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カモイタチ?の巻 [雑話]

カモイタチ?


このタイトルは、「かまいたち」の誤記ではないの?と訝しく思われた方もおられましょうか?wikiペディアには、「かまいたち」としてこんな解説がありました(曖昧さ回避の項)。


かまいたち(鎌鼬)

    鎌鼬 - 魔風を起こすイタチの妖怪、またその現象。
    かまいたち (バンド) - 日本のロックバンド。
    かまいたち (お笑いコンビ) - 吉本興業東京本社所属のお笑いコンビ。
    かまいたち (宮部みゆき) - 宮部みゆきの時代小説短編集。
    かまいたち戦法 - 将棋の戦法。
    かまいたちの夜 - ゲームソフト。
    KAMAITACHI (DJ TECHNORCHの曲) - beatmaniaIIDX14 GOLDに収録されているDJ TECHNORCHの楽曲。
    カマイタチ - 高橋ヒロムの海外遠征時代のリングネーム。
    カマイタチ - ゲーム『ウイニングポスト』シリーズに登場する架空の競走馬。ウイニングポストシリーズ#主なスーパーホース参照。


そう言えば、うちの孫などが話題にするのは、お笑いコンビのことでした。私などが子ども時代から聞き知っていたのはこちらのカマイタチですが、、、。


鎌鼬(かまいたち)は、日本に伝えられる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる。

別物であるが風を媒介とする点から江戸時代の書物では中国の窮奇(きゅうき)と同一視されており、窮奇の訓読みとして「かまいたち」が採用されていた。


白土三平のマンガにも出てきましたっけ。




カムイ伝全集 第一部(2) (ビッグコミックススペシャル)

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  • 作者: 白土三平
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2017/12/25
  • メディア: Kindle版



忍者武芸帳 影丸伝 文庫版 コミック 全8巻完結セット (小学館文庫)

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  • 作者: 三平, 白土
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1997/09/01
  • メディア: 文庫



でも、今日のタイトルは、「カモ(&)イタチ」で良いのです。 先日、倉敷川でカモの群れを見たことは前回記事に書きました。


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堤防沿いの木枝の止まっているカラスや、


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モズや、


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あちこち動き回るジョウビタキの姿を追っていると、


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何やら堤防下でガサガサ音がするのを、目を凝らしてみると、、、。


草の茂み、ペットボトルなどの漂流物が転がっているあたりに、、、


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目が合いました。


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イタチの若者のようです。


逃げないどころか、こちらに興味を覚えたらしく、カメラ目線を惜しげもなくくれたまま、こちらに近づいてくるほどです。


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茂みの陰になって、なかなか全身をすっきり捉えることにはなりませんでしたが、証拠写真は撮れました。


イタチと言えば、これまでも何度も記事にしています。


たとえばこの記事。


ひさびさのこれなあに?の巻(2018-08-29)


久々の「これなあに?」
今朝の散歩で出会った生き物をご紹介しておきます。

いつもの散歩道の道端でみつけました。イタチの仔のようですが、とっさには何者か判断できませんでした。

これまでも、イタチはあちらこちらで見たことがありますが、こんな赤ちゃんは初めて見ました。

ちなみに、イタチが登場する記事は以下の通り。

PCもカメラも軽快、高性能であって欲しいものですが、、の巻
また、イタチ?の巻
「これなあに?」3連発、の巻
大雪(たいせつ)やぎっくり腰の家籠り
秋めくや まれびとあまたおはしける
一間(6尺)の大イタチ?の巻

そう言えば、今日は冬至 立冬。「カモイタチ」だなんて、寒ーいダジャレで、どうも、シッツレイシマシタ!今日はこれにて。


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目からウロコ(その2)、の巻 [雑話]

早朝の民法ラジオから、ベートーベンの交響曲第6番「田園」の第1楽章の曲とともに「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かない - 聖パウロの言葉より - カトリック教会がお届けする『心のともしび』」という声が流れてくるのを、物心ついた時分によく聞いた覚えがあります。


「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かない」---高校のころなど、友人との日常会話に、冗談交じり、本気まじりで、このフレーズが用いられることもありました。


今、誰よりもアベさんに聞かせたい言葉です。


聖パウロについて、ウィキペディアにはこんな解説があります。


パウロ(希: Παῦλος、? - 65年?)は、初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人。はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となり、キリスト教発展の基礎を作った。ユダヤ名でサウロ(ヘブライ語: שָׁאוּל‎、Šāʼûl)とも呼ばれる。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。
(中略)

回心
ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いた、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった。この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年頃のこととされる。一般的な絵画表現では、イエスの幻を見て馬から落ちるパウロの姿が描かれることが多い。


前回記事の「目からウロコ」の由来は、このエピソードだったのでした。


さて、きょう、6月29日は「聖ペテロと聖パウロの聖名祝日」だそうです。にわか仕込みの蘊蓄でした。




キリスト教がらみの蘊蓄につづいて、仏教がらみの蘊蓄も添えてバランスを取ることにしましょうか(笑)


今は昔、2014年の今日、こんな記事を書いています。


六月の花 紫陽花 総集編


途中、倉敷市藤戸寺を通ってみました。平家物語ゆかりの寺で、沙羅(ナツツバキ)で有名な寺ですが、六月の三日間だけ客殿を開放し「沙羅の花を観る会」が催されるのだそうですが、今年はあいにく開放期間終了との掲示がありました。


また、同じ年の6/11の記事。故旧あい集いし森の青胡桃


庭にはシャラ(ナツツバキ)のツボミもふくらみ始めていました。

この花は、咲いたらその日のうちに散るのだそうです。

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先日訪ねた半田山植物園でも、シャラの木を見つけました。

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平家物語冒頭の、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。」と描写されるのが、「沙羅」ですね。
釈迦入滅の時、その床の四辺にあった沙羅樹がたちまち枯れて白色に転じたと言われます。

日本ではこの「ナツツバキ」を「沙羅」と呼び、庭木として植栽しますが 、釈迦入滅を見届けた「沙羅」の木とは別種だとも聞きます。


そのあとも、何度も話題にした花ですが、そのナツツバキ(沙羅)が後楽園に咲いていました。先日(6/26)の撮影です。


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井田そばの古代ハス(大賀ハス)が満開です。


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アオサギがいます。


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シラサギがいたりして、我が家の近所の田園風景と見まがいますが、後楽園の井田の中です。前回に比べて稲苗が一気に育っています。


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アジサイは、今が盛り。


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かやぶき屋根のスケッチ。


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青もみじ。


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赤い紅葉もありました。


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後楽園散策中に、かなり強い雨に見舞われました。あいにく傘は、駐車場の車の中です。身体が濡れるのは、涼しくて良いくらいですが、カメラが濡れるのは困ります。ボディは、防塵防滴のPENTAXk-30ですが、レンズのSIGMA120-400は、防滴仕様ではありませんから、バッグの中に隠して歩かねばなりません。


そんなときに、カワセミに会いました。急いで取り出して.慌てて写しますが、どうやらiso設定が感度不足のようで、シャッター速度が稼げず、ブレブレ写真ばかりでした(残念).ちょっとましなのを記念に残しておきます。


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トリミングします。


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今日の付録


我が家の畑のアマガエル(6/25撮影)


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自然保護センターの滝川で、水浴するトノサマガエルを写していたのを思い出しました。6/15撮影。


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爬虫類・両生類が苦手な方は、御免なさい。


今日はここまで。


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目からウロコ、の巻 [雑話]

最近、この年齢になって「目からウロコ」を体験する場面が、なんだか増えたような気がします。これまで、知ってるつもりで生きてきたことが恥ずかしい限りですが、誤認識を一つでも改めることができたとすれば、幸いなことと、自分を慰めています。ところが、困ったことに、「目からウロコ」の中身が何だったか、忘れてしまって思い出せないことがしばしばあります。


ここ2,3日も、気になって仕方がないことがありました。それが何だったか、思い出せそうで思い出せない。「言葉の思い違い」に関係ありそうだというところまでは、ぼんやり思い浮かぶのですが、いつ、どこで、何によって(あるいは誰によって)、そして何について、「目からウロコが落ちる」体験を得たのだったか、考えても考えても頭の中の濃霧は深まるばかり。寝ても覚めても、居心地が悪い状況が続きました。


もちろん、一日中それにかかずらわっているわけにも行かず、必要な人づき合いや、よんどころのない請負仕事、また家庭内業務に時間を割かなければならないのですが、その隙間のふとした瞬間にも、思い出せないもどかしさがつのって、心が晴れません。


そもそものきっかけはというと、先日、半田山植物園を歩いたことを記事にしようとする過程で「目からウロコ」を体験し、これをタイトルにしようと考えたことが始まりでした。


まずは、いつものように散歩写真のご紹介。


赤いネムの花。


緋合歓(ヒネム)でしょうか?


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白花合歓木(シロバナネムノキ)?


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紫陽花(アジサイ)


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バラ。


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スモークツリー?


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キキョウ。


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ビーズレモン。


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ハンゲショウ。


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アーティチョーク。


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河骨(コウホネ)のとなりに咲いていた浅沙(アサザ)。コウホネは、前回、自然保護センターのものを紹介しましたで、今日はアサザ。花が咲いているところははじめて見ました


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ハス。


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スイレン


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デンジソウ。漢字で書くと「田字草」。確かに四枚の葉が、田の字の形をしています。


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ベニシジミ。


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ウチワヤンマ。


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さて、今日のテーマ。目からウロコの対象は、、、


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何が「目からウロコ」かと言いますと、このトケイソウ、英名を「Passion flower(パッションフラワー)」と言うそうです。「パッションフルーツ(passion fruit)」もトケイソウ科の果物で、「果物時計草」という和名もあるそうです。


ところでこのパッション(passion)、てっきり「情熱」の意味だとこれまでずっと思っていました。中南米原産だといいますし、いかにも情熱的な風土に似合う植物だとおもいこんでいたのです。


ところが、まったくの早のみこみ。ウィキペディアにはこうありました。


和名は3つに分裂した雌しべが時計の長針、短針、秒針のように見える特徴のある花を咲かせることに由来する。

英名 passion flower は「キリストの受難の花」の意味で、イエズス会の宣教師らによってラテン語で flos passionis と呼ばれていたのを訳したものである。 16世紀、原産地である中南米に派遣された彼らは、この花をかつてアッシジの聖フランチェスコが夢に見たという「十字架上の花」と信じ、キリスト教の布教に利用した。 彼らによればこの植物はキリストの受難を象徴する形をしており、花の子房柱は十字架、3つに分裂した雌しべが釘、副冠は茨の冠、5枚の花弁と萼は合わせて10人の使徒、巻きひげはムチ、葉は槍であるなどと言われた。

属名は造語だが、やはり上記比喩に倣ったもの。

なお、英単語 passion には「情熱」の意味もあるが、この植物の名称での passion は「受難」の意味であって、「情熱」の意味ではない。


フームなるほど、聞いてみないとわからない。「目からウロコ」でした。そう言えば、以前も同じようなことを思ったことがあったけれど、あれは何だったっけ?と考え始めたことが、冒頭の文章につながります。


やっとのことで、今日の未明、ふっと思い出しました。


「タックスヘイブン」を、長い間を税金の「天国」と思い込んできたのを、浅はかな勘違いだったと教えられたことが、ごく最近、あったのでした。これもまた、ウィキペディアの説明を借ります。


タックス・ヘイヴン(英語: tax haven)とは、一定の課税が著しく軽減、ないしは完全に免除される国や地域のことであり、租税回避地(そぜいかいひち)とも、低課税地域(ていかぜいちいき)、とも呼ばれる

フランス語では「税の楽園」「税の天国」を意味するパラディ・フィスカル(フランス語: paradis fiscal)と言い、ドイツ語などでも同様の言い方をする。しかし、英語のタックス・ヘイヴンの haven の日本語での意味は「避難所」であって、「楽園」「天国」を意味する heaven ではないことに注意されたい。


ところで「目からウロコ」の出典は、意外にも、新約聖書だそうです。


目から鱗が落ちる(精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典)

新約聖書の「使徒行伝」から出たことば。何かがきっかけとなって、急に物事の事態がよく見え、理解できるようになるというような場合のたとえとして用いられる。

※引照新約全書(1880)使徒行伝「彼の眼(メ)より鱗(ウロコ)の如もの脱(オチ)て再び見ことを得、すなはち起てバプテスマを受」


ちなみに、検索してみると、拙ブログの過去記事でも「目からウロコ」の体験を何度か書いています。印象深いものを再録しておきます。丑の日の朝散歩、の巻(2016-07-30)


前日カルガモ親子を案内して下さったM師からいただいたメールをきっかけにした記事です。


メールでは、相模原の事件について、あれこれ書き散らしてきた私の文章に欠けていた視点に気づかされ、目からウロコでした。
うすうす感づいていたのに、言語化できずにいた、と自己弁明しているところですが、肝心なポイントですので、了解を得て紹介させていただくことにします。
というわけで、馬脚を現す前(いや、もう十分に露見していますが)に、早々に切り上げるつもりでいたこの事件の話題を、再度俎上に載せることにします。
以下、Mさんのメール(抄)です。

  おぞましい事件が起きましたね。いまこの国を覆う能力主義的価値観の行き着く先のような気がします。格差や能力主義への無自覚な抗議ではなくその逆のように思います。権力者の能力主義的弱者切り捨ての価値観への無自覚な迎合でしょう。
私も大学卒という学歴を持つということは一応この能力主義的偏差値体制の勝者ですから、身に染み付いた能力主義的価値観はなかなか洗い流せません。昔吉野さんからガツンと一撃をもらったのを今でも思い出します。いわゆる底辺校に勤務していた頃授業で時事問題の雑談をしていた時、家計を助けるため毎朝新聞配達をし後登校してくる生徒がいました。その時ある事件について質問してくるので「君は新聞を配達しているのだろう。今日の新聞に載っていただろう。」というと「わしゃあ漢字が読めんからようわからん」という返事をもらいました。吉野さんにこの話をして、「ということは高校生にもなって教科書も読めん子がおる。こうゆう子らに何を指導すりゃあえんじゃろう。」と教育困難校の悩みを話したら。「新聞が読めん子には新聞が読めるようにしちゃらあいいが、それがあんたの学校の教育課題じゃねんかな。あんたらの学校の子は箸がもてるじゃろう。自分で飯が食えるじゃろう。うちの学校には箸の持てない子がおる。箸の待てない子には箸が持てるようにしてやるのが教育課題じゃ。難病であと少しの寿命の子もいる、もうすぐ死ぬ子に教育が必要か?この子には人間として死なせてやる、それが教育課題じゃ。」というような意味のことを言われました。
能力主義的人材育成教育でない「人間教育」とは何かを真剣に考えさせられた一撃でした。すごい人です。
今回の事件の犯人は衆院議長に手紙を届けようとしています。無自覚のうちに今の権力者の価値観に受け入れられると思っていたのでしょう。
そういえば以前、介護老人をビルの上階から落とした介護師がいました。私は要介護老人でないので黙っていました。次に障害者が虐殺されました。私は障害者でないので黙っていました。次に生活保護受給者が狙われました。私は生活保護受給者でないので黙っていました、次に年金受給者が・・・・・。
人は何かに役立つから価値があるのでなく、存在しているそのことに価値があるということを叫ばなくては。孫育ては能力主義社会から半歩出ている高齢者の役目だという人がいます。能力主義が渦巻く社会へ出て行く前の子供に存在そのものが素晴らしいと感じさせねば・・・と思う今日この頃です。

ちなみに、文章中の「吉野さん」とは、昨日の記事でご紹介した、「浅田達雄さんを支援する会」事務局長・障岡連(障害者の生活と権利を守る岡山県連絡協議会)事務局長の吉野一正氏のことです。


