中3の孫が、昨日今日と高校入試を受験しました。 とにかく終わってよかったと、どっぷりゲーム三昧の午後だそうですが、さて運命はいかに? ところで、もしもこんな問題が出題されていたら、それは不適切問題ですね(笑)


問題


次の空白部○に適切な文字を入れ、正しく四字熟語をつくりなさい。


 七転八○



なぜなら、「倒」も「起」も正解ですから。


四字熟語辞典の解説を見てみます。



七転八倒の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
しちてん-ばっとう【七転八倒】
激しい苦痛などで、ひどく苦しんで転げまわること。転んでは起き、起きては転ぶこと。▽「七」「八」は数が多いことをいう。「しってんばっとう」「しちてんはっとう」とも読む。また「転」は「顛」とも書く。


出典
    『朱子語類しゅしごるい』五一
句例
    七転八倒してもがく
用例
    ぼくは、居たたまれず、船室に駆けこみ、頭を押えて、七転八倒の苦しみでした。<田中英光・オリンポスの果実>
活用形
    〈―スル〉




七転八起の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
しちてん-はっき【七転八起】
何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力すること。転じて、人生の浮き沈みの激しいことのたとえとして用いることもある。七度転んでも八度起き上がる意から。▽一般に「七転ななころび八起やおき」という。「転」は「顛」とも書く。


句例
    七転八起の人生
用例
    耻(はじ)もかく。名誉も得る。七転八起。一栄一辱。棺に白布しらぬのを蓋おおうにいたって。初て其その名誉が定まるんだ。<坪内逍遥・当世書生気質>
類語
    捲土重来けんどちょうらい 不撓不屈ふとうふくつ 



「七転八起」という故事成語から、私は武者小路実篤のこの詩を連想します。



師よ師よ 武者小路実篤


「師よ、師よ
何度倒れるまで
起き上らねばなりませんか?
七度までゝすか?」


「否!
七を七十倍した程倒れても
なほ汝は起き上らねばならぬ」


(『詩千八百』



高校生の頃、「耽読」した最初の作家(文筆家)は、この武者小路実篤でした。新潮文庫にある彼の作品は、手に入る限りたいてい読んだ気がします。彼が、「ト」の字を見ても頬が赤くなるほど心酔したというトルストイに特別の好感を抱くようにもなりました。有島武郎や里見弴、長与善郎、木下利玄などといった「白樺派」の人々の作品へと、読書傾向が傾いたのも自然なことでした。
(一方、彼が「先生」と特別視した夏目漱石や、お互いに無二の親友と認め合う志賀直哉の作品には、格別傾倒するということもないまま過ぎました。これらに面白さを感じるようになったのは、もう少し大人になってからになります。)


「白樺派」の(特に武者小路実篤の)、「お目出たき人」の名に恥じない楽天的・向日的な人道主義は、「バカラシ派」と揶揄されるほどに、現実知らず・苦労知らずの「ボンボン」の理想主義との批評は、無視できないものがあります。私自身、「安っぽいヒューマニズム」ゆえに心惹かれていくのではないかという思いから、武者小路ファンであることは公然とは表明しかねる気後れを観じた時機もありました。


宮本百合子の初期作品「貧しき人々の群」にこの一文を見つけたのは、そんな学生の頃でした。



貧しき人々の群


宮本百合子


序にかえて
C先生。
先生は、あの「小さき泉」の中の、
「師よ、師よ
何度倒れるまで
起き上らねばなりませんか?
七度までですか?」
と云う、弟子の問に対して答えた、師の言葉をお覚えでございますか?
「否!
七を七十乗した程倒れても
なお汝は起き上らねばならぬ」
と云われて、起き上り得る弟子の尊さを、この頃私は、しみじみ感じております。


後に、苛酷な弾圧に抗して、プロレタリア文学と反戦・平和・労働者解放の社会運動に献身する百合子十七歳の作品です。その根底に白樺派ヒューマニズムへの傾倒があったことは、新鮮な驚きでした。


「七転八起」の言葉は、「転んでもただは起きぬ」ということわざを連想させます。


「転んでもただは起きない」の意味は、「デジタル大辞泉(小学館)」によるとこのとおり。



たとえ失敗した場合でもそこから何かを得ようとする。欲の深い、また、根性のある人のたとえ。転んでもただでは起きない。



とっさに思い出す例として、「今昔物語」の受領のエピソードがあります。



今昔物語集 巻28
「信濃守藤原陳忠落入御坂語 第三十八」


信濃守の任期を終え京へ帰還する陳忠は、信濃・美濃国境の神坂峠を過ぎるとき、乗っている馬が橋を踏み外し、馬ごと深い谷へ転落した。随行者たちが谷を見下ろすと、とても生存しているようには思われなかった。しかし、谷底から陳忠の「かごに縄をつけて降ろせ」との声が聞こえ、かごを降ろし、引き上げてみるとかごには陳忠ではなくヒラタケが満載されていた。再度かごを降ろし、引き上げると今度こそ陳忠がかごに乗っていたが、片手に一杯のヒラタケを掴んでいる。随行者たちが安心し、かつ呆れていると、陳忠は「転落途中に木に引っかかってみれば、すぐそばにヒラタケがたくさん生えているではないか。宝の山に入って手ぶらで出てくるのは悔やみきれない。『受領は倒るるところに土をもつかめ』と言うではないか。」と言い放った。(ウィキペディアより)



ところで、NHK朝ドラ「まんぷく」のモデルで、初めてインスタントラーメンを開発した安藤百福(ももふく)さんが、こんな言葉を残しているそうです。





転んでもただでは起きるな! - 定本・安藤百福 (中公文庫)



  • 作者: 安藤百福発明記念館

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社

  • 発売日: 2013/11/22

  • メディア: 文庫







転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんでこい。逆境に立ってすべての欲とこだわりとを捨て去ったとき、人は思わぬ力を発揮できる。



さて、今日の私のケースは、「七転八倒」でしょうか、はたまた、「七転八起」だったでしょうか、あるいは、「転んでもただは起きぬ」だったでしょうか??


朝は冷え込んだのですが、日中は穏やかな陽射しが表れました。自然環境体験公園に出かけ、こんな桜の花を写しました。







花に気を取られて、足もとに段差があることに気づかず、足もとがぐらついて、無惨に転倒してしまいました。手にカメラを持っていましたので、とっさに防御態勢に移ることができず、舗装された地面に、膝をしたたかにうちつけ、痛ましい打ち身と擦り傷を負ってしまったのです(トホホ)。


これ、七転八倒です。


でも、これにめげず立ち上がり、さらに散歩を続けていると、、、メジロがあらわれたり、、、、





ジョウビタキも、、、





モズも、、、




シロハラも、、、




そして、カワラヒワも、撮影に応じてくれました。








そして、最後は上空にこの鳥が現れて何度も旋回してくれました。



ハトほどの小さな猛禽です。


トリミングします。






ハイタカ?


ズボンが少し破け、膝に擦り傷と腫れが残りましたが、嬉しい散歩でした。


これ、「七転八起」でしょうか?あるいは、「転んでもただは起きぬ」でしょうか?


お後がよろしいようで。