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もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 vol5 [健康]

 この三月で定年退職し、悠々自適の年金生活に入りたいところでしたが、この間の年金制度の改変で、若い頃描いていた老後の設計は画餅に帰してしまいました。年金が満額支給される65歳までは、多少なりとも収入がほしいところ。
 というわけで、4月からは週4日間の限られた時間、非常勤の仕事を始めました。馴れない仕事ではありましたが、生活にメリハリはあって、これもなかなかよかろうかと思っていた頃でした。非常勤ながら,職場の健康診断を受診させていただきました。ここ何年か、頻繁に人間ドックも受けてきているので、特別な意識もなく受けた検診でしたが、「レントゲンの異常」を指摘され、精密検査の受診を指示されました。
 半信半疑で受診した精密検査、レントゲンではとくに異常は見られないが、「念のためCTを受けておきましょうか。これで何もなければ安心ですから。」と、CTを受けたところ、画像に、影があります。「職場の検診では、よくぞ見つけてくれましたねえ」と医師が感心するほどラッキーな早期発見でした。
 こうして、急遽入院手術の運びとなりました。
 「禍福はあざなえる縄のごとし」「人間万事塞翁が馬」2007年の手術の時に、身にしみて感じた格言でしたが、今度も改めて密かに口ずさんだことでした。
 ラッキーとアンラッキーは紙一重、というよりも、幸いは災いの元にして、災いは幸いのもと=裏表一体の関係にあるものらしい。仮に悠々自適の年金生活を楽しんでいたならば、職場検診を受けることもなく、今回の早期発見もなかったでしょう。これが現役時代の昨年までだったなら、精密検査指示を受けても多忙を理由に先延ばしにし、対処が遅れていたかもしれません。
 ジャストタイミング、ベストタイミングに、やれやれと胸をなで下ろすばかりです。
 皆さん、検診は受けましょう。再検査指示には素直に従いましょう。(つづく)
 
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もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 vol4 [健康]

今年の一月末、脳動脈瘤手術後の経過観察のMRIは異状なし。五年間再発がないので、一般的には完治と見なせるレベルといいます。だが、主治医=執刀医(カテーテルによる手術なので、メスは使いませんでしたが)は、レアなケースなので、あなたの任意ではあるが、病院としてはもうしばらくフォローしたい旨おっしゃいます。
 地元の総合病院から紹介をうけ、、大阪にある高度医療機関で手術をしていただいたので、自宅からは新幹線等を乗り継いで、多少時間のかかる遠隔地。ですが、ここで見放されるのも不安ですので、今後ともよろしくとお願いしたのでした。
 こんなにとんとん拍子でいいのだろうかといぶかりながら、身の幸運をかみしめたことでした。(つづく)

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もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 vol3 [健康]

 正月の中学校の同窓会での出会いを機に、今度は夏にでも、小学校の同窓会をやることになりました。
 これまで、世話役として面倒を見てくれていたAくんは、2007年に逝去され(私の2007年問題の当事者です)、それ以降、同窓会実施の希望は持ちつつも、ずっと頓挫していたのです。
 私たちの小学校は、とっくに廃校になっていますが、私たちの学年は、17人の一学級編成でした。「二十四の瞳」ならぬ「三十四」の瞳です。その、濃密で親密な少年時代が、私たちの人格形成の深い部分を支えていると、誰もが異口同音に述懐します。
 この間、小中高を問わず、多くの学校が統廃合され、地域の文化の拠点がどんどん消滅し、子どもたちと故郷とのつながりも、どんどん希薄になってきています。予算削減・リストラ目的の統廃合だろうと質しますと、行政当局は、「少人数では活力がなくなるから」などとおっしゃいますが、私たちの少人数の学校は豊かな活力を湛えていたように思いますがね。
 中学同窓会の翌日、静岡県在住のTくんと二人、Aくんの墓参をしてきました。山道を歩くのは、少々捻挫に響きましたが、心残りが晴れました。
 A君の墓石と正面で向き合うように、谷を挟んだ山の懐に、小学校時代の恩師K先生のお墓がありました。昨年亡くなられたと聞きました。気がかりだったその墓参もできました。K先生は、3年生、5年生と2度にわたって担任していただき、勉学はもとより、山登り、川遊び、グランドでのボール遊びと、とにかくよく遊び、遊びと生活の中で人としてのマナーやルールもしっかり身につけさせていただきました。感化を受けた者も多く、そのせいもあってか、教員になった同級生も多いかもしれません。今回の同窓会にお招きできないのが残念ですが。
 その同窓会が、目前に近づきました。地元在住の友人が、着々準備してくれました。私も手伝う心づもり十分でしたが、急な入院手術騒ぎで、すっかりお任せしてしまいました。
 今の体調なら、きっと出席できるでしょう。(つづく)
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もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 vol2 [健康]