こんな「目からウロコ」体験も、時間とともに記憶の彼方へ薄らいでいました。情けないことです。ところで、相模原の事件当日、こんな記事を書きました。


飼育中のツマグロヒョウモンすべて羽化、の巻(2016-07-26)


「障害者はいなくなってしまえ。」冷酷な、思い上がったこのセリフ。でもそれは、わずか70数年前「劣等人種はいなくなってしまえ」と、ユダヤ人たちを大量虐殺したナチスの若者たちのセリフと全く同じではないですか。おそらく深い心の闇を抱えた、尋常でない精神状態の犯人による「異常な猟奇殺人」には違いないでしょう。でも、その行動に実際に足を踏み出すか否かは別として、社会的弱者にたいする偏見と憎悪、差別と排除の空気は、しずかに醸成されているのではありませんか。

たとえば、野放しのヘイトスピーチ、傍若無人のネトウヨたちの言動の、向けられている敵意の方向は、あの犯人の若者と差異を見出すことが困難ではないでしょうか。

そして、困ったことに、今、特異な暴走政権を形づくっている「日本会議」勢力と、その共感者、支援者たちの奏でる主題歌が、まさにこの「劣等者は生きる価値なし」のメロディではなかったでしょうか。

いや、すべては謎。軽々しい論評は避けることにしましょう。


あれからもうすぐ4年。今年の3月には、植松聖(さとし)被告にたいする死刑判決が下され、被告の控訴取り下げにより刑が確定しました。しかし、「すべては謎」のままで、事件はまったく解決したとは思えません。被告存命のうちに、被告自身が深い自己省察・自己洞察を踏まえてすべてを語ることによって、「目からウロコ」となるような、真相解明がなされることを期待したいのですが、、、、


今日はこれにて。


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束の間のぬか喜び、の巻 [雑話]

「喜びも束の間」と言うフレーズが頭に浮かんで。はて、「束の間」とはなんだっけ?と気になりました。


精選版 日本国語大辞典精選版にはこう説明されています。


つか【束】 の 間(ま)

(一束(ひとつか)、すなわち指四本の幅、の意から) 時間がごく短いこと。少しの間。ごく短い時間のたとえ。つかのあいだ。

※万葉(8C後)四・五〇二「夏野行く小鹿の角の束間(つかのま)も妹が心を忘れて思へや」

※徒然草(1331頃)四九「人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり」


引用歌の「小鹿の角」は、「夏は鹿の角が生えかわって、新しい角がまだ短いところから) 短い時間の意の『つかのま』『ほどなし』などを引き出す表現。 」なのだそうです。「束」は、指4本の幅だそうですが、動詞「つかむ」と同源かとも言われ、「束の間」とは、一つかみできるほどの僅かな時間、ということにもなりそうです。


ところで、この「束の間」を、「つかのあいだ」と読んで、同じ意味に用いる例もあるようです。


例えば、草壁皇子のこの歌。


大名児(おほなこ)を 彼方(をちかた)野辺(のへ)に 刈る草の 束(つか)の間も我忘れめや (万葉集 二・一一〇)


【Kazg訳 オオマイダーリン、スイートハート!愛しの大名児ちゃんのことを、あっちやこっち、野辺で刈る草の、ほんの一つかみほどの僅かな時間も、ボクは忘れられようかいやいや忘れられへんわ、ホンマ!!】


確かに「つかのあいだ」と読まないと、まったくの字足らずになって語調が悪いですね。


ところで、この歌には、こんな詞書きがあります。


日並皇子尊の、石川女郎に贈り賜ひし御歌一首。女郎、字を大名児と曰ふ。


日並皇子尊は草壁皇子で、大名児とは、石川郎女(いらつめ)のことだそうです。万葉集には石川郎女(女郎と表記するものもある)と呼ばれる女性が、五人ほども登場すると言います。詳細は不祥ですが、この草壁皇子に愛を告白された石川女郎は、大津皇子との間の相聞歌で記憶される石川郎女と同一人物であるようです。こんな歌のやりとりです。


大津皇子の、石川郎女に贈りし御歌一首   
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れし山のしづくに


【Kazg訳 足を引きずり、あえぎあえぎ登るようなキツイ山の、雫にぐっしょり濡れながら、キミを待っていて、ボクは立ったままでマジ濡れちゃったヨ、山の雫にさ! 】


石川郎女の和し奉りし歌一首。
我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを


【Kazg訳 ワタシを待つと言ってアナタが濡れたっていう山の雫に、いっそ、なれたら嬉しかったのに、ワタシ!!】


いやいや、お熱いことです。石川郎女はどうやら、草壁皇子には応答歌を返していないようですので、この三角関係、大津皇子の勝利に終わったようです。


余談ですが、その大津皇子、謀反の罪を着せられて悲運の最期を遂げるのですが、自分の過去記事を検索してみると、こんなことを書いていました。


猿沢の池かとまがう水田(みずた)かな(2014-06-14)


大津皇子は天武天皇の皇子で、お母上は、天智天皇の皇女であられた大田皇女(おおたのひめみこ)よ。父帝が崩御されたあと、讒言によって謀反の罪を着せられて捕えられ、磐余にある自邸にて自害させられたの。御年は24の若さだったわ。
これを悼んだ姉君の大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌も、哀切よね。

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背(いろせ)とあが見む

「不本意ながらこの世に生きて残された私は、明日からは弟が葬られた二上山を弟と思うことにしますわ」

「うつそみ」は「うつせみ」 とも言うわ。「現し身」=現にこの世に生きている身という意味。「現(うつつ)」は「夢」の対義語で、「現実」を意味するし、「覚醒した状態」「正気の状態」を表すことも多いわ。夢なら良かった、酔って忘れられたらそれもいい。でも、冴えた正気の目で現実を見つめなければならないことのつらさ。せめてあの山を、あなたを偲ぶよすがと思って、心を慰めることにしましょう

磯のうへに 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありと言はなくに

「岩の上に生える馬酔木(あせび)の花を手折って、あなたに見せようと思うけれど、見せたいあなたが健在だとは誰も言ってくれないの」
大伯皇女は、伊勢神宮の斎宮で、神様に仕える身の上でいらっしゃったのよ。父帝が亡くなられたあと、謀反の罪で捕らえられるまでのある日、弟の大津皇子が皇女を伊勢まで秘かに訪ねたことがあったわ。姉皇女は、男子禁制の斎宮の身でありながら、弟皇子を懇ろに迎え、親密に一夜を語らい、まだ空が暗いうちに旅立つ弟を、姿が見えなくなってもずっと見送ったのよ。それが最後の別れとなる予感があったのかどうか、知る由もないけれど。次の二首は、そのときの歌。

わが背子を大和へ遣ると小夜更けて あかとき露に我が立ち濡れし

「私の愛するあなたが、奈良の都に帰るというので、夜も更けてからその無事を祈って見送り続けていると、私の身体は明け方の露にぐっしょりと濡れてしまったことですわ。」

二人行けど行きすぎ難き秋山を いかにか君が一人越えなむ

「二人で行っても越えるのが難儀な秋山を、愛するあなたはどうやって一人で越えているのでしょうか」

実の姉弟の間柄なのだけど、同時にこの世で最も信頼できる相手、心の通いあう相手、互いに恋人同士のような思慕を抱いていたのかしら。

ところで、大津皇子憤死の知らせを聞いた妻の山辺皇女(天武天皇の皇女)は、半狂乱になり、裸足で墓まで駆けつけて、大津の皇子の跡を追って殉死したそうよ。なりふり構わず、その愛を貫いた山辺皇女さまもおいたわしいけれど、神に仕える斎宮の身故にそうすることもかなわなかった大伯皇女さまは、いついつまでも悲しみが晴れることなく、さぞやお辛いことだったであろうと思われますわ。

全くの余談になるけれど、『日本書紀』によると、「御船西に征き、初めて海路に就く。甲辰(8日)に御船大伯海(おおくのうみ)に到る。時に大田姫皇女(おおたのひめみこ) 女子を産む。よりて、是の女を名づけてを大伯皇女(おおくのひめみこ)という」とあるわ。斉明7年1月のことよ。
つまり、大伯皇女さまは、お父様の大海人皇子(後の天武天皇)やお母様の大田姫皇女さまも乗り込んで、朝鮮出兵のため難波を出航した船団が、岡山県邑久(おく)郡の海=小豆島の北方=大伯の海の上を通りかかったとき、つまり船上でお生まれ遊ばしたのね。「大伯」は「邑久」の古名なのね。今は平成の大合併で「瀬戸内市」なんて無個性な名前になってしまっているのが、ひどく残念に思えるわ。




「ぬか喜び」という言葉も浮かんで、調べてみました。


レファレンス協同データベース


  図書館関係のこんなサイトに、下のようなレファレンス(質問・回答サービス)がありました。   


提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)
管理番号
(Control number)
M16011510377375

事例作成日
(Creation date)
2016/1/6
登録日時
(Registration date)
2016年03月28日 00時30分
更新日時
(Last update)
2019年12月19日 00時31分

質問 (Question)

「ぬか喜び」の語源が知りたい。なぜ「ぬか喜び」と言うのか。

回答(Answer)

『日本国語大辞典』の「ぬか喜び」の項をみると「あてがはずれ、あとでがっかりするような時の、一時的な喜び」とあり、『狂歌・後撰夷曲集』(1972)の用例が引用され、近世には使用されていたことが解る。

語源は資料により見識が異なっており、複数の説がある。複数の資料を確認したところ、おおむね3つの説がみられた。

(1)ぬかの形状から「こまかい、ちっぽけな」といった意味で用いられ、さらに「頼りない、はかない様子」といった意味も加わり、「ヌカヨロコビ」の語が生じた。

(2)ことわざの「糠に釘」からきている。
『大言海』には「糠ニ釘、利目ナキ意カ」とあり、また『慣用句・故事ことわざ・四字熟語使いさばき辞典』によると「糠に釘を打ち込んだと喜んだら、すぐ抜けて、がっかりした」ことから生まれたとしている。

(3)「喜びが抜けがら」の意。
『日本語源広辞典』によると語源は、「糠+喜び」とし、「喜びが抜けがら」の意として紹介している。    


語源は諸説あるようですが,なるほど「あてがはずれ、あとでがっかりするような時の、一時的な喜び」という意味は確認できました。


さて、今日タイトルの「束の間のぬか喜び」のココロは?


先日の記事黒死病異聞、の巻(2020-02-07)で、故障カメラをDIYの分解修理で、18000相当修理代金を浮かした件を、自慢げに報告しました。たしかに、しばらくは快調な働きを示してくれていて,満悦至極だったのですが、ここのところ、「黒死病」の症状とは別の、原因不明の挙動不審があらわれるようになり、ついにはAFが全く効かなくなりました。


文字通り「束の間の幸せ」「ぬか喜び』に終わったワケでした(トホホ)


仕方がありません。今の所、MF撮影は無問題でできるようですので、MF専用機として活用することにしました。


一時の季節はずれの暖かさが一転して、今日は一日、冷たい雨と激しい風ですが、朝のうちはまだそれほどでもなかったので、私にとっては最初に出会ったMFレンズsmc pentax-m 50mm f1.7(最初の個体は故障して、中古で買い換えましたが)を装着して、近所を歩いてみました。


通り道の庭に咲く紅梅です。


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白梅も見頃。


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ナズナ。


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ホトケノザ。


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ニホンスイセン。


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ピント合わせに手間取りますから、素早く動く相手には追いつけませんが、静物を写すことはまずまず可能です。最短撮影距離が45cmと、マクロ撮影のも不向きですが、それに近い使い方はできそうです。末永く活用してやりたいものです。


私が。特段の理由もなくPENTAX機と付き合ってきたいきさつは,これまでも何度か書きましたので繰り返しませんが、今手元にあるすべての個体が、不調を抱えています。


1)k5Ⅱ---メイン機で、その性能その他には何の不満もありませんが、いつの間にか視度調整レバーが取れて(折れて?)しまいました。視度調整できないのは非常に辛いのですが、我慢してAF任せで撮影することは可能なので、それに甘んじていましたが、つい最近、爪楊枝の先でレバーを動かせることが分かり、かえって不用意に触って位置が変わってしまうアクシデントも防げて、快適に使えています。


2)k30---今日の記事の通り。


3)kr---内蔵キャパシタ電池が劣化した成果、バッテリ-交換のたびに日付設定がリセットされ、いちいち設定しなおさなければなりません。そのたびに新品を買ったうれしさを味わえる、と思えば有り難いことですが、出先で撮影中にバッテリー切れで交換したような時、シャッターチャンスが失われることに怯えながら、日付設定する焦れったさは、好ましいものではありません。魚釣りで、ちょうど当たりが出て、釣れ始めた時に仕掛けがもつれて、交換している時の気持ちとダブります。


3)PENTAXQ(シリーズ)--すべて内蔵キャパシタ電池の劣化で、上と同様の症状です。


でも、だからといって、キッパリ縁を切って他社に乗り換えようとは思いません(たぶん)。


「束の間も我 忘れめや」 というほどの恋心を燃やしているというわけではありませんが、、、。


今日はこれにて。


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カエル三題、の巻 [雑話]

三題噺を一席。


1)変える


前回記事を書いた後、ネット上でこんな秀逸な四コマ漫画をみつけました。


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作者のぼうごなつこさんについては、この記事でも紹介させていただいたことがあります。


猛暑日の涙、の巻


最後にこんなマンガを紹介させていただきます。

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まんがイラスト ぼうごなつこのページからお借りしました。


ところで、丸山穂高議員のトンデモ発言の潜在的底流についてリテラ5月14日・15日付記事がこんな指摘をしています。同感です。


「戦争」発言の丸山穂高だけじゃない、維新はネトウヨの巣窟(5/14)


もちろん、これは丸山議員個人だけの問題ではないだろう。周知の通り、維新の会は自民党と比肩するネトウヨ議員の巣窟と言っていい。

その代表格が“暴言王”などと呼ばれて悦に入っている足立康史衆院議員だ。周知のように「アホ」「バカ」「死ね」が口癖で品性下劣そのもの。(中略)

地元・大阪ではもっと露骨だ。2017年の衆議院選挙には、橋下徹氏の大阪市長時代の元秘書である奥下剛光氏が維新から立候補したが、その直前、ヘイト団体・在特会の元関西支部長である増木重夫氏が事務局長をつとめる団体が奥下氏を応援する講演会を開催しようとしていたことが発覚した。講演自体は取材の動きを知った奥下氏がキャンセルしたが、会には辻淳子・大阪市議ら維新の地方議員が参加していた。

大阪では、こうしたかたちで維新とネトウヨ・ヘイト勢力の融合が進んでいるのだが、それ以前に政治家としての資質が問われる言動をする府議、市議が多数いる。維新所属または当時所属していた議員の不祥事をいくつか挙げてみるとこんな感じだ。

経営していた整骨院で療養費をだまし取り詐欺罪で実刑判決をくらう市議、忘年会帰りに泥酔してタクシー内で暴れる府議、女子中学生らを集会に勝手に誘ってLINEで無視されると「ただで済まさない」「身元を特定している」などと恫喝する府議、宴席で女性市議の胸を触る写真が報じられ「触診です」と苦しい言い訳の市議、その女性市議の足の匂いを嗅ぐ市議、飲酒運転でひき逃げする市議(有罪)……。

というか、そもそも松井一郎代表じたいが、今年4月の大阪W選挙でネトウヨサイトのデマをリツイートして拡散するような政治家だ。「透析患者は殺せ」の長谷川豊氏を2017年総選挙に続き今年の参院選と国政選挙に擁立しているという“実績”も忘れてはならない。

 


安倍首相の思想は“戦争しないと”丸山穂高と変わらない! 過去に「日本人も血を流せ」「尖閣は外交でなく物理的な力で」発言(5/15)


維新・丸山穂高議員による「戦争しないとどうしようもなくないですか」発言。維新は火消しに躍起で丸山議員を除名処分にしたが、しかし、今回の問題、跳ね上がり議員が酒の勢いで口を滑らせた、ということで終わらせてはいけない。

なぜなら、あの発言の根っこにあるネトウヨ丸出しの浅薄な“戦争扇動”思想は丸山議員にかぎったものではないからだ。歴史修正によって過去の侵略戦争を美化し、国民が国を守るために命をかけることを迫り、日本人が血を流す未来の戦争を煽る──。こうした姿勢の議員は政権与党である自民党にこそ、やまほどいる。

そして、この頂点にいるのがほかでもない、総理大臣である安倍晋三だ。


また、ちょっと古いこの記事もついでに引用させていただきます。


石原慎太郎が「野望は中国との戦争」(2014/08)


日本維新の会解党にともなって、「次世代の党」をたちあげ、最高顧問の椅子に座った石原慎太郎。22人という予想以上の数の議員を集めたこの石原新党は同じく自主憲法制定をめざす安倍政権とも急接近しており、将来的には公明党にかわって与党の一角を占める可能性も出てきた。

ところが、そんな政局のキーマンともいえる石原慎太郎がここにきて、とてつもなく危険な発言をしたことをご存知だろうか。

石原は先日、発売された「週刊現代」(8月9日号)で、今の野望は何か、と聞かれてこう答えたのだ。

「支那(中国)と戦争して勝つこと」


とどめは、これでしょうか。


ミタパンも批判…自民党の「失言防止マニュアル」が酷い!


