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どこまで続くぬかるみぞ、の巻 [趣味]

「どこまでつづくぬかるみぞ」というフレーズが、脳裏をめぐります。

「討匪行(とうひこう)という軍歌の一節だそうです。

討匪行

作詞:八木沼 丈夫
作曲:藤原 義江


一、
どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ
三日二夜を食もなく
雨降りしぶく鉄兜(かぶと)
雨降りしぶく鉄兜(かぶと)

二、
嘶く声も絶えはてて
倒れし馬のたてがみを
形見と今は別れ来ぬ
形見と今は別れ来ぬ

三、
蹄(ひづめ)の跡に乱れ咲く
秋草の花雫(しずく)して
虫が音細き日暮れ空
虫が音細き日暮れ空

四、
既に煙草はなくなりぬ
頼むマッチも濡れはてぬ
飢え迫る夜の寒さかな
飢え迫る夜の寒さかな

五、
さもあらばあれ日の本の
我はつわものかねてより
草生す屍(かばね)悔ゆるなし
草生す屍(かばね)悔ゆるなし

六、
ああ東(ひんがし)の空遠く
雨雲揺りて轟(とどろ)くは
我が友軍の飛行機ぞ
我が友軍の飛行機ぞ

七、
通信筒よ乾パンよ
声も詰まりて仰ぐ眼に
溢るるものは涙のみ
溢るるものは涙のみ

八、
今日山峡(やまかい)の朝ぼらけ
細くかすけく立つ煙
賊馬は草を食(は)むが見ゆ
賊馬は草を食(は)むが見ゆ

九、
露冷えまさる草原に
朝立つ鳥も慌し
賊が油断ぞひしと寄れ
賊が油断ぞひしと寄れ

十、
面(おも)かがやかしつわものが
賊殲滅の一念に
焔と燃えて迫る見よ
焔と燃えて迫る見よ

十一、
山こだまする砲(つつ)の音
忽(たちま)ち響く鬨(とき)の声
野の辺(へ)の草を紅(あけ)に染む
野の辺(へ)の草を紅(あけ)に染む

十二、
賊馬もろとも倒れ伏し
焔は上がる山の家
さし照れる日のうららけさ
さし照れる日のうららけさ

十三、
仰ぐ御稜威(みいつ)の旗の下
幾山越えて今日の日に
会う喜びを語り草
会う喜びを語り草

十四、
敵(賊)にはあれど遺骸(なきがら)に
花を手向(たむ)けて懇(ねんご)ろに
興安嶺(こうあんれい)よいざさらば
興安嶺よいざさらば

十五、
亜細亜に国す吾日本
王師一度(ひとたび)ゆくところ
満蒙の闇晴れ渡る
満蒙の闇晴れ渡る

軍歌とはいえ、戦意高揚とは程遠く、戦場の日々の辛い絶望的な現実が歌われています。
ちっとも勇ましくありません。
 私の、パソコンとの格闘も、なお間断なく続いていて、深いぬかるみにはまり込んでいます。

前回記事で喜んでご報告した、古い環境を宿した250GBのhddは、一瞬滑らかに起動したかに見えましたが、終了間際に長時間、更新プログラムのインストールが行われたかと思うと、次回起動時に、またまた「Windowsを構成するための準備中」のメッセージがあらわれたまま、びくとも動かなくなりました。一時間待っても、二時間放置しても駄目です。しびれを切らして電源ボタン長押しでシャットダウン。改めて起動しようとしても症状は同じ、セーフモード、セーフモード+ネットワーク、セーフモード+コマンドプロンプトなどなど、いろいろ試してみても埒があきません。
このHDDが特に復旧が容易というわけでもなさそうなので、どうせ悪戦苦闘するならと、再度SSDをCドライブに繋ぎなおして、同じようなことを何度も何度も繰り返して、先ほど、ようやく最低限度の起動が出来、ネット環境も利用できそうです。
ネットに繋がずに利用できるレベルには、比較的早い時点で達していたのですが、それではブログの更新ができませんのでーーー。
現在の「小康状態」がいつまで続くか心許ないので、とりあえず今日の記事を書いておくことにしました。