正月早々、散歩道で転倒した心理的衝撃と、肉体的苦痛のために、半ば苦笑、半ば苦悶の表情の私は(目撃者はいないので,証拠はないですが)、その姿勢のままじっと動けずにいましたが、やっと足先に感覚がもどって恐る恐る動かすことができることを確認して、片足を引きずりながら家に引き返しました。
医療機関もさすがに三が日は休診ですので、2・3日後に見てもらいましたら、レントゲンによると骨折ではないが、くるぶしあたりの関節に大きく隙間が空いている。靱帯が伸びたのでしょう。スポーツ選手だと即手術、普通にはギプスで固定というところですが、痛がり方がそれほどでもないので.古い怪我のあとかもしれません。とりあえず湿布とテーピングで様子を見ましょう。ということでした。
松葉杖も特に必要なし。元々私には、2007年の脳動脈瘤の後遺症で、足を引きずって歩く癖があったので、hはたから見るとこのねんざは気に止められる程のものではありませんでしたが、本人的にはかなり痛い新年でした。
 そんな一月のはじめ、故郷で、中学校の学年の同窓会がありました。卒業以来、一度は実施されたのですが、私は個人的都合で出席できませんでしたから、卒業以来の出会いという友人も少なくありません。物故者となった数名を追悼し、すぐに四十数年のタイムスリップ。懐かしい時を過ごしました。動脈瘤の経験と新年の転倒事故を打ち明けると、大いに同情されたことでした。(つづく)

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もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 [健康]

 今話題の2013年問題とは、2013年4月以降、60歳の定年で退職する人には、給料も年金受給もない収入の空白期間(無収入・無年金)が生じるという問題です。私は今年61歳ですから、比例報酬部分はかろうじて支給を受けていますので、上記の問題の直接の該当者ではありません。
 私の2013年問題は、別にあります。2013年の正月(正式には1月2日)、私は、「退職」という人生の区切りに当たる今年の幕開けをすがすがしく迎えたいと、早朝の散歩に出かけました。
 家の玄関を出て、大きく深呼吸をしていつもの散歩道に足を踏み出したその時です。そこは芝草の生えた土手道で、少々下り坂になっているのですが、表面に霜がおりて白く輝いているのに気がつきました。いや、ふと気がついた気がしたまでで、次の瞬間には、足を変な具合にねじった状態で、滑り転んでいたのです。

私の「2007年問題」 病気自慢その1 [健康]