大きな批判が巻き起こっている日本維新の会所属だった丸山穂高議員による「戦争しないとどうしようもなくないですか」という言語道断の暴言。だが、これが他人事ではないのは、“暴言の宝庫”である安倍自民党だろう。実際、4月には「総理とか副総理が言えないので、私が忖度した」と発言した塚田一郎・国土交通副大臣や「復興以上に大事なのは議員」と述べた桜田義孝五輪相(いずれも当時)が相次いで辞任しているからだ。

しかし、そんななかで安倍自民党の“無反省体質”を如実に象徴するような問題が浮上した。

それは、自民党が参院選を控えて“失言防止マニュアル”を作成、党内に配布していたことがわかったからだ。

(中略 )

この“失言防止マニュアル”に対しては疑義の声が殺到。御用メディアであるフジテレビの『FNN Live News α』ですら、メインキャスターを務める三田友梨佳アナウンサーが、このように苦言を呈した。

「必要なのはマニュアルではなく判断力なのではないでしょうか。言って良いことと悪いことの判断は、誰かに言われてではなく、自ら責任を持っていただきたいです。マニュアルが必要になる時点で、国会議員の資質とは一体何なのか、考えてしまいます」

このミタパンの的を射た指摘は、Twitterで〈正論を言うミタパン〉というコメントつきで拡散され、17日21時現在、約2万7000リツイート、「いいね」は約11万もついている。

こんな対策では、自民党議員の暴言癖がなくなることはまずもってないだろう。問題なのは、為政者が差別的な暴言を吐き、それを謝罪もせずに済ませたとき、その暴言は暴言ではないと社会にお墨付きを与えてしまうことだ。そして、「暴言の宝庫」たる安倍自民党がそうした問題にまったく無反省であることが、これではっきりとした。差別の再生産、社会への偏見の蔓延も食い止めるには、この思い上がった政党を与党から引きずり下ろすほかないのである。

(編集部)


そろそろ変える時でしょう。




2)帰る


話は変わって、昨日の朝日新聞岡山版短歌欄に、こんな歌が掲載されていました。


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「イチローと同じ名を持つわが叔父は南の島の海底に眠る」


作者の叔父様は、1944年、フィリピン沖で乗っていた輸送船が爆撃を受けて船と共に沈み、帰らぬ人となられました。22歳くらいだった由。痛ましいことです。


そう言えば、妻の叔父は、十代の若さで志願して戦地に赴き、搭乗機が撃墜されて亡くなりました。その話題は、以前この記事に書きました。


もう一つの「今日は何の日」


ちなみに、軍用飛行機や艦船、戦車などのプラモデル製作にあこがれながら、気ままに購入できもしない子ども時代、カタログを丹念に眺めて心を躍らせたものでしたが、一番のお気に入りは、そのフォルムの際だつ三式戦闘機「飛燕」でした。独特のフォルムは、空冷エンジンを積載していたためだそうで、爆音も独特のものだったそうですね。
さらにちなみに、たまたまのきっかけで「一式陸攻」のプラモデルを作ってから、この無骨な攻撃機に親愛感と愛着を覚えておりました。ところで、妻の、亡くなった父親は、海軍で戦艦などに乗った軍人でしたが、死線をくぐって生きて復員し、90歳を越える天寿を全うしました。穏やかで、慈愛に富む人柄でしたが、天皇への崇敬と、「大東亜戦争」の「正当性」へのこだわりは、終生、曲げることがありませんでした。また、その弟(妻にとっては叔父)は、少年兵として志願していくさに赴き、10代の若さで戦死されたと聞いていました。仏壇の上の額には、戦闘服・戦闘帽を着けた凛々しい少年の遺影が飾ってあります。その戦死の模様はつまびらかでなく、遺骨も帰ってきていません。
義兄(妻の兄)が、厚生労働省などを通じて調べたところによると、戦死時に搭乗していたのは、この一式陸攻だったそうです。いのちを共にしたその愛機は、あるいは、この水島工場で生産された機体だったかも知れません。


かりそめにも「戦争」を口にするならば、このようにあたら若い命を戦場に散らし、ふたたび帰ることのなかった無数の人たちのことを、思いみることがなくてはなりますまい。ブログを始めたばかりの頃(2013年)こんな記事を書きました。


すすり泣くごとく木枯らし吹きすさぶ


海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

スケールの大きい、そして何か寂寥感のただよう句として、高校生の頃から耳に残っていました。力の限り吹きすさんだ木枯らしが、荒れ果てた海の上を、目当てを失って右往左往しながら、途方に暮れて、なおむなしく暴れまわっている様が、印象的です。なによりも、木枯らしを擬人化するという発想に、意表を突かれました。

最近、この句にもう一つの含意があることを知りました。
呑亀さん(http://profile.ameba.jp/msato0596/)が、国会図書館のマイクロフィルムの中から発掘された資料によると、昭和三十二年発行の雑誌『財界』五月号で、作者はこう述べているそうです。
http://ameblo.jp/msato0596/entry-11410983063.html

「十一月十九日
海に出て木枯帰るところなし
この句は、後に世評に上った句であるが、昭和十九年の作である。この句を作った同じ日に、
ことごとく木枯去って陸になし
といふ句がある。陸上を吹いて走ってゐた木枯はすべて海上に出尽し、陸上は静まりかへってゐるといふのである。
「海に出て」の句は、この句を経て、更に木枯を主体化したものである。吾が身が木枯になって海に出たきり、最早陸地へ帰ることはないといふのである。この句を作ったとき私は特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いてゐた。この句はあの無残な戦法の犠牲者を悼む句でもあった。」

木枯らしの、叫びを上げて荒れ狂い、静まってはまた、時折自制心を失ったかのように荒れ狂うさまに、「神風」と祭り上げられて特攻にかり出された若者たちの、痛ましい姿が二重写しになっていたのです。
同じ作者のこんな句もよく知られています。 
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ 山口誓子
「学問のさびしさ」は与謝野晶子が、まだ鳳晶子であった頃、与謝野鉄幹(寛)を思って詠んだこの歌と通うところがあるでしょう。
やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君 与謝野晶子
こんな真摯な克己心と自己研鑽を重ねながら、学問を修め、身を修めて、立派に成長した若者が、その学問と人生を花開かせることなく、むなしく戦場の露として、海に、大陸に、南方諸島に消えていったのです。
戦没学徒の遺稿を集めた「きけわだつみのこえ」の冒頭にはこの言葉が書き留められ、現在を生きる者たちに、静かに呼びかけています。

「嘆(なげ)けるか 怒(いか)れるか
はた黙(もだ)せるか
聞け はてしなきわだつみのこえ

(中略)

ところで、 やたら「美しい日本」「強い日本」を強調する安倍サンが首相になって、またぞろ、威勢のいい方々の声がかまびすしく聞こえるようになってきたようです。TVやマスコミ上にも、近代日本の侵略の歴史を認めない、日本国憲法化の民主的諸制度や人権尊重の思潮に不満、アジア諸国民への蔑視と排外主義、社会的弱者への蔑視という傾向を持った言説が、目立ちます。
ネット界でも、「ネトウヨ」と呼ばれる得体の知れない種族が、近年増殖しているそうですね。
体系的な思想潮流や勢力ではないので、ますますとらえどころがなく、おつきあいの仕方も定まらないので、お近づきにならないのが賢明とは思うのですが、社会的存在としては無視できない勢いのようで、困ったものです。特に、その攻撃のターゲットとされた方々の心情を思うと、面と向かって反論することも適わず、いわれのない侮蔑にさらされ続けることの心労はいかばかりかと、暗い気持ちになります。

(中略)

それにしても、こういう風潮を背景にして、またこういう風潮をあおりながら、安倍さんがすすもうとしているのが、「いつか来た道」でなければと、切に願います。

(中略)

(百八十五回国会での所信表明演説で)「憲法改正」だけは妙にぎらぎらとして具体的で、本気でやるつもりのように聞こえますね。
どうか、安倍さん。「国民的な議論」の際に、どうか、 「嘆(なげ)けるか 怒(いか)れるか はた黙(もだ)せるか」わからない、かすかな「わだつみのこえ」や、「木枯らしのこえ」に、真摯に耳を傾けて欲しいものです。




3)蛙


昨日から一泊で、四国へ出かけてきました。泊めていただいたのは、大学時代の先輩のGご夫妻のお宅。数年おきにやっている、大学時代のサークル仲間の同窓会を、この秋に開催するための打ち合わせ会に、先輩後輩含めて10人ほどが集まった次第。おおかたは当ブログの常連の面々で、「イチローと同じ名を持つ」イチローさんご夫妻も、おいででした。


大事な会議は、1時間ほどで終わり、後は久闊を叙し歓談です。銘酒や名産、地元の菓子などを持ち寄り、大いに飲み、大いに語りました。気がつくと、日付が変わっていました。みなさん、元気なものです。今朝見ると、一升瓶が3本、きれいに空になっておりました。ほかに、ビールも、梅酒やワインもありました。美味しいお酒でした。写真に収めておけばよかったと後悔。


昼過ぎに帰ってきましたら、GWに孫たちが捕まえてきて、我が家の小さな水槽で飼っているオタマジャクシが、蛙になりかけているそうです。


おたま


割れ鍋に綴じ蓋、の巻


まだシッポは残っていますが、足はちゃんと生えて、時々小高い石の上によじのぼり水上に上がっているのに気づいたのは、4歳の保育園児だそうです。


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2匹並んでいるように見えるのは、ガラスが鏡になっているのです。


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もうすぐ地上に上がるタイミングのようですし、成体になると餌の確保も難しいので、明日にでも逃がしに行こうと話がまとまっているようです。


小六の孫は、保健室登校の時期、折り紙をして時間を費やすことが多かったようです。凝った作品を作って、持って帰るので、我が家の玄関先やピアノの上などに飾っていますが、それ以外に段ボール箱一杯溜まっています。きちんと写真に残しておくように妻に言われていますが、まだ着手できていません。


今日、試しに蛙の折り紙を写してみました。


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上に小さな子蛙?が乗ります


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明るいところで写してみます。


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こんな模様の紙でも追ってます。


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今日はこれにて。


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七転八○、の巻 [雑話]

中3の孫が、昨日今日と高校入試を受験しました。 とにかく終わってよかったと、どっぷりゲーム三昧の午後だそうですが、さて運命はいかに? ところで、もしもこんな問題が出題されていたら、それは不適切問題ですね(笑)

問題

次の空白部○に適切な文字を入れ、正しく四字熟語をつくりなさい。

 七転八○


なぜなら、「倒」も「起」も正解ですから。


四字熟語辞典の解説を見てみます。


七転八倒の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
しちてん-ばっとう【七転八倒】
激しい苦痛などで、ひどく苦しんで転げまわること。転んでは起き、起きては転ぶこと。▽「七」「八」は数が多いことをいう。「しってんばっとう」「しちてんはっとう」とも読む。また「転」は「顛」とも書く。

出典
    『朱子語類しゅしごるい』五一
句例
    七転八倒してもがく
用例
    ぼくは、居たたまれず、船室に駆けこみ、頭を押えて、七転八倒の苦しみでした。<田中英光・オリンポスの果実>
活用形
    〈―スル〉


七転八起の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
しちてん-はっき【七転八起】
何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力すること。転じて、人生の浮き沈みの激しいことのたとえとして用いることもある。七度転んでも八度起き上がる意から。▽一般に「七転ななころび八起やおき」という。「転」は「顛」とも書く。

句例
    七転八起の人生
用例
    耻(はじ)もかく。名誉も得る。七転八起。一栄一辱。棺に白布しらぬのを蓋おおうにいたって。初て其その名誉が定まるんだ。<坪内逍遥・当世書生気質>
類語
    捲土重来けんどちょうらい 不撓不屈ふとうふくつ 


「七転八起」という故事成語から、私は武者小路実篤のこの詩を連想します。


師よ師よ 武者小路実篤

「師よ、師よ
何度倒れるまで
起き上らねばなりませんか?
七度までゝすか?」

「否!
七を七十倍した程倒れても
なほ汝は起き上らねばならぬ」

(『詩千八百』


高校生の頃、「耽読」した最初の作家(文筆家)は、この武者小路実篤でした。新潮文庫にある彼の作品は、手に入る限りたいてい読んだ気がします。彼が、「ト」の字を見ても頬が赤くなるほど心酔したというトルストイに特別の好感を抱くようにもなりました。有島武郎や里見弴、長与善郎、木下利玄などといった「白樺派」の人々の作品へと、読書傾向が傾いたのも自然なことでした。
(一方、彼が「先生」と特別視した夏目漱石や、お互いに無二の親友と認め合う志賀直哉の作品には、格別傾倒するということもないまま過ぎました。これらに面白さを感じるようになったのは、もう少し大人になってからになります。)


「白樺派」の(特に武者小路実篤の)、「お目出たき人」の名に恥じない楽天的・向日的な人道主義は、「バカラシ派」と揶揄されるほどに、現実知らず・苦労知らずの「ボンボン」の理想主義との批評は、無視できないものがあります。私自身、「安っぽいヒューマニズム」ゆえに心惹かれていくのではないかという思いから、武者小路ファンであることは公然とは表明しかねる気後れを観じた時機もありました。


宮本百合子の初期作品「貧しき人々の群」にこの一文を見つけたのは、そんな学生の頃でした。


貧しき人々の群

宮本百合子

序にかえて
C先生。
先生は、あの「小さき泉」の中の、
「師よ、師よ
何度倒れるまで
起き上らねばなりませんか?
七度までですか?」
と云う、弟子の問に対して答えた、師の言葉をお覚えでございますか?
「否!
七を七十乗した程倒れても
なお汝は起き上らねばならぬ」
と云われて、起き上り得る弟子の尊さを、この頃私は、しみじみ感じております。

後に、苛酷な弾圧に抗して、プロレタリア文学と反戦・平和・労働者解放の社会運動に献身する百合子十七歳の作品です。その根底に白樺派ヒューマニズムへの傾倒があったことは、新鮮な驚きでした。


「七転八起」の言葉は、「転んでもただは起きぬ」ということわざを連想させます。


「転んでもただは起きない」の意味は、「デジタル大辞泉(小学館)」によるとこのとおり。


たとえ失敗した場合でもそこから何かを得ようとする。欲の深い、また、根性のある人のたとえ。転んでもただでは起きない。


とっさに思い出す例として、「今昔物語」の受領のエピソードがあります。


今昔物語集 巻28
「信濃守藤原陳忠落入御坂語 第三十八」

信濃守の任期を終え京へ帰還する陳忠は、信濃・美濃国境の神坂峠を過ぎるとき、乗っている馬が橋を踏み外し、馬ごと深い谷へ転落した。随行者たちが谷を見下ろすと、とても生存しているようには思われなかった。しかし、谷底から陳忠の「かごに縄をつけて降ろせ」との声が聞こえ、かごを降ろし、引き上げてみるとかごには陳忠ではなくヒラタケが満載されていた。再度かごを降ろし、引き上げると今度こそ陳忠がかごに乗っていたが、片手に一杯のヒラタケを掴んでいる。随行者たちが安心し、かつ呆れていると、陳忠は「転落途中に木に引っかかってみれば、すぐそばにヒラタケがたくさん生えているではないか。宝の山に入って手ぶらで出てくるのは悔やみきれない。『受領は倒るるところに土をもつかめ』と言うではないか。」と言い放った。(ウィキペディアより)


ところで、NHK朝ドラ「まんぷく」のモデルで、初めてインスタントラーメンを開発した安藤百福(ももふく)さんが、こんな言葉を残しているそうです。



転んでもただでは起きるな!  - 定本・安藤百福 (中公文庫)

転んでもただでは起きるな! - 定本・安藤百福 (中公文庫)

  • 作者: 安藤百福発明記念館
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2013/11/22
  • メディア: 文庫



転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんでこい。逆境に立ってすべての欲とこだわりとを捨て去ったとき、人は思わぬ力を発揮できる。


さて、今日の私のケースは、「七転八倒」でしょうか、はたまた、「七転八起」だったでしょうか、あるいは、「転んでもただは起きぬ」だったでしょうか??


