前回記事に書きました通り、昨日は、大阪の病院で定期診察を受けてきました。2007年に手術した脳動脈瘤の術後の経過を定期的に観察して入るのですが、一年ぶりの今回のMRI検査でも、脳血管の状態は良好、肺ガンの転移も見られないとの由。ホッとしました。。

脳動脈瘤の手術の顛末は、これまでにも何度も書きました。

一部を引用再掲します。

◇私の「2007年問題」 病気自慢その1



 ところで、脳動脈瘤というのは簡単にいうと脳の血管にこぶが出来るわけですが、多くの場合は、二股に枝分かれした箇所の弱い部分がふくれるもので、これは破裂しやすいが、発見さえできれば治療方法も確立していて、手術の成功率も高いようです。私のは、それとは違い、紡錘型といってちょうど古い水道ホースの痛んでいる部分がぷくっとふくれるように、血管本体がふくれているものでした。それが、椎骨という、脳幹・延髄などと近接するデリケートな部位にできているので、直ちに破裂ということは考えにくいが、治療も困難だということでした。手術する場合としない場合のリスクを照らし合わせて、急に大きくなるようなことがなければ様子を見ていきましょうと、数年経過観察をしてきていたのです。

平衡感覚を司る延髄を、瘤が圧迫していることから、自覚症状としては、ふらつき、めまい、手足のしびれ、二重視などに悩まされました。直ちに生命の危険を伴うものではないが、このまま緩慢たる死に近づいていくのかという不安も、抑えがたいものがありました。

 そのようなとき、MRI検査で、本来ボールペンの先ほどの細さの血管が、直径3cmほどへと急に肥大してきていることが確認されたので、緊急に手術という運びになりました。

 11月に入院し、クリスマスの頃は集中治療室で過ごし、正月はほぼ寝たきり状態で迎えました。

 瘤のできている血管の両端に、カテーテルを用いてコイルを充填して血流をせき止めるという最新の手術で、ダメージも少なく、手術は基本的に成功しました。ただ、瘤の肥大によって、延髄など、周辺の、神経が密集している部分がかなり圧迫を受けて変形しているため、その影響は一定残るだろうということでした。また、手術の際に血栓が飛んで、軽い脳梗塞も起こったという影響もありました。ふらつき、平衡感覚の乱れ、ものが二重に見える、手足が麻痺して自由に動かない、ものが飲み込みにくい、嚥下障害と密接に関連があるらしいのですが、思うように発声ができないなどの症状がありました。

 手術後のリハビリでは、作業療法士の先生の指導でまっすぐに線の上を歩く練習、ふかふかのマットの上でバランスを失わないで立つ練習、指先をつかいこなす練習(箸でおはじきを運んだり、それが大豆になったり、リングを棒に通したり)、指先のつまむ力や、握力をつけるための筋トレ、言語聴覚士の先生の指導により発声練習などを続けました。 私たちは加齢とともに、「以前できていたことができなくなる」という経験を重ねてきましたが、リハビリの過程の中で、「できなかったことができるようになる」という喜びを、改めて味わうことができたのは、久々のうれしい体験でした。

 昨年末で、手術後5年が経過して「完治」と見なせる段階にあり、身体的な違和もほとんど緩和していますので、私の「病気自慢」は、今では皮肉なことに鼻持ちならない「健康自慢」の響きを帯びてしまいます。失礼!




去年の同時期には、こんなことを書きました。

◇凍風(いてかぜ)に露天風呂こそゆかしけれ千切れ千切れの湯気のまにまに




 昨日は、8年前の脳血管手術でお世話になった大阪の病院での、年に一度の診察日。MRIを撮って、医師の診断を受けました。昼前頃の予約でしたので、長らく、早朝の電車を乗り継いで出かけていました。手術直後のころは、車の運転も不安で下から、現在のように最寄りの駅前に車を駐めて電車に乗るという方法もとれず、前日ビジネスホテルに一泊するか、早朝、妻に最寄り駅までの送迎をして貰わねばらず、骨の折れる一大イベントでした。

