相も変わらず『平家物語』のお噂です。

時系列的には

緋縅を着たるそなたは伊勢武者か(2014-07-06)

で話題にした「宇治川の決戦」に続く場面で、

巴の姿しばしとどめむ、の巻(2016-01-23)

の直前に位置するシーンです。


  平家物語   木曾の最期 (本文)

 これまでのあらすじ

 木曾義仲(源義仲、一一五四~一一八四)は、諸国の源氏に先駆けて平家追討の兵を挙げ、一気に都へ攻め上った。そのため、栄華を極めた平家一門も、幼い安徳天皇と共に都落ちし、西国へ向かった。しかし、京に入った義仲軍は粗暴なふるまいが多く、後白河法皇と対立した。鎌倉の源頼朝(一一四七~一一九九)はこれを聞き、弟の範頼・義経の率いる義仲追討軍を都へさし向けた。義仲は、宇治川を挟んで義経軍と対戦するが敗北し、主従七騎となってしまった。瀬田(勢田)へ落ち行く途中、家来の今井兼平と大津の打出の浜で再会し、最後の合戦に臨んだ。

 

 ①木曾(きそ)左馬頭(さまのかみ)、その日の装束には、赤地の錦の 直垂に唐綾縅(からあやおどし)の鎧着て、 鍬形(くわがた)打つたる甲の緒締め、 いかものづくりの大太刀はき、石打ちの矢の、 その日のいくさに射て少々残つたるを、頭高(かしらだか)に負ひなし、 滋(しげ)籐(どう)の弓持つて、 聞こゆる木曾の鬼(おに)葦毛(あしげ)といふ馬の、きはめて太う たくましいに、 黄覆輪(きんぷくりん)の鞍(くら)置いてぞ乗つたりける。

②鐙(あぶみ)ふんばり立ち上がり、大音声をあげて名のりけるは、


 「昔は聞きけんものを、木曾の冠者、 今は見るらん、左馬頭兼伊予守、朝日の将軍源義仲ぞや。
③甲斐の一条次郎とこそ聞け。

④互ひによいかたきぞ。

⑤義仲討つて兵衛(ひようえ)佐(のすけ)に見せよや。」とて、をめいて駆く。  



⑥一条次郎、「ただ今名のるは大将軍ぞ。あますな者ども、

もらすな若党、 討てや。」とて、大勢の中に取りこめて、