今日は大寒。


昨日、今日とセンター試験が実施されており、受験生にとっては緊張の日々でしょう。センター試験と言えば、例年、ひどく冷え込むことが多く、予想外の雪に慌てたり、控え室の寒さに閉口した記憶が蘇りますが、今年は、さほど気温は下がらず何よりでしたが、今日は、朝から雨です。午前中に雨が上がったかと思うと、強い冷たい風が吹き付けるあいにくの天気となっています。


入試と言えば、縁が深いのが学問の神、天神様。菅原道真をまつる天満宮ですね。そして天満宮と言えば梅の花。


京都長岡天満宮のHPにこんな記事があります。



菅原道真公はその邸宅が紅梅殿・白梅殿と呼ばれたように、梅をこよなく愛していました。


”美しや 紅の色なる 梅の花
あこが顔にも つけたくぞある”


道真公が、5歳の頃庭に咲く紅梅を見てその花びらで自分の頬を飾りたいと詠われて以来道真公と梅の 縁は深く、残された詩文の中にも梅花を詠ったものが多くみられます。 しかし道真公の梅好きは個人的な趣味という以上に、菅原氏の祖業にも深く関わっていたように思われます。梅は中国から奈良時代に伝来した外来種であり、中国文化教養を象徴する花だったからです。天平年間、大伴旅人らが太宰府で梅花の宴を催し、梅を詠んだのは、当代における先端的な唐風の振る舞いでした。 又、道真公には「飛梅伝説」というのがありますが、これは道真公が太宰府へ西下の時、京の邸宅の紅梅殿の梅に


”東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ”


と歌を詠まれると、後にその梅が 配所太宰府の菅公のもとに飛んできました。これが「飛梅伝説」です。



そう言えば、当ブログでも、ずっと以前、こんな知ったかブリッコ記事を、あれこれ書きました。


東風(こち)吹いて白い蕾紅い蕾と春兆(きざ)す(2014-01-26)



日本の古典文学で「花」といえば桜をさすのが伝統ですが、それは平安時代以降のことのようで、万葉の時代は、むしろ梅が愛されていたようです。梅は、中国伝来の植物で、当時その花を愛でることができたのは、文化的教養的環境において、相当に恵まれていた立場の人だったでしょう。そんな梅の花を愛でるということは、一種のステータスだったかも知れません。


おなじみの旅人も、多く梅の歌を残しています。


雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも 大伴旅人      巻2-850


【解釈】真っ白な雪の色を奪ったように真っ白に咲いている梅の花!今がまっさかりだよ。(一緒に)みてくれるような人があったらなあ。


我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも          大伴旅人 巻5-822


【解釈】私の庭園に梅の花が散る。真っ白にはらはらと、天から雪が流れて来るようだよ。
ついでに、旅人の子、家持(やかもち)の歌も一首。


雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむはしき子もがも 大伴家持


【解釈】真っ白な雪に月光が照り映えているこんな夜は、梅の花を折って贈ってあげるような、愛しい娘がいたらいいのになあ。




大伴旅人が太宰帥(太宰府の長官)であったことは、すでに話題にしました。
時代は下りますが、平安時代醍醐天皇の時代、右大臣であった菅原道真が、左大臣藤原時平の讒言により、太宰府に左遷されます。
その時詠んだとされる歌が、拾遺和歌集に収められています。


『拾遺和歌集』巻第十六 雑春
流され侍りける時、家の梅の花を見侍て


贈太政大臣
東風(こち)吹かば匂(にほ)ひをこせよ梅の花 主(あるぢ)なしとて春を忘るな


【解釈】(太宰府に)流されました時、家の梅の花を見まして(詠んだ歌)
(没後)太政大臣の官位を送られた菅原道真
春を告げる東風がもし吹いたならば、私の庭の梅の花よ。遠く離れた九州太宰府まで、そのかぐわしい香りを送ってよこしておくれ!!主人である私が、たとえ京のこの屋敷にいなくても決して春を忘れないでくれよ。
この歌は、その他にも、代表的なものだけでも、「拾遺和歌集」、「大鏡」、「宝物集」「 北野天神縁起」、「源平盛衰記 」、「十訓抄」、「古今著聞集」、「太平記」など、 いくつもの書物に採られています。下の句の、「主(あるぢ)なしとて春を忘るな」が「主(あるぢ)なしとて春な忘れそ」という表現になっているものもあります。「な~そ」は、禁止をあらわします。(入試頻出!)
ちなみに、夏目漱石「吾輩は猫である」には、苦沙弥先生の門人で理学士の水島寒月(みずしま かんげつ=寺田寅彦がモデルとされます。)の友人として、詩人の越智東風という、まじめだけれど風変わりな人物が登場します。「東風」という号は、本人によると「こち」と詠むのだそうで、姓名合わせると「おちこち」となります。これは「遠近(をちこち)」という古語に引っかけた洒落だと気づけば、「クスッ」っと笑えます。かの大漱石にしてこの寒いオヤジギャグかと、ギャルたちのケーベツの眼差しを覚悟する必要があるかも知れませんが。



