1995年10月21日、米兵による少女暴行事件に抗議して、宜野湾市の海浜公園で、8万5千人が参加する「沖縄県民総決起大会」が開かれました。
演壇で、高校生を代表して発言した普天間高校3年生の仲村清子(すがこ)さんは、こう訴えました。
「もう、ヘリコプターの音はうんざりです。私はごくふつうの高校3年生です。たいしたことは言えないと思いますが、ただ思ったことを素直に伝えますので聞いて下さい。
私が通った普天間中学校は、運動場のすぐそばに米軍の基地があります。普天間第二小学校はフェンス越しに米軍の基地があります。
ニュースで米軍機の墜落事故を知ると、いつも胸が騒ぎます。私の家からは、米軍のヘリコプターが滑走路に降りていく姿が見えます。それはまる 街の中に突っ込んでいくようにみえるのです。
私は今まで基地があることをしょうがないことだと受け止めてきました。 しかし今、私たち若い世代も当たりまえだったこの基地の存在の意味を考え直していま
す。学校でも意外な人が、この事件についての思いを語り、 みんなをびっくりさせました。それぞれ口にはしなかつたけれども、基地への不満が胸の奥にあったことの表れだと思います。
今日、普天間高校の生徒会は、バスの無料券を印刷して全校生徒に配り、『みんなで行こう、考えよう』とこの大会への参加を呼びかけてきました。浦添高校の生徒会でも同じことが行われたそうです。そして今、ここにはたくさんの高校生、大学生が集まっています。
いつまでも米兵におびえ、事故におびえ、危険にさらされながら生活を続けていくのは、私は嫌です。未来の自分の子どもたちにもこんな生活はさせたくありません。
私は戦争が嫌いです。人を殺すための道具が自分の身の周りにあるのは嫌です。次の世代を担う私たち高校生や大学生、若者の一人ひとりが、嫌なことは嫌と口に出して行動していくことが大事だと思います。若い世代に 新しい沖縄をスタートさせてほしい。沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願います。そのためにも一歩一歩行動していきたい。」
そして、彼女はこう結びます。
「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください。」
痛切で、揺るぎのない、それだけに私たちの胸を揺さぶり、励ましと勇気を与えてくれる、若者の姿でした。
しかし、この訴えは、今もアメリカと日本政府によって踏みにじられ続けています。
そんなとき、この少女(元少女)の姿を、最近たまたまNHKテレビで目にしました。「地方発 ドキュメンタリー」 - 選 基地に消えた 私の村 沖縄“普天間”の戦後 -8月20日放送。
彼女は、挫けることなく、真摯に、誠実に、悩み成長し、行動し、発信しています。そのことが、私になおいっそうの励ましと勇気を与えてくれます。現在の彼女のホームページを発見しましたので、ご紹介します。
先日、ご近所でおこわれた学習会で、講師の話が終わって、質問の時間になり、ある女性の参加者が、「日米安保条約は、日本か米国のどちらかが通告するだけで、解約できると聞いたことがありますが本当ですか?」
と質問。講師は「よくぞ聞いてくれました。その通りです。日米安保条約10条に、一方的に廃棄(解消)できると定められていて、1年前に予告すればよいのです。」
日米同盟から離れると、ならず者に狙われて攻め込まれるなんて、単純な子どもっぽい論理が大手を振って闊歩しがちですが、それって、外交とか平和友好とかの努力を無視・軽視する未開・野蛮な本性を吐露してることになりませんかね。そもそも、国際的な世論調査では、「世界平和に最大の脅威をもたらしている国」として、アメリカがトップに上げられるというのが、世界の常識。そんな国と適切な距離を置いたからと言って、安全が増しこそすれ、敵視される危険はかえって薄まるのではないでしょうかね。