お詫びと訂正、の巻 [kazg創作集]
ナードサークの四季(抄)Ⅰ: 四季の田園風景と折々の思い (MyISBN - デザインエッグ社)
- 作者: 木下透
- 出版社/メーカー: デザインエッグ社
- 発売日: 2019/08/26
- メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
森のチルトン: 森のようせいチルトンのぼうけん (MyISBN - デザインエッグ社)
- 作者: 木下透
- 出版社/メーカー: デザインエッグ社
- 発売日: 2019/09/02
- メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
カルロス爺さんの思い出: そこにある戦争 (MyISBN - デザインエッグ社)
- 作者: 木下透
- 出版社/メーカー: デザインエッグ社
- 発売日: 2019/09/09
- メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
追憶の歌 Iさんを偲ぶ(2) [kazg創作集]
「連作」短歌をもう少し、載せておきます。
追憶の歌 Iさんを偲ぶ(2) ――葬儀に参列して―― 初恋の人のごとくに慈しみ 語りいませし伊那の里辺ぞ 恋人の名を呼ぶがごと語りありし 伊那の里辺に眠れるか今は |
キンモクセイに誘われて、の巻 [kazg創作集]
それでも着実に秋の深まりが、そこここに見て取れますね。
朝の冷気をしみじみ感じていますと、キンモクセイの濃密な香りに改めて気づかされます。
わが家の庭のキンモクセイは、この夏の強剪定の影響で、花芽が大幅に減ってしまい、ちらほらとした花付きですが、それでも香りは四囲を満たしています。
キンモクセイが香る頃に、思い出すシーンがあります。
思えば、30年余も昔の初冬の早朝でした。
このシーンがしばしば思い出され、のちに、こんな短歌を作ったことがありました。
森のチルトン 童話(幼児向け) [kazg創作集]
木下透は私の高校時代の筆名です。
この作品は、それから10年以上経って、結婚もし、子どもも出来た頃、我が子に読み聞かせしたいと思って作った童話です。
高校時代の作品については、年齢故の未熟と寛容な対処をお願いしてきましたが、これはそうはいきません。 気が向いたら読んでみてくださいね。
ところで、今日は3.11。
被害を受けられた方々にたいし、改めてお悔やみ申し上げますとともに、一刻も早い復興と癒しの日が訪れますよう祈ります。
ただ、地震と津波は、自然の猛威の前に、人間という存在のちからの至らなさを自覚しつつ、そのちからの限りを尽くして、心をしっかり持って立ち直るしかない。そのため、能う限りの物心の支援を寄せたいと思うばかりです。
でも、フクシマの事態は全く違いませんか?自然の威力に対して圧倒的に劣った人類の、その限界と立場をリアルに踏まえた上で、「人類の英知」を絞って対処するしかないでしょうに。
「人類の英知」を絞って、即時廃炉、代替エネルギーへの速やかな転換に向かわない限り、事態の打開はないでしょう。「英知」どころか「営利」がのさばっては、第二第三の被害も避けられませんし、子々孫々に至るまで不安が解消されることはないでしょう。
惨禍の因を根絶しない、大本を明らかにしてそれを断つことをしない、責任を曖昧にして最大の責任者が免罪される、そればかりか、のど元過ぎればまたぞろのさばってくる、それを「国民性」というのは辛いことです。
でも、70年前、自分たちの手で戦争責任者を断罪することをしなかった私たちは、ほどもなく戦犯を首相に仰ぎ、 今、その孫が首相になるに及んで「戦後レジームの転換」なる信念のもと、またぞろ何事もなかったかのように、「集団自衛権」や「武器輸出」など歴代自民党政権がみずから歯止めとしてきた制約までなし崩しに解禁していく有様です。これを国民性とは、認めたくないのですがねえ。
森のチルトン 木下 透
いや、いや、森のおくの、いずみのほとりに、一けんだけ、小さな丸木ごやがありました。そこには、ヨゼフじいさんが、たったひとりで住んでいます。
ひとりぼっちでさびしくないかって?
