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忘れ得ぬ故郷(ふるさと)永遠(とわ)に赤とんぼ [折々散歩]

「赤とんぼ」の歌といえば、これを思い出すのは世代というものでしょうか?

あのねのね 名選集

あのねのね 名選集

  • アーティスト: あのねのね,清水国明,原田伸郎,河島英五,すぎやまこういち,瀬尾一三,東海林修
  • 出版社/メーカー: プライエイド
  • 発売日: 2009/03/25
  • メディア: CD

あのねのねのヤンニャン豪華な大全集(DVD付)あのねのねのヤンニャン豪華な大全集(DVD付)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル シグマ
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: CD

 

 



いえ、もちろん、三木露風作詞、山田耕筰作曲のこの歌が、一番に心に浮かびます。

夕焼、小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か


山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)摘んだは まぼろしか


十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた


夕焼、小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

三木露風は、数え年七歳で母と離れ、可愛がってくれた「姐や」も嫁いでゆき、寂しい幼少年時代を送ります。
この歌について、後に作者自身、こう語っています。

「思ふに、だれにとってもなつかしいのは幼い時の思ひ出であり、また故郷であらう。幼年の時故郷にいない者は稀である。幼年と故郷、それは結合している。であるから、その頃に見たり聞いたりしたことは懐旧の情をそそるとともに、また故郷が誰の胸にも浮かんでくるのである。
 私は多くの思ひ出を持っている。「赤とんぼ」は作った時の気持ちと幼い時にあったことを童謡に表現したのであった。
 「赤とんぼ」の中に姐やとあるのは、子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである。」(露風 「赤とんぼの思ひ出」 『日本童謡全集』 より)

夫の放蕩がもとで離婚し、故郷の愛児と別れて生地の因幡に去ることになった露風の母は、後に、鳥取県の生んだ女性解放運動の先駆者として知られる「碧川かた」と言う女性でした。ウィキペディアの記事


私の場合、「赤とんぼ」の歌というと、倍賞智恵子の透明な歌声が、耳に響きます。私が、初めて買ったLPレコードが、これだったからです。

抒情歌全集(4)赤とんぼ

抒情歌全集(4)赤とんぼ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 1999/11/26
  • メディア: CD

 

倍賞千恵子 抒情歌全集

倍賞千恵子 抒情歌全集

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード KICS-6220
  • 発売日: 2003/03/05
  • メディア: CD

 

倍賞千恵子 全曲集 2014

倍賞千恵子 全曲集 2014

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2013/10/09
  • メディア: CD


「赤とんぼ」の歌にまつわる、次のエピソードも忘れられません。
《「赤とんぼ」には、伝説化した話がある。56(昭和31)年、東京・立川の米軍基地拡張に反対した砂川闘争で、警官隊と立ち向かった学生や農民たちからわき出た歌が「赤とんぼ」だった。「日本人同士がなぜ戦わなければならないのか」と歌声は問いかけた、と伝えられる。
当時、動員された学生は3千人。雨の中、警官隊と肉弾戦となり負傷者が続出した。最後に向き合ったのは学生ら50人と、警官150人だった。「今だから話しましょう」と、全学連の砂川闘争委員長として現地で指揮した政治評論家の森田実さん(75)はこう語る。
「警官があと半歩出れば私たちは負ける状況で、獰猛な相手を人間的な気持ちにさせようとした。勇ましい『民族独立行動隊』を歌えば警官も勢いづける。そこで『赤とんぼ』を選び、日没までの30分、繰り返し歌った。警官隊は突撃して来なかった。私たちは人道主義で戦った。警官にも純粋な気持ちがあった」
母のぬくもりを懐かしみ、郷愁を誘う「赤とんぼ」は、自らの人間性を思い出させる歌でもあった。この美しい感性を、日本人は持ち続けられるだろうか。
「赤とんぼ みな母探す ごとくゆく」(畑谷淳二)》(朝日新聞2008.9.20記事)



ちなみに、「民族独立行動隊」は、こんな歌詞。
民族独立行動隊
【作詞】 きしあきら(山岸一章)
【作曲】 岡田 和夫
1.民族の自由を守れ
  決起せよ南部(祖国)の労働者
  栄えある革命の伝統を守れ
   血潮には 正義の血潮もて 叩き出せ
   民族の敵 国を売る 犬どもを
   進め 進め 団結固く
   民族独立行動隊 前へ前へ 進め

2.民族独立勝ち取れ
  ふるさと南部工業地帯
  再び焼け土の原と化すな
   暴力(ちから)には 団結の実力(ちから)もて 叩き出せ
   民族の敵 国を売る 犬どもを
   進め 進め 団結固く
   民族独立行動隊 前へ前へ 進め

1950年、朝鮮戦争の勃発にともない、占領下の日本は全土をアメリカの前線基地とされ、抵抗する人々は、職場や公職から追放(レッドパージ)されるなどの弾圧を受けました。
その年の11月、国鉄大井工場を追われた山岸一章(後に作家)は、32メートルの煙突に登り抗議の意志を示します。地上では3000人の支援集会が開かれ、当初「ラ・マルセイエーズ」の歌が歌われましたが、山岸は「日本のマルセイエーズを」と煙突上で即興でこの歌を作詞し、直ちに岡田和夫(後に作曲家)が作曲して合唱されたと言います。

の歌は、その後労働運動・平和運動のなかで歌い継がれます。20年以上後の、私たちの学生時代にも、愛唱された歌の一つでした。小説家としての彼の作品
は、「黙秘」「赤い月が昇る」「逆流わが面を洗え」「聳ゆるマスト」等を読みました。敢えてセンチメンタリズムを廃した、骨太の作風は、小気味よい魅力を
湛えていました。

またまたユーチューブ 初音ミクさんの歌

巡音ルカさんの歌。

舌足らずだけれど胸を打つものがありますね。
 



国民主権と相反する「君が代」に代わる国歌として、この「赤とんぼ」こそ、筆頭の候補ではないかと、主張する友人がいます。納得しながらも、「ラマルセイエーズ」のような、勇気と希望を鼓舞する面もほしいかなと思ったり、いややはり、たとえセンチメンタルと見えても、「自らの人間性」「美しい感性」こそ私たちの守り続けるべき宝だよね、と思いかえしたりしています。
   
アキアカネでしょうか、ナツアカネでしょうか?
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ヒョウモンチョウ?
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これも虫の仲間?蜥蜴も、金蛇も、名前に虫へんがつきます。
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