あやふやな記憶は、その都度、図鑑で確かめるべきでした。お恥ずかしい。
ところで、「ヨシガモ」は、頭部の模様がナポレオンのビーコン・
ハットに似ていることからナポレオン・ハットも呼ばれるそうです。山と渓谷社「山渓ハンディ図鑑 日本の野鳥」によれば、「ヨシガモ」の名前の由来は、「容姿が美しい」カモという意味だそうです。漢字で、「葦鴨、葭鴨」と書くとおり、「葦の生えている所にいる」ところからの名づけとも言われます。
葦(葭・芦)は、「アシ」と読みますが、「悪し」に通じることからこれを忌み、縁起を担いで「ヨシ(良し)」と言い換えることがあります。
江戸の遊郭「吉原」も、もとはアシの生い茂った原であったところから「葦原」と呼ばれ、「アシハラ」→「ヨシハラ」と転じたそうですね。
ところで、古来、「葦」でよく知られた場所は難波の地であったようです。
百人一首にこんな歌があります。
難波潟みじかき芦のふしのまも あはでこの世を過ぐしてよとや (十九 伊勢)
〔解釈〕難波潟に生える芦の、短い節と節の間のような、ほんのわずかの間も逢わないまま、私にこの世を終えてしまえと、あなたはおっしゃるのでしょうか。 |
この歌では、節と節の間を「ふしのま」と読んでいますが、「節(よ)」と言う言葉もあリます。
つぎの歌では、「ひとよ」が「一夜」と「一節」の」掛詞として用いられています。
難波江のあしのかりねの一夜ゆゑ みをつくしてや恋わたるべき
(八十八 皇嘉門院別当)
〔解釈〕 難波の入り江の芦の刈り根の一節(ひとよ)のように あなたと過ごした短い一夜(ひとよ)の仮寝のために、わたしは澪標(みおつくし)のように身を尽くして恋し続けなければならないのでしょうか。
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ちなみに「みをつくし」は、「澪標」と「身を尽くし」の掛詞です。
以前、この
降り敷くは唐紅の錦かな(語彙貧困、安直無類、真情不在、拙劣至極)という記事で、「澪標」についてこんなことを書きました。
今日、仕事から帰って見ると、ゆうメール便で書籍が届けられていました。教科書、参考書、辞典等教育系の出版物を発行している出版社B堂からでした。
(中略)
中身は、特にお正月シーズンを目当てに、各社から例年のように発行される百人一首の解説書です。 百人一首のすべての歌が、過不足のない、わかりやすい解説とともに歌ごとに美しい写真も添えられて、あたかもミニ写真集という趣の冊子です。
付録には朗詠のCDも付いていて、至れり尽くせりです。
なぜこんな書籍が送られてきたかというと、実はこの中に、ずっと以前に私の撮影した澪標の写真が、無償ですが(笑)、1枚採用され、その記念に献本をいただいたという次第です。
ご縁のはじまりは、このブログの写真を編集者の方が見つけてくださり、使用を打診してこられたのでした。澪標などという題材は、よほどレアなものであるようです。
妻に自慢していますと、「早速、ブログに載せたら?」とからかいます。
自慢話になるのも気が引けますし、個人情報の問題もあって、いったん躊躇はしましたが、ブログネタの一つとして紹介させていただく事にしました。 |
これらの記事にも、澪標の写真を載せています。
夕焼け その5夕焼け その4午睡醒めてなお日は長き夏至の雨夕映えの倉敷川に澪標(みおつくし)
採用されたのはこの写真でした。
そして、該当する歌はこれ。
わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ 元良親王(20番) 『後選集』恋・961
〔解釈〕 どうしてよいか行きづまってしまったのだから、今となってはもう同じことだ。難波にある澪標ではないが、身を尽くしても逢おうと思う。
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「ヨシガモ」から、話が脇に逸れました。
ヨシガモが内湾や海に近い湖沼に生息するのに対して、多く内陸(丘)の湖沼に生息することから「オカヨシガモ(丘葦(葭)鴨」と呼ばれる鴨がいます。この記事に登場するのがそれだとおもいます、、が、またまた思い違いかも知れません
何の記念かな?HDD換装。
初めてのオシドリ、イソヒヨドリ、オカヨシガモフォト蔵にも画像を置いています。
岡山後楽園のオカヨシガモ posted by
(C)kazg今日はここまで。