黄金と呼ぶのは憚られる大型連休、の巻 [折々散歩]
コロナ禍で心が晴れない中、黄金週間と呼ぶには憚られる大型連休が、今年も始まりました。初日となる今日ですが、昨日から雨が降り続いています。
昨日、所用があって通りかかった県立図書館付近の通り道。岡山城エリアに続く城壁風のしっとり濡れています。
今日は、雨の朝散歩でした。
麦畑が雨に煙っています。
道端のバラの花。
シランを濡らす雨のしずく。
そう言えば、ずっと以前、こんな記事を書きました。
お名前は?しらん!(2014-05-07)
風薫るという形容がびったりに合う気候です。
麦がすくすく育っています。
そして、麦の写真を沢山載せたあとで、こんな写真も、、、。
昨日の散歩で見たこの花。お名前は?しらん。
(中略)
「紫の蘭で紫蘭」と、父が教えてくれました。
今週初めは晴れ続きでした。
晴れた日の朝散歩のスケッチを残しておくことにします。
久しぶりにカワセミに出会ったり。
風そよぐ麦畑を眺めるだけで気分爽快です。
北海道、長野、広島の補選の結果も、当然すぎるほど当然の有権者の判断とはいえ、久々に溜飲が下がりました。それにしても、最後までやきもきさせられました。
畑全体が、黄金色の輝きを発するようになるのも、遠い先のことではないでしょう。
雨は今日で終わり、明日からまた好天に向かう予報。一刻も早いコロナの終息を願います。
ところで前回の「これなあに?」の答えは、「ウズラシギだろう」と、M師が教えてくださいました。名前と実物が結びつかない鳥の一つです。
麦畑のそばにこんな鳥がいました。
これはタシギでしょう。
この蓮根田の近くですから。
あちらこちらで見かけます。
ケリも同じような姿で採餌しています。
麦畑の畔のこの鳥の群れは?
カラスでした。
ではこれなあに?
クサシギかイソシギか、いつも見分けられません(汗)
ムナグロとそれからこの鳥なあに?の巻 [今日の「これなあに」?]
前回記事で、ムナグロに初対面の栄を得たことを書きました。そして同時に頼みのカメラが、「ブラックアウト」という思わぬトラブルに見舞われ、辛うじてサブカメラにレンズを付け替えて撮影できたことも書きました。
渡りの途中で、長くはとどまらないお客さんであるだけに、また会っておきたい衝動に駆られて、今度は、私の「勝負カメラ」=PENTAXk5Ⅱ+AFBORG60EDを携えて出かけてみました。昨日の早朝、6時頃と、昼過ぎ、そして今日も昼間に、ホームセンターで野菜苗や培養土堆肥などを買うついでに、回り道してみた(これが主目的ですが)のでした。
ムナグロ、しっかり観察できました。
ところで昨日の記事でムナグロと一緒に写っていた鳥について、M師からこんなメールをいただきました。
ムナグロを写した最後の写真の横にいるのはウズラシギとおもわれます。
今の時期様々なシギ&チドリがやって来ますので、見かけた鳥はどんどん写しておいて帰宅して図鑑と見比べながら同定しましょう。
現場では判断するのはベテランでも難しい鳥もいます。
「ウズラシギ」これも初対面です。図鑑では見たことがありますが、思い及びません。
それにしても、シギの仲間、見分けが難しいです。しかも遠くにいますから、余計に困難が増します。
特徴のはっきりしているものは、見た瞬間になんとなくわかる気がします。例えばコチドリ。
「小千鳥」の名の通り、本当に小柄な鳥だなあと思わずにはいられません。
そして、比較的沢山の個体数が確認できるタシギも、独特の姿をしています。
長いクチバシが、かなり深い底まで届いて小生物を漁ることができるのですね。
ところで先日の記事で「これなあに?」とお尋ねしたこの鳥は、鷹斑鴫(タカブシギ)だそうでした。
そして、昨日の記事で「タカブシギ」と称して掲載したのこの鳥。
これらと、今回新しく写したこれとは同じ鳥でしょうか?似ているような、ちょっと違っているような、、、悩ましい限りで、解決がつきません。
さらに、これはどうでしょう?
