2月の鳥、の巻 [Nature]
師走の岡山後楽園(4)の巻 [Nature]
師走の岡山後楽園(3) [Nature]
師走の岡山後楽園(2)の巻 [Nature]
師走の岡山後楽園、の巻 [Nature]
いよいよ、カモカモエブリバディ.の巻 [Nature]
こんな記事を書いたのは、去年の今頃でした。
またまたカモカモエブリバディ、の巻(2020-11-05)
うまいタイトルを思いついたと思ったら、2番煎じでした(汗)
カモカモエブリバディ、の巻(2020-02-02)自宅近くの用水路に、今年もコガモが姿を見せてくれています。
(後略)
いやそれどころか、もっと古い記事にも、、、。
小春日の出会い、の巻(2017-11-28 )いつものように、コガモの群れが小川に寛いでいます。
(中略)
カモカモエブリバディ、などと寒いシャレを口走ったりしています。これはまずい、もっと斬新なタイトルはないかと頭をひねるうちに「カモン ベイビー ---」はどうだろうと思いついて悦に入っていたら、実は前掲のカモカモエブリバディ、の巻の記事への、momotaro様のコメントに
>カモンベイビーアメリカなんて変な歌が流行ってましたけど
>カモン鴨、鴨、鴨
>の方がいいですねぇ!といただいておりました。そんなこともすっかり忘却の彼方でした。なさけない、、、。
まったく二番煎じです。
二番煎じといえば、こんな記事も書きました。
五番煎じの半夏生、の巻(2017-07-02)
それにしても、時々過去記事を見ていると、二番煎じ三番煎じが重なり、ネタ切れ状態を痛感するところです。
「二番煎じ」で思い出しましたが、落語の題材にありますね。火事は江戸の華といわれるように、大火が絶えないので、商家のだんな衆が交代で、火の用心の巡回をします。ウィキペディアから、あらすじの引用です。(前略)厳しい寒さに耐えかねて横着をきめこみ、手を出したくないので懐の中で拍子木を打ったり、冷えた金棒を握りたくないので紐を腰に結わえて引きずって鳴らしたり、提灯を股ぐらに入れて暖をとったりする。「火の用心」の掛け声を試行錯誤しているうちに謡のようになり、新内節のようになり、端唄をうたっていくうちに、遊び自慢の雑談になってしまう。
組が交替となり、最初の組が番小屋で火鉢を囲んで暖をとっていると、ひとりが栓をした一升徳利(ふくべとも)を出してくる。中には酒が入っており、皆に勧める。夜回り中の飲酒は禁止されていたが、「これは風邪の煎じ薬だ」と皆でうそぶき、燗をしてこっそり飲む。「苦い風邪薬の口直し」としてししの身、味噌、焼き豆腐、ネギなどが用意され、しし鍋を作るに至り、即席の酒宴になる。
その時、番小屋を管轄している廻り方同心が、外から小屋のにぎやかな声を聞きつけ、「番! 番!」と呼ぶ。酔っ払った旦那衆は最初「野良犬が吠えている」と勘違いしたが、戸を開けると侍だったために大きくあわてる。旦那衆のひとりは火鉢の鍋の上に座って鍋を隠すが、酒は隠しきれず、同心にただされる。旦那衆のひとりが「これは酒ではなく、煎じ薬だ」と言うと、同心は「身共もここのところ風邪気味じゃ。町人の薬を吟味したい」と言って酒を口にし、「うむ、結構な薬だ。もう一杯ふるまわんか」。結局同心は鍋も目ざとく見つけ、鍋も酒もすっかり平らげてしまう。旦那衆が「もう煎じ薬がない」と告げると、同心は、
「しからば、いま町内をひと回りしてまいる。二番を煎じておけ」
さはさりながら、今日の記事では、どうしてこのタイトルが捨てられません。
というのも、NHK朝ドラが、今日から新しいお話に変わりました。
NHKのサイトから少し引用します。
https://www.nhk.or.jp/comecome/
【物語】
1925〔大正14〕年、日本でラジオ放送が始まった日、岡山市内の商店徒iにある和菓子屋で、女の子が生まれた。名前を安子(上白石萌音)という。あんこの甘い香りに包まれたあたたかい家庭に育った安子は
、ずっと家族との幸せが続くことを願ったやがて戦争の足音が近づくなか、さまざまな試練が安子に 舞い降りる。
けれど、ラジオ放送開始からまもなく始まるうジオ英語講座との出会いが、安子の未来を切り開いていく。(以下略)
確かに、1925〔大正14〕年といえば、こんなできごとが続いた年でした(wikiより抜粋)
1月3日 - イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言。
