早朝の民法ラジオから、ベートーベンの交響曲第6番「田園」の第1楽章の曲とともに「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かない - 聖パウロの言葉より - カトリック教会がお届けする『心のともしび』」という声が流れてくるのを、物心ついた時分によく聞いた覚えがあります。


「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かない」---高校のころなど、友人との日常会話に、冗談交じり、本気まじりで、このフレーズが用いられることもありました。


今、誰よりもアベさんに聞かせたい言葉です。


聖パウロについて、ウィキペディアにはこんな解説があります。



パウロ(希: Παῦλος、? - 65年?)は、初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人。はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となり、キリスト教発展の基礎を作った。ユダヤ名でサウロ(ヘブライ語: שָׁאוּל‎、Šāʼûl)とも呼ばれる。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。
(中略)


回心
ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いた、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった。この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年頃のこととされる。一般的な絵画表現では、イエスの幻を見て馬から落ちるパウロの姿が描かれることが多い。



前回記事の「目からウロコ」の由来は、このエピソードだったのでした。


さて、きょう、6月29日は「聖ペテロと聖パウロの聖名祝日」だそうです。にわか仕込みの蘊蓄でした。




キリスト教がらみの蘊蓄につづいて、仏教がらみの蘊蓄も添えてバランスを取ることにしましょうか(笑)


今は昔、2014年の今日、こんな記事を書いています。


六月の花 紫陽花 総集編



途中、倉敷市藤戸寺を通ってみました。平家物語ゆかりの寺で、沙羅(ナツツバキ)で有名な寺ですが、六月の三日間だけ客殿を開放し「沙羅の花を観る会」が催されるのだそうですが、今年はあいにく開放期間終了との掲示がありました。



また、同じ年の6/11の記事。故旧あい集いし森の青胡桃



庭にはシャラ(ナツツバキ)のツボミもふくらみ始めていました。


この花は、咲いたらその日のうちに散るのだそうです。



先日訪ねた半田山植物園でも、シャラの木を見つけました。




平家物語冒頭の、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。」と描写されるのが、「沙羅」ですね。
釈迦入滅の時、その床の四辺にあった沙羅樹がたちまち枯れて白色に転じたと言われます。


日本ではこの「ナツツバキ」を「沙羅」と呼び、庭木として植栽しますが 、釈迦入滅を見届けた「沙羅」の木とは別種だとも聞きます。



そのあとも、何度も話題にした花ですが、そのナツツバキ(沙羅)が後楽園に咲いていました。先日(6/26)の撮影です。





井田そばの古代ハス(大賀ハス)が満開です。





アオサギがいます。



シラサギがいたりして、我が家の近所の田園風景と見まがいますが、後楽園の井田の中です。前回に比べて稲苗が一気に育っています。



アジサイは、今が盛り。



かやぶき屋根のスケッチ。



青もみじ。



赤い紅葉もありました。



後楽園散策中に、かなり強い雨に見舞われました。あいにく傘は、駐車場の車の中です。身体が濡れるのは、涼しくて良いくらいですが、カメラが濡れるのは困ります。ボディは、防塵防滴のPENTAXk-30ですが、レンズのSIGMA120-400は、防滴仕様ではありませんから、バッグの中に隠して歩かねばなりません。


そんなときに、カワセミに会いました。急いで取り出して.慌てて写しますが、どうやらiso設定が感度不足のようで、シャッター速度が稼げず、ブレブレ写真ばかりでした(残念).ちょっとましなのを記念に残しておきます。



トリミングします。




今日の付録


我が家の畑のアマガエル(6/25撮影)



自然保護センターの滝川で、水浴するトノサマガエルを写していたのを思い出しました。6/15撮影。




爬虫類・両生類が苦手な方は、御免なさい。


今日はここまで。