windows10の無償アップグレードが、「明日まで」、と、繰り返し繰り返し表示されますが、この誘惑に決して負けず、サポート終了までwindows7を使い倒そうと決心していました。そもそもその時までマシンが健在かどうかの保証もないわけですから、アップグレードによっていらぬトラブルに巻きこまれるリスクを考えれば、このまま無問題状態で使い続けるほうが得策と、判断したためです。

が、この決心は、今日の午前中まで持ちませんでした。つい、ふらふらと、「アップグレードを実行する」ボタンを押してしまっていたのです。しかも、必須のバックアップも一切とらずに、、。暑さのために、注意散漫、集中力欠如、破れかぶれの怖いもの知らずという心境に陥っていたのでしょうか?

意外や意外、これまで経験したどんな種類のインストール作業やグレードアップ作業よりもやすやすと、アップグレードが完了してしまいました。というわけで、今のこの記事は、windows10環境で書いています。

そして今のところ、まだ何のトラブルにも遭遇することなく、ほとんど無問題で、パソコン作業が進んでいます。決してすべての動作をチェックしたわけではありませんので、軽々に判断はできませんが、今のところアップグレードは「正解」ということにしておきましょう。

 


 相模原の事件について、とりとめもなく思いを巡らせています。

昨日の記事でもご紹介した、鳥越俊太郎さんの亡くなられたお父様が運営委員長、立ち上げ人として尽力された「ひかり共同作業所」を前身とする「福岡ひかり福祉会」が、以下のような声明を発表されたそうです。

①被害者の方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
②万感の怒りと抗議を表明します。
③(法人の「めざすもの」)の精神を堅持して、人としての尊厳を守るための取り組みを永続します。

「現時点で事件の全容はつかめていませんが、このような事態を未然に防ぐために法人として何ができるか、何をしなければならないかを検討、対策に当たりたいと考えています。



 関係者の皆様におかれましては、できる限り冷静さを失うことなく、普段通りの生活を送られることを呼び掛けます。合わせて、職員のみなさんには、マスコ
ミなどの情報に惑わされることなく、仲間やお年寄りとその家族の気持ちに寄りそい、日々の実践に取り組まれることを呼び掛けます。」

 

 特に最後のこの一節は、重く心に響きます。
「関係者の皆様におかれましては、できる限り冷静さを失うことなく、普段通りの生活を送られることを呼び掛けます。合わせて、職員のみなさんには、マスコ ミなどの情報に惑わされることなく、仲間やお年寄りとその家族の気持ちに寄りそい、日々の実践に取り組まれることを呼び掛けます。」

「寄りそう」という言葉は、このような使われ方をしてこそ真実味を持つのだと改めて感じた次第です。(アベさんが、ことあるごとに多用する 「沖縄の心に寄り添う」「東北に寄り添う」「被災者の心に寄り添う」「不安な気持ちに寄り添う」 etc.の空虚さとの、なんという違いでしょう。)

ところで、本と雑誌の知を再発見 リテラ、の最新の記事がナットクです。石原慎太郎もネットも障がい者排除支持 障がい者抹殺思想は相模原事件の容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死」発言、ネットでは「障がい者不要論」が跋扈

 一部を引用します。

私が直感していた戦後最悪レベルのとんでもない凶悪な事件だけに、容疑者の異常性に注目が集まるが、残念ながら容疑者の“弱者を排除すべし”という主張は現在の日本社会において決して特殊なものではない。

たとえば、昨年11月に茨城県教育総合会議の席上で教育委員のひとりが「妊娠
期にもっと(障がいの有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になると堕ろせないですから」「(特別支援学級は)ものすごい人数の方が従事
している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」などと発言し、さらに橋本昌・茨城県知
事までもが「産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」と擁護・同調するような発言をするという騒動があった。

教育行政にかかわる人物が公然と「金のかかる障がい児は産むべきではない」という見解を開陳するなどおぞましいが、それを容認してしまう空気がいまの日本社会にはある。

石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、こんな発言をした。
「ああいう人ってのは人格があるのかね」
「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」
「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」
「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」

ほとんど植松容疑者の言っていることと大差ない。舛添のセコい問題などより、こういった石原の差別発言のほうがよほど都知事としての資質を疑いた
くなる。しかし、当時この発言を問題視する報道は多少あったものの、そこまで重大視されることはなく、その後、4期13年にわたって都民は石原を都知事に
選び続けた。

「障がい者は生きていても意味がない」「障がい者は迷惑だ」「障がい者は税金がかかる」

 これらは基本的にナチスの重度障害者を本当に抹殺していったナチスドイツの政策のベースになった優生学的思想と同じものだ。

 

おとといの記事で 直感的に思ったままを書きましたが、ここに根拠が確認された気がします。


 今朝の散歩道の景色を、おもちゃレンズで写してみました。

 
田舎から持ち帰った赤紫蘇のおかげで、梅は、いい色に染まりました。
 
ようやく雨が上がり、昨日と今日は、晴れ間が見えましたので、土用干しの仕上げにかかっています。
 
 
孫たちの庭のトマトは、草に覆われながらも、日々甘い実を提供してくれます。
明日の夜あたりから、孫一家は、ママのお里にみんなで移動の予定なので、どっさり収穫しておきました。
 
少し遅く植えていたメークインを掘りあげました。 日差しが強くて、かなり疲れます。
スイカも収穫しました。大玉は育たず。小玉スイカだけ実りました。
 
 
0歳児がひょっこりやってきました。
 
ハイハイを始めました。目をらんらんと輝かせて、 面白そうなものの近くまで這って行きます。
 
 
離乳が少しずつ進んでいます。おかゆ、コマツナなどを食べます。
スプーンを自分の手で持ちたがります。
小さな子どもは皆、好奇心旺盛で自発性に富んでいます。
いとこの兄ちゃんがあやすと、喜びます。
 
庭の百日紅の花に、カマキリがいました。
 
 小3の孫がそおっと捕まえました。
が、その瞬間、体を捻じ曲げてに鎌を向けてきて、指先を強く挟まれましたのでたまらず放り出してしまいました。
今日はこれにて。