2月19日 - 政府、衆議院に治安維持法案を緊急上程。
2月20日 - 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)再建。
4月22日 - 治安維持法公布。
5月1日 -活動写真フィルム検閲規則、内務省令で発令。
5月5日 - 普通選挙法公布。25歳以上の男子に選挙権付与。
5月30日 - 上海で五・三〇事件。
6月2日 - 五・三〇事件対応のため日米伊の陸戦隊が上陸。
7月18日 - アドルフ・ヒトラー『我が闘争第1巻』公表。
7月31日 - 加藤高明内閣、内閣総辞職。辞表を奉呈。
8月2日 - 加藤内閣、憲政会単独で組閣
9月18日 - 帝国議会議事堂全焼。
11月9日 - アドルフ・ヒトラーを保護する組織としてナチス親衛隊設立。
12月1日 農民労働党結成、即日結社禁止。
翌年大正が終わり、戦争三昧の昭和へと進んでいく時期ですね。現在94歳で、一月ほど前から入院中の父が、植民地だった朝鮮北部で生まれたのも、昭和の初めのちょうどこの頃でした。そして、終戦を迎えるのが18歳の頃。書きかけの「自分史」のメモにその頃の記事があることを、留守中の部屋を整理していて見つけました。
さて、朝ドラの話題に戻ります。NHKのサイトからの引用を続けます。
【タイトルに込めた想い】
かつて終戦直後の日本を席けんした平川唯一(ひらかわ・ただいち)講師のNHKラジオ英語講座・通称
「カムカム語」のオープニング曲のタイトルです。「証誠寺(しようじょうじ)の狸囃子(たぬきばや
し)」のメロディーにのって、「カム♪カム♪エヴリバティ♪~」の歌が始まると日本中の子どもからお年寄りまでくぎづけになり、明るい声に励まされました。そこには。戦争の重苦しい日本を「明るくしたい」という平川講師の願いが込められていました。「カムカムエヴリバティ」の合言葉は、今を生きる私たちの未来をも切り開くパワーワードになる!と願いを込めて、タイトルにしました。
【平川唯一さんについて】
1902〔明治35〕年一1993【平成15】年.
岡山県上房郡津川村〔現在の高梁市〕出身。終戦後ま
もなく放送されたNHKラジオ英語講座「英語会話」(1946-1951)、通称「カムカム英語」の人気講師で「カムカムおじさん」と呼ばれていた。戦後の日本を明るくしたいという願いがこめられたラジオ英語講座「カムカム英語」は、証城寺(しょうじょうじの狸囃子(たぬきばやし)」のメ ロディーにのせたオープニングで人気を獲得し、ブームの火付け役ともなった英語遊び(家族の情景を描いた英語ラジオドラマ)で英語を楽しく学んだ。全国でファンクラブが設立され、日本中に英語ブームを巻き起こした。
郷里にいささか縁がある物語ですので、なりゆきが見守られます。
ところでこの作品、藤本有紀さんの作。
【プロフィール】 連続テレビ小説「ちりとてちん」(2007)に続き、連続テレビ小説2作品目の執筆となる。近松門左衛門の傑作誕生秘話を描いた木曜時代劇「ちかえもん」(2016)で第34回向田邦子賞を受賞。その ほかNHKでは、大河ドラマ「平清盛」(2012)、土曜ドラマ「夫婦善哉(めおとぜんざい)」 (2013)、土曜時代ドラマ「みをつくし料理帖」(2017)など多数執筆。近作に8Kスベシャルドラ マ「浮世の画家」(2019)がある。
思い返せば「ちりとてちん」は、私にとっては、この年、脳動脈瘤手術のために入院していた病院で毎日見ていた「朝ドラデビュー」の作品です。そのあたりの事情はこの記事に書いていました。
早とちり、知ったかぶりは掻き捨てに、の巻(2015-06-03)
「早とちり、知ったかぶり」は、落語の世界でも定番中の定番でしょう。
「早とちり」の最たるものは『粗忽長屋』。浅草観音前で行き倒れになっている死体を見て、長屋の熊五郎だと早とちりした八っつあん。早速長屋に飛んで帰り、みんなに知らせます。当の熊さんにも。
熊さんは、「人違いだ。俺は生きている」と反論しますが、八っつあんに「粗忽者だから自分が死んだことにも気が付かないんだ」などと諭されて、納得。自分の死体を引き取りに八っつあんに付き添われてへ向かいます。
死体を検分した熊さんは「これは間違いなく俺だ」と主張して、周囲の人があきれて止めるのも聞かず、八っつあんと二人で死体を長屋に運ぼうとします。
