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そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり [友人]

那岐山をご存じでしょうか。
岡山県と鳥取県にまたがる高峰で、氷ノ山(兵庫県)、後山(岡山県)、とならんで、氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されています。
この山にはイザナギ、イザナミの両神が降り立ったという伝説があり、伊邪那岐(イザナギ)の名が、山の由来になったとされます。

標高は1255.0 m。隣接する後山(岡山県第一の高峰)が標高1344mで、その高さに負けて泣いたことから「ナキノセン」と呼ばれたという、面白話も残されています。


ところで、この那岐山の鳥取県側にはJR因美線那岐駅(なぎえき)というローカル駅があります。鳥取県八頭郡(やずぐん)智頭町(ちずちょう)という、難読地名がその所在地です。
一方この山の岡山県側には勝田郡(かつたぐん)奈義町(なぎちょう)があります。
そして、その奈義町には諾神社(なぎじんじゃ)という神社があり、伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祭っているそうです。
「伊邪那岐」は古事記による表記、「伊弉諾」は日本書紀による表記だそうです。

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なおもまだ語り足りざる六時間 [友人]

昨日は一日、ぐずついた天気ながら、折りたたみ傘はバッグの中にしまったままですみました。お昼過ぎから、ある同窓会がありました。命名するのがちょっとややこしいですが、学生時代に私も属していた教育系サークルの部員+その友人で、比較的近隣に居住するメンバーの集まりです。
近隣と行っても、南は高知、香川、愛媛、西は広島、東は愛知。それに挟まれた大阪、京都、兵庫、岡山から集いました。
年齢・学年は相前後していますが、お互いに親密な間柄でした。卒業後初めて再会した顔ぶれもあります。
退職して自適の生活を送っている人、定年年齢が65歳だったり、「定年などない」職業の人など様々ですが、それぞれに良い年輪を重ねてきました。
1時半に始めた1次会は、あっという間に予約時間が終了しました。翌日、よんどころのない用事がある由で、とんぼ返りを余儀なくされた人もいましたが、ほとんどのメンバーがカラオケ店での2次会へ。次から次へとあれやこれやの談笑が絶えず、瞬く間にお開きの時間。気づいてみると、誰も一曲も歌わずじまいでした。最近こんなスタイルの飲み会はまれではないでしょうか?
河岸を変えての3次会も、歓談の勢いは衰えず、名残はつきませんでしたが、私とカミさんの共通の友人であるS子さんが、我が家に泊まってくれることになっていたので、カミさんの迎えの車に合わせて途中退席させてもらいました。

それにしても、久々に、よくしゃべりよく笑った愉快な6時間でした。皆さんお疲れ様でした。

我が家に帰ってからは、S子さんとカミさん、私の3人で、夜更けまで4次会が続きました。

というわけで、昨日の撮影は、宴会参加者の顔、顔、顔。どれもこれもいい表情、いい味の顔、顔、顔で、何度も眺めて、楽しみました。が、肖像権の問題もありますので、ブログ掲載は控えさせていただきます。あしからず、、、。

さて連休最終日の今日は、朝から行楽日和でした。愛媛出身、高知在住のS子さんは、岡山城と竹久夢二記念館には行ったことがあるが、後楽園にはまだ入園したことがないというので、ひとときの散策を楽しんでもらうことにして、後楽園入り口まで案内してお別れしました。

折角の好天ですが、どこへ行楽に出かける当てもなく、荒れた畑の耕作に精を出しました。
にわかに思い立って、極早生と中生の2品種のタマネギを植えてみました。
ダイコン、カブ、チンゲンサイなどの間引き菜が、買い物袋一杯分採れました。


今日は掲載すべき写真がありませんので、新鮮間引きダイコンのみずみずしさをご覧ください(汗) 。

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いにしえの故郷遙か秋茜 [友人]

幼稚園から高校まで一緒に過ごし、部活動も共にした友人が、静岡県に住んでいます。

退職後、半ばボランティア的に自然保護に関わる仕事に就いていると聞きます。

昨日、その彼から近況を知らせるはがきが届きました。

「過ごしやすくなるとアキアカネが少しずつ増えてきます」と書き出され、「アカトンボが乱舞する光景は、もはや過去のことで、再現されるのは、かなりの努力が必要」「ギギやアユモドキは絶滅の危機を迎えています」と続けて、子どもの頃の記憶につながる自然情景に話題が及びます。
おかげで、思い出スイッチが、いたく刺激されるとともに、数十年を経て同じ感じ方をもつ同輩の存在に、意を強くしたことでした。

彼は、故郷を離れて久しく 、近年、ご両親を相次いで看取り、離れた故郷に、自身のアイデンティティを支える「原風景」として、ひとしおの愛着を覚えるのでしょう。この夏は、小学校時代の恩師を訪ね、健在を確認したとの由。

