きのうの記事は、短い手紙の話題のはずが、あまりに冗長になりましたので、ふたつに分割しました。

春の訪れとともに、梢のてっぺんで「一筆啓上仕り候」とさえずるのはホオジロの♂だそうですね。

以下、3月のストック画像ですが、季節外れになる前に掲載させていただきます。






さて、昨日の記事の肝心な「退職教職員アピール」記者発表の結果は?

ローカルテレビの夕方のニュースでは確かに報道してくれていましたが、今のところ、そのほかの新聞記事などは確認できていません。

新聞では、郷土出身の映画監督高畑勲さん逝去のニュースが大きく扱われていて、それに吹き飛ばされたのかも?と思ったりしています。
残念なニュースでした。
ウィキペディアに、高畑さんの手がけた主要作品がまとめられていました。

 




手がけた主要作品



タイトル
役職



1962年
鉄ものがたり
演助進行(演出助手と制作進行を兼任)


1963年
わんぱく王子の大蛇退治
演出助手


1963年
暗黒街最大の決闘
助監督


1964年
狼少年ケン
おばけ嫌い ジャングル最大の作戦

演出


1965年
狼少年ケン 誇りたかきゴリラ
演出


1968年
太陽の王子 ホルスの大冒険
監督・演出


1969年 1970年
もーれつア太郎
演出(カラー版OP/ED演出も担当)


1971年
長くつ下のピッピ
※アニメ化権取得に失敗


1971年
ルパン三世 (TV第1シリーズ)
演出


1972年
パンダコパンダ
監督


1973年
パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻
監督


1974年 1975年 1979年
アルプスの少女ハイジ
演出


1975年
フランダースの犬
第15話絵コンテ


1976年 1980年
母をたずねて三千里
演出


1977年
アルプスの音楽少女
ネッティのふしぎな物語

絵コンテ


1977年
シートン動物記 くまの子ジャッキー
絵コンテ


1978年
未来少年コナン
演出・絵コンテ


1978年
ペリーヌ物語
絵コンテ


1979年
赤毛のアン
演出・脚本


1981年
じゃりン子チエ
監督・脚本 ※劇場版


1981年 1982年 1983年
じゃリン子チエ
チーフディレクター、絵コンテ、演出 ※テレビ版


1982年
セロ弾きのゴーシュ
監督・脚本


1982年
ニモ/NEMO
日本側演出 ※1983年3月12日に降板


1984年
風の谷のナウシカ
プロデューサー


1986年
天空の城ラピュタ
プロデューサー


1987年
柳川堀割物語
監督・脚本


1988年
火垂るの墓
監督・脚本


1989年
魔女の宅急便
音楽演出


1991年
おもひでぽろぽろ
監督・脚本


1994年
平成狸合戦ぽんぽこ
監督・原作・脚本


1999年
ホーホケキョ となりの山田くん
監督・脚本


2013年
かぐや姫の物語
監督・脚本・原案


2016年
レッドタートル ある島の物語
アーティスティック・プロデューサー




「ルパン三世」以降の作品、特に「風の谷のナウシカ」やスタジオジブリ関連の作品群は、高畑勲さんの名前とともに記憶に刻まれていますが、表の上の方に紹介されている作品は、高畑さんと結びつかないまま、愛し、影響を受けたものがずらりと並んでいることに改めて驚かされます。

すべての作品に触れているとキリがありませんので、↓この作品についてだけ一言、記しておきます。




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1968年の作品ですし、私の子ども時代、映画館でアニメ作品を観るというような文化環境にはありませんでしたので、リアルタイムで鑑賞したことはありません。この作品に初めて触れたのは、学生時代、教育系サークルに属し、地域の子供会活動に出入りしていた頃、市の社会教育課の職員の方が、子どもたちに上映して見せたものを、一緒に鑑賞したのが最初でしたか?それとも、大学祭か何かの学生主催の行事で、過去の名作映画などを学内で上映する企画の一環だったでしょうか?とにかく,学生時代に何度か鑑賞した記憶があります。