シュールで可笑しいのはこのセリフ。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」
「知ったかぶり」といえば、江戸落語では『酢豆腐』、上方落語では『ちりとてちん』。いつも知ったかぶってお高くとまった若旦那に、腐って酸っぱくなった豆腐を「珍味」とだまして食べさせるという、同趣旨の噺です。
この記事 やこの記事に内容の詳しい紹介があります。
『ちりとてちん』は、同名のタイトルでNHKの朝ドラになりました。NHKのこのサイト や、wikipedia のこの記事参照。
ところで、ちょうどこの朝ドラが放送されていた頃、私は脳動脈瘤手術のための入院で、ベッド生活をしておりました。思えば、わたしの「朝ドラデビュー」はこのドラマでした。
そう言えば、柳家小三治師匠(十代目)が最近亡くなられ、その追悼番組などで、『粗忽長屋』の一幕が彼のオハコとして紹介されるのもゆかしい限りです。
とりとめもなく話がわき道にそれます。
カモにちなんで、自然環境体験公園のカルガモを載せます。
父の入院やら、総選挙やらで、季節の推移を味わういとまもなく日が経ちました。
総選挙は、安部=菅内閣への審判は肩すかしでかわされて、海のものとも山のものとも知れぬ岸田化粧直し内閣を、判断材料も示さずに採点せよとの奇襲の無理難題。さすがにTVや雑誌を騒がした失言居士や非行人士はしかるべく淘汰され、余りにも人をおちょくった甘利幹事長は相応しい審判を受けましたが、全体としては、思いもかけぬ自民党の「絶対安定多数」獲得とは、何という冗談か?加えて、政権与党公明党の議席増と、さらにはれっきとした補完勢力「維新」の4倍化躍進とは、目を疑いますなあ。改憲志向、民主主義抑圧が骨身にしみこんだスタンドプレイ政党の、どこが人心を掴むのでしょうか。解せませぬ。
事ほど左様に、人生不可解!いや、人の世は不可解ですなあ。
ですが、行きつ戻りつの紆余曲折はありつつも、歴史の歯車は、呵責なく前へ進むのに違いありません。宮本百合子が「八月十五日の正午から午後一時まで、日本中が森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった」(「播州平野」)と厳かに書き留めたように、非道と暴虐に圧倒し尽くされているかに見える時代も、音なくページをめくられる時を迎えるに違いありません。
現に、前例のないような気候変動のもとでも、例年のように、少しずつ紅葉が進んでいます。
ガマズミの実も赤く熟しています。
ジョウビタキを見るようになりました。
今日はこれにて。
金木犀と秋桜、の巻 [Nature]
毎年のように、キンモクセイの開花を記事にしています。
たとえば、古いところではこんな記事。
秀野忌や今朝木犀の香に気づく(2014-09-26)
滅多にないことですが、たまたま、最近、時間つぶしのために書店に立ち寄り、何気なく手に取った本が山本健吉著 「定本現代俳句」でした。そして、滅多にないことですが、久しぶりに、古本でない本を、通販でなく街場の書店で買って帰りました。
今朝、起きて、玄関を外に出ると、濃密な甘い香りが、馥郁と漂うておりました。
2~3日前から、ちらほらとキンモクセイのツボミが色づいてきたことには気づいていましたが、今朝は、一気に香り立ち、天下に存在をアピールしておりました。
例年は、10月の始めに開花という記憶があったのですが、今年は少し早いのでしょうか。
昼間の間も遠慮なくふんだんに香っていましたが、夜になっていっそう香りが増したように思えます。
明るいは七難隠す秋の水(2016-09-27)
昨日あたりから、玄関先に甘い香りがただよいます。
もう、キンモクセイの季節か、と感慨が募ります。
私の中では、キンモクセイというと10月2日頃に咲き始める花という印象があります。しかし、過去記事を見ても、9月の後半には咲いていて不思議はないようです。
去年の◇キンモクセイに誘われて、の巻(2015-10-03)の記事に、こんなことを書きました。キンモクセイが香る頃に、思い出すシーンがあります。
思えば、30年余も昔の初冬の早朝でした。
このシーンがしばしば思い出され、のちに、こんな短歌を作ったことがありました。Iさんを偲ぶ
なお暗き冬の未明の全戸ビラ
足音朗らに君は駆けゆく
朝ビラに遅れし我を待ちてある
君は足踏みしつつ手を振る
