昨日「雨水(うすい)」の話題を書きました。名の通り昨夜から雨が降り始め、今日は一日、冷たい雨でした。
「コーヒーの粉がないから買ってきて」「図書館で借りた本の返却期日が過ぎているから、ついでに返してきて」と命じられ、朝食後すぐに出かけました。
図書館は会館時間前なので、返却ボックスにドサリと返却します。ほとんど幼児向けの絵本なので、大きくて重い。これは車で行きましたが、スーパーの開店時間にはまだ早いので、いったん家に帰り、車をおいて、今度は散歩で時間を調整したのち、行きつけのスーパーまでコーヒー豆を買いに行くことにしました。もちろん、コンビニなら早朝から開いているのですが、わずかでも安い方が嬉しいので。
傘を差して土手道を歩いて見ました。
ふと、用水路のほうを見ますと、マガモです。
コガモはよく見かけますが、マガモは、ここでは珍しい。
シロハラ。
ツグミ。
今朝も、カワセミに会いました。
路傍のスイセンは、長い間咲いていますが、雨にあらわれてさらにみずみずしさを増しています。
今年は、梅の名所を訪ねる機会もなかったのですが、道端の梅も捨てたものではありません。
露を帯びて、なおのこと優美さを増しています。雨の中でも香りが四方に漂います。
香りと言えば、ロウバイの甘い香りが胸に広がります。例年に比べると早い時期から咲いていたようでしたが、まだまだ蕾も見えて、今が「旬」といえるかも知れません。蝋のような透明感が、雨に濡れるといっそう際だちます。やはり、二月の雨とロウバイの花は、親和性が高いと思います。
すぐ近くに植えられているこの木は、マンサクでしたっけね。他の花に先駆けて「まず咲く」からとも、、豊年「満作」を暗示するからとも言われますが、めでたい花ではあります。
過去の記事でも、2014年2月8日付のこの記事や3月2日付のこちらの記事でも、マンサクを紹介しています。
マンサクの花咲く頃に生まれけり
「けり」は過去の助動詞ですが、しばしば、詠嘆をあらわす場合もあります。
今朝の散歩の途中、同業の先輩
緒方太郎さん(仮名)からメールをいただきました。
いわく、「助動詞の歌」をyoutubeにアップした、との由。以前、同先輩考案の「助動詞接続の歌」を、音楽好きの同僚が、当時勤務していた高校の校歌に合わせてアレンジして、高校生に歌わせたことがありました。私は、自他共に認める「音痴」ですので、ただ傍観しておりましたが、生徒たちには、学習効果大であったようです。
さて、このたびの「助動詞の歌」は、「こんな時にはこう訳す」と、助動詞の訳し方に主眼を置いた歌になっています。
今日は、そのなかの一つ「き・けり・つ・ぬ・たり・り」の巻をご紹介します。(youtubeのページは、こちらです。)
おおざっぱには、「き・けり」は過去の助動詞(「~た」の意)、「つ・ぬ・たり・り」は完了の助動詞(「~てしまう」の意)と呼ばれますが、文脈の中で、ほかにも多様な用法があって、一筋縄ではいきません。
youtubeの当該ページには、こんな説明があります。
是非ご覧下さい。
昨日の記事で、新しいひな人形を贈られた孫娘が、もうすぎ満1歳の誕生日を迎えます。今日は土曜日で、集まるのに都合がよいと言うことで、誕生会を開きました。
片道60kmの田舎からも、昭和2年生まれの「後期高齢者」である老父が自動車を運転して、老父母揃って参加してくれました。
ご近所の寿司屋さんが、ママの知人なので、無理を言って仕出しをお願いしました。下の写真の立派な寿司セット、これと同じものが2セットです。
赤飯は、老母が炊いて持ってきてくれました。
鯛は、妻が焼きました。
この子がリュックで背負っているものは、おモチです。
1歳の誕生日に、「一升餅」を背負わせるという習わしが、各地にあるようです。私の田舎では、前方の並べた、算盤、筆、書物、、、などのうちどれを選ぶかで、将来の針路を占うというイベントがあるそうです。
孫たちは、それぞれ、そのつどチャレンジしましたが、お餅の重さと、いつもと違う周りの雰囲気の姓で、泣き出してしまうことがしばしばです。このこも、やはり、泣き出しました。
お寿司を食べる頃にはけろりとご機嫌が直り、ケーキのろうそくの火を吹き消す頃にはすっかりご機嫌でした。
きょうはここまで。