悩みはつきません。
今日はここまで。
ムナグロに遭う、の巻 [折々散歩]
「古い資産の活用」といえば聞こえがよいですが、タイミングのよい切り替え、更新ができないまま、ガラクタを持て余している状況は、何度も話題にしてきました。
カメラ業界ではマイナーな、しかも鳥撮りの分野では不適格とさえみなされるPENTAXを常用している私は、離脱のきっかけを失したまま今日に至っています。というより、AFボーグという選択肢の故に、むしろ満足して踏みとどまり続けるでしょう(健気!)
が、一時の気の迷いから手を出した(今となってはシステム自体過去のものとなってしまいましたが)フォーサーズシステムからも、足抜けできないでいます。
このシステムは、撮像素子がAPS-Cに比べて小さめであることから、結果として望遠撮影に有利と言えます。例えば300mmのレンズで撮影すると、換算で600mm相当の効果を示すことになります。これを当てにして、中古で買ったzuiko70-300mmが、値段の割りには写りもほどほどによくて、有効活用したい思いが捨てきれません。
カメラとしては、OLYMPUS E-3との組み合わせが快適で、満足感も高かったのですが、古い機種だけあって画素数が1010万画素とやや貧弱だし、意外に重いので、樹上を狙って手持ち撮影などしていると腕が疲れる、などの不満から結局手放し、コンパクトな機種を手元に残していますが、使用頻度は著しく少なくなっています。
時代はマイクロフォーサーズへと移り(いや、それさえも風前の灯ですが)、最低限度のレンズは手に入れないわけにはいきませんでしたが、高額な望遠系レンズを揃える余裕はありません。そこで、アダプターを介してフォーサーズレンズを使う試みを重ねてきましたが、背部液晶を利用しての撮影は、大変苦痛。やむなく、かなりの出費を伴ってEVF(エレクトリックビューファインダー)に頼ることになりますが、測距システムの限界から、不満が残り、これも出番が減ってます。
そんな中、2013年に登場したOM-D E-M1という機種は、先行するOM-D E-M5の持つEVFー内蔵、防塵防滴性能というメリットにくわえて、「マイクロフォーサーズ初の像面位相差AF」とやらで、旧フォーサーズレンズが実用速度で使えるらしい、、、。が、気軽に手の出せる価格ではないので見て見ぬ振りをしてきたのですが、時日が経過し、世代が変わってマーク3の時代になって、初代機なら、小遣いを貯めれば入手できる、、、、というわけで、中古購入。かなりの快適さです。
以下、その「作例」。
OM-D E-M1+ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macroで今朝写した我が家の庭先の花。
アマドコロ。
ブルーベリーの花。
プランターの花々
先日の記事で「これなあに?」とお尋ねしていた鳥について、M師がメールをくださいました。
これはなんでしょう、の巻
タカブシギだそうです。
負け惜しみではありませんが、最初に脳裏をよぎった鳥の名がこれでした。でも、こんなに端正な鳥だったかなあと、疑念が湧くとわからなくなってきたのでした。
M師は付け加えて、この場所には、見かけが似ている別の珍鳥も来ているそうだと、情報を教えてくださいました。
午後の用事のために出かけるついでに、寄り道してみました。
OM-D E-M1+zuiko70-300mmを持って、車内から狙います。
コチドリです。
タシギ。
ケリもいました。
エレガントなこの鳥。
あちこちにいます。
やはり、タカブシギのようです。
気持ちよく撮影していたさなか、突然画面が真っ黒になりました。
フォーサーズレンズ+リアテレコン+フォーサーズ→マイクロフォーサーズアダプターと、いくつかの機材を連結しているせいで、接触の具合かなにかで電気信号がうまく伝わらなくなるといったトラブルなのでしょうか?以前にも別機種で経験したことがあります。マイクロフォーサーズレンズをつないでみると、トラブルは解消したのですが---。いざというときに信頼できないのは、強いストレスです。
zuiko70-300mmを、バッグに入れていたE-pm1につないでみますと、黒くなったり解消したりではありますが、なんとか撮影できました。
満足して帰りかけたとき、通りすがりの別の田圃に、この鳥がいました。ムナグロ。M師に教えていただいてはいましたが、初めての出会いです。想像していたより大柄な鳥でした。
機材の不調でせっかくのチャンスを逃しかねないところでしたが、交換カメラをバッグに入れていたことがラッキーでした。でも、こんなことが起こると、やっぱり念のためにPENTAXの一式は用意しとかねばならないのかなあ、と思い至ったところでした。
日付をまたいでしまいました。
今日はこれにて。
これはなんでしょう、の巻 [今日の「これなあに」?]
