またまた追伸、の巻 [友人]
昨日の記事のつづきです。
朝の散歩は、秋の光にあふれています。
空には月。中秋の名月は過ぎ、だんだん欠けてきていますが、、、
ちょっと足を伸ばして、久しぶりに川の畔まで歩いてみます。
朝早くから船を漕ぐ釣り人も見えます。
彼岸を過ぎて、ヒガンバナも次第に盛りを超えた感じ、、、。
朝日に輝く赤トンボ。
さて今日の表題は「追伸」でしたが、お伝えしたいのはこちら。
先月、「学生時代の友人(後輩)S女史が、高知県議補選に立候補することになった」との記事を書きました。
思いもかけない大ニュース!の巻(2021-08-18)
候補者の安田せつ子さんとは浅からぬ縁があります。
第一は、大学の同じ学部、学科、専攻の後輩です。私は勉強好きでしたから、語学をはじめ一般教養の授業なども含めて数年がかりで習得しましたから、同じ授業やゼミでも、しばしばご一緒しました。
第二は、わが妻と同郷で、高校の同級生、大学入学当時は下宿まで同じでしたので、いきおい、しばしば共に行動する機会もありました。
第三は、ですから、卒業後も、妻とともに里帰りしたときなど、実家近くでお会いすることもある「昵懇」の間柄だったといえまず。
第四は、県は違っても、共に教職に就き、組合運動にも携わってきた共通点から、実際にお目にかかる機会は稀であっても、変わらず心通じる間柄だったと言えます。
第五は、当ブログでもしばしばご紹介している、数年前から何度か開かれている大学時代のサークルの同窓会でお目にかかる機会が増えました。
その後のことを書かねばと思ううちに、すっかり時間が経ちました。
そうこうしているうちに、愛知に住む旧友ハチロークンが、今日、思いがけず、何枚かの新聞コピーを送ってくれました。ハチロークンは、まめな人で、旧い友人たちの消息や近況を、丹念にウォッチングしていて、しばしば新聞切り抜きなどを添えて教えてくれます。たとえばこんな記事の場合のように、、、。
難読お名前クイズだ!の巻(2019-03-11)
難読人名クイズです。 次のAさん、Bさんの姓は、それぞれなんとお読みすればよいでしょうか 。
A 榑松さん
B 川后さん
学生時代からの古い友人で、愛知在住のハチロークンは、当ブログの常連登場メンバーです。最近では忘れてました、の巻(2019-02-21)にも、ちらりと登場願いました。そのハチロークンが、いつだったか「日本広しといえども(あるいは、愛知県内で、と言ったかも知れません)榑松、川后の両方が読める人物、しかも両方と面識がある人物は自分だけではないかと思う」などとヘンな自慢をしていたことを思い出します。
よいことを一つすれば、花さき山に一つ花が咲く、の巻(2019-01-18)
たぶん、ほとんど取るに足りない事実の紹介になりますが、実は、この方(注 郵便不正事件で誤認逮捕された元厚労省事務次官の村木厚子氏のこと)、大学の後輩にあたります。経済学科にも親しい友人がいましたし、そのうちの何人かは、確か、この方と同期のはずです。そういう面々とともに、同じ授業や講座を受けていたことがあったかも知れないと思うのですが、記憶はあいまいです。
当ブログ、故郷自慢や友達自慢がしょっちゅう登場しますが、今回はそのどちらでもなく、袖すり合うも多生の縁のレベルのささやかな「縁」のお噂になります。
事件後に、当ブログにもしばしば登場いいただくわが故旧のひとりハチロークンと交わした会話によると、彼は私より一年下であるだけに、彼女とも学年が近く、教授からも一目置かれていた彼女の優秀さをよく憶えているそうです。堅実・誠実な人柄と報じられる不正とのギャップから、えん罪であることは疑う余地もなかったのですが、160日にも及ぶ拘置に耐えた、粘り強い孤独なたたかいで、見事に無罪を勝ち取られたことに、頭の下がる思いでおりましたが、今日の番組で生の声をお聞きし、強く胸を打たれました。
ふと見かけたアトリ、の巻(2017-11-29)
この会を企画してくれたハチロークンの司会で、大学卒業以来今日までの半生を、「一人5分」で語ろうという提案に、こもごも語られる歴史は、それぞれ「山あり谷あり」がキーワードとなる、波乱に富んだ歩みでした。この日の出席者はいずれも「後輩」に当たりますが、ふかいリスペクトの思いなしに聞くことはできませんでした。
ところで、上述のハチロークンは、私のブログの常連出演者です。
たとえば、最近も、ミーハー雑感、の巻に、こんなことを書きましたハチロークンには、以前この記事にご登場願いました。
