物忘れを嘆く記事を、何度も書いています。
たとえば、夕焼け その2の記事は、一昨年の秋に書きました。
一部を引用します。
 ショックです。
いたく落ち込んでいます。
自分の記憶の曖昧さ、でたらめさに、改めて気づかされ、「老人力」がついたなどと笑い流す余裕もありません。
というのは、こういうわけです。
一昨日、吉野弘さんの詩「夕焼け」の記事を書きました。
その続きを書きたくて、あれこれ思い巡らしていました。
そういえば、何かの映画で、この詩を生徒に朗読して聞かせるシーンがあったっけ。確か、松村達雄さん演じる国語教師が、夜間学校の生徒に読んで聞かせる場面だったよなあ。というわけで、一所懸命思い出そうとしましたが、思い出せません。
最近しょっちゅうこんなことがあります。先日は、テレビでチラリと顔を見た女優さんの名前が浮かびません。もと夫の方のお名前は浮かび、周縁のエピソードはあれこれ浮かぶのですが、名前が思い出せないのです。
あいうえお、かきくけこ---わをん。と、何度も繰り返して、これにつなげて名前を思い出そうとしますが、無理です。ほとんど二日半、この努力をしましたが、断念。ネット検索で確認するまで思い出せませんでした。
その女優さん、大ファンというわけでもないですけれど、デビューの頃からどちらかというと好感をもって見てきて、最近は、円熟味の増した演技に魅力も感じるし、レパートリーの広い歌での活躍にも注目していて、CDを買ってカーオーディオで聴く数少ないお気に入りアーティストの一人といってもいいのに。
現実の交際でも、こんなことがしょっちゅうあり、「名前を忘れた人」リスト作って、二度と忘れないようにしようと思ったりしますが、それも面倒で、二度目三度目の忘却に直面して愕然としたりするのです。トホホ。

白状します。この、名前が思い出せなかった女優さんというのは、大竹しのぶさんのことでした。もちろん、「もと夫の方」はサンマさんです。
 この話題を、現代の高校生にしましたら、「IMALU」さんの父母、としてインプットされているようですネ。
wikipediaでは、こんな紹介がありました。
 『いまる』は父親であるさんまの座右の銘「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」からと、一方大竹は「いまをいきる(今を生きる)」から命名したと述べている。