見あげたもんだよ、の巻 [折々散歩]
フーテンの寅さんの啖呵売。その流麗で小気味よいテンポとともに、脳裏に刻まれたセリフが、ふとした機会に口をついて出てきます。
たんか‐ばい【啖呵売】
〘名〙 口上を述べて商売をする者をいう、てきや仲間の隠語。
※わが新開地(1922)〈村島帰之〉「それから客を味噌糞の様に言ったり、おひゃらかしを云ったりして、いろんな品物を売るのをタンカバイと云ひます」
出典 精選版 日本国語大辞典
童友社 男はつらいよ 寅さんの啖呵売シリーズ 寅次郎皿の叩き売り いか焼き屋 屋台付
- 出版社/メーカー: 童友社(Doyusha)
- メディア: おもちゃ&ホビー
今日の口上は、「見あげたもんだよ」
時により「見あげたもんだよ、風呂屋の煙突」となったり「見あげたもんだよ屋根屋の○んどし」となったりするようです。これに続くセリフが「たいしたもんだよ、蛙(カエル)のションベン」。別バージョンに「蝗(イナゴ)のションベン」というのもあるらしい。「大したもんだよ」と「田へしたもんだよ」とをかけているそうな。
実は今日の記事には「見上げてご覧」というタイトルを思いついていたのですが、この発想は過去記事で使い古していたことに気づきました。
見上げてご覧(2015-01-28)
見上げてご覧、の巻(大阪の旅最終回)(2015-07-04)
上を向いて歩いていたら、の巻(2017-05-13)
そしてまたこんな記事も。
さらにもう一つの11月3日、の巻(2015-11-03)
ところで、「教え子を戦場に送る」とは、単に彼らを戦闘の恐怖や戦死・戦傷の脅威にさらすことのみを意味しているわけではないことを、私は最近のニュー
スから改めて考えさせられています。5月20日付山陽新聞に、顔写真入りで7人のアメリカ人兵士が紹介されています。ジェレミー・シビッツ技術兵(24)
ペンシルベニア州出身。軍用車両の修理 が専門、全裸のイラク人収容者がピラミッド状に折り重なった虐待写真を撮影したなどの疑い。
ジャバル・デービス3等軍曹 (26)
メリーランド州出身。高校時代は陸上競技のスター選手。信仰心の厚いキリスト教徒との証言もある。収容所の手や足を踏みつけるなど6件の虐待に加担した疑い。
リンディ・イングランド上等兵(21)
ウェストバージニア州出身。高校卒業後気象学者を志し、大学で勉強するための補助がえられる軍に入隊。全裸の収容者の首に巻いたひもをひいたり、くわえたばこで全裸の収容者を指さす写真が世界中のメディアで報道され、虐待事件の”象徴的存在”に。
サブリナ・ハーマン技術兵(26)
バージニア州出身。ピザの宅配などをやりながら、大学入学を目指して入隊。全裸の収容者がピラミッド状に折り重なった背後で、グレーナー技術兵と笑っている写真が報じられた。 (以下略)もし、戦争さえなかったら、才能にあふれた、まばゆいほどに頼もしい若者として、家族からも周囲からも、愛と誇りを持って遇されたはずの彼らが、人間と
して恥ずべき残虐行為に手を染め、今、決してぬぐい去ることのできない悔恨に身を灼いていることは、同世代の子供を持ったり、同世代の教え子を社会に送り
出してきた者としては、痛ましさを禁じ得ません。
収容所の連想から、私は、「戦争というものは、欠点ばかりを増幅させるものだ。」というの映画「シンドラーのリスト」の中のセリフを思い出さずにいられ
ません。同時に、ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」に登場する、ミステリアスな女主人公ハンナが、強制収容所の看守としての行動を戦
争犯罪として裁かれる法廷で、繰り返し裁判官に問いかける「あなただったらどうしましたか?」という言葉も、決して人ごととは思えません。
奇しくも同じ名を持つ政治学者ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判を通して「ホロコーストの残虐な実行者が、上司の命令に忠実なありきたりの官吏であったという『悪の陳腐さ』」の問題を鋭く追及しましたが、彼女が投げかけた「組織の中の個人の責任」という問題は、現代の私たちにとっても、決してさけては通れない問いかけだと思います。
ハンナつながりで、3人目のハンナの話題を添えたいと思います。無声映画で活躍し、トーキー隆盛の中にあっても頑なにサイレント映画製作にこだわり続け