夏の終わりの高知行、の巻(その5)槙村浩について、私は、2014年12月24日のこの記事で、「槙村浩については、また、別の機会に触れたいと思っています。」と書きました。この約束の実行を何度か試みましたが、いつも挫けて、先延ばししてきました。
今日は少しだけ、書いてみたいと思います。 (中略) NET検索してみますと、上で引用したweb記事で紹介されている 「草の家の学芸員、藤原(ふじ・はら)義一(よし・かず)さん」が、ご自身のブログのこの記事に、槙村浩関連のネット記事へのリンク集を作っておいでです。勝手に紹介させていただきます。
さっき触れた昨年12月24日のこの記事にも書いたとおり、高知のN先輩からのお便りにより、高知市にある「草の家」が、昨年秋に「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を発行されたことを知り、お願いして先だって手に入れました。 (中略) 手元に届いた冊子「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」では、上の藤原義一さんも、それからわが先輩Nさんも、また、別の先輩Mさんも、それぞれ別の角度から槙村浩に光を当てる文章を寄せておられます。
冊子が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。
I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。
部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電 話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。
これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。 同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。
卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。
最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。
その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。
そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。 今日はここまでとし、またの機会に続きを書きたいと思います。この記事で、愛知のI君と書いたのが、今の旅の弥次喜多散歩の相棒、ハチロークンのことです。同じホテルに宿泊しましたので、午前中、待ち合わせて宿願を果たそうと思い立ったのです。
際限がないので、以下割愛します。
さて、今回、彼が送ってくれた新聞コピーの一部を紹介します。「高知民報」という地方紙のコピーです。彼は、自称、この新聞の「唯一の愛知県在住購読者」なのです。
全国紙では詳細には報道されない記事に、候補者安田せつこさんの人柄がありありと思い浮かべられて、改めて懐かしさとともに深い感銘を覚えたことでした。
真ん中の記事「安田節子さん第一声」のなかのこんなフレーズが、強く心に響きました。
「私は くらしと政冶は地続きだと思っています。声を上げ れば政治は変わる。暮ら しはよくなる。あきらめず しっかり声を上げ、声が集まり願いが叶う。私はこの声を集めて県政に届けたい-----一人ひとりが本当に大切にされる県政を一緒に作って参りましょう」
「地盤、看板、カバン」のいずれにもまったく縁がない、いわば政治のシロウトである彼女の訴えの、真実味と説得力は、おそらく少なからぬ人々の心をとらえたのではなかったでしょうか?
〈ウィキペデイアより引用〉
日本では、選挙で当選するためには、「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」の3つのバンが必要であるとされている。理想としては、政治家は優れた政策や資質で選ばれるべきであるが、現実には、後援組織の充実度、知名度の有無、選挙資金の多寡や集金力の多少に当落が左右される場合が多く、これを揶揄する文脈で用いられることが多い。
残念ながら、当選には至らなかったものの、何と得票率43.5%ですって!!