朝は冷え込んだのですが、日中は穏やかな陽射しが表れました。自然環境体験公園に出かけ、こんな桜の花を写しました。


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花に気を取られて、足もとに段差があることに気づかず、足もとがぐらついて、無惨に転倒してしまいました。手にカメラを持っていましたので、とっさに防御態勢に移ることができず、舗装された地面に、膝をしたたかにうちつけ、痛ましい打ち身と擦り傷を負ってしまったのです(トホホ)。


これ、七転八倒です。


でも、これにめげず立ち上がり、さらに散歩を続けていると、、、メジロがあらわれたり、、、、


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ジョウビタキも、、、


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モズも、、、


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シロハラも、、、


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そして、カワラヒワも、撮影に応じてくれました。


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そして、最後は上空にこの鳥が現れて何度も旋回してくれました。


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ハトほどの小さな猛禽です。


トリミングします。


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ハイタカ?


ズボンが少し破け、膝に擦り傷と腫れが残りましたが、嬉しい散歩でした。


これ、「七転八起」でしょうか?あるいは、「転んでもただは起きぬ」でしょうか?


お後がよろしいようで。


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啓蟄雑話(補遺)、の巻 [雑話]

昨日の記事の追加です。


昨日の国会中継の終わり頃、日本共産党の辰巳コータローさんが示していた資料が、今朝の「しんぶん赤旗」に紹介してありました。前日の小池晃さんの追及を受けて、厚労省が開示したものだそうです。


第三者機関、独立機関であるはずの「特別監査委員会」樋口委員長がどれほどどっぷりと厚労省と深い関係似合ったかを示すもの。これじゃ、厚労省に忖度して、「虚偽ではあるが隠蔽ではない」なんて報告書書いても不思議じゃないですよね。


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準備していて掲載し忘れていた写真も、ついでですからupしておきます。


庭のヒメウズ(姫烏頭)


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数日前から、隣の空き地に、なにやら白っぽいものが見え、気になっていました。


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よく見ると、ヨモギの新芽のようです。


今日はこれにて


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春浅きsの一字の欠如かな、の巻 [雑話]

先日こんな記事を書きました。


唯々駄句駄句、の巻


このブログをはじめたばかりの頃、見よう見まねで「にほんブログ村」や「人気ブログランキング」などに登録しました。はじめの頃は、そのカウントの推移をそれなりに注意してウォッチングしていましたが、最近は生地の更新そのものと、so-netブログ内の交流で手一杯で(というよりも自己充足していて)放置したままでした。最近、久しぶりにこれをクリックしてみますと、、、、、


そもそもがアナログ人間の私などには、目に見え、直に手で触れるものを、用途に応じて形を変えたり組み合わせたりして、作り出されたモノには、その仕組みや働きやついて、それなりの想像力を働かせることができます。でも、内部がどんな仕組みになっているのかまったくわからないブラックボックスの類(現代文明機器はほとんどそれですが)は、見よう見まねで操作はしますが、トラブル発生の場合の対処法がわからないので、全幅の信頼を置くことができません。デジタル機器そのものはもとより、いわゆるアプリケーションソフトなるモノも、マニュアルに指示されて操作させられているだけで、ご機嫌を損ねると突如友好関係を遮断され途方に暮れることになります。
ネット上のサービスなどもまったくそれで、この「ブログランキング」というサービスも、どんな仕組みでアクセス数がカウントされるのかもわからないまま今日に至ります。以前は、クリックすると自分のブログの順位と、その前後のブログが表示されていたように思うのに、最近、上位のブログから順に紹介はされるのですが、当ブログにまでたどり着くことができません。これではブログ作成の「励み」になるどころか、訪問して下さった方に対しても何の参考にもならないではないか、などと思ったりしていました。


それが、ふとした機会に重大なことに気がついたのです。


この「ランキング」サービスに登録したときは、so-netブログがまだ「常時SSL化」する以前でした。と言うことは、登録済みのURLはhttpだったので、現在はhttpsに変更しなければならない、、、、のではないか?「s」一文字の不足が思わぬ影響をもたらしていたらしいのです。


早速、訂正してみましたが、効果はどうでしょう?


立春を過ぎても寒い日が続き、「春浅し」を感じます。


今日は午前中、仲間うちのプチ学習会があり、駐車場所から三〇分ほど歩いて参加しました。寒々しい空の下、岡山城が見えました。


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今朝のニュースによりますと、後楽園では、昨日、この時期恒例の芝焼きが行われたそうです。


岡山後楽園のHPを覗くとこんな記事がありました。


恒例行事「芝焼き」 平成31年2月14日(木)

園内に広く敷かれた芝を、順番に焼いていきます。芝を焼くことで、春の芝の芽出しを揃えるのと病害虫の駆除の効果があります。

冬枯れで黄金色になっている芝が、炎とともに漆黒へと変わって行く様子は、この時期の後楽園の風物詩となっています。

炎とともにみるみる内に真っ黒に

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一年に一日だけの景色

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翌日朝には灰を掃いていきます

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こちらもご覧下さい https://www.youtube.com/watch?v=1Ga3wX4zF7U

【開催日時】

  平成31年2月14日(木)

午後1時~3時


今夜は雨で、週末から暖かくなっていくそうです。春はそこまでやってきているようです。




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はしごもさすがに2軒が限度?の巻 [雑話]

goo辞書にこうありました。
ウィキペディアには『はしご酒』をこう解説してあります。
本来は、梯子を1段ずつ登っていくように、なじみの店を1軒ずつ尋ね歩いて飲むということであった。植木等の『スーダラ節』で歌われるように、サラリーマンらが帰宅前に数軒訪れることも多い。
「はしご酒」という言葉を覚えたのは確かに「スーダラ節」からだったかも知れません。
チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
酒は飲まず、まじめ一方の植木等さんが、当初この歌を歌うことに抵抗を覚え、郷里の父植木 徹誠(てつじょう)さんに相談したところ、浄土真宗の寺の住職だった徹誠さんは、「『わかっちゃいるけどやめられない』は親鸞の教えに通じる」と助言したそうです。大ヒット曲「スーダラ節」誕生にまつわるエピソードです。若かりし頃より労働争議に参加し、部落差別や戦争に反対する言動から治安維持法違反にによる投獄も経験し、戦後も民主主義や人権をまもる運動に取り組んだ徹誠さんの人間観の深さが偲ばれます。
ところで、今日話題にする「はしご」は、その「はしご酒」ではなく、「転じて、いくつかの場所を続けてわたり歩くこと。」のほう。
午前中は、年金者組合の支部のあつまり、午後は、一風変わった教育講演会。さらに夜は,演劇鑑賞の予定が入っていたのですが、さすがに3つのはしごはハードに過ぎ、演劇鑑賞はチケット代金を棒に振ることにはなりますが、諦めることにしました。
さて、午前中の年金者組合のあつまり。
まず、県本部副委員長の近藤劭さんからの報告と、担当弁護士のお一人清水加奈子さんによる講演をもとに、年金問題・年金裁判についての学習を深めました。
近藤さんがまとめてくださった報告レジメが,端的でわかりやすいと思いましたので、許諾を得て掲載させていただきます。(小見出しはkazg)
年金者組合岡山市南区支部定期総会にあたって
年金裁判運動についての報告 2018年7月27日 近藤 劭


高齢者の実収入は低下、負担は増大--社会保障のあり方が問われている

いま高齢者の家計収入が悪化し、(唐鎌教授の分析による と)この 14年間で月額 1 万8714 円も実収入が低下。世帯年収に換算すると14年間に22万5千円の低下。実収入が低下した最も大きな理由は社会保障給付費(年金給付額)です。 つまり社会保障政策(主として年金政策)を通じた、 政府に主導された実収入の低下なのです。
実収入が低下する中で、直接税と社会保険料負担は14年間で月額6,000円も上昇し年間7万4千円余の負担増。私たちは年金の減額そして税金・健康保険料・介護保険料などの諸負担を引き上げられ、収支両面から挟み撃ちにされ、 消費税増税でさらに追い打ちをかけられています。
税金を国民一人一人の幸せのために使うのか、 それとも戦争する国造りのために使うのか。社会保障のあり方がいま問われています。
政策形成訴訟としての年金裁判---3年余の歩み
年金裁判は最低保障年金確立のための政策形成訴訟、年金削減を進める今の政治を変えさせる役割を担う裁判です。
私たち年金者組合が2015年5月29日に56人で「年金引き下げ違憲訴訟」 を提訴して3年2か月が経過しました。
岡山県では第一次(憲法に反する特例水準の解消による減額処分)が56人、第二次(マクロ経済スライ ドを適用した年金減額は意法違反)が203人で原告数は重複もあり217人です。
2018年6月26日 第一次9回第二次6回口頭弁論が開かれ、その都度90人の仲間が参加。公正判決を求める署名(裁判の併合審査を求める署名も含め)7,966筆を提出しています。
年金裁判を支援する岡山の会も2015年9月26日に結成され県労会議、人権連、新婦人、浅田訴訟、生保訴訟の原告、社保協など、66団体281人が参加し20l7年11月には3回目の総会も開催されました。
弁護団は則武透、古謝愛彦、原幸徳、清水加奈子、吉村清人の5人の弁護士が参加され、27回の弁護団会議も開催され、 年金裁判をわがことのように受け止め全面的な指導を得ています。
全国的には44都道府県5168人が提訴し史上最大の社会保障裁判になっています。(全国の弁護団は300 人を超える)
憲法訴訟としての年金裁判 ---その争点は
この年金裁判は憲法訴訟です。憲法25条、l3条、29条が問われている裁判です。国の立場は年金生活者がどのような生活をしているか、暮らしをしているかということより、年金制度をとにかく形だけでいいから維持する、 莫大な積立金は維持するという立場です。
年金だけで生活できない人が数百万人いることは認めるものの、 憲法25条は年金だけで保障されるものではない、 いざとなったら生活保護があるから、年金だけで健康で文化的な最低限度の生活ができなくても問題ないと主張。 年金を下げるのは 「公的年金制度への不信・不満が高まり、 国民年金の納付率が下がっている。 この不信解消のために払いすぎている年金受給者に対する年金を下げなければならない」 という本末転倒のもの。
裁判闘争の今後
裁判では原告からは今後さらに学者の意見書も提出し、国との論争点を明確にして立証活動に入っていく流れになります。
原告の陳述書は72人が提出し、6月26日の口頭弁論では、陳述書をまとめた準備書面を提出しました。 次回10月2日は100号法廷(岡山地裁で最大の法廷、傍聴席が100ある)でパワーポイントを活用した弁護団の陳述が行われます。是非この口頭弁論にご参加ください。午後2時半に集合し、入廷行進後3時~ 口頭弁論です。
今後、原告の陳述書づくりをさらに進めます。そして原告側から総論立証、学者、現役世代、若者からの証人をたて、 年金制度と社会保障をめぐる本質的対立点を法廷で議論し、 安心できる年金制度の確立は可能であることを明らかにしていきます。
これからの裁判運動は、年金減額するな!最低保障年金をつくろう!裁判所は憲法にのっとって公正な判決を行え!年金は毎月支給しろ!の宣伝・署名を旺盛に進め、年金パンフを活用しさらに広い団体の協力を得て世論と運動を広げることが大切です。
そのためにも、裁判を支える募金活動も今年も1人500円を目途にすすめますので、 この面でもご協力をお願いします。

午後は「シカゴ&岡山教育交流のつどい」と題して、アメリカ・シカゴから訪日されているサラ先生に、アメリカの教育事情をうかがう企画。


学力テストの成績を学校統廃合に結びつける動きに、広範な教職員、市民、生徒達が立ち上がりました。運動の先頭に立った若い女性教師サラ・チェンバース先生らは、当局ににらまれて馘首されますが、、、、。
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実は,この企画、以前書いたこの記事で紹介した、山本由美先生の紹介で実現したもの。

月日のたつのは、の巻

「子育て教育のつどい」に参加し、山本由美先生(和光大学)の「みんなで子どもたちを育てよう いま求められる、本物の教育力」と題する記念講演を聴きました。

「全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、小中一貫教育などの現代の新自由主義教育改革について批判的なスタンスで調査研究し、それらが子どもに与えるダメージについても研究対象に」(和光大学HP教員紹介のページより)しておられる立場からの、豊富な資料と克明な分析により、私たちが、目の当たりにしている学校状況の重苦しさやしんどさ、日頃うすうす感じていた疑問や不満が、どんな背景・どんな力によってもたらされたものか、腑に落ちた思いがしました。
サラ先生たちのことは、こんな本にも紹介されています。
学校を取り戻せ!   シカゴ、足立、貧困と教育改革の中の子どもたち

学校を取り戻せ! シカゴ、足立、貧困と教育改革の中の子どもたち

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
教育改革はアメリカの失敗を追いかける  学力テスト、小中一貫、学校統廃合の全体像

 

教育改革はアメリカの失敗を追いかける  学力テスト、小中一貫、学校統廃合の全体像

  • 作者: 山本 由美
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2015/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
サラさんは断言されました。
「日本でも、必ず同じような事態が起こるでしょう」
「日本の人たちは、礼儀正しく従順だと聞きます。しかし、この(学力テストの成績を教師の評価と結びつけ、(公立)学校を潰していく)攻撃は、従順なだけでは食い止められません。肝心なのは、その攻撃が、学校、生徒にどのような害をもたらすかを明らかにし、父母、生徒、市民に広く知らせ、ともに立ち上がることです。」
最後にサラさんは参加者全員に起立を促し、次のCHANTをみんなで唱和しました。
They say cut back.
We say fight back!
They say cut back.
We say fight back!
彼らは「削減する」という。
我々は「反撃する」という。
彼らは「削減する」という。
我々は「反撃する」という。
とても刺激的な、しかも楽天的で痛快なお話でした。元気をもらいました。
でも、午前・午後の学習会のはしご、結構エネルギーを要します。さすがに、夜の演劇鑑賞までは余力がなく、今日の行事はこれにて終了。
最後に身辺メモ。
○昨日、大阪在住の次男に二人目の子どもができました。私にとっては7人目の孫です。明日にでも顔を見に行くつもり。
○今夜、近所に住む孫一家が、ママの実家に里帰りです。
○台風接近中とか。
○火星も接近中とか。
今日はこれにて。

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言うまいと思えど、の巻 [雑話]


高校時代、英語の時間にこんな一文を習いました(うろ覚えですが)。

You might say, but today's at fish .