てきたチャップリンが、初めてつくったトーキー映画が「独裁者」でした。チャップリンは、ヒットラーをモデルとした独裁者ヒンケルと、うだつの上がらない
ユダヤ人床屋の二役を演じていますが、そのユダヤ人床屋がヒンケルに間違われて、大群衆に向かって演説をしなくてはならない状況に追いやられます。最後の
5分間と呼ばれるこの演説は、「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し」と恋人ハンナに放送で呼びかけるところから始まります。このメッセージを世界の
人々に届けたかったために、チャップリンがあえてトーキーを選んだとも言われています。「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いている 明るい光がさしはじめた 新しい世界が開けてきた 人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ 人間の魂は翼を与えられて やっと飛び始めた 虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって 輝かしい未来が君にも私にもやって来る。 我々すべてに! ハンナ、元気をお出し… ハンナ、聞いたかい 顔をお上げ、ハンナ…」
「私たちは、みんなお互いに助け合いたいと望んでいる。人間というのは本来そういうものなのだ。他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって生きた
い。人間というのは、本来そういうもので、憎みあったり、軽蔑しあったりしたくはないんだ。----」このメッセージを、しっかりと、子どもたちの胸に届くように語ることこそ、大人たちの、なかんづく私たち教職員の役目ではないでしょうか?
ぐずついた天気が続いていましたが、今日は見あげると青空でした。
電線のツバメは、我が家の玄関先に巣作りしているつがいのようです。
畑仕事の途中、道路沿いの電柱から、聞き慣れない笛の音のような鳴き声が聞こえてきました。
いえ、このトビが止まっている電線の端がつながっている電柱のてっぺんからです。
さっきのトビよりかなりい大きい体格で、頭が白い猛禽類です。
ズームでのぞくと、足もとに魚をつかんでいます。
大きな魚です。
食事中のミサゴは、以前、この記事でもご紹介しました。
霜の朝ミサゴの展望レストラン(2015-12-18)
掲載していた写真が、一部見えなくなっています。(ssブログに移行してからのトラブルでしょうか?しばしばこの現象に遭遇します)
「デジタルテレコン」を使って拡大撮影した画像を載せておきます(ノートリミングです)。
今日はこれにて。
山笑うか滴るか、の巻 [Nature]
「山笑う」は春の、「山滴る(したたる)」は夏の季語だそうです。清らかな緑が山を覆い、まるで水が滴っているように瑞々しい、という情景を指すようです。
今の時期、山の気配が日々移り変わっていく様子を、自動車運転中の窓越しに眺めやるたびに、写真に残したい思いが募ります。なかなかそのチャンスがないままに、新芽→ツボミ→花→蘂と移り変わる桜の装いも、それを包み込む山全体のパステルカラーの彩りも、今ではすっかり、「新緑」と呼ぶのが相応しいような風情に変容してきています。
夏の季語「山滴る」が、そろそろ当てはまりそうに思うのですが、お天気の方は、またまた寒さがぶり返し、適応に苦労します。すくすくと育っていた畑のジャガイモの芽も、4月になって霜にやられ、この何日かの追い打ちでまたまた無惨な霜焼けが高じています。ジャガイモは早晩復活するでしょうが、なすび、トマト、キューリ、カボチャなどの夏野菜能越家と苗の管理は、例年のことながら悩ましいことです。
昨日は、郷里の父母宅を訪ね、津山市へ同行する用事がありました。その間も、道沿いの山々や、吉井川沿いの山と谷の景色が、存分に目を楽しませてくれました。
桜の名所、津山城=鶴山公園も、遠くから眺めるに、もう桜は終わり、緑に覆われている様子でした。グルリとまわって、美作市内の行きつけのスーパーに立ち寄りましたが、そこでやっと周辺の景色を写すことができました。
手前の小高い土手のように見えるのは、JR姫新線の線路です。そして正面に連なる山々と、そこからのマイナスイオンを運んで吹きすぎる薫風に、のどかな地方線の旅を、ちょっと想像で味わっていただきたいものです。