えいえいと息はずませて
階段を駆けのぼりてはビラ配る君
明け初めし街に木犀薫りいておはようの声弾むビラ入れ
「君」というのは、教職員組合の責任ある部署で、八面六臂の働きを精力的に推し進めておられるさなか、45歳の若さで急な病に倒れ、帰らぬ人となったIさんの、ありし日の姿です。
たまたま、東京での住まいがご近所でしたので、時に、出勤前の早朝など、打ち合わせて近くの家々へのビラ配布をおこなうこともありました。
まだ若かった私は、早起きが苦手で、約束の刻限に遅れて集合場所に駆けつけることもままありました。そんなある朝の、なおまだ暗い街角で、どこからか薫ってくるキンモクセイの香りが、今も鮮烈に浮かんでくる気がします。ビラ配りをしたこの朝は、息が白く曇り、ともすれば手がかじかんで、ビラを一枚一枚めくるのも難儀をするような寒さだったような記憶があります。それに引き替え、今日の気温は、真夏名もの30℃に迫る勢い、久々に晴れたのは結構ですが、暑さのぶり返しに閉口します。
最近もこんなことを書いています。
10月の真夏日、の巻(2018-10-07)
蒸し暑いはずで、昨日は33℃もあったそうです。10月なのに「真夏日」でした。今日もまた、気温がうなぎ登り、最高気温29℃でした。辛うじて「夏日」というわけですが、秋冬モードに移行中の身体には、結構辛いです。遅ればせに、キンモクセイの香りが、ようやく感じられるようになりましたが、せっかく咲いた花もこの暑さに驚いていることでしょう。
キンモクセイ薫る、の巻(2019-09-28)
朝、玄関のドアを開け、新聞受けをのぞかんとした折に、ほんのりと、あまい薫りを感じました、見あげると、強剪定のために貧相な枝振りとなった塀際のキンモクセイが、それでも律儀に花を咲かせていました。
こうしてみると。その年その年によって、開花にはかなりの幅があるようですね。 今年も、ようやく昨日、香りに気づき、よくよく見てみますと、遅ればせにも咲いておりました。さすがに、10月末の開花はかなり 記録的に遅いのではありますまいか?
実は昨日は、父が入院している医院から、父の容態に変化があ、総合病院での専門的診察が望ましいと、紹介状を書いていただき、一週間あまり前に退院した基幹病院まで、もう一度車で連れて行くことになりました。最悪の場合は再入院もありうるかと、覚悟はしていましたが、検査・診察の結果、重篤なレベルではなさそうで、もとの医院に帰ることができました。元通りとは行きませんが、体力気力とも少しずつ回復しつつあるようで、嬉しい思いとともに、日暮れてから帰宅した時、モクセイの香に気づいたのでした。
異変は、キンモクセイの開花にとどまらず、この花にも現れています。
秋桜というとコスモスの漢字表記を思いつきますが、これ、今日の散歩中に見た秋の桜です。「十月桜」など、もともと秋に咲く桜は知っていますが、この花は、この春も散歩者の目を楽しませてくれた桜並木の、ソメイヨシノの枝に咲いていました。
気候変動。抑えるすべを、本気で考えなければと、強く感じます。これは、目下真っ只中にある総選挙の重要な争点の一つでもありますね。
今日はここまで。
8月終わりの鳥日記、の巻 [Nature]
M師から「セイタカシギとアオアシシギ」観察の鳥情報をいただいたのが先週でした。周辺地理の写真も添えてくださっていました。私の住居近くの田園地帯とのことで、あらましの位置関係をイメージしたうえで、最寄りのコンビニに駐車して、りょっくを背負って徒歩で攻めてみることにしました。ウォーキングの歩数も稼げて一挙両得と、皮算用したのです。8月27日(金)の朝でした。でも、九時を過ぎるとことのほか厳しい日照に、めまいを催しながら、2~3kmも歩いたでしょうか?でも、芳しい出会いを得ることはできませんでした。
成果と言えばこのトンボくらいです。ウチワヤンマにしてはウチワの部分が小さい気がします。タイワンウチワヤンマ(台湾団扇蜻蜒)かも知れません。
鳥と言ったら雀の群れぐらいしか見つけられません。すごすご引き上げたのでした。
が、M師の情報をもう一度検討し直してみましたところ、早とちりだったかも知れないと思い返し、今日再チャレンジしてみました、今日は車で前回の位置をさらに先まで進んでみましたら、どうやらそれらしい場所を見つけることができました。
贅沢な出会いがありました。
イトトンボ。
ツグミムクドリ?