せっちゃん、お疲れ様でした。
きょうはこれにて。
彼岸過ぎて、の巻 [味覚、食材]
フェイスブックの過去記事にこのようなことを書いていたらしいです。
2014年9月26日
田舎の裏山の栗が熟しています。落ちた栗は夜のうちにイノシシに食われますので、先日帰郷ついでに拾って帰りました。
青空に舞うナミアゲハ。百日草に止まるアオスジアゲハの写真を載せます。(9/23撮影)
高齢者ドライバ-としてご紹介してきた92歳の父は、このところ体力気力が少し衰え、自動車の運転も控えるようになり、ましてや山道を歩いて栗を拾って帰ることなどできなくなっています。買い出しや通院の手伝いのため、田舎に帰る頻度が増えています。
先週は、綿の収穫のついでに、栗の様子も見てきましたが、イガのまま、バケツに2杯拾って帰りました。
翌日、隣県に住む叔母(母の妹)が、沢山の栗とサトイモを送って下さったから、新鮮なうちにおすそわけを取りに来いと母から連絡があり、昨日言ってきました。働き者の叔父が昨年亡くなり、叔母も車の運転が心許なくなったので、宅配便で送って下さったとの由。立派な栗で、早速ご近所にもお裾分けして喜ばれました。
あいにく写真に撮らずしまいでした。
日中は真夏日のなる日もありますが、朝夕はひんやりするようになりました。朝散歩の写真も、秋らしいものになってきました。
夜明け方の田園風景。
空の様子もすっかり秋めいてきました。
稲穂の実る田園の向こうに葉、常山(つねやま)が聳えています。
こちらの方角には麦飯山が見えます。
さて、このシギは、イソシギでしょうか?
右の方の、草の先には、ウチワヤンマらしき姿が写っていました。
トリミングします。
かなり近づいても逃げません。
後ろ姿もキュートです
今日はこれにて。
追伸あれこれ,の巻 [折々散歩]
爬虫類、両生類が苦手な方におことわりです。終わりの方に、不快画像が登場します。悪しからずご容赦ください。
追伸その1
昨日の記事で、「脚が黄色いように見えるのでキアシシギですかね?」と書いたこの鳥について、M師の奥様が、「キアシシギではなく アオアシシギ」と教えてくださいました。どちらもこれまで見たことがなく、アオアシシギは初見。初撮りです。ラッキーでした。
実は、昨日、性懲りもなく、再び同じ場所を訪ねてみたのです。
アオアシシギは見つけられませんでしたが、タシギはいました。
そして、またまたソリハシシギも見ることができました。色んなポーズを見せてくれました。
追伸その2
綿のその後です。
今日も郷里へ妻と帰り、雨の中、綿を収穫して帰りました。
まだ花も咲いていて、これから先の実りも期待されます。
持ち帰った綿は、ぐしょ濡れ状態ですので扇風機で乾かさねばなりません。明日も雨のようです、、、、
今日の付録 その1
綿を植えている畑は、お墓の近くです。今年も忘れず、ヒガンバナが咲いていました。
今日の付録 その2
もう秋ですのに、雨に誘われてアマガエルが出てきました。ガラス戸から、家の中をのぞき込んでいます。
下のカットは,何枚も撮ったのに全部ピンボケでした。残念。
追伸 その3
以前、畑作業中に崖から転落させて故障した耕運機を、最近、多少コンパクトな機種に買い換えました。これまで通り実家の畑でも使い、車に乗せて60km離れた我が家まで持ち帰り、こちらの畑でも使おうという目論みからです。
ここ数日、雨の隙間を縫って耕運機も試運転しながら、夏から秋へと、畑の模様替えをぼちぼち進めています。
その作業中の一コマ、こんな客に会いました。
全体像はこちらです。
最初は何か気づきませんでしたが,鎌首をもたげてこちらをじっとうかがっています。しばしのにらみ合いの末、彼は静かに去って行きました。
追伸 その4
雨上がりのプチ散歩、の巻(https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2021-09-04)の記事に、 Enrique 様がコメントを下さいました。
蛇と菅さんはご勘弁。
爬虫類系はダメです。
それへのコメント返し。
>爬虫類系はダメ
同感です。一見、まず、忌避感が湧いてきてしまいます。
今度の総裁選でも、誰とはもうしませんが、なんだか爬虫類を連想させるお方(面相というか、雰囲気全体から)のお顔に、つい身がすくみ、直視できません。
いや、だからといって、ほかのどの候補者(の面相)がマシというわけでもありませんが、
外見で人を判断することは慎むべきでしょうが、「40 歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」と、エイブラハム・リンカーンが言ったと、小学校で習った逸話も、忘れることができません。総裁選の出てくるヒトタチ、、どうしてあんなに、揃いも揃って「人品骨柄」に卑しさ、おぞましさ、軽佻浮薄さが漂うのでしょうか???