「言うまいと思えど今日の暑さかな」と言うのだそうです。

ちなみに冬になると、「some fishes.」=「寒さかな」となるのでしたっけ。


今日は、退職同業者親睦組織の打ち合わせ会があり、午前中参加してきました。

F先輩は、豪雨災害のあと、二週間、ずっと、倉敷市真備町で被災された大先輩Kさんのお宅へ、復旧のお手伝いに張り付いておられた由。他にも、お手伝いしなければならないはずの方が何人もおられるはずだが、敢えて連絡を取ることもしなかったとのこと。人手を欲しがっておられるのは間違いないが、身体は一つしかないのでーーーと。

元同僚で、新任時以来、大変お世話になったTさんも、お宅が2階まで冠水。今は、お子さんのお宅に身を寄せておられるらしいと、風の便りに聞きます。

他にも、それぞれの同僚や知人の被災が話題にになります。

我々高齢者も、少しでもお手伝いにはせ参じたいところだが、返って厄介をかけることになっても、と、だれもが躊躇しています。F先輩に寄れば、真備町は、救急車がひっきりなしに走り回っている。その多くはボランティアと。

熱中症による搬送、16日~22日に全国で2万2647人との由。うち死亡が65人。もはや非常事態ではないですか。

人類の英知のすべてを費やして、全力で対応すべき事態といえるでしょう。
snsにこんな投稿がありました。
まったくその通りです。
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あとはカンパでよろしく、あとはボランティアでよろしく----。確かに多くの国民は、お人好しですので、カンパもやります。ボランティアもやりましょう。、、、、が、竹槍でB29に立ち向かうような無力感を、少しでも和らげ励ますには、思い切った財政措置と、十分な人材や重機、物資の投入が、最低限必要でしょう。

現地をはげますという点では、これなどは、一服の清涼剤でしょうか。渡海先生、やりますな。


「嵐」二宮さんが岡山県に義援金 真備の避難所で被災者を激励


西日本豪雨の被災地支援のため、人気アイドルグループ「嵐」の二宮和也さん(35)が23日、岡山県庁に伊原木隆太知事を訪ね、県に義援金5千万円を贈った。

 二宮さんは義援金の目録を知事に手渡し「報道を最初に見たときは、現実だと受け止められなかった。嵐として、一人の人間としてできることをすぐにやろうと決めた」と話した。避難支援グッズ960セットも贈呈。これに知事は「応援の気持ちを形にしていただき、本当にありがたい。みんなで前を向いて頑張りたい」と述べた。


ところで、今日の最高気温のデータはこんな具合(気象庁最新データ)。恐るべき酷暑です。

津山市 津山(ツヤマ)* 37.4 ] 13:39] +6.1 +0.8 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 新見市 新見(ニイミ) 35.2 ] 13:58] +5.6 -0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 北区 福渡(フクワタリ) 36.6 ] 13:20] +4.3 +0.4 最も暑い時期を上回る  
岡山県 和気町 和気(ワケ) 37.1 ] 14:05] +5.7 +0.6 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 高梁市 高梁(タカハシ) 38.7 ] 14:52] +6.2 +0.9 最も暑い時期を上回る 今年最高
岡山県 北区 日応寺(ニチオウジ) 37.0 ] 14:14] +6.4 +2.0 最も暑い時期を上回る 観測史上最高今年最高
岡山県 北区 岡山(オカヤマ)* 38.1 ] 15:45] +5.5 +0.5 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 瀬戸内市 虫明(ムシアゲ) 35.5 ] 15:09] +4.5 +0.5 最も暑い時期を上回る 今年最高
岡山県 倉敷市 倉敷(クラシキ) 35.7 ] 15:37] +4.0 +0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 笠岡市 笠岡(カサオカ) 35.5 ] 15:39] +3.2 +0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 玉野市 玉野(タマノ) 36.9 ] 16:33] +5.8 +0.4 最も暑い時期を上回る 今年最高


2020オリンピック、打ち水で対処しようとは、風流に過ぎますな。

今朝は、朝早くからいろいろな鳴き声が騒がしく聞こえて来ました。

まず日の出と競い合うように、蝉が鳴きます。

シャンシャンシャンと大声を上げて無数のクマゼミの声が、うねりながら耳に響いてきます。1/fゆらぎのリラックス効果もあるのでしょうけれど、それより、そのけたたましさと、じりじりと照りつける熱射のせいで、いらいら感がつのります。

未明の頃から、鳥の賑やかなさえずりも聞こえます。いつもの朝のように、スズメもしきりにさえずっていますが、それとは別に、聞こえるのは、複数の小鳥のさえずりです。

ツバメが何羽も集まっています。


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巣の中で、大きな口を開けて餌をねだっていたヒナも、その姿はもう幼鳥と言って良い成長ぶりです。
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先に巣立った仲間たち、兄姉たちが、旅立ちを促しているのでしょうか?
以前、4月に書いたこの記事で、我が家の玄関での今年一回目の巣作りを紹介しました。
その写真をご覧くださったM師が、こんなールをくださっていたことを思い出しました。
日本野鳥の会では福島の原発事故後白斑のあるツバメや、尾羽の長さに差のあるツバメが観察されたため断定はできませんが被曝の影響かと調査がされておりました。普通に部分白化することもあります。kazgさんの写したつばめには全部に白化が見られます、注意深く観察してみてください。
健康に健やかに育ちますように。、、、。




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夢の形見!の巻 [雑話]

加藤剛さんの逝去を知り、いろいろな物思いをしています。
おおやけになったのが、西日本災害の時機であったため、意識の大半がそちらへと向かい、悼む思いに現実味が備わらないまま、記事にする余裕もありませんでした。
そんなとき、今日の地元紙「山陽新聞」に、ペリー萩野氏による追悼記事が掲載されていました(おそらく共同通信系の各紙にも掲載されていたのでしょうか)
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ペリーさんが、「常に姿勢が正しく、言葉を丁寧に選ぶ人だった。」「あまりにも規則正しい生活をするので加藤さんを見ていると時間がわかる』とさえ言われていた。」「まじめ一本でこちらがふざけて放したこともまじめに受け取られてしまって、謝ったこともある。そうした人柄も素敵だった」「何をやっても加藤さんの役になる。折り目正しく、正義感がある。」と書いておられるそのいずれもが、まさに腑に落ち、まったくそうだったに違いないと確信されるのでした。
もちろん、私にとっては、テレビや映画を通してしか知る機会のない俳優さんでしたが、中・高校生頃に熱心に視聴した「三匹の侍」(平幹二朗さん、長門勇さんと、絶妙ののコンビネーションでした)、「大岡越前」(竹脇無我さんとの、相互に敬しあう友情と、無欲の処世の潔さに、清涼感を与えられました)など、役柄そのものの高潔さを疑うことはありませんでした。映画「砂の器」で演じた天才音楽家の陰影深い哀しみも、人間洞察のなせるわざと感じました。
その加藤剛さんについて、日刊スポーツはこのような記事を寄せています。
加藤剛さんが6月18日、落語家桂歌丸さんが7月2日に亡くなった。剛さんは80歳、歌丸さんは81歳だった。2人が歩んだ世界は違ったが、ある共通点がある。それは戦争体験があり、反戦への思いが強かったことだった。

 加藤さんは、木下恵介監督の映画「この子を残して」で長崎の原爆で被爆し、子どもを残して亡くなった医学博士の永井隆氏を演じ、舞台「コルチャック先生」ではユダヤ人孤児院の院長で、子どもたちを救うためナチスによってガス室に送られたコルチャックを演じ、何度も再演を重ねた。 加藤さんは戦争で身内を2人も亡くしている。1人は軍医だった義兄で、南方の島で戦死した。2番目の姉は結核を患い、戦後の食糧難の中で満足な治療も受けられず、28歳の若さで亡くなった。

 だから、改憲に走る安倍晋三首相に批判的だった。「憲法は、戦争で命を奪われた人たちの夢の形見だと思っています。多くの犠牲の上に、今の平和な世の中がある。だから私たちには、子どもたちのために憲法を守る使命があると思います」。

 歌丸さんも、戦時中の空襲で横浜の生家が焼失している。千葉に疎開し、道端の草やサツマイモばかり食べていたため、戦後になっても「私はね、サツマイモが食えねえんだよ」と話していた。

 加藤さんと同じく、安保法制をめぐって議論が沸騰した当時、テレビの報道番組のインタビューに対し、「戦争を知らない政治家が戦争に触れるなと言いたくなるんです。戦争を知らなかったら、戦争をもっと研究しろって言うんです。戦争っていうのは良い物なのか悪い物なのか、この判断をきっちりとしろって言いたくなるんです」と熱く話していた。

 毎年8月には浅草にある「はなし塚」法要を欠かさなかった。戦時中、時局に合わないとして、「明烏」など53の落語を高座にかけることを禁止された。当時の苦い経験を風化させないようにと、「はなし塚」が建立され、歌丸さんも「そのまま封印しちゃいけない。できる限り(法要を)続けていく」と使命感を持っていた。

 知性ある端正な演技で魅了した加藤さん、怪談噺で円熟味を増していた歌丸さん。その演技、芸をもう見られない喪失感がある一方で、戦時中に少年時代を過ごした数少なくなっている戦争体験者で、反戦を発信してきた2人の切実な思いを忘れてはいけないだろう。      【林尚之】

加藤さんも歌丸さんも、「しんぶん赤旗」に何度か登場しておられました。
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ひとまず今日はこれにて。

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あれやこれやの備忘日録、の巻 [雑話]

「退職記念」(いえ、正確には、肺ガン手術成功記念)にこのブログを初めてから、5年近くになります。前回掲載記事で、記事数1501を数え、拙いブログにもかかわらず、大勢の方がご訪問くださり、感謝に堪えません。

そうした読者の方々のなかでも、おそらく毎記事をチェックしてくれている顔見知りが、確実に一人は存在します。今年91歳になった老父です。
パソコンは、PC9821時代から、私のお古を何代か使い継ぎ、今は中古のウィンドウズパソコンと、お古の ディスプレイとのセットで使ってもらっています。
田舎暮らしのこととて、ネット環境が整わず、今なおジーコジーコと懐かしい音がするモデムを使ったダイアルアップ接続で、インターネットにつないでいます。
インターネットの利用は、私のブログ閲覧がほとんど唯一のものだと言います。
初期の契約では、一定限度までは従量制で、接続時間に応じて課金されるがも、上限を越えると定額になるというコースを利用していたつもりですが、いつの頃からかそのコースが廃止になり、完全従量制に変更されました。そのため、時によるとつなぎっぱなしコースをも上真ある請求がくることも起こります。実際には考えられないほどの長時間使用上回る請求がくるのですが、あるいは「切断」がうまくできずに長時間の接続がカウントされることもあるのかもしれません。いっそつなぎ放題のコースを契約した方が安上がりかなどとと考えているうちに、つなぎ放題のコースも廃止されていました。
接続速度が半端なく遅いうえに、接続料金が馬鹿にならない、と来ると、他の接続方法を検討すべきかと、ここ1~2週間、頭を悩ませています。光回線に踏み切るには、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」といった躊躇を禁じ得ませんし、isdnなどというちょっと旧式の接続方法も、「ベストエフォート」という方式がネックです。田舎のこととて、基地局までの距離が半端なく遠いのです。
という状況の中で、携帯電話の回線を用いて格安SIMでつなぐ方法はないかなどと、試行錯誤をくりかえしては挫折しています。
先週21日(木)も帰郷の際、お墓周りの草刈りついでに、いろいろいじってみましたが、うまくいきません。万事休して、もとの環境に戻そうとしたところ、ダイヤル発信音がありませんというコメントが表示され、にっちもさっちもいかなくなりました。万策尽きて、そのまま放置して帰ったのですが、なんとその夜から、父母宅の電話が不通になりました。こちからかけても呼び出し音がしないし、向こうからも一切発信できないのです。
困り果てて、もう一度帰郷したのが、23日(土)、やっとの事で電話回線は復旧しました(モジュラー線の接触不良のようでした)が、環境刷新はかないませんでした。
事態は少しも改善しませんが、もう一つチャレンジしてみたい方法があります、その件は又、後の機会に、、、。



小2の女の子が、貝殻集めに興味があるとかで、ばあばが海に連れて行き、浜辺で貝殻を拾ってきました。それを日光に乾かして、部屋の中に持って入ったのが24日(日)、その貝殻の中から、体長1mm以下の小さな生き物が這い出しました。「カニの赤ちゃん」と女の子が言います。虫眼鏡で見てみると、なるほどそのようです。他にも、小さな海の生き物らしいものが、乾いた環境を這い回っています。
小さなガラスビンに入れたそれらを、海に返しに行くことにしました。小5の男の子が同行しました。ついでに、磯辺を観察していると、ヤドカリやらカニやら、小さなハゼやらが見つかり、結局これらを、海水とともに小さなガラスビンにいれてもって帰ることになりました。500CCペットボトル2本文の海水も一緒に汲んで帰り、飼育ケースに放しました。
最近、カメラを持たず行動することが多く、記録撮影ができていません。
翌25日、追加の海水を汲みに、じいじ1人で出かけてきました。
梅雨の晴れ間が続いています。
小5生は、田植え体験。小2生はプール。水遊びが嬉しい夏の暑さでした。






飼育ケースに、海水を追加し、海砂も加えてやりました。



カニ君の記念写真です。



しばらく散歩写真も写していません。
田園は、すっかり早苗に彩られています。
これはきのうの早朝風景です。







今日は、午前中退職同業者の親睦会の打ち合わせ会、午後は年金裁判の傍聴と、なかなか多忙です。カメラ散歩はできませんが、会場移動等で7200歩余り。これをもって今日のウォーキングに替えることにしました。
今日はこれにて。

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一筆啓上、行行子、の巻 [雑話]

先日歩いた自然環境体験公園の、松の木のてっぺんで、大きな声でしきりにさえずっているホオジロがいました。(exifによると、5月31日の撮影でした)

トリミングします。

「一筆啓上仕り候」と繰り返しています。
そのあと、足を伸ばした児島湖畔で、こんな鳥に会いました。

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以下トリミング画像です。


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甲高い声で賑やかにさえずっていました。この声は草原などでよく聞くのですが、姿を見ることは稀です。ヨシキリ(オオヨシキリ?)でしょうか。
doudesyo様のブログ「ほっと 野鳥
の6月15日付今年も来たね、オオヨシキリ でも見事なお写真が掲載されています。



ヨシキリについては以前こんな記事を書きました。
仰々し 仰々しとや  行行子

声を振り絞って囀っています。
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活動場所や見た目の類似から、すでに見知ったオオジュリンかと思っておりましたが、帰宅後ネットで調べてみますと、どうも鳴き声が一致しないと感じました。
鳥の鳴き声の「ききなし」をまとめたこのページを参照させていただくと、「仰々しい、行行子」という仰々しい鳴き声は、まさしくあの謎の声の主にぴったりと思えます。web上にある「オオヨシキリ」の写真を参照しても、ほぼ間違いないと思うのですが、いかがでしょうか?
そう言えば、確かに草野心平のこの詩では、「行行子」と書いて「ヨシキリ」と読ませていました。「ギョウギョウシ」という鳴き声からの名付けだったのですね。

