制度廃止を祝う!の巻 [私の切り抜き帳]
地元紙「山陽新聞」の今朝のコラムが興味深かったので一部引用させていただきます。
「こんな制度、本当にやるんですか?」。導入が決まったとき、岡山県内の学校や教育委員会、大学などの関係者を取材したら、逆に質問された。教員免許の更新制である▼第1次安倍政権が掲げた「教育改革」の一つだった。当時の本紙記事には地元大学の教授のコメントがある。「長い目でみると、教員のなり手が不足し、学校がもたなくなる可能性がある」。予想は的中し、導入から12年で行き詰まった▼更新制は終身制だった教員免許を10年の有期にした。数万円の受講料を自己負担して30時間の講習を受けないと失効してしまう。更新前に早期退職する人が増え、代替教員もなかなか見つからない。何より長時間労働が敬遠され、教員を目指す学生が減っている▼教員の質向上を狙った改革のはずが、必要な数を確保するのも難しくなった。文部科学省が制度廃止の方針を決めたのは、なり手不足がそこまで切実ということだろう。
(以下略)
誰の目にも明らかな「愚策」。アベ=スガ政治には、そんなのが多い(というより、そんなのバッカ!)けれども中でも愚策中の愚策の典型が、この「教員免許更新制」でしょうか?何はともあれ、遅かりしとはいえ、廃止されたのはよいことです。それにしても残した傷跡は、なかなか癒えることがありますまい。
当ブログで、この問題を扱ったことは稀ですが、ずっと以前のこんな記事でちょっとだけ触れてます。
戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下透(2013-11-28)
このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。
木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。
今日掲載するのは、高3の時の作品だ。黒表紙の活字版の冊子ではなく、ガリ刷りホチキス止めの手作り冊子に掲載した。この冊子は経年とともに劣化し、何度もの引っ越しのうちに汚損し、ページが散逸しており、最近はしばらく行方不明になっていたが、今朝の捜索で発見された。
「失せもの探しの人生」で、悲嘆すること常であるのだが、今日は朝から気分がいい。
ただ、苦労してこの作品を探したのは、安倍さんの「秘密法」ごり押しが腹に据えかねたせいだ。
第一次安倍内閣が、ご本人の健康問題により中途で投げ出した格好になったことを、厳しく批判する声もあったなかで、私などは、ほぼ同世代のものとして
多少同情とともに見てきて、また健康回復されたことはご同慶の至りと、本心から思ったのだったが、政権獲得後の仕事の中身はいただけない。
忘れかけていたけれど、そもそも第一次安倍内閣は、
「美しい国づくり内閣」
「創りあげたい日本がある。 美しい国、日本。」
「戦後レジームからの脱却」
「改革実行力」などの勇ましいスローガンを繰り返し、
「防衛庁設置法」等の改訂で防衛庁を防衛省に格上げし、
「国民投票法 」の新設で、憲法改定手続きを具体的に定め、
「憲法の理想の実現は教育の力にまつ」とされた1947年版の「教育基本法」を変質させ、
「学校教育法」「教育職員免許法」「教育公務員法」「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」など一連の法改定により、教職員への締め付け(お上のいいなりになる教員づくり)を根幹に置く「教育改革」を進めてきた。学校現場を多忙と混乱に追い立てている「免許更新」制度も、彼の思いつきからごり押しされたんだっけ。
これをもとに鈍い頭で考えてみるに、「戦後レジームからの脱却」って、つまり、戦前に戻るって事なんじゃないの?
高校時代の私は、これがホントに現実になるなどと考えたわけではないが(甘かった!)、世の中が「戦前」に進もうとしているような素朴な直感から、こんな詩を作った。
佐藤栄作内閣時代で、 「もはや戦後は終わった」などの発言があった時代だ。高校生の私は、戦後がおわったのならば、次に来るのは「戦後後」で、その先は次の戦争に向かう「戦前」ではないか?と不安を感じたのだった。それが今、まもなく現実になる!なんてことがないように祈りたいものだ。
(中略)
この作品を書いてから、40年以上が経過した。
その間に、事態はどう変化しただろうか?
