休みの日に限って早く目覚めて、何かそわそわするのは、性癖でしょうか、今朝も、近所の散歩に出かけました。
麦は、ますます熟しています。
麦は、ますます熟しています。
高くさえずっては舞い降りるのは、ヒバリです。
ムクドリも、姿を見せています。
早朝のスズメ。身のこなしも軽やかです。
センダン(栴檀)。栴檀は双葉より芳しと言われる香木は、別種だそうですが、この花には芳香があります。
タチアオイが咲きました。
今日も、桑の葉を調達に、田舎の実家へ行ってきました。
お蚕様は、かなりの数が繭作りの体勢に入りましたので、食欲旺盛な現役幼虫は、少し減りました。
前回ほどの桑の葉は必要ないでしょうが、遅く生まれた後発グループが、四令、五令になって、食事量が増えてきています。
畑のキャベツに、モンシロチョウが産卵中です。
いま、止まっているのは、ムラサキカタバミ(紫片喰、紫酢漿草)の花でしょうか。
今度は、春菊の花に。
山椒の木には、アゲハが産卵中です。
タンポポの綿毛。
草の中を、幼い昆虫たちが大勢飛び跳ねています。
鳥や虫の姿を見る旅に、万葉歌人大伴旅人の「虫に鳥にも吾は成りなむ」の句が、自然と口ずさまれてなりません。
以前、去年の1月のこの記事で、この歌に触れました。
少しだけ引用します。
・今代(このよ)にし楽しくあらば来生(こむよ)には虫に鳥にも吾は成りなむ(349) 【解釈】現世が楽しくあったなら、来世には虫にも鳥にも私は生まれ変わったってかまわないよ。 因果応報を説く仏教では、前世の行いが現世に報い、現世の行いは来世に結果すると考えられます。この世でよい行いを積めば、あの世で清浄・清涼な世界に、 仏として生まれ変わることができるはず。でも、旅人は、来世なんかどうなってもかまわない、たとえ虫けらや鳥や獣に生まれ変わろうとも、今生きている現世 が楽しかったらそれでいい、というのです。なかなか徹底したエピキュリアンではないですか?でも、酒を飲んで酔哭しても、楽しいのはつかの間で、妻を失っ た悲しみは癒えることはないのです。 (中略) 旅人を酔泣させる材料としては、一族の不遇、左遷による田舎暮らしの鬱憤、その他世俗のあれこれの憂いが重なったのでしょうが、やはりなんと言っても、赴任先の太宰府で妻を亡くした痛手が大きいに違いありません。 |