いいえちっとも。
だって、森の小鳥やどうぶつたちが、みんな、じいさんのともだちなんだもの。
じいさんは、まいにち、大きなオノをかたにかついで、こしにはでっかいべんとうばこをぶらさげて、森のなかへでかけて行きます。朝早くから、コーン、コーンと木をきる音がこだますると、森の一日がはじまります。おひるになって、「よいこらしょっ」と、きりかぶにこしをおろしたじいさんのまわりには、うさぎや、りすや、小鳥たちや、たぬきだの、きつねだのまでがせいぞろいして、にぎやかなこと。
そんなふうだから、じいさんは、いつも、じぶんのおべんとうのほかに、どうぶつたちのだいこうぶつの、木の実やおいもをべんとうばこにつめこんで、しごとにやってくるのです。
でも、ことしの冬は、なんにちもなんにちも、雪がふりつづき、さやさや川もこおりつき、ふかぶか森のいきものたちは、食べものもなくて、こごえてしまっています。
ヨゼフじいさんは、リュックにいっぱい食べものをしょって、ふぶきのなかを森にでかけては、「おおい、みんな、出ておいで」と、大声でよびながら、どうぶつたちに食べさせてやるのでした。でも、じいさんがいくらいっしょうけんめい食べものをはこんでも、さむさでよわりきった森のどうぶつたちは、つぎつぎに雪にうもれて死んでいったのです。
やせほそって、冷たくなったどうぶつたちのしがいを、かたくこおりついた雪の下にほうむるたびに、じいさんは、「おお、なんと、かわいそうに」と、なみだをこぼすのでした。
そんなある日、いつものように、さやさや川のほとりをとおりかかったヨゼフじいさんは、一羽のまっ白い小鳥が、みちばたの雪のなかにうずくまっているのを見つけました。
かけよって、りょう手でそおっとだきあげると、小鳥はするすると、じいさんのオーバーのそでぐちをつたわって、むねのなかにもぐりこみました。そのからだがあまりに冷たいので、おもわず身ぶるいしましたが、じいさんは「そうかい、よしよし」と、やさしくつばさをなでてやりながら、ふと地面をみるとーーーーーー。
なんと、そこには、小さな小さな青いくつが、ちょこんとひとつ、ころがっています。
「おや」とおもって、よくよくたしかめると、白い小鳥のかた足には、同じ青いくつ。もうかた足ははだしです。地面の、かわいい青いくつは、この小鳥の足からぬげおちたもののようです。いいえ、小鳥と見えたのは、じつは、白いつばさをもった、小さな男の子だったのです。
「ははん。なるほど、こいつは、森のようせいじゃわい。」
ヨゼフじいさんは、ようせいのすがたを、じっさいに見るのははじめてでしたが、白いつばさに青いくつ、というかっこうが、むかしからの言いつたえどおりなので、すぐにわかりました。
森のようせいは、いたずらずきで、ときどき、こっそりわるさをするのです。じいさんも、にわとりのしっぽにリボンをむすびつけられたり、ひるねのさいちゅうにはなをつままれたり、ぼうしをやねのてっぺんにおかれたりして、
「いたずらぼうずの、ようせいのしわざじゃわい」
と、にがわらいしたことも、なんかいかあったのです。
「はて、さて、きょうは、どんないたずらをしでかすつもりやら」とおもいながら、よく見ると、いたずらどころか、かおいろも真っ青で、ぐったりしたまま。どうやら、つばさのほねもおれているようで、とてもくるしそうです。
じいさんは、ようせいを、いそいで小屋までつれてかえり、つばさのてあてをしてやって、ストーブのちかくのソファのうえにしずかにねかせてやりました。ようせいは、まる一日、こんこんとねむりつづけたあとで、やっと目をさましました。
ヨゼフじいさんが、あたたかいミルクを、スプーンに一ぱいのませてやると、ようせいは、ようやくげんきをとりもどし、