 同年代の親しい者同士が寄ると、病気自慢に花が咲きます。
 私も、若い頃はほとんどお医者さんには縁がなく、医療費を使わなかったご褒美として、健保組合から折りたたみ傘とか、健康器具とかの記念品を、何度かいただいた記憶があります。結婚して子どもができると、伝染病やら怪我やらで、自然と、お医者さんにかかる機会も増えましたが、私自身は依然として、小さな風邪や虫歯の治療などが年に1~2回あるかないかのレベルでした。
 それが、いつの頃から大小取り混ぜてたくさんの病名をもらうようになりました。肝嚢胞、脂肪肝、十二指腸潰瘍、胃潰瘍、高血圧、血液検査の異常など、検診毎に色々指摘され、経過観察で過ぎてきたものもありますし、精密検査やら治療指示を受けた病気もあり、年齢相応の病気体験を重ねてきました。なかでも 極めつけは、2007年の暮れの未破裂脳動脈瘤の手術です。
 ご記憶の通り、当時「2007年問題」が騒がれました.もちろん団塊の世代の大量退職という社会問題を意味しますが、私には、もう一つの「2007年問題」がありました。
 その年の、1月1日に、飼い犬が19歳で天寿を全うしました。人間に換算すると90歳あまりと言われる長寿で、家族皆、覚悟はできていましたが、喪失の痛みはぬぐえませんでした。
 そして、夏には敬愛する先輩が退職まもなく癌で亡くなりました。新任の地での同僚(先輩)で、独身時代、飲み屋や互いの下宿その他で、夜昼ない交流を重ねたものでした。私の結婚式では、無理に司会をお願いした間柄でもありました。
 相前後して、幼なじみの同級生が病のため死亡しました。私のアルバムには、小学校入学式の日でしょうか、今ではとっくに廃校となったその小学校の校門の前で、彼とツーショットで写った写真が貼ってあります。
 何か、この世とあの世の境目が隣り合わせに感じられる気がする出来事が重なったその年の秋、私自身、前々から経過観察していた脳動脈瘤が、放置できない状態に肥大しているということで、手術に踏み切ることになりました。
 実はこの病気は、たまたま、必要があって3分間写真で顔写真を撮りましたら、どうも左目がふさがった状態で映るのが気になって、眼科に相談にいってみたことがきっかけで発見されました。花粉症のせいか、あるいは又、眼瞼下垂かという予想を立てておりましたが、医師は、眼科の領域外の病気も疑われると、脳神経科か神経内科への受診を勧めて下さり、紹介状も書いていただきました。それを持って総合病院の神経内科を受診すると、念のためにということでMRIの検査を受けました。その結果、動脈瘤が目の神経を圧迫しているらしいということになり、脳神経外科にかかることになりました。 
 ところで、脳動脈瘤というのは簡単にいうと脳の血管にこぶが出来るわけですが、多くの場合は、二股に枝分かれした箇所の弱い部分がふくれるもので、これは破裂しやすいが、発見さえできれば治療方法も確立していて、手術の成功率も高いようです。私のは、それとは違い、紡錘型といってちょうど古い水道ホースの痛んでいる部分がぷくっとふくれるように、血管本体がふくれているものでした。それが、椎骨という、脳幹・延髄などと近接するデリケートな部位にできているので、直ちに破裂ということは考えにくいが、治療も困難だということでした。手術する場合としない場合のリスクを照らし合わせて、急に大きくなるようなことがなければ様子を見ていきましょうと、数年経過観察をしてきていたのです。
平衡感覚を司る延髄を、瘤が圧迫していることから、自覚症状としては、ふらつき、めまい、手足のしびれ、二重視などに悩まされました。直ちに生命の危険を伴うものではないが、このまま緩慢たる死に近づいていくのかという不安も、抑えがたいものがありました。
 そのようなとき、MRI検査で、本来ボールペンの先ほどの細さの血管が、直径3cmほどへと急に肥大してきていることが確認されたので、緊急に手術という運びになりました。
 11月に入院し、クリスマスの頃は集中治療室で過ごし、正月はほぼ寝たきり状態で迎えました。
 瘤のできている血管の両端に、カテーテルを用いてコイルを充填して血流をせき止めるという最新の手術で、ダメージも少なく、手術は基本的に成功しました。ただ、瘤の肥大によって、延髄など、周辺の、神経が密集している部分がかなり圧迫を受けて変形しているため、その影響は一定残るだろうということでした。また、手術の際に血栓が飛んで、軽い脳梗塞も起こったという影響もありました。ふらつき、平衡感覚の乱れ、ものが二重に見える、手足が麻痺して自由に動かない、ものが飲み込みにくい、嚥下障害と密接に関連があるらしいのですが、思うように発声ができないなどの症状がありました。
 手術後のリハビリでは、作業療法士の先生の指導でまっすぐに線の上を歩く練習、ふかふかのマットの上でバランスを失わないで立つ練習、指先をつかいこなす練習(箸でおはじきを運んだり、それが大豆になったり、リングを棒に通したり)、指先のつまむ力や、握力をつけるための筋トレ、言語聴覚士の先生の指導により発声練習などを続けました。 私たちは加齢とともに、「以前できていたことができなくなる」という経験を重ねてきましたが、リハビリの過程の中で、「できなかったことができるようになる」という喜びを、改めて味わうことができたのは、久々のうれしい体験でした。
 昨年末で、手術後5年が経過して「完治」と見なせる段階にあり、身体的な違和もほとんど緩和していますので、私の「病気自慢」は、今では皮肉なことに鼻持ちならない「健康自慢」の響きを帯びてしまいます。失礼!
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これでまた病気自慢に箔がつき [健康]