今日はこれにて。
寄り道、の巻 [今日の「これなあに」?]
M師からこんなメールをいただきました。
セイタカシギの居たあそこの田圃を昨日のぞいたらこんなのが居ました。
タシギ
ソリハシシギ
ツルシギ(中略)
色んなシギチが立ち寄るようですから時々のぞいて見ることをお勧めします。
8月の終わりにいたこの記事で、セイタカシギ観察の顛末を書きました。
8月終わりの鳥日記、の巻
発見現場のその田圃には、その後も何度か通ってみたのですが、残念ながら、ダイサギ、コサギ、アオサギ、カルガモ、ハクセキレイなどのほかには、鳥影に会えない日が続き、足が遠のいていました。
が、このたびのメールに俄然刺激を受け、昨日の午後、所用で出かける際に、寄り道してみました。
水の張られた休耕田です。ラムサール条約に定められた湿地というわけではありませんが、旅の途中のシギチたちが、どういう気まぐれからか寄り道して、数日気ままに滞在して、また旅立っていくお気に入りの場所になっているようです。
曇り時々雨と言ったお天気で、光の条件は今一歩でしたが、よく見える場所に姿を見せてくれました。さすがに遠いので、トリミング画像です。
これがソリハシシギでしょうか?
そしてこれがツルシギでしょうか??
最初は同種の群れかと思いましたが、、、
ツルシギは、赤い脚が特徴だそうですから、左側の白っぽい鳥は別の種のようですね。
脚が黄色いように見えるのでキアシシギですかね?
これは?タカブシギでしょうか?
シギチの仲間は、いくら図鑑とにらめっこしても、どうにも見分けがつきません。識別しようという気力さえ、すぐに萎えてしまいます(トホホ)
さて、毎日の報道は、自民党総裁選の行方があたかも重大事であるかのごとき扱いです。オソマツの極を極めたアベ=スガ政治は、綺麗さっぱり洗い流し、国民のいのちと思いを大切にする温かい政権を、国民の共同で打ち立てることができるかどうかが、国民にとっては重大事でしょうに・・・・。アソーの推すコーノ、アベの推すサナエ、派閥力学に身を委ねてじっと順番待ちのキシダ、それから、イシバ、セーコ・・・、どっちへころんでも、アベ=スガ政治延命につながる寄り道・回り道にほかならず、まっぴら御免です。
今日はこれにて。
九の日の九つの鐘、の巻 [文学雑話]
2019-09-09の記事にこんなことを書きました。
9重なり、の巻
今日は9月9日。
ブログを始めたばかりの頃、こんな記事を書きました。
重陽の節句あれこれ。最後は酒の話。(2013-09-09)
今日は重陽(ちょうよう)の節句。
古代中国に始まる陰陽説では、万物を「陰」と「陽」とに区分し、静的・安定的なものを「陰」、能動的・活動的なものを「陽」とするそうです。
数字にも陰と陽があり、偶数は陰、奇数は陽とされます。「偶数」は安定していてそのままで完結しているが、「奇数」は二で割り切ることができず、常に変化し発展する性向を持つからだそうです。
中国では、その陽の数の内で最も大きい9が重なる9月9日を特別にめでたい日とし、菊の香りを移した菊酒を飲んでて邪気を払い長寿を祈る習慣がありました。中国では今もこの風習が生きているそうです。ただし、もっぱら新暦ではなく、農暦(旧暦)によるようですが。
日本には平安時代の初めに伝わり、菊の節句、菊の宴とも呼ばれて広がったそうで、『枕草子』にも「九月九日は、暁方より雨少し降りて、 菊の露もこちたく、覆いたる綿なども、いたく濡れ、うつしの香ももてはやされたる」と記載されています。
