昨日は、トラツグミを探しに行ったのですが、いつもなら喜んで最初にご紹介する鳥にも会えました。



深山公園のアトリ posted by (C)kazg

深山公園のアトリ posted by (C)kazg

深山公園のアトリ
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アトリは、花鶏と書くそうです。現にワープロソフトはそう変換します。

思えば趣深い名前です。

NET検索してみますと、こんな記事がありました。

CEC 徒然野鳥記・第87回アトリ









「鳥名の由来辞典」(柏書房)によると、万葉の時代には獦子鳥(あとり)と呼ばれ、室町、安土桃山時代には「あっとり」と呼ばれ、江戸時代にはその双方が用いられ、今日の「アトリ」に統一されるに至ったと経過の説明がされていますが、「大言海」の説明する語源として、大群をなして移動することから集鳥(あつとり)が略されたという説を紹介しています。また、この「由来辞典」では、今日漢字表記する際に普通に用いられる「花鶏」(かけい)については、単に、「漢名」とのみ記載されています。


そうしますと中国で「花鶏」と記述されたアトリを、ある時日本でそのまま取り入れ、それを「あとり」と読み下したと理解するしかないようです。和名がほぼ確定した明治時代もしくはそれ以前の中国名は、おそらく「花鶏」だったのでしょう。今日、アトリは、台湾では「花雀」、中国では「燕雀」と記述されています。野鳥写真家、文筆家の叶内拓哉氏は「花鶏」の自分なりの解釈として、黒、橙、白とカラフルなこの野鳥が数万、数十万もの大群で飛び交う様が「まるで枯野に花が咲いたようにはなやか」で、そのような光景を目にしてこの鳥に「花」の名を冠したのであろうと述べています(「日本の野鳥100」昭和61年新潮文庫)。残念ながらそう名付けたのは日本人ではなく中国人だったのですが。事実、叶内氏は、昭和60年(1985年)11月に鹿児島県で一万羽のアトリの大群を目にした時の驚きを、「壮観そのものだった」と同書に書き記しています。いつの日か、数千、数万のアトリの乱舞する姿を見てみたいものです。島崎藤村は、「夜明け前」でこのような情報をさりげなく入れています。


「あれは嘉永二年にあたる。山里では小鳥のおびただしく捕れた年で、殊に大平村の方では毎日三千羽づつものアトリが驚くほど鳥網にかかるといはれ」(注:嘉永二年=1849年)


また「万葉集」では「国巡る獦子鳥(あとり)かまけり行き廻り帰り来までに斎(いは)ひてまたね」(よみびと知らず)と「アトリの大移動を、防人が国を廻るのにたとえている」と、「鳥名の由来辞典」は紹介しています。
 





カワセミにも会いました。



深山公園のカワセミ(2017) posted by (C)kazg

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トリミングします。

 

日が長くなりました。

今日は、夕方散歩に出て、5時前になってもまだ明るいと感じます。

軽いいでたちで歩きたいと思い、PENTAXK-rにPENTAXFA100-300mmを装着してみました。何年か前、ハ〇〇オフのジャンクコーナーで手に入れたオールドレンズで、プラスチックマウントの軽いレンズです。描写を論じては罰が当たります。

でも、こんな時に限って、あいにくな出会いがあるもののようです。



またまた今日も、こんなところでカワセミに遭遇しました。

画面の中央なのですが、豆粒より小さいです。

トリミングしてみます。















今日はこれにて。