ハクセキレイ。
そして、、、、
セイタカシギ???興奮しました。
政界のニュースは、二階幹事長交代か?総裁選は菅か 岸田か石破か、はたまた安倍直系を辞任する高市か???みたいなことで湧いてますが、私、しらけてます。国民の多くもそうだと思います。
今日はこれにて。
綿柎開、の巻 [Nature]
ブログのカテゴリーに、Nature(自然)というものを作っておりますが、確かめてみますとわずか11記事しか書いてません。能書きが多くて、あちらこちらに話題が広がるせいで、「自然」に限定した話題にならないせいと見えます。
ですので今日は、もっぱら自然をテーマに書くことにします。
二十四節気で「処暑」と呼ばれる候となりました。
「処」は落ち着くという意味で、残暑も峠を越え、朝夕は涼しさも感じられ、虫の声にも秋の気配が漂う頃とされます。その「初候」を、「綿柎開(わたのはなしべひらく) 」と呼ぶ由。
「実用日本語表現辞典」
URL http://www.practical-japanese.com/
にはこうあります。
綿柎開
読み方:わたのはなしべひらく
七十二候の一つ。二十四節気の処暑の初候にあたり、8月23日~8月27日ごろに相当する。季節は初秋。綿柎開は、それ自体としては「綿を包む咢(がく)が開く」などといった意味。また、処暑の次候は「天地始粛」と言い、末候は「禾乃登」と言う。なお、綿柎開は「略本暦」における呼び名であり、元となった中国の宣明暦では「鷹乃祭鳥」と呼ばれ、「鷹が捕らえた鳥を並べて食べる」などといった意味である。
ワタの花については前回話題にしましたので、今日は省略。
長い雨の間、梅雨時期のような涼しさでしたが、雨が上がると蒸し暑さがぶり返しています。でも、目に映るものは、真夏とははっきり変わってきています。
夕焼け(8/20)。
久しぶりの自然環境体験公園(8/21)
シオカラトンボ
ギンヤンマのペア
あれほど盛んだったクマゼミの勢いがやや衰えて、、、
今を盛りと声をふり絞って鳴くのは、ツクツクホウシ。
カイツブリ。
背中の方にいるのは雛?
こちらは、若鳥のようです。
コサメビタキかな?
シモツケソウ。
今朝(8/24)の散歩スナップ。
今日はこれにて。
といったん書き終えましたが、思い直して、ワタの花を付録でつけます。
おしまい。
山笑うか滴るか、の巻 [Nature]
「山笑う」は春の、「山滴る(したたる)」は夏の季語だそうです。清らかな緑が山を覆い、まるで水が滴っているように瑞々しい、という情景を指すようです。
今の時期、山の気配が日々移り変わっていく様子を、自動車運転中の窓越しに眺めやるたびに、写真に残したい思いが募ります。なかなかそのチャンスがないままに、新芽→ツボミ→花→蘂と移り変わる桜の装いも、それを包み込む山全体のパステルカラーの彩りも、今ではすっかり、「新緑」と呼ぶのが相応しいような風情に変容してきています。
夏の季語「山滴る」が、そろそろ当てはまりそうに思うのですが、お天気の方は、またまた寒さがぶり返し、適応に苦労します。すくすくと育っていた畑のジャガイモの芽も、4月になって霜にやられ、この何日かの追い打ちでまたまた無惨な霜焼けが高じています。ジャガイモは早晩復活するでしょうが、なすび、トマト、キューリ、カボチャなどの夏野菜能越家と苗の管理は、例年のことながら悩ましいことです。
昨日は、郷里の父母宅を訪ね、津山市へ同行する用事がありました。その間も、道沿いの山々や、吉井川沿いの山と谷の景色が、存分に目を楽しませてくれました。
桜の名所、津山城=鶴山公園も、遠くから眺めるに、もう桜は終わり、緑に覆われている様子でした。グルリとまわって、美作市内の行きつけのスーパーに立ち寄りましたが、そこでやっと周辺の景色を写すことができました。
手前の小高い土手のように見えるのは、JR姫新線の線路です。そして正面に連なる山々と、そこからのマイナスイオンを運んで吹きすぎる薫風に、のどかな地方線の旅を、ちょっと想像で味わっていただきたいものです。
実家の庭から見える、景色。空き家の甍(いらか)越しに、裏山の緑が眩しく輝いています。
手前の絢爛たるお花畑と見えるのは、広角レンズのいたずらで、父母宅の庭に咲く丈低いシバザクラです。
正面に見える「お屋敷」も、やはり空き家です。
帰りに、久しぶりに、長福寺三重塔まで寄り道しました。
どうやらこの記事以来のようです。
緊急事態宣言発出、の巻(2020-04-07)
野山にも春の花々が次々と咲き競っているのですが、存分に愛で楽しむことが許されない子どもたちをかわいそうに思います。