富士山   

ー作品第肆ー 
川面(かわづら)に春の光はまぶしく溢れ。
そよ風が吹けば光たちの鬼ごっこ
葦の葉のささやき。
行行子(よしきり)は鳴く。
行行子の舌にも春のひかり。
 
土堤の下のうまごやしの原に。
自分の顔は両掌のなかに。
ふりそそぐ春の光に却って物憂く。
眺めていた。
  
少女たちはうまごやしの花を摘んでは
巧みな手さばきで花環をつくる。
それをなは(縄)にして縄跳びをする。
花環が圓を描くとそのなかに富士がはひる。
その度に富士は近づき。
とほくに坐る。
 
耳には行行子。
頬にはひかり。 

 ちなみに「うまごやしは」シロツメクサつまりクローバーですね。
 

ここでも書いたとおり、「行行子」という別名は、その鳴き声にちなんでいるようです。



ところで、先日(5/26)亡くなった津本陽さんに「月とよしきり」という作品があります。
私は、山本周五郎や池波正太郎、野村胡堂、司馬遼太郎など、いわゆる時代小説は、人並みに好んで読んでいる方だと思います。藤沢周平などは、文庫でも読み,全集も予約購読で全巻を読みましたから、愛読書と言っても過言ではありません。ところが不思議に、津本陽さんの作品は、わずかに何作か読んだ記憶があるだけで、この「月とよしきり」が、私の手元にあるほとんど唯一の津本作品です。
というのも、何ヶ月か前、古本屋の百円均一コーナーに並んでいたものを何気なく手にとって,そのほかの何冊かと一緒に買って帰り、夜寝る前にペラペラめくっては閉じ、を何度か繰り返し、読み切らないままに寝かせておいたものなのです(汗)。
津本陽逝去のニュースを聞いて、改めて取り出してきて読んでみた次第です。
この作品、江戸千葉周作道場の高弟で、類い希な剣才のゆえに前途を嘱望されながら、ふとした不運なアクシデントから道場を破門となり、辛苦の人生を歩むこととなった無頼の剣豪、平手造酒を主人公とする時代小説です。
bookデータベースにはこうあります。

天保八年。北辰一刀流玄武館で師範代を務める平手造酒は、師・千葉周作の命により、廻国修業に出た。油断により友を死なせ、道場を破門された。つまずき始めた造酒は、他流試合で破った水戸藩士の恨みを買い、祝言を挙げた藤が殺される。その後に妻としたおいとにも死なれ、自暴自棄になって酒におぼれていった。『天保水滸伝』で有名な伝説の剣豪、不運に見舞われ続けた、その知られざる半生。

ヨシキリはというと、作品中では平手が房州に滞在中、利根川沿いの芦草の茂みから、その鳴き声が聞こえてくる場面がありました。
そういえば、三波春夫の「大利根無情」も,田端義男の「大利根月夜」も、平手造酒を歌った楽曲でした。
「大利根無情」の歌詞中には、ヨシキリが登場してきます。



また、「利根の川風袂に入れて」というフレーズが耳に残る有名な浪曲がありましたっけ。「天保水滸伝」だそうですね。

利根の川風たもとに入れて、月に竿さす高瀬舟、一目関の戸叩くは川の、水にせかれる水鶏鳥、恋の八月大利根月夜、佐原囃子の音も冴えわたり、葭の葉末に露置くころは、呼ぶや蛍のそこかしこ、潮来あやめの懐かしさ、わたしゃ九十九里荒浜育ち、と云うて鰯の子ではない」

これまた平手造酒や、侠客笹川繁蔵らが活躍するお話。
山本周五郎の「花も刀も」も、平手造酒を描いています(昔読みましたが,すっかり筋を忘れました 汗)。



さて、津本作品「月とよしきり」によれば、その平手造酒が、道を踏み誤り、坂道を転げ落ちるように、洋々たる前途を失っていくきっかけとなったのは、「大目録皆伝」を前に命じられた関東諸国の廻国修行の旅の途中、ヤクザ者に不意を襲われて、朋輩岡野直豪が、不運にも命を失った事件。同行の造酒も、その油断がとがめられて破門となったのでした。
その襲撃事件は、平手と岡野が、成り行きで笹川繁蔵が開く賭場に招かれて,用心棒役を演じることになったことが原因で、博徒同士の縄張り争いに巻き込まれた事に起因していました。
千葉周作の姪お藤は、造酒と恋仲にあり、造酒の破門が解けるよう尽力しますが果たせず、失意の造酒を追って江戸を棄てて嫁いで来ます。造酒にとっては心穏やかで満たされた新婚生活が始まりますが,それも束の間、造酒を狙った鉄砲の弾に当たって息を引き取ります。これまた博徒の争いの,とんだとばっちりでした。
自暴自棄になった造酒は、心身ともに荒れすさび、自他の命のやりとりにも無感覚になりかけますが、それを一歩手前で引き留めたのは、「おいと」の存在でした。おいとは、父親の借金のカタの身売りされようとしていたところを造酒が救った少女でした。出会いの一節を引用します。

(造酒と友人市左衛門、亀之助の)三人は妓楼へ売られようとしていたところを造酒が助けてやった、 十五歳の娘おいとの身のうえについて話しあっていた。市左衛門はいう。
「あれは銚子の網元甚兵衛に雇われている漁師の勘三の娘でござんすよ。勘蔵はふだんはいっばしのはたらきをする奴で、女房と娘をかわいがる実直な男でしたが、どんな魔がさしたのか、この夏の清滝村(海上郡海上町)岩井不動明王の祭礼のとき、繁蔵がたてた野天博打で、いかさまにひっかけられたのでござんすよ」
「岩井不動専の博打か。どこかで聞いたことがあるが、この辺りじゃさかんなものらしいな」
「そうでござんすねえ。九十九里浜から飯岡にかけての漁場じゃ、漁師の給金は盆と節季に払われるものですから、金を懐に入れた連中を、繁蔵や助五郎といった貸元が、子分をやって賭場に誘いこみ、いかさまをやって素っ裸にしてしまうんですよ。岩井不動尊の縁日の博打場では、一日の寺銭が千両にもなるといわれやすが、まあそれは法螺でござんしょうがね。それでもかなりの稼ぎでしょうねえ。
寺銭とは博打を開帳した貸元と呼ばれる大親分が、金銭を持っていない客に元手を貸し、博打をさせるときの利足である。寺銭は五分とるのが通例で、勝負が一回きまるたびに勝ったほうから出す。だが客を詐欺にかけて身ぐるみ引きはがすいかさま博打のときは、ばれると貸元にも迷惑がかかるので、その危険負担分として一割五分の寺銭をとることもあった。

恩義を感じたおいとは、存命中のお藤と造酒の身の回りの世話を献身的にこなし、お藤にも家族同然にかわいがられます。時は移り、お藤亡き後、すさみ果てて各地を転々とする造酒が時折思うのは,おいとのかいがいしい気遣いと献身ぶりでした。彼女だけが自分に安らぎを与える存在であることに気づいた造酒は、紆余曲折の末、おいとを後妻に迎えます。ところがそのおいとも造酒との子を宿しながら、難産で母子ともに帰らぬ人となります。作品本文から少し引用します。

造酒は逆境に陥ると、実力勝負で生き抜いてやろうと、ふるいたつ性格であった。
 だが、おいとがいなくなってのち、彼の反撥心は消えてしまった。おいとは造酒の追いかけてゆけない冥途にいる。
 おいとが妊ったのは、天保十一年暮れであった。俺の子ができるのかと、造酒は身内が震えるほどの感動を覚えた。
 おいとは体調がよく、悪阻で食べたものを吐いては、空腹だといってまたすぐに食膳にむかった。造酒はおいとがいとおしくてならなかった。
 生れてくる子と三人になれば、いままでとはまったくちがう、張りあいのある世帯を持てるようになる。
 造酒はわが子の生れてくる日を待ちわびた。だが翌年に、おいとは難産であっけなく死んでしまった。胎児は娘であったが、臍の緒が首に巻きついていて、死産であった。
 おいとが苦しむのを、枕もとで脂汗をかきながら見守っていた造酒は、彼女が息をひきとったとき、産婆が驚いて腰を抜かしたほどの大音声で叫んだ。
 「神仏はどこにいるのだ。なにゆえ、俺を一人でこの世に残したのか」

一人残された造酒は、ますます酒に溺れ,生活は荒れ、繁蔵の用心棒としての日々を送ります。繁蔵と対立していたのは、博徒でありながら十手持ちでもあった飯岡助五郎。両者の関係悪化が頂点に達した天保15(1844)年、大利根河原で繰り広げられた争闘(大利根河原の血闘)で、造酒は命を落とします。
千葉県東庄町にその墓が建てられているそうです。

しかし、「月とよしきり」では、造酒の命を奪ったのは、飯岡助五郎方の子分たちではなくて、当日の「血闘」で勝利を収めた繁蔵だった、ということになっています。繁蔵は、日頃から造酒を「虫が好かない」、「いまいましい」と感じており、当日の血闘に加わらなかった造酒を、「ついでに」「当たっても当たらなくても」「せめて驚かしてやりたい」と、短銃で撃ったのでした。

造酒は、繁蔵の放った最初の一発で、耳の下を撃ち抜かれ、声をあげる間もなく、瞬間にこときれた。
 かつて朋友岡野直豪が、名もない三ン下にヒ首で脇腹をえぐられ、不慮の死を遂げたように、造酒もまた、落雷に遭ったような、思いがけない死にめぐりあってしまった。
造酒と岡野は、いずれも剣の天才を持っていながら、不運の生涯を終えた。



刑法が禁じる賭場を合法化する「カジノ法案」が、衆院内閣委員会で強行されました。「成長産業」どころか、無辜の民に、思いがけない窮乏化・困苦化を強いる亡国産業に他なりません。可愛い娘を妓楼へ売ろうとしたおいとの父親が、現代の世に無数に現れかねない非道な環境を、国家ぐるみでつくるのは、犯罪そのものです。
何でそんなに急ぐの?という疑問は、回を改めて考えたいと思います。
きょうはこれにて。

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老いという豊かな世界を再認識!の巻 [雑話]

ちょっとご紹介ががおくれましたが、4月4日、退職同業者親睦組織の、最寄りの支部の交流会に参加してきました。
午前中は、県北奈義町在住の俳優で介護福祉士の菅原直樹さんを講師に、「ワークショップ」を体験しました。

俳優・介護福祉士・奈義町アートデザインディレクター・四国学院大学非常勤講師など多彩な顔を持つ菅原さんは、「老いと演劇」OiBokkeShiを主宰。演劇公演やワークショップを通して、老い、認知症、介護などの問題をともに考える活動を進めておられます。
劇団名の「OiBokkeShi(オイボッケシ)」とは、「老い」「ボケ」「死」。誰もがたどるこの道を、深刻に悲観的にのみ受け止めるのではなく、老いという豊かな世界を再認識していこうという思いからのネーミングだそうです。
HP(「老いと演劇」OiBokkeShi)には、こんな紹介があります。

「老いと演劇」OiBokkeShiとは?

Facebookカバーよみち2

俳優で介護福祉士の菅原直樹を中心に、2014年に岡山県和気町にて設立。

「老人介護の現場に演劇の知恵を、演劇の現場に老人介護の深みを」という理念のもと、介護現場・劇場などで創作上演、一般市民向けの演劇ワークショップ等を実施。

演劇という、太古から営々と築き上げられた芸術活動によって、「老い」「ボケ」「死」の明るい未来をあぶり出し、地域社会の活性化を目指す。

■主宰者プロフィール

撮影:野田明宏
撮影:野田明宏

菅原直樹

俳優、介護福祉士。「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。青年団に俳優として所属。小劇場を中心に前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大など、新進劇作家・演出家の作品に多数出演。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として働く。介護と演劇の相性の良さを実感し、地域における介護と演劇の新しいあり方を模索している。2014年より認知症ケアに演劇手法を活かした「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。OiBokkeShiの活動を密着取材したドキュメンタリー番組「よみちにひはくれない~若き“俳優介護士”の挑戦~」(OHK)が第24回FNSドキュメンタリー大賞で優秀賞を受賞。




ここに紹介されているドキュメンタリー番組の「よみちにひはくれない」という題名は、現在91歳の「看板俳優」岡田忠雄さんが、好んで口にすることわざだそうです。

デジタル大辞泉の解説
夜道(よみち)に日は暮れない

帰る夜道にはもう日も暮れる心配はない。腰を落ち着けてゆっくりと物事をするように勧めるときの言葉。

岡田さん自身、認知症の妻を介護しながら、菅原さんとの出会いを通してOiBokkeShiの演劇活動にとりくむようになったそうで、2015年作品「認知症徘徊演劇『よみちにひはくれない』は、妻の徘徊体験を演劇化したものだとか。
その日常が、テレビのドキュメンタリー番組でも紹介されたそうです。
テレメンタリー2018「演じて看る 〜91歳 認知症介護の日常〜」

地元山陽新聞夕刊のコラム「一日一題」(2016年9月2日)に、菅原さんが、こんなことを書いておられます。



ところで、「ワークショップ」とはどんなことをするのか、いささか緊張して身構えている参加者に、菅原さんは言います。
「---みずからをすべて自由に解放して、心の中にある怒りや悲しみをありのままに表現してください---などということは言いません」---うろ覚えですが、こんな感じの一言で、ほっと場が和みます。
ワークショップの最初のプログラムは、「体を使った遊び」。身体を使って遊びながらリハビリテーションを行うという意味で、名付けて「あそびりてーしょん」。
1は頭、2は鼻、3は肩という風に、身体の部位に番号を付け、司会者(や鬼)が任意に唱える数字に合わせて、対応する身体の部位を指さします。



次には、自分以外の人の身体の部位を指さします。相手が固定しないように、順次違う人の身体の部位を指ささなければなりません。 からだと脳を同時に使う遊びです。なかなか思うに任せないもどかしさとともに、童心にもどった楽しさを味わいながら、心身のリフレッシュができました。
次には椅子取りゲームの変種。「鬼」は、足腰が不自由な高齢者のペースで、ゆっくっりゆっくり歩かなければなりません。空いた椅子をめざしてようやくたどり着きそうになった頃合いを見計らって、すかさず誰かが席を移動します。一度腰を上げたらその席に戻ってはいけないルールです。
「決して本気にならないでください。怪我をします。」と冗談めかしていう菅原さんの「忠告」が、むべなるかなと思えるくらい、白熱します。
菅原さんは言います。「遊びは面白い。できない人が盛り上げてくれる。世の中では、できることが良いことで、できないと反省し、練習してできるようになることが求められる。でも、以前できたことができなくなるのが老い。自分はダメだと深刻に受け止め、自分の老いを拒絶したくなるもの。だが、いまある瞬間を楽しむのが遊びの価値観。」
無邪気に笑いながら、参加者同士の親和感が高まる「遊び」です。全体の中での関係性を判断しながら、適切に行動していく「力」を、遊びを楽しみながら回復していけるのでしょう。現職の頃、「集団遊び」のネタとしてストックしておきたかったと、切に思ったことでした。
介護の現場さながらに、いくつかのシチュエーションを設定し、介護する側とされる側の両方を演じあって、トンチンカンな被介護者の応答を、拒絶するのではなくそのまま受け入れて尊重する演技を体験するメニューもあります。



菅原さんは言います。
アルツハイマー型認知症には、中核症状として記憶障害や見当識障害があり、おかしな言動をしてしまうことがある。でも、「貴方の言っていることは間違いですよ」といちいち正すと、傷つくし混乱する。こちらが見えていないものでも、見えたふり(演技)をすることも大切。箒と間違えて傘を手に持って掃き掃除している人には、「お掃除ありがとうございます。僕が使いやすい箒を持っていますから、こちらに変えてみませんか」と交換してあげるとか。客観的な事実や論理や理屈よりも感情に寄り添うことが大切。

