この4月からは、仕事は週に一度のアルバイトという、「優雅」な生活になったはずですのに、なかなかそれが慌ただしくて、 悠々自適とはいきません。
この「悠々自適」という四字熟語を、私が最初に覚えたのは、佐藤春夫の『わんぱく時代』という作品中で、作者をモデルとする中学生の主人公が好んで用いた言葉であったと記憶しています。
うろ覚えでしたので、本棚を捜索してみますと、昭和三十九年発行、定価二百九十円と奥付にある偕成社の『ジュニア版日本文学名作選』〈2〉という、私が読んだその本が見つかりました。今ではすっかり黄ばんで、紙の劣化も痛々しいけれど、ちょっと凝った装丁の、子どもにとっては上等なハードカバーの本です。
たしか、私が「本好き」と聞いて、今はなき伯父が書店員のアドバイスを得て買い与えてくれたものだったと思います。小学校低学年だったと思っていましたが、今目をとおしてみると、とても低学年で読めるものではなさそうで、たぶん高学年、または中学生になってから読んだものだったでしょうか?
子ども時代、自分の本を買ってもらうなどは、特別のことで、繰り返し読んだことは間違いありませんが、その割には内容は朦朧としています。
ぺらぺらっとめくってみた所、なかなか「悠々自適」に触れた該当部分が見つかりません。これは、記憶違いで、ほかの作品と錯覚していたかと不安になりましたが、やっとこんな記述が見つかりました。
(旧制中学の)卒業生一同の寄せ書きのなかに、『悠々自適』と悪筆をふるった。この句は平民新聞に誰かが発表した詩の句に、
『悠々自適マンモスの
太古の洞にくるうべく」
とあったのからとったのである。
ぼくはじぶんの志のためにだけは勉強をしても、学校の入学のためにも卒業のためにも学問はしない。悠々自適、じぶんのためにだけまなぶときめて、ぼくは卒 業と同時にあらためて詩人になるという宣言とともに、どこの学校にも行かないというと、父は怒り、母は泣いた。 |
”泰平の逸民”ということばがあってよくつかわれるが、このことばも”悠々自適2などとおなじように、ことばだけはあってもめったある事実ではない。きっといまにすっかりすたれてしまうことばに相違ない。
第一に天下が泰平というのはごくまれにし家内ことだし、たとい時の長いあゆみの間に(歴史上)まれにはあっても、ちょうどうまいぐあいにその時代に生まれあわすという運命が少ないところへ、せちがらい世の中は(中略)、人間をなかなか世の中というからくり(社会機構)の外で、個人の好き勝手わがまま放題(悠々自適)に生きるのをゆるしておくものではない。
ところがなんというしあわせものか、ぼくは中学校を卒業という美名で追放されて後の数年間―わんぱく時代から次の恋愛学校時代に入ろうとする過渡期の数年、子どもと大人との潮ざかいで世の中がまだ一人まえと認めてくれないこの一時期を利用(か、それとも悪用か)して、人間としてはめったにえられない泰平の逸民という有り難い境遇にぼくはあった。 |
少年向けの、破天荒で小気味よい冒険活劇譚を含むこの作品は、しかし、今読み返して見ると、幼い読者を見下すことなく、対等に真摯に、語りかけていることに、改めて驚きを覚えます。主人公の人間形成の栄養素として、国木田独歩や土井晩翠や竹久夢二などの話題に伍して、ラスコーリニコフ(ドストエフスキー『罪と罰』)や、クロポトキン『パンの略取』などが、さらりと登場します。確かに、読んだはずなのに、でも、これらの話題は、記憶に痕跡を残してません。
同郷の大石誠之助が関与した大逆事件についての記述は、その臆することのないシンパシイの表明と相まって不思議に印象に残っています。日本史でこれを学ぶのは高校になってからですから、かなり早い予備学習となったことでした。(これについては、また別の機会に触れてみたいと思います)
この作品について調べていて、この作品を原作として、映画『
野ゆき山ゆき海べゆき』がつくられたと知りました。
ウィキペディアの記事を引用します。
『野ゆき山ゆき海べゆき』(のゆきやまゆきうみべゆき)は、日本テレビ放送網/株式会社アート・シアター・ギルド/株式会社バップ提携による、1986年の日 本映画。企画・製作協力は株式会社ピー・エス・シー(創立十周年記念作品)。1986年キネマ旬報読者選出ベストテン10位。
題名は原作と同じ佐藤春夫の詩「少年の日」の一節から取られた。
あらすじ
戦争の暗い影が世間に押し寄せていた頃、瀬戸内のとある城下町の尋常小学校に、一人の転校生が美しい姉に付き添われてやって来る。少年たちは、この姉=お昌 ちゃんに恋心を抱き、ライバル心あらわに「わんぱく戦争」を繰り広げる毎日。やがて少女が親の都合により、遊郭に売られていくことを聞き及んだ少年たち は、大人たち相手に「お昌ちゃん掠奪大作戦」を展開する。
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参考までに、詩「少年の日」を引用しておきます。
少年の日 佐藤春夫
野ゆき山ゆき海辺ゆき 眞ひるの丘べ花を籍き つぶら瞳の君ゆゑに うれひは青し空よりも。
蔭おほき林をたどり 夢ふかきみ瞳を戀ひ なやましき眞晝の丘べ さしぐまる、赤き花にも。
君が瞳はつぶらにて 君が心は知りがたし 君をはなれて唯ひとり 月夜の海に石を投ぐ。
君は夜な夜な毛絲あむ 銀の編み棒にあむ絲は かぐろなる絲あかき絲 そのラムプ敷き誰がものぞ。
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「悠々自適」から、とりとめもない迷路にはまってしまいました。
いつまで経っても日々気ぜわしくて、「悠々自適」とはいきません、というのが今日の本題、というか本題に入る前の「枕」だったのですが、「お先マックラ」「マックラごめん」でございますがな。
先週始めたばかりのこのアルバイト、週に一日だけとは言っても、ああでもない、こうでもないと、下調べや準備には「仕込み時間」が結構かかります。明日の営業のための「仕込み」に、ようやく目処が立ったかなと思っていた今日の昼間、職場の上司から携帯電話を戴きました。
「行事予定上、明日が休みであることはご存じでしょうか?念のため、、、」
降って湧いたお休みに、ちょっと得した気分になりました。(本当は、一回分実入りがへるわけですが、、、)。
昨日の朝散歩の写真です。
散歩道にも群生するナガミヒナゲシです。こちらのポピーは、園芸種だと思いますが。
真紅のヤグルマソウ。
八重桜も明るい光の下で、色が濃いこと。
ソメイヨシノはほとんど散りました。
わずかに枝に残るソメイヨシノの花弁
朝日を浴びたモッコウバラ。
散り残る桜の枝のツグミ。
スズメ。
今日はこれにて。