16日の金曜日は、中学校の同窓会が郷里でありました。


三年前に書いたこの記事以来の開催です。


私的メモ3つ



滅多にないことに、明日もよんどころなき予定が入っていますので、仕方ない、ノンアルコールでつきあって、とんぼ返りすることにしました。
故郷の実家から15kmほどの場所なのですが、このたびは立ち寄ることも断念しました。
受け付け開始が午前十一時ということでしたので、よほど余裕を見て、八時頃に出発しました。平日とは違って通勤ラッシュにも会わずスイスイと走りますので、よほど早く着きすぎるかと余計な心配をするほどでしたが、大丈夫!ちゃんと道に迷って、数十分間のロスタイムの後、会場にたどり着いた頃には、既に三々五々、参加者が集まってきていました。
一学年三クラスという規模の中学校でしたから、全員でも約百二十名。そのうち数名は既に物故し、消息が分からない人も数名あります。そんな中、東京、静岡、近畿など、遠方からの参加も含めて約四十人の懐かしいあつまりでした。


この同窓会は、3年前の正月に「還暦」を記念して四十数年ぶりに集まった会の継続です。



今回もノンアルコールで会に参加して、夜だけ郷里の実家で一泊しようかと思っておりました。その旨父に告げると「飲まない同窓会は面白くないからと」と父が運転しての送迎を申し出てくれました。91歳の高齢ですし、先日転倒して医者に罹り、膝を固定してもらっていた状態が、ようやく固定具も外れ、運転もできるようになったというのです。いささか微妙な心境ですが、お言葉に甘えることにしました。
夏の浸水被害で今も仮住まいの友人、ボランティアセンターでボランティア受け入れのボランディアをしていたという民生委員の友人など、夏の水害は身近なところに及んでいたことを痛感しました。


退職後、自家の畑仕事に精出したり、悠々自適のアルバイト生活、自発的な社会貢献、津軽三味線を全国民謡大会に出場など、多彩な話題に興味は尽きません。「定年はない」と、自営の仕事にいそしむ友人、介護施設でケアマネージャーを続けている友人などを見ると、隠居者然として、日頃何かと世界への門戸をせばめている身が恥ずかしく思われます。


こうして愉快なひとときを楽しむことができたのですが、愉快でないこともありまして、、、。というのは、会場(前回とは異なるので)と開会時刻は丹念にチェックしたのですが、やっぱり肝心な点で欠落がありました。というのは、会費の金額をしっかり確認しないまま出かけたため、受付時に、初めて持ち合わせが足りないことにきづいてロウバイしました。フロントで、施設内または近所にATM機はないかと尋ねたものの、くびをよこにふるばかり。もともと山がちの郷里の、しかも山上のリゾート施設ですので、念頭に入れて置かなかったことがうかつでした。



慌てて受付の幹事さんに事情を話して、有り金の6000円だけ臨時的に支払い、不足の2000円を後払いにして頂きました(お恥ずかし)。閉会後、迎えに来てくれる父に借りて清算しようと思ったのですが、落ち着けず、意を決して、幼なじみで、幼稚園以来(高校まで)の友人に、恥を忍んで寸借したのでした。帰り際に父から借りて返すことができましたが、心穏やかでなく、積もる話もできずじまいでした。


いにしえの故郷遙か秋茜



幼稚園から高校まで一緒に過ごし、部活動も共にした友人が、静岡県に住んでいます。


退職後、半ばボランティア的に自然保護に関わる仕事に就いていると聞きます。


昨日、その彼から近況を知らせるはがきが届きました。


「過ごしやすくなるとアキアカネが少しずつ増えてきます」と書き出され、「アカトンボが乱舞する光景は、もはや過去のことで、再現されるのは、かなりの努力が必要」「ギギやアユモドキは絶滅の危機を迎えています」と続けて、子どもの頃の記憶につながる自然情景に話題が及びます。
おかげで、思い出スイッチが、いたく刺激されるとともに、数十年を経て同じ感じ方をもつ同輩の存在に、意を強くしたことでした。


彼は、故郷を離れて久しく 、近年、ご両親を相次いで看取り、離れた故郷に、自身のアイデンティティを支える「原風景」として、ひとしおの愛着を覚えるのでしょう。この夏は、小学校時代の恩師を訪ね、健在を確認したとの由。


いにしえの故郷遙か秋茜(いにしえの ふるさとはるか あきあかね)



日暮れ前に会は終わり、父のお迎えで無事に家まで帰り着き、一日が終わりました。が、アクシデントは尽きません。


父の使っているパソコンが、何日か前からスイッチが入らないというので、物理的な ゴミか汚れのせいでスイッチボタンの動きが悪くなっているのだろうかと、ちょっと息を吹きかけたりティッシュで拭ってみたりしてからスイッチを押すと、その時は、難なく起動しました。午前中、同窓会に出かける前のことです。これで問題解決と思っていたのですが、昼間、父が触ってみると、やはり起動しないのだそうです。


