大体、この歳になるまで、見当外れの思い込みは数知れず、しかもそれを得意げに吹聴して、後で隠れる穴を探すことはしょっちゅうです。
その手の失敗は、枚挙にいとまがありませんが、今も思い出しては赤面する筆頭は、新任教師の頃、古文の授業でのことです。
教科書に『古事記』の一節が掲載されていました。私にとっては、なじみの薄い教材でしたが、教材研究もほどほどに、授業に臨んで、知ったかぶりの解説をほどこしておりました。
以前、この
はしけやし昭和末年17歳 という記事で話題にした、ヤマトタケルの臨終の場面です。記事内容が重複しますが、青空文庫「校註 古事記(武田祐吉注釈校訂)」を、少し前の部分から引用します。
其地(そこ)より發(た)たして、當藝(たぎ)の野(の)四の上に到ります時に、詔りたまはくは、「吾が心、恆は虚(そら)よ翔(かけ)り行かむと念ひつるを五、今吾が足え歩かず、たぎたぎしく六なりぬ」とのりたまひき。かれ其地(そこ)に名づけて當藝(たぎ)といふ。其地(そこ)よりややすこし幸でますに、いたく疲れませるに因りて、御杖を衝(つ)かして、ややに歩みたまひき。かれ其地(そこ)に名づけて杖衝坂(つゑつきざか)七といふ。尾津の前(さき)八の一つ松のもとに到りまししに、先に、御食(みをし)せし時、其地(そこ)に忘らしたりし御刀(みはかし)、失(う)せずてなほありけり。ここに御歌よみしたまひしく、
尾張に 直(ただ)に向へる九 尾津の埼なる 一つ松、吾兄(あせ)を一〇。 一つ松 人にありせば、 大刀佩(は)けましを 衣(きぬ)着せましを。 一つ松、吾兄を。 (歌謠番號三〇)
其地より幸でまして、三重の村一一に到ります時に、また詔りたまはく、「吾が足三重の勾(まがり)一二なして、いたく疲れたり」とのりたまひき。かれ其地に名づけて三重といふ。 |
赤字の「
かれ」を、何気なく、「彼は、」と訳したのです。
ちなみに、同じく青空文庫「古事記物語(鈴木三重吉)」による現代語訳で、この部分を見てみます。
命 は、ほとんどとほうにくれておしまいになりましたが、ともかく、ようやくのことで山をおくだりになって、玉倉部(たまくらべ)というところにわき出ている 清水(しみず)のそばでご休息をなさいました。そして、そのときはじめて、いくらかご気分がたしかにおなりになりました。しかし命はとうとうその毒気のた めに、すっかりおからだをこわしておしまいになりました。 やがて、そこをお立ちになって、美濃(みの)の当芸野(たぎの)という野中までおいでになりますと、 「あ あ、おれは、いつもは空でも飛んで行けそうに思っていたのに、今はもう歩くこともできなくなった。足はちょうど船のかじのように曲がってしまった」とおっ しゃって、お嘆(なげ)きになりました。そしてそのまままた少しお歩きになりましたが、まもなくひどく疲(つか)れておしまいになったので、とうとうつえ にすがって一足(ひとあし)一足(ひとあし)お進みになりました。 そんなにして、やっと伊勢(いせ)の尾津(おつ)の崎(さき)という海ばた の、一本まつのところまでおかえりになりますと、この前お行きがけのときに、そのまつの下でお食事をお取りになって、つい置(お)き忘(わす)れていら しった太刀(たち)が、そのままなくならないで、ちゃんと残っておりました。 命(みこと)は、 「おお一つまつよ、よくわしのこの太刀(たち)の番をしていてくれた。おまえが人間であったら、ほうびに太刀をさげてやり、着物を着せてやるのだけれど」と、こういう意味の歌を歌ってお喜びになりました。それからなおお歩きになって、ある村までいらっしゃいました。 命は、そのとき、 「わしの足はこんなに三重(みえ)に曲がってしまった。どうもひどく疲(つか)れて歩けない」とおっしゃいました。 |
赤字の「
かれ」は、特には訳出されていませんね。
ところが、生徒の中には、注意深く予習してきている者もいて、「そのかれは、『故に』という意味ではないですか?」と指摘してくれました。理系に進んだ生徒で、数学はほぼ常に満点を取っていたようですが、国語もぬかりなく取り組む生徒でした。
現代の高校生には余り見られなくなりましたが、当時は、自分が指名されていなくても、一人ひとりが主体的に授業に参加していて、適宜質問したり、意見を言っ
たりする場面がよくありました。特に、新人の教師などには、鋭い質問をして困らせてやろうという気風もあったようです。
確かに、辞書にはこうあります。
かれ 【故】
接続詞①それゆえ。それで 出典古事記 神武
「その御手の血を洗ひ給(たま)ひき。かれ、血沼(ちぬ)の海といふ」 [訳] そのお手の血をお洗いになった。それで、(そこを)血沼の海という。 ②そして。それから。さて。 出典古事記 神武 「かれ、その国より上りいでましし時に」 [訳] そして、その国からのぼっておいでになったときに。 ◆副詞「か」と動詞「あり」の已然形からなる「かあれ」の変化した語。上代語。(学研全訳古語辞典)