梅の花匂いおこすや海越えて(2014-02-11)



以前、梅の花にちなんで、菅原道真の「匂いおこせよ」の歌に触れました。そこでも述べたとおり、歴史物語「大鏡」にも、このエピソードが登場します。


「大鏡は」作者不詳、成立年代不詳の歴史物語です。成立年代の説明で、「万寿2年以降」と、ワケありめいた具体的な数字が示されて、ちょっと好奇心をそそります。
でも、種を明かせば何のことはない、「大鏡」の冒頭部分に、万寿2年の歴史事実が記載されているので、それより後の成立に違いない、というわけ。
「大鏡」の冒頭は、「雲林院の菩提講」という段で、こんな具合に書き始められています。


さいつごろ、雲林院の菩提講に詣でて侍りしかば、例の人よりはこよなう年老い、うたてげなる翁二人、嫗といき合ひて、同じ所にゐぬめり。


【解釈】
先頃、雲林院の菩提講に参詣したんでおますが、フツーの人よりかゴッツゥ年取って、キモイカンジの爺さんがふたり、婆さんとばったり出会って、同じところに腰をおろしてはるようやったんや。
変な関西弁調でかんにんどすえ。本当は京言葉なんやろが、私には、訳出は無理でおます。
ここに出てくる「雲林院の菩提講」というのが、万寿2年に催された盛大な法会で、大勢の参列者・見物人で賑わったようです。そこで、講師(法会でありがたい 説教をしてくださるお坊さん)の登場を待つ間、参列者たちが三々五々よもやま話をしているなかに、、尋常でないウルトラ・スーパー・スペシャルな二人の老人と、似たような年格好の老婆が、座っていろいろと昔話をしているようす。これを聞いてみると、一人は大宅世継(おおやけのよつぎ)という百九十数歳 (!)という老人、もう一人の老人は、夏山繁樹(なつやまのしげき)といって、ちょっと若い(?)百八十数歳。この人たちが語る思い出話が興味津々で、周 りには人だかりができて耳を傾けている。
そんな、凝った設定の、面白い作品ですから、またの機会に別の章段も話題にするかもしれません。


今日取り上げるのは「道真と時平」の段。


(原文は省略)


【解釈】
(大宅世継が語る思い出話)
醍醐天皇の御代のこと、この大臣(藤原時平公)は、左大臣の位で、年齢がたいそう若くていらっしゃった。菅原の大臣(道真公)は、右大臣の位でいらっしゃる。その時、天皇も、御年齢がたいそう若くていらっしゃった。(天皇は)左右の大臣に、世のまつりごとを執り行うようにとのご命令をお下しあそばしたが、 その時、左大臣は御年二十八、九歳ぐらいだった。右大臣の御年は五十七、八歳でいらっしゃったか。
(このお二人が、)ご一緒に世のまつりごとを 担当なさったところ、右大臣(道真公)は才学が非常にすぐれてすばらしくていらっしゃり、御思慮もことのほかすぐれておられる。左大臣(時平公)は、御年も若く、学才も(右大臣に比べて)格別劣っていらっしゃったので、(天皇の)右大臣に対するご寵愛は格別でいらっしゃったが、左大臣は、心穏やかでなくお 思いになっているうちに、そうなるべき(定め)だったのでしょうか、右大臣にとってよくないことが起こり、昌泰四年の正月二十五日、(朝廷は道真公を)大宰権帥に任命申し上げて、(道真公は、)流されなさった。
この大臣(道真公)は、子どもがたくさんいらっしゃったが、女君たちは、婿を取り、男君たちは、みなそれ相応に官位がおありでしたが、それも皆、方々に流されなさって悲しいうえに、幼くていらっしゃる男君・女君たちは、父君を慕ってお泣き になったので、「小さい者は、まあよいだろう。」と、朝廷もお許しになったのだよ。天皇のおとがめは極めて厳しくていらっしゃったので、このお子様達を、 同じ方面にお流しにはなりませんでした。(道真公は、)あれやこれやにつけ、ひどく悲しくお思いになって、お庭先の梅の花をご覧になって


東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
東風が吹いたならば、(その風に乗せて)香りを送っておくれ。梅の花よ、主人がいないからといって春を忘れて(花を咲かさないで)くれるな。
(中略)


ここで一句


梅の花匂いおこすや海越えて


梅と海、ウメとウミ、、、似てませんか?



雨の中、傘を差しての朝散歩に出てみました。


柿の木が雨に煙っています。



オヤ、もう菜花が咲いています。



先日の記事でご紹介したのとは別の場所で、紅梅が咲きそろっていました。



花びらにも蕾にも、雨の雫をたっぷり含んで、甘い香りを漂わせています。





また別の場所の白梅は、まだちらほら咲き始めたばかりです。













梅一輪 一輪ほどの 暖かさ 服部嵐雪


を実感するのは、もうしばらく咲きのことでしょうか?


今日はこれにて。