この歴代総理の面々、いずれも、国民の不安を押し切って、その都度その都度、日本の軍事大国化と日米軍事同盟強化への道を一歩一歩推し進めてきた
方々ですが、彼らが、国民の不安をなだめる言葉として用いられてきたのがこの「政府見解」だったはずです。その意味では、「朝令」が長く生き続けてきた希
有な例と言えるでしょう。
ところが、「巧言令色」、元気さかんなアベさんは、いともかろやかに、この封印を解いてパンドラの箱をあけたわけです。
こんな風にやすやすと、ご都合で「令」を改めるに躊躇のないアベさんが、事もあろうに、「(公約に反して)消費税率の引き上げを先送りしたことについての是非を問う」というわけのわからない解散理由で選挙に打って出たのですから、納得しかねますね。
「朝令暮改」といっても、悪い「令」を速やかに改めることには、誰も反対しないでしょうに。
それにしても、言葉巧みなアベさんのレトリックに、決してだまされたくはないですね。
「予定していた消費税引き上げを実施しない」ことへの信を問うかに見せかけて、「先送りして実施する」ことへの信を問うているわけですから、ここで自民が大勝ちした暁には、「国民の信を得た」という決まり文句を連発して、増税、大企業減税、福祉・教育切り捨て、原発再稼働、TPP、集団的自衛権行使、改
憲、、、と、「この道しかない」道をまっしぐらに進むおつもりでしょう。
そんな安倍自民を一人勝ちさせて、本当に大丈夫なんですかね?
ところで「朝A暮B」には、もう一つ有力な答えを思いつきます。
A:三
B:四
「朝三暮四」ですね。
『列子』にある故事です。
【原文】
宋有狙公者。愛狙、養之成群。能解狙之意、狙亦得公之心。損其家口、充狙之欲。
俄而匱焉。将限其食。恐衆狙之不馴於己也、先誑之曰、与若芧、朝三而暮四、足乎。衆狙皆起而怒。俄而曰、与若芧、朝四而暮三、足乎。衆狙皆伏而喜。
【解釈】
宋(そう)に狙公(そこう)なる者有り。狙(そ)を愛し、之(これ)を養ひて群れを成す。能(よ)く狙の意を解し、狙も亦(また)公の心を得たり。其の家口(かこう)を損じて、狙の欲を充(み)たす。
俄
(にわ)かにして匱(とぼ)し。将(まさ)に其の食を限らんとす。衆狙(しゅうそ)の己(おのれ)に馴(な)れざらんことを恐るるや、先づ之を誑(あざ
む)きて曰はく、若(なんぢ)に芧(ちょ)を与ふるに、朝に三にして暮に四にせん、足るかと。衆狙皆起(た)ちて怒る。俄かにして曰はく、若に芧を与ふる
に、朝に四にして暮に三にせん、足るかと。衆狙皆伏して喜ぶ。
【地方語訳】
むかし、中国の宗(そう)ゆう国に、「猿おっつあん」ゆうもんがおったんじゃ。そのおっつあんは、猿が大好(でえす)きで、猿を群れで飼うとったんじゃ。
おっつあんは猿のこころがわかり、猿もおっつあんの気持ちを理解しとった。おっつあんは自分の食い物を我慢してでも、猿が満足するよう食わせとったんじゃ。
けど、おっつあんは、急に貧乏になってしもうた。で、猿の餌を節約しようと思うたんじゃ。
それがもとで猿がなつかんようになっちゃあ弱ると心配して、まず、猿にゆうたんじゃ。
「お前らあにトチの実をやるのに、朝三つ、夕方四つやったら足るか?」
猿の群れは、みんな立ちあがって怒ったんじゃ。
せえで、おっつあんは、急に、「そんなら、お前らあにトチの実をやるのに、朝四つ、夕方三つやったら足るか?」
猿の群れは、みんな、ひれ伏して喜んだんじゃと。
おしまい。
まあ。こんなお話ですかね。
狙公には同情の余地もあり、お猿相手のその知恵は、かわいげがあって憎めませんが、同じようなことが国民に通じると思われてはかなわんのですよ。アベさん。
「消費税、今10パーセントに増額するがどうか?」国民は立ち上がって怒った。
「それでは、今増額することは取りやめて、日延べして実施するがどうか?」国民は、頭を地面にこすりつけて喜んだ。
ナンテ事になると思ったのなら、馬鹿にしすぎじゃありません?
そういえば、 民主党政権時代に、鳩山総理が「朝三暮四」と「朝令暮改」を混同したというエピソードがありましたっけ。
2010年01月29読売新聞
鳩山首相が22日の衆院予算委員会で、巧みな言葉で相手をだます「朝三暮四」の意味を問われ、「よく知っている。物事をあっさり変えてしまうことだ」と間違え、質問者から「それは朝令暮改だ」と訂正される一幕があった。
自民党の茂木敏充氏が、麻生政権の編成した2009年度第1次補正予算に関し、鳩山政権が執行停止にした内容を09年度2次補正予算案で復活させているとし、「朝三暮四」だと批判するやりとりで飛び出したものだ。
「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」、「未曾有(みぞう)」を「みぞうゆう」と読んだ麻生元総理。文字による文章よりもアニメや漫画がお好きなお方の、面目躍如たるエピソードでしたが、それにつけても、国政のトップの基礎教養の低さが嘆かれます。
それらにもまして、安倍現総理の言辞の空疎さ、ワンパターンの同語反復、聞く耳持たぬ自説の一方的開陳、まつろわぬものへの小児的恫喝、、、語彙の不足にとどまらない言語(による意思疎通)そのものへの軽視・蔑視が、そこには見て取れる気がします。かの青年将校の「問答無用!」の思想と相通じるものを感じないではいられません。
でも、いかに嘆こうとも、政治のレベルの貧困は、国民のレベルを反映しているだけと言われると、「ああそうですね」と引き下がるしかありません。
サミュエル・スマイルズ著『自助論』(原題 「Self-Help」)に、こんな記述がありました。
「政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎません。どんなに高い理想をかかげても、国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルまで下げられるも
のです。逆に、どんなに酷い政治でも、国民が優秀であれば、いつしか政治は国民のレベルまで引上げられるものです。つまり国民全体が、その国の政治の質を
決定するのです。これは、水が高い所から低い所へ流れる事と同じくらい、あたりまえのことなのです」
時あたかも総選挙。どっこい、もはや、コケにはされまいぞ。なんとしても、国民の真のレベルを示す機会にしたいものですね。
夕焼けの向こうに、明るい明日を待ちたいです。
いつもの常山が、シルエットになって 暮れていきます。
なめらかな地面?または水面?と見えるのは、、私の車の屋根です。空を写して不思議な景色になっています。
野菜を少々収穫しました。