20年ぶりの大雪と、地元新聞の夕刊が報じていました。
昨日から、大雪注意報が出ていましたが、夜更けまで、たいした降りではありませんでした。
実は昨日は、肺炎で入院している父親が、退院できそうということで、病院まで行きました。二転三転あって、結局、退院は先延ばしになりました。午後から雪という予報でしたので、気にしながら、日暮れ頃には帰宅しました。
たまたま、長女が車で帰省し、夜更けまでのんびりしている内に、雪が積り始める気配がありました。用心して、一泊することにしました。
でも、気になる大雪でもなかったなと思って寝ましたが、未明頃、変にしんしんと冷え込みを感じて目が覚め、トイレに立ったついでに、窓の外を眺めてみて驚きました。

 
 

 

一面雪景色。しかも、まだ降り続けています。
子どもの頃にはよく見た情景ですが、今の住まいが温暖な地域と言うこともあって、最近では珍しい経験です。
二度寝して、朝。見事な銀世界でした。

 
庭の変哲もない植物も、雪に飾られて、別物のようです。
 
 
 


 
 
 

孫達も、大騒ぎで、雪合戦、雪だるま、そり遊び、かまくらづくりetc.を堪能していました。

 
 
 
 
 

 

日がたけてくると、「 雪の玉水」がつややかなしずくをしたたらせて、美しい輝きを惜しみなく見せてくれます・

山深み 春とも知らぬ 松の戸に 絶え絶えかかる 雪の玉水   式子内親王
新古今和歌集に収められた式子内親王の歌です。
おおよその歌意は、次のようなカンジ。
山深い住まいであるので、春が来たことすらよくわからない、そんなわび住まいの松の戸に、とぎれとぎれに落ちかかる、真珠のような雪解け水!
冒頭の「山深み」は、「山深いので」。名詞(を)+形容詞の語幹+み は、理由を表す慣用表現。「○○が○○ので、、、」の意になります。
句末の「雪の玉水」 は、名詞ですから、このような表現を「体言止め」と呼びました。余韻、余情美を尊んだ新古今集の時代には、 好んで用いられた修辞法です。

思い立って、長靴を履いて散歩してみました。

ロウバイの枝に、雪が残っています。

 
 
 
 

 
マンサクの花も咲いていました。
 
椿のつぼみ。

 

びわの花にも雪。

 

残りの写真は、後日upする予定。

 

きょうはここまでです。ではまた。



 


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