昨日「誕生寺ツアー」をご一緒した、西宮在住のKさんご夫妻は、深夜、めでたく男のお孫さんを得られたそうです。 まことに、「誕生寺」参詣の甲斐があったのでございましょう。おめでとうございます。

青空に聳える銀杏の高木

 



さて、昨日のブログで書き残していた記事を追記いたしましょう。

Kさんご夫妻と「卵かけごはん」の昼食をともにしたあと、YMさん、もう1人のYMさん、そして私の三人は、国道53号をわずかに南下して久米南町の川柳公園 を尋ねました。紅葉が見頃との情報どおり、誕生寺のそれよりは色づきが進んでいて、駐車場から遥かに、鮮やかな紅の錦が望めました。

 
 
 
 
 

 

誕生寺から「食堂かめっち。」での昼食の頃まで、かなり強く降っていた雨が上がり、明るい光も射して来ます。遠望すると、刈り取り後の棚田のむこうにゆかしい山里の情景が遠望され、視界のあちらこちらに見事に鈴なりの柿の木、たわわに実った柚の「林」、静かなたたずまいの家屋の風情が、午後の光を浴びてくっきりと目に映えます。

 時雨して晴るる山辺の棚田かな

 
 
時雨晴れて麓の家々静まりぬ
 
村雨の駆け抜けたりし冬山か
 
 

空晴れてたわわに実る柿の実ぞ

 

村中に熟柿の香り横溢す

 
 
 
 
 
とりどりの柿の姿の美しき
 
 
 
陽を浴びて黄金に光る柚の珠
 

 

柿の木にカメラを向けていると、通りかかりのご婦人が、「今年は柿のなり年なのか、一杯なっとるでしょう」と声を掛けて下さり、「23日は(足王様の)お祭りじゃから、またいらしゃい」と誘って下さいました。足王大権現は、川柳公園の一角に祀られていて、足の病などに効験があるとされます。「泰西寺」の奥の院にあたるようです。この公園がある久米南町は、戦後まもなく「川柳による町づくり」を掲げ、住民あげての川柳と全国への発信を続けているそうです。

 茶の花もしばし枯淡を忘れたる
 
淡紅に何恥じらふや寒椿
 
 
 
艶めいて今咲かんとする木瓜の花

 


川柳は、私には難度が高いので、知らず知らず、長く避けてきた感があります。
学生時代、コンパの席で、川柳をたしなむ先輩の指導で、みんなで作句したことがありました。

句のできぬ夜のビールはそっと飲み


わたしの、その場しのぎの作です。
一応のお褒めは戴きましたが、「居候三杯目にはそっと出し」のもじりで、苦肉の策(作)でした。


ところで、学生時代の友人のI君は、変わり種で、言語学の学究者になるべきところ、奔放に飛び跳ねて、高校の教員を途中で捨て、中国やらタイランドやらで、思うままの冒険をしているらしい。その彼が、川柳を本格的にたしなむ人であることを、10年以上前に再会したとき、自身の口から直接聞きました。
彼曰く、(短歌のように)31文字は必要ない、(俳句のように)季語だの格式だのはいらない、(自由律俳句ではなく)定型の枠の中で表現することに緊張がある、、とか。私はなるほどと、かなり納得させられて、自分も作句を試みて見ようかと思ったこともありましたが、挫折した経験があります。川柳の持ち味は機知と風刺、自然体の、無駄のない一言-------大人のたしなみ」という印象が強く、結局、敷居が高い世界でした。
が、この川柳公園の句碑を眺めて見ると、いずれも無理も気取りもない自然な一言が光っていて、文芸としての川柳の魅力に触れた思いがしました。

 
もう少し、話題は次回に続きます。

 


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