参加者の感想を一部紹介します。

楽しかった。
「相手を受け入れることが大切だ。」とはよく聞くが、なかなか難しい。
年寄りへの対応も、意左内孫への対応も、受け入れる態度が日頃まったくとれていない自分を大いに反省。 


介護の話は観に済まされる話でした。拒否するか、受け入れるか、身内になると逃げることができないので、余裕がなくなり、受け入れると言うことはなかなか難しいと思います。あと何年か後には、自分が介護される立場になると、わがままな老人になるだろうと思うと、情けないような気がします。


おもしろかった。
楽しかった。
人に指示的なことをするのは慣れているけれど、指示されるのはめったにないことなので新鮮だった。認知症の人に寄り添うことの大切さはわかったけれど、実際には難しい気がする。


すべての人に価値がある。
すばらしい話であった。
体を動かしながらの話がよかった。


久しぶりに自分を解放する時が持てて気持ちがよかった。
介護の問題が押し迫ってくる頃なので、生活の中で自然に演じたり演じられていることがあると思った。


身近に迫っている老いについて一条の光が差し込んだ気持ちになりました。いま一瞬を大切にして行けば、だんだん、衰えることについて悲観的にならなくてすむのだと発見することができました。母を介護中の自分にとっても、視点を変えることができて、これから、いい関係を持てそうです。ありがとうございました。


老いと、介護する立場と介護される立場の気持ちは、お互いにコミュニケーションをとりながら、人間としての肯定感を保ちながrら、付き合いたいものだと思いました。施設で働く人は、利用者である老人への配慮もしつつ、演劇的な接し方を工夫してやっておられるのだろうと思いました。楽しくワークショップに参加できました。

きょうはこれにて。

追伸:「首相案件」!またまた出ました。朝日新聞第一面記事。

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ミーハー雑感、の巻 [雑話]

「ミ-ハ-」という言葉を使うことがありますが、その意味はよく知りません。
ウィキペディアにはこうありました。

 ミーハーとは、世の中の流行や芸能人の動静に今まで無知の人が熱中したり、影響を受け知ったかぶりの行為をする者(主に若年の女性)に対しての呼称である。通常はカタカナで「ミーハー」と表記するが、かつてはみいはあ、みいはあ族などと呼ばれた事もあった。昭和初期に生まれた俗語であり、テレビが普及し始めた1950年代後半、大宅壮一が唱えた「一億総白痴化」とほぼ時期を同じくして用いられた。元々は低俗な趣味や流行に夢中になっている教養の低い者や、そのような人を軽蔑して言う蔑称で、特に若い女性のことを指していた。現在では男性にも使われる言葉である。最近の用法としては、「ある事象に対して(それがメディアなどで取り上げられ)世間一般で話題になってから飛びつく」という意味でのものがほとんどである。
語源
文献によってはみいちゃん・はあちゃんの略として、当時の女性の名前は「みよ」「はな」など「み」「は」で始まる名前が多かったことから。
みいはあを音階のドレミファとかけたもの
英語の「Me」&「Her」から。
などの説も唱えられている。
後に、音階のミとファより高い「ソーラー族」なる単語も生まれたが、世間には浸透しなかったという。

2.3日前、愛知に住む旧友ハチロークンから電話をいただきました。用件があらかた終わって、気がかりだった点を尋ねてみました。彼が、ファンクラブに入会し、会員証とブロマイドを肌身離さず持っているという女性歌手は誰だったっけ?という点です。うろ覚えの記憶が正しくて、水森かおりさんでした。遅ればせながら、最近テレビで見ることが多く、その歌唱力はなかなかのものと最近感じていました。今夜もNHKテレビの歌謡番組に出演されていました。
ハチロークンに言わせると、人柄が抜群なのだそうです。
ハチロークンには、以前この記事にご登場願いました。
夏の終わりの高知行、の巻(その5)

 
槙村浩について、私は、2014年12月24日のこの記事で、「槙村浩については、また、別の機会に触れたいと思っています。」と書きました。この約束の実行を何度か試みましたが、いつも挫けて、先延ばししてきました。
今日は少しだけ、書いてみたいと思います。 (中略)  NET検索してみますと、上で引用したweb記事で紹介されている 「草の家の学芸員、藤原(ふじ・はら)義一(よし・かず)さん」が、ご自身のブログのこの記事に、槙村浩関連のネット記事へのリンク集を作っておいでです。勝手に紹介させていただきます。
さっき触れた昨年12月24日のこの記事にも書いたとおり、高知のN先輩からのお便りにより、高知市にある「草の家」が、昨年秋に「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を発行されたことを知り、お願いして先だって手に入れました。 (中略)  手元に届いた冊子「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」では、上の藤原義一さんも、それからわが先輩Nさんも、また、別の先輩Mさんも、それぞれ別の角度から槙村浩に光を当てる文章を寄せておられます。
冊子が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。
I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。
部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電 話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。
これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。  同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。
卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。
最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。
その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。
そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。 今日はここまでとし、またの機会に続きを書きたいと思います。
この記事で、愛知のI君と書いたのが、今の旅の弥次喜多散歩の相棒、ハチロークンのことです。同じホテルに宿泊しましたので、午前中、待ち合わせて宿願を果たそうと思い立ったのです。

もはや彼も、水森かおりファンにかけては、ミーハー以外の何者でもありますまい。
ミーハー度にかけては、私も、昨日の記事で話題にした有森裕子さんへの態度は、人後に落ちません。そして、これらの記事で話題にした吉良よし子さんへの態度もまた、ミーハーそのものとみなされるかも知れませんが、実は、いずれも知人・友人の娘さんへの親愛の感情なのです!
五月晴れの日曜日をいかに過ごしたか、の巻
入院記念日に思うこと、の巻
これでまた病気自慢に箔がつき
その吉良よし子さんが、facebook二、このような投稿をされていましたので、紹介させていただきます。

記事の引用です。

 「共産党は、自衛隊は違憲だからなくすって言ってるんですよね?」
―11月5日に放送された『加藤浩次VS政治家』というテレビ番組に出演したとき、司会の加藤氏や自民党議員などからつっこまれました。
「たしかに自衛隊は違憲だという立場ですが、いますぐなくせなんて言っていません。誰もが、憲法どおり自衛隊がなくても大丈夫と思える平和な国際社会をつくろうと言っているんです。」
と共産党の政策を説明しましたが、
テレビを観ていたみなさんは、どんな感想を持たれたでしょう。
実は、テレビで流されたのはごく一部。
収録時間は6時間にも及び、もっと突っ込んだ議論もしたんです。そこであぶり出されたのは、むしろ自民党の矛盾です。
たとえば、タレントのパックンが
「ところで自民党のみなさんは自衛隊は違憲という立場ですか?」と鋭く質問。
それに対して自民党議員は「…合憲です」と必死で説明。
そしたら、パックンに
「え、じゃあ自衛隊がいま合憲なら、あえて9条を変える必要はないじゃないですか?」と返され、
スタジオでも「たしかに!」と声が上がり、自民党議員はタジタジに。
私も「あなたたちこそ矛盾してるでしょう?」声を上げましたが、この場面はあえなくカット。
他にも放送されなかったいろんな“たたかい”はあり・・・
【その1】
「共産党は、憲法ができたとき自衛権がないからといって9条に反対した。なのにいま9条守れと言うのはおかしい」などといってくる自民党議員がいて、
「当時の議事録をちゃんと読んで下さい。自衛権に触れているのは最後の一部分。むしろ、ちゃんと『“他国との”戦争放棄』と明記し、「他国間の戦争に絶対に参加しない」とも記せ、と言っている。その上で、当時の首相が自衛権を否定する発言を行っていたのでそれについて苦言を呈したということ。むしろ、当時から一貫して集団的自衛権を否定しているのが共産党の立場です。」と反論した。でも、この場面もカット。
【その2】
沖縄辺野古の基地建設の話になったとき、
「民意民意と言うけれど、現地の座り込みには住民は参加していない。オール沖縄と言うけど、こないだの総選挙でも4区では負けてるじゃないか」などといちゃもんをつけてくる議員がいて、
「地元の方はいますよ」「なにより、沖縄県知事選でも、地元の名護市長選でも基地建設反対をかかげた県知事、市長が当選している。その民意を、違う、と仰ることこそ違うんじゃないですか?」と反論し、ぐうの音も出なくさせた場面。
これもカットされてしまいました。
ところで、この番組は最後、まるで9条のせいで、海外に派遣された自衛隊が危険にさらされているというような言い方で終わっていましたが、それに対する反論はもっとしっかりやりたかったと思います。
だって、自衛隊員が危険な目にあっているのは9条のせいではなくて、9条に反して海外派遣が強行されているからでしょう?
それに、「9条のおかげで犠牲者ゼロだった」という、イラクに派兵された陸上自衛隊の幹部の方の証言(2007年1月22日の赤旗記事)もあるんです。
http://www.jcp.or.jp/…/aik07/2007-01-22/2007012215_01_0.html
むしろ、9条こそ、自衛隊員や国民の命を守る砦です。
その9条の根幹である9条2項を無効にする安倍政権の改憲が、自衛隊員を含む国民の命を危険にさらすのは間違いありません。
こういう話、もっとスッキリわかりやすく語る力をつけて、「安倍9条改憲NO」の世論を広げたい。
がんばります。

がんばれ、よし子ちゃん。



冷たい雨の一日でした。
モミジが適期だという深山公園を歩いてみました。
これまた、ミーハーの心境です。
































今日はここまでです。

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心正しき ものの為 月よりの使者 ここにあり、の巻 [雑話]

昨日はまとまった雨が降りましたが、それも上がり、今日は晴れたり曇ったりの一日でした。
夜に外に出て、ふと見あげてみると、晴れた空に明るい月が浮かんでいました、そう言えば、明日が中秋の明月で、後楽園等では観月の特別イベントがあるとか、ニュースで言っていましたっけ。
いろいろためしてみました。ノートリミング画像で、小さい順に並べてみます。(レタッチソフトで少々画像修正を適用)。
pentax k10d+AFAD+ミニボーグ50アクロマート。天体望遠鏡用のレンズですから本来の使い方ということになりますか?(笑)

olympusE3+ズイコーデジタル ED 70-300mm F4.0-5.6

FUJIFINEPIXs1。

pentax k10d+KENKOミラーレンズ500mm F6.3 DX

最後に、pentax k10d+AFAD+ミニボーグ50アクロマートの画像をすこしトリミングします。

ネット上に月面地図の画像がありましたが、ソックリですね(当たり前ですが)。

この天文画像は山村博一様よりお借りしています。

「正義の味方・月光仮面」じゃないですが、疾風(はやて)のようにあらわれた「立憲民主党」。
これですっきりした、と今日もみんなで話しました。
よく聞き知っている「月光仮面は誰でしょう」の歌の他に、三船浩作曲の「月光仮面の歌」というのがあるそうですね。
その二番が、良いです。
       辛いだろうが 今しばし
       待てば幸福 やってくる
       まずしい人よ 呼ぶがよい
       悲しい人も 呼ぶがよい
       心正しき ものの為
       月よりの使者 ここにあり
       我が名は月光 月光仮面
庶民のための政党は、すべからくこうあるべしと思います。
今日はここまで。

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も一度一本の鉛筆、の巻 [雑話]

昨日の記事で氷川きよし君が歌った「一本の鉛筆」について書きかけました。
きょうはそのつづき。何の義理も恩義もありませんが、NHKの回し者みたいな記事を書くことになります。。
8月5日に放送された「思い出のメロディ」という番組を、見るともなく見ていました。
NHKの予告広告をコピーします。






「紅白歌合戦」や、そのほかの歌番組(最近「歌番組」などというものもほとんど目にしませんが)に比べて、格段に心惹かれる歌手や歌曲が多く、話題にすれば切りがないのですが、印象深かったものを二つに絞ってご紹介します。
一つは、倍賞千恵子さんの歌を久々に聴いたことです。何を隠そう、私は隠れ倍賞ファンです(威張っていうことではないですが)。
こんな記事を書いたことがありました。

散歩道のモズが思い出させたこと、の巻


 「俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつかおまえの 喜ぶような
偉い兄貴に なりたくて
奮闘努力の 甲斐もなく
今日も涙の 今日も涙の
日が落ちる 日が落ちる」
と寅次郎が無条件に愛する妹「さくら」のイメージが強いですが、「歌手」倍賞智恵子サンを、私かなり好きです。レコード、音楽テープ、CD、、、何枚か持ってます。最初に買ったLPレコードは、この人のものだったかも知れません。買うのは、ちょっと照れくさかったのですが、クラシック好きの友人にちらりと打ち明けると、彼も評価していて、安心した覚えがあります。「島原の子守歌」が特に好きかも。

その倍賞さんが、葛飾柴又で「さくらのバラード」を歌いました。じーんときました。
ネット上にこんな投稿が掲載されていましたが、いずれも同感です。


もう一つ、特筆したいのが、昨日も書いた氷川きよしの「一本の鉛筆」。
ネット上でも大好評でした。







美空ひばりと「一本の鉛筆」については、以前も、書きました。

「一本の鉛筆」から始まった、の巻


 ウィキペディアにはこうあります。
 ひばりが最初の広島平和音楽祭に出演するにあたって、総合演出を担当していた映画監督、脚本家の松山善三が作詞を、作曲を映画音楽の作曲で有名な佐藤勝が作曲をそれぞれ手がけた。なお、当初は平和音楽祭の実行委員長も務めていた古賀政男が作曲する予定であったが、古賀が体調を崩したため佐藤勝の作曲となった。『一本の鉛筆』と『八月五日の夜だった』は、ともに広島市への原子爆弾投下について描かれた作品である。
ひばりは、父の増吉が徴兵され、母の喜美枝がその間辛い思いをしていたのをそばで見て育っており、自身も横浜大空襲を体験していたこともあって、戦争嫌いだったという。そのようなこともあってひばりは広島平和音楽祭の出演依頼を快諾したという。
リハーサルでは冷房付きの控室が用意されており、広島テレビのディレクターがひばりを冷房付きの部屋に誘導したところ、ひばりは「広島の人たちはもっと熱かったはずよね」とつぶやき、ずっと猛暑のステージのかたわらにいたという。ステージの上からは「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを忘れることができません」と観客に語りかけた。
それから14年が経った1988年、ひばりは第15回の「音楽祭」に二度目の出演を果たした。当時、ひばりは大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎で入院した翌年であり、歩くのがやっとで段差を1人で上ることさえ困難な状況だった。ひばりは出番以外の時は音楽祭の楽屋に運び込んだベッドで点滴を打っていた。しかし、観客の前では笑顔を絶やさず、ステージを降りた時には「来てよかった」と語ったという。翌1989年6月に、ひばりは死去した。

 一本の鉛筆があれば
  私は あなたへの愛を書く
  一本の鉛筆があれば
  戦争はいやだと 私は書く

一本の鉛筆があれば
  八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば
  人間のいのちと 私は書く


この時の記事では、スペースの関係で、歌詞の一部分だけを引用したのでした。しかし、氷川君の歌を聴いて、どの歌詞にもゆるがせに出来ない深い意味があることに気づかされました。それほどに、思いを込めて歌う氷川君に、教えられた思いがしたのでした。

サークルおけらの「おけら歌集」にこの 一本の鉛筆の歌の歌詞や音源、その他紹介文が掲載されています。


過去記事で引用しなかったこの部分を、改めてしみじみと胸に刻んだことでした。

一枚のザラ紙があれば
私は子どもが欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたを返してと私は書く

昨日も引いた棘三吉の詩と、なんと響き合うことでしょう。

 

 ちちをかえせ 
ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ 
わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの
にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