今朝は、パソコンのスイッチをオンして、じっと何時間も見守っているのも退屈ですので、ちょっと畑に行ってきました。ジャガイモは、かなり旺盛に生い茂っていて、ちらほら花も見えます。青々として元気な葉っぱを、野菜として調理できたら美味しそうですが、残念ながら、有毒だそうで、諦めます。もうしばらく待てば、芋の収獲は期待できそうです。

冷たい冬を越して、春先にぐんぐん生育していたと見えたタマネギが、そろそろ収獲時季かと思ったのですが、丈高い雑草の陰に貧相に薹(とう)立ちしています。結球部分はというと、貧弱そのもの。あきらめて、その一画をサツマイモの栽培に割り当てようと思います。
今朝は、雑草を引き抜き、土を起こし、堆肥を好き込むところまでで、大汗をかきました。26℃の夏日です。

ふと見ると、 アマガエル君がひとり物思いにふけっていました。

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麦畑が 黄金色を増しています。
ひばりのさえずりも、しきりに聞こえてきますが撮影にはいたりませんでした。
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そういえば、火野葦平の従軍小説に、『麦と兵隊』がありました。
ウィキペディアにはこうあります。
 
時代背景

『麦と兵隊』は、捕虜の支那兵を日本軍の軍人が斬首するのを火野が反射的に目を背け、火野が自分自身のその当たり前の人間としての反応に自ら安堵する感想で終わる。前年末の南京攻略戦の折の百人斬り競争が本土および海外の紙面を賑わせた結果、国内では問題視されなかったが、海外では虐殺行為が国際的非難を呼び起こして軍部が対応に苦慮していた時期である。
「徐州徐州と 人馬は進む 徐州居よいか 住みよいか」と、東海林太郎が直立不動で歌唱した戦時歌謡も親しまれました。
著作権が生きているようですので、ほんのさわりだけ、部分的に引用します。

 
麦と兵隊  

作詞:藤田まさと
作曲:大村能章
  
(二)
友を背にして 道なき道を
行けば戦野は 夜の雨
「すまぬすまぬ」を 背中に聞けば
「馬鹿を云うな」と また進む
兵の歩みの 頼もしさ
    
(四)
 行けど進めど 麦また麦の
 波の深さよ 夜の寒さ
 声を殺して 黙々と
 影を落として 粛々と
 兵は徐州へ 前線へ

ウィキペディアを参照します。
雑誌「改造」に連載された「麦と兵隊」が評判になっていたのがきっかけで、陸軍報道部では早速これを歌にすることを決めて、作詞を藤田まさとに依頼した。

藤田まさとは当初『麦と兵隊』中の孫圩(そんかん)での中国軍の強襲後の火野の述懐を元に「ああ生きていた 生きていた 生きていましたお母さん・・・」という歌い出しの文句を書いた。ところが、軍当局から「軍人精神は生きることが目的ではない。天皇陛下のために死ぬことが目的だ」と大目玉を食らい、そこで、「徐州 徐州と人馬は進む・・・」という現行の歌詞に書き直した。
軍部の指示によって書き直されたという歌詞も、 やるせない哀しみをたたえています。
私は小学生の頃、「戦友」の歌詞を一所懸命暗記しようとしたことがありましたが、戦に翻弄される庶民の、いかんともしがたい悲哀は、この「麦と兵隊」ともあい通じるものがあると思えます。
またまたウィキペディアによります。
 
 


戰友
1)此處(ここ)は御國(おくに)を何百里(なんびゃくり) /離れて遠き滿洲(まんしゅう)の /赤い夕陽(ゆうひ)に照らされて /友(とも)は野末(のずえ)の石(いし)の下(した)

    koko`a okuniwo nambyakuri /hanarete to`oki manshiuno /akai yu`uhini terasarete/ tomo`a nozuweno ishino shita

2)思へば悲し昨日(きのう)まで/ 眞つ先(まっさき)驅(か)けて突進(とっしん)し /敵(てき)を散々(さんざん)懲らし(こらし)たる /勇士(ゆうし)は此處(ここ)に眠れるか

    omo`eba kanashi kino`umade /massaki kakete tosshinshi /tekiwo sanzan korashitaru /yuushi`a kokoni nemureruka