「ありがとう、おじいさん。ぼくは森のようせいのチルトンです。いつもいたずらばかりして、ごめんなさい。ーーーーーーーーきのうは、あんまりさむくて、おなかもすいてたものだから、キツネくんのおうちにもぐりこんで、ついでにごはんをこっそりしっけいして、いいきもちでねむっていたら、かえってきたキツネくんにみつかって、さんざんな目にあっちゃった」
と言うので、じいさんは、
「そうかい、そうかい。それはかわいそうに。それなら、げんきになるまで、この小屋で、わしといっしょにくらすといいよ」
と言ってやりました。
それから、なん日かたって、つばさのけがもすっかりなおったチルトンは、ヨゼフじいいさんといっしょに森にでかけては、どうぶつたちに食べ物をはこんでやるようになりました。でも、ふたりで、どんなにがんばっても、よわってしんでいくどうぶつは、あとをたちませんでした。
ある日、ふたりが、いつものように森をあるいていると、急につよいかぜがゴウとふいたかと思うと、ザザーッとおとがして、目のまえがまっくらになりました。高い木のこずえから、岩のように重い雪のかたまりが、ふたりのまうえに落ちてきたのです。
チルトンはむちゅうで「エイッ」ととびあがったので、ぶじでしたが、じいさんは、おちてきた雪のしたじきになってしまいました。なんとか、はいだすことはできたけれども、どこかほねでもおれたのでしょうか、あしがいたくて動きません。
やっとの思いで、小屋にかえりついたじいさんは、そのままベッドにたおれこんで「ウーン、ウーン」とうなっています。チルトンは、じいさんのいたむあしをさすったり、あたまを水でひやしたり、けんめいにかんびょうしたのですが、ようだいは、いっこうによくなりません。
「これでは、おなかをすかせたどうぶつたちに、食べ物をはこんでやることもできないのう。こまったことになったわい。」
ためいきまじりにつぶやくじいさんを見て、チルトンは、しばらく考えこんでいましたが、
「おじいさん、ちょっとのあいだ、しんぼうしてまっててね。」
と言いのこすと、まっしぐらに、おもてへとびだしました。
「さやさや川にそって、ずんずんと川下にむかっていけば、きっと町にたどりつける。町へ行って、大いそぎでおいしゃさんをよんでこよう。」
とかんがえたのです。
チルトンは、つばさがちぎれるほど、力いっぱいはばたいて、ふぶきのなかをとびつづけ、やっと、ビルやデパートやびょういんがある町までたどりつきました。
でも、どのびょういんでも、おいしゃさんは、こまったかおをして、 「この雪では、森のおくまで行くのは、とてもむりだねえ。春になって、雪がとければ、道ももとどおりに、とおれるようになるんだが」と、くびをふるばかり。チルトンは、がっかりして、とほうにくれてしまいました。もう、つばさも心も、つかれはててヘトヘトです。
しょんぼりと、森へひきかえしかけたチルトンは、ふと、小さいころお母さんにきいたむかしばなしのことを思い出しました。
ーーーーーーむかしむかしのそのむかし、おばあちゃんのおばあちゃんの、そのまたおばあちゃんも生まれていないころ。トムトンというわかものがいてね。トムトンは、冬のさむさから、森のみんなをすくうため、たったひとりで空高くまいあがり、太陽の女神さまにおねがいをして、地上に春をよんでもらったんだって。太陽の女神は、トムトンのゆうきをほめて、ねがいごとをかなえてくれたけれど、そのかわり、トムトンは、二どと地上にはかえってこられなかったのよーーーーー
「そうだ、ぼくも、トムトンのように、太陽の女神様におねがいしてみよう。」
チルトンは、雪まじりのはげしい風におしもどされながらも、歯をくいしばって、高く高く飛び上がって行きました。ふかぶかの森やさやさや川や、そして遠くの町やはるかむこうの海までが、だんだんと小さく、かすんで見えなくなるまで、高く高くーーーーーー。