いにしえの故郷遙か秋茜(いにしえの ふるさとはるか あきあかね) 

 

乱舞する蜻蛉は、動きが速くて私の腕ではとても撮影出来ませんが、草の葉に止まる赤とんぼ(於深山公園)。

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カワトンボ(於深山公園)
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サナエトンボ(深山公園)
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散歩道のイトトンボ

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親の医者通いや入院といった状況に、わずかに「点と線」で対応している私とて、故郷との実質の距離は年々歳々遠ざかるばかりですが、時々、通行人か観光者のように、写真を撮ったりするだけのつながりです、、、。

父親の骨折は、手術の経過がよく、寝たきり状態を脱して、自分車いすに乗って移動できるようになり、今日は手押しの歩行器の練習をしたそうです。故郷のヒガンバナは花盛りでした。

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オマケ 実家の庭で育つキアゲハの幼虫
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も一つオマケ 物干しの鉄柱に寛ぐアマガエル 糸くずをアクセサリーに?
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朝露や友の無事なる報せあり [友人]

過去のブログ記事を再読していますと、これは自己顕示なのか、露出症なのかと、いささか鼻白む思いを抱く事があります。

それを知ったとて、誰の得にもならない私人のプライバシーの暴露、みたいなことにならないように気をつけよう、と自戒しつつも、今日の話題は、またまた個人情報ネタです。

二日ほど前、お手紙が届きました。

関西に住むA子さんからです。私の過去のブログ記事にも、何度か登場していただいた古い友人で、ご夫婦共々長いつきあいです。
こんな記事や、こんな記事 、こんな記事こんな記事こんな記事こんな記事 などでお出まし願いました。 

夫のイチローさんは、私と同郷の先輩でもあり、退職後、マンションと故郷の実家とを月に半々ぐらいのペースで行き来する生活をされています。そのおかげで、最近はときどき交流の機会があるので、遠くに住む友人たちからはうらやましがられたりしています。

A子さんは、その田舎暮らしの印象などを綴ったB4裏表印刷の手書き新聞スタイルの「たより」を、友人・知人の方々に向けて発信しておられ、私のもとにも送ってくださるので、いつも、嬉しく懐かしく読みます。

このたびの「たより」には、その微笑ましい記事の余白に添え書きして、 先日の台風被害について、共通の友人の消息を伝えてくださいました。

ひとりは広島安佐南区に住むS君。語れば尽きぬ間柄ですが、今なお隠居できずにちょっとした要職にあるので、 個人情報に触れることは避けますが、懐かしい人です。無事だったそうです。
被害の中心地だった安佐南区という地名から、直ちにS君を思いましたが、根拠もなく無事なはずだと思い込んでいました。先日電話で話したばかりでしたし。

いまひとりは、高知に住むH女史。避難したが無事だったそうです。
この記事でも チラリと登場していただきました。

彼女とも、最近電話で話す機会がありました。

お二人とも、私自身、台風のニュースを見ながら、真っ先に浮かんだ人たちの筆頭なのですが、何故か、自分から安否を確かめようとはしなかったのが、我ながら不思議です。というより、自分のうかつさ、薄情さを再認識しています。

A子さんは、これまた共通の友人である京都に住むM君から、二人の安否情報を聞いて、私に教えてくれたのでした。このM君、多忙な身にもかかわらず、いつも親身な思いやりを示してくれる人でしたし、さればこそ、こんな肝心なときにさりげなく自然に人間味を発揮することができるのだと、改めて気づかされます。 

すみません、皆さん。私のうかつさ、薄情さは、たぶん「天然」のもので、悪気はないのです。  


追伸 

こんなことを書いている折も折、携帯していなかった携帯電話を見てみると、昨日の夕方付けでメールが届いていました。高知の大先輩Nさんからでした。

Nさんは、この記事この記事にも登場していただきました。 先の台風の話題のS君やH女史も、共通の友人です。

そのメールには、先の京都に住むM君からのメールが転送してあり、S君の無事が伝えてありました。

S君の住まいは、安佐南区でも被害の大きかった地区の近くだったそうですが、とりあえず被害はなく、ボランティアを組織して救援に当たるそうだと書いてありました。頭が下がります。


カメラのデータをこと細かく書くのも、 厄介な自己顕示欲が疑われますが、それをく否定はしないものの、実はもう一つ理由があります。

デジタルカメラの便利機能exif情報は、純正レンズを使用した場合には、レンズ名や焦点距離、オート露出の場合なら絞りやシャッター速度まで記録されるので、大変結構です。が、いかんせん、私がしばしば使うレンズは、旧時代のオールドレンズであったり、アダプターを介在して他社レンズを使ったりという次第。そんな遊びの結果、その画像がどういう組み合わせで写したものだったか、exifデータには残らず、私の耄碌した海馬では、当然、思い出せず、フラストレーションのもととなります。