3)嗚呼(ああ)戰(たたかい)の最中(さいちゅう)に /鄰(となり)に居(お)りし我(わ)が友(とも)の/ 俄に(にわかに)はたと倒れしを/ 我は思はず驅(か)け寄って

    aa tataka`ino saichuuni /tonarini worishi wagatomono /ni`akani hatato ta`ureshiwo /ware`a omo`azu kakeyotte

4)軍律(ぐんりつ)嚴し(きびし)き中なれど/ 是(これ)が見捨て(みすてて)ゝ置かれうか /「確りせよ」と抱き起し /假繃帶も彈丸(たま)の中

    gunritsu kibishiki nakanaredo /korega misutete okareuka /shikkariseyoto dakiokoshi /karihautaimo tamanonaka

5)折(おり)から起る吶喊(とっかん)に /友は漸う(ようよう)顏(かお)上げて /「御國(おく)の爲(ため)だ構はずに/ 後れて(おくれて)呉(く)れな」と目に涙

    worikara okoru tokkanni /tomo`a yauyau ka`o agete /okunino tameda kama`azuni /okurete kurenato meni namida

6) 後(あと)に心(こころ)は殘れ(のこれ)ども/ 殘し(のこし)ちやならぬ此(こ)の體(からだ) /「それぢや行くよ」と別れ(わかれ)たが /永(なが)の別れとなつたのか

    atoni kokoro`a nokoredomo /nokoshicha naranu konokarada /soreja yukuyoto wakaretaga /nagano wakareto nattanoka

7) 戰(たたかい)濟(す)んで日が暮れて /探しに戻る心(こころ)では /どうか生きて居て呉れよ/ 物等(ものなど)言へと願ふ(ねごう)たに

    tataka`i sunde higa kurete/ sagashini modoru kokorode`a /douka ikite witekureyo/ mononado i`eto nega`utani

8)空(むな)しく冷えて魂(たましい)は /故鄕(おくに)へ歸つた(かえった)ポケットに/ 時計(とけい)許り(ばかり)がコチコチと/ 動いて居(い)るも情無や(なさけなや)

    munashiku hiete tamashi`i`a /kuni`e ka`etta pokettoni /tokeibakariga kochikochito/ ugoite wirumo nasakenaya

9)思へば去年(きょねん)船出(ふなで)して /御國(おくに)が見えず爲つた(なった)時(とき) /玄界灘(げんかいなだ)で手を握り /名(な)を名乘つた(なのった)が始め(はじめ)にて

    omo`eba kyonen funadeshite/ okuniga miezu nattatoki /genkainadade tewonigiri /nawo nanottaga hazhimenite

10)それより後(のち)は一本(いっぽん)の/ 煙草(たばこ)も二人(ふたり)で分けて喫み(のみ) /着いた手紙も見せ合ふて(おうて) /身の上話(みのうえばなし)繰り返し

    soreyorinochi`a ipponno /tabakomo futaride waketenomi/ tsuita tegamimo misea`ute /minouebanashi kurika`eshi

11)肩を抱いては口癖(くちぐせ)に /どうせ命(いのち)はないものよ /死んだら骨(ほね)を頼むぞと /言い交はし(かわし)たる二人仲(ふたりなか)

    katawo daite`a kuchiguseni /douse inochi`a naimonoyo /shindara kotsuwo tanomuzoto /i`ika`ashitaru futarinaka

12)思ひもよらず我(われ)一人 /不思議に命(いのち)永(なが)らへて /赤い夕陽の滿洲(まんしゅう)に /友(とも)の塚穴(つかあな)掘らう(ほろう)とは

    omo`imo yorazu ware hitori/ fushigini inochi nagara`ete /akai yu`uhino manshiuni /tomono tsukaana horauto`a

13)隈無く(くまなく)晴れた月(つき)今宵(こよい)/ 心(こころ)染み染み(しみじみ)筆(ふで)執って(とって) /友の最期(さいご)を細々(こまごま)と /親御(おやご)へ送る此(こ)の手紙(てがみ)

    kumanaku hareta tsuki koyo`i /kokoro shimizhimi fude totte /tomono saigowo komagomato /oyago`e okuru konotegami

14)筆の運びは拙い(つたない)が/ 行燈(あんど)の陰で親達の /讀まるゝ(よまるる)心(こころ)思ひ遣り(おもいやり) /思はず落とす一雫(ひとしずく)

    fudeno hakobi`a tsutanaiga/ andono kagede oyatachino/ yomarurukokoro omo`iyari /omo`azu otosu hitoshidzuku