ちなみに広島の平和祈念公園には、この詩が刻まれた詩碑が建てられており、裏面には大原三八雄氏による英訳が刻まれています。



確か私も、自分で写した写真があるはずなのですがすぐには見当たらず、ネット上からお写真を(無断で)お借りしました。
MITTY様こと三登 浩成様のブログ「広島の視線」の2014年11月25日付の、峠三吉の詩碑 の記事中のお写真です。なお、三登 浩成様は、面識はありませんが、「広島の平和公園でガイドをしているFIGの代表で、胎内被爆者」 (プロフィールより)だそうで、学ぶことの多い記事と、美しく優しいお写真でブログを綴っておられます。



台風5号が接近中で、未明から強い風と雨が、わが地方にも影響を及ぼしています。学童保育はお休みのようで、孫たちの守をしてやれば良いのですが、あいにく今日は午前中、私の通院日。(これから出かけます。)
孫たちは、兄妹仲良く、家の中で、おとなしく、留守番をしている、はずです。
今日はこれにて。


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踏んだり蹴ったり、の巻 [雑話]

昨日のことわざ・慣用句の続きです。

「踏んだり蹴ったり」

「一難去ってまた一難」

昨日の昼間の段階では、島根県を中心とする中国地方の災害を案じておりましたら、なんと九州地方の豪雨災害が容易ならざる事態になっています。

熊本大地震の傷跡も癒えないうちに、相次ぐ災厄。たまったものではありません。少しでも被害が軽からんことを祈ります。

当地の方は、並みのレベルの土砂降りはあったものの、災害につながるような規模のものではなく、酷暑がしばし緩んでありがたかったくらい、、、、と言うと、罰が当たります。

打って変わって、今日は、またまた真夏日の暑さ。日中は、とても屋外に出る気がしません。

昨日は、トウモロコシの初収穫。

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痩せてはいますが、粒が揃いました。塩を降って蒸し器で蒸して、孫たちに一切れずつ与えると、二歳児が「甘くおいしい」と、回らぬ舌で一人前のことを言います。

トマト、きゅうりも、もぎたてがごちそうです。(写真撮影忘れました)

この季節、友人、知人からも、ナスやきゅうりといった新鮮野菜を沢山いただきます。文字通り、自然の恵みです。慈愛深い自然が、うって変わって牙をむく。恐ろしいことです。人間のか弱さが浮き彫りにされます。英知を尽くして、自然と折り合うすべを探らなければ、と痛感します。

核開発や戦争準備や、人間同士愚かな争いに労力を費やしている場合ではありません。

一歳児の孫が、最近「初海!」を体験したそうです。

こんなささやかな幸せが、乱暴に踏みにじられるようなことがあっては困ります。

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庭のキアゲハの幼虫はますます成長し、パセリの葉は、ますます丸裸になっていきます。

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今日はここまで。




 

つれづれのことわざ三昧、の巻 [雑話]

今朝は早朝から、島根県を中心に、甚大な大雨災害に対する物々しい警報が、繰り返し報じられています。台風は過ぎ去ったのに、センジョウコウスイタイとやらのせいで、激しい雨量が予想されるのだとか。このセンジョウコウスイタイという専門用語、最近の大雨災害の際にしばしば耳にするようになっていましたが、耳から聞いたのでは意味が思い浮かびません。
「戦場」「扇状」「千丈」、のほか、洗浄,線上、洗滌、千畳、煽情等も思い浮かべてもますが、ピンと来ません。
正しくは「線状降水帯」だそうで、激しい雨が長時間降り続く恐れがあり、「数十年に一度の甚大な災害」が予想され「最大級の警戒」が必要だそうです。くれぐれも被害なきことをお祈りします。

自然災害ならずとも、ごくプライベートな事情から、こんな言葉が脳裏をぐるぐる回っています。
「弱り目に祟り目」
「泣き面に蜂」
今日から、退職同業者の作品展が開かれます。

過去のものは、こんな記事でご紹介しました。


「一本の鉛筆」から始まった、の巻(2016-07-04)


取り急ぎ、岡山空襲の日を走り読み、の巻
(2016-06-29)

2年目と言われて気づくうかつかな(2015-07-15)

この記事に書いた感想は,現在にもそのまま当てはまります
 「安保関連法案」が、今日にも衆院委員会採決、という動きが伝えられています。

昨日も何人かの友人と話しましたが、実に不愉快。不本意。精神衛生に障ります。

「丁寧に説明する」とおっしゃりながら、一方的に自分の理屈を繰り返すだけで 、相手の質問に答えない、はぐらかす、時には恫喝する、、これで審議は尽くしたとして採決をごり押しする。やっぱ、なんかカンジワルイわるいですよね。

過去にも、語彙力の貧困が話題になった宰相は複数おられました(現在、副総理をなさっておられるお方なども)が、アベサンの場合、その饒舌さとは裏腹に、語彙認識がかなりずれていらっしゃるのではないかと感じるフシがままありますね。

普通「丁寧に」というからには、たとえ意見が違ったとしても、相手の存在を認め、その気持ちを斟酌し、思いが少しでも通じ合うように、相互の間隙を埋め、一致点が広がり、合意が進むように、心を砕くことを、期待します。でも、あべサン達の「丁寧」には、そんな要素はひとかけらもないらしい。

桑畑の歌から始まった、の巻(2015-07-14)


半田山植物園のバラの巻(3)
(2015-07-12)

七夕雑話(2015-07-07)

せせらぎのかそけき音や半夏生(2014-07-02)



昨日は、朝から作品の搬入、飾り付けということで、私自身も作品を持ち込むとともに、会場の設営のお手伝いをすることにしていました。ところで、前日の月曜日は、アルバイト勤務日でしたが、仕事を終えて帰宅し、荷物をそのまま車に積んだままでしばらく気づかなかったのですが、お昼に食べた、空の弁当箱がない。さては、職場に忘れてきたかと気づいたものの、次の勤務日は木曜日。しかも私の席は、曜日ごとに利用者が入れ替わる共有席。こんな高温多湿の季節に、汚れた弁当箱を放置していると悲惨な事態に陥ることは必定で、すみやかに持ち帰らなければなりません。

というわけで、その朝は、一旦職場に立ち寄ってから作品展会場に向かおうと、少し早めに余裕を持って家を出たのですが、折からの台風接近で.思わぬ渋滞に巻き込まれ、予想以上に時間がかかりました。 空の弁当箱は、予想通り、自席の机の下に置き忘れていましたので、こっそり回収して展示会場に向かいますが、10分ほどの遅刻。前途多難を暗示する一日の始まりでした。

入場者にお配りする出品目録を作成するという役割を与えられていました。事前に編集していたものを、当日の最終調整を施した上で印刷するため、パソコンと印刷機を借りられる場所まで、雨の中、車でひと走り。ついでにおあずかりした作品を運搬、などの大役を無事やり遂げることができました。午後も会場設営・展示を手伝いながら、ゆっくり作品鑑賞も楽しませていただいて、夕刻帰路につきました。

ここまでは、満ち足りた思いとともに、快い疲労を味わいながらの帰路でした。 と、これで終われば言うことなしですが、、、。

「好事魔多し」

「油断大敵」

「一寸先は闇」

帰もうすうすぐ自宅が見えようかというあたりでした。交差点の赤信号で列の後尾について停まり、信号が変わって、アクセルに足を乗せたときでした。どうもおかしい。プスン、プスンと力ない反応で出力が出ません。そしてそのままエンスト。 ガソリン切れです。

ガス欠エンストは2度ほど記憶にあります。一度は早朝、まだガソリンスタンドが営業を始める前の、真っ暗な時間帯。近くのGSに電話して見ますが、らちがあきません。困り果てて、わずかに面識のあるご近所の自動車関係業者の方に不躾なお願いをすると、ご親切にも缶入りのガソリンを持ってきて注油してくださいました。ありがたいことでした。

もう一度は、白昼、下り坂を運転中エンスト。そのまま惰性で走らせて、さいわい眼の前にあったガソリンスタンドに滑り込んだ?のでしたか?この時の記憶は、極めてあいまいです。

2つの経験の後先も覚えていません。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

「二度あることは三度ある」

のことわざ通りの展開です。

「三度目の正直」

「仏の顔も三度まで」

とも言いますから、三度目はちょっと怖い。

ですから、決して熱さを忘れたわけではなく、エンプティランプが点滅すれば、できるだけ直ちに注油するようにしてました。まだガソリン残量は底をついているようではなく、10lもそれ以上も残っていて、まだ相当距離を平気で走るはず、という状態でも、

「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」

ことが多かったのです。

今回も、エンプティランプには一昨日の通勤時に気づいてました。帰宅後、保育園のお迎えや、孫たちを載せての買い物に車を走らせましたが、雨模様でもありましたので給油は避けました。そして当日の朝は、時間に急かされていましたので、給油しないまま出かけたのでした。後々考えますと、置き忘れの弁当を取りに回り道しなければ、無事に家まで帰り着けたかもしれません。

「後の祭り」です。

 国道上とあって、後続車も多く、降りて車を押してGSまで、というわけにもいきませんから、思いあまってJAFに助けを 求めました。これが正解で、30~40分後には、10L缶入りのガソリンを持ってレスキューに駆けつけてくださいました。

会員証を見せますと、1994年入会とありましたので「長い間ありがとうございます」と感謝されました。

脱輪、パンク、ほかに何があったっけ?頻繁にではありませんが、困ったときに助けていただいています。

「苦しいときの神頼み」

「持ちつ持たれつ」

おかげさまで無事、帰り着くことが出来ました。


今日は午前中、作品展の会場係の一員を仰せつかりました。

だんだんと岡山県内の各地にも警報が発せられるという悪天候の中ですので、人影もまばらですが、同じ館内で開かれている催しへの参加者が、三々五々訪れてくださいました。

そうはいってももてあます、手待ち時間のつれづれに、この記事を書き進めているところです。

展示作品についての詳報は、機会を改めるとしまして、一つだけ特記すべきことがあります。それは、ででぽぽの咽び啼く朝師を送るの記事でご紹介した恩師故M先生の生前の絵が、奥様のご厚意で出品されていたことです。

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若かりし日には国体にも出場されたスポーツマンで、専門の文学はもとより、音楽にも造詣が深いことは存じ上げていましたが、絵を描かれることは知りませんでした。ちょうど、同一会場で市民講座の活動中で、休憩の傍ら作品展をのぞいてくださった、わが故旧のおひとりヨシエさんも、M先生が描かれることは知らなかったとおっしゃっていました。1993年の作品とされるめざしの絵が好きです。
もうお一人、同じ時期に亡くなられた故K先生の遺作も出品されています。
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今日はここまで。

子どもが登校した後で警報を出されても困るわけよ、の巻 [雑話]

台風16号の影響はいかがでしたか?被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。

我が地方は、朝方はちょっと強い雨が降る程度でしたが、八時半過ぎた頃に警報が出されました。子どもたちはいつも通りに登校していますから、急遽閉校、下校ということになれば、ジイジの家に帰ってくることになります。

学校からは、勤務先のママのところに連絡が入るはずですので、それを受けて適宜対処しなければなりません。

スタンバイモードで待ち構えながら、ママとメールのやりとりをしていましたが、九時過ぎに学校から連絡があったらしく、小学生も中学生も学校待機で、平常授業をしながら様子を見て、台風の影響が薄らいだところで下校という方針だそうです。賢明な判断でしょう。

雨風が強まる中、子どもたちを下校させるわけにはいきますまい。

我が家の雨樋は、老朽化のため、大雨になると氾濫して軒下を水びたしにします。



玄関先の睡蓮蜂も雨だれが面白い波紋を描いています。







ここには金魚とメダカがいましたが、この夏の日照りで大部分が死にました。小川から網ですくって捕ってきたメダカが、わずかに数匹、生き延びています。放っておくとボウフラが大繁殖しますので、それを餌にする小魚が住んでいてくれることはありがたいのです。



庭の片隅に、こぼれ種から育ったホセンカが、ヒッソリ花を咲かせています。



以前こんな記事を書きました。◇紅(くれない)の翼広げる鳳(おおとり)の想いを知るや汝(な)は鳳仙花

一部引用させていただきます。








朝鮮半島では鳳仙花で染めた爪が初雪が降るまで残っていれば恋がかなうという、ロマンチックな言い伝えがあるそうです。
沖縄では「てぃんさぐ」と呼ばれ、民謡「てぃんさぐぬ花」に歌われています。

ホウセンカを歌った歌は数多く、私などはまず、


      「悲しいですね 人は誰にも
   明日流す涙が見えません」


     と歌い始め


     「ほうせんか 私の心
   砕けて 砕けて 紅くなれ
   ほうせんか 空まであがれ
   あの人にしがみつけ」


と繰り返す、中島みゆき「ほうせんか」(作詞作曲 中島みゆき)を真っ先に浮かべます。

加藤登紀子が歌う「鳳仙花」は哀調を帯びたメロディが心に残ります。










  赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
    灼けつく夏の日 暑さも知らずに
    かわいい娘は 爪先染めたよ


    赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
    やがて夏去り 秋風吹けば
    ほうせん花種蒔け 遠くへはじけよ



この曲は「洪蘭坡」(ホン・ナンパ)というヴァイオリニスト・作曲家としても著名な、朝鮮人音楽家の作曲だそうです。

彼は1897年生まれで、植民地時代の1917年から日本にわたり、東京音楽学校で学びますが、3・1独立運動(1919年)を機に帰国し、独立運動に参加しました。独立運動は弾圧を受けて挫折しますが、1920年、「哀愁」というヴァイオリン独奏曲を作り、5年後に友人である声楽家、金享俊(キム・ヒョンジュン)が詩をつけたのが「鳳仙花」でした。それは四季折々の鳳仙花の姿に寄せて、日本の植民地支配の下で苦しむ朝鮮人の哀しみと、春風とともに蘇る鳳仙花になぞらえて祖国独立への希求を歌ったもので、人々に深く愛唱されたそうです。そのことがもとで、日本の官憲から、日本の朝鮮支配に抵抗する危険人物として日常的に監視されるとともに、軍歌の作曲や軍歌の指揮・演奏など、その意に反して日本軍国主義への協力を強要されたのでした。この肉体的、精神的苦痛のため、太平洋戦争開戦間近の1941年、43歳の若さで亡くなりました。彼の生涯については、「中央日報」のこの記事がよく伝えています。

2005年には、「日本統治時代に親日活動を行なった人物」として「第1回親日派人名簿」に掲載され、日本統治時代の強いられた協力をとがめられたのは、いたわしい事でした。


その後、家族らの異意申し立てなどにより2009年には、親日名簿から除外されたそうですが、去年の秋には、「蘭坡音楽賞」の候補に選ばれた作曲家のリュ・ジェジュン氏やソプラノのイム・ソネ氏が、「親日派音楽家の名で賞を受けたくない」として受賞を拒否した(この記事参照)と伝えられるなど、国民感情は依然複雑なようです。占領する側、支配する側が、とっくに忘れてしまった歴史の記憶を、踏みつけにされた側は、やすやすとは「水に流す」わけにいかないということでしょう。


1
かきねの鳳仙花 燃え立つ夏の日
可愛い少女は お前の花びら見つめ
微笑む 麗しい鳳仙花
2
季節は巡り 秋風吹いて
お前の真っ赤な 花びら奪って
哀れな鳳仙花 目をとじ眠る
3
凍てつく大地に お前は眠る
平和な世界を 夢見て
春風吹けば もいちど

目を覚ませ 鳳仙花




「赤い花なら曼珠沙華」と、先日来ヒガンバナ。曼珠沙華を話題にしていますが、我が家の庭では白いヒガンバナがすっかり開花していました。







世話もしないのに、毎年律儀に咲いてくれます。

子どもたちが学校で面倒を見てもらえるようなので、午後は予定通り、年金裁判の傍聴に出かけることにしました。そのご報告は、次回といたします。

今日はこれにて。

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


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