実家の庭から見える、景色。空き家の甍(いらか)越しに、裏山の緑が眩しく輝いています。
手前の絢爛たるお花畑と見えるのは、広角レンズのいたずらで、父母宅の庭に咲く丈低いシバザクラです。
正面に見える「お屋敷」も、やはり空き家です。
帰りに、久しぶりに、長福寺三重塔まで寄り道しました。
どうやらこの記事以来のようです。
緊急事態宣言発出、の巻(2020-04-07)
野山にも春の花々が次々と咲き競っているのですが、存分に愛で楽しむことが許されない子どもたちをかわいそうに思います。
久しぶりに郷里の畑仕事や草刈りに帰ってきました。野も山も、桜が満開状態です。
ソメイヨシノあり、ヤマザクラあり、見飽きることがありません。が、時節柄、不要不急の楽しみには肩身の狭い思いがつきまといます。
その帰り道に、これまた久しぶりに、長福寺三重の塔を見てきました。
去年の春、およそ一週間ほど早い時期ですが、季節感ががらりと変わって見えますね。以下は今年の写真です。
長福寺の正門。
「山滴る」を感じます。
甍越しに塔の先端と山の緑が調和しているように思います。
足もとのツツジがきれいに剪定されて、色とりどりに咲いています。
花びらを散らしているヤマザクラとのコラボも、ベストマッチングでした。
ところで、木々を濡らし、塔を濡らしてしたたり落ちているのは、日の光もまた然りではあるまいかと、室生犀星の詩を思い出したりしています。
春露にしたたりやまぬ日の光(2014-04-22)
乳母車二台並べて桜道(2016-04-08)
いちめんのなのはな、の巻(2019-01-25)
「寂しき春」 室生犀星
したたり止まぬ日のひかり
うつうつまはる水ぐるま
あをぞらに
越後の山も見ゆるぞ
さびしいぞ
一日もの言はず
野にいでてあゆめば
菜種のはなは波をつくりて
いまははや
しんにさびしいぞ
「春愁」という言葉のとおり、これは春の詩にほかなりませんが、、、、、
今日はこれにて。
積み残し、の巻 [折々散歩]
前回記事での積み残しを少々。
「桜蘂降る(さくらしべふる)」という晩春の季語があるそうです。そんな季節になりました。
深山公園はソメイヨシノも沢山植えられていますが、ヤマザクラも見事に咲いています。花と柔らかい葉の色が相まって。目を楽しませてくれます。
この桜の種類はなんでしょう?
山吹も今が盛りです。
桜の枝に止まるツグミ。
樹上のツグミ。
草原で採餌中のツグミ。
採餌中のシロハラ。
ヤマガラを探して深山公園を歩いたのでしたが、会えずじまいでした。
・・・・しかし、ちょっと気になる音が聞こえてきました。コツコツコツとリズミカルに木をつつくような音です。辺りを見回してもそれらしい鳥の姿がありません。
しかし、どうも気になるので、時間をかけて周囲を観察してみると、ちょっと怪しいものに目が止まりました。
一部を拡大します。
この穴、どうも気になって、ちょっと執念深く見守っていますと、、、
こんなものが顔をのぞけたり引っ込んだり、、、
翌日も同じ場所へ行ってみました。(ところが、うっかり素通りして、どこだったかわからなくなってしまいました。キツネにつままれたような気がしました。たしかに、タヌキにはこの辺りで出会ったのでしたが、、、。キョロキョロ探しながら遠くまで歩き、ほとんど散歩道道を一周した後で引き返して、ようやく確認できました。
かわいいコゲラです。
昨日、4月12日(月)は小学校の入学式。新一年生になった孫が、大きなランドセルを背負った姿を記念撮影しておきました。
今日はこれにて。
タヌキのタカラ?、の巻 [日録]
昨日の「9の日行動」について、世話役のQ様が、今朝、フェイスブックに投稿して下さっています。これまた無断で借用御免(_ _)
昨日は我が町の9条の会のスタンディングの日でした。青い空のもと気持ちのよい時間を地域の方たちと共に過ごしました車の中からチラ見をする方もいました。旗が目立っていたのでしょう。平和憲法を守ろうのスローガンはミャンマーの情勢を見るにつけ、切実な要求としてかがけていきたいと思いました
抜けるような青空の写真が眩しいほどです。「安倍9条改憲NO」の幟旗には安倍=スガと書き加えなければなりますまいが、、、。
もう一枚スタンディングメンバーの写った写真も投稿して下さっていますが、正面姿がちょっと恥ずかしいので、割愛させていただきます。
ところで今日のタイトルの「タヌキのタカラ」とは?