自身の備忘のために古い記事を掲載しておきます。

開票速報見ながらの夜更かしでしたが、熟睡できました。
選挙結果も、自民圧勝はいただけませんが、対抗の受け皿がほかになく、共産党への期待につながったというのは、わかりやすくて大変結構。
東京の吉良よし子さん、キラキラしていてまぶしいです。学生時代、この人のお母さんは、私たち夫婦の共通の友人でした(もちろん、みんな未婚でしたが)。

さて、私は、今日の午後入院、明日が手術です。
明易や さも遠足の朝のごと
入院手術を前に、日常から非日常へ足を踏み入れるわくわく感を覚えている、なんて言うと不謹慎で罰が当たりそうですが、強がりばかりでもない、不思議な心境です。(7/22記)


昨日は丑の日でしたか。入院の初の食事に鰻の蒲焼き二切れが供されました。明日に向けて暫し絶飲食ですから、噛みしめていただきました
入院の祝いか土用鰻かな
夜はにわか雨、明るい満月、ひっそりとした夜景と,病室の窓はの外は様々な表情を見せてくれました。

病室の窓一面に朝焼ける(7/23記)


昨日の手術は約4時間かけて無事終わりました。といっても,私が覚えてえいるのは、手術室に入って麻酔の注射を打ってもらっている場面と、「終わりましたよ」と看護師さんに呼び掛けられた場面だけ。間はぐっすりねていました。
医師によると内臓脂肪が邪魔で苦労したが、手術は大成功。すぐに退院できるだろう、とのこと。

またひとつ拾うたいのち夏の宵

あれこれの管や機器に縛りつけられた窮屈な「重症患者」の一夜が明け、今朝は、胸の患部に挿入した管を抜き、尿をとる管も抜き、点滴だけの自由な体になりました。たち歩きも、もうできます。回復順調で、この調子だと、退院も早い、とのこと。

あっけないと言うてはあかん罰当たる(NHKぼやき川柳もどき)(7/24記)


最短記録で明日にでも退院できる見とおし。さすがに傷口の痛みは、夜中には気になりますが、昼間は平気、病室の窓越しに見下ろすと、なにやら人だかり、、、朝のラジオ体操でした。
見下ろせば路地裏にラジオ体操の夏(7/25記)

昨夜は、痛み止めを使わないで眠れました。
朝の散歩で廊下を歩いて見ると、さすがに息切れはするし、痛みや突っ張りががあって自分の体じゃないみたい。そのうち慣れるでしょうけれど。
入院中、用意してきたものの多くを、使わないまま持って帰ります。本も、何冊も持って来たのに、一ページもめくることがありませんでした。学生時代の長期休業明けの心境でしょうか。あと、落語のcd,dvdは、有用でした。
それに引き換え、テレビは、番組表もなしに漫然と眺めていると、退屈しごく。

何となく心残してシャバに出る

シャバが変換できません。(7/26記)

これでまた病気自慢に箔がつき





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