また、教職に就いてからも,何かの機会に生徒と一緒に鑑賞したこともあったかも知れません。後に、ビデオテープを購入しましたが、「ナウシカ」やジブリ作品などのようには、子どもたちが何度も観たがることもなく、我が家のどこかに置いてあるはずです。

この作品で、印象深いのは、悪魔グルンワルドの重々しく、逃れがたい威圧感と吸引力をもった声でした。調べてみて、これが平幹二郎さんだったとわかりました(2016年10月22日没でしたね。惜しいことです)。

そしてもう一つが、謎の少女ヒルダの複層的な人格のひだ、心の闇の深さ。子ども相手の作品としては、もてあますに違いない、余りにも複雑な、人間の弱さ、もろさ、醜さ、光と影の葛藤を抱えた造形です。

ウィキペディアの解説にはこうありました。

ヒルダ
    声:市原悦子、キャラクターデザイン:森康二
    15歳。孤独な少女。悪魔グルンワルドの妹。グルンワルドに滅ぼされた村の生き残り。グルンワルドに授けられた「命の珠」により永遠の命を持つ。歌によって人の心を魅了するが、自分自身の心の歌は歌えない。グルンワルドの手先として行動し人々に不和を芽生えさせる。人間の心と悪魔の心の間で常に葛藤している。

おや、市原悦子さんの声でしたか。葛藤に耐えきれずに漏らす「ヒルダはバラバラ、ヒルダはバラバラ」という煩悶を含んだ嘆きの声が、耳について離れません。

この作品が、高畑勲さんや宮崎駿さんを含めて、東映労動画労組の総力をあげて制作されたものであることは、後に知りました。それで合点がいきました。

「太陽の王子」スタッフ実行委員会発行の冊子(六八年)にはこんな記述があるそうです(孫引きです)。「この作品の内容は主に団結をテーマにしておりますが、これを製作するためにもスタッフの強固な団結が必要だったのです」 

労働組合運動の厳しい現実の体験をふまえれば、正義のヒーローが必ず勝つという、単純な勧善懲悪の物語にリアリティは感じられないのでしょう。正義が粘り強いたたかいによって勝利をかちとるためには、こちらの弱さにつけ込んで執拗に加えられる分裂への策動を克服し、疑心暗鬼を乗り越えて、団結と相互信頼を獲得していくことが不可欠なのでしょう。ヒルダの造形は、その苦悩をはらんだ葛藤を形象化しているのだろうと、合点したのでした。もちろん作品の価値を、政治主義的、または道徳主義的尺度でのみ測ることは、何の意味も持たないのですが、現実そのものとの実際の格闘の体験が、深い人間理解・人物造形につながっていることは間違いないと思われます。


さて、その高畑勲さんの短い手紙、いやはがきの一節が、「リテラ」のこの記事に紹介されています。




引用元
高畑勲監督が遺した安倍政権への無念の言葉




去年の年賀状にしたためられたという高畑さんの「願い」だそうです。

〈皆さまがお健やかに
お暮らしなされますようお祈りします
公平で、自由で、仲良く
平穏な生活ができる国
海外の戦争に介入せず
国のどこにも原発と外国の部隊がいない
賢明強靭な外交で平和を維持する国
サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です〉


この願いが叶う姿を見届けられないまま亡くなられたのは、残念至極です。

同じ「リテラ」の記事から、こんな文章も引用させていただきます。(見出しは引用者)


「火垂るの墓」は戦争を食い止めることはできない?

「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」
「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)

「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」
2017年4月三上知恵監督とのトークイベント

ズルズル体質の歯止めのなさ。

「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」
「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」
武蔵野市での講演会(15年7月)

「 絶対的な歯止め」としての9条。

『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)

存命中に、アベ政治の終焉をお見せできなかったことが悔やまれます。


昨日の新聞記事で読んだ残念なこともう一つ。
富士フィルム(の子会社)のモノクロフィルム(「ネオパン」)が生産中止ですって。ショックです。高畑 勲さんが、1935年生まれ、ネオパンは1936年生産・販売開始だそうです。何やら因縁めいていて寂しいです。

今日はここまで。