と言うわけで、確かめてみると、本当です。スイッチを押しても、反応なし。まったくピコ音もしないし、ファンの回る音もありません。


何の見通しもなくケースを開けて、内部を覗いてみると、どうやら、外部のスイッチボタンのせいというよりは、本体のスイッチ部分が2機能していないようです。


パソコンの思いがけない不調に見舞われることは、数え切れないほど経験しましたが、起動音もしないし、エラー音も出ない、BIOS設定画面も呼び出せないという症状は、前例がありません。


自作パソコンの場合、スイッチ部分のパーツ交換というアイディアも浮かぶのですが、あいにくメーカー製の中古パソコン(ビジネスタイプらしい)で、USBやらいろいろなパーツにつながる基板と一体のスイッチ(言葉でどう表現すべきかわかりません)なので、お手上げです。


さあ、どうしましょう。


1)新調する。


2)OS付きの中古製品を探す。


というのが手っ取り早い選択肢ですが、現在の環境やデータをある程度移植して、使い勝手を今の状況に近づけるためにはどうしよう?などと考えるとなかなか厄介です。


そこで思いついた第三の矢は、ジャンクショップで互換部品を探す、というバクチのような荒技。さあ、どうしましょう?


夜は冷え込みましたが、翌日もよく晴れました。


庭の柚子の実。




残りわずかとなった柿。



純白の山茶花。



ほんのりピンクの混じる山茶花。




鉢植えの ツメレンゲ。



帰り道、パソコンショップで、新品から中古まで、いろいろ物色し、ちゃんとインストールディスクも揃った2万前後の中古品二,三点に目星をつけたうえで、おなじみのハー○オ○にも立ち寄ってみました。ここでも、保証付きの中古品を見繕って、念のため、冷やかし半分にジャンクコーナーを覗いてみると、問題の故障パソコンと同シリーズの類似機種が、「ハードディスクなし」「電源は入りました」というコメント付きで、2,000円弱で並んでいました。どうしましょう?宝くじか、はたまた福袋のごとし、で、自分に都合のよい空想ばかりが広がって、射幸心を煽られます。


店員さんも「ハードディスクがありません」と、小声で、気の毒そうに確認してくださいますが、エイ、いちかぱちか、もう引き返すことはできません。(カジノ法のもたらす惨禍、怖いです)


半分は意気揚々と、半分は後悔しながら持ち帰ったジャンク品の、スイッチを含むパーツの部分が、なんと故障パソコンのそれと同一型番でした!ラッキー!!と喜んで、早速ソックリ付け替えます。キーボード、マウス、ディスプレイをつなぎ、電源プラグを差し、固唾を呑んでスイッチを、押しても押しても、うんともすんとも言いません。どうせこんなところでしょう、とうそぶいてはみても、がっかりです。


すると、スイッチ部分の故障というよりは、マザーボードのトラブルでしょうか?


試しに、HDDなしのジャンクパソコンに電源をさして、スイッチをいれると、ちゃんと元気に起動しbios画面が出てきます。


ちなみに、二つの機種の差異はこんな感じ。


故障パソコン



  • CPUはPentium4。

  • OSはウィンドウズXP。


ジャンクパソコン



  • CPUはCeleron。

  • OSはウィンドウズVista。


機種の型番は違いますが、同一シリーズのものと思われます。外見も良く似ています。ケース蓋を開けて内部を覗くと、パーツの配置は少し違いますが、刻印されているマザーボードの名称は同じように思えます(自信なし)


そうなると、破れかぶれのバクチついでに、故障パソコンのOSもデータも入ったHDDを、ジャンクパソコンにそのままつないでみようかという誘惑を抑えきれません。


さてどうなりますか。続きは次回です。


追伸。昨日今日と続けたパソコン遊びにも飽いたので、今日は午前中、少々遠歩きしました。


桜紅葉が散り残っています。




稲の切り株が焼かれ、黒々と焦げているのは、この季節の風物詩です。



尾花が光をまとって美しいです。





鴨川。今年も渡り鳥の憩いの場になっています。


コガモの個体数が一番多いようです。




マガモを、今シーズン初めて見ました。


一番手前(右端)はカンムリカイツブリです。




あちらこちらに何羽も姿が見えます。


広い川なので、300mmでは遠すぎて識別も困難ですが、トリミングしてみます。



冬鳥の季節になりました。


夕方は演劇鑑賞。文学座公演「女の一生」。杉村春子の舞台が有名ですね。ウィキペディアの「杉村春子」の項にこうあります。



特に1945年4月、東京大空襲下の渋谷東横映画劇場で初演された森本薫作『女の一生』の布引けいは当たり役となり]、1990年までに上演回数は900回を超え、日本の演劇史上に金字塔を打ち立てた。作中の台詞 "だれが選んでくれたんでもない、自分で歩き出した道ですもの-" は、生涯"女優の一生"を貫いた杉村の代名詞として有名。



駐車場から演劇会場までの往復も合わせて、今日一日の歩数は13000歩あまり。快い疲れとともに終わった日曜日でした。