付け加えるべき記述は、ごまんとありそうだ。
が、それを書き入れたとしても、「戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”」の、スパイラルから、いまだ脱し得ていないことは、残念ながら否定できないのではないか?
最後の”戦前”に抹消線を施して「恒久平和」と書き入れる事ができるよう、 人類の理性と英知の方向へ、心を合わせたい。
岡山後楽園のカルガモからのメッセージ。「この世に生を受けたものたちの上に、真の平和が永遠に続きますように。」
改めて考えてみますと、アベ政治もスガ政治も、道理や理性を徹頭徹尾軽んじ、異論を受容することも、逆に説得をはかることもさらさら念頭にないようで、ひたすら強権を駆使して有無を言わせず「君臨」することを基本の手法としているらしいですな。「教員免許更新制」も「学術会議任命拒否」も、一連の官僚支配もマスコミ支配も、ことごとく根っこは同じと思えます。そのために、教員も、学者・研究者も、官僚も、マスコミも、、、、自由に伸び伸びと、持ち前の力を発揮するチャンスも意欲も奪われて、救われない消耗と「劣化」をしいられつつあるのが現状のようです。困ったことです。
「過則勿憚改(過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。)」(論語・学而)の言葉を、アベ=スガさんにお贈りしたいものですね。
昨日の付録のつづきです。
ワタいろいろ・・・(8/22撮影)
水浸しだった綿畑も、少しずつ水が引いて、ワタの機は元気な姿を見せています。
今日はこれにて。
何のための更新制度だったのかと思います。
ただ混乱させただけに終わったようです。
疾病休暇、産休・育休等でも、講師のなり手がいないことが現場を混乱させています。
有無を言わさずごり押しの政治、政治に興味を持たない人の増加、確かに「戦後から戦前へ」の感覚が…。
by ハマコウ (2021-08-28 09:48)
ハマコウ様
>何のための更新制度だったのか
>ただ混乱させただけ
まったく同感です。愚策によってもたらされた混乱、困難の責任は、だれがどうとるのでしょうね。
by kazg (2021-08-28 20:28)
「誰の目にも明らかな愚策」の一つが廃止されることになり、よかったですね、本当によかった!
戦前戦中の反省の足りないというか、そもそも反省などしていない愚かな政治家が、愚策を弄しているのが「戦後は終わった」なんですよね。その意味するところは「戦後していた戦争の後悔・反省・謝罪をもう止める」なんですよね。
とんでもないことです。二度とああならないように、永遠に待ち続けなければいけないんですよ!
by momotaro (2021-08-29 06:21)
戦争もそうですが,教員免許更新制のような天下の愚策でも多くの人がダメと言うのに,一部の儲かる人たちの画策とそれになびく人たち,傍観・無視する多くの人達によって進められてしまいます。
儲かる人たちは機を見て何度でも画策しますので,よほど気をつけないといけないのですが,気が付いた頃は外堀を埋められていると言う事になります。その予行演習が何度も繰り返されました。
アメリカとの密約を繰り返した佐藤栄作の場合,ノーベル賞まで貰いました。
教員の処遇を改善や中国との国交を開いた田中角栄は容疑者にされました。
by Enrique (2021-08-30 05:37)
momotaro様
>戦前戦中の反省の足りないというか、そもそも反省などしていない愚かな政治家
まったくです。「戦争は終わった」と強調して愚を繰り返すやり口は、「原発事故は復興なった」「コロナを克服した」とオリ・パラを強行する無謀にそのまま継承されているのでしょうね。
by kazg (2021-08-30 22:12)
Enrique様
> 儲かる人たちは機を見て何度でも画策
まったく執念深く、抜け目がないことですね。「欲」のエネルギーが、それほどまでにすさまじいということなのでしょうかねえ。
by kazg (2021-08-30 22:16)