けれども、とんでもとんでも、頭のうえには、まっくろい雲ばかり。つかれと冷たさで、からだはしびれ、わたのようにくたくたです。
「もうだめだ。つばさのちからがぬけていくーーーー」
チルトンは、深いねむりにさそいこまれるように、だんだん気が遠くなっていきました。ゆめうつつのチルトンの目には、雪の中でおなかをすかせてこごえている、おおぜいの小鳥たちやどうぶつたちのすがたが、つぎつぎとうかんできます。ベッドでくるしんでいるヨゼフじいさんのかおもうかびます。
「ごめんなさい。でも、ぼく、このままねむりたいーーー」
そのとき、チルトンは、聞きおぼえのあるなつかしい声が、耳もとでよびかけるのを、はっきりと聞いたように思いました。
「もう少しだ、チルトン。ほら、つばさに力をこめて、思いっきり羽ばたいてごらんーーー。さあ、自分の力をしんじて、がんばるんだ。」 そうです、それは、チルトンが、やっと自分で空をとぶれんしゅうをはじめたばかりのころ、いつも、すぐそばで声をかけてはげましてくれたおとうさんの口ぐせでした。
チルトンは、はっと目をあけて、からだをたてなおし、さいごの力をふりしぼって、二度、三度と強くはばたきました。チルトンのからだは、一直線にぐんぐんと高くまいあがっていきました。
すると、とつぜん、目の前がひらけて、見わたすかぎりすみきった、広々としたけしきがあらわれました。そこは、たとえようもないほどおだやかで、平和でうつくしい大空のせかいなのでした。くっきりと明るいまんまるの月が、こがね色のひかりを投げかけ、数えきれないほどたくさんの星がやさしくまたたいています。
チルトンは、つばさはしびれ、息は苦しく、もう本当にくたくたでしたが、やっとの思いで声をふりしぼり、月にたずねました。
「お月さまー、太陽の女神さまにおねがいがあるんです。どうしたらあえるのか、おしえてください」
月はこたえました。
「ざんねんだけど、太陽の女神は、ここにはいないよ」
「では、どこへ行けばあえるのでしょうか」
「ちょうど、この反対側にある昼の世界に行かなくては。そうだね、おまえのつばさだと、休まずにとびつづけたとしても、何十日、何百日もかかるだろうねえ」
チルトンがあんまりしょげかえっているので、月は、なぐさめるように、やさしく声をかけました。
「でもチルトン、おまえは太陽の女神に何をおねがいするつもりなんだい。もしわたしにできることなら、力をかしてあげてもいいよ」
チルトンは、すがりつくような思いでわけを話し、
「春をよびたいんです。春をよぶにはどうしたらいいのか、おしえてほしいんです。さもないとーーーー、みんな、しんでしまいます」
と、泣きじゃくりながら言いました。
けれども、月は、きのどくそうに、小さな声で言いました。
「力にはなってやりたいが、春をよぶことなんか、私にはできない。たぶん、太陽の女神での、その願いをかなえるのはむりだろう。季節には、じゅんばんときまりがあって、冬がおわるまで春はやってこないんだ。時間をまつよりほかはない。これは、どうにもしかたのないことなんだよ」
これを聞いたとたん、チルトンは、はりつめた糸がぷつんと切れるように、気がとおくなっていきました。そして、そのまま、つばさをとじて、小石のようにまっさかさまに地面にむかって落ちていってしまいました。
それは、あっというまのできごとで、月や星たちは、声をかけることも手をさしのべることもできず、これを見守っているだけでした。
つかのま、しーんとしずまりかえっていた大空のあちらこちらから、ひそかなすすりなきがおこり、それが、もの悲しい音楽となって空いちめんにひろがっていきました。息をのんで、じっとなりゆきを見つめていた月や星たちが、みんな、チルトンのために、声をあげて泣きはじめたのでした。