そんなわけで、記憶が残っているうちに備忘的にメモしておこうという意図で書き記していますので、煩わしいでしょうがお見逃しください。

さてpentaxk5Ⅱ+トキナ-90mmマクロの組み合わせによる画像を、順不同で貼っておきます。AFADを使った場合と直に装着した場合とがありますが、煩わしいので省略します。

稲の葉の朝露

 

 

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露草
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チョウチンカズラ
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ケツメイシ
先日のブログで、黄色い花をアップしました。そのときは豆科だとは思いながら、ケツメイシに結びつきませんでした。莢を見て思い出しました。
以前、いただいたお茶は美味でした。
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ヒラタアブ
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イトトンボ
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待宵草
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ダイサギ
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アオサギ
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クマゼミ
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アブラゼミ
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ヒャクニチソウ
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チェリーセージ
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 いずれも路傍に生きる慎ましいクリーチャー(創造物)ですが、マクロレンズを通すと、思わぬ魅力に気づきます。

つぎは、ファインピクスS1の、スーパーマクロモードで撮影した画像。よく似た題材ですが、また個性が違って面白い絵になります。

ヒャクニチソウ
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キバナコスモス
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最後は、pentaxQ7の画像。レンズは?確かオールドレンズだったと思いますが、はっきりわかりません。

 

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 50mmクラスのレンズが、望遠マクロレンズもどきに使えるのは楽しいことです。

ただ、ピント合わせがどうも、、、。

しかも手持ち撮影では、画面が揺れて揺れて、、、。

悩ましいことです。

 

 

 

 

 

 


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故旧あい集いし森の青胡桃 [友人]

岡山県美作市右手(うて)という地区は、木地師の里として知られています。

私の学生時代の先輩である「三郎さん」は、関西在住でしたが、退職後、奥様の実家のあるこの地区に移り住んで「木工みや工房」をひらき、木工工芸品の制作に励んでおられます。

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上は、「木工みや工房」にて作業中の三郎さん近影
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上は、工房で制作中の作品
 

過去のブログで紹介したとおり、大学時代の先輩・後輩の間柄で、大阪、西宮、岡山県北、岡山県南など、あちこちに生活の基盤を持つ同郷のメンバーが、故郷の自然探訪を楽しむ企画を、最近何回か催しました。

昨年11月誕生寺を訪ねて  

今年3月故郷に節分草を訪ねて

今回は、「三郎さん」が、森の緑濃い右手周辺を案内してくださいました。

一行は、まず、発起人格のM女史のご実家にちょっと立ち寄らせていただきました。

庭には見事なグミの木が、たわわに実をつけていました。子どもの頃は「ぐいび」と呼んで、誰しも夢中でむしって食べたものでした。

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梅雨と田植えの時期に結びつく、郷愁の果実です。
これは「びっくりグミ」と呼ばれる大粒の品種でしょうか。
お母様の許しを得て、ジューシーな甘酸っぱい実を、懐かしく味わいました。
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先輩の「イチローさん」が、グミの小枝を片手に、にこやかにモデルになってくださいました。
大昔、大学の夏休み、帰省中のことでしたか、 50ccバイクで山越えをして、私の実家まで訪ねてくださったことがありました。学生時代、アパートの隣室に住んだこともありました。
学内でも、私生活でも、しょっちゅう一緒に行動する機会がありました。今日も同行の奥さんもまた、親しい友人です。
卒業後は、30年以上も、ほとんど年賀状だけのおつきあいでした。それが、退職後、こうして繰り返しご一緒する機会ができ、嬉しく、そしてなんとも不思議な気分です。
大病を克服され、お元気そうで何よりです。
 
庭にはシャラ(ナツツバキ)のツボミもふくらみ始めていました。
この花は、咲いたらその日のうちに散るのだそうです。
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 先日訪ねた半田山植物園でも、シャラの木を見つけました。
 
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 平家物語冒頭の、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。」と描写されるのが、「沙羅」ですね。
釈迦入滅の時、その床の四辺にあった沙羅樹がたちまち枯れて白色に転じたと言われます。
日本ではこの「ナツツバキ」を「沙羅」と呼び、庭木として植栽しますが 、釈迦入滅を見届けた「沙羅」の木とは別種だとも聞きます。

さて、「三郎さん」との待ち合わせ場所は、「久賀ダム」の駐車場。
 
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雨に洗われて緑濃い久賀ダムです。
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手前右側の木をよく見ると、青い実がなっています。
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オニグルミの実です。少し見渡しただけでも、あたりには、オニグルミの見事な大木が何本も生えています。
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このトンボが止まっているのも、オニグルミの葉ですね。
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三郎さんによると、11月頃になれば、熟れた胡桃が採り頃だそうです。
木になっている実をもぎ取るもよし、 落ちている実を拾うもよし、、、とか。
今回の探訪は、 ここまでがプロローグで、このあと素敵な出会いが待ち受けています。
次回の記事をおたのしみに。
 
