メジロ。キクイタダキ。
昨日、今日のご近所散歩での出会い。
ジョウビタキ オス。
「紋付き鳥」の別名どおり、白斑の紋付きが目立ちます。
ジョウビタキ メス。
愛らしい小鳥です。
センダンレストランのツグミ。
センダンレストランのムクドリ。
電線に止まるムクドリ。
ムクドリと月。
小川のコガモ。
最近、カルガモ一家も遠征してきています。
ロウバイが見事です。
今日はこれにて。
めでたき初鴫!の巻 [折々散歩]
近くを通りかかったついでに、少し回り道をしてみました。
軽い思いつきでしたが、虫がしらせたのかもしれません。
強い冷たい風顔とを立てて吹きつのる中ですが、沢山のシギが採餌していました.タカブシギ タシギでしょうか?
これはクサシギ?
まずはご報告まで。
きょうはこれにて。
こいつは春から、の巻 [折々散歩]
明けましておめでとうございます。
元旦のプチ散歩。冷えますが、青空が見えました。
昨夜見た月が、西の空に浮かんでいます。
地上には、霜柱と薄氷。
それでも、麦の芽がすくすくと伸びています。
見あげると鳩の群れ。
初撮りのトリたちをご紹介します。
すず(め)なりのスズメです。
鳥の成る木にはアトリもいました。
ジョウビタキ♂。
ダイサギ。
コサギ。
セグロセキレイ。
センダンレストランのヒヨドリ。
正月からカワセミに会えました。
しかも採餌シーンを何度か見せてくれました。
クチバシをよく見ると、お魚をくわえているようです。
連続写真をアニメ化してみました。
こいつは春から縁起が良いわい!ですな。
さて、最後に今年の年賀状のweb版(笑)をお届けします。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
文字が小さいので、僭越ながら、文面をコピーして再掲しておきます。
迎春
カットの赤牛は、公民館講座のつながりで頂戴した手づくりの木彫りに、T子が色つけし、スケッチしたもの。制作者の方は、毎年の干支を作品にしておられるそうです。
会津の郷土玩具「赤べこ」の張り子は、疫病除として知られていますが、この赤い木彫牛も霊験あらたかに違いありません。
まずは、何よりもコロナ禍を、そして国民の不安と不幸を増大させている「ガースー」禍も、いっぺんに祓(はら)ってほしいものです.
Kazg 完全無職の年金生活者生活。退職教職員の会、教育相談活動、年金者組合などのお手伝いを細々続けています。無計画で不定期の日々ですが、なぜか「多忙」と感じています(笑)。「親玉の葬式ぐらい自助でやれ」。 全日本年金者組合の「むしろ旗川柳」で優秀賞に選ばれました(エヘ)。
T子 「無職主婦」となりましたが、孫守りの合間に、紬織り、トールペイントなどの講座受講で忙しい毎日。借りている畑で栽培した棉を材料に糸をつむぎ、織物と染色に挑戦する計画。
郷里の父母 父(93)、母(90)ともに元気で、父はスマホ、母はケータイの練習に励んでいます。、去年の12月には地元新聞読者欄に、結婚七〇年を題材にした父の投稿が掲載されるなど、家族を励ましてくれます。
長男一家 パパ、ママは元気。長男は、修学旅行(県内一日だけ)も終わり、いよいよ高三。受験生を自覚する(?)この頃です。中一の次男は、一時の不登校傾向もウソのように、バスケット少年をエンジョイ中。長女は小学校高学年。末娘はもうすぐ小学生。早いものです。
長女一家 出産を契機に、ムコ殿の実家近くに新居を建て引っ越しました。四歳の長女は、近くの幼稚園に転園、ご近所に友だちもできました。0歳児の弟は、食欲旺盛ですくすく育っています。コロナ禍のなか、母はちょうど産休・育休中で、ちょっと気楽ですが・・・。
次男一家(大阪在住) コロナの影響で、パパママともにリモートワークを経験。現在は、異常な感染拡大のもとでもパパはやむなく電車通勤。大変です。姫は小学校入学時点でいっせい休校を経験するなど、散々の出だしでしたが元気に徒歩通学がんばっています。 2歳の弟は、テレビ電話でも画面いっぱいに顔を出し、自己アピールが盛んです。コロナが終息し、ゆっくり会える日が待ち遠しいことです。