ぽろぽろとこぼれる無数のなみだのつぶが、きらりきらりと光りながら、地上に落ちていきました。それは、いつのまにか大つぶのはげしい雨になって、いつまでもいつまでもふりつづきました。
雪におおわれたふかぶかの森にも、その雨は三日三晩ふりつづき、四日目の朝は、うそのような上天気になりました。
太陽が、ひさしぶりに顔をのぞけ、ニコニコとわらいながらあたたかい日ざしをなげかけています。森の木々も、「うーん」とせのびをして、思いっきりしんこきゅうをしています。ふく風も、そよそよとおだやかで、くすぐったいようなやわらかさ。森の生きものたちは、大よろこびで、わになっておどったり歌ったり、はねまわったりしています。春です。春になったのです。
あんなに重たくつもっていた大雪はいったいどうなったのでしょう。そうです、あのはげしい雨にあらわれて、みるみるうちにとけてなくなったのです。その雪どけ水で、さやさや川は、夜も昼もドウドウと地なりのような音を立てつづけていましたが、いまではすっかり水かさもへり、清らかな流れが、さやさや、さやさやと、やさしい音色をかなでています。
ヨゼフじいさんは、どうしているでしょうか。
そおっと、小屋のなかをのぞいてみましょう。じいさんは、もうとっくにベッドのうえにおきあがって、じまんのオノのていれをはじめていますよ。まどのそとからきこえてくる小鳥たちのさえずりにあわせて、かるく口ぶえなんかふきながら。だけど、大きくはれあがったあしは、ちょっとさわっただけでも、とてもいたそう。
でも、だいじょうぶ。ほら、ごらんなさい、森のこみちをはしってくるオートバイがあるでしょう。おや、おや、なんと、三だいも。そうです、まちのおいしゃさんが、大いそぎで、じいさんの小屋へかけつけているところなんですよ。
さやさや川のきしべには、つくしがかおをだし、すみれやれんげ、なのはな、しろつめくさなど、いろとりどりの草花がいっせいにさきはじめています。
そしてそれらにまじって、ひときわあざやかにかがやいている、小さな青い花があります。
チルトンの、かわいいくつそっくりのーーー。
チルトンは?しんじゃったの?
いいえ。チルトンのたましいは、天にのぼって、真珠のような星になったのです。もちろん、お母さん、お父さんの星も、すぐ近くにいます。そして、あのトムトンだって。
ちょっと、耳をすましてごらんなさい、風にのって、チルトンの楽しそうなわらい声がきこえてくるでしょう。そして、もし、きみが、本当に、ゆうきがひつようなとき、きっとチルトンは、君の耳もとでこうささやきかけるはずですよ。
「ほら、思いっきり、羽ばたいてごらんーーーー。さあ、自分の力を信じて、がんばるんだ」
おわり
確か幼い頃の長男に読んで聞かせましたが、残念ながら評判が良くなくて、下の子たちには聞かせずにおわりました。
長男は、「かもとりごんべえ」が空から墜ちる場面になると、怖がって泣き、「かちかち山」では 「たぬきさんかわいそう」と泣くというように、ちょっとこちらが思いがけない感性を発揮する子で、このチルトンの結末の、献身と自己犠牲、そして転生という主題が暗くてイヤだったようです。
ですから、ここに載せたバージョンは結末部分を少し和らげて、明るい希望が残るように書き換えましたが、そのままお蔵入りになっていました。
改めて読み返してみると、なかなかいいんじゃない?と自己満足にかられて、発表することにします。
挿絵としてぴったりの写真を用意できたらと思ってきたのですが、整理が追いつかず、古いものを流用して、見切り発車とします。
また、小学校1~2年生配当漢字を精査して、平かなと漢字の使い分けを徹底したいと思いはしましたが、余裕がなくていい加減です。あしからず、、、。
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悪夢のインフルエンザ体験(追憶の昔語り) [kazg創作集]