注 明らかにミスプリントと思われる箇所は、勝手に書き換えました。あしからず。
 

 

 特に4)、5)、6)、7)のあたりのドラマは、私の戦場イメージとして鮮やかに刻印されています。もちろん、舞台は日露戦争ですから、まだ牧歌的で甘やかな哀愁がただよう感もありましょう。現代の戦争・戦闘の、壮絶さ凄惨さはその比ではないと思えます。
8番の「時計ばかりがコチコチと/ 動いて居るも情無や」も、慟哭なしには歌えません。しかし、遺族に正真正銘の形見の品が届けられたのは、まだ救いがあるのかもしれません。「遺骨」の代わりだとして石ころが遺族に送られた例、戦死した日時も場所も定かでない例が、無数にあるのが現代の戦争ですから。いや、戦死した戦闘員の遺品が、非戦闘員の遺族の下に届けられるのは、悲惨ではあるが、まだ、理屈に合うといえるかもしれません。現代の戦争では、巻き添えを食らう非戦闘員の死者の方がはるかに上回るというのですから、まったく納得できるものではありません。
アベさんやその一味・一族の方々のイマジネーションでは、どんな戦場イメージが思い描かれているのでしょうか?余計なお世話ですが、気になって仕方がありません。

パソコン君の、明日の無事を祈って、今日はこれにて。


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コメント 8

majyo

物悲しい軍歌ですね。最後は勇ましくといかなかったのでしょう
徐州徐州と 人馬は進む 徐州居よいか 住みよいかはよく覚えています
と言っても懐メロとしてですが
>天皇陛下のために死ぬことが目的だ
愚かな事です。この社会を目指しているのではないでしょうか?今の政権は
by majyo (2016-05-15 21:25) 

johncomeback

孫子が戦争に巻き込まれない事を切に願います。
by johncomeback (2016-05-15 21:38) 

長友

「どこまでつづくぬかるみぞ」どこかで聞いた
覚えがあるなぁとどこだろうと考えてたら
思い出しました。
父が2番までですが酔うと歌っていました。

by 長友 (2016-05-16 15:52) 

kazg

majyo様
ありのままの心情がにじみ出る歌だからこそ,愛唱されたのでしょうね。国威発揚、戦意高揚の対極です。南スーダンに派遣される自衛官の母や父、家族、親族が、密かに無事を祈る気持ちさえも、聖なる任務を冒涜するものでけしからんと、排撃しかねないにおいを、現政権は醸しているような気がします。
by kazg (2016-05-19 05:54) 

kazg

johncomeback様
同感です。もっともっと楽しいこと嬉しいことを存分に味わってほしいです。
by kazg (2016-05-19 05:57) 

kazg

長友様
そうですか。その歌を口ずさまれているお父様には、どのような思いが去来しておられたのでしょうか、歩んでこられた人生と深く重なる感慨がおありだったのでしょうね。
by kazg (2016-05-19 06:04) 

momotaro

パソコンが動く間にいい記事をモノにしましたねぇ、心に沁みます。
友の死、仲間の死を悼んでいるんですよね、それだけでも生の辛さ、侘しさの極限を感じます。
敵も、故あって敵ですが、実は大差のない人間同士なんですよね、今は相手の情報も入るので、それもわかって殺し合うわけですから。
攻めるも苦、逃げるも苦ですよね。
> アベさんやその一味・一族の方々のイマジネーションでは、どんな戦場イメージが思い描かれているのでしょうか?
まったく、そこを問いただしたいところです。
こんな人間としての窮地に憧れをお持ちなら、是非、そういう人を募って、そういう人たちだけで、戦争ごっこを、命を懸けてやったらどうですかね。
余計なお世話かもしれないけれど、これが庶民の抱く正論じゃないですか?
by momotaro (2016-06-16 21:03) 

kazg

momotaro様
>是非、そういう人を募って、そういう人たちだけで、戦争ごっこを、命を懸けてやったらどうですかね。
賛成です。できれば環境破壊のおそれの低い場所で、、、。
by kazg (2016-06-16 21:25) 

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