久しぶりに郷里の畑仕事や草刈りに帰ってきました。野も山も、桜が満開状態です。
ソメイヨシノあり、ヤマザクラあり、見飽きることがありません。が、時節柄、不要不急の楽しみには肩身の狭い思いがつきまといます。
その帰り道に、これまた久しぶりに、長福寺三重の塔を見てきました。
去年の春、およそ一週間ほど早い時期ですが、季節感ががらりと変わって見えますね。以下は今年の写真です。
長福寺の正門。
「山滴る」を感じます。
甍越しに塔の先端と山の緑が調和しているように思います。
足もとのツツジがきれいに剪定されて、色とりどりに咲いています。
花びらを散らしているヤマザクラとのコラボも、ベストマッチングでした。
ところで、木々を濡らし、塔を濡らしてしたたり落ちているのは、日の光もまた然りではあるまいかと、室生犀星の詩を思い出したりしています。
春露にしたたりやまぬ日の光(2014-04-22)
乳母車二台並べて桜道(2016-04-08)
いちめんのなのはな、の巻(2019-01-25)
「寂しき春」 室生犀星
したたり止まぬ日のひかり
うつうつまはる水ぐるま
あをぞらに
越後の山も見ゆるぞ
さびしいぞ
一日もの言はず
野にいでてあゆめば
菜種のはなは波をつくりて
いまははや
しんにさびしいぞ
「春愁」という言葉のとおり、これは春の詩にほかなりませんが、、、、、
今日はこれにて。
玄鳥成長記録(つばくらめそだちのあとさき)、の巻 [Nature]
何年前、いや何十年前からでしょうか、我が家の玄関先の軒下に、毎年のようにツバメがやってきて、営巣します。
玄関の鳥だから、ツバメを玄鳥と書くのでしょうか?いや、そんなバカな。「玄」は「黒」だからでしょうね。
念のために辞書で確かめてみますと,「玄関」も薄暗いところからそう名付けられたらしいですね。
げん【玄】
1 赤または黄を含む黒色。
2 老荘思想で説く哲理。空間・時間を超越し、天地万象の根源となるもの。
3 微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
「―を談じ理を折(ひら)く」〈太平記・一〉
4 《玄のつく名が多いところから》江戸時代の遊里で、医者のこと。また、医者を装ったところから、僧侶の客をいう。玄様。
「浅草あたりの―、色里にうかれゆきけるに」〈浮・常々草〉げん【玄】[漢字項目]
[常用漢字] [音]ゲン(呉) [訓]くろ くろい
1 赤または黄を帯びた黒色。「玄黄・玄米」
2 奥深くて暗い。「玄関・玄室・玄妙/幽玄」
3 奥深い道理。「玄学」
4 はるかに遠い。「玄孫」
[名のり]しず・しずか・つね・とお・とら・のり・はじめ・はる・はるか・ひかる・ひろ・ふか・ふかし
[難読]玄鳥(つばくらめ)・玄孫(やしゃご)出典 小学館デジタル大辞泉
何年前、はたまた何十年前か思い出せませんが、最初は、つがいのツバメが、せっせと泥や藁くずを運んできて、見事な巣を作り上げました。同じペアなのか、またはその子孫たちなのか、その次の年、また次の年と、同じ巣をリフォームして雛をかえし、そろって飛び立っていって、季節が巡ります。
どういう訳か、少し別の位置に新しい巣を作って、子育てした年もあります。その翌年、どちらの巣を利用するかは、気まぐれのようにランダムで、はっきりし理由がわかりません。いつの頃からか、我が家の屋根に居住するらしいスズメが、ツバメの巣に悪戯を仕掛けることが多区なりました。枯れ草や羽毛、ぼろ屑といった、巣材様のものをつめ込むことが多いので、自分の巣として利用するためかと最初は思っていましたが、どうやらそれだけでは説明しきれない動機があるようにも思えます。
これでは、自分だって入れませんから,嫌がらせとしか思えません。
また、クチバシで、巣の土をかじるのでしょうか、大きな穴をあけて、ツバメが新しい泥で補修してリニューアルする気力も萎えてしまうような意地悪もします。それが元で、修復を断念した巣の跡もあります。
そのようなわけで、我が家の玄関軒下には、新旧あわせて三つほどの巣(や巣の痕跡)があり、今年のツバメは、大幅修復により、ほとんど新築に近い立派な巣をこしらえ、今期二度目の巣ごもりが終わろうとしています。
7月4日の雛。まだ幼さが残っています。
7月7日の雛。もう羽毛も生えそろって、少年っぽく育ってています。
食欲旺盛です。
親鳥は,片時も休む暇がありません。
これがきょうの様子。
巣の中には二羽しか雛の姿が見えません。
別の角度から写してみます。
依然として食欲旺盛で、親鳥は大忙し。
おや?これは外出から帰ってきた兄弟ツバメでしょうか?