昨日は、インフルエンザの予防接種を、生まれて初めて試してみました。
肺癌手術後の経過観察でお世話になっている病院の主治医の先生が、ちらりと勧めてくれたのが12月の診察の時でした。
私は、これまで接種の経験がなかったので、その場では辞退しましたが、周囲にちらほら患者も発生し、自身、肺機能の低下には自覚がありますので、罹患によって深刻な事態を招くのもイヤなので、わずかでもそのリスクを軽減できるのならと、昨日の診察のついでにお願いしてみました。一方、昨日は定期的な経過観察の診察で、本来の主要テーマに関しては、X線撮影では経過に異常なしとのこと。
ついでなので、インフルエンザの予防接種を依頼して、その手続きを進めている途中、看護師さんが「料金のことは聞いておられますか?」。
私「???」
「この病院では5000円超かかりますが、町の一般の医院等では3000円ほどでやってもらえます。どうされますか?2000円の差は大きいですからね。」とアドバイスがありました。
やや思案しましたが、ちょうど血圧の薬も切れかけていたので、かかりつけ医を訪ねることにし、そこで接種もお願いすることにしました。
というわけで。昨日は病院のはしごで、ほぼ一日がつぶれました。
インフルエンザと言えば、これまでに、家族も周囲も、自身も、A型、B型両方とも、幾度か罹患の記憶があります。最近は、タミフル、リレンザなどの特効薬のおかげで、瞬く間に嘘のように熱も下がり、苦痛も少ないまま回復する経験をしていますので、危機意識は薄らいでいますが、それは体に抵抗力があればこそで、肝心の肺機能がダメージを受けている状態では、万一が心配ですからね。
ところで、インフルエンザの季節になると思い出す古い記憶があります。ちょうど、世間では入試がたけなわの今の季節です。当時は、センター入試も共通一次(これも古い?)もなく、1~2月に私大の入試、3月に、一期校、二期校と国立大の入試がありました。今の時代のように、いろいろな形態の推薦入試や、AO入試などといったものはなく、推薦入試といってもごく一部の例外的な入試制度でした、一発勝負が基本でしたね。
高三で、まさに「受験生」だった私は、勉強の手を休めて(と言うとかっこいいけれど、あんまりまともな勉強をしていたわけでもありません。)、「体力づくり」のために、エキスパンダー運動と、踏み段昇降運動とで汗を流していました。すると突然、ズキズキと激しい頭痛に襲われ、寒気でがたがたと体が震えてきました。
その数日前でしたかね、ある先生の授業中の雑談で、「風邪などは、弱気になると負けてしまう。自分なんかは、熱い風呂に入ってかーっと汗を流して、卵酒を飲んで風邪を追い出す。風邪薬なんか飲まなくても、すぐに治る。」というような話(ディテールはあいまですが)をされていたのを思い出し、やってみました。熱~い風呂に入って、汗をかーっと流すと、、、、ますます寒気がひどくなり、頭痛も激しくなってきました。
耐えられず、翌日医者に駆け込むと「流感だろうな。」という診断。「流感」という言葉は、現在では聞かなくなりましたが、「流行性感冒」。普通の風邪と区別して、インフルエンザ様の感冒をそう呼んだのでしょう。
熱い風呂に入った事を告げると、とんでもないこととたしなめられました。
人間は、肉体からできていて、精神力・気力だけではいかんともしがたいという、唯物論的鉄則を、痛感した一こまでした。「心頭滅却すれば火もまた涼し」などという言葉が好きな子どもでしたがーーー。
薬を服用しながらの受験行は、私にとっての忘れがたい試練でした。その頃まで、私は、自分自身の天運というか、運気というか、運勢というようなものに、妙な自信を持っているところがあって、自分はいつも何かに護られていると、無条件に感じているところがありました。今で言う自己肯定感情を、さまざまな行動のエネルギーにしていたといえます。
