ここのところ、何日も、「寝ては夢、起きてはうつつ幻の」という具合で明けても暮れても、振り回され、翻弄されて、身も心もくたくたに困憊させられた一件が、ようやく解決しそうです。
いえいえ、そんなに大層なものではないのですがね。例の、あの、パソコントラブルです。
元の環境への復旧は、いろいろあがいてみましたが、なだめすかしてある程度の使用は可能になったものの、お義理にも快適といえるレベルでは決してなく、結局業を煮やして断念!することにしました。
後に待ち構えている陥穽は予感できましたが、思い切って、新しい打開策を試してみることにしました。
「ええいままよ!」です。古文に出てくる「さはれ」という言葉を、解説書などではこう訳していますが、この訳語自体、辞書引きが必要だったりしますがね(笑い)・
「ケセラセラ」は、「どうにかなるさ」という意味のスペイン語だと記憶していましたが、ウィキペディアにはこうありました。
ケセラセラ (Que Sera, Sera) は、ドリス・デイの1956年の楽曲である。
同年のヒッチコック監督映画『知りすぎていた男』の主題歌で、主演女優で歌手でもあるドリス・デイ(Doris Day) が歌った。
「Que Será, Será」は「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味のスペイン語だとされることもあるが、実際はスペイン語の文としては非文法的であり、スペインで用いられた歴史もない。そのため専ら英 語圏のみで(一種の擬似外国語として)使われたフレーズであると考えられている。別題として、「Whatever Will Be, Will Be」、「Whatever Will Be」(映画タイトルバック)、あるいは副題を併記した「Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)」(現在もっぱら正式な題とされる)、「Whatever Will Be, Will Be (Que Sera, Sera)」(アカデミー歌曲賞受賞時)も使われる。 2004年にはアメリカ映画主題歌ベスト100に選出された。
|
知りませんでした。
知らなかったといえば、こんなことも知りませんでした。
沖縄方言の「なんくるないさー」につて、
「にこにこ大百科」にはこう解説されていました。
なんくるないさーとは、琉球方言で「何とかなるさ」という意味である。 概要 言語学的な概要 現在では標準語の「何とかなるさ」等とほぼ同義に使われることが多い。
語源に照らせば「自然と、ひとりでに」を意味する『なんくる』(< 汝(なれ)から)に「成る」を意味する『ない』(<成り)と放言(方言?引用者柱)の終助詞『さー』(< さ)がついたもので、「自然と(あるべき様に)なるものだ」というのが本来の語義である。つまり、音の並びは似ているものの「何とかなるさ」や「72(は肩が)凝らないさ」との直接の繋がりは無い。 元々は「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ」という定型句を構成する言葉であり、その意味するところは「真そーけー=(人として)正しい行いをしていれば」「なんくるないさ=自然と(あるべき様に)なるものだ」、つまり「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやって来る」ということであり、儒学者胡寅(こいん)著『致堂読史管見』に由来する諺「尽人事而待天命=人事を尽くして天命を待つ」や英語の諺 "Do the likeliest, and God will do the best." に相当する言い回しであった。
そして前半が省略された「なんくるないさ」もそういうニュアンスで使われ続けていたのだが、確かにこれだけだと「自然と(なるように)なるものだ」とも解釈可能であるため、単に「何とかなる」と言う楽観的見通しを意味する「ちゃーにかいさ」に代わり、都市部を中心にテレビなどのメディアを介して広く用いられているのが現状である。
【対義語】ちゃーならん |
そういえば、このブログを始めたばかりの頃、当時放映中のテレビドラマをネタにこんな記事を書きました。
なるようになるさを今日も口ずさむその記事で、パソコントラブルを題材にしていました。
「なるようになるさ」というメッセージは、私のパソコントラブルにとって、常に有意義な助言でした。 今回もまた、なるようになりました。 一月前に導入したwindows7が認証に失敗した件はこちらで書きました。 詳細は省略しますが、この事件、購入もとのサポートにより、めでたく解決しました。 (中略) もう二度とトラブルに巻き込まれないよう、生半可な知識で危険に手をださないようにしようっと!(何万回目の誓い?) |
口で言うのは簡単ですが、、、。少しも進歩がありません。
で、「新しい打開策」とは何か?
OSの再インストールです。きれいさっぱりゼロから出直せば、景色が変わるかもしれません。
生まれかわったような 朝を迎えたい その日限り 死んでも惜しくないような 壺井 繁治 |
OSの再インストールそのものは、windows95時代以来、何度となく経験しています。
CDドライブを持たないパソコンに、FDDからインストールしたこともありますし、SCSI接続のZIPドライブから、苦労してインストールしたこともありま
す。外部接続HDDを起動ドライブにするためにインストールしたこともありました。謎解きパズルか知恵の輪のような楽しみもありました。こまめに環境移行用のバックアップファイルも作っていて、OS、ドライバー、アプリケーションと、手順よくインストールし、古いバージョンのものから順にアップグレードし
ていく手順も意識した上で、環境構築していくのはそれなりの快感を伴いました。機器や、OSを徐々にスペックアップさせていく楽しみもありました。
でも、XP以来、ライセンス認証がシビアになったこと、os自体が安定性を増したこと、ファイル容量が膨大化したことなども相まって、おいそれとマシンの変
更や環境移行などを試みるわけにもいかなくなりました。そんなわけで、異常に手間取りました。失敗に次ぐ失敗の果てに、数日がかりで、ようやく元の状態に近い作業ができるようになりました。
ここでちょっと中断し、私の数少ない社会的おつきあいの場に出席、それがきっかけで、ワードとエクセルを使う作業の必要が出てきました。ところが困った。古いバージョンのofficeはインストールディスクとシリアルナンバーとがセットで見つかるけれども、現行バージョンのそれが見あたりません。とりあえずオフィス2000をインストールしてみたのですが、現行のファイル形式のエクセルが読み書きできません。つまり、編集作業ができないことにきづきました。マイクロソフト社のダウンロードサイトを探って、以前、有効だった記憶のあるコンバータをダウンロードしてインストールしてみたのですが、なぜかうまくいきません。プリンターの設定にも手間取るなど、まだまだパソコンとの格闘が続きます。
隙間を縫って、畑に出かけ、サツマイモの苗を植えてみました。県内には30度cを記録した地域もあるそうで、我が家の近辺はそこまでではないけれど相当な暑さでした。
昨日は、赤ちゃんのお百日(お食い初め)を祝ったそうな。
鯛は我が家で焼いて冷凍しておいたのを、昨日持って帰って仕上げ、手作り「膳」で祝ったようです。今朝、写メを送ってくれました。この赤ちゃん、昨日来たときには、寝返りを見せてくれました(うつぶせになってしまうと、元には戻れませんが)。きのはじいじに抱かれてめずらしく大泣きしました。人見知りが始まった?早いものです。
にこれは昨日の散歩で出会ったカワラヒワ。
エナガです。
「
マツバウンランです。
では、今日はこれにて。