 
 
 

 


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新しき客人もあり梅雨の入り(あらたしきまろうどもありつゆのいり) [友人]

梅雨入り宣言があったようです。

久しぶりに雨が続き、猛暑がしばしやわらいでいます。

さて今日のカテゴリー「友人」に分類しようか、はたまた「家族」か、それとも「客人」を新カテゴリーとして立てようか、迷いましたが、「ペット」も含めて友人とみなすことにしました。

さて、この川魚は、先日家の近くの用水路で孫と一緒に釣ったもの。モツゴだと思いますが。今も、水槽でくつろいで泳い000でいます。

この水槽と魚にまつわるエピソードを、一昨日の記事にしたつもりでしたが、操作ミスで記事全体が消えてしまっていました。脱力感に打ち勝てませんので、写真だけを「再掲載」します。
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水槽用蛍光灯の光線の加減でしょうか、実際以上に赤みがかって写っていますが、 それにしても、巧まぬ美しさを感じます。


「新しき客人」というのは、そのほかに、このお方。

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妻が、お友達から、今年卵から孵ったカイコを数匹譲っていただきました。

体長3~4cmほどの、思いのほかかそやかな、控えめな大きさの幼虫です。3令(齢)くらいになるのでしょうか?

一番気がかりは、餌の桑の葉ですが、どこにでも自生しているという状況ではありません。

散歩道に一本、小振りな桑の木を見つけましたが、葉をむしり取るのもはばかられます。人口餌もあるそうですが、桑の葉で飼育していたものを人口餌に切り替えることは難しいらしいのです。

窮したあげく、ネットで「食用桑の実」(マルベリー)の苗を購入してみました。本当にこれを食べてくれるかどうか、確信はありません。

ところが、お友達は、カイコと一緒に、数日分の桑の葉と、鉢植えの桑の苗まで、揃えてくださったのです。
これで当座はしのげそうです。

成長とともに、食欲はきわめて旺盛になるそうですが、どうなりますか?

こちらは、今朝の雨に濡れた食用マルベリー。

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故旧相和す刻愉快節分草(こきゅうあいわすときゆかい せつぶんそう) [友人]

大学時代の先輩・後輩の間柄で、大阪、西宮、岡山県北、岡山県南など、あちこちに生活の基盤を持つ同郷のメンバー七人が、落ち合って、故郷の自然探訪を楽しみました。

はじめに美作市河会(かわい)地区のセツブンソウ群生地。盛期は、実際の節分の頃だったそうですが、まだけなげに咲いていました。

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 五弁が基本だそうですが、六弁、八重などの変異もみられます。
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小さな固まりの群生が、そこここにみられます。
盛期には、あたり一面を真っ白な花が覆うのだそうです。
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ほかにも、いろいろな種類の山野草をみることができました。

雪割草。

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アズマイチゲ。10℃を越えないと花弁は開かないのだそうです。
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ユキワリイチゲ

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福寿草
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これは?名前を聞いたのですが、思い出せません。
オウレンでしたっけ?
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湯郷温泉近くでの、心配りの行き届いたコース料理の昼食を挟んで、少し離れた田殿(たどの)地区を訪ねました。

田殿神社(清滝神社)近くのセツブンソウ群生地は、こちらの方が北に位置するせいか、今が盛りといった感じでした。雪花が舞う天候で、節分の頃にもひけをとらない寒さゆえ、むべなるかなとも思えましたが。

 

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キバナノアマナを発見。

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 こんな苔にも春の気配は感じられます。

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近くにある高さ5メートルほどの清滝(きよたき)も、水量が豊富で早春の清冽な気配を漂わせていました。

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私たちの一行の一人Mさんが、自生地そばの「アトリエ清滝」さんと顔見知りである関係から、不躾にぞろぞろとお邪魔した上に、お茶とお菓子までいただいて、くつろいだ歓談の時を楽しむことができました。
開放的な大窓から見える丹精込めた庭と、その先にそびえる山、その麓に位置する田殿神社(清滝神社)。これらの織りなす心安らぐ景観は、四季折々の美しい自然の推移が想像されて、副交感神経の働きを大いに刺激するくつろぎの時間を愉しませてくれました。

ひとまずは、それぞれの職をリタイアし、次のステージでの「未知」の体験に踏み出しているお互いの、微苦笑交じりの近況報告は、身に染みて共感できて、実に愉快なひとときでした。

学生時代には、こんな再会を得る時があろうなどとは考えもしなかったねと、感慨を誘ってくれたセツブンソウでした。

 



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大雨の中を嬉しき宅急便 [友人]

