「ゴミ屋敷になる」という脅し文句、有形無形の「断捨離圧力」に、日々おびえています。
パソコンゴミ、カメラゴミの多くは、中古ショップでも引き取ってくれず、だいぶ捨てましたが、捨てた後でまた惜しくなって、割高の値段でもう一度買うこともままあります。

 


家族がパソコンを新調したと言っては、古い自作PCを返却してくるので、マザーボードやCPUは古くて使えないかも知れないが、ケースや電源やパーツの中には、使えるものもあるだろうと、結局私の部屋の隅に場所を占めています。でも、これらは、思い切りさえすれば、未練なく捨てる自信はあります。いじって遊びたい欲求が衰えれば、ガラクタに過ぎないですから。
始末に悪いのは、本。高校時代に買ったものから始まって、それぞれに愛着と思い入れのあるこれらも、他の人から見れば無用の長物でしょう。これまでにも、一念発起して、古書店に持ち込んだことはあります。何箱かの段ボール箱に詰め込んだうち、わずか数冊だけについて、合わせて数百円の値がついたものの、他は「お引き取りできません」ときたもんだ。持って帰るのもしゃくなので、「処分しておいて下さい」ということになります。
目の利かぬ世俗の衆生に、宝物の価値を不当に傷つけられたような、屈辱と義憤が入り交じった後味の悪さを感じて、それ以来、いっそ新聞や古雑誌と一緒に、処分しようと決めました。一昔前なら、ティッシュペーパー位には化けたものが、今はそれもないのですが、「断捨離」を言うのなら、いっそさばさばしていいだろう、という理屈です。
大型スーパーの駐車場に、古新聞紙や古雑誌を投げ込むと、重量で商品券と交換できるポイントがつくという「エコステーション」と称するシステムが設置されているので、これを利用することもあります。

 


そうやって何度か決行した廃棄作戦によっても、本棚がいっこうに空かなくて、段ボールに詰まった本が押し入れや廊下を占拠しているのは、確かに気鬱ではあります。開封して、中を整理しようなどと思うと、もはや収拾がつかず、本棚に戻してしまうのが落ちですので、滅多なことでは触れません。
退職後の日々は、そういうものに目をやる機会が多くなります。落ち着いたら読むとして、しばらく段ボール箱につめておいた全集ものを、もう一度本棚に並べてやらないと、読まないままに終わってしまう可能性が現実のものになりつつあります。
というわけで、本棚総入れ替え作戦を、目下展開中ですが、捨てない限り次が入らないというジレンマを持てあまし、さらなる徹底した棄本作戦を実施することにしました。
今朝、件の「エコステーション」に投入してきたところ、六〇ポイントほどがつきました。六〇円分なのでしょうか。果たして、ガソリン代がペイしたでしょうか?
すっかり草臥れました。

断捨離に 草臥れて候 秋の空
「秋の空」か「秋の水」か迷っています。
写真は、「秋の水」ですがね。



断捨離や キンモクセイの咲き初めて

例年、10月はじめに咲く我が家のキンモクセイの花が、開いています。花を見て、後で香りに気づきました。まだ早いという思い込みが、香りに気づかせなかったのでしょうか?



断捨離や コスモスの香の天に満つ


お隣さんに、コスモスの花をいただきました。野原一杯に、咲き乱れ、かぐわしさが胸を満たします。



捨てかねて写真に残す断捨離か


蔵書リストを作ることもなく、廃棄してしまった本が不憫です。棄書リストでも作るとしましょうか?