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さしずめ、こんな訳になるべきなのでしょう。
☆「吾が心、恆は虚(そら)よ翔(かけ)り行かむと念ひつるを五、今吾が足え歩かず、たぎたぎしく六なりぬ」とのりたまひき。かれ其地(そこ)に名づけて當藝(たぎ)といふ。
→ 「ああ、おれは、いつもは空でも飛んで行けそうに思っていたのに、今はもう歩くこともできなくなり、たぎたぎしく(足の運びがはかどらなく)なってしまった。」とおっしゃった。それで、その地は當藝(たぎ)という名になったのです。
☆「吾が足三重の勾(まがり)一二なして、いたく疲れたり」とのりたまひき。かれ其地に名づけて三重といふ。
→ 「わしの足はこんなに三重(みえ)に曲がってしまった。どうもひどく疲(つか)れて歩けない」とおっしゃいました。それで、その地は三重(みえ)という名になったのです。
この「かれ」の記憶は、私の教師生活の原点とも言えるもので、軽はずみを戒めるお灸の役目を果たしてくれました。
今日は午後からは天気が下り坂という予報でしたので、朝のうちに散歩に出かけました。
散歩といいながら、先日のぎっくり腰以来、なかなか歩数が稼げていませんので、今日はできるだけ軽快な出で立ちで、歩くことに専念しようと思いました。それでも、万々一のために、カメラは持っておくべきだろうかと、OLYMPUSE3+ズイコーデジタル
ED 18-180mm F3.5-6.3をバッグに、深山公園へ出かけました。必要に応じて取り出せるように、望遠系の機材も車には積んでいきましたが、とにかく今日の散歩は血流改善を重視して、歩数確保を最大目標とし、割り切ってこれを使おう、、と思い定めたつもり。
ところが、歩き始めて何分も経たないうちに、気になる鳥影が見えました。枝から枝へ飛びかったり、地面へ降りて何かをついばんだりしています。
目
を凝らしてみると、今シーズン初見のミヤマホオジロではないでしょうか。慌ててカメラを向け、繰り返しシャッターを押し、だめ押しにだめ押しを重ねます。
しかし、最大180mmのレンズでは、芥子粒ほどにしか写りません。しかも、望遠域の明るさがf6.3ということも影響してか、手ぶれ、被写体ブレのオン
パレード。証拠写真すら残せませんでした。
いっそ今日の当初の目当てを撤回して、車まで望遠カメラを取りに帰ろうかと、かなり本気で思いました。
それをグッと我慢して、散歩道を進んでいくと、ヤマガラが、いつもよりもたくさん、いつもよりも近くまで、出迎えてくれました。
手ぶれ写真の山の中から、まずまず見られる画像はこんなところです。
師走の深山公園のヤマガラ posted by
(C)kazg
師走の深山公園のヤマガラ posted by
(C)kazg
師走の深山公園のヤマガラ posted by
(C)kazg
師走の深山公園のヤマガラ posted by
(C)kazg
師走の深山公園のヤマガラ posted by
(C)kazgトリミングしてみます。
さ
らに歩いておりますと、対向の通行人の男性が、私のカメラを姿に気づいてか、「そこにカワセミがいるよ」と声をかけてくださいました。指さされた方角にさ
らに歩いておりますと、すれちがった女性の散歩客が、「そこにかわせみがいましたよ」と、池の岸辺の方を指さして教えてくださいました。
目を凝らすと、撮影中のカメラマンの姿も目に止まり、そのレンズの向かう方向に、確かにカワセミがいます。
しかし、返す返すもレンズの長さが足りません。
師走の深山公園のカワセミ posted by
(C)kazg アオサギとのツーショットが面白いので、少し拡大します。
バッグに一緒に入れていたOLYMPUS PEN E-P5 +LUMIX G VARIO 45-200mm / F4.0-5.6 / MEGA O.I.S.で写してみました。最望遠側が、180mmと200mmの違いは微々たるもののはずですが、それでも違いは確かにあるようですね。
池の全体像を写すには、やはり広角側も重宝しますので、結局どのカメラ(レンズ)を持ち歩くのがよいのやら、悩みは尽きません。
まあ、それはそれとして、標準散歩コースを一周して、一万歩近くはかせぎ、今日一日では、1万3千歩近くをカウントしました。
でも消費カロリーは、わずか447kcal。いなり寿司程度だそうで、ちょっと落胆。
午後は予報通り雨。しかも、かなりの本降りで、朝の散歩は正解でした。
妻と娘と三人で、出産小物などの買い出しにおつきあい。という次第で、執筆時間の都合により、きょうの記事はこれにてオシマイです。