今日は朝から雨で、大雨警報も発令中ですので、おとなしく家の中に閉じこもっています。
窓の外は暗いし、気圧は低いし、気分も体調もからっとしません。
と、チャイムの音がして、宅急便が届きました。
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なんと、高知のNさんが、早速、映画ポスターを送って下さったのです。昨日のメールのやりとりですから、こんなに早くとは思いもしませんでした。
「水濡れ厳禁」のシールとともに、ビニールで厳重にカバーされた丁寧な梱包。頑丈な段ボール箱の中には、さらに厳重な梱包。
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はやる心で、梱包を開きます。.
「更級日記」で少女時代の作者が、おばから物語の数々を櫃(ひつ)に一杯プレゼントされ、「はしるはしる、わづかに見つゝ、心もえず、心もとなく思源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、木帳の内にうちふして、ひきいでつゝ見る心地、后のくらひもなににかはせむ。」と、胸をわくわくさせながら先を読み急ぐ場面をふと思い出したりしています。
先日、このブログで書いたとおり、私がホテルに置き忘れたポスターは、今井正監督「橋のない川」第一部、森川時久監督「若者たち」、山田洋次監督「同胞」、野村芳太郎監督「砂の器」などでした。
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ところが、送って下さった箱を開けてみると、それらの他に、なんと、ジブリ関係の「風の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」「天空の城ラピュタ」「隣のトトロ」をはじめ、貴重な名画のポスターがどっさり。目もくらむようなプレゼントでした。
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ところで、地元の岡山シティミュージアムで開かれていた「山本二三展」が、終了しました。色々な方から好評を耳にし、是非見学したいと思いつつ、機会を逃してしまいました。残念。
山本二三氏と言えば、ジブリアニメの美術監督・背景画作者として知られていますが、「未来少年コナン」が美術監督としてのデビューだったのですね。「未来少年コナン」については、我が子がまだ小さかった頃、職場の先輩のBさんに全巻ダビングして戴いたものを、しょっちゅう見ていました。
てっきり、「風の谷のナウシカ」も山本二三氏の作品と思い込み、 「山本二三展」のお土産に原画をくださったUさんに、的外れなメールを送っていました。汗顔のいたり。

「山本二三」の素敵な原画、ありがとうございます。
私も、30年ばかり前の東京在住時代、帰宅途中ふとビデオショップに立ち寄り、たまたま「風の谷の
ナウシカ」のビデオを、買いました。(レンタルという習慣がまだなかったので、
一万円を超える出費の「大人買い」でした。)
「ナウシカ」については何も知らず、宮崎監督についても何も知らず、もちろん
山本二三さんについても、何の知識も持ち合わせていないのに、たまたま手に取
ったビデオのカバーの絵に惹かれたのでしょうかね?もちろん多少の内容解説も
参考にしたのでしょうが、その時の心境は思い出せません。
でも、子どもたちも、そのビデオ、すり切れるまで見ました。登場人物の台詞も、
宙で覚えて、日常の遊びの会話の中にも登場していました。おもえば、ベータ方
式のビデオでしたから、の地にVHSのものも手に入れたり、何度もテレビ録画し
たりしたのでしょうね。ナウシカをはじめ、ジブリは、やはり特別のクオリティ
を持ったアニメだと思いますし、その価値は原画に負うところ大だと思います。
後略

何も知らぬ私をひきつけた「風の谷のナウシカ」の美術監督は、中村光毅さんだそうですね。「タツノコプロ」を中心に手がけた作品は、なじみ深いものばかり。
錯覚その2。「ナウシカ」は宮崎駿作品ではあるが、厳密には「ジブリ」ではなく、「トップクラフト」の制作。
等、にわかネット検索で、訂正がてら補足しておきます。





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夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて [友人]