タカラのタを抜くと、、、
そう、そのとおり、「カラ」ですね。
兄姉は新学期が始まり、小学校の入学式を目前に控えて、何がなし落ち着かない様子の女児は、ままに用意してもらったお小遣いと図書カードが入ったオサイフを抱えの中身をしきりに確かめています。ついでに、ジイジのサイフの中身も点検し、「お金がカラだね。」と確認してくれます。そうですとも、キホン、キャッシュレス決済で生活してますから、、、というのは、空威張りです(汗)
というような次第で、オサイフに優しいご近所散歩のお供をすることにしました。
カメラを持ちたいというので貸し与えると、こんな写真を撮りました(4月8日)。
散り際の花を愛でながら、桜並木をグルリと歩き、 時々腰を下ろしてお茶にしたり、優雅なお散歩です。
桜の木にはいろいろな鳥がやってきています。ヒヨドリ、スズメは定番ですが、しきりに囀りながら虫をついばんでいるのはこの鳥です。
シジュウカラ。
始終空っぽのジイジのオサイフと同じです(このギャグも使い古しです)
シジュウカラは漢字で四十雀と書きます。この名の由来は、地鳴きの音に由来するとか、よく群れ、数が多いことを表すとか、1羽でスズメ40羽分の価値があるとか、諸説あるそうです。
シジュウカラ(四十雀)とくれば、ヤマガラ(山雀)に触れないわけには行くまいと、今日は山雀探しに深山公園を訪ねてみました。ツツジが花盛りでした。
しかし残念、珍しいことに、お目当てのヤマガラには会えませんでした。
でも、偶然にも、こんな生き物に出会いました。なんと、昨日から話題の、タヌキではありませんか。
しかし、このタヌキ、どことなく貧相なんです。
よく見ると、抜け毛が激しいようです。皮膚炎のせいかもしれません。
狸の宝、それはふさふさの毛皮であるかもしれません、、、お後がよろしいようで。
イタチのタヌキ、の巻 [日録]
「ブロ友」momotaro様のブログ「日本の政治と地球の未来」の最新記事に、久し振りにテニスをやりました!という楽しく健康的な話題がありました。陽春(初夏?)の光と風に包まれて、新緑眩しい屋外で白球を追うのは、何と豊かなひとときでしょうか。
実は、私も今日の午前中、テニスならぬテーブルテニス(卓球)を、戸外ならぬ室内で楽しむ予定でした。年金者組合地元支部有志の恒例行事です。が、直前になって、ふっと思い出したことがありました。前々から、妻の歯医者の予約日なので、春休み中の孫の世話を、午前中引き受けていたのでした。それともう一つ、それ以上に忘れてはいけないことが思い出されました。きょうが9日で、地元「九条の会」の「9の日行動」の当日だったことです。ついうっかりすっぽかしたり、避けられぬ用事で不参加だったり、ということが続いていて、今回は何としても参加しなくちゃ、と思っていたのに、今日が9日であることを当日になってやっと気づく有様です。、、、で、孫には一時間ほど「自助」を要請して、辛うじて義理を果たすことができました。
いつも参加してくださる若き友人mikopon559様が、そのブログで、早速この「9の日行動」の模様を紹介しておられますので、記事を無断でお借りします(<m(__)m>)。
木かげなじかん
自然に優しいお話
今日は4/9。わが町「9条の会」による月に1度の「行動の日」です。
いつものように朝9時から1時間のスタンディングが行われました。
今日もまたまた!「約束」どおりの青空。
この不思議な「約束」は、どうやら、初回から今まで皆勤で参加されているA先生が晴れ男だからにちがいない、
ということで、皆の意見が一致しました(笑)
今回は、野鳥や花など、ブログでいつも素敵な写真を披露されているKazgさんと、身近な野鳥たちに思いを馳せながらのおしゃべりで時が過ぎました。
いわゆる「鳥バナ」…かな?(笑)
話題になった鳥は…
トビ、ヒヨドリ、キビタキ、オオルリ、ホトトギス、サンコウチョウ、フクロウ、ツバメ、チドリ、カワウ、カイツブリ、ハヤブサ、チュウヒ、ミサゴ、コウノトリ…
特に、Kazgさんがこの辺りで目撃されたというオオタカの狩りのお話には驚きました。
日に日に緑を増していく山々の姿は朝と夕方でもまたちがう…!というお話にも!