江戸時代に書かれた上田秋成の『雨月物語』にも、「菊花の約(きつかのちぎり)」という印象深い物語があります。この記事、後にも何度か引用しましたし、先日「出版」した書籍版「ナードサークの四季(抄)Ⅰ」にも掲載していますので、紹介はこの程度にとどめます。
9月9日というめでたい9重なりに、もう2つ9が重なった午前9時9分、こんな催しが企画されました。
2019年9月9日9時9分に、9回鐘をつこうというのです。
9つの鐘の音に込められた思いを、案内チラシから引用します。
こんなチラシも入っていましたので、最寄りのお寺まで出かけてきました、
実はこのお寺、ご住職の健康状態が思わしくなく、昨年から、打鐘ができなくなりました。今年も“平和の鐘”のとりくみは実施不可能かと気に病んでおりましたところ、別の地元寺院に要請したところ、快く受け入れていただいたとのこと。喜んで参加してきました。
わが地元の「九の日行動」のジンクスで、昨日の雨が嘘のように、今朝は快晴。陽射しはつよいが、秋めいた澄明感が快い朝でした。
参加は、この行動に初めて参加される方も含めて10人。9回ではなく、10回の鐘の音を響かせました。
何と、ご近所にお住まいだとのことで、旧い友人のBさんが、参加してくださり、懐かしくうれしい事でした。
寺院の静謐なたたずまいのなか、厳かな鐘の音が四囲に響き、心洗われる思いがしました。
取り急ぎご報告まで。
白露の公園散歩、の巻 [折々散歩]
昨日、九月七日は、暦の上では「白露」だそうです。
最高気温は30度に及び、まだまだ残暑は厳しいですが、少しずつ秋の気配は広がってきています。
M師から教わった鳥情報を参考に、実に久しぶりに深山公園へ出かけてみました。
M師と奥様は、県北T市の公園で素晴らしい写真を撮影されていますが、その鳥が深山公園にも現れるとの情報があると教えてくださったのです。
が、残念ながら、空振りでした。
見かけが少し似ているというこの鳥はいましたが---(笑)
キジバトです。
持ち出したカメラはPENTAXk-1+AFborg(ed45)。AFborgは、距離と明るさを稼ぐ意味でED60を使う機会が増えていますが、解像度ではED45がまさる気がします。ただレンズの明るさ不足からAFを機能させる上では、レデュ-サー代わりにカメラへの接続位置直前にクローズアップレンズを装着していますが、ED60なら、Kenkoクローズアップレンズno.4で十分AFが機能するのに対し、ED45だと、クローズアップレンズno.5が好適であったと記憶しています。そこを、PENTAXk-1のAF性能に期待して、クローズアップレンズno.4のまま使って見ました。首尾は?上々でした。
この花は?ヒメシャジンでしょうか?
ノートリミングでは、少し周辺光量が落ちますが、許容範囲内と思えます。
下の写真は、何を狙ったのでしょうか?
拡大画像をご覧いただくと、小鳥の群れが遊んでいる様子がおわかりいただけると思います。
トリミングします。
シジュウカラでした。
ほかにはめぼしい鳥にも会えず、代わりに蝶を写して満足しました。
ノートリミング画像。
以下トリミング画像です。
【今日の付録1】
フェイスブックが、しばしば、過去の投稿を思い出させてくれますが、今日はこの記事。ちょっと懐かしいので再掲します。
その1 8年前の今日の記事.