ところが、この時期の、病み上がりの心身状況での不本意な受験行と、私大受験の相次ぐ失敗に、それはこっぴどく痛めつけられてしまったわけです。
その頃の心情を、後に振り返って、再現ドラマ的に歌にしてみたことがありました。
今から二〇年ほども前に勤務していた高校の、受験を控えた生徒達に、担任としてのメッセージのつもりでプリントにして配ったものです。
遥かなる日々
A 京の街の路面電車の女生徒の
白き歯並びゆかしかりけり
B 地下街の人ごみの中さまよいぬ
前途(みち)急ぎ行く人装いて
C この街の幾千人の雑踏の
ただの一人も我を知るなし
D 自害せし三島由紀夫の一冊を
繰りつつ受験の宿に眠れず
E 受験場のダルマストーブのゴウゴウと
燃える音のみ耳にさわりて
F 英文字は目に踊れども意味なさで
脈音痛くこめかみをうつ
G〃熱のせい〃の言い訳をすでに準備してる
その心根のうとましいこと
H 合格者の名の並びたる新聞に
あるはずもなき我が名捜しをり
I 発表の日は過ぎたるを
習性(さが)のごと郵便受けを探る未練よ
J かばかりのことに動ずる汝(な)なるかと
問えど鏡のわれは黙しをり
K はじめから覚悟してたと涼しげに
笑うつもりの顔がこわばる
L 本当は僕の心はズタズタです
助けてくれと叫びたいです
M 劣等のそしりに深くうなだれて
おっしゃるとおりと泣かましものを
N 学歴にとらわれる人を醜しと
言い来(こ)し言葉も強がりに似ん
O “どこへ行くの”とこだわりもなく問う人の
言葉の端も我を鞭打つ
P 人生に早や疲れたる人のごと
うらぶれて吾は受験に旅ゆく
Q 飽くほどの長き道程(みちのり)たどり来て
汽車は土佐路に我をはこびぬ
R 「地の果て」と溜め息もらす友もあり
南国高知は雲厚くして
S 高校の先輩と名乗る人あまた
宿訪ね来てしばし和みぬ
T 快く土佐の言葉は耳うてど
異邦人(とつびと)我の孤独いや増す
U この土を
維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや
V 帰り来ていよよ土佐路は恋しかり
再び見んことなしと思えば
W 幾たびも間違いならんとたしかめぬ
我が名宛なる祝い電報
X これしきのことにと恥づれど
我ならず「ゴウカク」の文字霞み見えたり
Y 呪われの受験生の名の解けし日よ
イヌノフグリの花の愛しさ
注 A~Oは、関西の私大受験に失敗した顛末。38度を越える発熱のせいと言い訳をしながらも、ショックは大。辛うじて合格をくれた一校は、第3志望ゆえに、「行こうか浪人しようか、不本意ながらもやっぱり行くんだろうな」という、忸怩たる思い。 近所のおばさんの、「あんた、どこへ行くん」の言葉にも、心は傷付くのでした。
P~Yは、国立受験の顛末。当時は1期校・2期校の時代ですから、いよいよ3月の話。都落ちのつもりで受験したそこに、是が非でも入りたい気持ちになっていただけに、合格は、正直うれしかった。
5年ばかり前の現代文の授業で、短歌を扱った機会に、当時の高校生に短歌を創作させました。その際の動機づけとして、私がつくってみたのがこれです。受験生であった頃の自分を、ほろ苦く、また甘酸っぱい懐かしさとともに思いだすような、中年男の感性が交じっているかも知れませんが、極力、誇張や美化は避けて当時の自分を客観視してみたつもりです。
いま、その「受験生生活」真っ只中にある諸君に、説教や教訓話を垂れることがどんなに空々しいことかを、私は十分知っているつもりです。当事者自身の痛みや重苦しさは、当事者自身のものでしかないことを、私自身忘れてはいないつもりだからです。
