詩人のまどみちおさんが、104歳でなくなられたそうです。
お名前に聞き覚えがなくても、童謡「やぎさんゆうびん」や 「ぞうさん」なら、子どもからお年寄りまで、知らない人はいないでしょう。
web版毎日新聞は、こんな記事を載せています。
「ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね」。28日、104歳で亡くなった詩人、まど・みちおさんの代表作の一つ「ぞうさん」(作曲・団伊玖磨)は、1952年にNHKラジオで初放送され、瞬く間に国民的愛唱歌となった。 この歌詞の意図についてまどさんは後年、詩人で小説家の 阪田寛夫氏(故人)の問いに答えて、「ぞうに生まれてうれしいぞうの歌」と説明した(「まどさんのうた」阪田氏著、童話屋)。鼻が長いねと悪口を言われた 時に、一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って返したというのだ。 人も動物も地球上のすべての存在がそれぞれに尊く、あるがままの姿が大切なのだ、という思いを強く抱いていたまどさん。子供たちにも分かる易しい言葉で命を輝かせる作品を多く手がけた。 |
「おはなが ながいのね」という呼びかけは、場合によると、賞賛と感嘆の言葉である可能性もなくはないでしょうが、身体上の特性や差異をことさら強調する言辞は、往々にしてさげすみやからかいのニュアンスを含むことが多いでしょう。でも、子象は、「母さんも長いのよ」と、誇りを持って自己肯定するのです
web版毎日新聞の記事は、こう続いています。
太平洋戦争中は南方を転戦。その間、戦争協力詩2編を制作していたことが後に研究者によって明らかになり、まどさんは痛惜の念を隠さなかった。 92年に出版した「まど・みちお全詩集」には該当の2編を収録したうえで、「あとがきにかえて」として 「昔のあのころの読者であった子供たちにお詫(わ)びを言おうにも、もう五十年も経(た)っています。懺悔(ざんげ)も謝罪も何もかも、あまりにも手遅れ です。(略)私のインチキぶりを世にさらすことで、私を恕(ゆる)して頂こうと考えました」と記し、話題となった。 |
東京新聞web版では、記者さんが、生前の取材時のエピソードを交えながら、追悼しています。
二〇〇九年、百歳を迎え新作詩集「のぼりくだりの…」などを出版し、創作意欲衰えぬまどさんを取材した。節く れ立った指、ほおに深く刻まれたしわ。入院先の談話室に車いすで現れたまどさんの、樹齢千年の巨木のような存在感に圧倒された。耳が遠く、認知症も進んだ まどさんとのやりとりは、はた目にはかなりとんちんかんだったかもしれない。だが、その言葉はどれも私の想像をはるかに超え、ものごとの神髄を突いてい た。 「世の中にいきるものはすべて、たったひとつの存在です。そのものが、そのものであるということ。それだけで、ありがたく、うれしく、尊いことです」 「池の水面をアメンボが動くと、アメンボの周りに輪が広がります。不思議だなあと思います。あんなに小さいものが、あんなに大きな水を動かすなんて」 「ぼくはタタミイワシを毎朝パクパク食べるのに、腕にとまった蚊はかわいそうで殺せない。矛盾だらけです。生きものの命を食べずに生きている生きものはいませんが、食べない生きものまで殺すのは人間だけです」 私は用意してきた質問を封印し、ひたすらまどさんの口から発せられる言霊をひと言も聞き漏らすまいと、耳をすました。 「生きていると必ず、毎日、新しく見つけるものがあります」。詩作への意欲は、年を重ねてますます旺盛になった。原動力は世の中への「不満」。 「遠くのものにも、近くのものにも。政治家に、警察の人に、学校の先生に。金もうけ、いんちき。無学の私も言わずにおれない現状です。戦争もなくなりませ ん」。百年生きて書くことがなくなるどころか、今だから書かねばという強い姿勢。もっともっと生きて書いてほしかった。 (井上圭子) |
この際ですから、私の切り抜き帳から、まどさんの詩を何編か書き写しておきましょう。
いずれも、小学校の教科書などにもよく採用されている有名な詩だそうです。
私などは、 よほどの年齢になってからこれらの詩を知り、じんわり深く打たれました。
けしゴム まど みちお 自分が書きちがえたのでもないが いそいそと消す 自分が書いたウソでもないが いそいそと消す 自分がよごしたよごれでもないが いそいそと消す そして、けすたび けっきょく自分がちびていって きえてなくなってしまう いそいそと、いそいそと 正しいと思ったことだけを 美しいと思ったことだけを 身がわりのようにのこしておいて |
ぼくが ここに まど・みちお ぼくが ここに いるとき
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よかったなあ まど みちお
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この多肉植物の寄せ植え、妻がお友だちにいただきました。
暖かいところでは緑色なのが、冬の戸外では紅くなるのだそうです。
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