深夜の高速道路上で、車のトラブルに見舞われ、キャリアカーのお世話になって途中で引き返したため、翌日の11日(木)の夜、大阪在住の孫たち一家が一日遅れで、高速バスを利用して帰省してきました。聞くと、単純なバッテリートラブルではなく、発電機《ダイナモ》の故障だそうで、悪くするとハンドルもブレーキもコントロールを失い大事故につながりかねなかった由。未然に防げて、ラッキーだったとも言えます。

それにしても、長旅ご苦労なことでした。

2才の孫にとっても、印象深い旅になったことでしょう。

経路を地図上でたどって見ました。



1が出発点。3は、高速バスの最寄りの停留所。ここまで迎えに行き、4の我が家に帰ります。

その夜と翌12日(金)は我が家でしばしくつろぎ、従兄妹たちともビニールプールや花火で楽しく遊びました。









13日(土)は、当初の予定どおり、5の地点に近い私の老父母のもとを訪ねました。

お盆といえども仕事や用事が入っているバアバ、長男、長女のムコ殿をのぞいて、家族全員が集まって、賑やかなお昼ご飯を楽しみ、灼熱の日差しの中、お墓参りも済ませました。

かなりの山道です。



チロ(犬)の墓にも手を合わせます。



「炎昼」という言葉が思い出されます。

昔、高校時代、「炎昼や墓石(ぼせき)の影が黒い」という句を作りました。(「暗い』だったかもしれません)。

いつかの過去記事で、この句に触れたような気もしていましたが、検索してもヒットしません。句会で、「字足らず。」「わかるが、放哉の 墓のうらに廻る の、二番煎じになっていないか」などと評されました。ばれたか。

そういえば「炎昼」という語は、この記事でも使っていました。

子どもの夏

青空に白い雲がまぶしい、故郷のお盆の景色です。

百日紅の紅も鮮やかです。



周囲を眺めてみます。







G地点には、大阪の孫のママのお父さん(孫から見ればもう一人のじいじ)の実家があり、お母さん(ばあば)は現在旅行中で、じいじはここに滞在中なので、お盆休暇の後半はそちらですごします。急なアクシデントで車が使えなくなったので、私の車で送っていくことにします。

蒜山(ひるぜん)高原という、鳥取県境にほど近い冷涼の地です。お家は、高速道路(米子道)の出口のほど近くにあります。ご挨拶がてら、初めてお宅までお邪魔しました。「今日は、墓掃除をしたら暑かった」とおっしゃいますが、「下界」に比べると、過ごしやすい暑さです。

「道の駅」が近くにあります。名産品の野菜、果物や乳製品が、お手頃価格で販売されています。









その「道の駅」の近くに、人だかりがしている場所がありました。



















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さて、私はG地点から、5地点近くの実家まで明るい内に帰りましたが、そのあとさらに4地点まで帰るのはおっくうなので、実家に一泊することにしました。