青空の下での自然に優しいお話は何とも心地のよいものでした。
吹き抜ける春風がノボリと横断幕をはためかせ、それを支え持つ左腕に少々力を要しはしましたが(笑)
行き過ぎる車の中からそれをじっと見つめるまなざしがあるから、ぐっと力が湧いてきた、今日のスタンディングでした。
まったく記事の通りの、自然に優しいひとときでした。
その時弾んだ話題をもう一つ付け加えますと、いつもこの行動を中心的に世話して下さるQ様が、雑談で、最近ご自宅の庭にタヌキが寛いでいるところを数日続けて目撃、スマホで写真にも収めたと、画像を見せて下さって大いに湧きました。すると、各氏からタヌキの目撃談が相次ぎ、タヌキ談義に花が咲きました。
その話題の一つに、mikopon559様ご自身も、ご自宅の庭に寛ぐタヌキをご覧になったことがおありとか、、、。
そういえば、以前、SNS上でもこんな投稿を拝見しましたっけ、、、
に、にわで、た、たぬきが!
くつろいでいます
いやいや、やっぱり山に帰っていただかなくては。
ところで、例のご親切なフェイスブックが、6年前の投稿記事を、思いださせてくれました。
2015年4月9日
昨日の写真、トリミングして、大きく見えるものをupしたつもりでしたが、ノートリの方を載せていました。upし直します。
(以下写真省略)
やはり、イタチですかな?横から見たらはっきりしたはずですが、正面からだと、ふっくらして見えますよね。
実はこの写真、数日後のこの記事でご紹介しました。
一間(6尺)の大イタチ?の巻(2015-04-13)
(前略)
ところで、先日の「これなあに?」
イタチではないか?とご指摘いただき、だんだんその気になっております。正面からの撮影なので、ふっくら、丸々としていて、確信が持てませんでしたが、ネット上で検索参照してみて、どうもご尊顔が似ておいででですわい。
日本には、「ニホンイタチ(本土イタチ)」と「チョウセンイタチ」の2種が生息していて、よく似ているそうですが、ニホンイタチは「茶褐色で、腹面は淡褐色。口元は白色」、チョウセンイタチは「背は黄色みを帯びた粘土色で額がこげ茶色。口元からあごの境にかけてくっきりした白斑がある」そうです。チョウセンイタチのほうが、尾が比較的長いのだそうです。
横から観察していれば、きっと、胴長体型だったのでしょう。尾の長さも観察できていれば、はっきり識別できたかも知れませんが、いろいろ総合してみると、これはチョウセンイタチということでよろしかったでしょうか?(この口調、染みついてしましました。)
ちょっとピンぼけですが、長い尾が少しだけ写っておりました。
昔々、NHKの子供番組で、「チロリン村とくるみの木」という人形劇がありまして、「イタチのプー助」君が登場しておられましたなあ。お声は、一龍齋貞鳳(イチリュウサイテイホウ)さんだった由。
こんな横顔だったような気がしませんか?ところで、この遭遇現場、はっきりイタチとわかる横向き姿も目撃したこともありますし、ほぼその近くで、この方にもお会いしたことがあるのですよ。
データの記録を確かめてみますと2010年のことでした。こんななぞなぞ歌をご存じでしょうか?
