先日、孫と行った池田動物園の記事の補遺です。
池田動物園が、旧岡山藩主の末裔、池田隆政氏の設立ということは前回書きましたが、詳しいことは知らなかったので、ちょっと調べてみました。
朝日新聞 のこの記事が、比較的コンパクトで、過不足なく現状を伝えていると思いました。
池田動物園が、旧岡山藩主の末裔、池田隆政氏の設立ということは前回書きましたが、詳しいことは知らなかったので、ちょっと調べてみました。
朝日新聞 のこの記事が、比較的コンパクトで、過不足なく現状を伝えていると思いました。
池田動物園 旧岡山藩主池田家の池田隆政さん(2012年7月逝去)が1953年2月14日に開いた。動物好きだった池田さんは戦後、所有していた現在のJR品川駅近くの山で、ヤギの乳を搾り、ニワトリに卵を産ませる生活を送っていた。食糧難の折、乳幼児のいる近所の家族らに分けて感謝されたことから、「本格的に牧場をやろうかな」と、飼っていたヤギ、ブタ、ニワトリなどの家畜を貨車に乗せ、48年にゆかりのある岡山市へ。翌49年春、動物園の前身となる池田牧場を、現在の林原美術館(北区丸の内2丁目)がある場所に開設。3年後、天皇陛下の姉厚子さんと結婚。県の種畜場があった京山(北区京山2丁目)の土地を県から譲り受け、池田動物園を開いた。現在、厚子さんが園長を務める。 (2013-02-10 朝日新聞 朝刊 岡山全県 1地方) |
光政(みつまさ) - 綱政(つなまさ) - 継政(つぐまさ) - 宗政(むねまさ) - 治政(はるまさ) - 斉政(なりまさ) - 斉敏(なりとし) - 慶政(よしまさ) - 茂政(もちまさ) - 章政(あきまさ) |
池田章政 生没年:1836-1903 父:肥後人吉藩十三代藩主 相良頼之 義父:備中鴨方藩八代藩主 池田政善 義父:備前岡山藩九代藩主 池田茂政 1847-1868 備中鴨方藩九代藩主 政詮 1868-1869 備前岡山藩十代藩主 1869-1871 岡山藩知事 従四位下 左近衛少将 1878 第十五国立銀行頭取 1884-1903 侯爵 貴族院議員 妻:戸田鑑子(父:美濃大垣藩九代藩主 戸田氏正) 1865-1939 政保(備中鴨方藩へ) 1865-1909 詮政 池田詮政 生没年:1865-1909 父:侯爵 池田章政 1903-1909 侯爵 妻:島津充子(父:薩摩藩十二代藩主 島津忠義) 妻:安喜子女王(父:久邇宮 朝彦親王) 1889-1967 博子(夫:侯爵 細川護立) 1892-1961 鋠子(夫:伯爵 烏丸光大) 1892-1954 温子(夫:子爵 六条有直) 1895-1920 禎政 1899-1945 政鋹(備中鴨方藩へ) 1904-1988 宣政 池田禎政 生没年:1895-1920 父:侯爵 池田詮政 1909-1920 侯爵 妻: 1904-1988 (養子)宣政 池田宣政 生没年:1904-1988 父:侯爵 池田詮政 義父:池田禎政 1920-1946 侯爵 妻:津軽富貴子(父:男爵 津軽行雅) 1926- 隆政 1935-1940 政智 池田隆政 生没年:1926-2012 父:侯爵 池田宣政 池田農場代表取締役社長 池田動物園園長 妻:順宮 厚子内親王(父:昭和天皇) |
岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政[いけだつなまさ]が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園です。 綱政の時代には、藩主の居間延養亭[えんようてい]や園内に点在する建物の座敷から眺望を楽しむという要素の強い庭でした。 綱政の子継政[つぐまさ]は能舞台周辺の建物を大きく改築し、園内中央に唯心山を築き、そのふもとに水路を巡らせ、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池 を掘らせました。こうした改変で庭を巡り歩いても楽しい回遊性が備わってきました。継政の孫治政[はるまさ]は倹約のため、田畑の耕作に当たっていた人々 をやめさせ、一時的に芝生の庭園となりますが、その後すぐに園内東の大半は田畑へと戻ります。現在の井田[せいでん]はその名残です。こうした時代ごとの藩主の好みや社会事情によって後楽園の景観は変化し、その積み重ねが歴史となっています。 また、江戸時代の後楽園には、許しがあれば領民も入ることができました。能を好んだ綱政は自ら舞う姿を見せたり、継政以後の藩主たちは、参勤交代で岡山を留守にする間は日を決めて庭を見せています。また、藩主のお客をもてなす場としても使われました。 明治4年(1871)、池田家では「御後園」を「後楽園」と改め、17年には名園保存を目的に岡山県に譲渡しました。当初は公園ではなく県庁付属地として公開されたため、日没閉門などの決まりを作って保存が図られました。 昭和9年(1934)の水害、20年の戦災に遭いましたが、江戸時代の絵図などに基づいて復旧がはかられ、江戸時代の姿を大きく変えることなく今日に受け継がれています。 大正11年に名勝に指定され、昭和27年には文化財保護法による特別名勝に指定されました。江戸時代のおもかげを伝える庭園として多くの方に愛され、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて「日本三公園」と称され、今では日本三名園として親しまれています。 |