岡山方言に「ヤッチモネー」という形容詞があります。おそらく全国標準では、通用しない言葉であろうかと思われます。
いつものように、ウィキペディアのお知恵を借りますと、「岡山弁」というページ(岡山弁 - Wikipedia)の片隅に、こんな記述があります。
やっちもねー、やっち糞もねー -
くだらない、つまらない、しょうもない、ろくでもない。美作地方では使用されない。(例)「何ゆーとんじゃ。やちもねー!」「やっちもねーこと言うとらんと、早ようしねー」
また、こちらの「goo辞書 全国方言辞典」の こちらの記事 にも同じような解説があります。
やっちもねー (岡山の方言)
つまらない。ばかばかしい。
やっちもねーテレビばー見てから。ちーたー勉強せー
(つまらないテレビばかり見て。少しは勉強しろ)
人(地域)によっては、「やっちゅうもねえ」というかもしれません。
語源等については確かなことは分かりませんが、古語の「埒(らち)なし」に関係がありそうな気はします。(現代語では「埒(らち)もない」などといいます)
小学館の「精選版日本国語大辞典」の解説をお借りします。
らち【埒】 も 無(な)い
① 秩序がなく、筋道や理由がたたない。めちゃくちゃでばかばかしい。
※浄瑠璃・出世景清(1685)五「高綱色をちがへ、はてらちもない事。一度切たる景清がよみがへるべきやうもなし」
② しまりがない。とりとめがなく、つまらない。しかたがない。役にも立たない。たわいもない。
※浄瑠璃・烏帽子折(1690頃)名尽し「二人はひょろひょろうろうろと震ひて何の埒もなし」
[語誌]秩序がない、おもしろくないの意の「らっし(臈次)も無い」から変化して成立した表現であるという説がある一方、「俚言集覧」の「俗語は無埒の義に似たり」によって別語とみる説もあり、後者の立場からは「らち(埒)」をもとに直接に成立した慣用表現ということになろう。両者が直接の派生関係になかったとしても、「らっし(臈次)も無い」に対する「らっち(埒)も無い」、「らっしくち(臈次口)も無い」に対する「らちくち(埒口)も無い」という表現が近世に存在するところから、当時の意識としては、両系統の表現は関係のあるものとしてとらえられていたのかもしれない。また、一方が他方からの類推により成立したという可能性も考えられる。
埒も ない言葉の詮索はさておき、今日の散歩では、ヤッチモネー玩具レンズで埒もない遊びを楽しみました。
最近めったに使わない初代PENTAXQに、これまためったに使わないペンシルボーグp25をつなげて、鳥を狙ってみました。
以前、RICOHGXRにつないだところをご紹介しましたがガラクタ較べ続きます、の巻、ペンシルボーグp25は、先端の白い部分です。
白くて目立つのが、恥ずかしい感じがするので、最近黒いテープを巻きました。
白いPENTAXQなのに、わざわざ黒いテープとは!とひとりツッコミを入れたくなりますが、、、。
前にも書いたかも知れませんが、ペンシルボーグ25pは、焦点距離:175mm ですから、PENTAXQ(初代)に装着すると、フィルムカメラ換算で約5.5倍の950mm超の望遠レンズに相当ことになります。これを使いこなすすべはないかと苦労は尽きないのですが、三脚、液晶フードなどをきっちり用意するのは面倒なので、ついつい手持ち撮影でトライすることになります。
あくまでもマニュアルフォーカス撮影ですから、なかなかピントがあいません。それより何より、対象物を液晶内に捉えること自体、至難の業です。
ピンぼけ量産はもとより、ピントを合わせてシャッターを切ったつもりが、画面から大きくはみ出してしまうこともしょっちゅうです。
たとえばこんな感じ。
そんな出来損ない写真をまとめてご紹介します。
まさしく「ヤッチモネー」時間と労力のムダに、お付き合いいただいて恐縮です。
お詫びを兼ねて、最後に一つだけ「有用」な話題を提供させていただきます。
今朝の「しんぶん赤旗」の「地方・総合のページ」に、高知の平和資料館「草の家」創立三〇周年のことが紹介されていました。
粘り強い、地道なとりくみに改めて敬服いたしました。
今日はこれにて。
最後はコマーシャルです。
ナードサークの四季(抄)Ⅰ: 四季の田園風景と折々の思い (MyISBN - デザインエッグ社)
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