「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という啄木の歌が、ことあるたびに念頭に浮かびます。でもそこに、自虐や自嘲の感情が入り込む余地はなく、ただ、感嘆の想いが募るばかりです。この日も、この歌が脳裡を幾たびも駆け巡りました。
この日、高知に一泊で出かけたわけは、学生時代のサークル(教育系の研究サークル)の同窓会に参加するためでした。
1950年代から1970年代まで、50名参加の大盛況で、旧交を温めたり、大先輩の経験談に耳を傾けたり、懐かしい、エネルギー充填のひとときは、瞬く間に過ぎました。
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今回のために実行委員の方が手作りしてくださった、特別製の「歌集」をもとに、次から次へと「歌声」の合唱が響きます。カラオケなんか使いません。伴奏もありません。指揮は、学生時代から音楽面でも「頭角」を表していたS氏。某県の労働組合の役員を歴任し、最近まで、ローカルセンターの議長を勤めました。彼は私とは同期の入学で、専門は栽培漁業でした。学者・研究者の道が向いていると、自他共に認める人でしたが、思わぬ方面で活躍することになりました。
この会の司会を務めて下さったM氏も、同期で栽培漁業学科の出身。彼は、専門の道に進み、某府の栽培漁業センターの所長として活躍、この春退職されました。この会を企画・準備してくださった実行委員のメンバーです。
この会の発起人、兼事務局長、兼裏方の、全てを担って下さったN氏は、文科の大先輩。
高知県を中心に活動する映画配給会社の社長です。会社の創設者だった故鎌倉信一郎さんは、映画『虹をつかむ男』の主人公(西田敏行が演じています)のモデルと言われます。「人口の過疎はあっても、文化の過疎はつくらない。」が持論でした。
N氏は、会社の倉庫に眠っていた往年の名画のポスターを、何種類も会場まで持ってきて下さり、「欲しかったら持って帰ってよい」とのこと。初演当時のまま、美しい保存状態のポスターで、全部欲しかったのですが、遠慮して、今井正監督「橋のない川」第一部、森川時久監督「若者たち」、山田洋次監督「同胞」、野村芳太郎監督「砂の器」などのポスターをget。うきうきして、ホテルまで持ち帰り、ベッド脇に大切に丸めて置いたのです。
ところが、なんと、うかつにも翌朝、出発時にホテルに置き忘れてしまいました。朝の散歩の帰りが、雨にたたられ、沈着さを欠いたせいもあるでしょう。置き忘れたことを思い出したのは、高速バスでほとんど瀬戸内海を渡ってしまってからというお粗末。かなり自己嫌悪というか自己不信です。とほほ。

閉会挨拶をしているのは、高知県議米田稔氏(公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、教育学部中学校課程の出身。学生時代、アパートに泊めてめてもらったり、箱買いのインスタントラーメン(実家からの仕送りらしい)を食べさせてくれたりしました。「ラーメン食う?」という、独特の声音が今も耳に残っています。
英語教師への道を断念して、社会運動に身を投じ、市会議員を経て県会議員を五期勤めています。
ちなみに、7月の参議院選挙で東京選挙区から立候補して見事当選した吉良よし子さんのお父さんが、米田氏の同僚県議の吉良富彦氏。お母さんも、学生時代の年下の友人です。何も私の手柄ではないですが、テレビや新聞で注目を浴びる姿は「キラキラ」まぶしくて、我がことのように誇らしい気がします。

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もう一枚の写真。真ん中の男性は、参加者の一人で、衆院選挙・参院選挙と続けて、愛媛選挙区から出馬して落選はしたものの、得票を伸ばした植木正勝君(これまた公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、小学校課程出身。別項で紹介した「植木正勝が植木枝盛になるに当たっての労働の役割」の筆者です。

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他にも大勢、学術、研究、教育、実業、家庭などの各分野で、「オンリーワンの花」を咲かせている方々の、輝く姿に接することができました。学生時代に顔見知りの方も、そうでない方もいらっしゃいますが、世代の垣根、歳月の垣根を越えて、心の底から打ち解けてくつろぎ、また胸中に熱くみなぎるものをともに感じたひとときでした。語り続け、歌い続けた4時間近く(現実には、開会2時間ほど前には会場に着いていて、何人かと雑談をしていましたから、およそ半日)が、瞬く間に過ぎ、3年後の再会を約してわかれました。
その後、大概は2次会に向かわれましたが、「病み上がり」の私はさすがに自粛させてもらいました。
夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて
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友人が新ブログ始めました。 [友人]

さっき、友人が新たにブログを始めたという知らせを下さり、早速閲覧させて戴きました。
以前、写真「朝の光景」を贈ってくれたHさんです。
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名づけて「春風通信ブログ版」。勝手にリンクを張らせていただきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_ushiroyama_0815
年若い(比較の問題!)「同郷人」ですが、彼の住まいは、岡山県の最高峰「後山」のふもと。
昨日実は、私も小学校の同窓会で郷里に帰っていたのですが、同郷=同一市内とは言っても、後山は遠いです。
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小学校時代の同窓会 [友人]