トリミングしてみます。
嘴辺りにあどけなさが残っているような気がします。
散歩道の芙蓉の花。
アゲハがひらひら舞っています。
やっと止まってくれました、
我が家の庭先の朝顔の葉にも,しばし休憩。
虫かごに飼っていた青虫(アゲハの幼虫)を写しそびれているうちに、サナギになっていました。
孵化するのも,そんなに先のことではないでしょう。
ここ何日かで、蝉も一気に地上に現れ、やかましく鳴いています。
我が家の外壁に、抜け殻のすぐそばに生まれたばかりのクマゼミがいました。
いよいよ夏ですね。
きょうはこれにて
絶滅危惧種のトキソウとハッチョウトンボを見た、の巻 [Nature]
ケータイ電話を拾得したとの連絡を、倉敷市児島文化センターからいただいいたのが一昨日の夕方でした。開館時間内には受け取り行けそうになかったなかったので、昨日の朝、出勤前に立ち寄ることにしました。
こんな時、パートの勤務は、空き時間があって自由が利きます。とはいえ、自宅から約20㎞をほぼ逆方向に走り、そこから職場までおよそ30kmを走りますから、出勤まで一苦労です。
仕事も、たまたま拘束時間は短かい日でしたが、それなりに目一杯奮闘し、週末の「充実感」を味わいました。
まだ明るいうちに仕事がひけたので、さらにおよそ20km走って総社市ヒイゴ池湿地を訪ねてみました。
ちょうど前日の地元新聞に、「ハッチョウトンボ」の記事と写真が出ていましたので、週末お天気が崩れる前に、のぞいてみたかったのです。
雨上がりのアマガエル、の巻 [Nature]
昨夜からかなり強い雨でいたが、昼前には上がり、庭木の枝に、ひょこりひょこりと、アマガエルが3匹も顔をみせました。
先日も、同じ場所に一匹が顔を見せたのですが、今日は3匹です。しっかり激写!させていただきました。
以前この記事でも書きましたように、私の記事には、カエルがよく登場します。
たとえば、こんな風です。
2013-08-08
2013-08-09
2013-08-16
2014-04-12
2014-05-15
2014-06-14
歯医者のちシギとサギ、快晴の高梁川、の巻 [Nature]
3週間ぶりの歯医者です。
勤務日の関係で、予約を土曜日に変更して、今日がその日。
麻酔を打って、キューン、ガリガリの無間地獄に耐えている間、厄介なことに、なぜか鼻の穴やら、口元あたりのむず痒さが気になって仕方ありません。「ファクション!」と大きなくしゃみを連発しそうな気配を、グッとこらえて、気分を紛らすために、たのしいことを考えよう、、、、というわけで、今日のお出かけ先のイメージを、楽しく脳裏に浮かべることに意識を集中しようと努力していました。
自宅から40~50分の距離の歯科医院まで、折角やってきているのだから、ちょいと足を伸ばす程度で行ける場所はどこだろう、よかんがえたとき、高梁川(たかはしがわ)の下流域の様子が心に浮かびました。潮見表も確かめたところ、午前10時半頃に干潮の予定だったはず。とすると、干潟で採餌中のシギや千鳥を見られるかも知れない、、、というのが今日の目論見でした。
次の来院まで、固いものを食べるのは避けてください。今日治療した側では物を噛まないで、反対側を使ってください。、、、などなど、連休明けに次回の予約をして、心は、はるか目的地へと羽ばたきます。
岡山県自然保護センターの昆虫たちの巻、その2 [Nature]
岡山県自然保護センターの昆虫たち、の巻 [Nature]
かにかくに小さきものはうつくしき [Nature]
枕草子の有名な章段に「うつくしきもの」があります。
古語の「うつくし」はbeautiful(美しい) よりも、pretty(可愛い)に近い語感だと言われます。
うつくしきもの、瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、ねずなきするにをどりくる。二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひくる道に、いとちひさき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などにみせたる、いとうつくし。頭は尼そぎなるちごの、目に髪のおほへるを、かきはやらで、うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。
おほきにはあらぬ殿上わらはの、装束きたてられてありくも、うつくし。をかしげなるちごの、あからさまにいだきてあそばしうつくしむほどに、かいつきてねたる、いとらうたし。
