中納言物語」におさめられている「虫めづる姫君」について書こうかと思ったら、以前の「虫めづる姫のめでたる棘毛虫」というタイトルの記事で、同じようなことを書いている事に気づきました。
この記事では、
- 折々散歩
このツマグロヒョウモンの幼虫の写真を載せ、成虫となったチョウの姿と見比べて、メタモルフォーゼの妙に思いを致したことでした。
そこで引用した「虫めづる姫君」の一部分を再録します。
(親が心配して)「人は、みめをかしきことをこそ好むなれ。むくつけげなるかは虫を興(きよう)ずなると、世の人の聞かむもいとあやし」と聞えたまへば、
「苦しからず。よろづのこと、もとをたづねて末を見ればこそ、ことはゆゑあれ。いとをさなきことなり。かは虫の蝶とはなるなり」そのさまのなりいづるを、
とりいでて見せたまへり。
「きぬとて人の着るも、蚕のまだ羽つかぬにしいだし、蝶になりぬれば、いともそでに、あだになりぬるをや」とのたまふに、言ひ返すべうもあらず、あさまし。
「苦しからず。よろづのこと、もとをたづねて末を見ればこそ、ことはゆゑあれ。いとをさなきことなり。かは虫の蝶とはなるなり」そのさまのなりいづるを、
とりいでて見せたまへり。
「きぬとて人の着るも、蚕のまだ羽つかぬにしいだし、蝶になりぬれば、いともそでに、あだになりぬるをや」とのたまふに、言ひ返すべうもあらず、あさまし。
【上方弁風にわか訳】
(親が心配して)「人は見た目を好むもの。気色悪げな毛虫を面白がっていると、世間の人が耳にするのもみっともなかろう」
と言わはると、
「無問題よ。何でも、本を究めてから末を見てこそ、ものの道理がわかるのよ。気味悪く見える毛虫は、とってもおさない幼虫なのよ。毛虫が、今に蝶になるのよ」
と、羽化して蝶の姿になるところを取り出して見せなはったんや。
「人が着る絹も、まだ羽もつかない蚕が作り出すのよ。蝶になっちゃうと、糸も”袖”にされて、無駄になってしまうわ」といわはって、言い返しもどうもでけしまへん。あきれたことでしたわ。
姫君がその価値を擁護してくれた蚕。わがやのお蚕は、大部分繭作りを終えました。
この繭を作ったのは、昨年二つのペアが産卵した卵から孵化したお蚕たちです。ところで、このほかに、今年は興味本位で別のお蚕と人造餌のセットをネット注文し、人造餌だけで育てていましたら、これも五令になって繭づくりに入りました。
同じお蚕様でも、品種が違うと、容貌も凄く違います。白い大きな繭を作るそうです。
ところで、先日歩いた自然保護センターでは、いろいろな蝶に会いました
群れて地面に止まっているのはシジミチョウのようですが、ルリシジミですか?
これは、テングチョウのようです。
テングチョウの群れに紛れて、ゆっくり羽根を開け閉じしているこの蝶は?
ヒオドシチョウでしょうか?
樹液に集まっているいろいろな昆虫たち。
この蝶の名は、何でしたっけ?
これは?ヒカゲチョウですか?故郷の実家の庭にいました。
ネットの図鑑も、紙の図鑑もめくってみるのですが、老眼のせい(にしておきましょう)で、どれもこれも同じ模様に見えるのです。困った物です。
「虫愛づる姫君」の方が、もっと科学者の目で、虫に接していたのでしょうね。
今日はこれにて。