 お盆の頃といえば、お正月の時期とともに、同窓会の有力なシーズンかもしれません。現に私自身、今年の正月には中学校時代の学年の同窓会があり、今日(8/15)は、小学校の同窓会がありました。
 11時開会、10時集合と、案内に書いてあったのを、私はすっかり見逃して(というより念頭になく)10時半に行けば早い方だろうと勝手に決め込んで、故郷の実家近くの会場まで2時間の道のりを、大阪から帰っている次男に運転を頼んで、10時半前に到着したのでした。
 しかし、会場には誰一人いなくて、しばらくして従業員の方が「皆様は、10時頃集まられて、まずお墓参りに出発されました。11時開会ですので、会場でお待ちくださいとのことです」と、伝言をいただき、唖然。「10時集合」の意味が、やっとわかった次第でした。
 つまり、数年前に亡くなった同級生のA君(これまでの同窓会を、中止になって企画実行してくれていた)と、昨年逝去されたK先生(小学校3年生と5年生、2度も担任していただき、過去の同窓会にも出席してくださっていました)の墓参を、同窓会開会前に実行しようという計画意図を、ほかの友人たちは皆察知して、今実行しているのです。
墓参のことは念頭にありながら、「開会前に実行」という解が全く浮かばなかったうかつさは、私の脳の回路の不全をあかしだてしているようで、恥ずかしいというよりも気をふさがせるに十分でした。
 がらんとした和室の会場で、一人ぽつねんと時間を過ごしておりますと、一人、「Sです」と名乗って部屋の入り口に立つ人がありました。逆光でお顔がはっきりわからなかった、というのは口実で、一瞬脳内の回路が混乱を起こして、とっさの対応を失っていたのです。私は、最近とみに記憶や認知があやふやになりつつあるという自覚はあるものの、さすがに17人の同級生を、見分けられないはずはないという自信はありました。でも、その方を一瞥して、どうにも私の同級生のどの顔とも結びつかないのです。
 私のなかでは長い時間の沈黙があって、その間、おそらく頼りなげに目を空中に泳がせながら、必死で考えを巡らせた結果、至極当たり前の正解に到達したのです。小学6年の担任だったS先生でした。当時20代半ばの、背がすらりと高く、スポーツマンで、美術に秀でた、颯爽たる青年教師の面影が、その姿にも顔立ちにも容易に読み取れるはずなのに、「恩師のご出席」という発想を思い浮かべることができなかったことも、今日二つ目のうかつさでした。
 続けて、女性の参加者が来室。今度は、脳内回路も迷うことなく機能し、小学一年の担任S先生であることを了解し、お二人の恩師と懐かしくよもやま話をしているうちに、一同がそろい、開会となりました。
 地元に住むN君の骨折りで、短時間で準備・実現してくれた計画だけに、種々の事情で出席できない数人があったことは心残りでしたが、懐かしく友好的なひとときを過ごすことができました。
 東京、大阪に在住の級友を含め、地元を離れて各地に暮らす仲間が、何年ぶりかに集まって交流するのに、隔ての距離や時間は、全く瞬間に取り去られる。次第に薄らいだり、長い間思い出しもしなかった記憶や情景が、ありありと蘇ってくる、親密な空気のありがたさ。いわば、自己のアイデンティティの再確認につながる、格別の時間と空間は、得難いものでした。
 同級の仲間は、小学4年生の時に1人、25歳で1人、50代半ばで1人、それぞれ亡くなりました。生きてる間に、また会いたいね。3年後?5年後?毎年?と議論は百出でしたが、近いうちに再度計画することを約して別れたことでした。

自由なる友や何処を旅すらん [友人]