そうであればこそ、しっかりそれを引き受けて、へこたれずに頑張ってくれ、と、私は過去の自分に呼びかけるようなつもりで、皆さんに「頑張れ」を言いたいのです。
また、すでに努力の甲斐あって自己の進路を確定した諸君には、改めて「御苦労さん、おめでとう」と言いたいのです。そして、これからこそが、君自身が独り立ちして切り開いて行くべき人生本番だということ、それに向かって自分を値切らず、心おきなくぶつかっていって欲しいということを、お願いしておきたかったのです。
拙劣ながら懐かしい、古い記事を今再読してみながら、時代背景についての説明が、今ではもう少し必要かと思えてきました。
(Aの歌について)
当時の京都には路面電車が走っていました。町中をのどかに走る路面電車の情景は、しっくりと古都になじんでいました。たまたま乗り合わせた白い歯並びが印象的な女学生の姿もエレガントで、さすが「京女」の土地柄と、こころひかれるものがありました。
後に、この路面電車は赤字経営、クルマの走行の邪魔、地下鉄化の方が近代的、などの理由で、70年代の終わり頃廃止されたようです。今となっては残念なことです。
B・C・Dの歌は、受験前夜のつれづれに、大阪の地下街を彷徨しました。乾燥した冷たい風の吹きつのる街角は、たくさんの人々が行き交う雑踏でしたが、 それがかえって孤独を募らせました。立ち寄った書店で、銀色の派手な表紙の三島由紀夫作品集「花ざかりの森」を買って流し読みしましたが、没入できず、かといって眠りにもつけず悶々とした不眠の夜を送ったことでした。
E・F・G。当時の受験会場は、石炭ストーブがごうごうと音を立てていました。暖かいのは結構なのですが、熱のある体には苦痛なほど、顔と頭だけが熱せられて、冷静な思考ができませんでした。ちょうど脳手術後の今のレベルくらいの、脳の回転力だったかも知れません。
H~Oは、受験での失敗体験に、私がいかに傷ついたかの記録です。打たれて強くなるとか、悔しさをバネにとか、いろいろ言いますが、できればこんな試練は経験しない方が望ましいのではないかと思います。
個人情報の観点からは、とうてい容認できない事態でしょうが、当時の新聞には、大学ごとの合格者氏名が、堂々と掲載されていました。合格者は、新聞を見ることによって結果を知ることができますが、新聞に掲載されない場合は、掲載漏れではないかとか、追加発表があるのではないかと、なかなか未練が断てません。
P~Y は、国立大受験記。
四国の高知。最初の印象は、空気が臭いということ。実は当時、反公害の運動の歴史の中でも注目される「高知パルプ」という製紙会社が、工場そばの江の口川という小川に、工場排水を垂れ流し、そこから高知市内の中心部を流れて浦戸湾に至るまでの川水を真っ黒に汚染していたさなかのことでした。
当時は、今の中国の状態ほどではないものの、全国で野放しの公害垂れ流し状態がありました。そのため、工場地帯に近い大都市には住みたくないという心情が、当時の私などには根強くありました。それだけに、都市から遙かに離れたこの地方で、まさかこんな公害に出会おうとは思っても見ませんでした。その意味で、私の第一印象は、かなり気が滅入るものでした。
でも、受験を終えて帰宅した後になって、土地にまつわる歴史や文化、風土を、改めて認識するにつれて、憧憬する気持ちが強くなっていきました。Wの歌の「我が名宛てなる祝い電報」というのは、私大入試で結果がわからずやきもきした経験から、今度は合否電報を依頼していたのでした。今なら、ホームページ上に合格者の受験番号が発表され、発表時間と同時に合否が確認できるわけで、時代は変わったものです。
今日の鳥です。
まず、ミヤマホオジロ。
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