近年は、早朝便でJRを乗り継いで、新幹線利用で出かけたり、あるいは高速バス利用という方法をとったこともありますが、あのバス事故の直後だけに気が進みません。

というような時に、「渡りに船」「一石二鳥」「一挙両得」のアイディアとして、大阪在住の次男の住まいに一晩泊めて貰い、孫娘の顔も見て、翌朝悠々と病院に

向かうという美味しい方法をとることにしました。実はこの手は、昨年も使ったのですが、その時は孫がまだ赤ちゃんで、ママが育休中のことでした。今はその

孫も保育園にかよい、ママも復職。夫婦とも、帰宅時間が遅くなるようで、最大限の延長保育のお世話になっているそうです。

というような事情でしたが、都合を打診すると快くOKしてくれましたので、ちゃっかりお世話になることにしました。




今回もこの手を使いました。

ただ今回は高速バス利用です。

大阪(湊町)に到着したころは真っ暗。







地下鉄を乗り継いで、孫の住むアパートに向かいます。両親とも帰宅が遅くなりますから、延長保育で夜中の8時ごろまで保育園。どうしても夜型の生活になるようです。8時過ぎての、じいじの訪問を歓待してくれ、興奮気味で、なかなか寝付けず、次の朝は起床がつらいようでした。

それでも元気に、パパと手をつないで登園です。



病院の予約時間までまだ少し早いので、病院のご近所を散歩してみました。

病院のほど近くに千里北公園というかなり広い公園があります。山道めいたところを少したどると、「緑のネットワークルート」と書かれた標識板があり、起伏に富んだこの道をずんずん歩いていくと、裏山を通りぬけて病院の向こう側に出ることを、以前も何度か歩いて知っています。以前、ここでルリビタキにあったこともありました。

最初に歩いたときは、興味に駆られて歩き続けるうちに、箕面市のエリアまで遠回りしたこともありました。

今回は時間がくくられていますから、ほどほどのコースをひと歩きしてみることにしてみました。

この「緑のネットワークルート」という小径のことが気になりましたので、帰宅後ネット検索してみましたら、吹田市が1981(s56)年に選定したもので、「自然林と文化施設で整備された万国博記念公園に向けて、5本の緑道幹線を整備するもの」だそうです。

私が歩いたのは、どうやらその5つのルートのうちの,Aルートと呼ばれるエリアらしく、説明板には『山並み、山道、池、水の流れをイメージしたルートで国立循環器病センター裏から千里遊歩道、千里北公園を経て万博外周へ。千里遊歩道: 緑におおわれは自然道を散策しながら野鳥の声も楽しめる。』と表示されているそうです。

日差しはあっても、氷が解けずに残っていました。







ザクッと霜柱を踏む音が、小鳥を脅かしはしなかったかと危ぶむこともありました。



こんな道を、旅行用ショルダーバッグを提げて、手にはカメラを持ってうろうろ歩く恰好は、我ながら人に見られたくない姿です。

散歩の初めころ、千里北公園の入り口付近で、シロハラを見つけ、幸先よいぞとほくそ笑みました







ジョウビタキ♂にも会いました。







コゲラもいました。



カワラヒワです。







ほかに、メジロの群れもいましたが、撮影には失敗しました。

森の中で、見かけない鳥に遭遇し、カメラを向けて何枚もシャッターを切ったのですが、まったくピントが合わず、証拠写真も残せませんでした。口惜しい限り。



これ以上の出会いはあきらめて、ちょっと汗をかいて、病院へ向かいます。



検査と診察が午後の初めには終わりましたが、もうどこかに足を延ばそうかという余裕も気力もなく、帰途につきました。

帰りは、新幹線にしようかとかなり傾いていたのですが、地下鉄(御堂筋線)で新大阪が近づいてくると、もう少し先の梅田(大阪)でも、難波でも、高速バスが発着しているはずだよなと思ううちに、代金の安さにつられてバス利用に決めました。

往路は、難波もしくは湊町に停車するバスを利用したのですが、大阪発のバスもあったはずと、深い計画もなく梅田で降りました。

少し曇ってきて、冷たいものがつらちら待っている様子です。







バス発着場も、切符売り場も難なく見つかり、14時50分発で帰ることにしました。











岡山駅まではスムーズに帰れましたが、そのあとの連絡が悪く、自宅への到着はちょっと遅くなりました。

今日はこれにて。