H氏への追悼の思いは、何らか書きとめておかなくちゃと思いながら、気が進みませんでした。
初盆でもあるので、少々メモを残しておきましょう。
ちょっと昔、H氏が中心になって、「平家物語」とか「西行法師」とか「小野小町」とかにちなんだ史跡や碑を探訪する「ツアー」が何度か企画されました。伝承のみで信憑性が定かでない「史跡」もふくめて「眉唾ツアー」と彼は名づけて、老若男女を楽しませてくれました。私は、決して熱心な参加者ではなく、冷やかし半分に、一ノ谷などを訪ねた「須磨・明石の旅」に混ぜてもらって、「明石焼き」を堪能したこととか、炎天下「小町姿見の井戸」(倉敷市)とか、「小町の墓塔」(総社市清音黒田)などの埋もれた「史跡」を、汗を拭き拭き訪ねたことなど、いくつかのシーンが細切れに思い出されるに過ぎません。その旅の企画立案者であり、ツアーコンダクターであり、解説者・チューターであったH氏が、いつも一番楽しそうでした。
運転免許を持たず、車を運転しない、というのは、地方都市の住人としては、奇特な存在でしょう。(そのくせケータイは、持ってましたよね。必ずしも、文明嫌い、便利さ嫌いというわけではないんだ。いやまてよ、懐に扇子と日本手拭い、髭剃りには日本カミソリ、多羅尾伴内を気取るファッションセンス、○万円という高級帽子etc.という志向は、やはり古典派ではありますね。)
車を持たない彼の機動力は抜群でした。20代のある週末、「国鉄」の駅ホームでバッタリ出会い、どちらへ?と聞くと、京都の歌舞伎公演を観にいく途上とか。あの年齢から、歌舞伎趣味でした。東京の歌舞伎座へもひょいと足を伸ばす。前述の歴史探訪も、必ず事前の下見(これが彼にとっては本番?)を欠かさなかったそう。
旅行や遠距離移動は、苦にならなかったようです。用務で県外に出かける機会などあれば、併せて行きたい場所に足を伸ばして来るようなことが、しばしばあったようです。私などは億劫者ですので、点と線の移動で済ませてしまうことが多く、見習いたいと常々感じることでした。
1年余り前の大腸癌の手術後の、療養と抗がん剤治療の期間も、彼は隙を見ては高野山周辺を訪ねたそうで、そのポジティブな行動力には頭が下がる思いでした。
亡くなる直前、お見舞いしたときは、酸素吸入器を自分で着けたり外したりという状態ではあったものの、「重篤な大病」という様子は見て取れず、むしろ回復も間近という風にさえ感じられる気丈さで、それに油断してついつい長居してしまいました。心には密かに、次の旅の構想が広がっていたのかもしれません。文字通り「自由」になった今頃、どのあたりを愉しく旅しているのでしょうか?
病床で、彼は、冗談めかして「遺稿集」に取りかからなければならないと言っていました。目次・構想はあらかたできていて、あとは過去の「書院」(ワープロ)のデータをパソコンの文書に変換しながら、まとめたい。が、痛み止めの注射のせいで、始終うとうとしているので、この眠気と戦ってパソコンに向かうべきか、今は体力の回復を待つべきか悩んでいると、冗談半分に漏らしていました。
私は、「とにかく今はしっかり養生して、体力回復を先行させ、肺炎の治療を成功させて、あと気長に抗がん治療に向かいましょう。気長に、ゆっくりと」等と、当たり障りのない言葉を掛けるしかなかったのですが、まさかそのあと数日にして病態が急変して、帰らぬ人になろうとは思ってもみませんでした。
思い返せば、私の2007年の脳動脈瘤手術のあと、共通の友人であるU氏と自宅に見舞いに来てくれました。見舞う側と見舞われる側が、こんな風に逆転する場面など、夢想だにしませんでした。何しろ、彼の方が2歳も若いはず。お子さんもまだ学生だし、順番が違うでしょ。と、しきりに悔やまれてなりません。
彼の直接の死因は、肺炎。その背景に、転移した肺がんがありました。
彼を見送った4月の時点では、よもや私に、同じ病名が宣告されようなどと、誰が思いつくことができたでしょうか。でも、私のは、まさしく初期でしてね、あなたの苦痛や不安に比べたら、雲泥の差なのですよ。
ただ、病気が病気だけに、侮ることなく、「終活」の心構えだけは整えておきたいのですがね。なかなか、煩悩に勝てません。たとえば、きゅっと冷えたビール!(正確には発泡酒ですがね)
終活を心に期せど酒旨し

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初盆や逢うて寂しき目覚めかな [友人]

今朝方の夢で、久しぶりにH氏と逢いました。
気心の知れた何人かの顔ぶれで、テーブルを囲んで、なにやら座談めいたことをしています。議論が白熱するというわけでもなく、沈滞するというわけでもなく、穏やかに、快い時間が過ぎていました。
いつものように、H氏は、要所要所で緩やかに発言し、気の利いた味のある意見を陳述します。それを、周りもいつもの通りに受け入れ、話題が快く展開していくのです。
「健在そうですね。これなら、また一緒に○○(地名ですが、どこだったか。)へもいけますね。」と私が言うと、周りも同感らしく一様に頷き、H氏自身も、まんざらではない様子。
もちろん私もみんなも、彼が癌で闘病の末、この4月に肺炎をこじらせて急逝した事実を重々承知した上で、そう思っているのです。通夜でも葬儀でも、さらぬ別れを惜しんだばかりなのに、こんなにあっけなく再会がかない、しかも、また以前のように、弥次喜多の旅さえもできそうだと、うれしく思っているときに、目が覚めたのでした。
そういえば、丁度お盆。彼にとっては初盆で、もうこの近くに帰ってきているのかもしれません。合掌  
我が家の宗教は仏教ではないので、盆といっても、これといった特別な日でもないのですが、、、。
初盆や逢うて寂しき目覚めかな
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朝メール [友人]

早朝、美作市東粟倉に住む友人、Hさんから、メールをいただきました。
早起きな人です。出勤前、2時間も3時間も,豊かな時間を使っているらしい。
私の近況を伝えたメールへの返信なのですが、写真を3枚添えてくれました。
題して「朝の光景」
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彼はこの4月から、市街地を離れて山深い故郷に住み、小学校勤務の傍ら、ボランタリズムにもとづく「村おこし」に、「楽しく」とりくんでいる。らしい。
私のPCのジャンク談義に対し、「それに比べ、私のやっている木材を使ったモノづくりは、山の中で切り捨てられて腐る運命のヒノキで丸木椅子をつくって500円や1000円で売ったり、チェンソーででた切りかすまで、不織布でできたお茶のパックにつめて「檜風呂のもと」として50円で売り出したり、と趣味と実益を兼ねています。どうだ、まいったか。」とおっしゃいます。参った参った。
彼も近くブログを開設する予定とか。相互リンクできれば楽しいでしょう。


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