11月23日付のNHKwebニュース岡山放送局版に「奈義義町で横仙歌舞伎の公演」と題する記事が掲載されています。

横仙(よこせん)歌舞伎は、江戸時代以来、地域でうけつがれてきた 伝統芸能です。
横仙歌舞伎保存協議会のホームページにその全容が紹介されています。
その中の横仙歌舞伎保存会のページには、

江戸時代の農民たちは、普段の生活の中に、着るものや、食べ物、住まいや年中行事にまで事細かに決まり(御法度)がありました。

 とくに、農民の娯楽の多くは禁止され、特別な許可や多くの制限が必要でした。地歌舞伎も当然取締りの対象でした。

 往時には、日本各地、岡山県内にも多くの地歌舞伎が存在しました。しかし、圧倒的に県北に多く伝わっています。それは、県南部は大名の統治する藩領で、県北、特に奈義町は幕府の直轄地「天領」でした。

 天領では役人の数が少なく、取締りをほとんど受けることなく芝居ができたため、多くの地歌舞伎が生まれ、活発に繰り返されたと考えられています。

 しかし昭和30年代以降の高度経済成長期には、映画やテレビなどに代表される新たな娯楽の登場や、農村からの人口の流出などで、地歌舞伎の多くは顧みられる事なく姿を消して行きました。


地の地歌舞伎が次第に姿を消していく中、奈義町では故高森源一氏が中心となり、私費を投じて衣装やかつら、大小道具を買いそろえ、それを快く貸し出してい
ました。村の芝居では、指導も行い、自ら三味線を弾き、時には役者にもなり各地の地歌舞伎を育てました。そして農閑期になると歌舞伎一座を作り、県内各
地、遠くは鳥取県や広島県までも公演に出かけました。
高森氏の活動は高く評価され、昭和41年、故高森源一氏の岡山県重要無形民俗文化財指定「横仙歌舞伎技術保持者」をきっかけに有志により横仙歌舞伎保存会を発足しました。


とあります。