2013年9月8日
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2013-09-08
に書いたようないきさつで、今夜は、ニューマシンがネットに繋がりません。従って、この記事は古いマシンからのアップです。
今日は、午後、アッシーのあいまに、岡山市の後楽園を散歩。曇り空で、すかっとした秋の写真は撮れませんでしたが、トンボに出会いましたので紹介します。
その2 6年前の記事
2015年9月5日
イトトンボのカップル。ハート型に見えます?
総裁選フィーバーには触れません。
今日はこれにて。
綿続報、の巻 [園芸]
お爺さんは山へ草刈りに、お婆さんは山へ綿摘みに行きました、、、。
一昨日の日曜日(9/5)のことです。
長雨のあとで、山の畑もややぬかるんでいますが、長靴がめり込むほどではありません。草は勢いよく伸びていて、刈り払うと心なし、見た目が涼しくなったような気がします。
草を刈ると、いろいろな虫たちが慌てて飛び出してきます。
大きなトノサマバッタがたくさん出てきました。
綿の木は、勢い旺盛で、まだ花をつけているものもあります。
カメラを持って出なかったので、スマホで写します。
前回の収穫後にも、白い綿花(コットンボール)がたくさんはじけていて、前回以上の収穫量でした。
まだ十分はじけきっていないものも、こんなにとれました。
今日はこれにて。
雨上がりのプチ散歩、の巻 [折々散歩]
9月になって、雨の日が続きます。
昨日は、登校時、雨傘の柄を伝わって雨が流れ込み、帽子を濡らし、髪の毛と顔がぐしょ濡れになったと、小1の孫が興奮気味に報告してくれました。各地に大雨や洪水の警報・注意報も、頻繁に出されています。実際、川の水位も上がり茶色の濁流が流れています。
昨夜(今日の未明)は、激しい稲光と雷鳴がつづき、雨音もけたたましく、雷雨が屋根と窓を叩き、眠りを妨げられた方も多かったことでしょう。
雨は今日の昼頃まで降ってようやく上がりました。午前中は傘を差して短い散歩。防塵防滴のPENTAXk-30+smc PENTAX-DA 18-55mm F3.5-5.6 AL WR を持って出ましたが、撮影チャンスなし。午後は、PENTAXk-1+玉抜トキナー+BORGアクロマート50という組み合わせを実験。PENTAXk-1は、フルサイズの撮像素子ですので、BORGアクロマート50は、250mm相当になり、望遠撮影としては有利とは言えませんが、重いk-1に軽くてコンパクトなレンズを組み合わせてみたかったのです。
これは何を狙って撮影したのでしょうか?ニラの花??
いえ、大幅にトリミングしてみます。
イチモンジセセリが、まずまずの解像で確認できます。
ではこれは?
稲田のある風景、、、?ですが、これまたトリミングすると、、
ダイサギが結構はっきり捉えられます。
以下、いずれもトリミング画像です。
ハクセキレイ。
稲田の上を飛ぶツバメ。
上空のキアゲハ。
飛ぶギンヤンマ。
産卵するギンヤンマのペア。
今日の付録
シマヘビ。
昨日の大ニュース。スガさん、退陣。
最後まで政権にしがみつきたい執念を露わにしていただけに、唐突な表明にビックリ仰天、という面もないではないですが、客観的に見れば、もうとっくに詰んでいた将棋ですから、遅すぎた投了とも言えましょう。でも、詰んだのは自民党政治(自公政治)ですからね、少々小手先で化粧直ししてみても、まるで期待はできますまい。国民不在、生命軽視の自公政治の延命を許さず、選挙でしっかり裁きをつけたいものです。
今日はこれにて。