雛の調度。蓮の浮葉のいとちひさきを、池よりとりあげたる。葵のいとちひさき。なにもなにもちひさき物はみなうつくし。
【解釈(桃尻語訳風)】
可愛らしいもの、といえば、すっきりと形のいい瓜に描いた、ちっちゃな子の顔よね。可愛くて、食べたいくらい。
スズメの子が、チュッチュッと舌で鼠の鳴き真似をすると、こちらに向かってヒョイヒョイと跳び跳ねながらやってくるの。とっても、愛くるしいわ。
二、三歳くらいの幼児が、座敷の植えなんかを、急いではいはいしながらこっちに向かってやってく途中に、とっても小さいゴミがあったのを、めざとく見つけて、とってもかわいらしい指でつまんで、近くにいるオトナの女房などに見せているのは、とってもかわいらしいわ。
髪の毛は、尼さんの髪型のようにおかっぱの幼児が、目に髪がかっかているのを、手でかきやることはしないで、顔を傾けてものを見たりなどするのも可愛いわ。
大きくはない殿上わらは(行儀見習いのために宮中に出仕する少年貴族)で、立派に着飾らさせれてあちこち歩き回るのも、かわいい。
上品でかわいらしい幼児で、ほんのちょっとと抱っこして、遊ばせてかわいがるうちに、そのまましがみついて寝ているのは、とってもかわいらしいったらないわ。
雛人形の道具。
蓮の浮葉でとっても小さいのを、池からひょいと取り上げたのは、可愛い。
葵のとっても小さいの。
何もかも、小さいものはみんな可愛いわ。
日本で一番小さいトンボは、ハッチョウトンボだそうです。
M先輩が、先日「自然保護センター」で撮影した写真を送ってくださいました。(一緒に、オオムラサキのはっきりくっきりの写真も---。うらやましい。)
とはいえ、 「自然保護センター」は少々距離がありますので、昨日は総社市の「ヒイゴ池」を訪ねてみたのでした。
ここにハッチョウトンボが生息することは、何年か前、同じ職場の同僚だったハイアマチュア・カメラマンのTさんから、ご自分の作品を見せていただき、知っていました。それから何回か訪ねたのですが、タイミングが悪いのか、これまではあいにく巡り会えませんでした。
果たして、昨日は?会えました!!
でも、持参カメラが、K5+tokina90mm macro では、遠すぎました。ハッチョウトンボが、わずか1cm余りの極小トンボであることを、甘く見ていました。相当望遠系のレンズを用意してくるべきでした。
実は、どういう思いつきか、tamron 80mm-250 210mm macro というベリーオールドマニュアルフォーカスレンズを持ってきていました。AFADをセットした状態で、tokina90mm macro と tamron 80mm-250 210mm macroを交換しながら使用すれば、撮像素子にゴミが付着しないですむだろうという思いつきです。どうせなら、いくらかでも描写性能に優れたレンズを使えばよいのにとは思いますが、あいにく、新しいタイプのDAレンズなど絞り環のないレンズでは、絞りを絞りこんだ状態になり、AFが機能しません。ですので、AFADを利用する場合は、絞り環があって比較的明るいオールドレンズが適しているのです。そういう中古レンズのうち、望遠マクロの機能に期待して、重いけどもバッグに入れてきたのでした。
でも、がっかり。レンズのせいか腕のせいか、、、ハッチョウトンボは、証拠写真しか残せませんでした。
大幅にトリミングしています。
羽化した蚕は、体内から液体酵素を排出して繭を溶かして、外に出てくるのだそうです。
でも、自然に羽化した蚕の繭は、かなりの部分が溶けてしまい、また体液で汚れてしまします。繭から絹糸をとる場合は、繭を丸ごと茹で、ほぐれてきた糸をより合わせるそうです。この行程でサナギは、死にます。
これを利用して、長野などの山岳地方では、かつては貴重なタンパク源として食用に供されたそうですし、今も珍味としてご当地グルメとなっています。
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子どもの頃は、サナギを丸のまま釣り餌として針に付けてフナやコイを狙ったものですし、サナギ粉は寄せ餌・撒き餌の必需品です。
しかし、我が家のオカイコ様を茹でて殺すのは忍びないので、妻は、繭を切り取ってサナギを生きたまま救出する作戦を遂行しました。
最新情報 今日のモリアオガエル ほか [Nature]
三郎さんから、今日のモリアオガエルの様子を伝える写メをいただきました。