いたちのたぬき
作曲・うた:栗原正巳
作詞:うちのますみ・佐藤雅彦
いたちのたぬき
かにのかとり
さんまのまぬけ
おはしのおはなし
たまごとるタマ
ふろくふとる
バナナのバトル
はちまきまきとる
きゅうりのリトル
ジュースのストローそのこころは、
「いたち」から「た」を抜くと「いち」
「かに」から「か」をとると「に」
「さんま」の「ま」が抜けると「さん」
「おはし」の「おは」を「なし」にすると「し」
「たまご」 の「タマ」をとると「ご」
「ふろく」の「ふ」をとると「ろく」
「バナナ」から「ば」をとると「なな」
「はちまき」の「まき」をとると「はち」
「きゅうり」の「り」をとると「きゅう」
「ジュース」の「す」をとろう。「じゅう」になるでしょ。おみごと!座布団一枚、ですな。
おあとがよろしいようで。
午後は午後で公私にわたってたっぷり用事がありましたが、「一から十まで」語ろうとすると、またまた冗長記事になりますので、今日はここまでと致します
名残の桜、の巻 [日録]
子どもたちの春休みが終わり、今日は小、中学生の孫の始業式。新一年生の入学式は12日だそうです。
例年なら、満開の桜がちらほら風に舞う中で新学期が始まるところでしょうが、年々開花が早くなって、季節感が揺れています。
先週は初夏を過ぎて夏を思わせる暑さでしたが、、、
3月の終わり頃の最高気温(上・赤字)と最低気温(下・青字)。
そして四月初旬。
ところが、4日の日曜日、花散らしの雨の後、一気に気温が下がり、しまいかけていたストーブや冬物衣装をひっぱり出さなくいてはならないほどでした。
最近散歩のお供に、サブカメラとして持ち歩いているricoh GXR+P10(28mm-300mm)にこんな画像が貯まっていました。
4月4日(日)
朝散歩の記録です。
桜は散り始めています。
ムクドリです。
これは、、、
トリミングすると、左の方に、ムクドリ。
右の方にいたのはスズメです。
この日は、かなり本格的な雨が降り、ぐっと寒くなりました。
4月5日(月)
花はまだ枝に残っていますが、若葉が目立つようになりました。
4月6日(火)
この日は、郷里に帰り、畑仕事などをしてきました。花と新緑が競い合い、山笑う景色が目を楽しませてくれます。残念ながら、写真に残すゆとりがありませんでした。
ベつのカメラの記録です。
4月7日(水)今朝の気温は、冬さながらでした。
朝の散歩道、思いがけない濃霧に包まれていました。
シモクレンが満開。
ソメイヨシノはまだ散り残っていますが、、
ヤグルマソウが咲き誇っています。
今日はこれにて。
4月の家族、の巻 [家族]
またたくうちに四月になりました。
どこもかしこも、花盛りです。
ご近所散歩コースの桜の眺め。
4月1日、コロナへの配慮から控えていましたが、曾祖父母に会いたい孫たちを、春休みを利用して郷里に連れて行きました。さすがに、感染者拡大中の大阪からは参加できず残念でしたが、県内組は勢揃いでした。
小高いところにある墓地からの眺めです。
遠くの川沿いに桜並木が眺められます。
恒例のように、川の畔までおりてみます。
石ころしかない川原が、子どもたちには魅力のようです。
4月2日、小4の孫がヨモギ団子を作りました。
4月3日(今日)。この春小5、小1になる女の子が、片道1時間離れた従姉妹弟(幼稚園児と一歳児)の家まで、忘れ物を届けがてら、遊びに行きました。ジイジ、バアバがお供しました。きび団子ならぬヨモギ団子がお土産です。
最後は、我が家のニューフェイスです。
水槽の写真です。円い印にご注目。
トリミングします。
同じく、、、
グッピーに稚魚誕生です。
今日はこれにて。