今日は、昨春亡くなった畏友Hさんを偲ぶ会が開かれます。
そして、詩人立原道造の忌日です。

立原道造については、wikipediaにはこうあります。

立原 道造(たちはら みちぞう、1914年(大正3年)7月30日 - 1939年(昭和14年)3月29日)は、昭和初期に活動し24歳で急逝した詩人。また建築家としても足跡を残している。(後略)

 没年24歳だったのですね。高校時代の私にとっては、夭逝したとはいえ、遙かに年上に思えていましたが、あっという間に追い越してしまいました(笑)。

この日の記事で彼の詩に触れたことがありましたが、そこで紹介しなかった詩をひとつ青空文庫から引用します。 これもまた、ソネット形式の詩です。

燕の歌   立原 道造

春来にけらし春よ春
  まだ白雪の積れども
         ――草枕


灰色に ひとりぼつちに 僕の夢にかかつてゐる
とほい村よ
あの頃 ぎぼうしゆとすげが暮れやすい花を咲き
山羊(やぎ)が啼いて 一日一日 過ぎてゐた

やさしい朝でいつぱいであつた――
お聞き 春の空の山なみに
お前の知らない雲が焼けてゐる 明るく そして消えながら
とほい村よ

僕はちつともかはらずに待つてゐる
あの頃も 今日も あの向うに
かうして僕とおなじやうに人はきつと待つてゐると

やがてお前の知らない夏の日がまた帰つて
僕は訪ねて行くだらう お前の夢へ 僕の軒へ
あのさびしい海を望みと夢は青くはてなかつたと


しばらく前から、今年も燕がやってきています。

今朝は,我が家の前の電線に止まっては、軒下の古い巣に繁く通ってきています。今年も巣作りを始めた模様です。

 

もう一つ立原道造の詩。

Ⅱ 虹の輪 立原 道造
あたたかい香(かを)りがみちて 空から
花を播き散らす少女の天使の掌(てのひら)が
雲のやうにやはらかに 覗いてゐた
おまへは僕に凭(もた)れかかりうつとりとそれを眺めてゐた

夜が来ても 小鳥がうたひ 朝が来れば
叢(くさむら)に露の雫が光つて見えた――真珠や
滑らかな小石や刃金(はがね)の叢に ふたりは
やさしい樹木のやうに腕をからませ をののいてゐた

吹きすぎる風の ほほゑみに 撫でて行く
朝のしめつたその風の……さうして
一日(ひとひ)が明けて行つた 暮れて行つた

おまへの瞳は僕の瞳をうつし そのなかに
もつと遠くの深い空や昼でも見える星のちらつきが
こころよく こよない調べを奏でくりかへしてゐた

 
昨日の朝の散歩で見たものを載せておきます。
麦の若葉に、「露の雫が光つて見え」ました。

 
ホトケノザの花も露を宿しています。
 
ヒメオドリコソウも。
 

ムラサキサギゴケも。
 
 
 
いつの間にかすっかり育ったツクシにも露。
 
 
ムスカリ。
 
桜のつぼみの向こうに広がる麦畑。
 
散歩道の辛夷の花。
純白の辛夷。
 
 
 
淡紅色の辛夷。
 
 
 
辛夷の花と蓑虫。
 
散歩道の菜の花

 

我が家の庭の菜園で放置されていた野菜(白菜だったか、小松菜だったか忘れました)の花。
小さな蜂が軽やかに活動を始めています。

 
 
庭のユスラウメの花。
 
庭のレンギョウの花。
 
庭と言っても猫の額の宅地の片隅です。
鑑賞よりも食糧優先で、露地や鉢やプランターにいろいろ雑然と生えています。
ほったらかしにしていても、時がくれば必ず花を咲かせます。
こんな片隅で、季節が着実に推移していることに、ただただ感心します。